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おいしくてかわいい
伊藤 まさこ 渡辺 有子
4391129892

ジャケ買いならぬパケ買いとでも言うのか。パッケエジが可愛い「から」買う、というのはよくある(私は)。
正直な話、パッケージだの容器目当てで買う。かなりの頻度で。
パッケエジ、容器が可愛いというだけで、何となくうきうきするのだ。それで食べて美味しかったら儲けモノ。空き瓶だのを再利用するために買っている。……馬鹿だなあ。必死で中身を食べているあたり、さらに馬鹿。ばかばかばか。おまけに、時々ムキになって中を空にしたクセに、はたと「……何に使えるよ?」と自問自答を始めるに至っては、……かけることばが見つからない馬鹿である。
食べられることだけは確実なので、それはもう完全に、容れ物目当てである。勢いである。「好き」の瞬発力である。
ええい、ムダムダムダムダァァァァァッ!!

でも、可愛さにも注目しつつしっかり美味、なものを集めた本まで出るんだから、ははは、御同類多し。

すでにベタでかつ有名な「ボンヌママン」等を外さないところはお約束。既知のものでも改めて可愛いと頬をゆるませたり、こういうモノもあるのか、と見入ったりで、楽しい。
基本的には味は当然のこと、容器や見た目の可愛らしさも重視、というあれこれを紹介している。タイトルに偽りナシ(多分)。
ああでもすでにヨコシマな思いで見つめてしまう。その瓶を、箱を、容器を、どうやって使ってやろう? って、そっちが先かよ! 相変わらず本末転倒……。いやいや、ソコがこの本のキモ、なんだけど。容器ありき、しかも美味しいを追究(?)した上でセレクトしたものが並んでるのがコレなんだから。

でも、思ったより紹介されているものは多くもなくて、何にこだわったが故だろうかと考える。味? 見た目? 取り寄せの可・不可?(その情報もちゃんと記載されている)それらのバランスを見て、厳選した結果、なのかしら。「本」としてのボリュウムが欲しかったなあ、と少し残念。
オススメの食べ方とか、容器の再利用法といった、「読み物」の部分なんかももちろん楽しめますが。じっくり読み込むための本というよりも、気軽に眺めて楽しむ本。まあ、基本的には手の混んだ可愛いカタログ本、なわけだし。著者お二方が好きな方には買い、といったところ。

とある知人を思い出す。
「ねえ、見て見て~~♪ コレ、可愛いでしょー?」
と持ってきて見せてくれたのはクッキィが入っているらしき大振りの丸い缶。その深さからいって結構な量が入ってそう。つまり。ラウンド・シェイプ故にちょっと用途に迷いそうな気がしないでもないものの、収納力は有りそう、と見た。
「この缶が可愛いから買ったのよねーVv で、みんなで食べようかな、と思って持ってきちゃった」
――おおう、同志よ! とっととカラにしたいのね!
「でもさあ、アタシ、モノが溜まるのって、嫌いなのよねー。だから、缶はいらないんだー」
――は? でもその缶目当てで買った、んじゃ……。
「うん、『可愛いから』買ったのよ、もちろん。でも、モノが溜まるっていうのはイヤなんだ~♪ 邪魔だもの~。まあ中身は食べられるしね。美味しいらしいし。ふふふ。そんなわけで、さ、食べましょ。お茶あったっけ~?」

「姪っ子にあげたら喜ぶかなあ」などと言って、捨てはせず、カラになったソレをちゃんと持ち帰ってはいたけれど。

……げに複雑なるは乙女心。って、単に私と違うタイプの方だというだけなんだけど。
彼女は可愛いが故に買うけれど、その容器を使うためではなく、あくまでもデザインとして評価して買った、のだろう。質実剛健にして執着心のない可愛いもの好き、ということで(でも、だったら美味しくてパッケージも嵩張らないのがベストな選択だと思うんだが…まあそれはそれでいいか…。ある意味贅沢な楽しみ方だしなあ)。
私はどうでもいいようなモノに意匠が凝らしてあったり、という「有意義なる無駄」を愛するのであった。
故に部屋は愛すべき無駄で溢れている。――って、結局無駄なのね↓
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私が滞在させたもらったホームステイ先には2人子供が居た。上が女の子、仮にKとしよう。当時10歳くらいだったか。下が男の子で、Jは5歳くらいと記憶している。どちらも快活で行儀がよく、可愛らしい子供たちだった。
Kはショート・ヘアで一見ボーイッシュ。でも趣味はテディ・ベア蒐集で、結構なコレクションを所有していた。地元の何か(広報誌めいたものか新聞だったか…)でも紹介されたほどだという。私ものちに贈ったことがある。部屋がまたこれでもかというほどに可愛らしく、母親の影響か本人の趣味か、なかなかに上品でもあった。本を読むのが好きで、でもスポーツも大好き、とバランスよく色々と楽しんでいたように思う。歯列矯正をしていて、笑うとシルバーの輝きがちらりとのぞく。
Jはやんちゃでちょこまかとよく動き回る、よくいる男の子。お風呂が嫌いらしく、母親が手を焼いていた。
どちらもよく陽を浴びた干し草のような色の髪をしていた。

私たち学生にも懐いてくれて、何くれと無く「世話を焼いて」くれていた。そう言うのがぴったりなくらい、客をもてなそう、という気持ちが行動に表れていた。この一家はほぼ毎夏、私たち日本から来る学生をボランティアで受け入れてくれていたので、「もてなす」のも慣れていたのだろう。それでいて、自分たちの生活のペエスは乱さない。今でもボランティア、やってるのかなあ? とりあえず、元気でいてくれているとは思うけれど。

で。ここの家庭、ホストマザーは主婦業:仕事=7:3くらいの割合で、主婦業がより優先されてはいたものの、仕事も持っていたため、時々留守にすることがあった。私たち学生と、子供たちだけで留守番をすることになる。
子供たちは慣れたものだろうが、私たち日本人は少しばかり緊張していた。それなりに慣れはするものの、子供の英語は大人の英語とはまた違うムズカシさがあるので、ちゃんとコミュニケイトできるかが気がかりだったのだ。もっとも、そんなものはとっとと杞憂に終わり、皆でわいわいと楽しく過ごすことができたのだけれど。
「ねえ、面白いもの見せてあげる!」
長女がすっくと立ち上がる。
「来て!」
私の手を引っ張るではないか。ほかの学生たちもたき付け、ゆかから立ち上がらせると、「こっちこっち」と家の中を導いてくれるのだが。
おい、ちょっと待て。そこは、君たちの両親の寝室、だったと記憶しているのだがそれは間違いだったか? 何故そんなところへ~~。
「ねえ、そこ、お父さんとお母さんの寝室でしょ。私たちなんかが勝手に入っちゃダメだよ」
一応、抗弁してみる。誰のであろうが、やはり留守中に寝室に入り込む、というのはいかがなものだろう。当然の躊躇だ。
「いいのいいの♪」
なおもKは私たちを中に入れる。そして、ドアを閉めた。
「そこ、座って」
チェストの前にぺたりと座ることになった。
「待っててね」
Kが、企み度100あるゲージの95くらい突破した笑顔を見せる。をいをいをい。私たちは顔を見合わせてただ座っていた。
「見て見て~~~♪」

をいをいをいをーい!!

えーと。ブロンドのお嬢さんがバレーボールくらいはありそうなおムネを、惜しげもなくお晒し遊ばされてコチラに向かって微笑んでいらっしゃいますが。おムネだけならまだしも、ほかの部分も「どうよ!?」と言いたげなほどで。
またあのテの雑誌のモデルのポージングのお約束通り、「ほおら、ご覧なさい♪」と言わんばかりの堂々たるもの。素っ裸でそんなふんぞり返って微笑まれましても。いえ、大層お美しい方々ばかりではいらっしゃいましたが。
…………どうしろっちうんぢゃー!! というのが正直な感想。

私たちは気の抜けた笑いを漏らした。
「ヤバくない、コレ?」とMちゃん(同じくステイさせてもらっていた学生)が日本語でつぶやく。もちろん苦笑しつつ。
「お父さんの?」
冗談混じりに私が尋ねてみた。すると、Kは満面の笑みで
「ううん、お母さんの!」。
ええええええええええええええええええええ!? マジで!?
吃驚した。
ホストマザーにしろその御夫君にしろ、あけすけな、というかオープンにそういうことを語るタイプではなかったし(まあ初対面同然の私たちにいきなりそのテの会話してくるのもどうかと思うし、あり得ないと言えばあり得ないけれど)、想像もしてなかったから、単純に吃驚しただけ、なのだが。
別にこういう雑誌見てるくらいなんてコトない(大人だし)。ただ、「パパの?」とベタに訊いたら「ママの!」ときた(笑)。
ホストマザーは楚々とした雰囲気の、ごく優しいお母さん、という感じの方だったから勝手にギャップに驚いてしまった。それにしても何故「ママの」だとわかっているんだ??(多分、隠し場所からそう見当つけた、んだろうなあ)

数頁繰って見せてくれたけれどアラレもないお嬢さん満載。お嬢さんしかたまたま見てないだけかもしれないけれど、……ひょっとして記事の中には××で○○なアレとかコレも……混じってないか?(…………きっとそう↓)

病的なまでに隠蔽しておくのもどうかとは思うがの、子らよ、オトナにはあえて伏せておきたいものがあるのぢゃ。……ってまあ、その辺りわかってるからこそ、こうして親の留守時に探検をしては「ヒミツ」の在処を発見してこっそり楽しんで(?)いるわけだけれど。
さらには、私たち「オトナ」が彼らを見てオロオロしてみせるところをまた期待しているわけで。まったくもう。

でもって、その時、しみじみと思った。「こーゆーオトナがコドモに隠しておきたいものに限って、子供って、ちゃっかり発見してたりするんだよなあ……」と。洋の東西を問わないなあ、ホントに。
不思議と嗅ぎつけるものなのだ、子供というのは。

秘密にするから暴きたくもなるのだろうし。いやはや、子供って面白いわね(←見事なまでの他人事だ)。世のお子さまを持つ皆様方、「ココなら大丈夫」てな場所、まずないと思った方がよいのかもしれませんねえ。
……ええ、まあ、ワタクシの経験上から言っても。

Q:このオンナは過去一体、何を見つけたのでしょう(笑)。
ハウルの動く城 徹底ガイド―ハウルとソフィー ふたりの約束
角川書店
4048538039

呪い、というものは、大抵の場合「呪詛」と「祝福」を兼ねる。単なる災いではない。一方向からばかり見れば、それは確かに「災い」である。だが、他(多)方向から見れば――?

多分彼女は最初から年老いていたのだろう。魔女、そしてその呪いはその具現化、あるいは具象化なのだ。
呪ったのは――本当は、……彼女自身なのだろう。
魔女は
「呪いをかけることはできるけれど、解くことはできぬ」
そう言った。かけた人間が解けぬはずはない。だから、ソフィー自身が自分に呪いをかけていたのだ。自分には魅力などなく、享楽的なことは何一つ許されず、日がな一日小さな部屋でコツコツと仕事をこなし、夜を迎え朝を迎える。「可能性」、というものが、自分にもあるのだ、という単純な「事実」を、彼女は自ら封印してしまったのだ。
故に、彼女は老婆の姿をとる。それは諦観のカタチだ。
動かず、留まり続け、滞り、俯き、悲観し、あるいは諦める。「老い」がもたらすもの。同時に彼女はその「諦観」からこそ今までにはなかった「活力」をも手に入れるのだ。何もかもを諦めざるを得ないなら、何もかも手に入るかもしれないのだ。すべて手放さざるを得ないのなら、逆にすべて手に入る可能性だってある。
だから老婆の姿になってからの彼女はいきいきとしている。

きっかけは多分「恋」。偶然出会った美しい青年と、ほんの一時、束の間、誰も知らない――同時に誰からも隠れることなく――「デート」を楽しむ。天にも昇る心地、を地でゆくわけだ。
恋をする。恋、というものは、基本的には利己的なものだ。彼女にはなかった感覚、感情だった。何もかも諦めていた彼女に、父の残した店だからと言う理由だけでその店を維持すべく家に籠もりきる彼女に、どんな「利己的感情」とやらがあっただろう?
彼女は初めて自分で、自分が、何をどうしたいか、で動く。それと同時に、「愛」も知る。
相手の弱さも卑怯さも狂気もひっくるめて受け入れ、それでもその相手のために奔走する。
彼女の姿はその時々で変わるけれど、最終的に「本来の」あるべき姿に戻ってゆくのは、きっとそのせいなのだ。
「呪い」がゆるゆるとほどけてゆく。
自分を必要以上に卑下すること。自分にはいかなる可能性もないのだと決めつけて封印してしまうこと。何もできないのだと諦めてしまうこと。それをやめたことで、彼女は瑞々しい女性に「成」ったのだ。
でも、それは「老い」を認めたからこそでもあって。

基本的には、がーる・みーつ・ぼーいのオハナシ、だと思う。で、嫌いではなかったし、ポイントポイントで小さい笑いを取ってきたりで、楽しめなくもなかったんだけど、これまでのジブリ映画を見慣れていた私には、ちょっとだけのっぺりしたカンジがして、「う、どこがヤマだろう」とか見終えた後頭上にクエスチョンが10個くらいあったかも。
ある意味、原作本を手にさせるには最高の出来かもしれない。
物語世界の中の約束事とかが一度観ただけでは私には飲み込めず(それでも楽しめるには楽しめたのだがら問題ないといえばない、のだけれど)、……何かがちょっとだけ物足りない。観れば観るほどじわじわと面白さが増すのだろうか?

CVの皆さんはそれぞれ素晴らしかった。
美輪サマは言うに及ばず。倍賞さんはホントに少女らしさを感じさせる時があってうならされた。木村くんは……正直、姿が見える時よりずっとよかった(私にとって彼は、何の役を演じても、「木村拓哉でしかない木村拓哉演じるところの○○である木村拓哉」にしか見えないのだった……ファンの方、気分悪くなさったらごめんなさい)。ほかにもあんなひとやそんな方が演じていらして楽しめた。
音楽と映像美はいつも通り期待を裏切らず。

そんなわけで今原作の物語がとてもとても気になっている、のであった。……図書館予約いっぱいだよね……。

リリースされたDVD。相変わらずパッケエジがダサい……↓
ハウルの動く城
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 宮崎駿 倍賞千恵子
B000ARV0FW



ソックタッチが復活を遂げた時「マジかよ!」のツッコミを入れまくったものだった。
ソックタッチ。身体に糊でソックスをくっつけてズリ下がらないようにする、という考えてみると、分かり易く単純なれど即物的かつ乱暴なモノが、再びお目見えするなどとは、あのルーズ・ソックスが流行るのみならずわけのわからん進化を遂げるまで、思ってもみなかった(……あれ? 今でもあるのか? ルーズ・ソックスにしろソックタッチにしろ。私の住む団地、少子化を絵に描いたように子供が少なくて、高校生もめったに見ないからわからないや↓)。
そのあとも、「まさかアレだけは復活するまい」と思ってたものがわらわらと復活してしまい、ちょっと前まで「笑いモノ」だったのがあっという間に居場所を取り戻したりしていて吃驚したのだが、ひとつだけ、「これは有り難いかも」と思ったものが。……それはレッグ・ウォーマー。これを「オサレ」として取り込んだ時期が、かつてあったんだよなあ。それが、今見るとどうにも「ハァ?」なテイストで。70年代のピチっとしたTシャツだって、ピタT流行った時びっくりしたし(友人宅で70年代後半の少女まんが雑誌のプレゼント・コーナー見た時、「うわ、そうか、同時こんなん流行っとったんやった!」としみじみ吃驚したんだよなあ。巡り巡ってまた見ることになるとはねえ…)。

昔は冬場でも蒲団に潜り込んでしまえば、自分の体温ですぐにほこほこになってすこん、と眠ることが出来たのに、トシを重ねるにつれて末端冷え症が顕著になってきた。
手足の指先が冷える。友人に「死人の足」とまで呼ばれる恐ろしいまでの冷えっぷり(ひとり暮らしの頃、蒲団がひと組しかないので、友人が泊まったりすると一緒の蒲団で眠るのだが、女の子だと足の体温の奪い合いになり、男の子だと私が一方的に体温を奪い去ることになる。……死人というより何ぞの妖怪だ…)。
ひんやりした蒲団に入っても、冷えが消えず、目が冴えて眠れぬ。平生から温めておくことも大事よね、としみじみ思った。
そこでレッグ・ウォーマーですよ。試しにニットのものをジーンズだのスパッツの上からつけてみたら(以前、母が「また復活してんのねえ。寒い時重宝よ、きっと」とくれたことがあった)。あったかいじゃないのー!(涙)そうか。これは便利なものだったのね!(……いえ、その、ココロのドコカではづかしきもの、といふ感覚が……。ずっと、流行り廃りと関係なく身につけたり、身につけるのがフツーのバレエやダンスをやってるヒトにとっては何てコトないでしょーが、「流行したモノ」という情報がインプットされてる人間にはそんなもんです)

でも、何故か人前でつけよう、オサレの一部に取り入れよう、という気にならないのは、「かつて」を知ってたため、かもしれない(笑)。
とりあえず、当分消えないことを祈っておこう。
それにしても寒い……(外は暴風)。

どすこい。
京極 夏彦
408747755X

人前では読めない。笑いを堪えるので疲れ切ってしまう。これ、いいなあ。すっっっっっっっっっげえ馬鹿馬鹿しくて!(←褒めてます)おまけに、ものすごく馬鹿馬鹿しいのに、京極氏の知性とか聡明さが損なわれない、というのがスゴイ。流石でごわす。

「小説すばる」の新聞広告でタイトルを見ては笑い、一冊にまとまって出版された時の広告に寄せられた作家たちのコメントに笑い、今年今月、ようやく本文で笑うことができた。文庫になるまで読めぬ私は貧乏人。

一応というか一見というか、短篇集である。表紙とタイトルが雄弁に物語るのだが、これすべて力士、相撲取り、取的、角力、横綱大関関脇小結以下略、要はおすもうさん、にまつわるというかまとわりつかれてるというか、まあそういう話、なのだ(まあそういう話たあどういう話だ)。
むちむちとかどしんとかずずんとかそのテのオノマトペが似合うというか必然的にとでもいうのか、ちりばめられて然るべき(?)作品ばかり、なのだ。しかも4、50人からの力士がみっしりと膨満感を伴って登場しちゃったりするのだ。ええい、暑苦しい(文字のみのメディアでよかったなあ。これで映像だったらすごいよ。それ以前にカメラ曇っちゃって撮影どころじゃないよう)。
伊集院光様(好きなのだ)に内山信二くんに松村邦洋、石塚英彦氏にパパイヤ鈴木氏、そこに胡麻油とラアドとヘットをかけたくらいのクドさ満載の、かなりヘヴィな絵ヅラを考えて御覧なさいまし。
……待った(待ったナシ! 見合って!)。コンビニ店内で湯気で曇るガラス・ケエスの中にみっしり詰まった肉まんくらいにしとく。無難だから。

閑話休題。

しかも、すべて有名作家の名だたるベストセラー作品のタイトルや内容(の枠、ぐらいか?)のパロディになっている。ボケとツッコミの応酬、そのテンポの良さ、思わず高橋留美子を思い出してしまった。しょーもなさ全開なのにちゃんと面白い。

おまけにそこで終わってしまわないのがやはり京極氏。一編ずつ読んでも楽しめるんだけど、これはやはり一冊で存在してこそ意味がある。ようになってる。――円を、為しているのだな。最初の作品から最後の作品まで通して読むとそれに気づく。読み終わって思いましたよ。
作品が土俵――環のカタチになってるんだなー、と。
さすが『どすこい。』言うだけあるわ。力士で相撲取りで取的で(以下略)なだけある。わはははははははははは。
でもって、その作品が入れ子型になっているの。小さな「しかけ」が面白い。アホなものでも手を抜かぬ、その姿勢が私を魅了して止まない。細かいところまで凝ってある、その馬鹿馬鹿しさがたまりませぬ。

しかし、ダイエットせねばならんと思ってる女がこの小説であそこまで笑い倒していいものか……いやよくない(反語)。

今回は帯もまた凝ってる。遊べるようになってます。どう遊べるかは書店で確認して下さい♪
韓国ドラマNOW―総力特集ペ・ヨンジュンのすべて
主婦と生活社
4391618826

4サマ(……そう来たか。一発変換でコレなのか……。いったいどんな文章打った記憶がそうさせるのだ、我がPCよ)が来日「なさった」。
10億もの保険をかけて、というのでナニゴトかと思ったら。そうか。ファンという名の暴徒(笑)が大挙して波の如く押し寄せるのはやはりコワイのだな。何あるかわからないもんなあ……。

かつて美しかったことがあったかもしれないし、なかったかもしれない(皇太子様風味)、うら若きなどという形容をつけられた時期だけは確実にあったハズの女性たちが、カネとヒマとにものを言わせて空路も陸路も征し突き進み、笑顔を振りまきつつ出迎え、名を呼び、手を振り、フラッシュを浴びせ倒し、絶叫する。オンナはトシ食うとああいう「進化」を遂げるイキモノか。
……コワイよー。4サマじゃなくてもコワイ。私も予備軍なんだろうか。自分がいずれ異形の者として覚醒するのを待つような気分だなあ……(ヒドイ言いぐさだ)。

でも、あそこまで――理性というものを極限までかなぐり捨てて――何かに熱を上げられる、というのはある意味幸福だなあと思う。覇気のない私よりはずっと。

でも、うん、保険、かけといて正解だよ、4サマ。御身大切になされませ。
いついかなる時も「微笑みの貴公子」として笑みを絶やさぬその姿勢。仕事の内とはいえ素晴らしいなあと思うのだった。

AVP公開記念パック エイリアン/プレデター
シガニー・ウィーバー リドリー・スコット ジョン・マクティアナン
B00067SROI

日本作品のパクリつーものが、そりゃあもう昔からあったのだ、と岡田斗司夫氏の著作で知った。

エイリアンVS.プレデター
サナ・レイサン ポール・W・S・アンダーソン ランス・ヘンリクセン
B0009YGWRM

最近TVのCMなんかでもガンガン流れてますが、「エイリアンVSプレデター」、これはまあ一部のひとにとっては所謂「夢の競演」というヤツで(随分早い段階で、たとえばモデラーさんたちは好んでヤツらの対戦風景を造形化して雑誌等に発表していらしたものです。そもそもは「プレデター2」の終盤、彼らの宇宙船内にエイリアンの頭部らしきものが映ってたとかなんとか…)、この「プレデター」、日本の戦隊モノ(そう、あの「○○戦隊×××」、アレです)に登場した「ブーバ」というキャラのまんまパクリであることはとて~~~~も有名なんだそうな(しかもキャラクター・デザインした本人が素直に認めてしまっているあたり、また何とも…)。
「ロボコップ」なんて思いっきりメタル・ヒーローモノのパクリだし(メタル・ヒーローもの、と言ってわからない方のために念のため。やはり日本の特撮ものの中のひとつで、「宇宙刑事○○」という系列があるのですが、それです。要はロボット警官モノ、とでもいいますか)、それを受けて日本でさらにほぼ同様の設定で新たな宇宙刑事モノを生み出した、という経緯まであるときてる。ふえええ…。

スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー 初回限定スペシャル・プライス版
ジュード・ロウ ケリー・コンラン グウィネス・パルトロウ
B0007Y9LAY

最近だと「スカイキャプテン」のCMを観て、宮崎アニメの「ラピュタ」に登場する飛行するロボット兵を思い出しました。でもこのロボットの造型というのがまたアメリカ映画からのパクリで、これをさらにアメリカの映画でパクった、という堂々巡りをしていたりする……どないなっとんねん。

でも、正直、ある意味極上のB級、という気がして、「EVP」、観てみたかったりする(笑)。

名ソムリエの、ふだんワイン
柳 忠之 外山 俊樹
4023303550

酒はあまり強いほうではない。

友人主観と私主観では見解がかなり異なる…というか真逆になる。人前でオカシくなるのがキライで、本人は一口目が食道を通過して間もなく酔いを感じているのだが、必死ででろーんとなりそうなのを隠しているので、友人たちは「強い」と思っている。……まあ注がれたそばからすべてするする飲み干すその態度に問題もあるのかもしれない。わんこ蕎麦ならぬわんこ酒……何故私の周囲はああもタイミングよくグラスを満たすことができるのだろう……不思議だ。ホントに、いつの間にか次々ささっと注ぐ。


甘みがあるほうがより好きなので、カクテルかドイツの白、が定番になってしまう(居酒屋だとカ○ピスサワーとか、そういうヤツ。日本酒は、一ノ蔵の「あ、不思議なお酒」なんか大好き。ウマー♪)。以前恩師のお宅で御馳走になったワイン、たいそう美味しゅう御座いました(岸朝子風)。

で。こういう美味しいワインに巡り会って、もう一度同じのが飲みたいなあ、と思ったら。実は簡単らしい。ラベル(エティケット、と呼ぶべき?)があればいいのだ。
このラベルには必要な情報がすべて記載されているとかで、この中の「APナンバー(公認検査番号):A.P.Nr./Amtliche Pruefungs Nummer」がわかっていれば、究極「同じ」ワインが飲めることになる。
先日昼日中から飲んでいた(ほほほ、お休みでしたので)ワイン、これには 2 907 021 38 02 と記載されている。
左から順に(私が記憶しているところによると)、
生産された州 地域 造醸所 樽 検査年(※)
を意味しているのだそうで、「本当に」「同じ」となると、「樽」のナンバーに着目せねばならない、らしい。
同じ造醸所から生まれたワインであっても、樽それぞれ、微妙に味わいが異なるらしいので、ホントの本気でこだわるなら、そういうことになる、のだな。って。ひえええええ! でもねえ。ナンボ美味しいワインだったとはいえ、同じ年、同じ樽のワインに、再び巡り会えるもの、なのかしら。そりゃあ数日後、とかならあり得るかもしれないけれど(同じ店に、たまたままったく同じAPナンバーのものが複数本入荷していた、とか)。
同じ年の同じ造醸所は年が変わってもあるだろう。でも同じ検査年の同じ造醸所の同じ樽!? …って、まあ、要はそのナンバーを憶えていれば私のようにワインに詳しくない人間でも「あ、ココのは美味しかったなあ。また買ってみよう」というカンジの有益な情報になる、んだろう。

それ以前に、まだ「どうしてもあの味を!」と思えるほどによいワインを飲むべく、大枚をはたいたことのない私。手頃な値段でほどほどに美味しいものだからつい。
……って、ただのケチだろ、アンタ。

※出来た年、ではない。ドイツ・ワインは通常(大抵は)1年で出荷となるらしいが、ものによっては当然樽で寝かせてから出荷、ということがある。なので、エティケットに明記された年号(出荷・販売した年)と必ずしも同じではない場合がある。そういう時は、当然ながら表年号とAPナンバーに見られる年に「時差」が生じる。

新世紀エヴァンゲリオン鋼鉄のガールフレンド2nd 3 (3)
林 ふみの GAINAX
4049249847

実はあまり…というかほとんど期待せず、「EVA」だから、という理由だけで読み始めたのだけれど。ちゃんと面白い。元々コミックス版の「EVA」は少女まんが的だとは言われてたけど、やはりしっくりくるのかも、人間模様だの心理描写を考えると。

そんなこんなで3巻目。うわー、どんどん話が動くなー。
レイはシンジに告白するし、アスカはケンスケに告白されるし、シンジは相変わらずどうしていいかわからないし(笑)、カヲルは何かを秘めたまま「変わらないこと」だけを望んでいるらしく。

元々の話(アニメver.)とのキャラクタアの差異だとかが相まって、せつない気分になる。林版(つか、一応ゲエム版、てことになるのか?)では感情はあるのに表し方とその必要を感じたことのなかったレイがハキハキ物怖じせずに喋り、自分が何をどう思っているのか、何ができるのか、「考えて」「行動」するキャラになっていて、それが逆に「本来の」レイを思い出させてせつなくなる。
アスカは幼馴染みであるシンジに対して、認めたくない恋情を抱いていて、一挙手一投足が気になって仕方ない、フツーの(スキップしまくって14歳にして大卒、というようなこともなく、背伸びしていない年相応の)オンナノコしていて、可愛くてしょーがない。アニメの時のアスカは、M属性ある野郎と違って、すぐに逆ギレ・八つ当たりする鬱陶しい女の子に見えてたんだけど(いや、暗~~~くてドツボ~~~な過去を背負ってはいたけども)、この作品内ではひたすら可愛い。
シンジも、優しくて気のいい、可愛い男の子で……ああ、やはり「元来の」彼を思い出して何とも言えぬ気分だわ。

本当は、こうして、一日一日を、「平凡に」過ごしていたかもしれないのに。誰が好きとか何がしたいとか、そんなことだけを考えて生きてゆければ、それで十分に幸せだったのに。それをさせない「使徒」、「アダム」、そしてNERVとEVAという存在。

こうしてパラレルな世界で、それでも所々同じ流れを持つ物語として提示されると、しみじみと、アニメ版をじっくり腰据えて観たいなあと思ってしまう。それで、うだうだとああでもないこうでもない、と考えてみたくなる。……リアル・タイムで、ハマり倒したもんなあ……。
最終回、あの話題騒然になった最終回ですら、私は「ソレはソレ」と受け入れて、「映画化です」と言われて「じゃあ今度こそ?」と期待し、「今回で終わらなかったのでまた今度」と言われても「おう、まだ観られるのかー」と無邪気に受け取ったくらいに、無条件に「EVA」を愛してるのう。
いや、ダメダメではあったんです。ラストも。映画で完結、というデ・ジャ=ヴな出来事(笑)も。
ダメなんです。でも好き。その気持ちは変わらないなあ。

なもんで、この「鋼鉄のガールフレンド 2nd」も愛でまくりです。最後がどうなるのか、どうどこに着地するのか、とてもとても楽しみです。
加速度が止まらないカンジで気持ちよく進んできたけれど、どうなるんだろう次巻!(4冊目で終わりなの?)

期待を膨らませて待つのでありました。
流れ星に祈って―冷酷な誘惑 1 (1)
リンダ・ハワード 岡 聖子
4596815194

「ハーレクイン」(以下HQ)。それは読む者を「異端」たらしめる書物。……いや、冗談抜きで。白眼視されるですよ、フツーに。読んだこともない「友人」に「えーっ」とドン引きされたこともあるし(笑。でも、「友人」がそういう態度を取られるとは思ってなかったなあ。内心「えー!?」と思いつつ堪えるものとばかり思ってた。認識が甘かったぜ。ちなみに私は友人が何を読もうと「ああ、そういうのが好きなんだね」としか思わない)。……でも、「読んでる」つー事実と、「どう読んでるのか」「どこを読んでるのか」つー私の主観とは必ずしも絡み合わない、のだな。

こういう作品読んでると、「恋に恋する女性が…」と思われがちなんだけれど、……私くらい枯れきった女もおるまいて。ありそでなさそなファンタシィとして楽しんでいる、コレがメイン。もちろん、作品の中には登場人物に惚れ込んで、一緒になって楽しんでる時もあるとは思うんだけど、「はあ、アタシもこんな恋がしたいわ~~♪」というノリは、私には、ナイ(ヒーローのあまりの鬼畜っぷりに泣いて怒ったことはあるが・笑)。いや、そういう読み方してる、純粋に「ロマンスの世界」に浸って読まれる方だって居ます。

表紙がこっ恥ずかしくて内容がワン・パターンであり得ない設定でしかも女性向けぽるのでしょ、という風に捉えられているものらしい。読んでもいないのにそんだけ知ってりゃすげえよな(笑)。
ぽるの、は定義がわからんので私には何とも言えぬ。セクシュアルな描写がないわけじゃないけど、別に何らの劣情も抱けないしなあ。……それ以外の、HQをHQたらしめる要素、は、外れてはいないです。でもそれがすべてでもない。基本があれば例外もある、ということを忘れられてしまうのが、読者としては少々不満ではあるけれど。
私にとっては「定型の美」、なのだ。様式美、でもいいや。HQ側自身が「話型」があることを認めちゃってるもの。最後は必ずハッピィ・エンドで、そこに辿り着く前にあれやこれや。なので、作家によっては作家自身の定型もあるので、終いにゃ飽きてくる時だって「ちゃんと」ある。

私も最初は読みもせずに別にいーや、と思っていた。
昔、氷室冴子女史の名作に『少女小説家は死なない!』(コバルト文庫)というのがあって、そこに5人の「少女小説家」が登場する。ひとりは語り手が同居せざるを得なくなってるハチャハチャファンタジーを得意とする作家、ひとりは吉屋信子を彷彿とさせる作風、ひとりはライト・エロ作家、ひとりはお耽美系(今で言うところの)BL小説書き、残るひとりにハーレクイン風味の作品を書く作家がいる、ということになっていた。女史のそれぞれの作中作はこれまた見事にその「作風」を体現した出来で、この部分だけ独立させて1本にまとめたのを読ませてくれ、と思うほどによくできていたのだ。
で。この小説で、HQの定義を学んだの。あとになって実物をちゃんと読んでみてからさらに笑えて楽しかった。

まず男は基本スペックのすべてが最上でなくてはいけないの。カタガキは「青年実業家」とか「海運王」、「大会社のCEO」てのが定番。スポーツは万能とまではいかなくても何かひとつはコレ、という得意分野がある。すべてにソツなく洗練されていると同時に情熱的で、ベッドの上では(下品になるので自粛)。容姿端麗は当たり前!! 懐かしの3高なんてカル~~~くクリアですよ。
あとはですね。コレがあれば必要十分条件クリアです。それは何か。

「恐ろしくサブイ台詞を真顔で吐けること」。

これなくして何がHQか、と思うくらいだが、考えようによっては欧米人の基本スペック(というより日本人にない…習慣的にも特性としても文化としても!!)なので、アチラの方が読む分には私(たち)ほどはサブくないのかもしれぬ。
氷室女史の「飲むものはマティニだのカンパリ・ソーダなんかで、間違っても三ツ矢サイダーなんかじゃない」とかいう解説(?)には大笑いした(もちろん、あれこれ読んでると、庶民的なヒーローだって居るし、庶民なヒーローだって居るし、必ずしもハンサムではないけれどヒトを惹きつける顔立ち、と描写されるヒーローも居れば、稀に障害を持つヒーローだって登場する)。

で、ですね。これらの条件を満たせば、書けるんですよ、はーれくいん。私、友人にねだられて小説書いた時、「二度と読みたくない!」って言わせたい一心ではーれくいんもどき書いたら大ウケしちゃって(大笑)。その時はHQ、1冊も読んだことなかったのに、読んだことのある友人から「見事なHQだ」と絶賛されたくらいだ。それくらい、氷室女史の「HQをHQたらしめる条件」は的を射ていたわけです。
読んでると、カオが笑っちゃって、恥ずかしくなるらしい。みんな、読んでるうちに背中向け出すの(笑)。つーか、恥ずかしくて笑っちゃうのね。だって、野郎(むろん、実力で地位を掴んだ容姿端麗・眉目秀麗・文武両道・頭脳明晰・傲岸不遜+冷酷無比にして情熱家、という設定である。そんなハナシを書いた私は人間失格)がこれでもかとオソロシイ台詞を吐くのよ。ウケるウケる。読んだことないひとだと尚更ウケる。ある意味新鮮な世界なわけです。日常にない、あるいは起こり得ないことが存在する世界だから。だから、そこからすう、とハマるひとはハマるのかもなあ、と思ったりもする。

閑話休題。
というわけで、私はちょっとフツーのロマンス読みではないのかも。定型の在り方とか、人物造型と配置、物語の設定・背景と垣間見られる欧米文化、これを楽しんでいるので、「一般的なファン」ではないと思う。でも好きなのよ、はーれくいん。
ひとによっては「自分からは何もしないでシアワセになるヒロイン」にしか見えないんだろうけど、基本的にはヒロインってコレダ!! と思った男を何年も何年も思い続けていたりするので、相手がその感情に気づかずともアタックするわ(それで一度玉砕し、その時は互いに離ればなれになってのちに再会すると「再会モノ」と呼ばれる話の出来上がり~)、自分から勇気振り絞って誘惑したら軽くあしらわれるどころか向こうのペエスで美味しくいただかれるわ(…)、良くも悪くも一途という設定が多いので、一概に「何もしないヒロイン」には思えない。自分からあれこれし過ぎてしくじってるのも居るくらいだ(お前、馬鹿だろ、とツッコミ入れたいヒロインは、結構居る……。でもって、そのヒロインのお馬鹿さ加減につけ込んで文字通り乗っかってくるヒーロー……うおああああうぅ! 腹立つー!! ←なら読むなよ)。

今回の本、HQ社によるファン・クラブで投票募って、その年の上半期・下半期のベストを選出する企画で、ベスト・ヒロイン部門・ベスト・ヒーロー部門、ベスト作品部門・ベスト作家部門総ナメ、という作品。私はまだその本が買える頃(HQ社の文庫以外のレーベルは、在庫保有期間4ヶ月と定められ、それを過ぎると基本的には手に入らない。もっとも、文庫のレーベルでも、そこそこ前のモノだと絶版・再版未定、てのがあるけども)、HQには本格的に手を出していなかったので、随分あとになってから運良く新古書店で見つけて買って読んだ。
……個人的には、泣けたし、ちゃんと最後まで読んだけど、好きな作品か、と問われると、うーん↓

ヒロインの親友と結婚して幸せに暮らしていたヒーローが、妻子を事故で失って、ヒロインに慰められるうちに彼女に好意を抱く(実はその前からそれなりに気にはなっていたらしいが)。徐々に接近し合ってとうとう結ばれて、結婚。でもヒーローは事故で死なせてしまった子供たちのことが脳裏から離れず、救えなかった自分が再び子供を持つことが許されるとは思えなくて、子供が欲しいヒロインに「子供はつくらないよ」と一方的に宣言。でもある時避妊に失敗して妊娠。処分してくれ、という頼みをヒロインが拒絶、立派に産んでみせる。でもそのあともヒーローは子供なんて居ないかのように振る舞い続け、ある日……つー話なんだけど。
いやね、ヒーローの心の傷の深さも描かれていたし、わかるんだけど、あまりにも自分の傷にばかり囚われて、ヒロインがそのためにいかに傷ついたか、に、まっっっっっっっっったく! 気づかない(ようにしていた、んだろうが)。どんだけお前ひとり不幸なんだよ、と。ヒロインがまたおしん以上に(…古いたとえだな…)艱難辛苦に耐え続けるのよ。アンタは愛の殉教者かと(むろん、その無償の愛が美しいわけだが。無償故に至高の愛、なんだが!!)。

リンダ・ハワードの描くヒーローは「種馬ヒーロー(これに「傲慢」つーのが+されることもある)」(すごい呼び名だが本当だ)と呼ばれることが多いのだが、コイツもその部類。一週間に十日(また出たよ五月みどり↓)、毎晩何度抱けば気が済むんだと問い詰めたいような野郎で。カラダはしつよーに求めるクセに、ヒロインの心情は掴めない・掴もうとしない、という。
何だって全世界の女性たちが胸躍らせるハズのロマンスで私は怒髪天を衝く勢いで怒りながら読んでるんだか(笑)。ポイントはわかるの。ここ、泣き所よ、とか、ここ、いいわあ、とうっとりするとこね、とか、ここがキモなのよ、とか。でも好きか、つーと、ちょっとチガウかな、と。
でも、読むんだよなあ。キィ・ワードを繋げつつ、それによって物語をつくる、という大塚英志氏も言ってた書くための「方法」が掴みやすい話だなあ、と思いつつ、読む。いや、ロマンスとしても楽しんでるんだけど。多分。
展開がある程度読めるけど見ちゃうTVドラマみたいなノリで、毎月新刊チェックして買って読んでるのであった。
この、再販ver.もちゃんと買ってしまった(人気のある作品の過去の作品、基本的には二度と手に入らないワケなんだけれど、ある程度すると再販してくれる時がある。再販希望率ナンバーワンは多分彼女の作品、だろうな。最近コンスタントに再版されまくってる。どうやらHQ社との契約が切れて、新作が望めないから、でもあるらしいけど)。初版本持ってるのに。馬鹿だねー(でもHQの本って、劣化が激しそうだから、いいか…)。
すでにこの再版本も絶版らしく、取り扱いできない状態に。リンダ・ハワード強し!!

――って書いてきた文章読み返してみたけど、私、ホントにコレでロマンス好きなのか? 何か疑問(笑)。

骨単―ギリシャ語・ラテン語
原島 広至 河合 良訓
4860430506

欲しいなあ。でもよりによってAmazonじゃ在庫切れ……(メイン・サイトUP当時)。はよ入荷せいや! とイライラするほど欲しいぞ、コレ。

多分対象は医学生だと思うんだけど、純粋に、楽しむために、この本が欲しい。「語源から覚える解剖学英単語集」と言うだけあって、ギリシア語・ラテン語に触れて由来を語り、日本語名称・英語名称ももちろんわかってさらには図解もアリ。面白そう!
語源から覚える、というのが私の関心を惹きつける。ああああ、欲しい。欲しいぞ。

ひとの営みやその身体の仕組みや成り立ちに、興味があるのだ。
飛び出す絵本で「人体」を買った時は母にぎょっとされたことがあるんだが、……興味深いではないか(ちなみに、カワなしの、筋肉のみで構成された顔がにょっ、と飛び出したりする)。
子供の頃学研の「○○のひみつ」シリーズで、いちばん何度も読み返したのは「人体(からだ、だったかな)のひみつ」だったし。でも医学の道を志したことは一度もない。やはり、純粋な興味・関心のみがあるのだな。

すでに第2弾「肉単」(これは筋肉編、ということになる)も発売中(そしてAmazonでは在庫切れ中!!・怒。※ええ、ですからメインでUP当時。…今もヤバそうだが)。
ほお~うら、見てごら~~~ん↓
肉単―ギリシャ語・ラテン語
原島 広至 河合 良訓
4860430603


「脳単」(脳・神経編?)、「臓単(内臓、か)」も控えている、とのこと。ますます欲しいー!!

惜しむらくはお値段。……た、高いぞ。そのあたりが医学部生仕様か!?(未だに私のアタマには、医学部に進学するひと=実家は金持ち、という幻想がある・笑)
もののけ姫【劇場版】
松田洋治 石田ゆり子 美輪明宏
B00005EL6K

「何がキャッチ&リリースだ! 釣った魚は食え!」
……宮さん(=宮崎駿氏)らしい発言だなあ、と、「もののけ姫」観たあとに思った。雑誌で彼の(あるいはこの映画の、だったか?)特集をした時の語録に載ってたように記憶してる。

漁/猟は本来食うためにやってたことだったわけだけど、今は釣ることそのもの、狩ることそのものの「楽しさ」故に「娯楽」になって沢山のひとに愛好されている。個人的には、キャッチ&リリース、「偽善ぽいなあ」などと思ってしまう。自分が釣りをやらないせいかも。
だから、「食べたい、とかじゃなくて、釣る、ってことを楽しみたいんだよ。だから、釣ったら逃がすんだ」という気持ちがあまりよく理解できないんだと思う。
食いもしない魚を釣って、逃がしてやる、というあたりが。でもって、もし釣りをやるなら、食う気満々で臨むと思う。多分、やるならそのためにやる。

種の保存のため、ってヤツなのか。ひとりひとりが釣る量は大したことないけれど、それが何人分も、となると絶滅の危機に至る、とか、そういうのが理由なのだろうか。もっとずっと昔なら、誰だってそれを日々の糧にせざるを得ない頃なら、数え切れないほどの人数が釣ってたと思うけど。人口が増加の一途を辿ってるから、昔と一括りにもできないか。
外来種をとりゃーっと放流して醍醐味を味わうとこまでいくと「そこまでしてやりたいんだねえ…」としか思えない。それまでの生態系ぶっ壊れるわけだけど、外来種がフツーに存在するようになったら、それはそれで新たな生態系として諾々と受け入れるのが、正しいのか。断固反発すべきなのか。

生活のために必死になって漁をしてるひとたちが「それは乱獲」、とか「あんな賢い動物を殺してしまうなんて!」と言われて規制受けたりしてるのに、食いもしない魚獲るのは逃がすことでチャラにされるんだなあ。「逃がす」――捕らえた側の視点だな。動物対動物なら「逃げられる」だろうし。「上」からの視点か。

人間も自然の理の一部で、その営みも理の内で、その人間が何かを為したために何かが消えてしまう、それはもう……「自然」の内に入らないのか。人間だけは「自然」の外に存在してる、んだろうか。……自然=征服すべきもの、という考え方は、欧米的、というか狭義的にはキリスト教的、かな。違うか、狩猟民族的、なのか。……ムズカシイな。
少なくとも、日本はそもそも自然をそういうモノとは見なしてなかった気がする。畏敬の念てもんがあったような。

人間はそんな「エライ」もんなのか。人間こそがこうすべき、ああすべき、とあれこれ手を出すのが、「全てにおいて」「何もかも」「絶対に」正しいんだろうか。
人間の勝手で色んなもんをねじ伏せてきただけじゃないのか。
そう言えば、故景山民夫氏は「地球の環境破壊は、人間が居なくなってしまえば、何億年とかけて自己治癒できる」とか言ってたなあ。そうかもしれない。環境破壊を生み出してるのは人間なんだし。

ヒトの暮らしもダイジ。でもそのために何もかも踏みつけにしていいのか。でもって、その「踏みつける」という行為が悪意からではなく必要から生じたのならそれもまた自然の理ではないのか。そう思った上でヒトの勝手を考えていかなくちゃいけないんじゃないのか。考えているのに追いつかないのか? あれ?

……とか何とかあれこれ考えさせられちまうのがこの映画。
善悪が定まらない物語や関係性てのが二項対立式に考えがち(キリスト教ってのはそういうもんだ)な欧米人にはフシギで満ちてたんだろうなあ。
英語版 "Princess Mononoke" を映画館に観に行ったら始まる前にメイキングも上映した。外国の行く先々で監督がアホほどインタビュウ受けまくってた様子が映し出された。何となく、観たアチラのひとたちは困惑してるように見えた。困惑、というか、一度観た程度では自分の中の混沌が混沌のまま、うまく整理できないようにも思う。誰が悪い、というのも明確にならないし。
神様は絶対で、それに敵対するものはすべて悪です、という思想背景からすれば、まあ新鮮だしわかりづらいよなあ。スッキリもしないし、単純な楽しさに満ちてるわけでもない。それは日本人である私にとってもそうなんだけど。メッセージ性強いから、好き嫌い分かれるんだろうな、コレ。

てなわけで(?)、また今夜観てしまうのだった。
個人的にはヤックルが好きだなー。ヒトと自然の交わる部分そのもので、どちらにも越境し過ぎずでも自然体、なカンジが(ケモノに自然体もへったくれもないか…)。

こちら↓DVD。
もののけ姫
松田洋治 石田ゆり子 田中裕子
B00005Q4I3


※何でジブリ作品て、DVD化されると一気にジャケットつーかパッケージがダサダサになるんだろう…。謎だ。

まいにちトースト
たかはし みき
4774121762

ああ、ホントにパン好きだったんだ。新刊の中からコレを見つけ出した時真っ先に思った。「こげぱん」(御存じ?)を生んだたかはしみきさんによるトースト・レシピが80種類も載っている。

ウチは元来朝にパン食、の習慣がない家で、朝食はパン、という家庭が子供の頃少し羨ましかった(今はしみじみと「朝はメシだ! ごはん食わせ!」と思う方だが)。多分、父が教員をしていて、パン食に少々辟易していたせいでもあったと思う(給食で半ば強制的に食べさせられるハメになるので。母も教員をしてたけど、パン食キライではなかったらしい)。そのクセ今は昼食に調理パンを買ってきたりするのは父なのだが。

……というわけで、トースト。おやつ感覚で、か、父が留守の時の私と母の昼食で、大抵はバタかマーガリンで至極あっさり、そんな風にしか食べたことがない(稀にオプションで、バタ+ハーシー・チョコレイト・シロップ、という凶悪な組み合わせが登場する。……何というハイ・カロリィ!!)。
要はそのひとの好き嫌いでしかないんだけど、そうか、こんなにヴァリエイションがあったんだー、と素直に感動した。
大きく「モーニング」「ランチ」「ディナー」と3つにわけ、さらには「番外編」として世界各国の定番トーストも紹介。

基本中の基本(?)、バタ・マーガリン編ではバタ+ふりかけ、マーガリン+あんこ(これ、名古屋のモーニング・サアヴィスで定番だ、と聞くのだけれど、トーストでなくてもいいのなら、この組み合わせ、私の幼少時にはすでにあった。地元のパン屋がコッペパンに切れ目入れて、そこにマーガリン+あんこ、を挟んだ物を販売していて、フツーに食ってたので。だから、何をきっかけに騒がれる?ようになったかは憶えてないけど、そんな大騒ぎするほどすんごい組み合わせじゃねえだろ、と思った記憶がある。好みにもよるけれど、フツーにウマイ)等から始まり、海苔の佃煮編(御本人はあえてひとつのジャンルとして提唱しておられます。あれこれ試しているうちに美味しさにさらに目覚め、独立させたのだとか)だとか、プレインな食べ方ばかりしてきた私には新鮮なものが多数。これ以外にもネギトロ、キムチ、目玉焼き、林檎の炒め蒸しなどなど、目を見張るようなものから確かに美味しそう、と思うものまでこれでもか、と紹介してくれている。ヤだなー、おなか空く~↓

ひとつひとつのレシピをイラストとコメント付で紹介。その絵がまた可愛い。食パンにはこんなに楽しみ方があったんだな、と目からちょっとウロコが。

KINGの愛したピーナツ・バタ+バナナ、も紹介されていたのが個人的にはツボ。甘いよー、太るよー↓ 一説にはこれも彼の命を縮めたものだ、って言われてたよなあ…。味が想像するだにヘヴィでまだ試したことがない。出でよ勇者!

あっさり軽めのものから、食べ応えのあるものまで色々。私が昔よくつくってたのもあって嬉しかったり。

ちなみにそれは「セイシュンの食卓」で紹介していたもので、私のつくり方がかなり乱暴であった。
1:パンの真ん中あたりにパンチを食らわして窪みをつくる(あまりキョーレツだとパンがダメになる。当然だが。最低でも6枚スライスくらいの厚みがあるといいかも)。
2:パンの四辺にマヨネーズで堤防をつくる。
3:窪みに卵を割り入れ(新鮮な卵だと、堤防を乗り越えるというスリルも味わえる)、塩胡椒を好みで振りかける。
4:5~6分焼く(卵の焼き加減を優先するか、パンの焦げ目を考慮するか各自の判断にお任せ)。
5:食う(卵が半熟気味故、人前で食べるのは少しだけ大変)。
※マヨの焼ける時のニオイが結構キョーレツなので、周囲の反感を買う場合もアリ。朝だとなかなかにヘヴィな香りなので、コレは昼以降推奨、かも。マヨ好きなら朝からドゾ)


タイトル通り、毎日楽しめそうなところがぐーです。しかし、ハード・カヴァーという堅牢なつくりに少し吃驚した。いや、いいんだけど。そのわりに価格控えめだし。
人生勝ち負けで言うところの負け。惨敗。
探しに探しまわって、結局手に入れたのは某ドーナツ・ショップのスケジュウル手帳、だった……うをあああぁぁう(号泣)。かなり前から探していて、店ハシゴしてまでこれも違う、これはイヤ、だの必死になって比較検討してたのに、のに、……結局またコレを選んでしまう私の馬鹿ー!!

20041227175406.jpg左が今年のもの、右が今回もらってきたもの。

6穴バインダー。コレはすでに「カワ」を数種類所有している。ので、どんなに安くても、2005年のあれこれを収めたものを新たに買う気はナシ。リフィル式は便利なんだけど、使用後の保存が少々面倒。ナカミ買い替えるだけでいいから経済的でもあるけど、個人的に書き込みするのに不便を感じる(真ん中のリング部分が、手に当たって書き込む時に
気になってしょうがない)。なので、ノート・タイプでサイズは文庫版程度のもの、と条件を決めておいた。
大きすぎてもバッグを選んで邪魔、小さすぎては持ち歩きにはいいけれど、書き込む時が面倒だし見づらいかもしれない。
ブロック・タイプのマンスリーの頁と、日記帳を兼ねているので見開き2週間のウイークリーの頁があるものが好ましい。……そんなのは山ほど売られているというのに、なかなか「コレがいい!」というのに出会えなかった。で、結局「ミ○ド」。あれほど悩んだのは何だったのか……。

だって可愛かったんだもん!(「もん」て……)おまけに、手作りのアイディアとか、どーでもいーオマケ頁がツボだったんだもん!(だから「もん」て……)

唯一気に入らない(?)のはカバーの色。綺麗な水色だけど、……汚れ目立つ色だよな……。色だけならオレンジがよかったなあ。ちっ。
とりあえず来年の手帳は決まったし、シ○ップ・ケイクはウマウマ♪なので、よしとしよう。そうしよう。

しかしだ。どう考えてもアレに¥2,100の価値があるかは甚だ疑問だ。前の博打性の高いポイント・カードの方がよかったなあ……。今は必ず1ポイント=¥210(税込)。ドーナツ好きなひとが買ったついでに「貰って差し上げても、よくってよ!」というならいいけれど、私みたいに「をいをい、ダイエットしてえならそんなもん食ってんじゃねえよ」なひとが手帳目当てにドーナツ買う、ってのはまさに本末転倒。おまけのために菓子を買うが如し!!(うん、まんまだよ)

故に。人生勝ち負けで言うところの負けなのでございます。でもいいの! 使うの! そのために貰ったの!! 年末年始、ヘタしたら福袋に紛れ込んでてラクして手に入る、とか、そんなの知らないもん!(いい加減気色悪いからやめれ)

もちろん、誰かのヒミツを綴って、あんなこととかそんなことを、……しようだなんて、微塵も思ってませんことよ。ヲッホホホ。
おしゃまなロージー
キャロル・キング
B0001N1OW4

ずっと前から欲しかったんだけど、手に入らない状態だった。でも、今は買える♪ リマスター版で再登場! 嬉しい~♪
センダックのアニメーション、"Really Rosie"(邦題:おしゃまなロージー)のサントラ版。
キャロル・キングの声がやわらかくてメロディも何だかなめらかで優しいカンジ。邪魔にならなくて可愛らしい。
歌詞はセンダックが手がけているのでお子さんいらっしゃる方にも楽しめるのではないかなあ。数え歌があって、頭韻が楽しめるABCソング "Alligators All Around"(ワニさんがいっぱい)とかオススメだったり。子供のコーラスが入ってるとこがまた♪

でもホントは「ジャケ買い」です。このジャケットにやられてずっと欲しかった。この作品自体も観たいのだけれど、DVD も Video もないのね(この時点ではまだ本国の Amazon をチェックしてません)。残念。絶対可愛いと思うんだけどなー。

チキン・スウプの歌が2曲もあって、聴きながらつくる、なんていうこぢゃれたマネをしたくなってしまった。この曲に関しては元になるであろう本もあって、お値段お手頃なのでいずれ購入予定。
Chicken Soup With Rice: A Book of Months
Maurice Sendak
006443253X

こちらは日本語版。
チキンスープ・ライスいり―12のつきのほん
神宮 輝夫 モーリス センダック
4572002878

チキン・スープライス入り。

コレ↓は蛇足。やはり欲しい本のひとつ。
まよなかのだいどころ
モーリス・センダック じんぐう てるお 神宮 輝夫
457200269X

寒い。霰が降っては止み、風は台風並み、冬直行の特急便に乗車を余儀なくされて、とにかく寒い。
まっきー。寒いよまっきー。冬が始まるよ、とか、軽快に歌ってる場合じゃないよまっきー(槇○君に何の責任が…?)。

安普請のカナシサで、窓はすべて閉め切ってるのに寒い。ふと見ると、部屋の入口にある丈の長~い暖簾状の布が、時折ふわふわ揺れている時がある。すきま風がー!!

「○フォーアフター」に依頼してリフォームしてもらえよ↓ 「気密性ゼロの家」とか言われるぞ(ぽぢちう゛に考えると「風通しのよい家」♪ ……雪国でそれはどうなのよ)。
あ、待てよ、「片づけようのない家」もあり得るな。というよりも、「ビフォー」の状態を披露した番組序盤で「なんということでしょう!!(別な意味の驚愕)」と言われてしまいそうなんだが。
ストーヴ焚こうかしら。しかし。実はストーヴには若干(「わかせん」ではありません)の「持ち越し灯油」が…。

さて、焚いてみよーかなー(抑揚ナシ)。

チンパンジー以下の記憶力なのではないかと思うことしきり。数秒前まで使っていたもの・手にしていたものをどこに置いたか、ふと忘れてしまい、家中を放浪するハメになる。
リップなんぞその最たるモノで、何度失くしたことかわからない。失くした、というのも正確ではない。単に、どこに置いたか、あるいは入れたか、忘れてしまうのだ。
ふと前に穿いたジーンズを穿いたらポケットに入っていたり、以前外出した際に持って歩いたバッグのポケットに入っていたり、ヘタすると年明けて数ヶ月も経ってから発見、なんてこともある。……諦めました。

実際に使用しているのは、数百円「も」するような「高級品」ではなく、100円均一ショップで購入した品。だって見失うんだものー!
たまたま香りつきと無香料で色が違うデザイン同一のもの、とかそういうものがあると、喜んでその2本なら2本、購入。間を置いてさらに買うこともある。まとめて買えばよさそうなものなのだが、買えば買ったでまとめて遭難させてしまいそうでできない。なので、ほかに入り用なものがあって店に行く時、思い出したようにまた買うのだ。で、指定席をつくる。
自室に2本、ダイニングにも2本。さらに頻繁に使うバッグにもそれぞれ1本ずつ忍ばせておく。これで外出時も持ち忘れナシ!(……いや、気分変わってふだん持たないバッグででかけてたまに忘れることもある……冬は必携の品なのに!)

もうこうなってくると、果たして自分が何本所有しているのかまったくわからない。コワイので数えないことにしている。とりあえずアホほど持っていれば、困ることはないかな、と。
でも、せっかくそうやって指定席をつくったり何本も用意しても「あ、要るな」などと思ってその場から持ち出し衣服のポケットに入れ、歩き回り着替える時間が来て、……ソレがポケットの中にあることなど、キレイに忘れている。そしてまた行方不明者が出るのだ。捜索をしない自堕落な持ち主。

季節モノを片づけていると、時折ポケットからあれこれ発見するのだが、バッグの内側のポケットに2本、外側のポケットに1本、リップ・クリィムを見つけた時は……もう、呆れ返った。何してんだ? ナンボほど持つのだ!
そりゃ100均ショップも儲かるハズでございます。売上に貢献しているひとりはこういう馬鹿…。
「行列のできる美味しいシェイクがウリの stand があるけど、寄ってく?」と、世話係をしてくれていた学生L君が言った。
バンに私たち日本人学生がわんさと詰まって乗り込んでいた、買い物帰りの途中、運転席から素敵な提案が♪
彼は、私が dorm に着くなり「シャンプーとか買いたいんです。いちばん近くにあるお店を教えてもらえませんか?」と尋ねたら、ちょっと考えてから「車出してあげるから、ほかに行きたいコ居ないか訊いて」と言ってくれた、陽気で親切なひと。
「行きた~い♪」と皆が喜びの声をあげた。
「今日は混んでないといいんだけど」などと言いつつ、件の「行列ができる」stand まで車を走らせる。
「いちばんウマイのはバナナかな。でも、色々あるから、好きなの頼むといいよ」。私はその「お薦め」に決めた。バナナ味が大好きなのだ。オススメがバナナでらっきー。

……それにしても今回一緒にこの「海外研修」に参加した女の子たちはシャイなのか遠慮深いのか牽制し合っているのか、英語を口にしなくてはいけない時になると、何故かそれまで虫がダイヴしそうなほど喋りまくっていた口を閉ざしがちになる。
「紫堂さん、決まってるなら、先どーぞー」
……ハイハイ、私にはハジもガイブンもなーんにもありませんともさ。どうせね。
「バナナ・シェイクひとつ下さい」。
フツーに。言いましたとも。もちろん英語でしたが。
誰かが買うと安心するのか、そのあともようやく次々とそれこそ列を成して買い始めるお嬢さんたち。
「あたしも、バナナかなー」
「あたし、バニラがいい」
「あ、あたしも、当たりはずれあったらヤだから、無難なのにしておこうっと! バニラなら大丈夫だよね」

少しずつストローからまろやかな味のシェイクを啜りつつ、皆が買い終えるまで待っていたのだけれど(ああ、ウマー♪)。数人目あたりから行列のひとが動かなくなった。あれ?
学生A:「One ばにら shake, please」。
店員 :"Banana shake?"
学生A:「あれ? 発音ダメなのかな? バニラ…ヴァニラ!」
店員 :(ちょっと困った顔をしつつ)"Banana?"
L君がどうした? というように彼女たちの様子を見ていた。
学生Bが「あれじゃない? Vの発音がマズイとか」と提案ともアドヴァイスとも付かぬ助け船を出す。学生Aがそれを受けて「V」を殊更に強く発音してみた。でも、結果は"One Banana shake, O.K.?" と店員さん。
L君が学生たちの何に問題があって、何を言いたいのかを察してくれた。そして、丁寧にゆっくりと発音してくれる。
"Va-ni-lla!" ……そのひとことを受けて、店員さんが安心したように微笑んで「ああ、ヴァニラね!」と
Aさんが希望したものをせっせと用意し始めた。そこで他の学生たちが一様に発音練習を開始する。しかーし。その発音を聞くでもなく聞いていたらば。「ヴァニラ」というカンジに聞こえるのだった。
あくまでもアタマの「V」にポイントがある、と思っている、らしい。それで、とにかく「V」にチカラを入れる。ああ、下唇そんなに噛まなくても大丈夫だよー……。
それでもイカン、と気づくと、どういうワケか、今度は
「ねえ、ばにら、の、『ら』の、Lが発音できてないのかな?」
などと言い出す子が出てきて、今度は巻き舌練習に挑戦する。

いや、そうじゃないと思うんだよ……。どうしたもんかとみんなを眺めていた。そうじゃなくてね、みんな。L君の発音でわかるじゃないの。ねえ、気づいてよー。

……読んで下さっている方ならおわかりでしょう。ヴァニラを発音するならば、ヴァラというカンジで、この「ネ」の部分を最も強く発音しなくてはならない、のに、彼女たちは何度もL君が発音してくれるのを聞いても、なかなかそれに気づけず、いつまでもいつまでも店員さんとバナナ/ヴァニラで問答よろしく終わらないオーダーをし続けている、のである。数人はちょっと混乱していた。
「ばなな…ばにら…う゛ぁなな…違うって、う゛ぁに…えーと?」

アクセントの問題ではない。発音がどうこう、というのともちょっと違う。要は、一番大事なこと、「英語は stress 、強弱が重要」ということが、すっこーん! とヌケてしまっている、のだ。
L君は繰り返し繰り返し、ヴァネラ(「ニ」より「ネ」に近い。イギリス英語だとちゃんと?「ヴァにラ」なのかしら?)と発音するとき、「ネ」のところに stress つけて言ってくれてるのに。それも、ものすごく強調して。

日本語の感覚が抜けないんだろうか? 日本語の感覚から抜け出せないのかな?

日本人なんだから、発音が日本語っぽくても、stress の位置が間違ってなかったら、伝わる可能性は高い気がする。
"What time is it now ?" を「掘ったイモいじくるな!」と言うと伝わる、という joke にして事実(?)は、その英文の強く発音すべきポイントを押さえた音と、日本語の冗談みたいなその文章が持つ強弱のポイントが、合致するから、だろうし。要は、「英語らしい」発音がどうの、ということではなくて、やはり強弱がより問題かと。
……そのことに気づけないということは。
知識として「英語は強弱の言語である」と知ってはいるけど、「話す」という実践面においては何ら反映されるところまでは行ってない、んでしょう。じゃあふだん講義で何を(以下略)。

バナナ・シェイクは、美味しかったです。
「ねえ、すっごく量多くない!?」「多いよねー!」
しまった! 日本女性には多い量だったのかー! その感覚だけなら私は間違いなくアメリカ人並みだった。「たっぷりで嬉しいな」としか思わなかったよ……(涙)。
私と母が一緒にTVを観ていると、しつこくツッコミを入れるポイントがある。それはアクセント。特に最近気になるのが「アツイ」。
「アツイ闘いを繰り広げ…」だの「アツイ思いが込められた…」だのの「アツイ」、大抵のひとが「厚い」のアクセントで言う。これが気になって気になってしょーがない、のだ。故に、私と母は一緒になってその「数値」を競う。
「ほれ、また『アツイ』ってさ、水玻」
「はっはーだ。何センチやろか」
「5センチくらいかしらねえ?」
「いやあ、あのチカラの入れっぷりは30センチはあると見た!」
「厚いねえ、うん、厚い厚い」
……イヤな母娘だな。でも、気になるんだもの。

英語が強弱の言語ならば日本語は高低の言語。同音異義語の時、アクセントで意味は変わるハズではないか(同じ時もあるだろうけど。←アクセントが)。少なくともTVなんかでは「共通語」のアクセント推奨、だと思っていたので(つまり、方言だったら気にならない。実際これはその土地・地域で様々だから直せとかいう問題ではない)、特に気になる。タレントならまだしもアナウンサー! 気候だの温度の暑い・熱いと、モノの嵩の厚いはわけてくれー!(一応「NHK日本語発音アクセント辞典」がアナウンサーたちにはお手本というか、「基準」になっているハズだったと記憶しているのだけれど、最近は違うのか……? もっとも、改訂が為されて平板化が許容された例もそれなりにあるらしいけれど。でも「厚い」と「暑い/熱い」は一緒にしていないだろうし、してほしくないのう……)気になってるのは私たち母娘くらいだろうが↓

コトバなんて変わっていくものだから、いちいち気にしていてもしょうがない、とは思うんだけど。この「アツイ」に関しては許容したくないのだった。
でも、確実に私だって平板アクセントでコトバは口にしてる、んだよなあ。「本来の」「基準となる」アクセント、すべて知ってるわけじゃないし、地方出身で方言が第一言語だったわけだから、もうなおさらアヤシイ↓

さあ、そんな私の思いは果たして何センチだ!?
「飲まなきゃできない話ってのも、あるじゃん」。
……そんな話ならしていらん。以上。

私は自分から「ものすごく」頑張って新たな友人を増やそう、とはしない人間である。そりゃあ場に馴染もうとか、努力はする。新しい環境になってから友人に恵まれれば、それはそれで有り難いなあ嬉しいなあと思うし、できないならできないで、とりあえずお互いにとって不快な空気が流れないといいなあ、と思うくらい。消極的だとは自分でも思う。

人数が多い集まり、もニガテである。最初からまったく知らない人間が一同に介するような状況なら気にならないのだが、すでにある程度人間関係ができてしまっている状況に自分がひょいと加わらなくてはならない時などは大変気が重い。さらに、そういう状況下でやれ一緒に飲もう、食事をしよう、だなんてことになると、はてどうしたものやら、と思う。出席しないで済むならそうしていたい方なのだ。

しかし、会社だの「組織」という色んなヒトが集う場所には様々なひとが当然おり、折に触れては「飲もう!」と言い出してくれちゃったりする。気心の知れた同士が数人、ならば平気だし、楽しいくらいなのだけれども、顔見知り程度がわんさか集まる、となるとこれはもう疲労の種。すくすく育って花が咲くまでにさほど時間はかからない。
おまけに、そういう席では「皆同じテンション」でなくてはならないことが多い。これが困る。酔っ払いは嫌いときてるし。

アルコオルが入ると、ふだん何がそこまでヨクアツされとるのか、と心配したくなるほどハメ外しまくりなひとが出現し、それを見て「よし、自分も同じくらい壊れても構わんだろう」と張り切り出すひとが数人出現し、……このノリについていけない私のような人間は、ひたすら「頑張って」このテンションに追いつくことを「余儀なくされる」のだった。
「盛り上がってる」、「盛り上がるべきである」と思っているひとたちにとって、それを好々爺の如く微笑を浮かべて見守る、という態度は、あらまほしくないものらしい。非常にウケが悪い。大人数で、同じテンションで盛り上がることが多分その場では至上とされる態度であることが多いので、当然の結果か。
「何か、暗いよー? ほら、もっとさあ、楽しまないと~」。
ええ、その、わかってはいるのですが。周囲が盛り上がれば盛り上がるほど冷め切ってしまう性格故に、それは大変、大変、ムズカシイことなのでございます。

……というハメに陥ることがほとんどなので、私は余程その会合なり飲み会に参加したいと思わない限り、断ることにしている。やはり、盛り上がらぬ人間がいては、迷惑であろう。なので、平生から一緒に楽しみたいひとと、飲み、あるいは食べながら、アホみたいに盛り上がって楽しむのだ。――というような主旨のことを話したら、ある知人に言われた。

「オレもさ、そういうのって嫌いだったけどさ、でも、色々出てみて、ああ、こういうのもアリだな、って思うようになったよ。話したこともないひとと話したりしてさ、何だ、結構面白いひとじゃん、ってわかったり、意外と話が合うんだ、ってわかったりしてさ。毛嫌いしないで、出てみろって」

いや、だからさ。出たい時は出てるんだって。でもって、顔しか知らなかったひととでも、それなりにあれこれ会話したりして、そこそこ楽しく過ごしはするのよ。

「でも、人数多いとか知らないひとが居ると、避けるんだろ? それ、損してるって。もったいないって。それにさ、」

これに続くのが冒頭の台詞である。「酒を飲まねばできない話」というのは、一体どんな話題なのか。レンアイ話だろうが、ひとの生き死にについてだろうが、下ネタだろうが文学談義だろうが、酒飲んでいてもいなくても、話したければする、私は。相手もそれを許容できる人間なら、楽しんでそれを話題にする。酒の勢いを借りねば話せぬ、とはどういうものなのだろう。恋の告白みたいなものだろうか? それはそれで、何だかシツレイだと思うのだが。それこそ、シラフで話せや、と思うぞ。
懺悔話みたいなものか? 自分を信じていてくれたひとを裏切った、とか、そういう内容だろうか。私はカミサマでも神父サマでもないしなあ。酔ってる勢いで言われても困る。
自分はアブノーマルだ、とかのカミング・アウト? だとしたら、少なくとも、シラフで言ってもらえないほうがちょっとセツナイ、かもしれない。私がちゃんと向かい合って話せる人間だとは思ってもらえなかったんだろうか、とか、多分ちょっと悩む。
酔った勢いで、その場のノリで、それはわかるんだけど、敢えて「飲まないと」できない、てぇのがわからない、のだ。
……などと色々言うのだけれど、件の知人は「もっと視野を広げるべく、ひととの出会いを積極的に求めよ」と言ってきかないのだった。「そんなんじゃダメだ、今のままじゃダメだ」って、アンタねえ。もう、その執拗さときたら。
まるで、宗教の勧誘のようだった。言ってるコトバもそのノリだ。なおさらイヤだよ……。
「厚意で言ってやってんだよ!」と思ってるんだろうなあ。自分にとって好いモノだったから、私にも、と思ってる、んだろうなあ。でも。そういうの、独善的って言わないか?

私なりの方法で、少しずつ、地道に人間関係を築きたいだけ、なんだけどなあ。ガツガツ出会い求めるのはソイツのやり方であって、私のやり方じゃない。それはいけないことなのか? 
「イイコト」と信じてそれを勧めるのは彼の自由だろうが、それを私も「イイコト」と思うかどうかは話が別なのに。
私は彼に私のやり方を押しつけたりはしない(私の口車に乗ったことがあるとしたら、それは私のせいではなく、思わず乗った方が悪い♪)。なのに、ヤツは自分の考えだのやり方を押しつけたがる。ええい、鬱陶しい。

ソイツと会わなくなって、もう5年にはなる。同じ街に住んでいるのだけれど。
パーティークィーン きってね! さつまいも 1138
B0002YMA2A

最近の我が家でのブーム。それは甘藷。焼いては食い、を繰り返している。しかし。全国展開している某スーパーで、1本¥300以上もしたイモよりも、近所のスーパーで1本¥100(税込)で買ったもののほうが、ずっと美味しかったのが何かショック……。
前者は母が「どうせ食べるなら高い方が美味しいかな?」と買ったんだけれど、うーむ。いや、不味いわけではなかった。単に、私たちの好みから外れただけで。
ほくほくしていて甘みが強く、しっとりねっとり、というのが、私と母にとっての「理想の」サツマイモ。だけど、その高級イモ様はほくほくしてはいたけれど、水分があまりなくて、食べていると粉っぽく、しかも甘みが控えめで、ちょっと不満。いや、いも・くり・かぼちゃの類は粉っぽさがあるものではあるんだけれども。
で、「ダメもとで」買った¥100のイモが! 期待を大きく上回って美味しいではないか!! ウマー!! まっきっき~で甘くてしっとりねっとりしてて美味♪

そもそもは父がやたらと食べたがっていて(ヤツにはその時々で食べたいもののブームが到来する。西瓜にこだわる時もあれば苺をやたら買ってくる時もあるし、干し柿をアホほど買い込んだりざるそばを毎日のように食べたがったりする)、お店に行くとつい品定めするようになっていたんだけど、近所のスーパーで買った¥100イモのあまりのうまさに私と母でほとんどをたいらげてしまった。父が食べることができたのはほんの僅か。
すまん、父。でも、早い者勝ちだ。

やっぱり季節のものはその季節に食べるのがいちばん美味しい。
幸せの絵本
金柿秀幸
4797327820

親だの周囲から「本を読みなさい」と言われたことがない。皆無。一度もない。言われなくても勝手に読んでたから。
おまけに、読める環境に居た。本はいつでも周囲にあった。読める本も読めぬ本も、何でもあった。読めるけれども読まずにいることもできたし、読めない本をあえて手に取ることも簡単だった。
あるからと読むことを強制されたことは、ない。
たまたま私は本が沢山ある環境に生まれて、読む、という行為を気に入ったのだ。まあ、ある意味幸運だったし、よい偶然の巡り合わせであった、と思う。本に関してのみ(笑)、両親は惜しみなく費用を出してくれた。

例えばヘアサロンだとかで常連化してくると、お店の方があれこれ話しかけて下さって、「時間がある時何してるの?」なんて訊かれる。「本読んでることが多いです」と答える。そうすると、お子さんいらっしゃるようで「ウチの子、読まないのよ」と困ったように仰る。そうするといつの間にか隣に座ってた奥様までが参戦してきて「ウチもそうなの、困っちゃう」なんてこぼされる。……困ることなのかしら?

本読むことは、決して悪いことなんかではないけれど、別段特別に、絶対的にいいことだという意識も私にはない。色んなことに有益に働くことが多いけれど、取り立ててものすごく素晴らしいことだ、と持ち上げたい気持ちというのがない。
私自身は読書がとても好きだけれど、「しなくてはならない」ことだとは思えない。「困っちゃう」のは、きっと「しなくてはいけないこと」だとでも思ってらっしゃるからだろうと思う、のだけれど、どうなんだろう? 本を読むのが好きじゃなくても健康で元気で毎日が楽しく暮らせているなら、それはそれで十分にしあわせなことだと思うのだけれど。シアワセを掴むのに貪欲さは必要といえば必要か。ふむ。

「子供が本を読まないの」と仰る方で、「自分はものすごく! 本を読むのが大好き!」という方は、いるんだろうか? 自分にとって面白かった絵本だの物語だの、あるんだろうか?
あれば、自分の子供にも読ませたいなあと思って、時間つくって一緒に読んであげたりしてそうな気がするんだけど。何となく、邪推するにそうではないひとが多いのではなかろうか。忙しいとか色々理由をつけて、自分は読まないんだけど、「イイコト」だから子供にはさせたい、とか。

読書がもしその子にとって「楽しい」ことになったなら、きっと強いられなくても本を読みたがるようになる、だろう。自分が「楽しい」、「好き」とは思っていない行為を子供にはさせたい、とでも思ってるんだろうか。だとしたら、……かなり子供が気の毒だなあ、と思う。
「強制」は楽しくない。「強制」と思わせぬテクニックを身につけておられるなら、それはそれですごいしいいわけだけど。
やれ理解力が養われるだの読解力は必要だの、そういうリクツをいきなり押しつけようとしたって、「楽しくない」ことをしたくないのは大人だって同じ。リクツはあとからでいいのに。リクツは、あとになってから自分で掴むと思う。多分だけど。リクツを欲しがってるのなら与えてあげればいいだろうし。
どうしても読ませたい、と思うなら、それが楽しいことだと思える環境をつくってからで十分なんじゃないのかなあ。

「子供に何を読ませていいのかわからない」という意見というか質問てのも、読むことを推奨する本だのブックレットで見かける。
自分が小さい時に読んで面白かった本はないのかい? そういうものがないのに子供には「読ませ」たいのだろうか? 自分にとって幸せだった瞬間をこの子にも、というものがなくてただ単に「読ませ」たいんだろうか? わからない。
「読み聞かせはいいことだ、やるべきだ」に踊らされてるだけ、に見える。その子が何を面白いと思うかなんて、そりゃあその子だって色々読んでみないとわからないだろうに。図書館行ってとりあえずは適当に選ぶ、のは、ダメなのか? 試行錯誤は単なる回り道だから? 手間を省きたいとか? 「いい本を読んでほしい」とは誰でも思うんだろうけど、その子にとっての「いい本」は大人が思うソレとは違うことだって
あるし、……本人が楽しんでいるならソレを読ませてあげればいいんでないの? いっそどこを面白いと思ってるんだろう、と一緒になって読んだり観察してみたりすればいいのに。

リクツ先行だからそうなるのかしら。
「子供のことを思ってるから言ってるのよ! 考えちゃうの!」
うん、そうなんだろうとは思うんだけど。
「出会いが肝心でしょう? だから、どんな本がいいのかって悩んだり、考えたりするんじゃないの」
本そのものとの出会いとやらは、も少しアトでもいいような。本を仲介させて親子なら親子で分かち合える幸せな時間てのを互いに持つ・持てる、ってのが大事な気がするんだけど。子供が小さいうちは、特に。

――新旧取り混ぜて100冊もの絵本を紹介してる本。私には懐かしかったり新たな発見があって楽しめる。「しあわせ」をキィ・ワードに選ばれているところがこの本のウリで、ホントに、シアワセてぇものには様々なカタチがあるんだな、と改めて思わせてくれる。
ひとそれぞれだものねえ。だから、本を読むのがシアワセだとは思えないひとってのも当然いるわけで。
それを、私が好きだから、とそうじゃないヒトを否定できるものでも、していいものでもないわけだし。

とりあえず、本読むのが好きだなあ、楽しいなあ、と思えるひとが「さてどんな本に巡り会えるのかしら」と思って頁を繰るには最適な本なのですが、……「読ませねば」と思っている方にはおそらく単なる「オススメ商品の羅列」なのではないかなあと。ちょっと意地悪く言ってみる。
ただ、この本としては、基本的には読むことそのものの推奨、ではなくて、一緒に読んで楽しむことの喜びを伝えたい、というスタンスを取っているものだと、私は受け止めている。

まあでも、現実問題として、私個人にとっては本を読んでるコのほうが話題も豊富なので話が弾むし、一緒にいて楽しい、のだけれど。似たもの同士が自然に集うのか、周囲にまったく本を読まない、というひとがあまり居なかったので、実は本を読まないひととのコミュニケイションは少ないのだった。



Time for Tea!: With Mary Engelbreit (Home Companion Series)
Mary Engelbreit Barbara Elliott Martin
0836227700

最近やたらおなかが空く↓ ちゃんと食べてるのに。それでいて運動十分とは言えないのに(ヤバイ……)。胃が活発に活動しているだけ? それとも私の燃費が悪いのか。

どうしたものか。

で、まあ、どうしたもこうしたもないので、何かで紛らわせようと思った時に目に付いたのが当然の如く紅茶なのであった。

当然も当然。売る程ある。なので、電気ポットと茶葉、カップ(茶漉し付)を用意して、好きなだけ飲めるよーにした。

とりあえず暖まるし、空腹感も誤魔化せる。

しかし。ひとつだけヨロシクないことが。ええ。その通り。

トイレが近くなる(泣)。

利尿作用があるのは十二分に知ってはいたけど、寒さも相俟って効果覿面、飲んでしばらくするとトイレ、を繰り返すハメに。勿論、飲んだらトイレ行きたくなるのなんて当然でしょ、なのだけれど、ふだんそこまで頻繁に行くことはない、というくらい頻度が上がるのだ。

砂糖もミルクもナシで淹れては飲み、飲んではトイレに呼ばれ、……何してんだよ↓ 確かに空腹感は薄らぐけれど、作業してたりする時は効率が落ちまくりだ。

あ。また呼ばれた。行ってきます……↓↓↓
たまちゃんとボウルさん
やまだ うたこ
4894234068

たまちゃんは両親と3人暮らし。お隣さんちにはボウルさん一家。ボウル、とは、あのボウル、だ。キッチンで活躍する、アレ。ある日両親はふたりででかけることになり、お隣さんにたまちゃんの面倒を見てくれるように頼む。

他愛ないおはなしだと思う(褒めてる。私はその他愛なさのある絵本をも愛しているので)。でも、色々考えさせられた。
たまちゃんは小さい子供。だからこそ両親はお隣に頼んで面倒を見てもらうことにするわけだけれど。たまちゃんは両親の不在を嘆かない。両親もたまちゃんをひとりにすることにさほどの不安を抱いてはいないように見える。
子供にとってはまたとない冒険のチャンスではあるけれど、何日も親がいないというのは、不安になるものでは?

だから、読み取れるのはこういうことだ。
たまちゃんは、両親が「必ず帰ってくる」ことを信じている。両親もまた、自分たちが留守の間、たまちゃんがちゃんと毎日の生活を送れると確信しており、同時に、お隣さんを心から信頼し、子供を託している。
揺るがない強い信頼と、愛情。多分、そう呼んでいいものがこの絵本にはサラリと描かれている。
物語の発端が描かれると、あとは子供好みの「反復」が続く。何がどう繰り返されるのかは、読んでのお楽しみにしておこう。

ボウルさん一家は「人間」では、ない。でも、たまちゃん一家にとっては「お隣さん」でしかない。親切でおおらかな、頼もしい「お隣さん」なのだ。人間か人間でないか、は問題になってない。平生から交流があるのだろう。見ず知らずの人間に子供は託せまい。種族も超越して信頼関係が確立しているのだ。素晴らしいではないか。
やれ信仰するものが違う、人種が違う、生まれた国が違う、そういう下らない(同時にそれはとても大切なことだ。「違う」という事実を受け入れた上で互いに歩み寄って理解し合うのは時に大変で困難も伴うけれど、やはり重要なことのはずだ)基準で相手を判断しない、ということを、本当に何の衒いもなくできるかというと、そうではないらしいと「現実」が物語る。

絵本だから、とか、そういう次元ではない。ファンタシィだから、とか、そういう次元では、ない(まあ、実際は「そういう次元」なのだけれど)。
イマドキはカナシイことに、「お隣さん」すら未知のヒト、であることなんでザラだ。同じ国に生まれ育ったひとであることがほとんどだけれど、信用できるのか、していいのか、そんなことすらわからない。「てゆーか顔も知らな~い」ということも稀ではないところもあるだろう。
この絵本で「ボウル」さんなのには、それなりの理由がある。単純に考えることもできるし、フクザツに捉えることもできる。もちろん、「理由」だの「意味」だの、考えなくたっていい。
気になる方は、それも実際読んでみていただければ。

お隣さんちのボウルさんたちは、毎日それが当たり前のようにたまちゃんに会いにやって来て、一緒の時間を過ごす。たまちゃんもみんなと楽しく過ごす。お母さんやお父さんに会えなくてサビシイ、なんて泣かない。彼女はふたりがちゃんと自分の居るこの家に帰ってくるのだ、と信じており、両親はそれを裏切ることなくちゃんと帰宅する。
やわらかくてあたたかい空気がふあん、と終始流れている。

幸福に満ちた祝福された空間が、表紙と裏表紙に挟まれてちょこん、と存在しているのがこの本。絵の彩りも美しくてとても可愛らしい。

信じることは、対象の有無にかかわらずできるけれど、信頼・信用はやっぱり相手が居て、互いの歩み寄りと理解の結果なのだ。そして、そこから親愛の情も生まれてくる。
とても単純なことほど、いつだってどうしてなのかムズカシイ。

でも、たまちゃんたちにできたんだから、私たちにもできる。……かも、しれない。
パーティークィーン じゃがいも K473
B0002YM91W

北海道がとても好き(九州もとても好き。なので「アンタ、はじっこが好きなの?」と言われる。そういうわけではない…)。
広大な大地におおらかな人々。美味しい食べ物に美しい風景。
いいなあ。「北海道にヨメに行きたい!」と言ってたら「じゃあおいで」と北海道のひとが言ってくれたので、いずれ行きます(嘘です。多分。←お前の場合は「おおらか」ではなく、間違いなく「いい加減」だ……)。

在九州時代、ある日買い物に出かけた時のこと。食材を仕入れに行った某スーパーで、あれこれ物色していたら、野菜コーナーの一角に箱がでででん、と積まれていた。見れば「北海道のじゃがいも」とかなんとか、印刷されている。
ああ、北海道のいもが、ココにもちゃんと来てるのねえ、と別段珍しくもないことにちょっとばかり感慨に耽った。
私の故郷は、九州と北海道なら後者により近い土地。それだけの理由で少しばかりふるさとを思い出したのだった。
「でかいなー。どれくらい入ってるんだろう?」
値段は確か¥1,000しなかった。箱は一般的なみかん箱よりは小さいサイズのもので、抱えて帰れなくもないくらい。
お買い得なら買っちゃおうかなあ。そう思って、どれくらい中に入っているものかと確かめるべく、箱を調べる。
あった。書いてありましたとも。えーと。
「産地:北海道」
そうでしょうとも♪ とまあここまではよかった。
問題なのは次ですよ、次。

「容量:満杯

          …………うをい!!

どんだけ大雑把なんだよ! 「ああ、そうだろうとも、そりゃあさぞかし満杯だろうさ!」としか言えん!(大笑)
だからさー、何キロとか、そういう具体性のある数値とか、なんかこう、書きようがさあ(←どんどん fade out)…。でもその大雑把…もとい、おおらかさが、何とも「北海道」で、ますます彼の地が好きになったのだった。
結局、量が「満杯」としか書かれていなかったために、そのじゃがいもの購入は見送っちゃいましたけど。結局ナンボ入っとったんぢゃー!!(だから「満杯」♪)

北海道のじゃがいも生産者の皆様、購買意欲を削ぐとまでは申しませんが、アレでは主婦モードで買い物してる客はちと(いや、かなり)ザッパ過ぎて手が出せなくなります…。

スーパーで笑い堪えるのが大変だったなあ。
Coleman(コールマン) クイックヒーター 170-8054
B000A1LE7C

ある知人からあるアイテムを借りる約束をしていた。ものすごく身勝手かつ正直に言うと、私はお借りするものをお借り出来ればそれで終わりにしたかった。というか、その程度で、「ハイ、さよーならー」となるだろうとしか思ってなかった。

が。相手は何故か延々と立ち話をし続ける、のだ。私には興味の無い内容で。ねえ。私、めっさ薄着なんだけど、気づかない? でもって、風邪よくひくの、知ってるよね? ねえ、寒いよ。震えてるんだけど。

何しろモノを貸して頂く側なので、何とも言えない。

「早く帰って。私も寒いから家に入りたいし!」

とは。とてもじゃないけど。おまけに、存外嵩張る箱に入っていて、それを抱えながらの会話も一苦労。落とす訳にもいかないし。悴む手でようやく持っていたけど、悴んでるだけにもう指先もうまく動かせなくて持ち替えたり、も出来ない。

部屋の中は暖かい。だからこそ特に厚着なんてしてない。そこにちょっとスタッフ・ジャンパーを羽織っただけの格好で、立ち話。辛い。寒い。

そして目の前の無神経にしか見えなくなってきた知人が憎くなってくる。

寒いんだけど。重いんだけど。戻りたいんだけど。その話題、つまらないし面白くないし、私にあんまり関係ないんだけど。

もうそんなことしか考えられなくなる。
ふだんから親しい仲のいい友人とならいくらでも出来るそれが苦痛でしょうがない。
ねえ、今話さないとダメ? ねえ、帰りたいんだけど。ねえ、嵩張るのを小脇に抱えるって、結構負担だよ。ねえ。ねえ。ねえ!!

どうしてそんなに鈍感なの??

ようやく解放されて家に入った頃にはすっかり冷え切っていた。両親にも驚かれる。
「アンタ、今まで何やってたの!?」
そりゃそうだ、30分はクソ寒い外で立ちっぱなしで話に付き合わされていたのだ。私はただモノを受け取りに出ただけなのに。
おまけに、持ち替えることが出来なかった腕が箱を抱えていたカタチをキープし続けたせいでばんばんに張っていて、おまけに痛む。

そのひとの天然っぷりというか無神経というか無遠慮ぶりは解っていたつもりではあったけど、……ここまでくるともう……。

モノを借りておいてヒドイなと自分でも思うけど、当分会いたくないとすら思った。

さらにおまけ。借りたアイテムは全く役に立たなかった↓ 何のために知人が来てくれたのか、私が寒いのを堪え続けたのか。

デカい箱は狭い部屋で必要以上にその存在感を見せつけて、私を苛立たせるのだった。
ステイショナリー・ワンダーランド―伊東屋の文房具たち
4939102696

銀座は「伊東屋」。東京在住でなくとも多分文具好きなら知っているであろう老舗中の老舗。その伊東屋に並ぶ逸品たちをテエマごとにわけて、美しいヴィジュアルとともに紹介している。

「さすがは『プチグラ』!」と思わせる「選択」だなあ、と感心するばかり。イマドキのハヤリにも敏感だけれど、昔から変わらず愛されてきたもののことも忘れない、というのは本に限らず、雑貨や手がけるものすべてに言えることで、今回も「やられたなあ」と嬉しくなってしまう。
今年で創業100年になったから、…それを記念しての発行、かな?

「輸入モノ」ではなく、あくまでも「舶来もの」と呼びたくなるのが伊東屋で扱う商品。今日日「舶来もの」と呼びたくなるものでありながら、日常に存在できるものというのは、随分限られてきたように思うけれど、この文房具(ステイショナリィ、よりも、少しだけ懐かしいにおいのする「文房具」)たちにはその響きのほうが似合う気がする。

写真がとても美しくて、商品そのものの良さが伝わってくるかのようなレイアウト。そこもとてもいい。眺めているだけで店ごと買い占めたい衝動にかられる(笑)。

文具と、そして伊東屋とを愛して止まないひとたちのコラムや、社長さんへのインタビュウなど、内容もなかなかに充実。

品があって堅実で使い勝手がよく、でもどこか遊び心も忘れない、そんな「文房具」が欲しかったらここに足を運べばいい。そういう安心感や満足感まで与えてくれそうな空気まで伝えてくれるかのような本にまとまっているように感じる。店が持つ雰囲気を本の中に閉じ込めたような。

テエマに「プレゼント」という項目もある。あるいは大切なひとに、何かをあげたいけれど何にしようか迷ったら頁を繰ってみるのもいいかもしれない。自分用ならなお活用度大(ふふふ)。

倹約を心がけねばならない今の私には、眼福であるものの実は目の毒だったり……(涙)。

時を同じうして出されたピエ・ブックスから刊行された書籍。こちらも見てみたい♪
ザ ステーショナリー―銀座・伊東屋100年物語
4894443740

……嘉門達夫でなくとも思った安易なネーミング。
私が見てきた中でとりあえず暫定1位は

「除草剤 クサトール」

だった。それを友人に教えると、彼女はこう言った。
「うーん、あたしが見た中で『おお!?』と思ったいちばんヒドイのは、犬用の虫下しの薬でね、

            『デル』

だったな」
とのこと。……「クサトール」を上回る直截さと安易さ。

何につけ、「売れる」モノの名前というのは、「わかりにくさ」にポイントがあるらしく、例えば「ゴスペラーズ」は実力はあるのになかなかブレイクしなかったのは、その名前のわかりやすさにも原因があるのでは、と分析されていた。名前から伝わるイメエジでは「アカペラのグループでハモリが巧い」ということしか伝えられない、ということなのだろう(実際の彼らはバラードやらのみ歌ってるわけでもなく、笑いや遊びの要素もあったりで、楽曲も多岐に渡っているわけだけれど)。インパクトに欠ける、あるいは率直過ぎてはよろしくない、ということらしい。
その点「モーニング娘。」なんて、「モーニング」という単語と「娘」にいかなる接点があるのかわかりづらい(というより、……ないよな、フツウ)し、おまけに最後の「。」が尚一層わけわからん状態を呈している、そこがよい、のだとか。

でもあまりに安直過ぎると、それはそれでインパクトはあるのね、と思わせてくれたのが「デル」なのだった。
「『デル』買って来て」
そう言われてもわからないと言えばわからない、か。ひねってひねりすぎて元に戻ってるくらいの勢い? 「犬のための虫下し薬」という前置きがないと、わからないと言えばわからないよなあ(ひとによってはもしかして"DELL"思い出すかも。「デル(のPC)買ってきて」は別な意味で衝撃受けるな。そんな味噌だの醤油みたいな感覚で「買ってきて」と言える経済力と浮世離れっぷりってのが)。

それにしてもヒド…いや、すごい名前。
TVでCMを観るたびに不思議だった。某ドッグ・フードのCM。「一層美味しくなりました」というからには、「味見」する「ひと」が存在してるんだよね? と常々思っていた。誰がその「美味しい」を判断したのかな、と。

まあ、「どう、どのように美味か」は語っていないのだから、犬に食べさせてみたら喜んで食べた、とかモニター試験的なことを実践した結果かもしれないんだけど、「美味しい」とはまた随分と主観的な台詞なわけで、……「ひと」が食べてないと「言」えないのじゃないか、と。
もっとも、私個人としてはその謎は解決済、になってる。なってる、というのも実はちょっと違うんだけど。

Y氏は身体こそがっちりした男性だったけれど、内面はとても繊細で、いつも他人に対する気遣いを忘れないひと。でも所謂男気とでも呼ぶべき精神が感じられる、一緒に居てとても楽しいひと、であった。おまけに有言にしろ無言にしろ、やると決めたことはきっちりやられる方なので、上からも下からも信頼されていた。オットコマエのにーさんだった。

ある時私が「一層美味しくなりました、て、人間が味見をするんかねえ」とつぶやいたら、そのY氏からこんな返答が。

「あれ、馬鹿にできんよ。十分メシのおかずになるもん」

食うたんか!?

「…食った、んですか?」
「うん。試しに食ってみたら、結構イケる。あれ、ウマイよ」
「ほかに食うもんなかったんですかい……」
「いやまあ、別にしょっちゅう食ってたわけじゃねえけど」
「そりゃそーです!!」

Y氏は、自炊もしていたことがあるので、料理はそれなりにおやりになるらしく、また食べ物の美味い・不味いには御本人なりに一過言ある方で、……その彼が言うからには多分、オイシイ、のだろう……うん、多分……。

まあ、犬だってこういうペット・フードが普及するまでは人間が食べてるものを食べていたわけだし、このテの「総合栄養食」に頼らず、獣医さんから教わったレシピによる食べ物だとか、自分なりの工夫で与えている方もいらっしゃるだろうし、そう考えると、人間の「味覚」での
「オイシイ」を与えてもとりあえず飛び抜けて支障があるというわけでもないんだろう、と思う。でもって、犬が食えるんだ、人間だって食えなくはないだろう、とも思う。美味いかどうかはわからなかったわけだけれども!

でも、犬の味覚は、人間に比べるとかなり乏しいらしい。一説によると草食動物以下だそうで。野生の動物だった頃は、生きた動物を仕留めて食べるわけだし、ソレに人間思うところの「味」というのはなさそうだし(血液には塩分がある、んでしたか。「塩分控えめ」推奨は、本来肉食が中心の欧米の人々に適用されるべき注意事項で、肉を食べることでそれなりの塩分をすでに摂取しているが故に、味付け等による加塩によりさらなる塩分を摂ることは過剰、故に防ぐべきだ、ということ、らしいですね。しかし、犬の味覚が人間ほどでないというなら塩分の濃い・薄いもさほど関係なさそうなんだよなあ。まあ、日本の食文化も随分と欧米化してるわけなので、和食中心の生活を送るひと以外はやはり塩分は控えるべき、ということになるのでしょう。あ、犬だって人間との生活をしてるわけだし、食事情も野生動物だった頃とは違うから塩分摂取はそれなりに考慮すべき、なのか)。要は食べられれば、胃を満たせればよかった、んだろうし。
……そのわんこにやれ「美味しい」モノだ何だと与えるのは、まあ、愛情なんだろうなあ……。すべての犬が皆同じものを好むわけでもないし、犬にしては悪食な好みを持つコも居る、んだろうし(子供の頃、雑誌で「カレーの好きなうさぎ」を見たことがある。カレーか…食べるのか、そうか…)。

でもなあ。何となく、越えちゃいけない垣根とか一線を、Y氏は軽やかに飛び越えてる気がする……(笑)。
とりあえず、このドッグ・フードに関しては、人間サマも食べられて、しかもそれなりに美味だそうです、はい。

ソリッドアライアンス SushiDisk すし型USBメモリ SDIK-128 イクラ
ソリッドアライアンス SushiDisk すし型USBメモリ SDIK-128 イクラ

だらだらと雨が降っている。それ程冷え込む訳でもないけれど、昨日から続いているのでやや閉口。出来れば家に籠もっていたかったのだけれど、外出するハメに。

鮨の日なので鮨食べましょー♪

母よ。それは「すしの日」にかこつけて食べたいだけだな? ……母は鮨が大好きなのだ。そりゃあ私だって好きなんだが。何もこんな雨の日に出かけなくても。

年末年始は母が握るけれど、ふだんはあまりに手間を食うので流石に自ら、ということはない。要は出来合いのものを買ってくるのだ。

いや、美味しいけども。何だかんだでたらふく食ってるけども。それにしたって何もこんな雨の日に出かけてまで買って、食べなくても。

なんだかんだで毎年こうして食べてるんですが。

どうでもいいけど鮨型のUSBメモリ、可愛い(笑)。何か色んなのが出てる。とりあえずイクラの軍艦を選んでみた(大トロとか海老とか色々ある・笑)。無駄にリアルでいいのう♪
  
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