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源氏物語の京都案内 (文春文庫 編 5-9)
文藝春秋
4167217821

日本文学専攻であった。しかし、恥ずかしいことに、私は「源氏物語」を通読したことがただの一度もない「日本文学科専攻者(しかも卒業済)」なのである。

「いやまあ原文ではキツイよね」

そういうフォロウもあるかもしれない。しかし。

訳文ですらちゃんと読んだことがありま「源氏」千年紀。

……とまあ莫迦を晒せるくらいの状況なのだ。与謝野先生、谷崎先生、円地先生他皆々様方申し訳ない。私は訳文ですら読了してない馬鹿野郎なのだ(でも、かなり昔、円地さんの訳本はたまたま状態のいいのが古書店にあって、セットで贖ったことがあり持ってはいる。あと、ガイドブック的なものも数冊所有。……でもまともに読んでない↓)。

それで日本文学科卒、ですってよ奥様。まあハズカシイ。

英語は苦手だけれど「源氏」が好きな友人と、日文のくせに英文科の講義まで出席(ちゃんと登録してもらって、成績も残る)していた私とで、お互いよく言い合ったものだ。

「ねえ、何で読めるの? どうして読んで解るの??」

私はとにかく古典にヨワかった。古文漢文どちらもダメダメ。なのに卒論は近世文学だというから片腹痛い↓ そんな私は「いづれの御時にか……」をスラスラとは読めぬ。ならば訳文をと思っても、人間関係が解らない。
私が理解している「源氏」とは、
マザコンの挙げ句ロリコン野郎が立場と美貌をいいことに幼女を誘拐して育て上げ、その合間にもあちらこちらの女に手を出しては「そろそろ頃合いだな」とばかりに無理矢理元幼女を水揚げよろしくモノにし、泣いて彼を拒絶する彼女に「そんなにいつまでも泣いてるのはエンギ悪いよー」とヌカすエロテロリストなドアホウが政治的問題や立場もあって苦況に立たされつつも何だかんだでハーレム生活を送って好き勝手しやがっておくたばり遊ばされるあーんどその後そいつのガキやらその友人やらが女巡って恋のさや当てしてやがる
というものである。

「まったくの間違いでもないからタチ悪い」「いや、言いたいことわかるんですけどそれはちょっと何かが」との評を頂戴している。これでも日文科卒ってんだから(略)。

閑話休題。
とにかく、訳文ですら人間関係がマトモに掴めずいつも放り出してしまっていたのだ。アタマに残ってるのはもうガクセイ時代に聞かされた「当時の発音で読む源氏物語冒頭」の何とも言えぬ独特なアクセントとイントネイションに彩られた平安絵巻のみである(それが今回のタイトル)。

でも。そんな私でも初めて最初から最後まで読めましたーVv というのがこの本なのであった。前振りなげー。

「源氏物語」の舞台となった地を紹介しつつ、一帖につき4p。あらすじが書かれ、人物相関図も掲載されていて、物語の流れや大凡の内容が掴める。読み所の解説やその巻に相応しい、あるいはイメエジを喚起させる上品な菓子の紹介、五十四帖全ての茶碗の写真なども掲載されていて読みやすい。
とにかくわかりやすい。頭中将の野郎が出世したりで呼び名が変わっちゃって「ダレがドレだ!?」と怒り狂う私にもその巻における呼び名の後に(頭中将)なんて書いてくれちゃってる人物相関図があるお陰で、「あ、そっかそっか」と追いつけなくなりそうな辺りに助け船を出してくれるのだ。

「源氏物語」って、面白かったのね。

あらすじだから読みやすい。でも、ちゃんとポイントは押さえてあるので流れがわかる。おまけのコラムも楽しいし、所々挿し挟まれる写真も美しい。三日くらいかけて夢中になって読んでた(でも、それでもやっぱり「あ? このヒト、ダレだっけ? ダレの娘? んあ?」となるのだが)。

あ、ちなみにとてもとても有名な「あさきゆめみし」は何とただの一度も読んだことがないです。私、「はいからさんが通る」大好きだったのに。存在も知ってたのに。……なんかこう、負けた気になっちゃってたんだろうな。「読めないからまんがで読んだのね」と思われるかもしれないというしょーもない理由で。

「京都」という土地を媒介に、今と昔(それも、かなり現実を取り入れた虚構の)の交錯をも綴ってあり、単なるあらすじ本にならず、一種の観光ガイド的側面も持った、でも文学作品のガイドでもある、読み応えを感じる本だった。いや、ホントに面白かった。読み返しちゃう。

これ読んだら以前買おうと思ってどうしようか迷ってたのがあったの思い出した。
まろ、ん?―大掴源氏物語
小泉 吉宏
4344001494

これ、確かたった8コマで一帖のあらすじを紹介してるらしい。すげー。まさに「大掴み」にざっくりと「源氏ってどんなハナシなのよ?」と躓きまくって門前払いどころか自ら門を閉ざしてしまったひとにはこれ以上ないくらいわかりやすいあらすじ本であろう。欲しいぞ。

切り口としてはそれほど目新しい訳でもないのかもしれないけれど、今回購入したこの「京都案内」は文学としての楽しさと、違う視点から見てみる「源氏」の面白さをコンパクトにまとめてくれていてお買い得な一冊だった。

そういえば、学生時代取った講義では六条御息所と末摘花でペーパー書いて提出したんだったなー。懐かしい。御息所は嫉妬を露わにすることがはしたなくもみっともないとされていた中で、苦しんで抱えておくだけでは済まされなくなった所が好きだったし(コワイし、鬱陶しいところもあるひとだと思う反面、捨てられて「いいの、しょうがないの」とよよと泣き崩れてゆく「だけ」ではない所が何だか好き)、末摘花は実はこっそりパロディ小説書いたくらい、何だか思い入れがあった(彼女の存在は、笑い者にされるよりも、彼女に対して勝手なイメエジを抱いて意気揚々会いに来た源氏のバカさをこそ笑うためにあると思ってる。で、実は彼女はとてもプライドが高くて、愚かなフリをすることでその自尊心を保っていた、という設定で書いたのであった)。

何だか最近「京都」づいてるなあ。ホントに、「そうだ」って勢いだけで行ってきたいわ。麩饅頭食べたいなー。抹香臭くなるくらい寺社巡りしたい。ふう。

これ、結構売れたようで、私が「よし買うぞ」と思った時はネットの書店では軒並み手に入りづらい状態だった(一般書店にはあったけれど)。そのためか、私の所有する本はもう第2刷です。

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刑事コロンボ 構想の死角
スティーヴン・ボチコ 石上 三登志
4812425557

二作目に続いて三作目も読む読む。相変わらず文章が読みやすいな。相性がいいだけなんだろうか。

2人組の作家は連名でミステリを上梓し、それをベストセラア作品にのし上げた。シリィズ化もされ好評も得ている。ひとりが書く才能を持ちそれに専念し、ひとりはプロデュウス業に長け、映画化等に力を入れ、それでうまくいっていた、筈だった。書き手である方が「もっとシリアスな作品を書きたい。このシリィズは終わりにしたい」、そう宣言する。
一文たりとも書いたことのない男は激怒した。そして、決心する。手には、拳銃――

2人の脚本家によって生み出された「コロンボ」、その作中に登場する2人組のミステリ作家というちょいと毒の効いたハナシ(もっとも、この脚本は「生みの親」によって書かれた訳ではないのだが)。

相変わらず、登場人物、それも犯人の内面や、映像の中では描かれなかった過去等が盛り込まれ、同じ作品でありつつも別な角度や見方を新たにしつらえてあって、結末を知っていても楽しむことが出来た。

犯人の一流好みが何処より来るものなのか、とかが小説版では描かれていて興味深かった(また、それが殺意の引き金の一部をも担っている)。映像で観る分には、単純に成金根性というか、拝金主義というか、カネとステイタスにこだわりたい人物、くらいに思っていたのだが、小説版だともう少し深い「根」の部分が描写されるのだ。よって、ドラマ版では無かったコロンボとのやり取りなんかもあってその差異というか相違点がまた面白い。

それにしても。映像+音楽の「勢い」というのはやはりスゴイもんがあるのだな、と再認識させられた。

以前、「エヴァンゲリオン」の制作に携わったひとたちで座談会を行った模様を本にしたものを読んだのだが。この作品では14歳という子供ではないけれど大人でもない人物が突然世界規模の闘いに巻き込まれ、ロボットに搭乗しパイロットとなる、というある種このテの作品の伝統に則った所から始まる。
で。脚本やコンテの段階では、第壱話で主人公がロボット(正確には「汎用人型決戦兵器」)に搭乗するとは思えない、とスタッフの誰もが思ったそうな。ところが絵が動いて音楽がつくとアラ不思議。それなりに理解出来なくもない展開だな、と思わせられた、らしい。


映像で観ていた時は、それなりにある種の納得をして、コロンボが解決してゆく様を楽しんでいたのだけれど、文章で改めて読んでみたら、「あれ? あ? ん? あれ?」と困惑してしまった。

いつものコロンボならここぞとばかりに逃れようのない証拠、あるいは「捏造」して突きつけ(本当の証拠でなくとも、本人が認めざるを得ない状況を作り出してボロを出させる、ってヤツね)、犯人が認める、ということになるんだけど、文章のみで読むと、ちょっと微妙、なのだ。スッキリ感が薄い。コロンボが提示した「証拠」ではかなり弱いのだ。もうひたすら犯人の自己顕示欲みたいなものとか自尊心とか、そういうものに訴えかけて自白に導く、というカンジ。もし犯人がもっと賢くて冷静で居られれば、逮捕出来たかね、とまで思ってしまうような勢いなのだ。
ううむ。おそるべし映像。そして音響。

これを読んだ後、わざわざ数ヶ月ぶりで見直したくらいだ。比べると尚面白い。それぞれの面白さが際立つ。
とりあえず「新・コロンボ」に至までの全作、文庫で全部出してくれることを望む。「指輪の爪あと」もついでに見直したことだし、文庫読んじゃおうかしら♪
刑事コロンボ死者の身代金 決定版
ディーン・ハーグローヴ 三谷 茉沙夫
4812425255

よーやく読んだ。1作目と同様、文章が読みやすくてさくさく読めてしまう。しかも、映像で見たものと同じストーリィでありながら映像では描かれなかった部分が垣間見られて興味深い(それが蛇足というか、想像の余地を残さない野暮さにも繋がるだろうけれど)。

野心家の若手弁護士が、富と地位とを手に入れるためだけに結婚した夫を殺害。誘拐されたと偽装し、悲劇の妻を演じるものの、運悪く彼女の元にはあの一見うだつの上がらない男がやってくるのだ……。

ドラマ版では犯人のレスリーの過去などは詳述されない。ただ野心のために夫と結婚し、用済みとして殺害した挙げ句、夫が築いた地位や立場を己のものにしようとする女であることだけが解る。
が、この小説版では、彼女の過去や心理がより詳細に描かれる。富裕な親の元に生まれたというだけで簡単に地位を手に入れたかつての同期の女性のエピソオド、レスリーがセスナの免許を取得し個人で所有した「本当の理由」、結婚に至るまでの道程などが描かれるのだ。

単にカネにしがみつきたいだけの女だったのが、コンプレクスや過去の経緯のあれこれに縛られ続けたある種の悲哀をも抱える女であったことが見えてくる(これによって「ドラマで観た時にあれこれ自由に想像出来る余地が無くなったじゃないか!」と思う向きもあろうかと。小説版はやはり、まずドラマありきで、ドラマを堪能したひとこそがより楽しめるアイテムになってる、と思う)。
とは言え、コロンボの心中までも描写されたのは、ちょっと困惑してしまったけれど。コロンボのつかみどころの無さは犯人や登場人物同様共有していたい気もするなあ。

ラスト辺りはほぼドラマ版と同様に、絶妙にコロンボの手の内を明かさずに進むのでレスリーの心理を思いつつちょっとハラハラ出来る(もう何度となく観て知ってるんだけど)。

同じ筋を別な角度から、あるいはより掘り下げた形で再度楽しめる、というものは、個人的にあまり当たりが無かったりするのだけれど、これに関して言えば毎回楽しみである。

既に手元には未読分2冊あるので、読むのが楽しみ。
恐怖の報酬
赤川 次郎
404187971X

赤川さんの本を読むのは何年振りか。まともに読んだことがあるのは「白い雨」くらいで、もうかれこれ10年以上は前だ。
別に彼の著作を読まなかったのはやれ「読む価値は無い」とか言われがちだから、ではない。単に好みの問題だ。兄は好んで読んでいたらしく、10数冊は所有していた。

それにしても驚いたのは、するすると読めてしまうこと。平易な文章で書かれているのは元々でいらしたと思うけれど、昔と違っていつもなら文庫1冊に2~3時間かかってしまうのに、この本は1時間かかるかかからないかで読み終えてしまった。
病院で母を待つ間に、あっさりと。

4篇の短篇から成る。平凡なOL、訳もなく上司からの子供じみた執拗な嫌がらせを受け続ける会社員、かつて刑事だった男とその娘、突然強盗によって人質となってしまった女性銀行員。どれも小さな(が、些細とは言い切れない)切欠から、不可思議な世界へと足を踏み出してしまう物語。

あっさりした文章で、淡々と描かれる。それ故に、じわじわと何かが湧き起こってくるのが解る。
勿論、セケンとやらに倣って「何か、大したことないな」と言ってもいいのかもしれない。でも、淡々としているが故に、あれこれと反芻するとじんわりと、クるものが仄かにある。その「仄かさ」がなかなか悪くなかった。それに加えて、相反するあたたかなものも同時に描かれる。それ故にまた際立って見えるものがあるのだ。「仄か」に。

子供の持つ邪気、ひととして幼い男、自分には無いものを持つ人間への妬み、そんな人間の「弱さ」や目を背けていたい部分にこそ恐怖の種が潜んでいる、というのはホラー作品にはよくある傾向なのだが、これもそういう物語がほとんど。事象そのものに「恐怖」は宿らず、ひとから生まれるものにこそ宿っている。

ドロドロした怨念も、土地に纏わる因習も、どうしようもなく陰惨な事件も、この本の中には無い。何処にでも居そうな誰かに突然降りかかる厄災と、それを切欠に自分では望まぬ世界へといざなわれてゆく人々の行く末があるだけだ。

何処にでも陰があるように、笑顔や日常の何処かに潜むものがある。気づかないのではなく、気づきたくないが故に、静かに放置されたまま。
文庫版 百器徒然袋―雨
京極 夏彦
4062751801

3本の中編から成る。「私」という語り手を通して3つの事件が語られるのだが、中禅寺(京極堂)も引っ張り出されはするものの、もっぱら榎木津の営む(と言っていいのかアレは……)「薔薇十字探偵社」に持ち込まれた依頼を「解決」するというハナシで、主に破壊大帝・榎木津礼二郎が快刀乱麻・八面六臂・傍若無人に荒らし回って……いや、大活躍する物語ばかり、なのである。猿君(関君、とも。関口はロクな呼び名が無いな。それを言ったら、榎木津にかかれば皆まともな名で呼ばれることの方が少ないのだが)なんて刺身のツマ以下の扱いだ。わははははははは!

重い事件から物語は始まる。「私」の姪が輪姦され身籠もってしまい、それについて悩んでいた所に「薔薇十字探偵社」の存在を教えられてそのドアを「迂闊にも」叩いてしまうのだ(京極堂などの視点からすれば「迂闊」だろう、多分。つーか確実に)。

榎木津は変人ではあるが、考え方は至極真っ当であったり、差別や偏見を以てひとを見ない男であることが何時にも増して明瞭に描かれている。そこがまず読んでいて快いのであろう。

最初の物語において、強姦という辛いという一言で片づけられぬ深い傷についても、簡単には癒せぬことを面と向かって指摘するのは「事実」として目を背けられぬことであるからであって、被害者の気持を慮れない訳ではない。それどころか愚劣で卑怯な行為であることを十二分に理解している。安易に救済めいた真似事などしないのが偽善のカケラもないことを示している。
「犯人」たちへの「報復」は一見滑稽で(いや、かなり滑稽なんだが)重く見ていないかのようであるが、社会的に抹殺・黙殺されることの屈辱をこれでもかと突きつけてはいる。
そして、そんなことをしても被害者の傷が容易に癒える訳でも、消えてなくなる訳でもないことを、誰もが知っている。相手にも被害者の味わった苦痛を与えることで必ずしも改心する訳ではないことも。
それでも、何かせずにはいられなかった気持は、少しばかり収まるかもしれない。「かもしれない」のために、京極堂まで巻き込んであれこれとやってのけるのが榎木津という男なのかもしれない。

まあ、面白いからやってる、んだろうけど。だってそんなのしたって被害者の何が贖われる訳でもないんだから。ただ、心につきまとう暗い影を少し払拭することは出来る。被害者を救えなかった、助けられなかった「私」の、ではあるけれど。

残る2篇も一見馬鹿げているようでいて実は…という物語。過去の事件ともリンクしていて、ファンには楽しめる。

珍しく何処か飄々とした京極堂が見られる(結構悪ノリしまくり)のと、無類の赤子好きである赤ん坊を発見した時の榎木津のはしゃぎっぷりが印象的であった。

そうそう「私」はこの作中まともな名前では呼ばれない。本当は何という名であるのだろうかと思ったら、最後まで読んで欲しい。何、明かされたとて何が変わる訳でもないのだがね。少なくともオロシガネくんだとかそんなドアホウな名前などでは決してないことだけははっきりする。
ダージリンは死を招く お茶と探偵 (1)
ローラ・チャイルズ 東野 さやか
4270100079

刊行年確認したら2005年だった。1年以上寝かせてしまっていたのか↓ やっと読んだ。

何故もっととっとと読まなかったのかー!!

ティ・ショップ「インディゴ」を経営するセオドシアがシロウト探偵として活躍するシリィズの第1弾。思っていたよりも読みやすくて楽しんで読むことが出来た。セオドシアも協力したティ・パーティ(出張形式のティ・サロン)は盛況。そこに突如現れた死体。従業員と親しい間柄にある人物が疑われて調査に乗り出すセオドシア……と、コージィにお約束の展開。

茶葉鑑定人のドレイトンと若いけれども才気溢れるパティシエ・ヘイリー、セオドシアの愛犬アール・グレイ……と登場する人物がそれぞれなかなかに魅力的。ティ・ショップ内での様子が細やかに描写されていて、それを読むのが楽しい。
何しろ、珈琲の需要が高いという印象の強いアメリカにあって、最近はお茶の需要も高まっているということはあるだろうけれども、これでもかとお馴染みの紅茶から珍しいものまで登場して、それだけでも紅茶好きとしてはわくわくものだ(玉露まで登場するとは思ってなかったし)。
洗練されているものの嫌味ったらしさの無い店の雰囲気が伝わってくる。実際こんなティ・ショップはあるのだろうかと訝しんでしまう程だ。ポットに茶葉を掬い入れて丁寧に淹れられた紅茶であるのも嬉しい(イギリスですら茶葉はテトラ型のティ・バッグ主流だしな。勿論、茶葉をティキャディ・スプーンで人数分掬って淹れてるひとだっているけど)。
供される菓子の類もまた美味しそう(でも今回もっとも「罪深い」食べ物はセオのレシピによるカルボナーラだ! ごっついハイ・カロリィだけど美味と来てるのよー!! それを夜も更けてから食うの!)。紅茶は菓子を、菓子は紅茶を楽しむためにあるよねー、と大きく頷きつつ読む読む。ああ、お茶飲みたい。でもポット用意してなかった。読み進めたいから準備に気を取られたくない。でも飲んで食べたいぞこんちくそー、という逡巡に何度も陥る。

歴史ある町であるが故に持ち上がった問題と絡む殺人事件、という点はよく描かれていると思う。リゾオト開発や土地の利用を巡る利権争い、という生臭い現実的な話題と、温かさで満ちた素敵なティ・ショップで過ごす何とも言えぬ満ち足りた時間、セオや叔母リビーの暮らしぶりのつましいながらも豊かな日々とのギャップも悪くない(正直まったく筋には関係無いことなのに、リビーの暮らしぶり、セオの部屋の描写が細々と記述されている)。

ただ、ある意味深長を期すことにあまりに熱心になり過ぎて、もう少し回収して欲しかったエピソオド等に関する「探偵視点」の見解を省いてしまったように見えるのが残念。え、あそこまで書いておいて放置?? と思ってしまう読者は多いのではないだろうかと。
ミステリとしても、ちゃんと楽しめただけに「何故そこまで詳しく書く??」と思わせられる点が多い気がするのだ。最後まで読めば、読者に対する「公正なるミス・リード」のためだった、と思えるには思えるのだけれど。同時に、何故あれ程までに登場人物の暮らしぶりや調度に関して細やかに説明するのかも判るんだけどね(私としては)。

書いて欲しいポイントが、読者との見解とややズレてるように見える所が無ければもっと良かったのに! と思いつつもとても満足。いい意味で軽くてさくさく読める。
登場人物たちの絡み具合も好み。愛犬アール・グレイは猫好きが見てもきっと可愛いと思うに違いないぞ。賢くて可愛くて「これぞ理想の犬!!」という感じだ。ドレイトンが仕事に対して誇りをもって従事している所もいいし、セオに対する接し方の温かさもナイス。ヘイリーはやや移り気にも思える所があるものの、仕事に対して熱心かつ有能で、てきぱき働くさまが心地いい。セオに至っては「美人」と来てる。叔母のリビーがまた寛大で気持ちのいい女性。
家屋の描写と共に、コージィの醍醐味のよーな描かれっぷりが楽しい(よって、事件に、筋に、直接関係ないことを書くなよ、という方にはまっっっったく! 向かないです)。ミステリの部分とのバランスの兼ね合いが良ければもう文句ナシの作品だった。

手元には既に既刊3冊目まである。すぐ読むべきか、惜しむべきか。今んところはそれが問題。ただはっきりしてることがある。必ず読む前にお茶を楽しめる準備をしておくこと、これを怠るな、ということだった。茶請けも忘れてはならん! 腹が減る、のもそうだが、お茶したくなること請け合いなのだ。作中クリスマス用に準備されたオリジナル・ブレンドの紅茶が数種登場するのだが、試してみたくなって困る。

巻末には特製レシピ付。また、所々に紅茶のワンポイント・メモのよーなマメ知識が掲載されている(お茶好きには既知のことだらけだが)。これも楽しみのひとつ。
表紙が可愛すぎて男性諸氏が手に取りにくそーなのも惜しい。……というか、女の私でも甘すぎると感じたくらいだぞ。
甘さを緩和するためにも是非。お好きなお茶をお手元に。出来ればポットで淹れてね♪
飛ぶのがフライ
ジル・チャーチル 浅羽 莢子
4488275125

オンライン書店ビーケーワン:飛ぶのがフライ
私にしては久々に入手直後かつリアル・タイムで読んだ。何と前作「エンドウと平和」から5年2ヶ月の歳月が流れていたとは……! 本国ではほぼ1年に1作は出されていたというから、ええ、これからもがしがし読めるのね、と楽しみは増えましたがね、あまりの長さに吃驚ですよ。

「主婦探偵ジェーン・ジェフリィ」シリィズもこれで9作目。邦訳を今か今かと待ち続けていたのもあって一気読み(また、するすると読めるんだな、これが)。久々に親友・シェリィとの掛け合い漫才を読めて楽しかった。

子供たちのためのサマア・キャンプの候補地に下見のために赴いたジェーンとシェリィ。
キャンプ場の下見に訪れていた数組の夫婦の内、2組は夫が兄弟。兄は何処かひとを寄せ付けない雰囲気があり、妻は内向的でおとなしい。弟夫婦はいずれも賑やか。1組は何にでも自分の主張を通そうとする強気な妻と、その妻が自慢の夫。4人の娘に恵まれた男も単身下見に参加している。キャンプ場を経営している夫婦と夫の母は皆気さくで仕事に熱心。
何も怒らなくても良さそうなのに、そこはそれ、歩けば死体に当たるジェーンが来てるので当然のよーに事件が起きる。
ジェーンとシェリィが死体を見つけ、それを大慌てで知らせに行くと、調査した保安官が言う。
「死体なんて、何処にもありませんでしたよ」。
確かに死んでいた。それなのに死体は無い。フライパンで頭を殴られて倒れていたのだ。しかし、殺されたと思っていた当人は頭部に軽い打撲の跡があるくらいで記憶を一部失っているものの生きて戻ってきたではないか。
だとしたら、見た筈の死体は? 何が起きたのか?

実は、推理小説の禁じ手(ヴァン・ダイン、ノックスに因って提唱されてるアレね)が思いっきり使われるのだが、それをうまく逆手に取ってどんでん返しに持っていっている。もっとも、かなり前から敢えてこの禁じ手を利用して自分なりにヒネリを利かせるものがフツーにあるんだけど。
読者は大抵このシリィズを「コージィ・ミステリ」として括って読む、あるいは「コージィ」として見なしていることが多いのだけれど、出版社サイドとしては「本格」と銘打っている……だけあって、謎解き要素に関してはなかなかのものだといつも思う。今回ちょっとだけ「……?」だけど。何となく物足りないものがあるのは何故かしら。やはりあの部分とかあの部分とかのせいかしら。
基本はフーダニットものなのだけれど、今作はホワイダニットでしかも○○○まであるときた(この部分に関してはやはり読んで頂かないと)。そう来たか!(この辺りかもな。ははは……) 

珍しく序盤で触れられていたある小さな事実を何故か克明に記憶していたので(笑)、「ははあん、これは犯人はこのひとだね」と判ってしまった。なので、多分ミステリを読み慣れてるひと・好きなひとならすぐに判っちゃっただろうなあとも思った。それでも「ホワイダニット」の部分が残ってるから、十分に楽しめたのだけれど。限られた登場人物の中の誰かが必ず犯人なんだから、誰でも判るんじゃね? とか言わないように(あはははははは。←渇ききった笑い)。

ジェーンの「重要な相手」(未亡人たる母に「カレシ」「恋人」が居る、ということを娘が恥ずかしがるのでこのよーの呼ぶハメになっている・笑)である刑事のメルが登場しないのはちょっと残念だけれど、その分(?)シェリィとのテンポのいいユウモア満載の会話が楽しめる。親しみが持てる口調なんだよなあ。これが苦手、というひとも居るらしいんだけど(それにしても、知り合ってから10年以上経つ友人にでさえ冗談なノリ以外で「あんた」という二人称を使用したことのない私には、成人し主婦となってから知り合った友人を「あんた」呼ばわり出来るこの2人が何だか羨ましい)。
おまけに、人里離れたキャンプ場、雨に降られて川が増水し橋が渡れなくなり殺人者と一緒に過ごすほか無い、とクロオズド・サアクル状態にもなってさすぺんすふるよ。まさに陸の孤島状態。
何でもないような所からするりと犯人に繋がる手がかりを導き出すのもお約束とはいえ手慣れたものでまずまず説得力もある。事件が発生するまでに、文庫の半分くらいは読まされるからね。あれこれと。でも、そこに伏線が張ってあるんだなー。何気ない部分の描写もまたいい(いや、そここそが醍醐味かもしれない)。

が。気になってしょーがない点が。元々言われてもいたのだけれど、訳に際して、「ここまで日本語への置き換えにこだわるか!?」というのが散見されて、そこでちょっと躓いてしまうのだ。
「浴用塩」。うーん……バス・ソルトでもいいんじゃないだろうか。確かに入浴剤ほどの認知度は無いだろうけど。家政ネタに弱いかもしれない男性読者、欧米文化に興味の無いひとのために、だろうか。「浴用塩」、は確かにある意味明瞭なんだが。ううむ。自分にとって馴染みが無いから妙に思えるだけで、フツウなのか。自分の日常レヴェルに照らすと「浴用塩」は使わないなあ。というか、最初に出会った時に既に「バス・ソルト」と表記してあったからそれに慣れちゃって違和感があるんだろう。
「肉汁」。これ、「グレイヴィ」(「グレービー」がよくある表記か)じゃ駄目? まだまだメジャーじゃないか。アメリカじゃフツウなんだけど。
「逆さケーキ」は、 "up-side-down cake" のこと、かな。おフランスで言う「ランヴェルセ」。と思って調べてみたらビンゴ! だった。何でもかんでも英語をカタカナ表記に、てのも確かに芸がないんだが、「逆さケエキ」てのも何か言い得て妙(おまけに、このリンク先の Wiki で紹介されてる「パイナップル・アップサイドダウン・ケエキ」てのが作中登場する。……つまり、アメリカ辺りじゃぱぴゅらーちうこと?)。
「グラノーラ・バー」なんかは訳しようがないからかそのままで注釈付いてる。しかし私はかつて日本でも売られたことを知っている。「ハ○ス食品」から出てて、ヒデキカンゲキ! がCMソング歌ってたことまで憶えてるときてるよ。何このトシヨリ発言。
しかし、ショックと言えば「チェシャ猫」に註が付いてたことだ↓ ナンボ日本人でも知ってるひとが大多数だと思っていたのだが(それは私が中学生の時の英語の教科書で出会っているからかもしれない)。「チェシャ猫みたいに笑う」つーのが想像出来ないひと、いるのか? そりゃ皆無じゃなかろうけども。
表記も結構独特で(私ほどではないが。「ケエキ」とか「レエス」とか鬱陶しいよなー。私の場合、やや検索避けもしてるんだけどさ。だって折角検索してもらっても記事に内容らしい内容が・以下略)「ペイパーバック」は発音通りで好みと言えば好みなんだけど "pay-per-view" なんかの別な単語を思い出しちゃったりもしてやや微妙。シェリィ、ジェフリィの表記も好みだけど、ジェーンは「ジェイン」ではなくあくまでも「ジェーン」だったり、とか。法則性が独特(お前が言うな)。

しかし。そんな浅羽さんの名訳も今後新たなものは楽しめなくなる、のだ。それが寂しい。何とこの文庫の制作中に他界されていたというではないか(文庫を入手する前にネットで知った)。あの軽妙洒脱な会話を楽しめなくなるのか……。勿論、これまで翻訳なさってきた作品はこれからも残るだろうから、いつまでも楽しめるには違いない。でも、でも~~(涙)。

今後このシリィズをどなたが翻訳なさるのだろう。あの何とも言えず心地よく愉快なジェーンたちの会話を変わることなく楽しめるのだろうか。新たに携わる方の個性を発揮して頂いても、楽しめればそれでいいのだけれど、……。

楽しませて下さった浅羽さんの御冥福を祈ります。
刑事コロンボ 殺人処方箋
ウィリアム リンク リチャード レヴィンソン William Link
4812425247

DVD-BOXが再販されたそうで。でも、それもう三度目じゃないっけ? それが事実だとしたらそりゃすごい(曖昧な記憶で申し訳ない↓)。根強い人気あってこそでありましょう。決して安いとも言い切れないのだけれど、かといって高額でもない、実はとっても値頃感ある商品なのでかなりのお買い得なんですが(もう何度言ったことか。一枚ずつ購入した方の大半がショックを受けたであろう素敵価格なのは事実。おまけに予約して買ったり、あまぞんだと割引あったりでより安く購入出来ちゃったりしたので、こつこつ購入なさった方のことを思うとねえ……)。

はい、しつこく出しておきますよ。でももうあまぞんだとユーズドしか無いのね……。
刑事コロンボ コンプリートDVD-BOX
ピーター・フォーク
B0007LXPIQ

ホントに、買って損は無いです。あらすじだろうがディテイルだろうが知っていても何度でも楽しめるんだよー! 繰り返し観ると新たな発見があったりすもするし。


で。DVDでもう何度も何度もしつこく観たのにまだ観ていて、さらには文庫も購入しましたですよ。それも、かつて出版されたものの完全版、らしい。

この文庫、出る、と言われてからもうかなり経過していて、もしかしたらもう出ないんじゃないだろうかと不安になっていたんですが(確か、今年のアタマくらいに刊行するよ、と告知?されて、それ以来音沙汰無しだった)。どうやらどうにか今後も刊行する予定がある、ようです。良かった……。

で。ちまちまと寝る前に読んでいるのですが。

面白いではないか。

映像の方では詳細に語られることの無かった部分――主に犯人や彼等を取り巻く人々の感情や内面が具に描かれていて、より深みがあって楽しめる。いや、単純なノヴェライズ作品だろうかとちょっとたかをくくっていたのです、失礼ながら。そんなことは無かった。

映画(ととりあえず呼んでおく)だと特に描写されずとも伝わってくる犯人の人間性や内面が素晴らしいのだけれど、小説版ではより掘り下げることで伝わってくるものがあって、それが微妙に異なっているのもポイント(たとえば、映画だと犯人である精神科医フレミングは冷静かつ冷酷に、比較的淡々と計画を進め実行に移し、自らの行いを何ら省みることがないのだけれど、小説だとやや彼の弱さなんかも垣間見られて興味深い)。犯人の行為を幇助する女性キャラクタアの内面描写も相俟って思っていた以上に読み応えを感じる。ミステリにあらまほしき人間描写が、意外なまでにしっかりしていて(返す返すも失礼だな↓)、ちゃんと楽しめる作品に仕上がっているのだ。いやあ、買って良かった。

「完全版」、ということばが、何をどう意味するのかは実はよく判っていないのだけれど、たとえば台詞回しなんかで私たち日本人に定着してしまったコロンボ独特の口調に改めてある、とか、そういうことだろーか? ううむ、わからん。でもわからなくても面白いからいいや。

ちなみに、かれこれ5日以上ちまちまと読んでいる所ですが、ようやく我らがコロンボ氏が顔を出し始めました(ははは)。序盤は大抵何処までも犯人の動機と犯罪行為の描写に費やされるからねえ。真打ち登場まで時間かかるのは判りきってたことなのに、「出てくるまで長いねえ」と思ってしまいながら楽しみにして読んでいた。

今後の訳出にも期待♪ 難点はやや高額な点、かな……。厚みの無い文庫が1冊¥700もしてしまうとは↓ でも買っちゃうんだよ、どうせね。
ノヴェライズされた作品が単独でも面白い、というのはなかなかに稀有なことではないかと。大抵「……単に文章にしただけじゃん」な出来に終始することが多い中、個人的には大収穫です。文章も無駄が無くて読みやすいし。でもあと何年かかるんだ、DVD化されたこれまでの作品全てを、となると!(いや、そもそもそれ以前に全てがノヴェライズされるのか?)
グースバンプス〈1〉恐怖の館へようこそ
R.L. スタイン Robert Lawrence Stine 津森 優子
4265065619

書店で見つけた時、表紙見た後裏表紙見て、何を思ったかDVDだと思い込んだ素敵勘違い商品(涙)。本でしたよ書籍でしたよそりゃそうか、何かミョーに価格控えめじゃんなんて思ったら書籍だもんね妥当つかちょっとだけ高いかなと思わないでもないなーっと!(ヤケ)
でも、正直に言うと、

何故、今??

とは思ったのだが。日本でTV放映されたのもかなり前。アメリカでは何クールもつくられたけど、日本ではその内の数クールのみ放映されてオシマイ。個人的に大好きだったのだけれど。で。
「アメリカの子供たちに大人気のホラー、日本に上陸!」みたいにアオって、ソニー・マガジンから邦訳本が数冊出版されていた。表紙の装画がUS版と同じで、個人的にはその辺りもツボだった。欲しかったけど、……ほかにも買わなくちゃいけない本が山だったから我慢し……てる内にまあ消えてたんだな。
それからもう何年経過したっけ。5~6年は確実に経過してるな。いや、もっとか。7~8年?

何故か世紀も変わってから復活。というか新訳。出版社も変わって岩崎書店。HP見たら「遂に刊行!」なんて言っちゃってるけど、……ソニマガの立場は? とちょっときょとんとしてしまった。
日本人のイラストレエタアによって、新たに描き起こされた絵は、それはそれでなかなか味わいがあるというかリアル路線のおどろおどろしさでイケてるし、初回特典に光る髑髏がついてくるのも何か購買意欲をそそるなあとも思うんだが。

何で今復活してくれてんだろうなあ……。

まあ本国ではずっと愛され続けていて、今でも刊行されているし、読者の恐怖体験みたいなのや創作系のものまで出てるようで。
怪談モノというか、ホラーは廃れない(どころか今は都市伝説やら何やら含めてイヨーに一部盛り上がってる観がある)ところがあるけど、うーん……。
確かにこのシリィズなんかもよく読まれてるよなあ(実は読破したい。図書館の児童図書室に行くか…・笑。どうでもいいけど、児童図書室居るとやや奇異な目で見られる。何故?? 子供の本を読むのがヘン? ……私がヘンなヒトに見えてるのか? ……そうかも……)。
紫ババアレストラン
松谷 みよ子 怪談レストラン編集委員会
4494011495

「怪談レストラン」シリィズ。最新刊は「紫ババアレストラン」だそうで。ちうか紫ババアて何や!?(笑)子供たちのが知ってそうだな。その辺の小学生ひっつかまえて……って私が新たな地元の都市伝説になってまうやないかい↓

閑話休題。
とりあえず、また日本で読める機会が増えた(図書館辺りなら、まだ所蔵してる所もあるかと。ソニー・マガジン社の発行分)のは、個人的には嬉しい、かな。
それにしてもDVDだと思った時のあの喜びときたら↓ 返してくれ↓↓↓ DVD、BOXで出してくれないかと思うくらい好きなのだが。夕方6時、夕食時に何となく陰惨な空気をもたらしてくれる素敵ドラマ集なのよー?

日本語版はともかく、原書で今ある分は全部欲しい……と思ってたら60冊+αもあるそうな。……先は長い。
天帝妖狐
乙一
4087473422

この間遅まきながらデビュウ作を読んで、「……追っかけてみるか」と思い、集英社文庫では2作めの「天帝妖狐」など(実はもう「ZOO」も1と2買ってある。サワリの「カザリとヨーコ」なんかはつい読んでしまった)。

2本の短篇――中篇、か? が収録されている。「A MASKED BALL」と「天帝妖狐」の2篇。どちらもまったく異なる世界観でありながら如何にも彼が書きそうだな、と思ってしまう物語だった。限られた空間・人間関係内でもこれだけ色々生まれてくるのか、と呻ってしまう。

「A MASKED…」は学校のトイレの落書きが発端となって起きた小さな、でも危険を孕んだ事件を巡る物語。ネットの掲示板的意見のやり取りと匿名性を持ったまま語り合う人々。ヒトの持つ「表」と「裏」がどんなひとにも等しく存在するのだと思わせる登場人物たち。

ミステリ的ではあるけれど、彼の物語のクセみたいなものや、ミステリの常套手段を知っていると、「犯人」は誰なのか結構すぐに判ってしまう。判ってしまいはするのだけれど、ずっと謎なままなのだ。「犯人」の「動機」とやらが。
でも、そもそも、何かをするのに「動機」を「探る」「知る」必要なんてあるのだろうか。それを知っていれば防げたのか? 止められたのか? 現実の事件にも少しばかり思いを馳せてしまったり。
謎めいた雰囲気のままどうなっていくのかは、淡々とした文章でありながら巧いと思わせる。
決して劇的な何か、ではない。日常の中にふ、と現れた「異常」な側面の持つ不気味さがひたひたとラストに向けて押し寄せるカンジが心地いいと言えば心地いい。

「天帝…」では病弱な少年が寂しさを紛らわすために行った「こっくりさん」によって、その後の人生まで大きく変えられてしまった物語。強いて言えばホラー風味。
小学生の頃、流行った。学校で放課後、ひと気のないホールなんかに集まって皆でやるのだ。その頃は「こっくりさんとはチガウもの」ということを強調したいのか、異なる名前で呼ばれていた亜種だったけれど、やることは同じだ。名を唱えて「降りて」きてもらい、質問をし、答えをもらう。遊び感覚でやる訳だ。本当は何処かコワイと思っていることを、人数で誤魔化している。
少年は、それを、家でひとりで行う。誰にも言えず明かせぬものを抱えてしまい、家を出るしかなくなってしまった少年。放浪の内に出会った、ただひとり優しく接してくれた少女。
彼が彼女に長い長い手紙を認めるのだ。

異形の者に付与される哀しみと理不尽さを、やはり彼も抱えることになる。そのために起こしてしまった事件と、そこからさらにもたらされる哀しみの大きさとを思うとせつない。
異形の者故に与えることの出来る恐怖、を描いているようでいて、実は誰もが秘めている残虐性を描いているようにも見える。それを思えばこそ、この物語は哀しいのだし、怖ろしいのだと思う。
何かを破壊する歓びに打ち震えてしまうひと、は、必ず、居る。たとえば、……たとえば、「人間」を。
とりあえず、「あなた」も絶対にそういう人間だ、とは言わないでおく。認めたくないこと、というのはあるのだ。認めてはいけない、と思ってしまうもの、というのは。

良くも悪くも彼の文章にはクセがなく、するすると読めてしまうので、時間はさほどかからない。その物語の中で何を描いて何を描かずにおくか、しっかりと心得ていることも判る――ので、無駄が無さ過ぎてすっきりあっさり終わってしまったな、と感じるひとも居るかもしれない。私は個人的に嫌いではない。ただ、これでクセのある、文章そのものだけで面白くてしょうがない、なんてものを書けるようになってしまったら一体どうなってしまうのか、と勝手に戦いている。
次はどれを読もうか、それが楽しみ。
  
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