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恥をかかない敬語・言葉遣い―実例で覚えるスキルUP講座
古谷 治子
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先日手紙を出した友人から返事が来た。前回の手紙で、私が自己嫌悪に陥っていることをあれやこれやと綴ったのだが、友人は励まそうとしてくれたらしい。
「私、水玻さんのこと結構好きですよ」。
……そ、そう。ありがとう。でもね。年上の努めとして言っとく。

そのコトバ、私だけにしとけ。目上のひとに、間違っても使うな!

たとえば、御本人の前で
「部長の奥さんって、結構おキレイな方ですよねえ」
だの、やはり本人に向かって
「○○さんって、結構絵が巧いんですね♪」
だの、……間違っても言うな。失礼だから!!
「結構」なんぞつけんで「結構」! そういう時は、フツーに、「おキレイな奥様ですね」だとか「絵がお上手なんですね」とかそういう風に言うのが妥当ではないかと思うのよ、友よ。
まあ、私に対して使ったのは「そうは思われないでしょうが」という意味で使ったんだろうと思ってるので構わないけれど。

最近は、肯定的な意味合いで使ってる、んだろうなあ。でも、「結構~」というのは、決して褒めたり、相手を持ち上げたりする時に使わないような気がするんだけど。
そういえば、大学時代、苦笑混じりにある教員が言ってた。
「先日講義終わってから、学生が私のとこに来ましてね。『先生の講義、結構面白かったです』って言ってきた。……褒めてるつもりなんだろうけど、どうかと思うねえ」
どうかどころじゃないよなあ。ものすごく失礼じゃないか。
「英語嫌いだったので、正直面白いと感じられない、と思い込んでたんですが、先生の講義はとても面白かったです」
とか、言い方ってもんがあるではないの。
語彙が貧困なだけじゃなく、意味まで取り違えてるわけね…。「全然美味しい!」がまかり通る世の中では仕方ないのかしら。

……などと他人の揚げ足を取っていられないほど、最近自分の日本語が壊れてきているのであった。マズイぞ↓ 自戒の念も込めてあえて記すのでありました。
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ファミコンミニ がんばれゴエモン! からくり道中
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小さい頃、友人宅で遊ばせてもらったことのあるゲエムの中でとてもとても好きだったソフト。復活(?)したのね~。

ゴエモンが通常はキセルでずびしずびしと向かってくる敵(?)を殴りつけて撃退するのが楽しかったなあ。キセルだよ、キセル。でもって、確か招き猫をGETすると赤いゴエモンから白いゴエモン(……○ャア専用機→連邦軍の白い…何でもないです)に変身して、小判投げに技がUPするの。わははははは。
LIFE値が落ちると旅籠で一泊して回復させる、とか、お店に入ると必ず店員が軽快な音楽に合わせて何故か左右にてろーてろーと移動する。しかもぺこぺこお辞儀と笑顔付で。
時々地面に入口があって、地下ダンジョンに入り込んで、お宝探しに奔走させられる。この時の音楽が地味~~にひとを追い込むような音楽だったのを憶えている。
クリアできたステージは3面の終わりまでで、結局、結末というか、最終的には何がどうなるのかさっぱり。ラスボスとの対決なんてのはあったのかしら?
久々にやってみたい、というキモチがムクムクと泡のように育つ。

でもハード持ってないのよー! って、当時と同じかい!
ALCの「子ども英語」9月号で、 Dr. Seuss の本を1冊プレゼント、という企画がある。う。欲しい。でも、悲しいかな私にはくじ運というものがない。まったく、ではないけれど。かつてまだALCの会報が「CAT」だった頃に、プレゼントが当たったことがある(ちなみに、レシピ入りのグリーティング・カード。大事にとってある。でもって、何故か当たる時は、前もって当たるような気がして、実際にちゃんと当たる。違う時なんて、欲しいのはAだけど、運良く当たるもののBなんだよな、と思ったら、ホントにBの商品が家に届いたことがあった。人生の運をこういうとこでちょくちょく無駄にしている気がする…)。
今回は無理だろうなあ。そう思ってたらふと思い出した。ウチに、確かスースと、スースの猫のマークが入った絵本、がっつりなかったか? …小さい頃、読んだぞ。そう思って自室其之弐(主に物置)に行ったらあった。

"I can read it all by myself"シリーズ計20冊。"Cat in the Hat" も含め、定番もごろごろありました。でも、私のいちばんのお気に入りだった本は Robert Lopshire の "How to Make Flibbers,etc"(現在タイトル変わって "The Beginner Book of Things to Make: Fun Stuff You Can Make Yourself = Formerly Published As How to Make Flibbers, Etc." らしい。って、長いなあ。「英辞郎」で検索かけても flibber って見つからないわねえ。flibbertigibbet ならあって、「おしゃべりで軽薄な人」という意味ですと。はて…? 作者さんのオリジナルなのか!? 手元にある「リーダーズ」も同じ単語しか載ってないわ…。ネットで検索しても、この本のタイトルがヒットするばかり。謎は深まる一方……。本書の中では新聞なんかの紙でつくる…なんだろう、飾りかな? 棒状で、切れ目を入れたせいで上から下まで紙が四方八方にわっしゃわっしゃ広がってる。クリスマスなんかで飾りに使うモールみたいにも見える…かなあ。何と言っていいのやら↓ 時代劇で見る火消し纏にざらんざらんぶらさがってるアレをちょっと彷彿とさせる。何に使えるってわけでもないのがミソ)
おそらく教員だった母が、教材や資料の一部として購入したのではないかと推測。母、感謝。う゛ぃんてえぢなかほりがするわ。

幼稚園児だった頃くらいに初めて見たと記憶してますが、やはりこの本、優れていたと言わねばなりますまい。英語が理解できない私でも、「そのへんにある材料で、簡単につくって楽しめる工作の本」だとちゃんとわかっていた。絵で見ただけで、ちゃんとそういう本だとわかるので、英語が読めなくても楽しめる。いちばん試してみたかったのは、「Sweet Pete」。オレンジに針で顔になるように、頭の部分に髪の毛みたいに見えるように穴を開けて、その穴に clove を差し込んで、簡単ルーム・フレグランス完成! てなヤツ。
ホントに、簡単で、子供でもつくって楽しめそうなアイディアが満載なのです。今見ても楽しい。可愛いなあ。

多読用にこのシリーズ、ちゃんと読んでみようかしら。
「或る、晴れの日。」 もっとスローで、ずっとオリジナル。ウェディングスタイル読本
「十一月空想雑貨店。」
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絵本で写真集でカタログでおはなしでレシピ集でアイディア集。そんなカンジの1冊。じっくり読み込んでもいいし、ぱらぱらとめくって眺めているだけでも楽しめます。

結婚式を自分の手でプロデュウスできないものか? 自分らしく、楽しくやれないだろうか? ready-made なセット品ではなく、すべてが一点モノでできた、記憶に残る、自分たちも、招いたひとたちも楽しめる、そんな式にできないだろうか? 
大袈裟じゃなくていい、大好きなひとたちだけで、まるで秘密のパーティのように密やかに、でも楽しくやりたい。そういう思いを抱いたことのあるひとの耳元で、そっと「……できちゃうんですよ」と囁いてくるのがこの本。

招待状から始まって、引き出物、パーティ会場を彩るものたち、ドレスに料理に至るまで、すべて手作りでできます。……というアイディアが、可愛らしい写真、詩のような散文、ふんわりしたイラスト、そういうものと一緒に紹介されてます。
もう、全編これでもかと sweet! でも甘すぎない。ほんの少しだけクセのあるメイプル・シロップみたいな甘さ。
格式張ったものが一切なくて、みんなでふたりのシアワセを分かち合うためだけに集まる結婚式。特別過ぎないけれど、心のこもった手間暇かけた小物やドレスが、逆にずっと心に残る、「たったひとつ」の「特別」になる。

結婚したいひとももうしちゃったひともする気がないひとも、多分楽しめます。大事な誰かが幸せになるそのお裾分けが、こんな風に楽しくて可愛いものであったら、出席する側もきっとずっと心に残るんじゃないかなあ、と思う。

登場するアクセサリィや小物は、作り方も掲載(でも、ものによっては慣れたひとでないとわかりづらいものも数点あるので、初心者さん、ぶきっちょさんはそのつもりで)。でも、勢いでつくっちゃってもそれはそれで味があってよさそう。料理のレシピもちょっぴりあります。私にとっては(多分、誰にとっても)「実践用マニュアル」ではないので、この本はこれで十分でした。
手作りという作業を通して生まれた可愛い雑貨や、アイディアでどこまでも自由に、自分らしいナニカを生み出せるのだというひとつの提案集であると同時に、小さな物語、おはなしの本。

お金より、時間をかけられること、手間暇を惜しまないことが、より贅沢で豊かな気分になれるんだと思わせてくれる。
もしこんな結婚式に招かれたら、ゆったりと楽しく、幸せのお裾分けをもらいつつ、和やかに過ごせて、きっとどんな誰のお式よりも記憶に残るだろうなあ、と思う。

この本に登場する小物や衣服、アクセサリィは購入可です(だから、この本はカタログでもあるのです)。つい最近HPを開設なさったので、そちらからの申し込みもできます。
十一月、空想雑貨店。というユニット名(? どっちかっていうとプロジェクト名、か?)でお店の名前、がやはり利いてるなあ、と思う。とにかくすべてのペエジが美しく可愛らしいので、眺めるだけでふんわりした優しい気分に浸れます。
1冊目より充実した出来に感じられるのもぐーです。
中原淳一の幸せな食卓―昭和を彩る料理と歳時記
中原 淳一
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母の影響で私まで好きになった中原淳一氏。彼の作品は未だに書籍やカレンダア、様々なグッズという形で世に出回っていて嬉しい限りなのだけれど、よもや文庫で読めるモノが出てくるとは思ってなかった。
彼なりの哲学が興味深いのも事実だけれど、やはり絵あってこそ! だと思ってたから、ヴィジュアル要素の強い本となると、判の大きめなものになるかな、と思い込んでいたのだな。
集英社の「be文庫」、文庫のクセに何故かちょいとゴーカなハード・カヴァー風(正直収納に困るがな!・泣)。本文の紙も上質なものを使って、カラー作品や写真多用の本向けとして出している、らしい。……で、まあ、ココから出たのです。
御子息が監修なさった本で、内容としては料理本♪ これもまた嬉しい。レシピがふんだんに掲載されているのです。当時「ひまわり」や「それいゆ」に載ったものを選りすぐってのことだそうで、ふふふ、楽しい。ことばを敢えてその当時のままにしてあるので、「サツカリン」だとか「ズルチン」なんて表記のまんま。いいわあ♪ もちろん、旧仮名遣いもそのまんま~♪ 「パイナツプル」とか「カツプ」とかね。

月ごと、季節ごと、あるいはイヴェントごとにチョイスされたあれこれが、何とも懐かしさに溢れていてたまらない。「今」を基準にすると、「今」の良さというか、似非カッコイイものしか知らないひとにはちょっと「イケてない」ように見えるのかもしれないけれど、特別な日を本当に特別にするために、日常をちょっと特別にするために、あれこれ工夫しているさまが伝わってきて、知らない時代でも懐かしさを覚える。
中原氏の主張の中には、少々古さもあるけれど、それもまたよし。
友情について、家族愛について、身だしなみやおしゃれ、日常あらまほしき「乙女」たるの態度を流れるような文章で書いていらっしゃる。私たちが失ったもの、失いつつあるものがまだしっかりとそこにあるのだなあ、と実感させてくれる。

つましさと贅沢さが同居できるものだとわからせてくれる。創意工夫と思いやりで成り立つものなのです、きっと
タイトルに偽りナシ。「本当の豊かさ」について考えさせてくれる、「幸せな」食卓がちゃんとあります。
Mini Mysteries: 20 Tricky Tales to Untangle (American Girl Library (Paperback))
Rick Walton
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ここ数日、ゲエムの虜です。止められないー!!
昨日紹介した"American Girl"のサイトにあるゲエム。絵の描かれたコマが積まれていて、それを絵合わせしながら場からなくしていく、というそれだけのゲエム。単純なだけに何度やっても楽しめて、……もう止まりません。いかに早く終了させるかに躍起になっています。お馬鹿…。

Picture Pieces、と名前もとて~も明快ナリ。

ちなみに、ゲエムをクリアするごとに1枚イラスト・カードがもらえて、それが揃うとひとつの絵が…という、「ご褒美」付。

クラシックソリティアを狂ったようにやった私(一度やり出すとパーフェクトなクリア目指して、しつこくしつこくしつこく! 何度でもやり続ける。その気力をもっと別なものに…・涙)。このテのゲエムに夢中にならないハズがない!

またチャレンジしてきます……。
ホスト・ファミリーの家に滞在させてもらった時、ホール(玄関)に抽斗つきのテエブルだったか、チェストのようなものが置かれており、guest book があった。
「滞在の記念に記帳してね。手紙も書きたいし」と仰って下さり、へったくそな字で名前やら住所やらを記入したのだが、その天板の上に、2体の人形が飾られていた。何となくだけれど、ありふれた人形ではない気がした。かといって、いわゆるキャラものではない、ような……。
比較的写実的なモデルを元に、可愛らしく適度にデフォルメされているなあ、とわかる(何故かは私にも不明…)。ドレスのテイストがそれぞれに違っており、それは彼女たちのキャラクタアによるものというよりも、時代の違い、のようなものを感じた。本当に、何となく、なのだけれど。
多分「これは単なる単体で存在する人形ではなく、背景を持つ、何かの登場人物ではないのか!?」と私に思わしめたのは、一方が「眼鏡をかけていたから」、だった。
眼鏡。チャーム・ポイントでもあるけれど、……あえて、別段意味もなく人形にかけさせるだろうか、とその時思ったのだ。眼鏡をかけてこその人形だから、かけているに違いない! おまけに、2体の顔立ちや大きさ、つくりは同じものである。これは何かの物語の登場人物の人形なのでは~~? と、勝手に推論を立てていたのだが、後日大当たりであると知る。

"The American Girls Collection"
2体の人形は、このシリーズのヒロイン2人、だったのだ。多分、アメリカではメジャーなシリーズだと思われる(時々、日本でも大学等でテキストとして採用される教員がいらっしゃるので、見たことのある方もおられるかも…)。

ある日ホスト・マザーが「今日は娘を図書館に連れていかないといけないの」と言った。「返却して、また新しいの借りるの」とは当時10歳の娘さんの談。彼女の手に抱きしめられていた本こそが、まさにその "American Girls Collection" 数冊だったのだ。
当時からすでに、物語のヒロインたちは件の如く人形として販売され、少女たちに愛されていた、のであった。
ホスト・ファミリー宅のお嬢さんが持っていたのは、長いブルネットが美しい少女と、おさげに眼鏡が可愛い子。
Samantha Story Collection (American Girls Collection)
Susan S. Adler Maxine Rose Schur Valerie Tripp
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Molly's Story Collection (American Girls Collection)
Valerie Tripp Nick Backes
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強いて言うなら女の子を読者対象として書かれた、イラストと写真・史料(資料)の豊富な、アメリカの歴史がわかる読み物。各時代(というか、年。アメリカにとって、歴史的に節目を迎えるような具体的な年号)ごとにひとりのヒロインがおり(例えば Kit という少女は1934年のオハイオはシンシナティの生活ぶりを教えてくれるヒロインである)、彼女たちの暮らしぶりを通して、アメリカの「当時」を垣間見られる。

現在、ヒロインは8人。皆住む場所、過ごした時代が異なる。私が最初に出会った頃は、まだ4人しかヒロインがおらず、African American、Hispanic系の少女は登場していなかった。今はどちらもおり、Native American のヒロインもいる。
…政治的正しさの追究の結果、というヤツでしょうか。でも、ないほうがおかしいよなあ。Chinese American とかアジア系にも目を向けてほしいものです(差別問題とか絡んで難しいかもしれないけど。でも、だからこそ!)。
それぞれの日常、学校生活、誕生日、夏休み、どんな風に過ごしていたか、物語で綴られる。巻末に当時の史料が盛り込まれていて、物語を読んで興味を持ったら、さらにちょっと学習できるようになっているわけです。日本の学習まんがっぽいカンジ。さほど厚くはなく、薄め。ほぼA5サイズで、まさに教科書のような風情。表紙にはその時のストーリィを彷彿とさせる姿のヒロインが描かれています。上品で可愛らしい。
本屋では、箱入り全冊セット(各ヒロインごとのセット)、ハードカヴァーでコンプな1冊、あるいは並装・バラ、いろんな形態で販売されていました。ちゃんとコーナーがある。
人形なんかは、ちゃんと専門店があって、そこで買える模様(もちろん、通販大国アメリカ、家に居ながらにしてもちゃんと購入できてしまうのですが)。
でもって、あれやこれやとスピンオフが出まくるところがまたアメリカで、これでもかと関連書籍も出ています。そりゃあ買うより図書館で借りたほうがいいかもしれないなあ…。
私も滞在中に何冊も購入し、今でもぽつりぽつりと購入しています。

公式サイトが充実していて楽しい(神経衰弱めいたゲエムがあるのだが、今これの虜である。単純故にクセになるのです……涙出るほどやるな、自分!!)。興味のある方はゼヒ。基本的には子供を対象にしているので、英語は極端に難しいということもなく、楽しめるかと思います。
公式サイトはAmerican Girl

歴史が浅いと言われがちではありますが、やはり彼らなりに自国の歴史を愛し、大切にしようという意識が伺えます。……その気持ちをヨソの国にも向けて欲しいもんだと思う。今は、中東とか中東とか中東あたりに、特に。
Moleskine Ruled Notebook
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まだ8月下旬。もう8月下旬。どちらとも言えるけれど、いずれにせよすでに気になっている。
……来年のカレンダアと手帳。どういうものを買おうか、とすでに迷いまくっているのでありました。

9月にはもう書店の一角を来年のカレンダアが埋め尽くす頃。アメリカでもそうだったなあ。カード屋とか雑貨屋、書店、そういう所に行くと、もう来年のカレンダアやいわゆるスケジュウル帳の類を見ることができた。
すでに部屋がイイカンジで本だ雑貨だとモノで溢れ返っており、カレンダアは小さくてかさばらないもので十分。

問題は、毎日のように利用する手帳のほう。これが悩む。日記帳と兼用にしたいので、それなりに記入できるスペエスは必要。でもあまりにかさばるサイズだと、持って歩くのには不向き。ベタベタに可愛いキャラクタアものはちょっと避けたいし(などと言いつつ、今使っているのはミ○ドでもらったカヴァ付のスケジュウル帳で、一見してはいわゆるキャラモノだとはわからないのだけれど、……)、かといって気分で変えたくなることを考えると、バインダアとリフィルで、というのもちょっと(バインダアも、いい加減溜まりすぎているので、あえて新たに欲しいとは思わないけれどデザインがデザインならうっかり買ってしまうかもしれない)。リフィルも買い足すのが面倒だったり、ヘンに凝ってしまって妙なものまで買いそうなお馬鹿だから要注意だ。

……と、まだ近くのモールでは商品自体さほど並んでもいないのにすでに悩んでいる、というあたりが馬鹿過ぎる。これが年末まで続くんだから見上げた馬鹿だよ…(涙)。
ベリーベリーチェリーコーク
おおた うに
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偶然見つけて買った時は、「おお、流石私!」とか自分を褒めまくったものだった。チープだけれど自分なりにアレンヂしておしゃれする楽しみ。一点ずつなら「?」だったり「!」なアイテムも、組み合わせることで多様な表情と面白さを見せてくれるのだという意外性とわくわく感。そういうものが、「チェリーコーク」には詰まっていた。
オンライン書店ビーケーワン:チェリーコーク
ペエジいっぱいにぎうぎうに詰め込まれた文字とイラストが「もう、言わずにはいられないのよ!」という勢いがあって、隅々まで何度も何度も読んでは眺めた。色遣いもキレイだったし、イラストも「やっと自分の描き方が見つかった!」とのたまって以降は彼女らしさが確かにあって、一見雑なように見えてでも細かい所まで描き込まれていて素敵に見えた。「女子の楽しみ」とはこういうもんだー!! という情熱が迸っていた。

なのに。なのに、なあ……。

ようやく出た2冊目では、その勢いはちょっと感じられなかった。描いていることは同じなのだ。でも、ぎうぎうに詰め込まれていたペエジは、妙にお行儀よくまとまっていた。あの迸りっぷりは何処へ!? ちょっとがっかりしてしまった。
全て手書きなので、ひとによっては読みづらいのは確かだけれど、それこそが彼女の持ち味でもあった。だから、私は平気だった。逆に、全て手書きであるが故に好きだったくらいなのだ。

表紙から受ける印象なんかで、かなり期待しまくっていただけに「あれ? あれ?? え???」と戸惑う始末だ↓ 濃密で濃厚でこれでもか、と描き込まれたペエジをこそ期待していたために、何となく薄まってしまったように感じてしまった。うーむ。こう、スカスカした感じがしちゃうんだよう。
「チェリコ」第1弾はそりゃもう見るのが楽しみだったもんなんだけど。忙しくて描き込めなくなった? それとも、「もう少しスッキリ描いた方がいいわね」という仕事上の判断? いやいや、あの「全て埋めねば気が済まぬ!!」くらいがミリョクなんだってー!!

まあ、何だかんだ言っても見ちゃうし楽しめるんだけど。あの初期のノリをちょっと懐かしく感じてしまうのがサビシイのでありました。
JUNICHIシルエット絵本
中原 淳一
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私の母にとって、雑誌「ひまわり」は夢と憧れのかたまりであった。
彼女は創刊号から毎号こつこつと買い集め、それはそれは大事にしていたのだが、結婚を機に家を出た際、想い出として、また保管・保存の兼ね合いもあり、実家に全68冊を置いてきた。……よもや弟の嫁が勝手に断りもなく焼却処分にするなどとは、思ってもいなかったのだ。まあ他人にとってはただの紙くず。彼女の想い出は、思いやりのなさという炎によって消えた。

「新年号とかは特別でね、付録がついたりするのよ。それも、全部大事に取っておいたのになあ……」
それでも、ほんの一部は持ち出していたらしい。以前、物置でその付録と思しき日記帳を発見。こっそり読んでやれ、などと思って、開いて唖然とした。英文学科卒、後に教員にまでなった彼女だが、よもや英語で、それも流麗な筆記体で書いていたとは……達者過ぎて読めねえよ↓

数十年の時を経て、選り抜き8冊セットが復刊されると決まった時、彼女は一も二もなく書店で予約し、それを入手した。私が初めて出会ったのはその時ということになる。
戦後にあってもののない時代、紙もまた貴重であった。今の雑誌に比すれば、何分の一くらいの厚みしかない。しかし、中身の充実度は今の数倍はあったかもしれない。
地方に住む女の子にとって華やかなる情報などかけらほど、でも雑誌には宝塚の人気スタア、可愛い服、おしゃれのアイディア、それはそれはもう、あふれんばかりに載っているのだ。
文字のポイントをぎりぎりまで下げ、紙面に何段にも組み、物語を、エッセイを、インタビュウ記事を、取材レポートを、これでもか、と掲載していた。当時にしてはとても斬新なレイアウトや構成の仕方で、そんなところにまで「中原淳一」というひとのセンスの良さや美意識というものが表れていた。
美麗なイラストもふんだんに盛り込まれ、当時の少女たちを美しく豊かな世界へと導いてくれたことだろう。
「美しく、優しく、ものを考えることのできる女性になってほしい」
それが淳一氏の願いであったという。柔軟にして確固たる姿勢。美しくあることを忘れることなく、知性にも磨きをかけよ、と彼は言うのだ。
素晴らしい。それこそがあらまほしき姿だわ。きっと勇気づけられたり、かくありたいものと思い立ち上がった乙女はたくさん居たに違いない。母もそのひとりだった。

のちに「ひまわり」は全冊復刻されることとなる。母は欲しがっていたのだか、1冊の単価が高く(¥1,900…)、我慢していたらしい。…ので、私が残り60冊、プレゼントした。
私も全部読んでみたかった。紙面作りやレイアウトを見るだけでも楽しいし、当時の女の子たちがどんなことに興味を抱いていたか、どんなことに胸をときめかせていたか、見てみたかったのだ。

このシルエット絵本に掲載されている作品も、その復刻版で数作読みました。影絵の黒が何とも美しいの。指先だとかドレスのドレエプだとかレエスの描写なんてうっとりする。

モノで贖える豊かさよりも、心の豊かさを。
つましさや工夫することで楽しむおしゃれ、心遣いでこそもてなすパーティ、カネにもの言わせる昨今とは違う豊饒さが雑誌のそこここに満ちあふれていた。

学生時代に、言われたことがあったなあ。
「今のひとたち――君たちは、もしかしたら、私たちの時代よりカワイソウなのかもしれないね。モノがある、っていうのは、必ずしも幸せじゃないんだな、と見ていて思う時があるよ」
想像/創造する力が、利便性への依存と慣れ故に枯渇している、と。
少なくとも、「ひまわり」を眺めていると、そう言われるのも無理ないかなあ、などと気弱にも思ってしまったりする。
つづきのねこ
吉田 稔美
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久しく連絡のなかった友人からメールが届いたと思ったら、「訃報」だった。飼っていた猫が亡くなったという。慢性腎不全に冒され、猫エイズまで患い、2ヶ月という長い期間、辛い闘病生活を送り、亡くなったとか。
メールの最後にぽつんとつぶやいた、「帰ってこないかな…」というひとことがせつなかった。

こういう時、本当に、何と言っていいのかわからない。

写真で見た彼は、それはそれは美しい可愛らしい猫で、家族の皆から愛されていたという。友人もいつも自慢していた。
彼女は、ふだんは淡々とした、少しドライな感じのひとなのだが、その猫に話しかける時は、どうしても「ぽんぽんかいかい~~?」などと、まるで赤ん坊にでも話しかけるようなコトバになってしまう、と照れて笑っていた。
「ウチのコがいちばんです!」と何度か写真を送ってくれた。本当に可愛い猫だった。誰にだって、自分が大切にしているコが、いちばん可愛いのだ。いちばん大切で、いちばん愛しい。

考えた挙げ句、返事を送った。

「今までつらかったね、猫もあなたも。まだ6歳だったのね。きっともっとずっと一緒に居たかったでしょう。猫も、ちゃんと飼い主の愛情はわかるものだから。猫エイズだなんて憎たらしいものに蝕まれ、慢性腎不全という病を抱えていても、2ヶ月も頑張った。大好きな家族のためにも猫は頑張ったと思います。偉かったよね。……辛くて苦しい最期だっとは思うけど、でも、みんなに可愛がられて大事にされてきっと幸せだったと思う。それだけは確実だよ」

……「早く元気になってね」は言いたくなかった。そんな簡単に立ち直れるほど、軽いショックではないだろう。元気になってほしいけれど、それは彼女のペエスでいい。ゆっくりと、またいつもの彼女になってくれたら、と思う。
……私には何もできない。無力だなあ、と思う。

逝ってしまったものは戻ってこない。だからその事実を受け入れてゆくしかできない。
いつもミルクをあげていた皿や、寝そべっていたタオル、そういうものを見るにつけ、ああもう居ないんだ、と「当たり前」のことを再認識するあの辛さ。
友人はそれと向かい合わなくてはならない。

私は何度も馬鹿みたいに同じコトバを繰り返してあげることしかできないのだ。

「あなたの猫はね、あなたの家に来ることができて、あなたたちに大事にされて、とてもとても幸せだったんだよ」。

「もう居ないんだよ」というのも確かに事実。でも、それを彼女はイヤでも受け入れなくてはならないんだから。
せめて、私は違う「事実」を彼女に言ってあげたい。だから、馬鹿みたいに繰り返す。

あなたのねこはね、とてもしあわせだったのよ。
いっしょにくらせて、あなたがとてもしあわせだったように。
クウネル1号
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昨今のスロウライフ・ブウムに先鞭をつけた雑誌「ku:nel」。
ブランドものやコスメティクスといったものの広告を極力控え、あくまでも「日常」「暮らし」というものにこだわった誌面作りが好評となり、今では隔月刊化されていますが、最初はかの雑誌「an・an」の増刊、という位置づけで発行されていました。
私はちょうどその増刊時代の2号目から買ったのですが、すでに時遅く、発行元であるマガジンハウスからもバック・ナンバーを購入することもかないませんでした(ふだんよほど興味のある特集を組まない限り、「an・an」等の雑誌は目をと通すどころかそのコーナーに立ち寄ることもほとんどないので、1冊目は気づかなかったのだった……)。
一時期はオークションで、元値の5倍以上もの価格で取り引きされており、復刊を望む声も高かったのですが、これでどうにか通常価格で手に入れられそうです。嬉しい。
オークションも一時期考えもしたけれど、元値が¥700しない雑誌に、数千円もの大枚をはたく勢いも費用も私にはなかった↓ 
「復刊ドットコム」でも復刊希望が出されてもいたし、オークションで高値で取り引きされ、欲しい読者が嘆きの声を編集部に寄せたであろうこともあり、めでたく復刊。

私は何につけ、全部揃ってないとイヤ、というところがあるので、この雑誌も1冊だけないのがずっとずっと気がかりでイヤでした。喉奥に刺さった小骨がいつまでも気になるみたいに!
でも、これでようやくその些細だけれども気になる不快感、から解放されることができます。よかった……。
いえ、もちろん、内容もまだ未見なので、楽しみなのですが。

日々の地味な積み重ねを、もっと大事にしよう。
そういう小さいけれど確かなつぶやきで満ちた本。

ふぐママ
室井 滋
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文庫版が出たのでさっそく購入。室井滋さんの本は、文庫になったら、ではあるけれど、必ず買う。面白いんだもの。彼女自身が、彼女を取り巻く面々が、彼女に起きる事件の数々が。色んなモノを呼び寄せる才能が!? ……パワフルで快活で、でもとても繊細なところがあって、大好き。

刊行当時から「ふぐママ」って? と思っていたのだけれど、読んでやっとわかった。無名時代に出会い、以来二人三脚の、彼女が所属する事務所の社長さんの愛称だったのだ。
興奮するとぷうっと頬が膨らんで、それがふぐみたいだから、「ふぐママ」。豪快でやはり快活で、でも涙もろくて人情家、さらにはいかなる動物も愛でる対象にあり、赤ん坊フェチ。……それだけでも十二分にすごいのに、ふぐママは、ありとあらゆる類のトラブルや事件に巻き込まれ、それらの全てを難なく(?)かわし続けてきた奇跡の女傑でもあるらしい。

壊れるはずのないドアのノブを握っただけでぶっ壊し、Mr.マリックの超魔術をいとも簡単にダイナシにし、警察が駐禁で彼女にもの申すなどということをしようものなら、逆に言い返しまるめこみ退却させてしまう(よく何だかんだでひっぱられるらしく、室井嬢が電話したら「今パトカーの中、連行中♪」との返事が……)。
ひとりきりでふとでかければ山の中でとんでもないモノにでくわし、まさに命からがら逃げ出したことも(何に出くわしたか、はやはり本書でお確かめ下さい。人生に一度あるかないかどころかありえないことに遭遇しておられるのでありました……)。
また、霊感をお持ちなのか、予知夢めいたものを見ることもあれば死んだらアンタ(=室井嬢)の前に出るからね! と宣言したり。
ふぐママ、向かうところ敵なし!! ……トラブルは舞い降り、彼女の前に平伏し、去ってゆく。いやはや、豪快のひとことに尽きる。
でも、何かあると当事者以上にそのことを気にかけ心に留め、悲しみに暮れ、喜びに胸躍らせ、感極まって号泣するのだ。
とてもとても繊細なひとでもあるふぐママ。

「あの親にしてこの子あり」とでも言いたくなる。豪快さには相通ずるものもを感じさせる室井さんとふぐママは、出会うべくして出会い、今でも一緒に仕事を続けてきているのねえ、としみじみ思わせられる話ばかり。

肩の凝らない、楽しくて、ちょっとしんみりする、よい本でした。
おりょうり星人のはじめてのお菓子づくり
福田 里香 長崎 訓子
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料理というのはちょっとした化学/科学の実践なんだなあ、と今更ながらにしみじみ思った可愛い絵本。

元々は児童書で有名な福音館書店の月刊絵本「おおきなポケット」に連載されていたモノ。福田里香さんのファンにはその当時から本になることを待たれていたものでしたが、ようやく出ました(でも何故か文藝春秋社さんから。……?)。絵を担当なさったのは「金持ち父さん」シリーズの表紙等で活躍中の長崎訓子さんです。絵の、力の抜け具合がいいカンジ。

主人公は、料理というものの方法が忘れられたとある星に住む、宇宙人の男の子。地球にあるという「12のお菓子の魔法」を探り出すという星からの使命を背負って地球に到着。さまざまな指令を受けてはその「魔法」を試すことに。
「ぶんりする」でカッテージ・チーズと乳清が出現。レモンと熱が「魔法」の鍵だと教えてくれる。
「こおらせる」では果物に砂糖を混ぜることで固まりすぎず、いちごのシャーベットが完成する。
「むす」ことでできるバナナむしパンでは蒸気の力を知る。
「とかすとかためる」ではチョコレエトを溶かし、ナッツやドライ・フルーツを入れて型に流し込み、層をつくって完成させる名付けて「化石チョコ」。熱によって溶け、熱がひく(あるいは冷やす)ことで固まる、ということが改めてわかる。

作る行程と、必要な道具等は、写真で紹介されているので、子供でもわかりやすそう。もちろん、保護者が一緒になって改めて「魔法」の潜む台所の「秘密」を打ち明けるのもいい。
「なめらかにする」「にる」などの「魔法」は、すべて「実験」というカタチで紹介されていて、そこがわくわくさせてくれるポイントになっていて楽しい。

でもって、理科って、実験ていうのは、楽しいものだったな、と思い出した。スプーンに載せた砂糖をアルコオル・ランプで炙る実験(美味しい匂いが教室中に充満)果物や野菜の汁で紙に字や絵を描いてできるあぶり出し、花弁をすりつぶしてできる綺麗な色水、レモンでつくる電池の不思議、リトマス紙なんて何に使えるわけでもないのに欲しかった。
……ああ、楽しかったなあ。気づいたらいつの間にか理数系が苦手な人間になってたけど(高校時代、遺伝の授業を受けていた時、自分の血液型と両親の血液型の関係性を各々が導き出させられた時、何度やっても「先生! 親の血液型とオレの、一致しねえ!」と騒ぐヤツがひとりは居た、なんてことまで思い出した)。

山田詩子さん(紅茶専門店「カレルチャペック」のオーナー)も、お菓子のレシピで試行錯誤していた時、理工系の方が分量の割合に対してよいアドバイスをしてくれた、と仰っていて、やはりすべての学問てのはどこかで繋がってるのねえ、と感心したこともありました。リクツもやはり大事。
もっとも、この絵本では、小難しいことはヌキにして、純粋に、わいわい言いながら楽しく「実験」して、「魔法」を体験し、おいしく楽しく完成したものをたいらげるだけです。

大袈裟ではないけれど、あると便利な、あるいは通常家庭にはあるであろう道具で、見慣れた食材を用いて、色んなお菓子が自分でもつくれるんだ、ということを身を以て知るのは、きっと楽しいだろうと思います。

カッテージ・チーズ、つくってみようかなあ。ちょっと今、やる気まんまん。
合羽橋は、雑貨好きにして料理好き乙女にとっては聖地である。数ある店をお遍路さんよろしくすべて巡ってみたくなるのだ。和洋中を問わず、ありとあらゆる料理にまつわるものならば、手に入らぬものなどない!(……そのハズです)小は箸置きから、大は厨房設備に至るまで、何でもあるのです。ないもの以外は何でもある!(笑)素晴らしい場所です。

もうかなり有名な話ですが、海外からの観光客にとってもちょっとした穴場で、中でも人気があるのが「食品サンプル」。レストランの、食堂の、中華料理店の、あの店先のウインドウにずらり居並ぶアレです、アレ。本物そっくりなツクリモノ。
スパゲティをからませ、にょーんと引き延ばした先にある、宙に浮かぶフォーク。みずみずしいフルーツたっぷりのパフェ。焦げ目も美味そうなハンバーグ・ステーキ(フレンチ・フライかミックス・ベジタブル添え)。シリコンにプラスティックに蝋、といった材料から、こんなに見事なものを…! 日本は職人の国ねえ、としみじみと思うのでございます。
日夜研鑽し、いかに美味しそうに見せるか、いかに本物らしく見せるか、そのための努力を惜しまずつくっておられる。素晴らしくないわけがない! 料理の完成品であるからして当然色彩豊か、美しくまた可愛らしく、インテリアにしたくなる気持ちもわかろうというものです。……私だって欲しい! しかしです。やはり、職人さんのてづくり。お安くはない。決して、安価とは言い難いもの、なのです。

20041219180339.jpgそこに目をつけた(?)とある会社が、ヒットをぶちかましました。それがリーメントから出ている「ぷちサンプル」シリィズ。
これはまさにその食品サンプルをミニチュア化したもので、いわゆる食玩の一種ですが、そのクオリティは、値段に比すれば凝り過ぎ、やり過ぎなほど。この価格でいいのか!? ぐらい。1コ¥250以上という価格設定は子供が対象とは思えず、やはりというべきか、「大きいオトモダチ」のために存在し販売されているのです(いや、子供だって買ってるかもしれないけれど)。
ちなみに、ウチにあるモノの一部。これは確か比較的初期のシリィズで「街のデザート屋さん」の中のもの。名前の通りデザート系ばかりチョイスされて全10種ほど。小さなディスプレイしてました。上のがベリィのタルト(ホール・サイズ、一切れだけ切ったピースがある)、下にちらりと見えているのがアフタヌーン・ティのセットの一部。子供の頃こんなものが売られてなくてよかった、としみじみ思う。こんなの出されてたら毎日小銭握りしめて買い物しまくって親に叱られまくりだ↓

20041219180402.jpgでもってこちら→が「Cake on Parade」というシリィズのもの(まさにすべてケーキ)。どれも可愛くてうっとり。
今度出る新商品で、何と第18弾目ときているくらいなので、人気のほどは推して知るべし。大量生産であっても、細部までよく出来ていて、なかなかの出来映えです。所謂リカちゃんサイズ。米の一粒、麺の一本までできるだけ再現してやろう、という気概も見えて嬉しい限り。色味やアイテムのコーディネイトも凝っていて、……(恍惚)。
ここにもやはり、日本人の職人気質が出ているのね! とひとり感動する私。でもって、中国の工場で、細かい作業を黙々とこなしてくれるたくさんのひとのおかげで、安価であっても出来のよいものが、全国区で販売されているのです(もっとも、安価な人件費で雇われてくれるひとがいるからだ、と言われてしまうと、ある種の罪悪感が生じますが……)。

この「夢の!! アメリカン・ライフ」というシリィズは、アメリカの食文化をテエマにしたもので、眩暈がしそうに可愛い(色遣いのキッチュなカンジがめっさツボ)。しかも、全10種なのですが、1から10まで通して物語があり、ある日本人の女の子が日本を発ち、アメリカに留学して帰国するまでの筋を、食べ物を通して描く、という構成。付属のブック(商品に付いてくる解説書のようなものをこう呼ぶ)に日記式に物語が綴られ、さらにはワンポイント英会話付(何と、「留学ジャーナル」のバックアップによる。ちなみに、別なシリーズではそれぞれの料理のレシピがついたことも……)。
キッチュな色遣いやジャンクな雰囲気、ボリュウム感など、いかにもなアメリカが再現されていて楽しい限りなのです。機内食、ハロウィン・パーティ、映画館でのスナック等、これでもか、と迫ってくる。回を増す事にクオリティもまた増し、どうにも止まらない状態。無駄に心血注ぐその心意気や好し!

コンビニやスーパーで絶賛発売中♪
英国解体新書
岩野 礼子
4122030900

自国の文化を愛するあまり、持ち上げてしまうことは、誰にでもあるだろう、と思う。だが、それと、他国の文化を貶めることとは別である。あるいは、他国を貶めることで、自国の有利さ・優越性を述べることほど愚劣なこともない。

少なくとも私はそう思う。個人的には大嫌いである。

誰だって自分の国には、愛憎相半ばすという状態であっても、愛情そのものがまったく欠落していることは稀だろう。中には激しく自国を憎悪しているひともいるのだろうが、何故憎悪するのか、無関心ならば憎悪も生じないのではないか。愛すればこそ、許容できぬ点も生じれば、誇りたくなる点もある。
しかし、他国を貶めねば感じられぬ腐った優越感など、何らの価値も感じない。唾棄すべきものですらある。他者を小馬鹿にせねば守れぬプライドなど、潰されてしまえ! ……と、私などは思うのだが、なかなかどうして、このテの人間は雑草なみに逞しくはびこっているのだった(あまりに他者を貶める言い方をしていると、逆に、言っている本人の劣等感のようなものが滲み出ているように見えて、そのひとが哀れと言えば哀れなのだが、……)。

岩野氏のこの本は、自らの意志で渡英し、そこで暮らし、そこでの遭遇と邂逅と、それについて感じ、考えたことを、ユウモアも交えて綴ったものである。決して単なる「イギリス礼讃」モノ、などではない。どちらかといえば、少々辛辣ですらあるが、そこが小気味よい。
日々出会う理不尽と果敢に闘い、時にはイギリス人のインテリ層にもっとも読まれているという「サンデータイムズ紙」に投書し、下らぬ偏見と差別に対する意見をぶつけたりもする(しかも、怒りにまかせたような内容ではなく、ウィットとユウモアに満ちた文面で、思わずニヤリとさせられてしまうのだ)。
VJデイともなれば、日本人というだけで一身に非難がましい視線を浴びせられる(どころか、実際に非難すらされる)。それでも彼女はこの国ならではの良さがあることを認め、それを愛し、それ故にこの国に住み続けている。

彼女自身の経験・体験をもとに、彼女なりの意見を持ち、論理的に考え、結論を出す、その姿勢が好ましい。イギリスで偏見や差別、それと同時に友情や厚意に囲まれ、自分の望む人生を送る姿が、いきいきと描かれている。
単純に日本ならどう、などと比べるのではなく、彼女自身の尺度で見、考えているところが私は好きだ。どちらかというと、「ひと」としてその態度はどうなのか、という普遍性に基づいて批評・批判しておられるように思う。もちろん、それぞれの思想的、あるいは文化的背景等も考慮した上で、ではあるが。

大学の教授やその妻、といった、ある種特別なヒトビトではない、今では珍しくもなくなった「会社勤めと結婚を経験し、自分のやりたいこと・好きなことを追い求めてかの地へと自らの意志でやってきた」女性が見たイギリスの在りようが、率直に語られている本の、嚆矢的存在だろうか。政治的な問題にも多々触れてあり、興味深い。

阿ることもなく、徒に見下すでもなく、彼女なりの愛情と冷静な目を以て見つめたイギリスが、本書にはある。

1000ピース マーチャーシュ教会 1000-476
B000GRUUPW

ホスト・ファミリー宅では、毎週日曜日、きちんと服装を整え、教会に通っていた。宗派は First Presbyterian Church(第一長老派教会)。
私が通っていた教会とはまた少々異なるのだけれど、何事も経験だと思っていたし、一応同じプロテスタント系の教会に通っていたわけだし、アメリカでの礼拝に出席してみたかったので、御一緒させていただくことに。ふだんやんちゃで元気な子供たちもちゃんとおめかししているのが可愛い。
「もしよかったら、一緒に行ってみない? もちろん、家で休んでいてくれてもかまわないわ。私たちには習慣だから行くけれど、強制したりしないわ」とホスト・マザーは言った。
いえいえ。かつては私にとっても「習慣」だったのでございます。大学も一応キリスト教系で、礼拝もあったし。
「皆さんに御迷惑でなければ、出席させて下さい」とお願いした。同じくお世話になっていたMさんも一緒。

教会は少々大きめ(何を基準にかというと、私が行っていた日本での教会、なのだけれど…)で、広々としている。それこそ、映画で見るような、何列にも椅子が連なるアレだ。
ホスト・ファミリーたちが御友人と思しきひとたちや、牧師さんに紹介して下さり、挨拶を済ませると、いよいよ礼拝に。ちらほらと、他の家族に世話になっている学生たちも見え、どうやらその辺りではこの宗派に属しているひとたちが多かったらしい。やはり一様にきちんとした格好で来ていた。
基本的には私が通っていた教会と、大きく異なる所はなかった。英語力が低くても、聖書には多少親しんでいたので、それなりに牧師さんのおはなしは理解できた。少しほっとする。

ホスト・マザーは choir のメンバーで、教会の壇上の一翼で他のメンバーたちと高らかに聖歌を歌い上げていた。高音が伸びやかで美しい。聴いていると昔を思い出す。
私が「とても素晴らしかった」と絶賛すると、どういうわけか私とMさんも「一緒に歌ってみる?」と誘われてしまった。
歌うこと自体は嫌いではない。しかも、聖歌、賛美歌の類である。「はい、ぜひ。嬉しいです」とほいほい参加を決意する私。

楽譜をもらい、何度か歌って聞かせてもらい、あとはいきなり一緒に歌う、のだ。私はソプラノのパートに入れてもらった。Mさんはピアノを習っていたそうなので、譜面を読むのに問題ナシ。私は聞いたそばから憶えて一緒に歌うことに慣れていたのでやはり問題ナシ。皆で歌う歌う。和やかだけれども真剣に何度も練習した。高音出すとスッキリ♪ 当然の如く、次の日曜日が「発表」の日、なのだった。

さて本番。わざわざ牧師さんが私やMさんが飛び入りで参加していることを教会に集まったひとたちに紹介して下さり、場内から拍手をいただく……ちょっと緊張。
"Jubilant Song" というタイトルの曲は、まさに歓喜に満ちた、高揚感のある曲で、歌っているととても気持ちがいい。どれほど高音を出しても怒りの目で見られることがないのはキモチがいいなあ♪(中学生の頃、クラス対抗合唱コンクールで楽譜通りの高音を出したら同じパートの女子から睨まれた経験有。ピアノの伴奏のキィを下げていないのだから私は間違ってはいなかったと思うけれど、そのキィが出せなかった女子たちにぎりぎりと睨まれて困惑したことがある。女ってコワイ……)
しかーし。翌日キャンパスで落ち合った学生たちからあれこれ言われ、気恥ずかしい思いをしてしまったのだった。

思えば、確かにそれは教会内にあった。
ちゃんと確認したわけではないので自信はないのだが、どうやら教会に直接足を運べないひとのためになのか、礼拝の模様をTV中継し、各家庭にありながら教会に同席し、devotion time を分かち合えるようになっていた、らしい(たかだか2人の日本人女子が飛び入り参加したくらいでは、いわゆるローカル局であっても「取材」などするとは思い難いので、とりあえずそんな推論立ててみました)。
楽譜と指揮者を見るのに集中していたが、確かに、居並ぶ椅子と椅子の間の通路には、TVカメラがあった……。

「昨日さあ、ホスト・マザーがTVつけたら、水玻さんとMさんが映ってるんだもん! びっくりしたー!!」
「歌ってたよねー。何、飛び入りー?」

み、観られていたのか……。というよりですね、いつの間に放映!? でもって、事前に言って下さい、周囲の皆さん……。ナンボコンサートのステージで歌ったことあっても(教会主催のゴスペルのコンサートがあって、皆でステージで歌った)、ココロの準備ってものが、……。それとも言われていたのに気づかなかったのだろうか(英語力の貧困さの故に↓)。

これで、日米ローカルTV局出演を果たしてしまったではないか(日本でもうっかり取材された映像が流されてしまい、田舎故にあちこちから電話がかかってきて恥ずかしかった…)。
歌いたい気持ちと、公共の電波にのってそれが放映されるのとは、ハナシが別でございますよ……。熱心に歌っていたので、きっととてもとてもおマヌケな顔をしていたに違いない…。教会内に居る方から見えるのは、せいぜい豆粒大の私の顔。カメラというのは、ズーム・アップも可能ではないですか!! やめてくれー!!

今でも楽しい思い出のひとつですが、しみじみと思い出すと気恥ずかしさでいっぱいになるのでした。
はじめてきるほん
LaZOO
4052013530

子供でもないし子供がいるわけでもないのに、新作が出ると迷わず購入してしまう。大人にもオススメしておきます。絵も可愛らしいし、ちょっとチープな紙質なのが、逆に何でもしちゃってもかまわなそうで、イイカンジなのです(笑)。でも、やっぱり子供の頃に出会っておきたかったなあ、と切実に思ってしまう、わくわくするような「本」です。

これは「きる」遊びがこれでもか、と楽しめる本。絵のペエジと、切るためのペエジとがあります。
もし子供にあげるなら、「この本だけは、絵を描いても切っても破ってもいいんだよ」と渡してあげて下さい。どうしなさい、こうしなさい、と指示する必要もなし。基本的には鋏とのりと手があればいいけれど、究極手だけでも十分かもしれない。手があまり器用じゃなくても、あるいは、病気や怪我で不自由な状態だとしても、その子供なりの楽しみ方を見つけることができるだろう、と思います。
「正しいカタチ」はありません。
「完成」を目指さなくてもいいのです。勿論目指してもいい。たとえば、ライオンの顔があって、たてがみが欲しいな、なんて書いてあったとしましょう。きれいに、顔のまわり全部に、紙が貼ってなくても、それはそれでいいわけです。
「こういうライオンなの」。「ライオンはね、こうなんだよ」。
その子なりの主張や思いがあるでしょう。そうかあ、と受け入れて、一緒に楽しんであげればいい。

ひたすら、四角だった紙が自分の手が何かすることによってカタチを変えてゆくさま、新しいナニカに見えてゆくさまをそのまま楽しめばいい、それだけの本です。クレヨンなんかで絵の余白に何かを描いても可愛いだろうし、紙をちぎるのと鋏で切るのとではどう違うのか、改めて自分の目で感じるのもいいなあ、と思う。

このシリーズには「ぬるほん」「はるほん」ほか、色々な作業を楽しく「遊ぶ」ことで体験できるものがたくさんあります。
個人的には、こういうひとつのことに集中していた本になった現在の形態よりも、その前に出ていた形態のほうが好みでした。その1冊で、貼るのも塗るのも切るのもちぎるのもおはなしも何でも色々楽しめて、眺めているだけでわくわくできるのです。
私は既刊のほとんどすべてを持っていて、今も時々眺めます。こうしたら楽しそうとか、想像を巡らすだけで楽しくなれます。
今出ているのは、その「何でもアリ」だったものの、ひとつひとつの作業をたっぷり楽しめるようにしたもの、です。

子供向けの付録付雑誌、キャラクタアも満載で楽しそうだけど、ものによってはつくるのが少々難しくて、保護者の方がつくってあげている、と聞いたことがあるのですが、…本当でしょうか?(とくに、アリモノのキャラクタア――アニメや既存の版権モノ、を頻繁に取り上げるタイプの雑誌、ですね)ちょっとくらい苦労しても、自分でつくれるもののほうが、満足感が得られたりして、楽しそうな気がするんだけど…(紙という素材で立体に果敢に挑戦し続ける姿勢は大好きなのですけれどもね。最近は付録に使ってもいい素材に対する規制が昔より緩和されて、少女まんがの低年齢向け付録付雑誌にはプラスティックなんて当たり前、最近ではアクセサリィだ何だと客寄せのために必死で、あまりのことに吃驚するばかりです)。

そういえば、今のプラモデルの技術はすごくて、ワクからパーツを取り外して、接着剤もあまり使うことなく組み合わせるだけで素組み程度ならあっさりできちゃう、んでしたっけね。だから、今復刻のようなカタチで出された昔ながらのものは組み立てることがイマドキの子供にはちょっと困難なんだとか。
モノの進歩や工夫のありようも、ことと次第によっては(便利さはありがたいものの)、何かもっと大事なことをないがしろにしている気がしてきます。
いや、便利なのはありがたいことです。林檎を取り付ければ綺麗にしゅるしゅる皮を剥いてくれる機械だって便利だし、効率的かつ合理的なことだってたくさんありますから。でも、できることすらできなくなってしまうというのは、何ともサビシイ気がするのです。

それに比べたら、この本の、何とぷりみちう゛な味わいに満ちていることか! 切る・破る・ちぎる、何をしてもいい。video game だって面白いけれど、紙をびりびり破ったり、鋏がすいすい紙を二つに切り分けてくれる感覚までは、再現してくれないし。手を動かして、触れて、初めてわかる感覚。

誰かに見せるため、とか上手に綺麗に仕上げるため、にやるんじゃなく、あくまでも自分の「楽しい」のために。
よい本だなあ、と思います。
癒しのお香―高貴な樹脂・ハーブ・スパイスを楽しむインセンスガイド
カーリン ブランドル Karin Brandl 畑沢 裕子
4882823632

お香を焚く。かなり頻繁に。気分で香りを選ぶ。
あまり高額なのを購入しなかったせいなのかしら。

……嬉々として買ってきたお香、……今ウチで焚いてる蚊取り線香の香りに、何だかとてもよく似ている……(涙)。

いや、蚊取り線香も線香のうち、嫌いなどではない。でもでも、お香はお香として楽しむためであって、蚊を寄せ付けない、という実利を求めるものとは違うぢゃないのー↓ しかも、その蚊取り線香ってば「本練り」って書いてあるんだけれど、本練りって? 七分練り、とかでもあるのかしら。それともつぶが残ってる状態の(それは羊羹……)。

いっそよい香りで蚊もへろりと落ちてくれないもんかのう。ピーチの香りとかストロベリィの香りとかヴァニラとかでさあ!(すでにヤケクソ)

香り・お香関係で欲しい本。
香りと遊ぶ―暮らしに生かす和の香り
4473020320

香千載―香が語る日本文化史
石橋 郁子
4838102771

「いやあ、日本経済バルブが弾けてねえ…」
――それは確かに怖いですね。どこにどう吹っ飛ばされるのか、いや、それよりもどれほど巨大なバルブがどこにあるのかと、ええ。
「船から落ちて、海のもずくになった訳ですよ…!」
――はあ、まあ、もずくは海のモンですよね。間違ってないです。私は、お酢でいただくのが好き。檸檬+醤油もイケるなあ。
「私の友人で、本食って書いてるヤツがいましてね、……」
――リアル暗記パン(@ドラえもん)!?(←違う)……ってか、山羊……?

上記はいずれも学生時代聞いて忘れられない先生方の言い間違い。あまりにも真摯な表情のままさらりと仰るだけに、こちらは笑うのを堪えるほかはないのであった。真顔で言うなー!

仰っている御本人は講義中故お気づきではないのだ。でも、誰にでもあること。ただ、あまりにもその頻度が高い、となると、興味も湧くではないか。
学生というのは国も時代も問わず、ロクに講義も聴かず、それでいてどうでもいいことなんかを妙に記憶しているものだとこの本で再認識した(いや、講義だって聴いているけれど、ついついどうでもいいことをより記憶しちゃうものなのよ)。
もう、タイトルからしてふるってる。「象は世界最大の昆虫である」。……こ、こんちゅう……。

ガレッティ先生は、ドイツのギムナジウムで地理と歴史を担当していた教授で、授業中頻繁に耳を疑うようなことを仰ったのだという。
曰く。
「女神プロセルピナはローマの男神である」
「古代にも大砲はあった。大弓で発砲した」
「ローマ人はまっ昼間、明りなしに芝居した」
「水は沸騰すると気体になる。凍ると立体になる」
「砂浜には、何はなくとも砂はある」
「ナイル川は海さえも水びたしにする」
「ドイツでは、毎年、人口一人あたり二十二人が死ぬ」
「虫と昆虫とはちがいますよ。虫は総称であって、昆虫はその中には含まれません」
「今日はズル休みしたひとがめだちますね」
「フレーダースハウゼン君、私がいまから述べるつもりの本はなんという本かね?」
「こうであったとは、そうではなかったということである」
……とまあ、こんなのが700以上も収録されているのだ。
正直、ちょっと人前では読んでいられない。ニヤニヤしてしまってアヤシイことこの上ないではないの。
ああ、高校時代の先生たちまで思い出した。
「休んでるヤツ、手ェ挙げろー。んー? 居ないかー? よし、じゃあ授業始めるぞー」
――最初はウケ狙いで言ったのかと思ってたのだが、先生は本気で訊いていたらしい。出席簿をそこでぱたんと閉じた。
あるいは、物理の先生が、等速直線運動の実験で、生徒から協力者を募った時のこと。落下物を生徒に持たせ、ひとこと。
「せーのでいくよ? 1、2、3、ハイ!」
――もちろん、生徒其之壱は見事にそのタイミングを逸した。

でも、こんなことをやらかしちゃう先生に限って、妙に生徒・学生から愛されていたりするのだった。ガレッティ先生の愛すべき失言集も、彼の死後、すぐに仮綴じの手刷りのものが発行されたのだとか。故人を偲ぶためであろう、と訳者であり編者である池内紀氏が述べている。
生徒たちが授業の合間、面白いことを言うのではないかと期待し、それに十二分に応えてしまうガレッティ氏、書き留める生徒たち。何だか微笑ましくすらある。

私がもっとも好む彼の「失言」は以下のものである。

「教師はつねに正しい。たとえまちがっているときも」

蓋し名言ではないか。彼の「失言」は、時折優れた aphorism となるのだった。

象は世界最大の昆虫である (白水Uブックス)
象は世界最大の昆虫である (白水Uブックス)
THE LIVING DEAD
BUMP OF CHICKEN 藤原基央
B0001J0BUY

「あなたは、自分のことが嫌いかもしれないけどね、私は、あなたが好きだよ。一緒に居るととても落ち着く」。

かつて不眠症で通っていた病院でお世話になったドクターは、決して「効く」薬を処方してはくれなかった。
「いちばん弱い薬しか出さないからね。これ以上のは、出さない」。
当時1年以上もの我慢の果てにようやく診察してもらった私には、それは少々ツライ宣言であった。その薬では、眠れなかったのだ。
彼はそれに代わるものを提供しよう、と思ってくれたのだろうか。「時間」と「思いやり」をこれでもかとくれた。

通常どれくらい「診察」に時間が割かれるものか知らないのだが、私の時は30分~1時間近い時間を割いてくれていた。その間、何をすると言って、基本的には世間話、なのだ。ドクターが提供してくれたお菓子をいただいたり、本来なら彼の昼食であるサンドウィッチを御馳走になったこともある。
「何だったら、大学病院の方に来てくれてもいいんだよ。そのほうが2時間なり3時間なり、もっと割いてあげられる」。
(私が通院していたのは、その大学病院の管轄下にある、より規模の小さい病院だった。私はどうやら自殺するのでは、と懸念されていたらしい。ちなみに、本人が言っても信憑性はないが、私と出会って第一印象で「あ、やらかしそう」という印象を持つひとはまずいなかったと思う。お笑い担当だったし↓)

その「世話話」の中、彼は決まって私にこう尋ねた。
「自分の好きなところを挙げてみて」。
私の答えも決まっていた。「ありません」――即答である。
「じゃあ、これから見つけていこう」。ドクターが笑う。
週に一度通っていたけれど、毎度訊かれるのだ。私の答えも毎回同じ。でも、彼は訊くことをやめない。
「どうして自分のことが嫌い?」「好きになる理由がないです」「いいところ、あるでしょう?」「思いつきません」。
終始和やかに(?)その問答が繰り返される。

「誰にだって、いいところはあるよ」そう言って続けたコトバが冒頭のセリフなのだった。……オトコマエが真顔で言うなよ……(それにしても仕事とはいえ医者ってスゴイわね、と思った。よくもまあ心にもないことをあれほど淀みなく仰るものだ…・笑)。

結局、ドクターのところに通っていた間は、自分を好きにもなれなかったし、いいところとやらは見つけられなかった(「運はいいです」と答えたら「そういうのじゃなくて!」と言われてしまった。だってそれくらいしかなかったのよぅ…)。自分なんて、としか思わなかった。あれから数年経つけれど、今もあまり変わらない。

ある日耳にした歌で、泣いた。

容易く 自分自身を値踏みしやがって
世界の神ですら 君を笑おうとも 俺は決して笑わない


通院していた頃、初めて見つけた「やりたいこと」のために毎日色々頑張るけれど、それが必ずしも明確な実を結ばず、どこかで苛々していた。ただがむしゃらな「だけ」の自分を、どこかで嘲笑してもいた。不甲斐ないとすら思っていた。自分を責めて何かが変わるわけでもないけれど。

歌のタイトルを「グングニル」という。gungnir――北欧の主神・Odin が持つ槍。「貫く」の意を持つ。神話によると、決して的を外すことがないのだとか。

見つけた宝の地図を本物と信じて旅立つ男の物語。彼は周囲に何と言われ笑われても決して諦めなかった。「あの頃」の自分を責めていた私には痛いコトバだった。「容易く自分自身を値踏みしやがって」。

理由はどうあれ、諦めることのほうが簡単だった。「所詮この程度」と切り捨てるほうがラクだった。

まだ、あるいはまた、立ち上がって歩き出すことができる。多分、意志があればできるんだろう。そう思ったら涙が止まらなくなった。

また歩き出せたら、ドクターがくれたコトバを、もう少し素直に受け入れられるような気がする。

いつだって、簡単なことほど、とんでもなく難しい。

いい曲揃いのアルバム。お気に入りはコレと「K」。
カルトな本棚
唐沢 俊一
4810374270

英米どっちか忘れたけれど、Living Room 等にででんと並べているちょっと豪勢な見てくれの本てのは、ある種のステイタス・シンボル的なモノ、でしたっけ。嘘っぽいまでに、厚い、ハードカヴァばっかりなの。そうでなかったら革の装訂。天金まで施してあったりするような。
読むため、というより、見せるための本、本棚。だからこそあんな風に堂々と見せてるんでしょう。うむ。

さて。あなたは自分の蔵書――本棚を見せて下さいと言われて、「はい、どうぞ」とすんなり返事ができますか? 特に女の方。

今や「トリビアの泉」のスーパーバイザーとしてその名を馳せる唐沢俊一氏の1冊。ヲタクなひとなら彼を知らないのはモグリ。ええ、私は大昔から知っておりましたとも(涙)。
唐沢氏がこれはと思う人選で、そのひとの本棚を見せてもらい、さらには彼らの読書遍歴、蒐集法、指向などについて存分に語ってもらっている。内容故に、……読み手を選ぶかも。
私は唐沢氏の本にハズレなし、と思っているので、これも迷わず購入したのですが。それよりもなによりも、……他人サマの本棚、書斎を垣間見てみたかったからこそ、わざわざ買ってまで読んだのでございます。
まあ、タイトル通り、かなり極端な例ばかりではありますが。

友人の部屋・他人の家、行って、見られる場所にあるなら、私は必ず見てしまう。それが本棚。あるいは書斎。大学の教員の部屋も眺めていて飽きない。そのひとのひととなりがまた少し別な角度から見られるのだし。私だけ? セレクト・ショップにでも行くような楽しさがある。

唐沢氏が言うには、数人女性にも見せて欲しいと依頼したもののすべてのひとに断られてしまったそうです。……ナゼ!? そ…そんなにひとには見せられない何があるの!? 逆に知りたくなるではないか!

「じゃあアンタは平気なの?」と尋ねられそうですが。
答えは「はい」。別に見られても平気です。というよりも、見るほどのものが別にないから、なのですが。本棚より、部屋の雑然とした様だのを見られるほうがイヤです。雑誌「PLAY BOY」もあればアン・ライスがもうひとつのペン・ネームで執筆した官能小説の3部作もコンプして所有、江戸時代の艶本について書かれた本もあれば、実際の艶本の、研究者による解説付影印本もあります(当時の本のつくりは工夫が凝らされていて素晴らしいのです。こんなもんに技術だの創意工夫だの惜しみなく注ぎやがって! と感動する・笑)。カストリ雑誌について書かれた文庫も買ったし、ハーレクインもがっつりある。コバルト文庫も山ほど所有してるし、性風俗の本、ミステリ、まんが、イラストエッセイ本にレシピ集、写真集、画集、絵本に童話、ゲームの攻略本に某アニメの設定資料集、パズル雑誌にまんが情報誌、学術書、学術雑誌、エッセイ、辞典、プラモ関係の雑誌に英語関係の雑誌、ちょこっとだけど洋書、
……ごくごくありきたりなもんしかないので恥じようがない。
恥ずかしいのかなあ。というか、恥ずかしい、と思うべきなのか? 見られたら恥ずかしい本て、本棚って、どんなの!? 知りたい。もんのすごく見てみたいぞ。

どんな本なら恥ずかしいのだろう? そういえば、ロマンス小説は恥ずかしい存在らしい。ポルノグラフィの類もひとによっては読んでいることを知られたくないかもしれない。
黒魔術がどうとか、そういうオカルト系か? 
死体写真集なんかの悪趣味系?
ヘテロだけれどレズビアン/ゲイ雑誌を買ってる、とか?
オトナなのにまんががだのライト・ノヴェルが! とか? 私の知人(女性)はゲイのヴィデオ持ってた。ゲイもの好きだから。あと、何故かフラ○ス書院も。ゲイの雑誌も買ってた(でも存在を「さぶ」ぐらいしか知らなくて、「薔薇族」と「アドン」・「サムソン」・「バディ」等の存在を教えてあげたら喜んで買ってた。……卒論書くのに資料欲しがってたからなあ)。まあ、確かに目立つところには飾ってはいなかったけど(笑)。

見せびらかすものではないだろうけど、「見られたくない」、と強固に拒否したいキモチは何に起因するのだろう? 何がどんな風で「見せられない!」のか。気になる…。
今まで「ああ、レジに持っていくのが恥ずかしい!」と思った本がこれといって特にない私には、まったく想像できないのだった(あ、そういえば最初の頃はHQを買うの、気恥ずかしかった。あの表紙は購買意欲を減退させる素晴らしい効果がある・笑)。

「カルトな本棚」に登場する御仁は皆誇らしげにというか楽しげに、あるいは何のことはない事実としてある種淡々と、コレクションを見せてあれこれ語ってくれてます。訊き手がまたツボ抑えてるし。
……ロリータ趣味の落語家さんの蔵書は、さすがにちょっと(?)ヒいてしまいましたが(しかし私の恩師のご友人に、「7歳以上は女じゃない!」と公言して憚らぬ方がいらした。コワイかも・涙。と、とりあえず、趣味・指向で留まっているのであれば、ええ↓)。

「建物探訪」ならぬ、「書斎探訪」てのを、どこかのTV局で放映してくれないだろうか。前に「部屋の住人の性別や年齢、職業等を部屋のインテリアや蔵書から推理する」という番組があった気がするのだが、ああいうのでもいいなあ。楽しかった。
でもきっと、断られて苦労するんでしょうね。

「いいじゃないですか、奥さん。恥ずかしがらなくても」
「ええっ、でも、ヒトサマになんてお見せできません…!」

…いかん。土日の朝には間違っても放映してもらえなさそーだ。

電車内でカヴァかけて本を読んでるひとを見ると、何を読んでるんだろう、と思うのと、同じ感覚なのですが。見たがる私がヘンなのか?
そうだなあ、見せたくない、と思ってるのを見たがるわけだから、…少しヤラシサがあるかもしれませんね。私ったらイケナイわ。

でもまあ、隠微なるが故に淫靡である、と。
女性の書棚の中故に、でしょうか。
フロレスタ エアコン室外機カバー 900 MG-2519
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あまりの突然のことに、呆然とした。
彼が、壊れてしまった。見れば止め処なく流れる涙。
押さえても押さえても、勢いは変わらず、押さえた私の手からも溢れ出し、するすると腕を伝う。
お願い、止まって! お願いだから!! 誰か、誰か、彼を!

……助けて、神様電器屋さん!!

クーラー。御歳約3歳。ウチに来てからというもの、夏場には時々活躍していた。でも今年、突然トラブルが。
……私の住む地方は、どちらかと言うと、「夏は涼しい」という「幻想」を抱かれる。「幻想」ではないこともあるのだが、夏は夏、暑いものは暑い。おまけに今年は例年になく暑いのだった。

宵っ張り一家にあって、彼が背負った負担は尋常ならざるもの、であった。1日24時間のうち、ヘタをすると4時間程度しか「休み」がない。おまけに、暑がりにもほどがある父が、気温30℃以上がデフォルトの今、20℃あたりに設定したがる。父よ。黙ってそこに居るだけで、そこまでの冷気が必要か? 落ち着いて考えろ。…とは言っても聞く耳持たぬ故、言えぬ。逆に気分を害してしまい、後数ヶ月まともに口を利かぬ状態になることも日常茶飯事である。家庭の健康のためにナニカを踏みにじっているような気がするのだが、……。

昨年はさほど使うこともなかった。よほど暑い日でもない限り、扇風機程度で凌ぐことができたのだ。でも、今年は違った。
毎日フル回転。鞭打つが如く働かせた。おおう、人非人。
そのツケが一気に来たかのように、昨日の夜、突然クーラーは水をだうだう吐き始めたのだ。それに最初に気づいたのは父。
さすが父! おたつくだけで何もできず、言った台詞が「あれ、どうしたんだ!?」……って、お前がどうかしてんだ!! 止めろよ、水を! タオルその辺にわっさーあるのを使って、とりあえず水の出る場所を塞ぐとか何とかできただろうが!!
……我が家では「役立たず」と「男」は同義語である。はははは。
必死で水をくい止め、濡れたものを片づけ水気を切りつつ、なおもしたたる水をタオルに吸い取らせる。それを見守る父。……アンタ、ほんっっっっっっとに、使えないよ!
「説明書見て下さい。何か対策が書いてあるでしょう」
私に言われるまで気づかない父。説明書見るなり、最初のペエジから必死に探す父。をい!! そういうのはなあ、最後から見たほうが早くねえか? なあ、ふだん、何見てんだ?(父はおぬうの電化製品が家に来ると、真っ先に、みっちりとマニュアルを読み込むタイプである)内心毒づくが、それは直接口には出さない。家内安全・爆発寸前。
「お父さん。最後のページです、最後。そのあたりに、何か通常とは違った状態になった場合のことが記してあります」
父はもたもたしている。ええい! 貸せ! 
私が該当箇所を見つけたものの、どう対処すべきかは明示されていなかった。とりあえずコンセントを抜くだけ。あとは水で濡れてしまったものの始末である。その後、父に様子見をさせ、私はネットで原因等を調べ始めた。
というわけで。昨夜は一気に人工涼夜から天然熱帯夜と化したのでありました…。

本日、取り付けていただいた電器店さんから、修理の方をお呼びして、見ていただいたところ、排水のためのパイプが詰まっていたのが原因だったそうです…はあ…(ため息)。あまり使わなかった昨年の水気が埃等と相まってヘドロ化し、それが詰まったがために排水できず、今回のようなことに。

クーラーを酷使した自覚がおありの際は、室外機付近、排水のパイプからちゃんと水が出ているか日々観察なさることをオススメ致します。出ていないと、ウチみたいな目に遭うわよ…(まるで呪詛のようなつぶやきだなあ…)。

天井付近で再び頑張り始めた彼を見つめる。
よっ、水も滴るイイ男。見上げたもんだよ我が家のクーラー。
……頼む。ナンボでもホメちゃうから、水吐かないでー!!

修理に来てくれた方には、料金とともに、心ばかりの感謝の印に、キンキンに冷えたジュースなぞを御進呈。
お兄さん、炎天下での地道な作業、ありがとうございました。
ジス・イズ・ニューヨーク
ミロスラフ・サセック 松浦 弥太郎
4860201000

悩んでいる。何もそんなことで悩まなくても、と思う反面、限られた財源と部屋の面積を思うと、「じゃ、両方ね♪」などと軽く言っていられないのが現実。

サセックの"This is"シリーズが復刻と相成り、購入したい、とは思っているのだが。どうせなら英語版を購入しよう、と当初は思っていた。けれど、日本語版も捨てがたいのである。

日本語版に使用する本の中の絵、これが、アメリカの復刻版とは異なり、原書の初版の絵を取り込んでオリジナルに近い色合いを再現し、なおかつ裁ち落としで損なわれた絵も忠実に復元した、というではないか。
……絵の素晴らしさを堪能したい。だが、せっかくなら英語のまま読みたい。
もっとも、訳されたのはかの松浦弥太郎氏であるからして、日本語版に期待しても良さそうではある。でも英文にも触れたい。……どうしよう……。

多分、当分これで悩むことになる。また絶版になったりする前に、どうにかしないと(だいたい、版元がブルース・インター・アクションズ、というところもちょっと不安。良書を提供してくれるけど、絶版になっちゃうのも早くて泣ける…)。
朝あそび
milk & honey factory
4872901541

宵っ張りなのは昔からだ。幼稚園くらいからすでにそうだった。夜更けてからばかり、あれやこれややり始めてしまう。最近は不眠症が復活しているので、なおさら。それも手伝って、夜になってからいきなり部屋の片づけや雑誌の整理を始めてしまう。一度崩れたサイクルは、なかなか元に戻すのが難しい。朝、くたくたのまま起きねばならない。休みの日などは昼近くまでだらだらとしている(できればいいほうなのだ。眠れない時、最悪疲れていても横になっていること自体が疲れたりイライラしたりする……)。

だからなのか、朝にあれこれやることに、異様に憧れている。ひとり暮らしの頃は、土日が待ち遠しかった。何かに忙殺されることもなく、自分の好きなように時間を使える。とても、贅沢な気がした。事実、贅沢であったと思う。
朝のシャワーあるいはお風呂、はとてもとても気持ちがいい。午後の強い陽射しとは異なる、やわらかな陽が差し込む浴室で、ふんわりと湯気と石鹸の香気が立ち上るなか、温めの湯に浸り、音楽を聴いて過ごす。バスタブの縁にハーブ・ティのマグ。

洗濯もいい。ごうんごうんと私ではなく機械がひたすら頑張るわけだが、ほどほどにしわをのばして干す作業が楽しい。洗濯機が唸る間、雑誌をめくってみたり、紅茶を淹れてみたり。ちびちびと啜りながら、作業終了のアラームに呼ばれるのを待つ。

いちばん好きなのは、旅先での散歩。私は場所が変わったり、誰かと一緒だとあまり深い眠りは得られない。たいてい、泊まった翌日、初日の朝は早めに目が醒める。学生時代、アメリカに行った時もそうだった。時差ボケもあったと思うが、やはりまともに眠れず、イライラしてしまい、ひとりで dorm を抜け出して、仄かな薄闇が解けてゆくキャンパス内をそぞろ歩くのだ。
朝、キャンパス内を散歩するひとは意外に多かった。夏休み中なので、基本的には学生ではないと思しきひとが多数。まったく面識のない私にも気軽に"Good morning!"と声をかけてくれる。ジョギングをしているひとも数人見かけた。時々芝生の上を栗鼠が駆けてゆく。

天気がよくて、気温もほどほど。そういう時にあれこれするのは、少しだけ特別に思えた。些末な日常の雑事でさえ、楽しかった。weekday ではその「些末な日常の雑事」を「楽し」めないからだ。
私のひとり暮らしをしていた当時の「仕事」は、「やらない」と決めたが最後、何をする必要もなく、「やらねば」と思うなら際限なく次から次にやるべきことが生まれる類のものだったので、平日の家事はやっつけ仕事でしかなかった。家事にだけ没頭できたらどんなに楽しいだろう、と、専業主婦の経験のない私はいつも思っていた。

「夜遊び」とはよく聞くけれど、はて「朝遊び」とは?
……本書では、多分、十分な追体験などはできない。それぞれのアイディアと、それを実践したひとたちのカケラが写真やちょっとした文章に託されてそこにある、という程度。
でも、「朝にこそ、朝だからこそのゆったりした充実した時間を過ごそう」という、のんびりした気分をこそ味わうべき、のハズ。あれこれ一々提案されては、「これもやらねば、あれもやらねば」、そんな気分になってしまうかもしれない(…私だけかも)。
カケラを眺めているうちに、自分の心に芽生えた「味わってみたい朝」への、のんびりとした探求心に気づいてどう実践しようか考える、のがいいのではないかと思う。

さほど奇天烈なアイディアがないのは逆に、誰もが持ってみたい「豊饒なる朝」というものは、さほどオリジナリティに溢れたものではない、ことを表しているのかもしれない。かっとんだアイディアが欲しい方は、やはり御自身の創造力で生み出さなくては(それにはそれなりのパワーが要りますねえ)。

何でもないことが贅沢なんていう毎日に置かれているのだ、という単純な事実にも気づいて、少しだけセツナかったりする。
古きよきアメリカン・スイーツ
岡部 史
4582852335

どうも私とは相性が合わない本であるらしい。
題材故に興味を持ったのだが、タイトルからかなり期待を寄せて読んだものの、「?」だったり「!?」だったり、時には「??」なところもあって、……どうもすっきりしない。

さて取り出したるは「ロングマン現代英英辞典」。sweet の項目の二つ目(名詞)を調べてみる。
1 a small piece of sweet food made of suger or chocolate, etc.
2 sweet food served at the end of a meal.

――例文及び今問題にする必要のない意味は省いたが、私が"sweets"と聞いて思い描く概念と一致していた。
ところがこの本、目次を見て頂ければわかる通り、soft drink であるところのコカ・コーラもあれば、メイプル・シロップ、ピーナツ・バタも登場する。ひとつの章としてページが割かれているのだが、……私の思うところの概念とは一致しないモノ、だったので、戸惑ってしまった(購入前は、とにかくタイトルで「面白そう!」と食いついてしまい、内容を細かく見ておくのを怠ってしまったのだった…。食べ物ネタだからと油断したか…)。カタカナで「スイーツ」であって、英語で書いてたわけじゃないものね、と思うべきなんだろうか。
「古きよき」と来たので、 勝手に想像を膨らませ、例えば「大草原の小さな家」に登場するようなホット・ビスケットだの、そういうものを思い浮かべていたのだけれど、……。ガムもあればポプコーンもありで、何となく自分の中で「あれ? snack も sweets って呼ぶのか?」だのと、いちいちひっかかってしまって、すんなり読んでいけなくなる(それを言ったらここで言うビスケット、も、菓子というのとは微妙に違うかもしれないけれど)。
メインとして、所謂 sweets を取り上げたあと、番外編として記述する、くらいに留めておかれたほうがよかったのでは。
それ以前に、「ピーナツ・バタはお菓子かおかずか」と(読ませるための効果を狙ってのことだろうとは思うものの)自問自答を始められるに至っては、……うーん(困惑)。そもそも主食・副菜という考え方が欧米には希薄だとも聞いているし。

私にとってあまり好きになれない点はもうひとつあって、「著者自身の意見を、イコール日本人の大半が持つ意見、として書かれる点」。どうも気になってしょうがない。
「日本では何かと軽視されがちなお菓子であるが…」と本文にあるが、そうなのだろうか、と私個人としては非常に疑問。軽視されている、という印象がない。男性誌ですら「美味しいスウィーツの店」特集を組む昨今である。軽視されているのか? まだ「ふだんの食事ほどは関心が持たれない時もある」ぐらいなら素直に読めたのだけれど。レシピ本はこれでもかと出版され、各国のお菓子が味わえるこの国で? 軽視されてる? はて。

「ブラウニーズ」について語る章などは、落胆することしきり。
著者は初めて見た時、「不器量」で「野暮ったく」、「不気味」にすら見えた、のだそうだ。それは potluck party でのこと。
持ち寄った料理の中にブラウニーズがあり、天板に載ったまま、テーブルの上に鎮座していたそうだ。切り方も不揃いで、大雑把に見えたらしい。いかにも、手作りの、ホームメイドなお菓子然として見えるありふれた光景――私にとっては。だが、筆者にしてみれば衝撃的だった模様。その理由は「日本人にはデザートと言えば、ともかく色彩や形の美しさが重視されるものという印象が強い」からだそうである。
…………じゃあ私のことは、その「日本人」から除外して。プロの仕事ならまだしも、厚意でつくった手作りの菓子にまで出来映え・見映えの良さを追求したこともする気もないから。

私は比較的「ああ、ココではこういう感じなのね」と受け入れて終わってしまうところがある。例えば自国なら自国での在り方とは異なるのだな、という「発見」に繋がり、それを楽しめる(時と場合にもよるとは思うが。奇天烈ならそれはそれで楽しい)。件の文章の主語が「私」であれば、何とも思わなかった。一息に「日本人は」と括って語られるのが受け付けないのである。
どうせなら、何故見た目が華やかかつ豪奢ではないのか、という点に着目し、ありきたりとは言えピューリタニズムとの関連性について考察するぐらいのことをして欲しかった。それでこそ「古きよき」アメリカを窺い知ることのできる一助にもなろう、と私などは考える。著者にそんなつもりは毛頭なかったと思うのだが、決して華麗ではないケーキを小馬鹿にしているように思えてしまって、切なくなる。

私は素朴さと、味わいの rich さ(ひとによっては重く、クドイわけだけれど)がキモだ、と思うのだけれど。
かつての職場仲間だったカナダ人女性は、日本(特に私たちが暮らす地域)ではめったにお目にかかれるものでなかったために、想像しただけで昇天しそうなほど(笑)たまらなく食べたくなる菓子であったらしい。つくるための材料などを訊いたところ、彼女は列挙していくうちに「ああ……」としばし恍惚としていた。


色々と調べておられるし、基本的にはたいへん興味深いのだが、御自身の体験とその時に思われたことが率直かつ個人的過ぎて受け付けがたく、場合によってはことばが足りなくすら思える。客観性の在り方が私好みではないようだ。

一見美味しそうに見えるものの、いざ食べてみると少々のど越しが悪かったお菓子、をつまんだ気分である。
紅茶の役目を果たす何か、を探してみよう……。
マーマリング・トーク
杉浦 さやか
4576011448

アナログなものしか持ち得ないあたたかみと、ちょっとだけつきまとうもどかしさ、がとても好きだ。

email 、便利。友人と緊急の連絡取りたい時も使うし、どうでもいい話をしたい時も使う。
chat 、目の前に居ない友人と、文字を打ち出し合って会話する、どことなく不思議な感覚も、慣れてきた(私は private な chat しかしたことがないので、おそらく3人以上の chat は無理…)。
net 、情報をたぐり寄せるのには手っ取り早い。家に居ながらあれこれ購入できるのも便利。本とかDVDとかCDとかね。

でも、本当は、手紙、という手段/モノが、いちばん好き。
どんなレター・セットを使おうか、切手はどれにしようか(郵便局に行くことがあれば、その時気に入った記念切手を数種類買っておく。…時々貼るのがもったいないほど可愛いのがあって困る。誰かの手紙に惜しんだそれが貼られていると嬉しい)、悩むことすら楽しみのうち。書く作業自体は、数時間、時には数日間に渡って綴る。…互いに便箋20枚くらい書いたのが、友人と私の間を何往復かしたこともある。封筒、飽和寸前。
相手も、同じように、選び抜いた可愛い便箋やら封筒で、応酬してくるので、手が抜けない。ステイショナリィの店に行くと必ずレター・セットをチェックしていた。あと、ペンとスタンプ。
FAXも好きで、メールが私にも友人にも共通で便利なものとして登場するまでは、活躍しまくっていた。一晩に5~6往復のやり取りをするのはザラ。変なイラストを手書きで入れたオリジナルのフォームで送ったりもらったり。日常が4コマまんがになって届く日もある。書いた小説を送信して読んでもらったこともあった。オート・カッターなしの
FAXに、留守中送ったり送られたりすると巻物がゆかに…。

メールより、時間はかかる。でも、それが嫌いではない。待つ間、友人に、そして自分に、どんなことが起こるのか。
今度手紙をもらったら、あれも書こう、これも話そう、とわくわくし、同時に、新たな「楽しい」と「嬉しい」を探した。

一時期、妙に好評だったのは、手紙に同封していた paper。
B4の紙を三度折って、八つの四角をつくる。それに、ちょっと手を加えると、B7サイズの booklet になる。ステイプラー無用、誰にでもつくれるお手軽なモノ。
表紙と裏表紙になる部分を除いて、その時々の近況や、買って嬉しかった可愛い雑貨、読んだ本の感想などと、ヘタなカットも交えて書(描)き込んでゆく。あとがきもつけて、表紙にはできるだけ丁寧に絵を描く。奥付に日付を記入して、完成。あとはコンビニでコピーを取って、本のカタチに仕上げるだけ。
ある友人に読んでほしくて手紙に同封していたのだけれど、ふだん頻繁に会える友人にも欲しいと言われてあげるようになり、試しに違う友人への手紙にも同封してみると、バックナンバーはないのか、と問われたり、そんなこんなで、気がつくと、常時4~5人分を発行していた。手紙のやり取りをしていた友人も触発されて、同じ形式の paper をつくって同封してくれるようになったり。実家から遠く離れた所に住んでいる間、手紙やFAXは私の日常を潤してくれた。とてもとても、楽しかった。

大好きなイラストレーターの杉浦さやかさんも、同じようなことをしていらしたらしい。ごく親しい御友人に個人新聞をつくって送って差し上げていたのだそうだ。可愛らしく丁寧な絵と字で綴られたそれは、きっともらう方も嬉しく感じていらしただろう。
観た映画の感想が、イラストも添えて書かれている。登場人物たちのファッションや表情、作中の小道具や風景、そういうものが彼女の目を通して紙の上に再現される。
食べて美味しかったお店、旅行先で出会った人々と生活、骨董市での戦利品報告……楽しくて嬉しくて可愛い、の大洪水。
コンパクトに、見映えよくまとめてある。その集大成がコレ。6年半分がまとめられている。「仕事」ではないのに、とても丁寧に描いていらっしゃるのが伺える。さすがプロ故!

などと、紹介するための文章を打ち込んでいたら、書きかけの手紙があるのを思い出した。

久しぶりの雨の音でも聴きながら、ゆっくり続きを書こう。
我が家はとにかく「本」というものに対する「差別」がなかった。そのことに関しては、本当に両親に感謝している。まんがだろうが絵本だろうが、「書籍」という体裁のものであれば何ら咎められることなく読むことが出来た。父が自ら私のために、とまんがを買ってきてくれたほどである(手塚治虫、という名前と、何となく女の子には面白そう、という理由で買ったのだろうけれど、その作品は「ユニコ」。……実は、とてもとても erotic な作品・笑。not for kids! 確かに、表向き可愛らしいのだけれど、何というか、fetish な淫靡さがあって、幼稚園児が読んでいいのか、と思わず内心ツッコミを入れながら読んでいたのであった……。だって、傲慢なオットコマエが、攫ってきた女の子を、人が入れるくらいのでっかい鳥籠に入れて「私の気の済むまで歌え!」ですよ? 鞭ふるいまくるし。 ……えっちいなあ。どうりで長じて後ロクでもない小説を書い…いえ、何でもありません)。

……ええと。そういうわけで、本に不自由したことはなかった。童話の全集、学習雑誌、絵本、まんが、なんでもアリ。
私がかなり成長するまでお小遣い制導入はなかったので、基本的に「欲しい本があります」と申請して買ってもらえるのだ。そして、たいていは何の問題もなく手に入る。
ちなみに、私が子供の頃にファミコンが登場したけれど、「ファミコン・ソフト買ってもらえるお金で何冊本が買える!?」と換算してしまうような人間に成長した。…実は私の両親はフ○ー・メイ○ンのメンバーで子供を洗脳し(略)。

幼稚園に通っていた頃、毎月楽しみにしていたのが、今も人気を誇る、福音館書店の月刊絵本だった。paperback よろしく、製本そのものはコスト削減のためもあってか堅牢とは言い難いつくり。読んでるうちにボロボロになりそうな。
さらには、カトリック系幼稚園に通っていたせいか、「ひかりのくに」という別な会社の月刊絵本も購入してくれていた。
いずれも、薄いけれど、豊かな世界があった。

せんたくかあちゃん
さとう わきこ
4834008975

この「せんたくかあちゃん」も、当時のまま、薄い絵本の状態で家にあり、今も私の部屋にある。この本以外にもごっそりと(歳の離れた兄も居り、彼もまた購入してもらっていたので、おさがりとしてそのまま私がすべてもらいうけたのだった)。
絵本に出てくるかあちゃんの、豪快で快活なところが好き。
この表紙からしていい。洗い桶に洗濯板!!
何よりも洗濯が大好きで、天気がよいと何でもじゃぶじゃぶ洗う。衣服は言うに及ばず、カーテン、シーツ、靴、さあそろそろアヤしくなってくるぞ、傘に犬・猫、子供、何でも来い! ……いや、子供とか動物までロープに釣り下げて干すとは! ゴーカイだ、かあちゃん! パペットマペットの先行くね!(※注:お笑いコンビ・パペットマペットさんはお風呂が「全自動」でいらっしゃいます…。牛くんの白さの秘密、それは漂白剤……。塩素系じゃないよね?)最終的にかあちゃんが洗ったものがまた…!
「ママ」でも「おかあさん」、でもなく「かあちゃん」。不思議なほどあたたかく響く。いいなあ。

お洗濯がキライじゃなく、それどころかちょっと好きだったりするのは、技術の進歩で洗濯機が便利だから、というのと、このかあちゃんの功績だと、私は信じている。

そして、そのかあちゃんほか、ユニークな面々に会えるチャンスをくれた両親に、お礼を言わなくては。
食べ方のマナーとコツ 暮らしの絵本
渡邊 忠司
4054025374

とあるお店で食事していた時。子連れの一行が大きなテーブルに陣取り、賑やかに食事を始めた。

なんとなくいたたまれない気分になってしまった。
お、おばさま……それはちょっと……。

子供たちの御祖母様と思しき女性が、パスタをオーダーなさった。和やかな、よくある光景がそこにある。はしゃぐ子供、なだめる母親。少しずつ運ばれてくる料理。ただ、一点だけ、私の中ではNGなものが存在していた。
おばさま。アナタです、アナタ。
それは、いかがなものかと、……(絶句)。

正直、食べ方が美しく思えなかった、のであった。背を丸め、器に半ば覆い被さるかの如く、食べ続けるのである。パスタを食べる時、皿を持って食べることはしない(私はですが)。
食事は、美味しく食べるのがいちばんだと思う。その方にとって、いちばんラクな、美味しく味わって食べられる状態だったのだろうと思うのだが。

が、なのだよ。But。しかし。けれども。

おばさまー! お孫さんもいらっしゃるのよー!! その姿勢と食べ方は正直よろしくないのでは、と年下のワタクシが老婆心ながら申し上げますわ! およしになられませ!!
私が小学生の頃は「犬食い」と称して、行儀が悪い、と言われていたのでございます~~(涙)。

そういえば、かつて仕事先で知り合った女性が、思い切り両肘を脇に突き出して、お皿からせっせと口に食べ物を運ぶのを見た時も、かなり吃驚したのだった。そ、それはアリなの!? 「脇しめてー!!」とボクシング・ジムでもないのに叫びたい衝動にかられたのは、あれが初めてでございましたよ。
ふだん、そうやって食べてるから、御本人にはごく自然な、ごく当たり前のことだったのでしょう。翻って、私などがそんなことをしようものなら、両親から「そういう食べ方はだめ!」と幼少の頃より注意を受けたかと。つい自分を基準に「親御さんは注意なさらなかったのか?」と
見入ってしまった私である。……反省……。

「食事をしているところを見られるくらいなら、セックスしてるところを見られるほうがマシ」と言った女優がいたとかいなかったとか。
リラックスして、美味しいものを美味しくいただく。素に戻った、取り繕うことのない自分を晒す、そういうある意味ひじょうに「無防備な」自分を見せるなんてできない。見られるなんて耐えられない。
おそらくそんな心境を表すコトバなのでしょうが、どういうわけかふと今日、「その時」思い出しました。
食事、という、ウチだろうがソトだろうが、関係なく行われる日常の行為というものは、そうそう取り繕えないのだわ……。

食べる仕草の美しいひとに憧れる。一朝一夕で身に付くものではないから。
JOHARI’S WINDOW
サー・リアル
B0000566L3

ジョハリの窓――2人の心理学者 Joseph Luft と Harry Ingham によって提唱された、コミュニケイションの円滑さを量る上でのモデルである。2人の名前を組み合わせ、Johari Window と言う。
それによると、ひとのココロには4つの領域があるのだそうだ。

1:私も他人も知ってる自分。
2:私は知らないけれど他人が知ってる自分。
3:私は知ってるけれど、他人は知らない自分。
4:私も他人も知らない自分。

これらを知ることで自分を再発見し(これを feedback と呼ぶ)、自己分析・自己認識に結びつけ、ひととの関わり方を見つめ直し、より円滑なるそれを見出すことができるものであるらしい。……心理学専攻ではないのでぼんやりとしかわからないけれど、おおよそそういうコトである、らしい。

「自分のことは誰よりもこの自分自身がわかっている」と断言するひともいらっしゃるでしょうが、決してそんな単純ではない模様。……知っているつもりでも、自分の中には、他人も、否、自分すら知らない領域がある、のです(らしいです、はい)。

ネットというのはまあ便利なもので、こんなサイトがあります。あまりの楽しさについ友人知人にもやってみてね、などと勧めてしまうのがコレ↓

キャラミル研究所

これも、要は自分を見つめ直すきっかけになってくれるモノです。
簡単な質問に答えてゆくとあら不思議、自分の持つコミュニケイションの傾向性や、考え方、その表し方の「クセ」、がわかるのです。……やってみると、当たってて楽しい(笑)。
そして、このサイトで提唱されている主旨として頷けるのが「ひとにはそれぞれ違いや個性があって、それぞれがどうイイとか悪いという問題ではない。得意な分野があれば、苦手な分野がある。それをわかっていれば、自分のクセや傾向性と上手に付き合っていける」というところ。
自分の傾向性を知って、それを否定せずにうまく活用したり、あるいは自分の悪い面を知っても、今後はそれを踏まえた上でひととの関わりを築いていこうと考える、その健全なところが、個人的にはとてもいいなあと思います。
そりゃあとんでもなくダメなところは改善すべきでしょうし、否定されるべきなのかもしれないけれど、そのひとの「個性」の一部であるならば、いきなり否定するのもどうかと思うし、まずは受け入れる、それからどうすべきなのかを「自分で」考える、それがダイジなのではないかなあ、と。

とりあえず、試してみられる時は、ひとりで、がベストです。友人なんかと一緒にきゃっきゃ言いながら、も楽しいのですが、設問に対する答えを自分以外も見ているのだ、と思うと、本当に正直に答えられなかったりすることもありますから。
ひとりでやってても、十分に笑えます。ついでに、その思いを掲示板にぶつけ、分かち合うこともできます(笑)。

開発者さんたちなりの「根拠」をもってつくっているのでそれなりの説得力もアリ。それでいて、ゲーム感覚で、単純に楽しめるところもまた好しです。

さて、試してみられた方、結果はいかがでした? 友人同士で結果を見せ合うと、盛り上がります。でも、「当たってるよ、ソレ~!」とカル~いノリで言ったあと、相手がどう感じるかまでは、私もサイトさんも責任持てません♪

私の結果? …言わぬが花。これで察して下さい(笑)。
  
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