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銀魂 いちご牛乳マグカップ
銀魂 いちご牛乳マグカップ
友人から、もらいました。誕生日のぷれぜんとだそうです。

何だろう、何このヘンなカンジ。嬉しいのに涙が出ちゃう。いや違うんだこれは目から鼻水が出てるだけなんだそうさおそれないでみーんなのために(壊)。

ありがとうございます。何かもう「お前好きなんだろ? あん? 好きだべよ? あん?」的なものを感じざるを得ない訳ですよ。
いや確かに大好きですよ「銀魂」。大好きだけれどもね、……すみません、とっても嬉しいです。だけど何だかもわんとしたものも胸の中を過ぎります(笑)。

こぢんまりした、可愛いサイズ。ホントに、女性ユーザしか念頭に置いてなさそうなくらいこぢんまり。大きめマグが好きなひとにはちょっと寂しいかもしれない。カップ・スウプなんか飲んだりするのに便利そうです。
この神楽と銀時のものっそい冷めたツラ。私も多分、これ最初に見た時こんなツラしてたよきっと。あははははははは。

更に更に。
銀魂 お守りVer.2「銀時」
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銀魂 お守りVer.2「土方」
B000WZ42OS

追い打ちかけるように、一緒に贈られたもの2点。「銀時」と「土方」のお守りですよ。可愛いなあ。あははははははははは!

……いや、ホントに可愛い。もったいなくて、まだ開封すらしていないくらい(ちなみに、透明な袋に入ってるので、空けなくてもちゃんと中身は見られるのです)。デフォルメ・キャラが綺麗に刺繍されていて、無駄に豪華です。

○○ちゃん、「銀魂」尽くしでありがとう。何かこう、このトシで素敵極まりないモノを頂いてしまって大変嬉しいわ。喧嘩売られてるのかと一瞬思ったけど、それは私の勘違いね、テヘ(はぁと)。

えーと。ホントに、嬉しかったです。嘘偽り無く。どれも可愛い。お守りはまだまだ大事に大事に取っておいちゃうけれど、マグ・カップは使ってます。いちご牛乳、今度買ってこなくちゃなー。
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ばーすでい2008。昨年に引き続き、誕生日割引があるというので、友人とカラオケに繰り出すことに。カラオケっつーか浪費の旅っつーか食い倒れのみちゆきっつーかね↓

誕生日くらいは仕事に追われたくなかったので、状況も見て大丈夫そうだったので早めに申請して休みげっと。そこまでして休み取るなよ、と思わないでもないが取れるものは奪る!(字が…)

友人にも事前に「カラオケ行こうぜー」と誘っておいて、いざ出陣。相変わらずふたりでカラオケ数時間ってどうなの(ははは)。

画像は、カラオケボックスサイドからの「お祝い」。ケエキ(相変わらずめがっさはんどめいど・テイスト溢れるワイルド・スタイルなケエキである)と、よい子の味方・しゃんめりー♪ 更には「チェキ」による記念撮影などもあったりする(お店に貼るなら2枚撮ってくれるらしいが、……いやいやいや、個人の思い出としてはキープするけど晒すのは勘弁してくりょ)。

で、こいつらをわけわけしてもぐもぐと食いながら歌い倒すのでありました。私に至ってはケエキ以外にトシももぐもぐとね!(何故怒りが籠もる)更にはまっくもね!(画像の奥にぼんやり友人購入分が見えているでありましょう。私にも無論がっつりあるのだ。……なんかちょうど手を動かしていた時だったんだろうなー、友人の手がブレて心霊写真のように綺麗に半透明に・笑)

今年も友人からどえりゃあゴーカなプレゼントを頂戴してしまい、もうどうしたもんかと(涙)。私があげてるプレゼントがしょっぱいってか! しょっぱいってことかああああああああああ!

すまん。取り乱した。

ちょっと前に「欲しいなーVv」と言っていたチュニックがあったのだが、これが友人とぶらついている数十分後に消えており、買うべき時に買わなかったが故に入手出来なかった。……のを、何と友人は見つけ出してぷれぜんとにしてくれたのだ! ちょ! すげいよ! てゆーか高くついてるよ! どうしよう、今度の友人のばーすでー!! 釣り合い取れたいいものを差し上げられる自信なんてねえよ!!
シフォンなやわらかい素材の、淡いけれどシブめのグリーンが基調になった可愛いチュニックです。嬉しい! ホントに欲しかったヤツだからホントに嬉しい!! ありがとうNちゃん!(この呼び方は微妙だな……ねえ、○○○ちゃん……)


そして。もうひとつあった。これがまた可愛い上に嬉しかった。
銀魂 My箸セット「銀時」
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これ!!↑ 可愛いんだよー! 何? 画像が小さすぎてよくわからねえ? よーし、おじさんおっきくしちゃうぞー(……打ち込んでから違う意味でもキモイ文章だと気づいた↓)。

まい・らう゛な「銀魂」は「銀時」のMy箸セットVv お箸一膳とそれを入れる布製のケエス付。お箸は本格的な木製のもので、プラ製などではないのよー。そして「甘いモノは 別腹だから」という台詞が2本に分かたれて書かれてます(ちなみに銀色の文字で!)。
ほあああああああ、可愛いー!! すんげえ可愛いよコレ!! でも、やはりと言うべきか、購買層をよく御存じのようで、女性向きの長さ……短めです。嵩張らないけれど、男性には多分使いづらいと思う。まあね。こういうのを買い求めるのは女性ファンだけどね。ふふふ。
でもって、こいつには実は対になるもうひとつがあって、友人はちゃっかり自分のために購入しておられました(笑)。……私も欲しいなあ。二膳もあってどうするよと思いつつも欲しいよなあ。

なんかもうゴーカ過ぎるものを頂戴してしまってすっかり舞い上がりんぐですよ。しゃんめりーあるこほうる分無いのに酔ってるぐらいのテンションだよ!

カラオケに雪崩れ込む前後もあちらこちら見て回ったりして、楽しい楽しい一日で御座いました。

ほかにも、わざわざメエル等で「おめでとう」のメッセエジをくれたアナタやアナタにも感謝です。嬉しかったです、本当にありがとうございましたVv

そんな訳で、

もう祝ってもらえるトシじゃねえだろどっちかってえと我が身を呪いたいオトシゴロだろ

という声も何のそので誕生日を満喫致しました。
温泉で「ほっ」としよ? リョク
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存在は知っているし、実際在るし、でも行ったことはない場所のひとつが「健康ランド」だった。何となく想像がつくというか、漠然とある知識としては、「温泉施設をコアとした複合レジャー施設」という感じなのだけれど、実はよくは分かっていなかった。いわば未知の、すぐそこにある秘境なのだった。
よく大衆演劇なんかが上演されていたりするよね?(私の住む地域だけか?)あと、ごはん食べる場所(レストランなのか食堂なのかとかは不明)があるんだよね? でもって、寝るのは蒲団やベッドじゃなく、カウチみたいなモノで寝るんだよね? 身体ひとつで行けて、ムームーとかアロハとか、何かリゾオトめいた服を貸与してくれる、んだよね? ……と、何となくこれくらいはぼんやりと。

そこに、職場で一緒に働くマダムMと一緒に行くことになった。

「水玻。今夜、一緒に行かない? 泊まりがけで」
「え」
「サウナで汗かいてしぼろうよ。最近食べ過ぎだしさー」
「う」
「お風呂も広くてゆったり、気持いいよーVv」
「う、うん。でも、さあ」
「何よ」
「……その、……お金、かかるじゃん……↓」

そうなのだ。私にとってはその料金が問題なのだ。行くこと自体はそれ程問題ではない(平生見知った人間と銭湯等で一緒に風呂に入ることは避けるのだが)。ホテルに宿泊する程は取られないにしても、収入が多いとは言い難い私にはそれこそがもっともネックとなる部分。たとえ¥3,000以下で済むのだとしても、イタイものはイタイ(ガ○ャポンだのおまけ付ドリンクの購入だのゲーセンでのトライだので数千円トバしているバカが言う台詞か)。

「そんなの気にしなくていーわよ。私払うから」
「いやいやいやいや! それはいかん! あの、うん、払えるよ、大丈夫」
「いいから。じゃ、決まり!」

――そんな訳で、行くことが決まった。彼女は本当に私には支払わせなかった(その後私はショボいお礼兼お詫びを兼ねた貢ぎ物をした↓)。

ほほう、スリッパに履き替えるのか。それもそうか。で、フロントで受付を済ませる、と。ここで前もって精算しちゃうのか。希望のサイズを告げて着替えをもらって、後はお風呂へごー。見渡せば、売店はあるわゲーセンはあるわ卓球出来るスペエスはあるわカラオケはあるわ、それころお食事処もあって……とにかく無いもん以外は何でもある勢いであれこれ揃えられている。すげー!

脱衣所にはロッカーがずらり。好きな所を選んで、後は不必要なもの全てをそこに突っ込んで――つまり、全部脱いで、お風呂へ向かう、だけ。

大浴場は広かった。ジェット・バス、ジャクージ、薬湯、温泉、打たせ湯、露天風呂、檜風呂、サウナ、水風呂、エステ・コオナア、日焼けマシーンとなんだかんだがわっさーある。天井が高い。そのためか湯気による息苦しさはない。
仕事を終えての夜遅くだったこともあって、浴場に居る人数は限られていてほぼ貸切状態。
そして、初体験中の初体験、サウナに入ることになった。

熱い。何この我慢大会。真夏にストオヴ焚きつつ炬燵入って鍋焼き饂飩食うくらいの辛さ。あつい。フィンランド人て何考えてんだ? 床がもうあっつあつじゃん! 歩くのすら大変じゃん! 座るのすら熱いじゃん! てゆーかサウナってTVもあるよ! どんだけ長く居ろと!?
閉め切った部屋にあるのは熱気だけ。マダムに従い、誰も居ないこともあって、互いに座るべき所に横たわる。
熱い。熱いよ。灼熱だよ。もう入って間もなく汗出てきてるから自分がしょっぱいよ↓
「あら、いいじゃない。水玻、汗かきやすいのねー」
「いいんだ? ああ、そりゃまあ汗かくのはいいことだけどさ。……苦しい……もう一分が何十分にも思えるんだけど。あーつーいー!!」
「あんたは今日が初めてだから、あまり無理しないで、そこそこで一端水風呂入ってきなさいよ」
「フツウ、どれくらい入ってるもん?」
「ひとによるけど、ま、12~15分くらいかなあ」
「ええええええええええええええええ! どんだけ!?」

息苦しい。空気なんてもんが無い。あるのは濃密な蒸気と熱波。タオル口元に当ててる方がラク、って、……。
「じゃ、一端出ようか」
「あー出ます。出ますとも!」

フツウの浴場が別天地です(笑)。
「うわあ! マダムいきなり水風呂!?」
「気持いいよー。水玻も入んなさい」
「いやいやいや、でも、冷たいじゃん! こめかみがどっくどくゆうてるんだが!」
「スッキリするから。すぐに慣れるよ」

最初の一歩でふり~~~~ず。まさにふり~ず。冷た! さぶぅ!
「はい、そこで思い切って肩まで一気に浸かる!」
「無理や! でもやる!」(どっちなんだよ)

ざぶり――ひいいいいいいいいいいいいいいい! つめてー! ホントに、何考えてんだフィンランド人! お前等は雪ん中に飛び込んだりするやろ! 何しとんじゃ!

「おう。確かに慣れたら気持いいVv」
「でしょ。で、これをあと何回か繰り返す訳よ。痩せるぞー!」
「……ほほう。これをローテですか。……マジでか!」

……マジでやりますた。サウナに入っちゃあ水風呂、を繰り返す。でも、確かに老廃物なんかが出ちゃったのか、肌がかつてないもっちもちしっとりのとぅるぅんとぅるぅんに! これがサウナまじっく! やるな、フィンランド人!

その後、様々な湯に浸かり、髪を洗い身体を洗って風呂を出た。おお、これが寝床。リクライニング・シートがずらり並んでいて、漠然と男女に分かれてそれぞれに寝ている。
「小腹空いたから、蕎麦でも食べる? 自販機のだけど」
「おー、生麺のなんだ! 食べるー! ハラ減ったー!(サウナで落とした体重をがっつり取り戻したいらしい私)」
ふたりでずるずると蕎麦を啜る。ウマー。空腹だからそれなりにウマス。食べるだけ食べて、寝床を確保し、あとは寝るだけ……なのだが、環境の変化に弱い私は取り残されて、一睡も出来ぬまま夜を明かしたのであった。マダムは自前の睡眠薬で爆睡さ↓ いいなー。ちっ!

お互いそれぞれ自宅なりに戻り、仕事までの仮眠を取るために朝9時半頃にはチェックアウトした。ちょっとだるだるだけど(何しろサウナで心臓ばくばく+不眠)、肌がもっちりしっとりになったのは嬉しかったし、流石に水分という水分を大量に排出したために確かに体重も落ちた。

あまりにあれこれてんこ盛りで吃驚することしきりのまま半ば呆然と過ごしていた。ホントに、身体ひとつでいいのねー。アメニティも充実してて、化粧水まで置いてるし、ブラシや櫛も不要、タオルも必要ないのね。すごいわ。せいぜい替えの下着くらいか? 必要なのって。お風呂であまりすれ違わなかったというだけで客そのものは多かった。常連も多いらしい。

その後一緒に行くほどの余裕は無くなったのだけれど、未知の世界を体験出来て何だか楽しかった。お風呂に浸かることに集中出来るのも気持いいなー(ふだんは、汚れを落とす、という作業のため、という感じだし)。ただ、ある意味とても特殊というか、どことなくイヨーな雰囲気もあって、そこが何だか面白いと同時に戸惑いもしたけれど。

また行ける日があるかなあ。
デザインハンドクラフト―日本の若手デザイナーが作るテーブルウェア (エイムック (929))
4777901858

今年も友人がわざわざ連れていってくれました。クラフト・フェアへ。全国から参加したハンドクラフトのデザイナーさん、制作者さんが一同に介して、蚤の市かマルシェのように集い出店する、という年に一度のイヴェントです。
クラフト・フェアにて。1今年もお天気に恵まれて、あまりの暑さに「ここまで炎天下にならんでもええやんけこのボケが!」と毒づきたくなる程。あ、暑いよ、ものっそい暑いよ!

で、まあ、ベタですが、参加者の熱気がそれ以上に熱いのですがね。

海辺での開催なのだけれど、眺めはいいっすよ。サイコーっす。でも暑過ぎていかん↓ 浜風のひとつも吹いてくれれば有り難いけど、そんなもんはねえ↓(あったらあったで、露店状態の出店者の皆さんは大変なのだが)

とにかく扱うもののジャンルが多いので、見飽きる、ということがない。毎年運良く抽選で勝ち残って参加していらっしゃる方から今年初めてであろう方まで色々いらっしゃる訳だけれど、陶器・磁器の焼き物から、ガラス工芸品、アクセサリィ、籐製品、ファブリック系、家具や漆器、鉄製品(重そうであった。搬入搬出が大変であろうに、それでも参加なさるのだからその熱意たるや相当のものであろうと推察する次第)、これでもかといっぱいある。実用性の高いものからアート性の高いものまで用途も幅広いし。

クラフト・フェアにて。2見て下さいよこのズラリ並んだテントの数とひとの多さ(あ、ひとの多さは小さすぎてわかんないや↓)。設営からディスプレイまでおひとりで参加ならおひとりでやっておられるのでありましょーか。すげー↓(運営委員の方が手伝ったりしているのか、隣接し合ったひと同士で助け合ったりするのか、までは、ちょっと遅めに会場入りしている私たちにはちと不明)

なんだか年々出店者さんが増えているよーな気がするのだがどうなのだろう。前年よりテントのひしめきっぷりが毎年上がって見える。

今年は、物欲の塊のよな私にしては、珍しく何も手を出さずに帰宅してしまった。今回もしアクセサリィを扱う出店者さんがいて、気に入るものがあれば、ときっちり定めて見に行ったら、面白いくらいそういう方がいらっしゃらず、方々を冷やかすに留まってしまった。

初めて行った時に、ロザリオを購入して、いまだにお気に入りで愛用しているものがあるのだけれど、その方だとか、ちょっとクラシカルなデザインの、あるいはアンティークなパアツを用いたアクセでもあればなあ、と思っていたのだけれど。今年はいらっしゃらなかったなー。
以前お見かけして、購入もさせて頂いた方にまたお会い出来たのは嬉しかったけど。ああしかし、これというココロときめくものには出会えなかった!(……出会っていたけどフトコロがトキメキに追いつけない、とも言う……)

またもし友人が誘ってくれれば行ってみたいです。今年は友人のお母様も一緒で、何だか御家族の間に割って入ってしまって大変恐縮してしまった↓ おまけに、そのお母様からあれこれ御馳走になってしまい↓↓↓ その節は大変お世話になりました(遅いよ!)。

これに懲りず良ければまた誘ってやって下さいねー……。
セレックグラスティーカップ&ソーサー 280CC
B000XSLV5M

友人と一緒に出かけたメインの用事というかイヴェントは、特別展示を観に美術館へゆくことだったのだけれど、無論あそこもそこもと寄り道しまくりである。
たまたまある目当ての食べ物を求めて行った先に、その店はあった。実は存在は知ってはいたものの、入ったことのない雑貨屋があるのだ。

こぢんまりとしていて、上品な佇まい。小さなお店だけれど、意外に入口は大きく開かれていて、オープンな印象を受ける。
私の趣味や好みを知っている友人は、にんまり笑って「寄る?」と尋ねてくる。
「寄りたいでしょ? 寄っていきたいでしょー?」
全身からそのよーなオーラ発しまくりの挑発しまくりである。この悪魔ー!!

でも、中に入って一変、悪魔な友人が天使サマに見えてしまったのであった。

入って正解Vv

白が基調の内装に、モダンさとクラシカルな雰囲気双方を感じさせる棚があり、リネン・ファブリックの類から、食器、ステイショナリィ、切手(!)、アンティーク…コレクティブルズ、かな、などなどを置かれ、販売していらっしゃる模様。そして、そのこぢんまりした店内の一角に、更にこぢんまりとしたブースのような空間がある。棚を取り付けた壁を背に、テエブル。でもその存在にはっきり気づいたのはふいに声をかけられてからだった。

店内には女性がひとりと男性がひとり居たのだが、男性がいちばん小さなサイズのデュラレクスのピカルディに注いだ紅茶を私たちに勧めてくれた。受け取って飲む。グラスは温かい。甘い香りが立ち上る。砂糖はナシ。でも、香りも後味も甘い。CTCみたいに濃ゆい味ではなくて、しっかりしてはいるけれどさらりとした、リーフのちょっと軽めの味にミルク。

その方はとても穏やかな表情をなさった素敵な男性で(もう紅茶を淹れて勧めてくれる、というだけで「素敵」よ・笑)、しかも試飲させてくれるというよりもてなすかのように差し出されたので思わず気持がほこほこする。
飲み終えたグラスを返しにゆき、並べられた茶葉のサンプルに友人と見入る。そのほとんどが中国茶。紅茶は数種でブレンドではなくガーデン・ティっぽい。

「東方美人って、美味しいらしいんだよね」
とか、あれこれ話していたら、その男性はやはり穏やかな口調で色々とお話しして下さった。お茶の味わいや特徴のこと、あれこれ。そして、更に試飲させて下さるという。

「お時間大丈夫ですか? せかせか淹れると、せかせかした味になるんですよね」

げに、げに! 私たちはもう時間なんて半ば忘れ去ったかのように、話しながらお茶が入るのを待った。
使っていらっしゃるポットのこと、茶葉の買い付けのこと、それぞれのお茶の特徴。ああ、いいなあ、ゆるゆる~っと時間が流れているのがわかる。

ポットでお茶を淹れることで得られる幸福感の極みはこの時の流れの緩やかさと漂う仄かな芳香だ。淹れて頂いた「東方美人」はふんわりと甘い香りが漂い、紅茶のように飲みやすかった。湯を注ぎ茶を淹れた後の茶葉はキャラメルのような香りがする(その香りもまた楽しませて下さった)。

お店のお二方は御夫婦なのかはたまたごきょうだいなのか。それとも単なる御友人同士? いずれにしても場所を時間を共有なさっていながらもそれぞれの仕事をなさっている姿はとても羨ましく思えた。

店内をしつこくしつこく何巡もし、友人とあれもいいそれも欲しいとおしゃべりをして、それぞれに茶葉や雑貨を贖い、店を後にした。

私の収穫は、薬瓶(硝子の栓をするタイプのクラシカルなもの)とルーマニアの古切手(使用済み。何と90枚も入っているのに破格のお買い得価格!)、「東方美人」(特級・上級)、「四季春茶」の3種。切手はスウェーデンのとベルギーのと迷いに迷って、何となく「うむ、今回は東欧にしようか」と思ってルーマニアに。何でだろう?
茶葉はなんと10g単位の量り売りをしてくれる!(お試し用に少量パックしたものも用意されているのだけれど、希望すれば希望した分だけパックしてくれる。何処産のもので何という茶なのかはその場で手書きして下さる、というのも何だか嬉しい)中国茶は紅茶と違って、一煎のみではなく、味や香りが無くなるまで飲めるから、一杯2gとしてら5回は淹れられて、その一回一回数杯楽しめるのだからある意味リーズナブル。実は私はあまり中国茶は得意な方ではないのだが、今回は「美味しい!」と思ったので買ってしまった(家に紅茶がうなってますがね↓)。

本当に本当に、時間が緩やかに流れる。どちらも穏やかでにこやかで気持のいい応対をして下さって(私が買うと決めた薬瓶や切手を持ってお茶の話を伺っていたら、女性が「こちらでお預かりしましょうか? バッグや傘をお持ちで大変でしょう?」と声をかけて下さったり。

せかせかした毎日を送っていたので、殊更染みるあの平穏な時間と空気。店の中の何もかも、もうお二方すらも丸ごとひっくるめて全部を持って帰りたいくらいの心地よさだった。

お茶は、実はまだ飲んでいない。仕事と、職場のある場所へ戻って、「ああ、今何だかキモチがささくれ立ってる。のんびり出来てない」、そう感じた時に(……もうほぼ毎秒だけれど)ゆっくり楽しみたいと思っているから。

また行ける日が来るといいなあ……。九州で親しくしてもらった友人も連れていって、きゃあきゃあしたいし、今回一緒に行ってくれた友人ともまた行きたい。

たいせつなひとと行きたい場所のひとつ。何というか、小説や映画の中でしか見られないような、理想を絵に描いたようなお店だった。本当にあるなんて!

小さな別世界。おはなしの中に入り込んだような、夢心地になれるところだった。
とっておき。
4Dパズル 人の体

4Dパズル 人の体
4Dパズル 頭蓋骨&脳 4Dパズル 筋肉&スケルトン ヒューマンアナトミー 人体パズル(人間の骨) ヒューマンアナトミー 人体パズル(人間の脳) ヒューマンアナトミー 人体パズル(人間の筋肉)

友人が遠路遙々迎えに来てくれて(ありがとう!)、「人体の不思議展」を観にゆくことが適った。プラストミック標本、という「模型」ではない本当の人体――遺体に特殊加工を施してつくられるものが展示されるというので、観たいと思っていた。

私が行った会場は「青森県立美術館」。有名な建築家がデザインしたことやオリジナル・プロダクトにウルトラマン・グッズがあることもあって、それなりに有名である、と思われる。
少々、というよりかなり市街地から離れた閑静な場所にあり、緑に囲まれた中に白い巨大な建物がある。
平日の割にひとが多くて驚いた。……まあ土日が休みというひとだけではないのだから驚くには当たらないか。自分もそのひとりだし。

美術・芸術との深い関わり(デッサン等、正しく描写するためには人体の構造を知らなくてはならない、という考えからとのこと)、今から数百年も昔に描かれた人体の「内側」の絵等が展示されている。それらとともに、かつては生きていた誰か、の「標本」も展示されている、のだ。

色々な意味で不思議な感覚に囚われる。
私たちと同様に、生きて、呼吸し食事をし、歩きものを見、何かを掴み、音を聴き……あらゆることをしていた筈の「肉体」が「モノ」として其処にある、ということが「非日常」でなくて何であろう? いや、死はとても身近なのだけれど。あまりに身近過ぎるのだけれど。

生きているからにほかならない、から。

生前に献体の許可を取ったらしいのだけれど、……一体どんな会話が交わされて、「こんな風に」なったのだろうか、とその疑問がくるくると脳裏を駆け巡る。

彼等は切り開かれ取り除かれあるいは残され分離され切断され、其処に居る。かつての誰かの子供、誰かの親、誰かの友人であった筈の。
衣服を纏わせられるどころか、全てをさらけ出させられ、其処に在る。縦に左右に分かたれた肉体、その間に見える脊髄、内臓。皮膚を全てはぎ取られ、「持ち主」と共に展示されているもの。CTスキャンのように輪切り状態にして「並べられた」かつての誰か。

生前の顔立ちも判る状態で、半分は筋肉繊維がむき出しになり、もう半分は「以前の」状態で虚空を見つめている。

ああ、ひとの身体って、こうなってるのか。内臓って、こんな色だったの? そう思う反面、「かつての彼等」は「こんな風に」展示されることを、どう思っているのか、が終始気になっていた。

死ねばヒトはモノになる。なってしまう――そういうことなのか。「犬に喰われる程自由だ」とある写真家は言った。

男性がほとんどだった。贅肉があったような形跡はなく、比較的高齢であるように見えた。睫や毛髪はうっすらと、色素を失いはするものの、残っている。

触れることが許されていた標本は一体のみだった。強く触ることはやはり控えたものの、弾力が感じられる。
この手は、「彼」に何らの関係もない人間のもの。「逝かないで」と縋る誰かのものなどでは決してなく。最期の別れを惜しむ者の手でもなく。

もうひとつ触れることが許されていたものがあった。
「脳」。鎖で繋がれ、持ち出せないようになっている。特殊なブースからそれを取り出して、両手で持ってみる。重くも軽くもなかった。

「これは流石に、『模型』だよね?」

友人がつぶやく。私はしげしげと眺め、それが「模型」などではないことを確認した。模型であれば、もっとどこもかしこもつるりとしているだろう。かすかに、何処かと接していた跡と繊維質状のナニカが見られた。

――人間の、脳。

こころの在処? 思考の源? 此処にあるのは、「モノ」と化してしまっていた。

此処にはもう居ない、という存在となったのに、「モノ」として残る。それは、……どんな気持なのだろう。

私は、元々人体模型などが嫌いではない。それどころか興味津々な質だ。子供の頃、「からだのふしぎ」という本を好んで繰り返し読んでいた。それこそ、人体解剖図を子供向けポップ・アップ絵本に仕立てたものも購入して所有している。グッズで「心臓」のリアルなマスコット(!)が販売されていたのも、かなり心が揺らいだ。

なのに、不思議な違和感が残り続けている。意義あるものでありながら、異議を生み続けているらしいと知ったのは帰宅してからだった。

物言わぬモノと化した彼等は、「美術品」でもなければ「芸術品」という位置づけにも無いだろう。学術的見地から言ってそれ相応の価値はあるとしても。

切り開かれ、固定され、天蚕糸で吊したりすることで展示用の補強・補助をされ「飾られていた」彼等を観に行った、という事実を、私は忘れないし、忘れてはいけないと思う。

誰もが興味津々で見つめていた、と思う。それは「モノ」だからなのか。それとも、……かつては自分と同じように生きていたヒトだったからなのか。
多分、両方なのだろう。

でも、自分が「献体しませんか?」と問われたら、私は快く「イエス」とは答えられない人間になったことだけは間違いない。ポオズをつけられ、皮膚や筋肉繊維を削がれ剥がされ、一部を切除され一部は残され、縦に横に切られ分断され、多くのひとの目に晒されることになるのかもしれない、のだから。何もかも剥き出しにされたまま。

医学的な知識を深めるのは悪いことではないし、必要なことだと思う。ただ、この方法が「正しい」のかどうかは話が別だろう。

病を患ったひとの臓器、何ヶ月かおきの胎児、それが、硝子ケエスの中に並べられ、置かれていた。何人もの物言わぬ人々を横から前から後ろから、しげしげと眺めてきた。膝に人工関節の入っていた標本もあった。私の母の膝にも、同様のモノが埋め込まれている。

せつない気分と申し訳なさが押し寄せる。

何とも言えない気分だけが残る。
そもそもの意図や意義は確かにあるのだ。でも、この「展示」はあらまほしきカタチなのだろうか。

ひとつだけ得るものがあったのは、友人と「私たちって、自分のカラダの中のこと、ホントにちゃんと知らないんだね」と再確認出来たことだった。

物欲ネタは「本館」で綴るとして、ココではさらに「AtoZ」にまつわるあれこれを少し。

弘前市全体、もっと大きな括りとしては青森県そのものも色んなカタチでこの企画を応援しているのだけれど(何と近隣の市でも小さなレクチュアとかあるらしい)、やはりいちばん色んな意味で応援しているのは地元弘前。
奈良くんが是非、と地元の老舗の菓子舗やパティスリィに要望を出して、オリジナルのスウィーツを販売することを提案したために、弘前の色んな場所に散らばる15店舗から色んなお菓子が売られています。どれもこれも可愛いのだ! お菓子の種類にも因るけれど、大抵そこそこ日持ちのする焼き菓子で、可愛い奈良くんの絵の焼印が入っていたりします。
ちなみに、実際展示が行われている「吉井酒造倉庫」では見本のみ置かれていて、会場では買えません(時節柄、店頭でのみ販売、とのことで)。15店舗を示す小さな地図が配られています。お目当てのお菓子があれば、直接お店に足を運んでもらうことになっていて、全部回ろうとすると否が応にも(笑)弘前散策が楽しめるよーになってます(いい運動になるが、……正直会場で堪能しまくりーのも含めて当日で全て制覇しようとするとなるとかなりの体力と根気が必要かと)。
たまたま会場から近いこともあって、友人と一緒に「開雲堂」さんへ。ここは老舗の菓子舗で、洋菓子もあるのですが(ちょっとレトロな雰囲気があって可愛い)和菓子メインのお店です。お店の佇まいとか、変わってないなー(私が住んでいた頃はかれこれえーと何年前だっけ↓ ヘタすると私の母が女学生だった頃から雰囲気は変わってなさそうだな)。
ここではサブレともう一品買うことが出来ます。友人と私はそれぞれサブレを購入。たまたま同じように「AtoZ」から流れてきたらしいお客さんもお菓子をお土産にするつもりか買っていかれてました。かなり日持ちするのでまだ食べずに眺めている↓(味やどんなものかはいずれレポオト予定)

ならねぷた。また、「まちなかカフェ」なる新たな建物があって吃驚した。うう、街が、また変わってるよー(涙。おかげで道間違ったんだよな↓)。どうやらふだんは地元のグッズ(主に林檎ネタ、というのがらしくていい)も扱う、カフェテリア式な休憩所、といった感じの施設らしく、PCも置かれていてあれこれネットで検索したり、が出来る模様。イヴェントの告知のフライヤアがあったりで、広報も兼ねている、のかね。今回は「AtoZ」に協賛してのことなのか、コチラも一応今回の企画に連動したカフェ、という体裁を取っているらしく。……なので、「ならねぷた」も展示されてました。ちょっとコワ可愛いになってるのがいいなー。
まちなか・中から。まちなか・外から。外からの眺めと中からの眺め。私たちが訪れた時は、学校帰りらしき高校生の男の子がやや黄昏れて座り込んでたり(疲れてんだね、お若いの)、ひともちらほら。
DJブースくらいのこぢんまりしたスペエスで、お姉さんがドリンクなんかを提供してくれる。その側で、今回のみだろうけど、奈良くんの作品集等が販売されてました。多分期間中はここでもスタッフTシャツや作品集が購入出来そう。

今回のキィ・カラアとでもいうのか、ライム・グリーン(と呼んでいい色であろうか)が街のあちらこちらで見られました。それを見るとしみじみと、「おお、『えーとぅずぃー』を見に来たんじゃのう」という気分になれる(どうでもいいんだが――いや、ある意味良くないか――「AtoZ」は何と発音するのが正しいのだ? 私は米語読みで「えーとぅずぃー」、友人は英語読みで「えーとぅぜっと」と呼んでいたのだが)。パンフや配布されるフライヤアの類の色なんかはこの色で統一されていて、妙に可愛い。すっきり引き締まる感じもするし。清々しいのと甘いのとちょうどいいカンジ。この色の新作グッズもげっとしてきました。去年のとお揃いだーっ!!(って去年のとどう違うかは「本館」で。←しつこい)

弘前甘味処巡りもしたかったなー。去年はチョコレイト(チョコレイトの表面に、奈良くんの絵がきん色でプリントされてて可愛かった!)があったけど、今年は期間が夏から秋にかけてだからか無かった(去年は春頃で、雪すら会場の片隅に残ってた頃だからのう。夏場はショコラ系は弱いのでねえ)。フロマアジュとかとにかく色んな種類があって、それぞれのお店なりにつくっていて食べてみたかったのことよ。
ちなみに、カフェで食べたあれこれもなかなかにぐー♪で御座いました。

ああ、やっぱりまた行きたいなー(涙)。
会場左サイドから。これは会場の左サイドから撮ったもの。手前に見える白い張り出した屋根はカフェの外側の席です。天気のいい日、暑い日は風通しの良さそうなコチラで涼みつつ、あれこれ頂くのも美味しそう。私たちが行った日も、結構外でランチを楽しんでるお客様を見かけました。カフェは別に入場券無くても入れるから、展示を観た観ないに関係なく入れるのではないかと思う。
より奥に見える煉瓦の建物はまさに本館とも言うべき場所で正面入口附近。スタッフさん常時スタンバって皆さんのお越しをお待ちしております。お願いすれば手荷物を預かって頂けるので、買い物帰りにだって寄れるぞ!(最初は、私がデカめのトートで行ったので、必ず預けないと駄目か!? と心配したら、邪魔にならないようだから大丈夫、とのことで、預けずに済みました。いや、小さくても預かって欲しければお願いすればいいだけのことだと思う。こぢんまりした場所や狭い所もあるってこともあって、大きい荷物は色んな意味で迷惑になるから預かってくれてるんだろうなー)

今回はとにかく作品数が多くて、何処行っても何観てもがーっとテンションが上がりまくってしまって、ある意味落ち着いて観られなかったかも、と後になってからぢわぢわと反省してしまう。以下、改めて気づいたことやお気に入りぽいんつ。
●キラキラがいっぱい。
←こういう、キラキラを表すオブジェを、今回は沢山観た。可愛いのだ! 至るところに発見出来るので、つい「ここには無いか!?」となまはげのように探してしまう。きん色で、ライトを受けるととても綺麗Vv 展示によっては素晴らしいアクセントになっていて、「D」のとある一室は、仄明かりだけがあって、天井からこの「キラキラ」オブジェが沢山釣り下げられていて、それが絵と部屋の内部と、マッチしていて素敵だった。明かりの具合が絶妙なの! そこはドアを閉じて観るのだけれど(「D」の小屋はドアが5つ、開けて初めて中が見えるのだけど、基本は中に入ったらドアは開け放しておくことになってる。で、その部屋だけは監視員さんが居て、ドアを閉じて中の雰囲気と作品とが一体になってるのを楽しめる。……ドア開放されてると、「あ、中に観てるひと居るんだなー」と、観てる側の「あ、外で次のひとが待ってるなー」がお互いすぐ判るんだけど、この閉じてもいい部屋は、作品の素晴らしさと雰囲気が落ち着くのとで、つい長居しそうになる。……多分、あまりに長く滞在したら、監視員さんに「そろそろ次のお客様と変わって差し上げて下さい」と促されると思う)、明かりはごく限られた量だけ。でも、それがちょうどいい具合に絵に当てられていて、幻想的かつ美しく見える。外に出てちょっと見上げるとヨロコビ倍増なので、どの部屋か判った方は是非、出た後なり見上げてみて下さいませ。

●封筒もキャンバスです。
無造作に開けられたキャンバスに、ささっと描かれたようなドローイング作品、またまた増えてました。むう、名人・職人は画材を選ばないのだな! 紙質とかそれに合う画材とか色々あるだろうに、それにはそれと判っているかのようにしっくりとひとつの作品になってしまった「元・封筒」が飾られている。自分がファン・レタア送ったらそれに書いてくれるだろうか。だとしたら紙質いいのを選ぼう(笑)。で、なるべく大きめのにして(はっはっは)。「二ツ折厳禁」なんかのハンコがていっと押してある封筒にすら描かれてるの。で、それがヘンじゃないの。すげー。同時に「おいおい」ともツッコむんだが。何かの案内をしてるらしき紙にも描いちゃう。敢えて描くのか。何となく其処にあるから描くのか。その両方? 判らないけれど、ゴリッパな画布でなくとも、素晴らしい作品は生まれるのだ、と思う生意気なドシロウトでありました(素地・基礎のある方の一見ラフに見える作品、というのは「侮れねえ!」という気分になる。……なりませんか?)。

●近い! 近いよ!!
アメリカの美術館(MoMAとかMETとかSMITHSONIANくらいしか行ったことないが↓)で驚くのは、作品との距離が「近い」こと。あの、無粋なロオプとか、まず無い(究極、「レプリカだから触っておげ!」みたいなのもあるしね。航空博物館とか、たっっっっっっけえ天井からぶらーんと飛行機ぶら下げられてるし、置いてあるもので、硝子ケエス入りのものは子供たちが張り付かんばかりの勢い(いや、半ば張り付いてるか)で観たりしても注意受けたりしてんのは観たことがなかった。レプリカとは言え、技術と資金つぎ込んでるのに!)。その代わり、まあ、警備員さんは多いけど。でも大抵ふれんどりぃだし。
で、この煉瓦倉庫で行われる展示も、ほとんど、無い。「寄っちゃ駄目」を示すものが。余程「やらかしそう」な行為に及ばない限りは、結構な至近距離で、作品を凝視しまくれる。ごっつい近づいて拝見したけれど、監視役のスタッフさんは様子を見守りつつ、「まあ、そのくらいなら作品に何かあったりはしないでしょう」と判断してくれているのか、距離を詰めても注意したり、はなかった。絵の瞳のラメラメ、細やかな線や描写を観るために、私も友人も結構顔近づけまくりだったんですが(勿論、鼻の天辺との距離およそ1センチ、とか怖ろしい真似はしてない)。生で、直に、近くで。これぞ展示観覧の醍醐味ではないか。でも、日本ではなかなか難しい。それを何だかアッサリ許容してくれてるかのようで、とても居心地よく、楽しく観ることが出来る。スタッフさんは、本当は作品に誰かが無造作に近づくと、実はハラハラしていたり、とても神経を尖らせているのかもしれないけれど、それが伝わってこないので、リラックスして観られるし(とりあえず、小さい子供が駆け回ったり、という光景は、この日見ていない。子供は悪気が無くても何かやっちゃうかもしれんので、監視員さんは大変そうだな、といつも思う。明らかにオヤが「どうなのよ? 放置? 何かあったらどうするよ?」なケエスもあるし)。

●細かい所までじっくり。
小屋のつくりから小屋の位置・配置、作品の配置、作品そのもの、もう全てが見所で。困る(笑)。見応えはかなりあると思う。それで、大人¥1,000。素晴らしいこの低価格!(ボランティア・スタッフの方々のおかげであろう。大感謝)青森在住で津軽地方に住んでいるのなら、多少遠くても観に行く価値はある。南部地方からだと来るだけで大変かもしれないけれど、それでも価値は大あり。なので、県外はもとより、県内のひとたちにガンガン行って欲しいなあ、と思ってしまった。個人的には1回だけじゃ勿体ないやら物足りないやら。You、行けるならまた行っちゃいなよ! というか、行けるひとが羨ましい……。
とにかく倉庫そのものがでかくて広かったことに改めて気づかされた。ガクセイの頃観た時は、ただ黒塀の向こうにあるのを眺めることしか出来なかったからなあ(弘前には4年間だけ在住)。それを「作品」で埋め尽くした奈良くんとgrafって…! おまけに2階まで使ってさらに容量倍増なのに、広さにも奥行きにも何にも負けてない作品群て!!(そしてまだつくり足りなかったらしき彼等って……)

●会場の外も観るべし。
案内板A。案内板Z。外にある案内板。こういう所も手を抜いてないぞ、というのが伝わってくる。建物を正面にして、左サイドと建物の側にそれぞれある。やたらと好奇心発揮しまくり過ぎてあちらこちら覗きたい一心で入ってはいけない所までうっかり行っちゃうのはどうかと思うけれど、とりあえず観て回っても良さそうな所はチェックするよろし♪
まだ小屋が!去年はこの出入り口の側に移動カフェ(可愛い赤い車でクレエプ販売してた)があって、その入口から中に入ると休憩出来るスペエスがあったのだけれど、今年は裏口状態。しっかーし! このゲエトの上にまでちゃーんと小屋があるのであった。脱帽。ある意味呆れる。すごい執念と集中力だ! と感動もする。会場外も見逃せないんだよう、ほんとに。去年は何と日陰の部分でもあったせいか、5月に行われた展示だったのに倉庫の隅に雪が残ってたりしてたことまで思い出してしまった(去年のブログ記事参照。興味のある方は「ナラヒロ」でブログ内検索してみて下さい)。で、この裏手、にトイレがあるのだけれど。これがまたこの展示のためにつくられたトイレ。綺麗で清潔。
トイレ。小さな気配り。去年よりも大きくなった、と思ったら、個室そのものが広々としていた(女性用しか当然見てないのだけれど、多分男性用の個室も以前よりは広かったのではと推測)。で、ドアだったのが引き戸になってる。おそらく、車椅子の用意もされていたので、車椅子を利用なさる方にも使い易いように、という配慮の元に設計されたのではないかと(実は内部撮影しようと思ったんだけど、戸を閉めたままではうまく撮れず、じゃあ開けてから、と思ったらスタッフさんが順番待ちしていたのでそそくさと逃げてきた。そこで撮ってたらトイレにイヨーに執着のあるヘンなひとになってしまう)。全体が白で統一されていて、何故かアクセントみたいに便座の蓋とかがパステル・カラアだった。本当に余裕あるので、お子さん連れ、介助の方なんかも一緒に入れます。去年はもう少しこぢんまりした、一般的な(?)広さのトイレだったのだけど。改善・進化してた。素晴らしい。簡易的につくられたとは思えないくおりちー。
花は、去年もあったけれど、トイレの手を洗う場所に置かれていたもの。日々様子を見てはスタッフの方がより元気な花と取り替えているのでしょう。

……と、思い出したことや書き留めておきたかったことをつれづれに。物欲と食欲を満たした思い出はまた、別の機会に(もしかしたら後々、「本館」でうだうだ語っているかもしれない)。ちうか、まだ語りたいんか↓
iPodでアートを持ち歩こう!ART STAR:奈良美智「Take Me There」
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海だ――黒い海。世界が黒いのか。とにかく、一面が黒い。壁も、そしてゆかも。広々とした場所すべてが黒で覆われていて、きん色のふねがある。桟橋を繋いだような通路があって、私たちはそこを歩いてゆくことが出来る。しばし呆然。見とれているのかあっけにとられているのか判らない。ただ、どきどきする。黒いスペエス――海原のような空間には、遠く、半ば、近くに、浮島のように、南瓜をちょっとぺったんこにしたみたいな女の子のアタマが3つ浮かんでいた。

きん色のふねに目を取られていると、視線の左端に見た記憶のある箪笥のような小さな箱状のものがふたつある。「イトーヨーカドー」の地下通路で見た写真にあったものだ。
小さな家。小さな窓。覗き込むと、そこは「部屋」だった。にゃんこなつなぎを着た、めつきのちょっと悪いあのコが座っている。宅配便の空き箱や、何かを食べたらしき空の丼や箸が床にあり、机には沢山の色鉛筆(どれも小さいサイズ! ごっつい可愛い)。ダレカさんのアトリエなのかもしれない。
ミニチュアの世界は何処までも丁寧につくられていて、可愛かった。そして、小さいクセに、何処か広々として風通しが良さそうで、ちょっと孤独なようにも見えた。ふたつとも、目を凝らして方向を変えながら見る。
友人と「可愛いねー。あれ見てー」などとはしゃぐ。

さあ。ふねだ。行ってみよう。スタッフの方が居る。
「上がってみて下さい。中へも入れますから、どうぞ」。
スタッフさんの声が響く。ここは、人数制限のせいもあってか、階下より更に静かだ。だから、さほど大きな声で話さなくても、ちゃんと聞こえる。
「え。入っていいんですか?」
「どうぞ」
見学者は一様にちょっと躊躇って、それからわくわくしているのも隠さずに、ふねに上がり込む(雨の日でなくてよかった。靴の裏が水気たっぷりだったらどうしようかと!)。
おお! 船室がある! 入れるの!? 階段を下りると、小さなスペエス。時々、階下の展示にあった小屋にも、屈まないと通れない小さな入口やドアがあったけれど、この船室の入口も決して広くはない。でも入れた。友人とふたり、ちっさいねー、でもすごいよねー、ひとが入れちゃうんだよ! とまたまたはしゃぐ。周囲が真っ黒なせいか、きん色がいやらしくない。それどころか光を放って美しかった。船体もすっきりとしていて無駄がない。友人に「さあ、舳先で両腕を広げておいで~」と「タイタニック」ごっこを勧めた馬鹿は私だ。

ふねの上をしばらく歩く。当たり前のことだけれど、これもひとの手でつくられていて、乗ることが出来て、中に入ることすら出来る。すごい。こんなのもつくれちゃうんだ。

ふねを出て、桟橋状の通路を歩く。誰も騒いだりはしないから、心地よい静けさに、さわさわと声が響く。それから靴音。
行き着いた先には階下でも見た八角堂状の小屋があって、友人と「これは」と思い出しつつ中に入る。
「去年は、この中心に至るまでに、絵が飾ってあったよね。『ともだちがほしかったこいぬ』の原画だったかなあ?」
もし去年と同じ構成で見せてくれるならば、中には皿絵が飾られている筈だった。そして、思った通り、そこには皿絵が飾られていたのだった。
それぞれに違う表情と色調を持つこども(?)が居る。大きく見開かれた目と、濃い色の水(?)に浸かり口元が見えないのと、淡い色調に包まれて穏やかに瞼を閉じ、微笑するのとが、対称的に飾られている。
「目に、ラメ入ってるのかな?」
友人が呟き、私たちは絵に負けじと凝視する。監視員としてのスタッフが常駐しているので、余程のことをしない限りは結構近づいて見ても大丈夫だったりするので、私たちは注意されない程度に近づいてそれを見つめた。
「違うね。これ、マットな色調で塗った上に、まったく違う、対称的な色合いで、同じマットな絵の具で書き入れて(塗って?)あるんだよ。ラメじゃない。全然違う色合いだから、輝いて見えるんだと思う」
ラメラメは入ってなかった。本当に、色の違いと調整だけで瞳が煌めいて見えるようになっているのだ。
「すごいね……」
広いとは言えないその小屋の中で、しばらくそれぞれの皿絵を見つめ続けて後にする。桟橋を繋いだ通路をまた戻って、次の展示室へゆくのだ。
振り返っても、あるのは黒を背景に佇むこぢんまりした小屋と、3つの大きな女の子のアタマ。
人工の水面は波立たない。見る側の気持ちに波が寄せてくるけど。何かこう、訳のわからない衝動にかられる。モノを生み出す力をまざまざと見せつけられて、興奮が収まらない。どうしてこんなにわくわくするのかわからない。
最後に、もういちどミニチュアな部屋を覗き込み、きん色のふねを見つめてから次へ。

矢印が「こっちは次だよ」と指しているところまで戻る。ううむ。少しの場所も無駄にしない気だな! 作品が左右にあるのを見つつ、「黒床部屋」へ入ると、そこからは、またガラリと印象が違っていた。昔の、木造校舎の学校みたいだ! と思った。まさにそんな感じ。懐かしい気分になる。
窓のある細長い部屋と、広い広いホールが延々続いてるかのように広い。「第一研究室」「第二研究室」と銘打たれていて、硝子窓の向こうがアトリエというか作業部屋になっているらしきことが伺える。中に入ってみる。
「第一研究室」は、作業準備室。まさにそこでミーティングがなされ、おそらく馬鹿話と真剣な話とが混ざり合った談話があり、このプロジェクトのために奔走したひとたちが居た、という「形跡」がそのまま残してあるかのようだった。飲んで空になったビール缶が何個かあったし、絵の具の飛び散った繋ぎかブルゾン(触れたり広げて見られないからなあ)がそのまま置かれていて、作業時の激しさや真剣さが伝わってくる。部屋の壁には設計図や見取り図が貼られ、奈良くんが書いたメッセエジやドローイング、やりとりしたらしきFAXや手紙がこれでもかとある。惜しげもない、とはこのことだ。舞台裏をふだん見ることなんて出来ないから、ここもやはり嗅ぎまわるようにして見て回った。今は奈良くんも、奈良くんと共に「闘った」ひとたちも、誰も居ない。でも、異様なまでのエナジィで満たされている。空っぽなのに、空っぽじゃない。開放的なのにぎゅうぎゅうに何かが詰まってる。今回よく見かけたキラキラ(平行四辺形の辺の部分を丸みをつけて削り取ったみたいなアレ。「キラキラ」を表現する時に使っちゃうアレ)の型紙ならぬ型板が何種類かあった。
「第二研究室」はアトリエ。「第一」よりもやや狭い。壁には、大きなサイズの絵が飾られている。描きかけ? それとも完成品? いずれにせよ見られることが嬉しい。そういう状況の中にある彼の作品を。
ひとり真っ白なキャンバスと向かい合って、それに何かを咲かせたり生まれさせたり潜ませたり立たせたりする気持ちは、どんなだろう? 「今ちょっと留守にしてます」という感じに、居ないのは奈良くん本人だけで、絵や画材があれこれ置かれている。ゆかに直接座って描くんだ? それとも絵の出来具合を見るために床に置いてあるんだろうか?

「研究室」の向かい側のホール(ホール、は大広間、とかの意味ではなくて。アメリカとかの住居で、玄関から部屋に至るまでのスペエスがあるでしょう? ああいう場所の意味で使ってます)にはタイの子供たちがワアクショップでつくった張り子の犬とその犬小屋が展示されていた。文化祭みたいに。机の上に行儀良く並べられていた。わんこはどれもユニィクで、カラフルだった。小屋もそれぞれ趣が違っていい。参加出来た子たちは楽しかっただろうなー。このホールの向こう側には、さっき階段を上がって歩いてきた通路がある。境界、在って無きが如く、無くて在るが如し。来る時、「おおー」と思いつつも、お楽しみは後で、とばかりにチラ見で我慢していた。時々、許可を得たらしき新たな見学者が歩いてゆく。

ホールには、学校で使っていたような椅子の、でっかいver.が二脚置かれていた。
「うわー。でか!!」「すごいねー。これも作品??」などと言っていたら、研究室前のスタッフさんが「座って結構ですよ」と仰った。
「いいんですか!?」
「どうぞ」
わーい♪ 座る。……私よりずっとずっと小柄な友人はまずヒップを載せることに苦労していた。私は身体の重さの割にひょい、と座れたわ、ほほほ(乾いた笑い)。足をぶらーんとさせるどころか、背もたれ(正直、背もたれと呼んでいいのか迷うとこだ)に背を密着させようとすると、……足の3分の2は載っかってしまう。……わたしゃ熊のぬいぐるみかい↓(そういう気分になれるよ……。ちなみに、あとでショップで販売されている様々な図録を見て、どうやら作品であった、かも、と気づいた。多分参加してるアーティストさんのかと。違ってたらどうしよう↓)
ここに至る前に、実は大きなパズルを見ていた。不規則に、あらゆる面に絵を描かれた立方体が無造作に積んであるのだが、私たちはそれすらもソレで作品だと思い、見るだけに留まっていたのだ。そこに現れたひと組のカップルに、スタッフさんが声をかける。
「どうぞ、組み立ててみて下さい」。
何と、本気の本物、でっけえ絵合わせパズルだったのだ。ええええええ、やりてー!! ……という訳で、友人と私、ひたすらカップルを見守りつつ待つことに。おお、なかなか難しいらしい。ふたりは一生懸命立方体を持ち上げては回転させ、絵を見ながら「ここかな?」「そっちじゃない?」「合わないよ!」と楽しそうである。そのカップルに「さあ終われ~~。完成させるのだ~~。わしらにもやらせるのじゃ~~」と呪いをかける(笑)。
女性が見事完成させて、ふたりはちゃんとそれを「崩し」て去っていった。素晴らしい! 次のひとたちが楽しめるようにバラバラにして積み直していってくれたのだ! ある意味、これは私たち客と、奈良くんとでつくりあげる作品なのかもしれない。組み立てることと、崩して積み替えることと。
椅子から降りてふたりを見守っていると、女性2人連れが現れて、私たちが座っていた椅子の側に来て見ていた。
「それ、座ってもいいんだそうですよ」と声をかけると「そうなんですか」と嬉しそうに彼女たちも座っていた。

さて、巨大パズル。友人とふたり、これでもないこの面でもない、と汗をかきながら試行錯誤。完成させる。……うう、写真撮りたかった(館内は撮影一切禁止なのでねえ)。そして、また崩して積み替えておく。絵柄は今回のマスコット・キャラクタアとでも呼びたい「Three Sisters」。三人の女の子たち。童心に返りまSHOWなので、来館の際は是非トライを。イイカンジで見せ物になりますが(笑)。

最後の小さな小屋をくぐり、階下に向けて歩き出す。名残惜しい。でも、私たちが降りないと次のひとたちが上がれないし。
上がってきた階段を下りて一階へ。スタッフさんがまた順路を親切に教えて下さり、それに従って歩いてゆく(本当に、押しつけがましくなく、タイミングがよい。こういうひとばかりが従業員の店なら毎日でも通いたい)。
「これ、去年は入ってきた道だったっけか」
「あ、そうだね」
出るのが惜しいけど、おなかも空いてるし、ショップも見たいし。ああ、好奇心と関心を満たした後は物欲と食欲だよ。
会場に着いたのは10時30分頃だったか。出てきたのは13時半くらいだった。すげえ滞在時間。でも、もっともっともっと居たかった。一泊していきたいくらい気に入った小屋なんてざらにあるんだーっ。

大きな倉庫の中に現れた町を後にするのはひどく勿体ない気持ちになる。でも、後戻りするより、再び訪れる、のがいいように思う。そこにある限りしか、行けないけど。

充実感に充ち満ちたので、空いた腹を見たそうと思います。てな訳で、カフェにごー。その後は物欲満たしにショップにごー。つまり家計は火の車(ごー。←燃えろよ燃えろ)。たすけて。

この後のことはまた明日にでも。ちまちまと思い出だとか感想だとかまだ語るつもりでいやがりますので。

今回の図録は、今後発行されるそうで、ショップで予約受付中でした。何と今会場で申し込むと、奈良くんのサイン入りが入手出来ます。行けるひとはごー! だ(……ゲイジュツとゆーものは貧乏人には時に大変残酷で御座います……今余裕ないから無理……ゲフッ……。←吐血)。見応えありそうで欲しかった……(涙)。

とっぷにあるしょうひんは、あいぽっどというぶんめいのりきをもたないわたしには、むようのちょうぶつですが、……お持ちの方ならきっと買って損は無いと思う。お手頃価格だし!! 欲しかったなー。「アートを持ち歩こう!」……畜生、悔しいから前に買った奈良くんの作品マスコット化したやつ(キィ・チェイン付)バッグに付けてやる!(何そのショボい負け惜しみ)

装苑 2006年 09月号 [雑誌]
B000GUK29S

スナオに、Aから順に見て行くことにした。その「A」に至る前に、まずちょっとしたワン・クッションがあって、そこで笑った。掴みはおっけーでした(ははは)。さらに「Yokohama Seaside Tenement House」なる部屋(小屋、か)があり、そこで部屋中にあるドローイングに圧倒される。それらに添えられた文字はハングルが踊っていて、マップで確認するとやはり韓国の巡回展の時に描かれたものであると知る。とにかく壁一面、床以外全部に貼ってあるのだ。それらと共に、奈良くんの作品が一緒に存在している。私の知らない、ヨソで行われた展示の熱気が伝わってくる。描いたひとたちの情熱やら愛情もすごいことになってるが、それを美しくそれなりに配置等も考えて一枚一枚壁にみっしり貼り続けたスタッフの熱意にも感服せざるを得ない。手ェ抜いていいもんつくろうなんて根性が微塵も無い(当然だけど)。

さあ、どんどん中へ。それにしても今歩いてるココもソコも、全部改めてこの展示のために建てられたものなのか、と思うと吃驚だ。「graf」の皆様や携わった人々の腕を疑う訳ではないが、私の体重でぶっ壊したらどーしようかと思ってしまったんだが(笑えん)。そんなヤワなもんつくるわけねえべ、と踏みしめる床や階段に一笑に付された。

さあ、本格的に中に入るわよー、というのが判ってくる(私はあまりマップを見ない↓ 何のためにあるんだか)。雰囲気とか、そういうもので。どうなってんだろうなー、とちまちまある窓だとかそこから見えるものから、判る。早く見たい。この目で見たい。

――町だ。あるよ、あるある。こういう町。そんで、でも、何処にも無いんだ。
アジアでヨオロッパで中東で南洋で、でもその何処でもないような町。こぢんまりしてるクセに広がりと奥行きと深さを感じさせる不思議な空間が広がっている、らしい。らしい、って、だって、上から下までまんべんなく使ってて、見渡せば別な小屋の天辺や窓があったりするんだもん! ただ、ある程度の既知のこととして如何に広々としていたかは知っている。あっけにとられながら、期待で自分の中がいっぱいになるのが判る。

大きな倉庫の中に、「graf」によって建てられた大小26(and more!)の小屋があるのなんて知っていた。でも、知ってたと実際見るとじゃ大違いだ。

すげえ。事前にそれなりに情報を仕入れていたので、奈良くんも含め「最初は広いと思ったけどまだまだやれる、もっとやりたい」と思っていたというのは知っていた。もう、何なら私の住んでる町やっちゃってくれ、と思うくらいの勢いがある。……でも、何処か静謐な空気は無くなっていない。そのままそこにある。それが、面白い。あれか? 情熱と冷静は相対するのではなく、同時に其処に在るものなのか? あるんだな、きっと。

開館して間もなく入った方ではあるが、客は多かった。皆それぞれにそれぞれの小屋を回って、ひとりで、あるいは友人らしきひと・恋人と、あれこれことばを交わしながら歩き回り、作品に見入る。小屋そのものも作品なので、その佇まいに見とれ、中に入り、奈良くんの作品に見入る。見落としていないものはないか、とあちらこちらに目をやり、お前は連獅子か、くらいの勢いでアタマを振り回してしまう。

どの小屋も(当たり前だけれど)それぞれに趣があって楽しい。静かに眺めたくなる部屋、わくわくしながら突き進みたくなる部屋、見てない所などあってたまるか、とばかりに目に入ったものは全て観る。奈良くん以外のアーティストさんの作品もあちらこちらを彩っていて、互いが互いのアクセントになっているような。

紙芝居風の機材の中で上映される謎の映画、出版されて間もない本(「鳥への挨拶」)のデザイン構成(? って何?)のコピィにドローイングアリの作品が壁に貼られた部屋(これもとても良かった。本欲しくなったけど、……思っていた以上にお高かったわ……アレね、貧乏人に対して、アートは時にキビシイわね……)、タッチの違いから、ひょっとして比較的古い、というか初期の作品が? というものばかりが展示された小屋(今マップで見たらやはりそのようでした……やはりマップ見ながらちゃんと鑑賞してくるんだったぜ↓)、……ああ、見ても観ても、尽きるということがないー!! そして、奈良くんや他のアーティストさんたちの創作意欲もまたそうなのだろう、と思ってくらくらした。何処からそんなに湧き上がってくるんだろう? どんな時に? どんな風に? 判らないから、私はただ出来上がったものを見つめるだけだ。

今のところ、暫定一位で大好きなのが「D」の部屋。別に「Death」とか「Disappear」とか「Disappointment」とか「Desperate」の頭文字だからではない。「doors」と銘打たれた横長の小屋で、ドアが5つ並んでいるのだ。基本的に、中に監視員の方が居ない部屋はドアを開け放したままで観なくてはならないようになっている(逆に、監視員さんを置いている部屋、は、ドアを閉じて観てこその作品、ということだ)。どんな部屋に繋がっているのか、どきどきしながら開けて、中に入る。暗い部屋、真っ赤な部屋、可愛らしい色合いの部屋、それぞれに異なる。けれど、同じく奈良くんの作品や世界が存在しているのだ。わくわくしてどきどきして、それから、少しだけ戦慄めいたものが身体に走る。同じひとから生まれる異なる色調・テエマの作品。去年は「抽斗の奥」を見せてもらった。やっぱり、それまでのあれこれを見せてもらいはしたけれど、それだけじゃなかった、もっともっとまだまだ入ってたんだ、とまたまた当たり前のことを発見する。

「奈良くんの部屋」(「K」)も好き。上からと、正面からと観られる。本当にそんな部屋なのか、はたまた何処までもつくられた空間なのか、その中間なのか、でもやっぱりそれは「奈良くんの部屋だ」と思える空間。硝子一枚隔てて、すぐそこにあるものを観られるのが楽しい。壁と言わずテエブル(作業台、と言うべき? 机?)の上と言わず、床の上と言わず、とにかくモノで溢れている。それが彼を構成するものだったり、彼から生まれたものなんだなあ、と改めて見入る。おもちゃ箱みたいな楽しさと、その中で自分と向かい合ったりすることもあるだろうアーティストが持つ厳しさが同居してる。

あとは去年も観た作品があったけれど、スライドが観られる「アフガン小屋」(「M」)も印象深い。「AtoZ plaza cinema」(「W」)も好きだった(これは奈良くんの作品、ではない)。真っ暗な中、アルファベットがどんどんカタチを変えてそれぞれの文字に変化してゆく、だけなんだけど。シンプルだけれど可愛らしくてスタイリッシュでもあった。
スライド上映の類はどれも胸に残る。数々の写真に収められ切り取られた「日常」が映し出される。澄んだ目をした何処かの国の子供や、抜けるような青空、何処で咲こうと同様に美しいだろうに殊更綺麗に見える花々。無邪気にへらへらしてる目の前に、ふ、と突きつけられる私の知らない「現実」のかけら。
どの部屋だったっけか。おっきな長椅子があって、其処に腰掛けて見ることの出来る部屋があったんだけど、……子供の頃以来だった。あんなおっきくて、足をぶらぶらさせられる椅子は。何だか妙に嬉しかった。真剣に見てるんだけど、とてもリラックス出来る。

大きくこちらを見据える瞳の中に、ラメが入ってる絵、が何点かあって、ああ、こんな効果を効かせたものもあったんだ、と知る。……印刷されたものでも、気づけるものなんだろうか? 画布の上に塗られた絵の具の、更に上に付されたラメが瞳の中でちらちらと輝く。やっぱり、生の迫力は違う。その場で、許される限り近づいて見つめるのは、印刷されたものを見るのとは違う。
ずっと前に、ピカソの絵をある美術館で観た時、動けなくなった。もうこの世には居ないひとの筆のタッチがあまりにいきいきと生々しくそこに残されていて、「ああ、これがほんものの力なんだ」と思った。あの塗り重ねられて出来た凹凸や筆の走り具合、加えられた力は、直接観るのとそうでないのとではまったく違うんだ、としみじみ思ったのだ。
今回は、またちょっと違う。まだ現役で、これからも、たった今も新しい作品を生みだして、ちょっと前に弘前でDJやって場を盛り上げてくれたひとが実際に描いたものが、其処に在る。奈良くんが企画してその絵を描いて、其処に置いたんだから、そりゃ其処に在る。でも、とても不思議な気分になる。もう何も生むことはない(観る側の感動や感慨はいくらでもこれからも生むだろうけど)腕ではなく、これからも描いてゆくひとの手で描かれた絵が其処にある、それを自分が今まさに観てるんだ、と思うと何とも言えない気持ちになる。会えるかもしれないひとが描いた素晴らしい絵を、こんな間近で観てるんだ! という興奮に満たされる。

「Z」まで辿り着き、さあ次に進むか! と思っていたら、側にいたスタッフさんが声をかけて下さった。
「その下にも、ありますよ」。
穏やかで優しく、鑑賞するひとたちの妨げにならない程度なのに、ちゃんと聞こえるように。
「え! ありがとうございます! 見逃すとこだった!」と駆け寄る(……トシ考えろ、私)と、確かに小屋の下にはわんこがぐるりと輪を描いて並んでいるではないか。おお、可愛い! 見逃さなくて良かった! と思っていたら、更に声が。
「手を入れてみて下さい」。
え。いいのかしら。……手を入れてみる。
「回った! ライトついた!」……童心に返るよりちったあ我に返れ、私……↓ 手を入れるとセンサアがそれを感知し、ライトが点いてゆるゆると犬たちの乗った円形の台が回転するのだ。しばらく、それを繰り返していた(これが奈良くんが公式サイトのブログで言ってた見逃しがちなポイントか!?)。二ヶ所から観られるので、友人と場所を入れ替わりつつ眺める。
要所要所で、見逃さないように、とスタッフの方が声をかけて下さるのも嬉しいしありがたい。「そこの穴も、覗いてみて下さいね」と穏やかな声。そのたびに「おー!」とか喜んじゃってる私と友人。駄目です。「童心」から帰ってきません。

そういえば、私と友人とが「T」の小屋を探してうろついていた時、親切なスタッフさんがコチラからどうぞ、と指して下さったのは「V」の入口。マップを見て「え? え?」とひとしきり混乱し、結局戻る。
スタッフの方の親切心をどうして踏みにじるか、お前ら↓ 「すみません、こちらですね……」とすごすご引き返してきたおマヌケ2人に、スタッフさんは笑顔で「迷いやすいですからね」と微笑んで下さったのであった。ああもうアナタはきっと天使か聖母ね! ……すみませんすみません許して下さい(涙)。

観ても観てもまだある! すげえ! 興奮が収まらない。進んでも進んでもまだ観るべきものがあるのよ! どんだけ広かったんだこの倉庫! もう何度か足を運んでいるのに、空間の使い方や作品・小屋の配置の仕方でこんなにも違って感じるものなのかー!?
そして。その興奮は最高潮に達してしまう。以前来た時はショップとしてのスペエスだったりして、階段あるのは知ってたけど、封鎖されていた。そこに、今、閉ざすものは何もない。スタッフさんが立っている。微笑して。
「2階にも展示がありますのでどうぞ」。

マジですか? 
行ってみたかった、2階!(倉庫そのものを探検してみたい気持ち、というのもあったのだな)今回は、2階にも展示があるんですね!?(だからマップを見ろと)
スタッフさんが階段の上と下とで人数の確認をし合う。人数制限を設けているのだ。
「2名でーす」とスタッフさん同士の確認点呼の後、「どうぞ。上がって下さい」と促された。階段は思っていた以上に段差がきつい。足首まで届くスカアトなんぞ穿いてくるんじゃなかったぜ↓(まあどの階段の昇降にも邪魔でしたが)
で、到着。「こっちを最初に観てね」と促す矢印に従って歩いてゆくと、其処にはだだっ広くてとんでもない空間があった。

TOPにある「装苑」、表紙からもお察し頂けるよう、「AtoZ」にも触れられており、奈良くんへのインタビュウ記事もあります。ものすごくペエジを割いている訳ではないけれど、弘前そのもののガイドにもなっているのでオススメVv ファッションにまつわる「AtoZ」の特集ペエジも、写真が美しくて眼福でありました。

  
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