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おいしくてかわいい
伊藤 まさこ 渡辺 有子 ![]() ジャケ買いならぬパケ買いとでも言うのか。パッケエジが可愛い「から」買う、というのはよくある(私は)。 正直な話、パッケージだの容器目当てで買う。かなりの頻度で。 パッケエジ、容器が可愛いというだけで、何となくうきうきするのだ。それで食べて美味しかったら儲けモノ。空き瓶だのを再利用するために買っている。……馬鹿だなあ。必死で中身を食べているあたり、さらに馬鹿。ばかばかばか。おまけに、時々ムキになって中を空にしたクセに、はたと「……何に使えるよ?」と自問自答を始めるに至っては、……かけることばが見つからない馬鹿である。 食べられることだけは確実なので、それはもう完全に、容れ物目当てである。勢いである。「好き」の瞬発力である。 ええい、ムダムダムダムダァァァァァッ!! でも、可愛さにも注目しつつしっかり美味、なものを集めた本まで出るんだから、ははは、御同類多し。 すでにベタでかつ有名な「ボンヌママン」等を外さないところはお約束。既知のものでも改めて可愛いと頬をゆるませたり、こういうモノもあるのか、と見入ったりで、楽しい。 基本的には味は当然のこと、容器や見た目の可愛らしさも重視、というあれこれを紹介している。タイトルに偽りナシ(多分)。 ああでもすでにヨコシマな思いで見つめてしまう。その瓶を、箱を、容器を、どうやって使ってやろう? って、そっちが先かよ! 相変わらず本末転倒……。いやいや、ソコがこの本のキモ、なんだけど。容器ありき、しかも美味しいを追究(?)した上でセレクトしたものが並んでるのがコレなんだから。 でも、思ったより紹介されているものは多くもなくて、何にこだわったが故だろうかと考える。味? 見た目? 取り寄せの可・不可?(その情報もちゃんと記載されている)それらのバランスを見て、厳選した結果、なのかしら。「本」としてのボリュウムが欲しかったなあ、と少し残念。 オススメの食べ方とか、容器の再利用法といった、「読み物」の部分なんかももちろん楽しめますが。じっくり読み込むための本というよりも、気軽に眺めて楽しむ本。まあ、基本的には手の混んだ可愛いカタログ本、なわけだし。著者お二方が好きな方には買い、といったところ。 とある知人を思い出す。 「ねえ、見て見て〜〜♪ コレ、可愛いでしょー?」 と持ってきて見せてくれたのはクッキィが入っているらしき大振りの丸い缶。その深さからいって結構な量が入ってそう。つまり。ラウンド・シェイプ故にちょっと用途に迷いそうな気がしないでもないものの、収納力は有りそう、と見た。 「この缶が可愛いから買ったのよねーVv で、みんなで食べようかな、と思って持ってきちゃった」 ――おおう、同志よ! とっととカラにしたいのね! 「でもさあ、アタシ、モノが溜まるのって、嫌いなのよねー。だから、缶はいらないんだー」 ――は? でもその缶目当てで買った、んじゃ……。 「うん、『可愛いから』買ったのよ、もちろん。でも、モノが溜まるっていうのはイヤなんだ〜♪ 邪魔だもの〜。まあ中身は食べられるしね。美味しいらしいし。ふふふ。そんなわけで、さ、食べましょ。お茶あったっけ〜?」 「姪っ子にあげたら喜ぶかなあ」などと言って、捨てはせず、カラになったソレをちゃんと持ち帰ってはいたけれど。 ……げに複雑なるは乙女心。って、単に私と違うタイプの方だというだけなんだけど。 彼女は可愛いが故に買うけれど、その容器を使うためではなく、あくまでもデザインとして評価して買った、のだろう。質実剛健にして執着心のない可愛いもの好き、ということで(でも、だったら美味しくてパッケージも嵩張らないのがベストな選択だと思うんだが…まあそれはそれでいいか…。ある意味贅沢な楽しみ方だしなあ)。 私はどうでもいいようなモノに意匠が凝らしてあったり、という「有意義なる無駄」を愛するのであった。 故に部屋は愛すべき無駄で溢れている。――って、結局無駄なのね↓ |
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ハウルの動く城 徹底ガイド―ハウルとソフィー ふたりの約束
角川書店 ![]() 呪い、というものは、大抵の場合「呪詛」と「祝福」を兼ねる。単なる災いではない。一方向からばかり見れば、それは確かに「災い」である。だが、他(多)方向から見れば――? 多分彼女は最初から年老いていたのだろう。魔女、そしてその呪いはその具現化、あるいは具象化なのだ。 呪ったのは――本当は、……彼女自身なのだろう。 魔女は 「呪いをかけることはできるけれど、解くことはできぬ」 そう言った。かけた人間が解けぬはずはない。だから、ソフィー自身が自分に呪いをかけていたのだ。自分には魅力などなく、享楽的なことは何一つ許されず、日がな一日小さな部屋でコツコツと仕事をこなし、夜を迎え朝を迎える。「可能性」、というものが、自分にもあるのだ、という単純な「事実」を、彼女は自ら封印してしまったのだ。 故に、彼女は老婆の姿をとる。それは諦観のカタチだ。 動かず、留まり続け、滞り、俯き、悲観し、あるいは諦める。「老い」がもたらすもの。同時に彼女はその「諦観」からこそ今までにはなかった「活力」をも手に入れるのだ。何もかもを諦めざるを得ないなら、何もかも手に入るかもしれないのだ。すべて手放さざるを得ないのなら、逆にすべて手に入る可能性だってある。 だから老婆の姿になってからの彼女はいきいきとしている。 きっかけは多分「恋」。偶然出会った美しい青年と、ほんの一時、束の間、誰も知らない――同時に誰からも隠れることなく――「デート」を楽しむ。天にも昇る心地、を地でゆくわけだ。 恋をする。恋、というものは、基本的には利己的なものだ。彼女にはなかった感覚、感情だった。何もかも諦めていた彼女に、父の残した店だからと言う理由だけでその店を維持すべく家に籠もりきる彼女に、どんな「利己的感情」とやらがあっただろう? 彼女は初めて自分で、自分が、何をどうしたいか、で動く。それと同時に、「愛」も知る。 相手の弱さも卑怯さも狂気もひっくるめて受け入れ、それでもその相手のために奔走する。 彼女の姿はその時々で変わるけれど、最終的に「本来の」あるべき姿に戻ってゆくのは、きっとそのせいなのだ。 「呪い」がゆるゆるとほどけてゆく。 自分を必要以上に卑下すること。自分にはいかなる可能性もないのだと決めつけて封印してしまうこと。何もできないのだと諦めてしまうこと。それをやめたことで、彼女は瑞々しい女性に「成」ったのだ。 でも、それは「老い」を認めたからこそでもあって。 基本的には、がーる・みーつ・ぼーいのオハナシ、だと思う。で、嫌いではなかったし、ポイントポイントで小さい笑いを取ってきたりで、楽しめなくもなかったんだけど、これまでのジブリ映画を見慣れていた私には、ちょっとだけのっぺりしたカンジがして、「う、どこがヤマだろう」とか見終えた後頭上にクエスチョンが10個くらいあったかも。 ある意味、原作本を手にさせるには最高の出来かもしれない。 物語世界の中の約束事とかが一度観ただけでは私には飲み込めず(それでも楽しめるには楽しめたのだがら問題ないといえばない、のだけれど)、……何かがちょっとだけ物足りない。観れば観るほどじわじわと面白さが増すのだろうか? CVの皆さんはそれぞれ素晴らしかった。 美輪サマは言うに及ばず。倍賞さんはホントに少女らしさを感じさせる時があってうならされた。木村くんは……正直、姿が見える時よりずっとよかった(私にとって彼は、何の役を演じても、「木村拓哉でしかない木村拓哉演じるところの○○である木村拓哉」にしか見えないのだった……ファンの方、気分悪くなさったらごめんなさい)。ほかにもあんなひとやそんな方が演じていらして楽しめた。 音楽と映像美はいつも通り期待を裏切らず。 そんなわけで今原作の物語がとてもとても気になっている、のであった。……図書館予約いっぱいだよね……。
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どすこい。
京極 夏彦 ![]() 人前では読めない。笑いを堪えるので疲れ切ってしまう。これ、いいなあ。すっっっっっっっっっげえ馬鹿馬鹿しくて!(←褒めてます)おまけに、ものすごく馬鹿馬鹿しいのに、京極氏の知性とか聡明さが損なわれない、というのがスゴイ。流石でごわす。 「小説すばる」の新聞広告でタイトルを見ては笑い、一冊にまとまって出版された時の広告に寄せられた作家たちのコメントに笑い、今年今月、ようやく本文で笑うことができた。文庫になるまで読めぬ私は貧乏人。 一応というか一見というか、短篇集である。表紙とタイトルが雄弁に物語るのだが、これすべて力士、相撲取り、取的、角力、横綱大関関脇小結以下略、要はおすもうさん、にまつわるというかまとわりつかれてるというか、まあそういう話、なのだ(まあそういう話たあどういう話だ)。 むちむちとかどしんとかずずんとかそのテのオノマトペが似合うというか必然的にとでもいうのか、ちりばめられて然るべき(?)作品ばかり、なのだ。しかも4、50人からの力士がみっしりと膨満感を伴って登場しちゃったりするのだ。ええい、暑苦しい(文字のみのメディアでよかったなあ。これで映像だったらすごいよ。それ以前にカメラ曇っちゃって撮影どころじゃないよう)。 伊集院光様(好きなのだ)に内山信二くんに松村邦洋、石塚英彦氏にパパイヤ鈴木氏、そこに胡麻油とラアドとヘットをかけたくらいのクドさ満載の、かなりヘヴィな絵ヅラを考えて御覧なさいまし。 ……待った(待ったナシ! 見合って!)。コンビニ店内で湯気で曇るガラス・ケエスの中にみっしり詰まった肉まんくらいにしとく。無難だから。 閑話休題。 しかも、すべて有名作家の名だたるベストセラー作品のタイトルや内容(の枠、ぐらいか?)のパロディになっている。ボケとツッコミの応酬、そのテンポの良さ、思わず高橋留美子を思い出してしまった。しょーもなさ全開なのにちゃんと面白い。 おまけにそこで終わってしまわないのがやはり京極氏。一編ずつ読んでも楽しめるんだけど、これはやはり一冊で存在してこそ意味がある。ようになってる。――円を、為しているのだな。最初の作品から最後の作品まで通して読むとそれに気づく。読み終わって思いましたよ。 作品が土俵――環のカタチになってるんだなー、と。 さすが『どすこい。』言うだけあるわ。力士で相撲取りで取的で(以下略)なだけある。わはははははははははは。 でもって、その作品が入れ子型になっているの。小さな「しかけ」が面白い。アホなものでも手を抜かぬ、その姿勢が私を魅了して止まない。細かいところまで凝ってある、その馬鹿馬鹿しさがたまりませぬ。 しかし、ダイエットせねばならんと思ってる女がこの小説であそこまで笑い倒していいものか……いやよくない(反語)。 今回は帯もまた凝ってる。遊べるようになってます。どう遊べるかは書店で確認して下さい♪ |
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韓国ドラマNOW―総力特集ペ・ヨンジュンのすべて
主婦と生活社 ![]() 4サマ(……そう来たか。一発変換でコレなのか……。いったいどんな文章打った記憶がそうさせるのだ、我がPCよ)が来日「なさった」。 10億もの保険をかけて、というのでナニゴトかと思ったら。そうか。ファンという名の暴徒(笑)が大挙して波の如く押し寄せるのはやはりコワイのだな。何あるかわからないもんなあ……。 かつて美しかったことがあったかもしれないし、なかったかもしれない(皇太子様風味)、うら若きなどという形容をつけられた時期だけは確実にあったハズの女性たちが、カネとヒマとにものを言わせて空路も陸路も征し突き進み、笑顔を振りまきつつ出迎え、名を呼び、手を振り、フラッシュを浴びせ倒し、絶叫する。オンナはトシ食うとああいう「進化」を遂げるイキモノか。 ……コワイよー。4サマじゃなくてもコワイ。私も予備軍なんだろうか。自分がいずれ異形の者として覚醒するのを待つような気分だなあ……(ヒドイ言いぐさだ)。 でも、あそこまで――理性というものを極限までかなぐり捨てて――何かに熱を上げられる、というのはある意味幸福だなあと思う。覇気のない私よりはずっと。 でも、うん、保険、かけといて正解だよ、4サマ。御身大切になされませ。 いついかなる時も「微笑みの貴公子」として笑みを絶やさぬその姿勢。仕事の内とはいえ素晴らしいなあと思うのだった。 |
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AVP公開記念パック エイリアン/プレデター
シガニー・ウィーバー リドリー・スコット ジョン・マクティアナン ![]() 日本作品のパクリつーものが、そりゃあもう昔からあったのだ、と岡田斗司夫氏の著作で知った。 エイリアンVS.プレデター サナ・レイサン ポール・W・S・アンダーソン ランス・ヘンリクセン ![]() 最近TVのCMなんかでもガンガン流れてますが、「エイリアンVSプレデター」、これはまあ一部のひとにとっては所謂「夢の競演」というヤツで(随分早い段階で、たとえばモデラーさんたちは好んでヤツらの対戦風景を造形化して雑誌等に発表していらしたものです。そもそもは「プレデター2」の終盤、彼らの宇宙船内にエイリアンの頭部らしきものが映ってたとかなんとか…)、この「プレデター」、日本の戦隊モノ(そう、あの「○○戦隊×××」、アレです)に登場した「ブーバ」というキャラのまんまパクリであることはとて〜〜〜〜も有名なんだそうな(しかもキャラクター・デザインした本人が素直に認めてしまっているあたり、また何とも…)。 「ロボコップ」なんて思いっきりメタル・ヒーローモノのパクリだし(メタル・ヒーローもの、と言ってわからない方のために念のため。やはり日本の特撮ものの中のひとつで、「宇宙刑事○○」という系列があるのですが、それです。要はロボット警官モノ、とでもいいますか)、それを受けて日本でさらにほぼ同様の設定で新たな宇宙刑事モノを生み出した、という経緯まであるときてる。ふえええ…。 スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー 初回限定スペシャル・プライス版 ジュード・ロウ ケリー・コンラン グウィネス・パルトロウ ![]() 最近だと「スカイキャプテン」のCMを観て、宮崎アニメの「ラピュタ」に登場する飛行するロボット兵を思い出しました。でもこのロボットの造型というのがまたアメリカ映画からのパクリで、これをさらにアメリカの映画でパクった、という堂々巡りをしていたりする……どないなっとんねん。 でも、正直、ある意味極上のB級、という気がして、「EVP」、観てみたかったりする(笑)。 |
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名ソムリエの、ふだんワイン
柳 忠之 外山 俊樹 ![]() 酒はあまり強いほうではない。
甘みがあるほうがより好きなので、カクテルかドイツの白、が定番になってしまう(居酒屋だとカ○ピスサワーとか、そういうヤツ。日本酒は、一ノ蔵の「あ、不思議なお酒」なんか大好き。ウマー♪)。以前恩師のお宅で御馳走になったワイン、たいそう美味しゅう御座いました(岸朝子風)。 で。こういう美味しいワインに巡り会って、もう一度同じのが飲みたいなあ、と思ったら。実は簡単らしい。ラベル(エティケット、と呼ぶべき?)があればいいのだ。 このラベルには必要な情報がすべて記載されているとかで、この中の「APナンバー(公認検査番号):A.P.Nr./Amtliche Pruefungs Nummer」がわかっていれば、究極「同じ」ワインが飲めることになる。 先日昼日中から飲んでいた(ほほほ、お休みでしたので)ワイン、これには 2 907 021 38 02 と記載されている。 左から順に(私が記憶しているところによると)、 生産された州 地域 造醸所 樽 検査年(※) を意味しているのだそうで、「本当に」「同じ」となると、「樽」のナンバーに着目せねばならない、らしい。 同じ造醸所から生まれたワインであっても、樽それぞれ、微妙に味わいが異なるらしいので、ホントの本気でこだわるなら、そういうことになる、のだな。って。ひえええええ! でもねえ。ナンボ美味しいワインだったとはいえ、同じ年、同じ樽のワインに、再び巡り会えるもの、なのかしら。そりゃあ数日後、とかならあり得るかもしれないけれど(同じ店に、たまたままったく同じAPナンバーのものが複数本入荷していた、とか)。 同じ年の同じ造醸所は年が変わってもあるだろう。でも同じ検査年の同じ造醸所の同じ樽!? …って、まあ、要はそのナンバーを憶えていれば私のようにワインに詳しくない人間でも「あ、ココのは美味しかったなあ。また買ってみよう」というカンジの有益な情報になる、んだろう。 それ以前に、まだ「どうしてもあの味を!」と思えるほどによいワインを飲むべく、大枚をはたいたことのない私。手頃な値段でほどほどに美味しいものだからつい。 ……って、ただのケチだろ、アンタ。
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新世紀エヴァンゲリオン鋼鉄のガールフレンド2nd 3 (3)
林 ふみの GAINAX ![]() 実はあまり…というかほとんど期待せず、「EVA」だから、という理由だけで読み始めたのだけれど。ちゃんと面白い。元々コミックス版の「EVA」は少女まんが的だとは言われてたけど、やはりしっくりくるのかも、人間模様だの心理描写を考えると。 そんなこんなで3巻目。うわー、どんどん話が動くなー。 レイはシンジに告白するし、アスカはケンスケに告白されるし、シンジは相変わらずどうしていいかわからないし(笑)、カヲルは何かを秘めたまま「変わらないこと」だけを望んでいるらしく。 元々の話(アニメver.)とのキャラクタアの差異だとかが相まって、せつない気分になる。林版(つか、一応ゲエム版、てことになるのか?)では感情はあるのに表し方とその必要を感じたことのなかったレイがハキハキ物怖じせずに喋り、自分が何をどう思っているのか、何ができるのか、「考えて」「行動」するキャラになっていて、それが逆に「本来の」レイを思い出させてせつなくなる。 アスカは幼馴染みであるシンジに対して、認めたくない恋情を抱いていて、一挙手一投足が気になって仕方ない、フツーの(スキップしまくって14歳にして大卒、というようなこともなく、背伸びしていない年相応の)オンナノコしていて、可愛くてしょーがない。アニメの時のアスカは、M属性ある野郎と違って、すぐに逆ギレ・八つ当たりする鬱陶しい女の子に見えてたんだけど(いや、暗〜〜〜くてドツボ〜〜〜な過去を背負ってはいたけども)、この作品内ではひたすら可愛い。 シンジも、優しくて気のいい、可愛い男の子で……ああ、やはり「元来の」彼を思い出して何とも言えぬ気分だわ。 本当は、こうして、一日一日を、「平凡に」過ごしていたかもしれないのに。誰が好きとか何がしたいとか、そんなことだけを考えて生きてゆければ、それで十分に幸せだったのに。それをさせない「使徒」、「アダム」、そしてNERVとEVAという存在。 こうしてパラレルな世界で、それでも所々同じ流れを持つ物語として提示されると、しみじみと、アニメ版をじっくり腰据えて観たいなあと思ってしまう。それで、うだうだとああでもないこうでもない、と考えてみたくなる。……リアル・タイムで、ハマり倒したもんなあ……。 最終回、あの話題騒然になった最終回ですら、私は「ソレはソレ」と受け入れて、「映画化です」と言われて「じゃあ今度こそ?」と期待し、「今回で終わらなかったのでまた今度」と言われても「おう、まだ観られるのかー」と無邪気に受け取ったくらいに、無条件に「EVA」を愛してるのう。 いや、ダメダメではあったんです。ラストも。映画で完結、というデ・ジャ=ヴな出来事(笑)も。 ダメなんです。でも好き。その気持ちは変わらないなあ。 なもんで、この「鋼鉄のガールフレンド 2nd」も愛でまくりです。最後がどうなるのか、どうどこに着地するのか、とてもとても楽しみです。 加速度が止まらないカンジで気持ちよく進んできたけれど、どうなるんだろう次巻!(4冊目で終わりなの?) 期待を膨らませて待つのでありました。 |
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流れ星に祈って―冷酷な誘惑 1 (1)
リンダ・ハワード 岡 聖子 ![]() 「ハーレクイン」(以下HQ)。それは読む者を「異端」たらしめる書物。……いや、冗談抜きで。白眼視されるですよ、フツーに。読んだこともない「友人」に「えーっ」とドン引きされたこともあるし(笑。でも、「友人」がそういう態度を取られるとは思ってなかったなあ。内心「えー!?」と思いつつ堪えるものとばかり思ってた。認識が甘かったぜ。ちなみに私は友人が何を読もうと「ああ、そういうのが好きなんだね」としか思わない)。……でも、「読んでる」つー事実と、「どう読んでるのか」「どこを読んでるのか」つー私の主観とは必ずしも絡み合わない、のだな。 こういう作品読んでると、「恋に恋する女性が…」と思われがちなんだけれど、……私くらい枯れきった女もおるまいて。ありそでなさそなファンタシィとして楽しんでいる、コレがメイン。もちろん、作品の中には登場人物に惚れ込んで、一緒になって楽しんでる時もあるとは思うんだけど、「はあ、アタシもこんな恋がしたいわ〜〜♪」というノリは、私には、ナイ(ヒーローのあまりの鬼畜っぷりに泣いて怒ったことはあるが・笑)。いや、そういう読み方してる、純粋に「ロマンスの世界」に浸って読まれる方だって居ます。 表紙がこっ恥ずかしくて内容がワン・パターンであり得ない設定でしかも女性向けぽるのでしょ、という風に捉えられているものらしい。読んでもいないのにそんだけ知ってりゃすげえよな(笑)。 ぽるの、は定義がわからんので私には何とも言えぬ。セクシュアルな描写がないわけじゃないけど、別に何らの劣情も抱けないしなあ。……それ以外の、HQをHQたらしめる要素、は、外れてはいないです。でもそれがすべてでもない。基本があれば例外もある、ということを忘れられてしまうのが、読者としては少々不満ではあるけれど。 私にとっては「定型の美」、なのだ。様式美、でもいいや。HQ側自身が「話型」があることを認めちゃってるもの。最後は必ずハッピィ・エンドで、そこに辿り着く前にあれやこれや。なので、作家によっては作家自身の定型もあるので、終いにゃ飽きてくる時だって「ちゃんと」ある。 私も最初は読みもせずに別にいーや、と思っていた。 昔、氷室冴子女史の名作に『少女小説家は死なない!』(コバルト文庫)というのがあって、そこに5人の「少女小説家」が登場する。ひとりは語り手が同居せざるを得なくなってるハチャハチャファンタジーを得意とする作家、ひとりは吉屋信子を彷彿とさせる作風、ひとりはライト・エロ作家、ひとりはお耽美系(今で言うところの)BL小説書き、残るひとりにハーレクイン風味の作品を書く作家がいる、ということになっていた。女史のそれぞれの作中作はこれまた見事にその「作風」を体現した出来で、この部分だけ独立させて1本にまとめたのを読ませてくれ、と思うほどによくできていたのだ。 で。この小説で、HQの定義を学んだの。あとになって実物をちゃんと読んでみてからさらに笑えて楽しかった。 まず男は基本スペックのすべてが最上でなくてはいけないの。カタガキは「青年実業家」とか「海運王」、「大会社のCEO」てのが定番。スポーツは万能とまではいかなくても何かひとつはコレ、という得意分野がある。すべてにソツなく洗練されていると同時に情熱的で、ベッドの上では(下品になるので自粛)。容姿端麗は当たり前!! 懐かしの3高なんてカル〜〜〜くクリアですよ。 あとはですね。コレがあれば必要十分条件クリアです。それは何か。 「恐ろしくサブイ台詞を真顔で吐けること」。 これなくして何がHQか、と思うくらいだが、考えようによっては欧米人の基本スペック(というより日本人にない…習慣的にも特性としても文化としても!!)なので、アチラの方が読む分には私(たち)ほどはサブくないのかもしれぬ。 氷室女史の「飲むものはマティニだのカンパリ・ソーダなんかで、間違っても三ツ矢サイダーなんかじゃない」とかいう解説(?)には大笑いした(もちろん、あれこれ読んでると、庶民的なヒーローだって居るし、庶民なヒーローだって居るし、必ずしもハンサムではないけれどヒトを惹きつける顔立ち、と描写されるヒーローも居れば、稀に障害を持つヒーローだって登場する)。 で、ですね。これらの条件を満たせば、書けるんですよ、はーれくいん。私、友人にねだられて小説書いた時、「二度と読みたくない!」って言わせたい一心ではーれくいんもどき書いたら大ウケしちゃって(大笑)。その時はHQ、1冊も読んだことなかったのに、読んだことのある友人から「見事なHQだ」と絶賛されたくらいだ。それくらい、氷室女史の「HQをHQたらしめる条件」は的を射ていたわけです。 読んでると、カオが笑っちゃって、恥ずかしくなるらしい。みんな、読んでるうちに背中向け出すの(笑)。つーか、恥ずかしくて笑っちゃうのね。だって、野郎(むろん、実力で地位を掴んだ容姿端麗・眉目秀麗・文武両道・頭脳明晰・傲岸不遜+冷酷無比にして情熱家、という設定である。そんなハナシを書いた私は人間失格)がこれでもかとオソロシイ台詞を吐くのよ。ウケるウケる。読んだことないひとだと尚更ウケる。ある意味新鮮な世界なわけです。日常にない、あるいは起こり得ないことが存在する世界だから。だから、そこからすう、とハマるひとはハマるのかもなあ、と思ったりもする。 閑話休題。 というわけで、私はちょっとフツーのロマンス読みではないのかも。定型の在り方とか、人物造型と配置、物語の設定・背景と垣間見られる欧米文化、これを楽しんでいるので、「一般的なファン」ではないと思う。でも好きなのよ、はーれくいん。 ひとによっては「自分からは何もしないでシアワセになるヒロイン」にしか見えないんだろうけど、基本的にはヒロインってコレダ!! と思った男を何年も何年も思い続けていたりするので、相手がその感情に気づかずともアタックするわ(それで一度玉砕し、その時は互いに離ればなれになってのちに再会すると「再会モノ」と呼ばれる話の出来上がり〜)、自分から勇気振り絞って誘惑したら軽くあしらわれるどころか向こうのペエスで美味しくいただかれるわ(…)、良くも悪くも一途という設定が多いので、一概に「何もしないヒロイン」には思えない。自分からあれこれし過ぎてしくじってるのも居るくらいだ(お前、馬鹿だろ、とツッコミ入れたいヒロインは、結構居る……。でもって、そのヒロインのお馬鹿さ加減につけ込んで文字通り乗っかってくるヒーロー……うおああああうぅ! 腹立つー!! ←なら読むなよ)。 今回の本、HQ社によるファン・クラブで投票募って、その年の上半期・下半期のベストを選出する企画で、ベスト・ヒロイン部門・ベスト・ヒーロー部門、ベスト作品部門・ベスト作家部門総ナメ、という作品。私はまだその本が買える頃(HQ社の文庫以外のレーベルは、在庫保有期間4ヶ月と定められ、それを過ぎると基本的には手に入らない。もっとも、文庫のレーベルでも、そこそこ前のモノだと絶版・再版未定、てのがあるけども)、HQには本格的に手を出していなかったので、随分あとになってから運良く新古書店で見つけて買って読んだ。 ……個人的には、泣けたし、ちゃんと最後まで読んだけど、好きな作品か、と問われると、うーん↓ ヒロインの親友と結婚して幸せに暮らしていたヒーローが、妻子を事故で失って、ヒロインに慰められるうちに彼女に好意を抱く(実はその前からそれなりに気にはなっていたらしいが)。徐々に接近し合ってとうとう結ばれて、結婚。でもヒーローは事故で死なせてしまった子供たちのことが脳裏から離れず、救えなかった自分が再び子供を持つことが許されるとは思えなくて、子供が欲しいヒロインに「子供はつくらないよ」と一方的に宣言。でもある時避妊に失敗して妊娠。処分してくれ、という頼みをヒロインが拒絶、立派に産んでみせる。でもそのあともヒーローは子供なんて居ないかのように振る舞い続け、ある日……つー話なんだけど。 いやね、ヒーローの心の傷の深さも描かれていたし、わかるんだけど、あまりにも自分の傷にばかり囚われて、ヒロインがそのためにいかに傷ついたか、に、まっっっっっっっっったく! 気づかない(ようにしていた、んだろうが)。どんだけお前ひとり不幸なんだよ、と。ヒロインがまたおしん以上に(…古いたとえだな…)艱難辛苦に耐え続けるのよ。アンタは愛の殉教者かと(むろん、その無償の愛が美しいわけだが。無償故に至高の愛、なんだが!!)。 リンダ・ハワードの描くヒーローは「種馬ヒーロー(これに「傲慢」つーのが+されることもある)」(すごい呼び名だが本当だ)と呼ばれることが多いのだが、コイツもその部類。一週間に十日(また出たよ五月みどり↓)、毎晩何度抱けば気が済むんだと問い詰めたいような野郎で。カラダはしつよーに求めるクセに、ヒロインの心情は掴めない・掴もうとしない、という。 何だって全世界の女性たちが胸躍らせるハズのロマンスで私は怒髪天を衝く勢いで怒りながら読んでるんだか(笑)。ポイントはわかるの。ここ、泣き所よ、とか、ここ、いいわあ、とうっとりするとこね、とか、ここがキモなのよ、とか。でも好きか、つーと、ちょっとチガウかな、と。 でも、読むんだよなあ。キィ・ワードを繋げつつ、それによって物語をつくる、という大塚英志氏も言ってた書くための「方法」が掴みやすい話だなあ、と思いつつ、読む。いや、ロマンスとしても楽しんでるんだけど。多分。 展開がある程度読めるけど見ちゃうTVドラマみたいなノリで、毎月新刊チェックして買って読んでるのであった。 この、再販ver.もちゃんと買ってしまった(人気のある作品の過去の作品、基本的には二度と手に入らないワケなんだけれど、ある程度すると再販してくれる時がある。再販希望率ナンバーワンは多分彼女の作品、だろうな。最近コンスタントに再版されまくってる。どうやらHQ社との契約が切れて、新作が望めないから、でもあるらしいけど)。初版本持ってるのに。馬鹿だねー(でもHQの本って、劣化が激しそうだから、いいか…)。 すでにこの再版本も絶版らしく、取り扱いできない状態に。リンダ・ハワード強し!! ――って書いてきた文章読み返してみたけど、私、ホントにコレでロマンス好きなのか? 何か疑問(笑)。 |
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骨単―ギリシャ語・ラテン語
原島 広至 河合 良訓 ![]() 欲しいなあ。でもよりによってAmazonじゃ在庫切れ……(メイン・サイトUP当時)。はよ入荷せいや! とイライラするほど欲しいぞ、コレ。 多分対象は医学生だと思うんだけど、純粋に、楽しむために、この本が欲しい。「語源から覚える解剖学英単語集」と言うだけあって、ギリシア語・ラテン語に触れて由来を語り、日本語名称・英語名称ももちろんわかってさらには図解もアリ。面白そう! 語源から覚える、というのが私の関心を惹きつける。ああああ、欲しい。欲しいぞ。 ひとの営みやその身体の仕組みや成り立ちに、興味があるのだ。 飛び出す絵本で「人体」を買った時は母にぎょっとされたことがあるんだが、……興味深いではないか(ちなみに、カワなしの、筋肉のみで構成された顔がにょっ、と飛び出したりする)。 子供の頃学研の「○○のひみつ」シリーズで、いちばん何度も読み返したのは「人体(からだ、だったかな)のひみつ」だったし。でも医学の道を志したことは一度もない。やはり、純粋な興味・関心のみがあるのだな。 すでに第2弾「肉単」(これは筋肉編、ということになる)も発売中(そしてAmazonでは在庫切れ中!!・怒。※ええ、ですからメインでUP当時。…今もヤバそうだが)。 ほお〜うら、見てごら〜〜〜ん↓ 肉単―ギリシャ語・ラテン語 原島 広至 河合 良訓 ![]() 「脳単」(脳・神経編?)、「臓単(内臓、か)」も控えている、とのこと。ますます欲しいー!! 惜しむらくはお値段。……た、高いぞ。そのあたりが医学部生仕様か!?(未だに私のアタマには、医学部に進学するひと=実家は金持ち、という幻想がある・笑) |
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もののけ姫【劇場版】
松田洋治 石田ゆり子 美輪明宏 ![]() 「何がキャッチ&リリースだ! 釣った魚は食え!」 ……宮さん(=宮崎駿氏)らしい発言だなあ、と、「もののけ姫」観たあとに思った。雑誌で彼の(あるいはこの映画の、だったか?)特集をした時の語録に載ってたように記憶してる。 漁/猟は本来食うためにやってたことだったわけだけど、今は釣ることそのもの、狩ることそのものの「楽しさ」故に「娯楽」になって沢山のひとに愛好されている。個人的には、キャッチ&リリース、「偽善ぽいなあ」などと思ってしまう。自分が釣りをやらないせいかも。 だから、「食べたい、とかじゃなくて、釣る、ってことを楽しみたいんだよ。だから、釣ったら逃がすんだ」という気持ちがあまりよく理解できないんだと思う。 食いもしない魚を釣って、逃がしてやる、というあたりが。でもって、もし釣りをやるなら、食う気満々で臨むと思う。多分、やるならそのためにやる。 種の保存のため、ってヤツなのか。ひとりひとりが釣る量は大したことないけれど、それが何人分も、となると絶滅の危機に至る、とか、そういうのが理由なのだろうか。もっとずっと昔なら、誰だってそれを日々の糧にせざるを得ない頃なら、数え切れないほどの人数が釣ってたと思うけど。人口が増加の一途を辿ってるから、昔と一括りにもできないか。 外来種をとりゃーっと放流して醍醐味を味わうとこまでいくと「そこまでしてやりたいんだねえ…」としか思えない。それまでの生態系ぶっ壊れるわけだけど、外来種がフツーに存在するようになったら、それはそれで新たな生態系として諾々と受け入れるのが、正しいのか。断固反発すべきなのか。 生活のために必死になって漁をしてるひとたちが「それは乱獲」、とか「あんな賢い動物を殺してしまうなんて!」と言われて規制受けたりしてるのに、食いもしない魚獲るのは逃がすことでチャラにされるんだなあ。「逃がす」――捕らえた側の視点だな。動物対動物なら「逃げられる」だろうし。「上」からの視点か。 人間も自然の理の一部で、その営みも理の内で、その人間が何かを為したために何かが消えてしまう、それはもう……「自然」の内に入らないのか。人間だけは「自然」の外に存在してる、んだろうか。……自然=征服すべきもの、という考え方は、欧米的、というか狭義的にはキリスト教的、かな。違うか、狩猟民族的、なのか。……ムズカシイな。 少なくとも、日本はそもそも自然をそういうモノとは見なしてなかった気がする。畏敬の念てもんがあったような。 人間はそんな「エライ」もんなのか。人間こそがこうすべき、ああすべき、とあれこれ手を出すのが、「全てにおいて」「何もかも」「絶対に」正しいんだろうか。 人間の勝手で色んなもんをねじ伏せてきただけじゃないのか。 そう言えば、故景山民夫氏は「地球の環境破壊は、人間が居なくなってしまえば、何億年とかけて自己治癒できる」とか言ってたなあ。そうかもしれない。環境破壊を生み出してるのは人間なんだし。 ヒトの暮らしもダイジ。でもそのために何もかも踏みつけにしていいのか。でもって、その「踏みつける」という行為が悪意からではなく必要から生じたのならそれもまた自然の理ではないのか。そう思った上でヒトの勝手を考えていかなくちゃいけないんじゃないのか。考えているのに追いつかないのか? あれ? ……とか何とかあれこれ考えさせられちまうのがこの映画。 善悪が定まらない物語や関係性てのが二項対立式に考えがち(キリスト教ってのはそういうもんだ)な欧米人にはフシギで満ちてたんだろうなあ。 英語版 "Princess Mononoke" を映画館に観に行ったら始まる前にメイキングも上映した。外国の行く先々で監督がアホほどインタビュウ受けまくってた様子が映し出された。何となく、観たアチラのひとたちは困惑してるように見えた。困惑、というか、一度観た程度では自分の中の混沌が混沌のまま、うまく整理できないようにも思う。誰が悪い、というのも明確にならないし。 神様は絶対で、それに敵対するものはすべて悪です、という思想背景からすれば、まあ新鮮だしわかりづらいよなあ。スッキリもしないし、単純な楽しさに満ちてるわけでもない。それは日本人である私にとってもそうなんだけど。メッセージ性強いから、好き嫌い分かれるんだろうな、コレ。 てなわけで(?)、また今夜観てしまうのだった。 個人的にはヤックルが好きだなー。ヒトと自然の交わる部分そのもので、どちらにも越境し過ぎずでも自然体、なカンジが(ケモノに自然体もへったくれもないか…)。
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まいにちトースト
たかはし みき ![]() ああ、ホントにパン好きだったんだ。新刊の中からコレを見つけ出した時真っ先に思った。「こげぱん」(御存じ?)を生んだたかはしみきさんによるトースト・レシピが80種類も載っている。 ウチは元来朝にパン食、の習慣がない家で、朝食はパン、という家庭が子供の頃少し羨ましかった(今はしみじみと「朝はメシだ! ごはん食わせ!」と思う方だが)。多分、父が教員をしていて、パン食に少々辟易していたせいでもあったと思う(給食で半ば強制的に食べさせられるハメになるので。母も教員をしてたけど、パン食キライではなかったらしい)。そのクセ今は昼食に調理パンを買ってきたりするのは父なのだが。 ……というわけで、トースト。おやつ感覚で、か、父が留守の時の私と母の昼食で、大抵はバタかマーガリンで至極あっさり、そんな風にしか食べたことがない(稀にオプションで、バタ+ハーシー・チョコレイト・シロップ、という凶悪な組み合わせが登場する。……何というハイ・カロリィ!!)。 要はそのひとの好き嫌いでしかないんだけど、そうか、こんなにヴァリエイションがあったんだー、と素直に感動した。 大きく「モーニング」「ランチ」「ディナー」と3つにわけ、さらには「番外編」として世界各国の定番トーストも紹介。 基本中の基本(?)、バタ・マーガリン編ではバタ+ふりかけ、マーガリン+あんこ(これ、名古屋のモーニング・サアヴィスで定番だ、と聞くのだけれど、トーストでなくてもいいのなら、この組み合わせ、私の幼少時にはすでにあった。地元のパン屋がコッペパンに切れ目入れて、そこにマーガリン+あんこ、を挟んだ物を販売していて、フツーに食ってたので。だから、何をきっかけに騒がれる?ようになったかは憶えてないけど、そんな大騒ぎするほどすんごい組み合わせじゃねえだろ、と思った記憶がある。好みにもよるけれど、フツーにウマイ)等から始まり、海苔の佃煮編(御本人はあえてひとつのジャンルとして提唱しておられます。あれこれ試しているうちに美味しさにさらに目覚め、独立させたのだとか)だとか、プレインな食べ方ばかりしてきた私には新鮮なものが多数。これ以外にもネギトロ、キムチ、目玉焼き、林檎の炒め蒸しなどなど、目を見張るようなものから確かに美味しそう、と思うものまでこれでもか、と紹介してくれている。ヤだなー、おなか空く〜↓ ひとつひとつのレシピをイラストとコメント付で紹介。その絵がまた可愛い。食パンにはこんなに楽しみ方があったんだな、と目からちょっとウロコが。 KINGの愛したピーナツ・バタ+バナナ、も紹介されていたのが個人的にはツボ。甘いよー、太るよー↓ 一説にはこれも彼の命を縮めたものだ、って言われてたよなあ…。味が想像するだにヘヴィでまだ試したことがない。出でよ勇者! あっさり軽めのものから、食べ応えのあるものまで色々。私が昔よくつくってたのもあって嬉しかったり。
タイトル通り、毎日楽しめそうなところがぐーです。しかし、ハード・カヴァーという堅牢なつくりに少し吃驚した。いや、いいんだけど。そのわりに価格控えめだし。 |
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おしゃまなロージー
キャロル・キング ![]() ずっと前から欲しかったんだけど、手に入らない状態だった。でも、今は買える♪ リマスター版で再登場! 嬉しい〜♪ センダックのアニメーション、"Really Rosie"(邦題:おしゃまなロージー)のサントラ版。 キャロル・キングの声がやわらかくてメロディも何だかなめらかで優しいカンジ。邪魔にならなくて可愛らしい。 歌詞はセンダックが手がけているのでお子さんいらっしゃる方にも楽しめるのではないかなあ。数え歌があって、頭韻が楽しめるABCソング "Alligators All Around"(ワニさんがいっぱい)とかオススメだったり。子供のコーラスが入ってるとこがまた♪ でもホントは「ジャケ買い」です。このジャケットにやられてずっと欲しかった。この作品自体も観たいのだけれど、DVD も Video もないのね(この時点ではまだ本国の Amazon をチェックしてません)。残念。絶対可愛いと思うんだけどなー。 チキン・スウプの歌が2曲もあって、聴きながらつくる、なんていうこぢゃれたマネをしたくなってしまった。この曲に関しては元になるであろう本もあって、お値段お手頃なのでいずれ購入予定。 Chicken Soup With Rice: A Book of Months Maurice Sendak ![]() こちらは日本語版。 チキンスープ・ライスいり―12のつきのほん 神宮 輝夫 モーリス センダック ![]() ![]()
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チンパンジー以下の記憶力なのではないかと思うことしきり。数秒前まで使っていたもの・手にしていたものをどこに置いたか、ふと忘れてしまい、家中を放浪するハメになる。 リップなんぞその最たるモノで、何度失くしたことかわからない。失くした、というのも正確ではない。単に、どこに置いたか、あるいは入れたか、忘れてしまうのだ。 ふと前に穿いたジーンズを穿いたらポケットに入っていたり、以前外出した際に持って歩いたバッグのポケットに入っていたり、ヘタすると年明けて数ヶ月も経ってから発見、なんてこともある。……諦めました。 実際に使用しているのは、数百円「も」するような「高級品」ではなく、100円均一ショップで購入した品。だって見失うんだものー! たまたま香りつきと無香料で色が違うデザイン同一のもの、とかそういうものがあると、喜んでその2本なら2本、購入。間を置いてさらに買うこともある。まとめて買えばよさそうなものなのだが、買えば買ったでまとめて遭難させてしまいそうでできない。なので、ほかに入り用なものがあって店に行く時、思い出したようにまた買うのだ。で、指定席をつくる。 自室に2本、ダイニングにも2本。さらに頻繁に使うバッグにもそれぞれ1本ずつ忍ばせておく。これで外出時も持ち忘れナシ!(……いや、気分変わってふだん持たないバッグででかけてたまに忘れることもある… |


















左が今年のもの、右が今回もらってきたもの。



