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「泣かせやがってこのやろう」って歌、あったよなあ(……地味に古くねえか? いやん、トシがバレちゃう♪ って、タイトルしか知らないんだが↓)。今はその「このやろう」の意味がよーくわかるわ。ホントにもう。このやろうでございますよ、皆々様方!!

激励といたわりとを、両手から溢れんばかり、見も知らぬ方からいただく、なんて体験は、これから先何度あるだろう? ないわよ、きっと。そう思うくらい、力づけられるようなコトバが、花が咲くように雨が降るように私の周囲を埋め尽くす。

「あなたが思うよりも 世界は もっと素敵よ」

うん。そうかもしれない。そう信じるのも悪くないかもしれない。
そう信じるなら、そういうモノなのかもしれない。
とても簡単なことをムズカシくしてるのは、結局のところ自分自身なんだろう。

泣いてないもん! って言いながら滂沱の涙にハナミズだらだらな幼稚園児みたいな気分に浸ったのも何年振りのことかしら(笑)。いや、泣いてないですよ。ちょいと画面は霞みがちですが(トシのせいじゃね?←自分で言ってちょっとヘコんだ…)。

このエントリィは、わかるひとにだけわかっていただければ、届いてくれればいいな、とそれだけを思って書いてます。ああ、チラシの裏にでも書くことだろうが、しょうがねえだろ、ココに書かなきゃ読んで欲しいひとに届かねんだよ!(誰に逆ギレ?)……そういうわけで、じきに「古巣」と呼ぶべきところになる場所で、今でも雄々しく美しく! 地に足つけて自分の思うところを述べて憚らぬひとたちに捧げるためだけに。これを書いています。届け~(←呪詛)。

励ましのおことばを下さった方。
ありがとうございました。私はあまりにもお気楽~な態度でその記事を書いてしまった、と猛省すべき点があったので、やはりその点をなかったことにはできません。もし私なりに「こういう姿勢で書いたんだって!」と主張できるナニカがあれば、もっと胸を張っていられたでしょう。……優しいお気遣いのコトバひとつひとつが、とてもとても嬉しかったです。御自身もイヤな思いをなさったことがあって、それを踏まえた上でのお心遣いに、感謝しています。元気、出ました。それはもう。

謝って下さった方。
貴方には何の落ち度もないのです。どうか謝ったりなさいませんよう。迷惑なんてかかってないですから。私が自分で考えて自分で決めたことですから。どうか気になさらず。どうか。

「残念です」と言って下さった皆様方。
読んで下さっていた方が、私が思っていた以上に多くて、本当に驚いています(私もリンクこそしていなくとも興味がある記事はばんばん拝読していたわけですが)。私のブログのカウンタが動くのは、てっきり「ハー○イオニーが登場する官能小説」を期待していたり、「ボンヌママンのミルクジャム」について知りたかったり、「呪い方の実践法」を調べてみたかったりするもので、うっかり検索したらその語彙でHITしちゃって読みにきちゃいました、な方(つまり、ブログサイト登録者さんより「部外」の方)のほうが断然多いとばかり思っていたのです。
残念だと思っていただけるほど「楽しんで」いただける記事が書けていたかは甚だ疑問ですが、そう言っていただけるのは望外の幸せ。
読んで下さってありがとうございます。もしこれからも読んでいただけるなら、それもまた願ってもない幸せです。

何度も繰り返しますが、私は自己満足で文章をだらだら書いています。ただ、ヒトサマにも読める状態の場所で発表しているので、読んで下さる方はたとえ数人であってもいらっしゃるのだ、という自覚も持ちつつ書いている、つもり、です。ですから、自己満足のクセに、「読み手にとって、面白い、とか楽しいな、とか、思えるモノになるといいなあ」と、無理なことを考えていたりします。
そういう私に、惜しげもなく優しいことば、励ましのことばを下さる方たちが居る、そういう「場所」に居たんだなあと、しみじみ、しみじみ、感謝しています。

ココで、今まで通りのノリで、へらへらだらだらあれやこれやとどうでもいいようなことを綴ってまいります。はくらんきょうき! 言われたことない! どうしよう、そんな褒め言葉! ぶんさいがある! 言われたことない! ホイミホイミより効く!(何にだ…)

「こんな小さなホシではきっと出逢ってしまう」そうです(笑)。ネットの世界に居る限り、確かにそれはあながち嘘というか単なる喩えでもないですね。事実、「私、ヨソ行きますね」とヌカしてひょいと移ったら、色んな方が軽やかにコチラまで出向いてたくさんの足跡を、コトバを、花束にして残していってくれる。
私からは、何も差し出せないのに。
うがー、はよコメント・トラックバック機能実装せいや! それがブログのブログたる特色のひとつやないんかい!(誰への文句でしょう?)

皆様に私のキモチが届きますように。

ひょいひょい皆様のところへ出没します。足跡が見えるカタチで残せないのが残念ですが。私のほうこそ、皆様のブログを楽しませて頂いております。その「楽しみ」をこれからも提供して下さいますように、伏してお願い申し上げる所存。
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1月が終わろうとしているのねえ、と何故か室内なのにカーテンだの下げてある衣服が風で揺れる部屋でぼんやりとディスプレイを眺めつつ、キィを殴ってる。寒いな……。自室は天然冷蔵庫。外気とどれくらい温度違うかわからんぞ。大差ない気がする。風雪凌げてるだけではないか。とか愚痴るクセにストーヴはつけない。アブラ食うからのう。

水玻です……ごみやと思ってつまんだら蜘蛛やったとです……(実話)

もとい。
「Daily…」を閉鎖することに決めて数日経過したけれど、どういうわけかとてもあたたかいことばばかり頂戴していて、何となく戸惑っている。自業自得で去る(つまり、それだけのことをしでかした)と決めたというのに。
今までお互いにリンクこそしていなかったけれど時折読んでいた、という方がブログでメッセエジを残して下さっていたり(コレ、読んで下さるかなあ。すみません、言われてみると私、小難しい漢字が好きな中学生みたい。今になって恥ずかしい・笑)、少し前にUPした記事を取り上げて下さっている方が居たり、……「あの」場所でブログ開設してよかったなあ、としみじみ思っていたりする。私なんかが書いた文章を読んで下さってた方が居たんだなあ、と今更ながらに実感している。

何だよ、せんちめんたるに浸ってんじゃねえよ。

今は必死こいてブログのリストをココに貼り付けるべく、リストを作成中。いや、コピーペーストで簡単にできることなんだけれど、ついついそれぞれのブログの記事を読み込んでしまって(お馬鹿…)、作業がはかどらない。

1月が終わる。それだけのことなんだけど、何となくその事実を惜しむようにかみしめてる。
Unique Handmade Books
Alisa J. Golden
1402706146

こうして自分だけが読めるように、本にでもまとめるなりして、ひっそり楽しんでいれば良かったのかねえ、と時々思う。

誰もが読める場所で記事をUPして、それを元に私が記事を書いたことが発端で、以前登録していたブログから去ることになった。自分で決めたことだし、自分のしたことが発端だったから、それで良かった、と今でも思ってる。

「あのころ」。2007年4月半ば現在から見て「このころ」。

行為そのものは別段「悪い」ことだったとは思っていないのだけれど、相手を不快にさせてしまった、というのは今でもちょっと思い出すと辛い。もっとも、私が書いた記事のどういう部分がどうどのように「不快」だったのかは、明言されていないので未だに判らない、のだけれど。かといって「どのように不愉快だったのでしょうか?」などと訊く訳にもいかず(絡んでるみたいに思われたらアウトだし↓)。

何だかんだいって、今もこうしてブログを続けてるんだから、……ツラの皮が厚い、とゆーことなのだろーか↓
コチラに移ってからの方が色んな意味で気がラクになったのは確か。小さな同じ町で私に厚意を抱いてはいないであろうひととすれ違いながら生活することが疲れない、とは言えない。向こうも私を見かけずに済んで厭な気分にならずに済んでいるだろう、と思うと多少は気が紛れる。

もう2年が経った。早いものだ。
元々はメインだった「Daily Junks」。メンテナンスやサーバ激重の時イライラするのを避けるためにミラーとしてつくったはずの「拠火園雑録」。昨年末を以てその関係が逆転し、「Daily…」は「拠火園」のミラー・サイトにすることにし、ココから発行される「日報」というカタチを取っておりましたが。
今月末を以て「日報」は「廃刊」となります。すでにリンクのリストからも除外してしまいました。キャッシュは拾える状態ですし、ココの記事とほぼ同じ内容が9割以上占めてますので、そもそもなければなくてもいいくらいでした。

「廃刊」理由は、発行先にて他のブロガーさんに不愉快な思いをさせてしまったため。

「Daily…」を公開していたブログ・サイトは、言うなれば発展途上のまだ小さなコミュニティのようなもの。小さな村なら村、あるいは団地みたいなカンジで、比較的住人(ブロガー)さんたちとはある種の顔見知りみたいな感覚がありました。親しくことばを交わすひとも居れば、通りすがりで見かけた程度のひとも居るし、稀に挨拶をしてみたり、用があって訪ねたり訪ねられたり、といった雰囲気。誰、と本来の意味で知っているわけではないけれど、他のブログ・サイトほどは登録者もまだ多いわけではありません(テエマが少々特化されているところもあるので、他のブログ・サイトよりある種の排他性はあるかもしれません。たとえば、語学にさほど興味がない方はあえてそのサイトを選ぶ、ということをしないことの方が多いです)。
そういった中で、私が書いた記事によって気分を害された方がいらっしゃるわけで、現実レヴェルに置き換えると、私としては、何とも心苦しいわけです。すれ違ったりした時に、こちらは「申し訳ないです」、と恐縮するしかなく、先方にしてみれば「ああ、あの時のひとね」と不愉快になられるかもしれません。
誰が誰ともわからない巨大なブログ・サイトでならば、不快に思うひとも居るだろうし、その逆のひとも居るだろう、と割り切れた、あるいは知らぬふりを決め込もうという気持ちになれたかもしれませんが、……如何せんこぢんまりしたサイトだったので、私対大多数であると同時に、個人対個人、という図式が割合くっきりと見えてしまう。それでなくとも私はバナーの多用のせいで常時サイトのTOPペエジで名前がばん、と表示されてしまっています(そういうシステムなので)。不愉快な思いをさせられた方にしてみれば、名前を見るだけでも嫌な気分になられるのでは、との懸念もあります。
また、私自身にも、そのこぢんまりした親しみ易い雰囲気故に、それに慣れて礼儀や配慮に欠けたところがあったのでは、と今更ながらに思いを巡らせています。もう、遅いのですが。

こぢんまりした中で、色々な方と記事や話題を通して繋がることができたのはよい経験でしたし、大変楽しく充実した期間でした。読んで下さった方々、殊にリンクして下さった方々には、本当に感謝しております。
こちらに完全に移ったから、と文章のスタイル等は変わらない(変えられない)です。そういう意味では今までの私、私の書く文章と何ら変わりはありません。ただ、読んで下さる方やリンクして下さっている方たちと、取るべき距離は取らなくては、と今まで以上に注意を払うべきであると自らを戒めてゆかなくては、と。「悪気はなかった」のは事実ですが、なくとも受け取った側が不愉快であったというなら、やはり反省すべきです。今は自分の無神経さに腹が立つばかりです。情けない。

これまでもこれからも、第一に自己満足のために駄文を書き連ねております。それを御理解頂いた上でなお読んで下さるという方、これからもよろしくお願い致します。

Ghost Hunt at Trembly Towers (A Search-and-solve Gamebook: Skill Level 1)
Molly Williams Chris Fisher
0744560519

精神年齢の低さと語学力がほどよく比例している私にはピッタリそうな本。……いや、待て。比例してないかもしれんぞ。何せ私は幼児向けの絵本ですら「この単語、何だ? 知らない……」と愕然となった女だ(もっとも、3~4歳の子供だってきっとこの絵本で初見の単語だ、ってことだってあるやい! と思えなくもないのだが、仮にも10年以上英語に触れてきてそれはどうなんだ、と直後ヘコんだのであった……)。

これは、 Amazon では「Pop-up」本、とあるけれど、……ホントか?(表紙に何か手がかりはないかしら、と拡大図を見たら……ピンボケだよあまぞん! 意味ねえよ、あまぞん!! どうでもいいけど仮面ライダーアマゾンって、何でいきなりあまぞん!? ←関係ねえよ)いえ、そのわりに価格控えめなので、ちょっと。おまけにこれ、U.K.版なんですよ。ポンド高いっちうねん!
以下U.K.版あまぞんより転載。

Synopsis
Three friends - bossy Ivan, tiny Midge and sharp-eyed Ellie - spend a holiday at Trembly Towers. Ellie's father has told them that the house is haunted and they are determined to track down the ghost! Lots of hair-raising fun ensues in this story puzzlebook.


'hair-raising fun' てのが笑わせてくれる。なるほどね。ふふふ。
仲良し3人組が、休日にちょっとオロソシげな塔で冒険を楽しんでくる、という筋、なんでしょうね(辞書ナシ・語学力ナシが何かごちゃごちゃ言ってます。訂正あったら夜露死苦!)。で、タイトルからいくと、なぞなぞというかちょっとしたクイズみたいなものが出されて、本のあちらこちらを調べてそれを解きつつラストに向かう、というカンジなのでしょう(辞書ナシ・語学力以下略)。Skill Level 1 とレヴェルが設定されているのも初心者な私には嬉しい。少しずつ段階を踏んで楽しめそうで。いいなあ、コレ。欲しい。
一応ホラー系のオハナシでもあるので、そこにも惹かれる。子供だまし程度(という言い方は失礼ですが)のものでも、わくわくできて楽しいもの。そういえばKing――えるびすじゃないほうの!――の作品にもPop-up Book があって、それも面白そうだった。ちなみにコチラ↓
The Girl Who Loved Tom Gordon
Stephen King Peter Abrahams Kees Moerbeek
0689862725

……正直表紙の絵からしてコワイんだが(子供より、大人のほうが楽しめそう。山中をさまよい歩いて傷ついた主人公の絵的描写が結構リアルでコワイそうです)。
もとい。あまり英語力のない私には、とりあえず今回TOPで紹介した本のほうが向いていそうな気がします。
でもって、シリィズであるとすべて欲しくなる私。……敵はポンド、アルビオンに在り、と来たか。くそう!(というより、一番の敵は私自身の経済状態だということに早く気づけと・以下略)
My Secret Fairy Garden
Maggie Bateson Louise Comfort
0333781252

……もうもうもう……(絶句)。可愛い。可愛すぎるー!! 大昔買ってもらった「メリーゴーラウンド絵本」タイプの絵本なのかしら?  Amazonのレビュウからすると「回転式」とあるし、実際買われた方の記述からしてもそう思って間違いなさそう。
こう、表紙と表紙を背の部分でわっきりと外側に向かって開いて、双方の端と端を合わせると、360°ぐるりで景色や情景が展開される、という(私が小さい頃買ってもらったものは、「ヘンゼルとグレーテル」で、表紙・裏表紙の端に紐がついていて、本を思いっきり開ききってその紐通しを結ぶと物語がメリー・ゴーラウンドよろしくまあるいカタチになる、というもの。本来の意味のポップ・アップとは少し違っていて、シャドウ・ボックスみたいに、絵が背景奥・やや手前・前に人物の絵、とか何層にも重なって奥行きや立体感を感じさせるようになった作品でした。ちゃんと釣り下げるための紐までついている)。
でもって、これ、単に絵本、というのではなくて、付属の紙人形を使って、ドール・ハウス感覚で遊べるようになっているようです。可愛いわあ……(陶然)。私の、来年小学校に入る姪はこういうのを喜ぶだろうか。叔母はすっかりトリコなのだが!(私がトリコになったって、当の姪っ子がトリコになってくれるかはハナシが別よ~↓)いや、何も姪にあげずとも私が自分のために飾って楽しんでも(以下大人げないので自粛)。
手が混んでいて可愛らしくて、もう言うことナシです。お値段は張るけど、それでもそれくらいの価値はあるかな、と思うし。タイトルも素敵じゃないですか。「私の秘密の妖精の庭」(まんまやな…)なんて。「私の!」という所有格がつくとこがミソです。誰もが持ってるかもしれない、誰かも持ってるかもしれない、でも私が今持ってるコレは、私だけの「秘密の庭」なのよ、というところが。

姪よ。叔母はまず自分のために買うような気がする。時を待つがよい(…どこまでもどこまでも大人げない叔母)。
Poppy Cat's Play House
Lara Jones
0333984749

出たな、紙製リ○ちゃんハウスめ!(今度は攻撃的なのね…)古きよき紙製付録付雑誌購入者としては、感涙モノの出来。

幼児向け・園児向けの付録付メディアすり寄り雑誌(表紙にアニメ・キャラとか特撮ヒーローなんかが乱舞してるタイプの「一応」知育系雑誌)、は買ってもらったことがあまりなかった(何でだろう? まあその代わりに月刊絵本を2冊も購読させてくれていたけど)。その反動か、小学生の中学年辺りで、駄菓子屋から雑誌の付録がランダムに詰めてある(当然、よくある「り○ん」「なか○し」の類も入っているのだが、学年誌・幼年誌の付録も入ってることがある)くじひいたりしちゃってたぞ(まあ、そもそも精神年齢が低かった↓)。
元々「り○ん」等の付録を組み立て慣れていたせいか、作り方、雑誌にしか掲載されてなくてもさくさくつくれちゃって。ブティック兼ファッション・ショウのステエジ、という少々盛りだくさん過ぎな設定のものを組み立てた時は思わず感動してしまった。おおう! こういうものが付録についてくるのね! と(笑)。イヨーに小物とかが充実しててカンドーした(ははは)。家モノは楽しいのう!

紙でどこまで何がつくれるか、に果敢に挑戦しているかのようなあれやこれ、が見ているだけで楽しい。近年なら梱包用段ボールとか。切れ込み入れてあそこを畳んでそこを折ったらハイ、あっという間に梱包用資材に(でも1枚紙!)、何てのを見ては開発者(? デザイナー?)さんの力量に感服する。
紙で、というのがいいの。今幼年少女まんが誌の付録、規制緩和のおかげでアホみたいに豪華(……と言っても、まあ、素材が。紙とかせいぜいヴィニルの類、ほんの一部になら金具・プラ部品もアリ、だったけれど、今は付録そのものの素材は特に規制がないらしい。ブレスレットだペンダントだとものすごいことになっていて、感心通り越して呆れた…。「紙」っていうチープさがいいのに、と思う私はすでにババアなわけだな、ちっ。あ、この愚痴、前にも言った・笑。やっぱトシだよ)なのは、ちょっとだけヒく。今の(マセた)子供たちとってはチープな紙素材の組立モノはそそられないんだろうけど。オヤもまたイイモノあっさり与えちゃうしね。羨ましいことで。

あ。そうか。付録素材規制緩和があったから、今ばかすかホビー系雑誌にはプラモとか付いちゃうわけね! そっかー。その辺りは恩恵被ってるわ(でも、プラモそのものは別に紙製ではなかったので、「紙のがいいんだって!」などとは思わない。ええ、ご都合主義♪ ペーパー・クラフトの「ガン○ム」って、それはそれで趣あるけど。別な作品ので買いそうになったし。←え)。

もとい。小さい子供にしか通用しない(?)のかもしれないけれど、この本、可愛いし、プレゼントなんかにしたら喜ばれるのではないかな、と思う(もちろん、あげる対象の子供の趣味にも左右されるけど)。部屋が何室もあってゴーカ! それに、全部広げると大パノラマらしいし(笑)。実際「Amazon」で画像見て頂くとよりわかるんだけど、かなり凝ったつくりになってます。すごいなー。ぬいぐるみまでついてくるし。すごいー!

制限のある中で、いかに工夫するか、というのが好き。制服コードを破って、行き過ぎた、自分の中でだけイケてると思ってるおしゃれするより、そのコード内でいかに自分なりのおしゃれを楽しむか、のほうがいいなあと思う私なので、紙という、濡れたら質感が代わる(落ちる)、折ったら折り目が取れない、破れる、壊れやすい、という制限がある素材で果敢にあれこれ生み出してくれるほうに興味が湧く。それに、開いたら飛び出す、めくったら違うものが現れる、それは画面を2色の眼鏡で見つめながら楽しむ映像作品より、ずっと手軽でずっとココロに残ると思うなー。ああ、手元にも残るわ。

やっぱり私は「本」、「紙」という媒体が好きなのだ。
My Ballet Bag
Elissa Held Bethann Thornburgh
0689849664

何でこう可愛いかなあ……(アタマを抱える)。思わずため息混じりでつぶやいてしまうわ! 何よ、何なのよこの可愛らしさは!(……何となくオネエ口調なのは何故…)ハラ立つわー(だから、何故!?)。

海外の絵本、しかけのあるものって、何だってこうアホみたいに凝りまくってるのでしょうか(いえ、日本のだってそりゃそれなりにスゴイのあるんですけど)。本のようで本でなし。紙でできた、どちらかというと玩具に近いノリ。
バッグ型で、色んなモノが入ってて、それで遊ぶことでプリマドンナ気分が味わえる、らしいの。ごっこ遊びが体験できる、わけですね。櫛にブラシ、ヘア・スプレイ(紙製!)で身なりを整え、チュールのチュチュの質感だとかも味わえるスグレモノの模様。

前にも言いましたが、持ち歩けるバッグ型、というのがココロニクイと思わずにいられない。子供は携行したがるものなのだ! たとえそれがその場そのものでは何らの役に立たないものなのだとしても! 
でもって。紙製、というのもいいなあ、と。自然に大切に扱うようになるもよし、気に入ったあまりちょいとボロくしてしまうもまたよし(そして、ボロくなってしまってもなお大事にしてしまう、とくれば言うことナシ♪)。こういうものって、そんなにはヤワではないだろうし、そこそこの耐久性も見込めそう。
バレリーナに憧れたことのあるオトナの女性にとっても、眺めているだけでシアワセな気分に浸れそうな逸品ではないかと。

年齢にそぐわないとしても、「カワイイ」には勝てません。
いやでも楽しめる算数
清水 義範
4062749831

今だから言えるけど。今更言ってもしょうがないけど。
私が数学まったくダメだったのは、90%は私に理由があるけれど、残り10%は教員にある、と思ってる。私みたいな馬鹿にも理解させる能力のある先生は、ひとりも居なかった。

比較的得意だった国語。小中学生時代にはさほど苦労したことがない。小説の一部だの評論文の一部だのを掲載し、「ここで作者の言いたかったことを述べよ」とか「この時の主人公はどんな気持ちだったか、本文中のことばを使って書け」とか、そういう問題も、はいな、とするする書くことができた。
国語という「教科」は、私にとって「分かり易い」「教科」だった。教員が、とりあえず定められているひとつの読みに生徒が辿り着けるようひたすら「誘導」する。その「誘導」にスナオに乗ってハイハイ左様で御座いますなと従っていけば、「求められている答え」を出すことが簡単なのだ。故に、この教科、教員にとっては「指導要綱が定め、求めている答えを、生徒がちゃんと辿り着けるよう誘導すればいい」教科だし(って簡単に言ってるけど、とても大変)、生徒にとっては「どう答えるのが正しいか、そこに至るための筋道を理解すればいい」教科。だから、本来私たちが小中高とやってるのはブンガクの実は「応用」であって、「基本・基礎」は大学以降初めてできるもの(「大学は基礎を学ぶところだよ」とマトモな教員なら言うと思う)。
「ボクはそうは思わない」とか「ワタシはこう読んだのに」とか、異論を持ってそれを曲げたくないしっかりしたひとには、まず不向きな教科だ。国語が退屈なのは、あらゆる答えの可能性があるはずなのに、とわかった上で(意識的にわかってるか無意識にわかってるかはひとによるけど)、自分ではそれが妥当だとは判断してない・できない答えを出さねば「点数」にならない、という点にあるような気がする。おまけに、基礎ぶっ飛ばして(つまり、読み手の数だけ読みの可能性がある、という事実をぶっ飛ばして)いきなり「応用」やらされるから、受け付けないひとは受け付けない、のだ、多分。

翻って数学。答えはいつもひとつ!(真実はいつも一つか二つ、あるいは三つ!@ヲトナの意見。ごめんね、コ○ンくん!)公式は整然とし、約束事は曲げられず、問題を見ればどの公式がもっとも適当かがわかり、解きさえすれば必ず答えが出る…ものなんでしょう、私以外の方、数学大好きな方、にとっては。
私は算数の次元ですでに「えーと?」とアヤシげな点満載のまま「数学」の世界に放り込まれ、何が何だかわからないうちにサイン・コサイン・タンジェントという呪文と数値を並べてはあーだこーださせられる虎の穴(笑)に放置されてしまったのだ。……わからない。教員の言ってることがまったくさっぱりひとつも! わからないのだ。とりあえずわかるのはその言語が日本語だ、ってことくらい。
高校時代の私の成績はとにかくヒドかった。教員が変わる(私の高校は成績によって上・下クラスに分けられる。むろん万年下のクラス在籍。教員はコロコロ変わる)たびに、その全ての教員に呼び出された。
「ほら、な? この問題なんだから、この公式使う、ってわかるだろ? で、ここを、こう。な? で、ここがこうなるからこう、で、ホラ! ちゃんと答え出ただろ? これだけのことなんだよ!」
先生はいつも熱心に私の前で例題を解いて見せてくれてはいかに「単純なこと」であるかを説く。そして、いつも同じ質問をするのだ。
「なあ、紫堂。どうしてベンキョウしないんだ?」。
「してもわからないんです(だからしないんです、と内心付け足す)」
とこれまた同じ答えを返す。私にわかるリクツが何一つない中で、「この問題にはこの公式だ」とはわからないし、そもそもその公式の成り立ちがわからないのにどんな問題に応用できる、とわかるんだろう。

教員にとって、教科書の中の「教えるべき内容」に「目新しいこと」「斬新なこと」「未知のこと」は載ってない。あるのは「自明の理」「わかりきったこと」「約束事」だけだ。多分数学ができるひとにとって、公式だの数式だのは、これほど elegant なものもない、と思っているだろう、と思う。無駄がなく理に適い、出されるべくして出されるべき答えが現れる。そして。彼らのほとんどは、「数学がわからない」人間が「どうわからないのか」「何故わからないのか」が「わからない」。ついでに私本位でのみ言えば、「わからない人間」に「わかる」ことばで話す・教える技術を持ってないひとが多い、のだと思う。
「理解できる・している」ということと、「理解していることをまだ知らない・理解していない人間にわかるように教える」こととはまったく違う。前者はそのひとの知識と論理そのものだけど、後者はそれを自分以外にわからせる「技術」だもの。「わからない」方がオカシイ、と思ってるんだろうなあ(そういえば、高校時代、授業中、テストの点数悪いひと、ってので名前呼び上げられて、数人と正座させられたことがある。一時間中半分以上もの時間。こんなことさせる意味もわからんなあ。正座したらベンキョウできるよーになるわけ? やっすい論理だ。とにかく、「わからないひとが悪い」という論理、ここに顕在)。
どうしてその公式が生まれたのか。何を解くために存在してるのか。先人が何からそれを導き出したのか、そういうのも含めたリクツがわからないから、問題の意図を汲むこともできなければ、公式の応用方法もわからない。私にとってはそういう教える側にとって「そんなのどうでもいいでしょ!」な部分くらいから懇切丁寧にわかるよう言ってもらわないと理解できないのだ、多分。だって、超弩級の馬鹿なんだもの↓ 「何でわかんないの?」と訊かれるたびに、「何でわかるように説明してくれないの?」と訊き返したかったものだ。私にわかるリクツ、は数学の世界にナイんだろうか?

で。読んでみてるのですが。「いやでも楽しめる」というアオリでまず笑えていいのだが。オソロシイことに、私は本文に出てくる簡単な数式だの数字すら、すこーすこー、と眼を通り抜けてマトモに読めない。そこをするりとよけて、清水さんの文章を読む。……「いやでも」楽しめるんでしょうか、私……。出だしは今のところ、「うん、何となくわかる(…すみません、ホントに馬鹿なんです)」と楽しんではいますが。
理解しているかどうかはまた、別の話……。
……とりあえず赤かったよ(笑)。緑とか青ではなかったわ。フフフ、ちょっと疑ってたんだけど(何故…?)。

母の収納法がものすごいことになっていた(ちゃんと見てみたらエライ適当やった。おのれ母! 扉やら何やらついとらんちゃけんちゃんと重ねとかんとやないか!)ために、ちょっと棚にぶつかっただけでナカミが落ちてきた。がしゃん! とイヤ~な音がして、ガラスの小鉢が割れた。うがー!! ここ数日何個何枚器を割っているのだ、紫堂家よ!(実はここ連日何個となく割りまくっている…)
で。大きいカケラをざっと拾い集めた後、小さいのを拾ったのだけれど。本当に微細なのは、セロハンテープにでもくっつけて取ろうかしらね、なんて思って、ていっとゆかにくっつけたらぶっすう! と(笑)。いきなり取り切れてなかった少々大きめなカケラに人差し指を刺してやんの。痛いわ~~↓↓↓
で。そんなデカイ欠片だったわけでもないし、それほど大きい傷でもなかったんだけど。少しばかり深かったらしく。ぱたぱたぱたっと血が。あらまー。困ったなー。
欠片も拾い集めたいし、でも拾おうとする側から血がぱたぱた落ちるし。不注意にもほどがある父が来たら面倒なので、欠片はとっとと拾い集めたい。しかし、痛いし血が止まらないしで何だかひとりてんやわんやな状態。……くそう。
おまけにこれからちょうどシャワー浴びようって時に(風呂は故障中につき使用不可)!! ああ、とてもとてもイライラするう!
とりあえずとっととガラスを始末して、その後は指。……前もそうだったけど、まあ確かに表面切っただけとは違うとはいえ、……出血し過ぎ。余ってんのか? ぐらいの勢いでどんどん滲み出てくる。おお其は恰も泉の如く! とか言ってる場合じゃねえ。

血小板とか血漿が足りないのかしら。いや、確かにそれなりに深い傷ではあるんだけど、ごっつい勢いでぱたぱたっと落ちてくるのよねえ。いや、血が滴り落ちてゆく様を見るのは嫌いじゃないんだけど(昔タモさんが「いいとも!」でOPやEDでやってる選手権とかのゲエムやった時、相撲をひねったのがあったんだけど、その時自ら名乗った四股名が「大変態」。私もそれに倣おうかと思う今日この頃)。
バンソーコーなんて効き目ナシ。あの傷口を覆うガーゼ部分が飽和して血が染み出すのだもの。2枚目くらいで少しマシ(つまり、ガーゼに血のない余白なんてないけれど、そこから染み出してくることはなくなった、の意。昔自転車で転んで膝に怪我した時は、バンソーコーがすべて血のぬめりで剥がれ落ちて何の意味も為さなかったのだった。ちなみに、膝には小石がめり込んだのです。まあ、そりゃ血も出るか。バンソーコーだけで数十枚無駄にしてもダメで、結局医務室へ。それまで医務室なんて利用したことなくて事務室で「すみません、怪我しちゃって血が止まらなくなったんです。医務室どこでしょうか?」と尋ねたら、「病気か何かですか!?」と血相変えて訊かれた。私としては「自分でバンソーコーだの貼って凌げないくらいなので医務室行きたいんです」くらいの意味で言ったんだけど、…そりゃそうか、そういう心配もあるんだったよなあ。迂闊な私…↓ あ、学生時代のことです。あんなに小さな傷口からよくもああビーカーに溜められそうなほど血が出るものだと吃驚した)になったのでシャワーを浴びたら。
……そりゃそうよね。そうなんだけどさ。バンソーコーからどんどん淡い紅い液体がつう、と染み出してくる……かばっちゃいるけど無理ですかそうですかそりゃそうか↓

でもタイピングはするわよー(意地)。
やじきた学園道中記 (第25巻)
市東 亮子
4253091962

連載再開にして「赤目編」も3冊目。待った期間の長さのせいか新刊出るのがやたらと早く感じる。嬉しいけど。
せっかく連載再開して喜んだものの、何となく物足りなさが残る。雑誌掲載時は読まずにコミックス化されてから読んでいるのだけれど、雑誌掲載時もかかさず読んでいる読者の声として「あまり面白くない」という意見も少なくない。「まとまってから読むと割と面白い」の意見も聞く。私はまとまってから読んでるんだけど、この3冊目でようやく「結構面白いかも」と思えた。もっとも、相変わらずストーリィはあまり動いてないんだが(笑)。やじきたコンビがようやく「らしさ」を見せつつあって次の巻(と今後の展開)が楽しみ。

このまんがの醍醐味はテンポの良さとキャラクタアたちの個性、それとアクションのキレの良さ。それだけに、今回の「暇な貴人(奇人、も十二分に可)」に振り回される、が、物語の基本ラインなのがちょっとだけ残念。相当な手練れのハズの雪也はあっさり(?)かっさらわれるわ、小鉄は妙に苦戦してるわ(いつもの彼らしくない。まあそれだけ事態がオオゴトだ、冷静な彼らしからぬ焦りの故だ、ということにはなるんだけど)。やじきたコンビは雪也救出に(まさに)奔走するけれど、まさに走り回るか時折放たれる刺客と乱闘するくらいで核心に辿り着かない。……何よりも、今回の物語、何をメインに進む物語か、が不明瞭なので、個人的には余計にイライラしてしまう時も。

登場人物の多さも扱いたいエピソオドも少々過剰。オールスター総出演で、嬉しくないわけでもないんだけど、……風呂敷、広げたはいいけど畳めるのか、と勝手に不安に。
忍びの源流(天智天皇だのまで遡る辺りのハナシは面白い)、赤目にあるという埋蔵金、暗躍(表舞台に出まくってるが・笑)する者たち、関東番長連合(「やじきた」にはリアルな時の流れ、とかイマなものを求めないのがお約束)の総長の誘拐、それを企てた者の思惑とそれを知る者・知らぬ者たちの錯綜する意志・行動…と、てんこ盛り過ぎ…。いや、てんこ盛りだっていいんだけど、「学園道中記」の「学園」の部分が置いてきぼりだってばよ。これまでの伏線もちらついてきて悪くはないんだけど。ないんだけどー(困惑)。

とりあえずは「待て、次号(巻)」ってことなのね。……先は長いぞ。
カバー、おかけしますか?―本屋さんのブックカバー集
出版ニュース社
4785201150

かなり前から「書皮」を愛好する同士が集まってちょっとした会を成している、ということは知っていた。本に元々ついてくる、装訂の一部も兼ねたカヴァではなく、あくまでも書店でつけてもらえるブック・カヴァを指して「書皮」と呼ぶ、らしい。
愛好家たちは集っては自分の新たに入手した書皮を自慢し合い、あるいはその蒐集の成果を披露し合っては全国に散らばる書店独自のカヴァのデザインの趣や面白さについて語り合う、らしいのだ。どことなく典雅である。「どうでもいいもの」として捨てられることもままある中、あえて蒐集し楽しんでいる人々も居るのだ。そして、捨てられることを知っていながらも、あえてデザインに力を入れている書店もまた存在するのだと改めて気づく。

私は「おかけしますか?」と尋ねられると、気分によってつけてもらったりもらわなかったりするのだが、「必ずもらい、それをつけたままにし、褪色や傷みを防いでいる」「外出先や通勤中に読むのに便利だからもらっておく」というひとが私の周囲には多い。「道具」あるいは「モノ」として存在しているわけだが、愛好家の彼らにとっては愛でるべき存在とでも言うのか、その美しさや面白さに興じるもの、として存在しているようなのだ。

全国津々浦々、チェーン展開な書店・大型書店が押し寄せてくる昨今、それでもその土地にしかない、昔からの小さな書店も頑張っている。その書店でなくては手に入らない書皮も、当然あるだろう。彼らはそれを手元に集め、眺め、愛で、いかにそれが好いか論じ、カテゴライズして手元に置いている。捨てられる「だけ」に見えたものに愛情を注ぐひとがいるのだ。何となくキモチがほこほこしてくるのがわかる。

地元の書店(と言っても最近は出版社から販促モノでもらっていると思しきモノに席巻されつつある)と全国展開している書店の書皮くらいしか知らない。ゼヒ眺めて楽しみたい1冊。
say! 「一度もねー!!」……できなくったっていいじゃないか、凡人だもの(ちなみに、非凡な場合はもれなくアヤシゲな島にぶっ飛ばされて修行するぞ修行するぞハードに修行するぞの日々が約束されている)。
聖闘士星矢 全15巻
車田 正美
4871188825

先日わざわざ画像まで出して取り上げたクセに扱いがあまりにヒドかったので、一応れびうなぞ。

大昔、ハヤったなあ、このまんが。「同人誌」というマイナーである意味アンダーグラウンドな世界が異様に活気づいたのはこの頃だった。90年代辺りにデビュウした女性まんが家で「同人やってました」なひとなら、間違いなくハマってた世代だな。車田まんがは女性受けがヨロシイ。いや、男性読者だっているわけだけど(集英社のビルが「リンかけビル」とか呼ばれているのは有名な話だ…。私はほとんど読んだことナシ。兄が愛読してたけど。でもって、今そのまんがの第2世代たちが主人公張ってる連載がある、んだものなー。復活するとは……吃驚)。
無駄に野郎の登場人物が多く(まあ、バトルものだし)、無駄に美形(野郎だが!)が出るし、車田まんが的お約束ブラコン、シスコン、マザコン(これもか?)、拳を交えた者同士にしかわからない絆だの、所謂「腐女子」ウケ抜群の要素てんこ盛りで、さらにはギリシア神話が絡むんだからもう舟盛りにステーキもつけちゃうくらいの勢い。

「聖闘士星矢(セイントセイヤ)」は、多分説明も要らないとは思うけれど一応。「正統派」の「ジャンプ」まんがで、主人公が修行を積み己の力で聖衣(クロス。ものすごくあれこれ省いて言うとプロテクター)を手に入れ(努力)、ライバルにして友人でもある仲間たちと協力しながら(友情)、敵を倒してゆく(勝利)、というハナシ。

車田氏、どうもこのプロテクト・アーマーモノとでも言うべきジャンル(?)が気に入ったらしく、「星矢」終了(…多分、打ち切り…)直後に「SILENT KNIGHT 翔(サイレント・ナイトしょう、と読む)」を連載開始するも13週目にして敢え無く打ち切り、それ以降「ジャンプ」には二度と戻らず、今度は角川にて「B'T X(びーとえっくす)」にてさらに同類の作品をヒットさせます。……余程燃えてたんだろうなあ、……「デザイン」に。

要は、鎧、なんですが。「聖衣」にしても「B'T」にしても、基本的にはモノのカタチ、を取る、んですな。鎧なら鎧、というカタチではなくて。前者は星座(神話)や幻獣をモティフに、後者は…あ、似たようなものか(しーん…)、そういうモノのカタチを取る。
これが、プロ作家さんに対して大層失礼な言い方ですが、大変よく出来てまして、ふだんはたとえばペガサスのカタチ、をしているのだけれど、解体するとすべてアーマーになる、んですな。捨てるとこない鯨みたいに、全部どっかをプロテクトする(必要ない部分は折り畳んだりとかもして・笑、とにかくすべて身に着けられる。その聖衣や形状によってはパーツが武器になる場合もアリ)。で、それを元にそれなりに実際模型つくれるくらい。アニメ化された時はデザインに手が加えられたものの、それでもやはりちゃんとすべて解体してフィギュアに装着させられるようにできていた(BA●DAIがむろん頑張って実体化させて販売したわけです。昔出た初版モノならプレミアついちゃう)。聖衣の全体図と解体装着図てのがコミックスやこの間載せた本に掲載されてるんだけど、それはそれはもう丁寧で、しみじみとこのデザインする時、ここはこうなって、あそこはああなって、とプラモでもつくるみたいに(あるいは解体するみたいに)思いを巡らせながら描いたんだろうなあ、と思わずにいられない。
しかも、コレが大当たりした後、アニメ作品でやたらとプロテクト・アーマーものが出てきちゃうし(神話的世界だの少々時代を遡る因縁アリ、とか似たような設定)。

当時にしては、斬新な設定ではあった。少年まんがで神話世界がどうの、なんつーロマンティックな要素盛り込んだ作品ってそうなかったし。熱血少年(シスコン)、黒髪長髪チャイナ服(一部ではジジコンと言われていた…・笑)、金髪碧眼(マザコン)に女性と見紛うばかりの美少年(ブラコン)、とてもじゃないが10代半ばには見えぬむさい野郎(ブラコンの兄)、コイツらメインに加えてこれでもかと野郎どもが美しさ…じゃねえや、強さを競わんがためにわらわら出てきてバトルおっぱじめる。おまけに女神(アテナ)の戦士、だもんなー(あるいはそのアテナと敵対する者/神の配下)。
ちょっとした恋模様がなくもないけれど、基本的にはバトル・バトル。一度死んでも蘇り、二度死んだって生き返り、そもそもジャンプまんがに生死の確かさを求めてはいかんのだということを忘れそうになるほどよく死んでよく生き返る人たちがゴロゴロと(「D.B.」なんて主人公・悟空が死んだだけでも衝撃受けたのに死んだあとまで修行して現世に生き返ってきた日にゃあ…!)。もう少し命を大事にせんか、と思わんでもないのだが、そこはそれ、「女神(アテナ)のために」「仲間のために」と常識をひょいと覆し、読者の(半ば諦めにも似た・笑)期待に答えるべく、たとえ死んでもドオオオオォォォォォォォン!!!!!! くらいの書き文字背負って黄泉路を逆戻りしてくるわけです。

基本的には、敵に遭遇→バトル→勝利→敵に遭遇→バトル、のリフレインがエンドレスなんだけど、読むと止まらなくなるんだよなあ。不思議。前に友人から愛蔵版借りて読んで以来だから、また読みたくなってきた。冒頭にある文庫セット、買おうかどうしようか考え中。

でもって、妙に感心したのは、週刊連載なのにとても作画が丁寧でいらしたこと。聖衣には光沢を表すためにトーン貼られて、さらにはペンも入ってたんだけど、光沢部分を表すためにカットしたり削り入れなきゃいけないしでかなり面倒な作業山積だったハズなのに、アシスタントさんもいい仕事してるというか、いちいち丁寧に仕上げられていて、いやもう大したもんだな、と。プロの仕事だよなあ、としみじみ(それ、当たり前だろ、と思われるでしょうが、時代が変わりまして、下書きがそのまま商業誌に掲載されることもある昨今です。つい先日は巻頭カラー+新連載+初回、で「下絵掲載」ぶちかましたまんがもあったくらいです)。絵も、巻数を重ねるごとにどんどん美しくなってくし(ただ、彼の絵のクセが好きになれないひとにとっては「どこが?」でしょうが)。

九州居た頃に「昔好きだったんです~」というコがいて、ケーブルTVでの再放送分を撮り溜めて私に送ってくれた。倍速録画で120分テープにかなりの話数入るのに、それでも10本くらいある。それを友人宅で一緒に鑑賞しては爆笑。いやあ、楽しいなあ。コミックス刊行分及び連載分にヘタに追いついてはマズイとばかりに無理矢理引き延ばしたり、というスタッフの苦労が忍ばれるし、かっこよさ追求した結果のハズがハズしていたり、ともうナイスでナイスで。まだまだ未鑑賞分残ってます。友よ、また一緒に観て笑おうぜ!
収ったり、出したり
堀井 和子
4344007107

友人を家に招く時、そりゃもう大変な大掃除(というよりもある種の引っ越し作業)をしなくてはいけない、のだが(部屋の容量に対してモノが多すぎる。飽和している、と言っていい。その中でちゃんと蒲団敷いて寝られるスペエスがあるのはある意味収納上手だ。……と言うだけなら自由なので言っておこう)、いつもいつもやろうやろうと思って放置してきたアレやコレが目についてしょうがない。
本とか。食玩のおまけとか。ガシャ(ガシャポン、はBA●DAIの登録商標です。カプセル・トイ、は長いのよねえ。以上無駄口)とか。友人がプライズで獲得したぬいぐるみとか(友人は「獲る」のが目的であって、さしてモノに執着がない)。書類とか雑誌とか。ないもの以外何でもある部屋よねえ↓

掃除をしながら、しまうのを先延ばしにしてきた文庫を、まず棚に入れてゆく。ああ、ある程度作家別・テエマ別になんて分けたせいで、逆に面倒じゃないのよ。どちら、と分別しがたい作品があったりするとそこでロス・タイムが(涙)。迫り来る時間に負けて結局半ばテキトーになる。ええい、そこに入っとけ! 投げやり。

前に雑誌の心理学を応用したチャート式タイプ分けテストで、「完璧を目指してしまうが故に片づかないタイプ」とミゴトに当てられた私。まったくもってその通りで、何事にもそういう傾向はあるんだけれど、すべて「きっっっっっっちり!」してないとイヤ、なのだ。やるならみっちりしっかりきっちりやってしまいたい、と思う。…ので、時間が足りない、しまう場所が確保出来てない、どうしまうか決めてない、収納グッズ・家具が揃ってない、そういう理由を適宜見つけてしまっては先延ばしにする。根がいい加減な神経質。やはりタチ悪い…。

ので。少しずつ、ちまちまとやるのだ、と自分に言い聞かせて作業することに。まず手始めに食玩・ガシャの山からいくか…(5分の2くらいは買った時点でキレイに片づけてあるけれど、ダブリだの並行して購入した時期のものはごちゃごちゃ……。こういうものにハマってしまった御夫君を持たれた奥様はきっとイライラするわね。片づいていてもいなくても・笑。小さいクセに量がエライことになるのが常だもの)

これで少しは部屋がマシになるといいんだけど(でも、今部屋を眺めると、横に広がってたものが縦になっただけ、というのが如実にわかってカナシイ…)。
限られた狭い部屋なれどシンプルで快適な生活。……あー、無理だわ、そういうの。ぜっっっったい、無理!
どうやったらわかる?

答:口にアタマ突っ込んで、もぐもぐしたらソイツは人食いライオンだし、しなかったら人食いではありません。

きちんとわかる、ちゃんと作れる!チョコレートのお菓子の本
相原 一吉
4579208854


明日は友人が久々に家に遊びに来る。……ので、今日から掃除などを。自室から廊下・階段等の掃除に加えてモノの整理。ふだん、どれだけ手を抜いているか、何もしてないかがよくわかるのがカナシイ。
ふと「コレ、何入ってたっけ?」と手を伸ばした小さな手付きの紙袋。覗き込んでちょっと吃驚した。チョコレイトだ。それも、賞味期限2002年×月の。2002年!? ……そういえば、その年だったかその前の年だったか、友人から「スター○ックス」のチョコレイト、ヴァレンタインにもらってた気がする。で、何個かもらったうちの1コ、食べてなかったわ、そう言えば。いずれ食べよー、と思って、うわー……もう3年経過してるのか……(思わず凝視)。

箱の中にアルミ包装されたチョコレイトが。はて。中身は一体どんなことになってるのだろう? 開けて吃驚した。
たまに濃い茶色、セピアっぽい色をチョコレイト色、なんて言い方をすることがあるけれど、その「チョコレイト色」なるものは微塵もない。これは。インスタント・ココアの色にさも似たり。艶・光沢、一切ナシ。おまけに、風化したように、端からほろほろと崩れてくる。ホントにココア(あくまでもインスタント)が何か(多分油脂分とか糖分)で辛うじて長方形のカタチを成している、という風情。入ってたライス・パフかナッツらしきものもぼんやり見える。傷んではいない、らしい。いや、むろん劣化してるのは確か。一応アルミ包装だったわけだし。それなりに、カカオの香り、はするんだよなあ。芳醇さはカケラもないけど。

ここで捨てるのがフツウでしょう。しかし。如何せん私はフツウではなかった。……はい。食べました。味はチョコレイト。食感がまさにエア・イン・チョコ。ぱふぱふ、とさくさく、の中間でした。って、食べるなよ、私……(そういえば、先日某アイドルが20年モノの缶詰だかレトルトだかのカレーを食べていた……)食べてると口の中でほろほろとほどけて溶けていくんだけれど、通常のチョコレイトみたいにとろけるような、という食感はない。咀嚼しているとようやく本来の texture にやや近いものを感じるようになる。味わいの濃厚さ、も半減しているような気が。むろん、本来あったハズの風味は落ちている。
もう見事に成分が分離しちゃってる、んでしょうか。油脂分があまり感じられないの。半ば密閉された状態で経年すると、こういう風になるものなんでしょうか? わからないわー。誰か科学的にこういうことだよ、とわかる方いらっしゃらないかしら。ぱーにもわかるように説明していただけるととても嬉しい(で、冒頭の本は、何となくほかの御著書からも察するに、科学的な見地からもお菓子作りについて御教授下さりそーな本なので選んでみました)。

いや、だからさ。とりあえず食べてみる、っていうのをやめようよ、と冷静な部分が自らにツッコミ(思えば私も母も「未開封なら大丈夫でしょ」とか「多少期限切れたくらいで、食べても死にはしないんじゃない?」という大雑把な人間で、賞味期限を厳格に守った試しがない)。ちなみにサイバラりえぞお先生の「とりあえず加熱すれば大丈夫」もしっかり私の脳にインプットされています。
サイバラ式
西原 理恵子
4043543018


タイトルと冒頭で、何が言いたいのかというと、とりあえず、何でも自分で確かめてみないとわかんないよね、ということなのでした。いや、何でもかんでも試してみるわけではないです(…と思う)。

「鬼娘」と言っても「ラムちゃん」じゃないっちゃ(……寒いのは冬のせいね?)。

みみっちい私は土日や「時間外」に銀行ATM利用することも好まない。そりゃあ電気代はかかっとるだろうが、何が悲しゅうて機械にゼニを払わねばならんのか。……しかし、母は払うのだ。
「だって、しょうがないじゃない」。……アンタは和田ア○子か。何故払わなくていい日にATMを利用しないのだー(←呪詛のような口調で。いや、母は毎週必ず通院のため外出し、その通う病院にATMが設置されているのだ。そういう時に何故利用しないのかと!)。
翻ってある日。「ダ○ソー」で買い物を済ませ、カフェで休憩していた時「ねえ、○○要るって言ってたけどさ、買った?」と尋ねたら「あ。忘れた」。「もっかい行く?」に対する彼女の答え――「うーん。いいや、お金かかるし」。…………ヲイ。今何つった? 聞き取れねえなあ。トシのせいか。って。機械にゼニ払えて必要なモノにゼニ払わねえたあどういう了見だ!?

私と母は日夜しょーもないことで対立する。カネ絡みも多い。どうも私と母は感覚が違うらしい。親子なのになあ。私が彼女に全面的に影響されている、とかならいかにもありそうなんだけれど、どういうわけか彼女は比較的豪快なところがあり、私は吝嗇に徹するきらいがある(もっとも、私にとって、カネというのは払いたいもの・払うべきもの、と思っている時に出すものであるため、買う時はアホほど買う。払わなくていい時にまで払う、のがイヤ、なのだ。ああ、しみったれてる…)。

「ねえ、今日○○スーパーで納豆安い! 数量制限もなーい♪」
チラシを見ながら私が嬉々として叫ぶと「まだ(あるから今回は)いいわ」。そっかー、結構日持ちもするし、毎日食べるものだからあってもいいのになー。私は内心つぶやく。
翌日。一緒に買い物のため(近所のスーパーよりあらゆるものの価格が高めに設定されている)、モールへ行く。食品売り場を2人で歩き回っていると「あ。買っておこー♪」と納豆に手を伸ばす母。
ぅをい…もとい、ねえ、お母様。昨日、何て仰ってたかしら?
何故あえて(?)高い店で高く買う!?  安い時に近所で買っておいた方がお財布に優しいと思いますが間違ってますかそうですか。
「だって、アンタに買い物に行ってもらうの、悪いかな、と思って」。

ゼニが無駄に飛ぶほうがイヤです。

足は歩いても減りませんが(ついでに体重も減りません。何故?)、ゼニは遣うと減ります。みるみる減っていきます。貯まりません。と言いますかね、貯めるほどナイでしょ、ウチ。ああ!?(キレた)惜しめ! その数十円を!(倒置法)

「お米、そろそろ切れちゃうなー。買いに行かないと」。
母が言う。一緒に買い物にでかける。激安店直行。米のコーナーに同じキロ数で「¥2,690」と「¥2,890」があります。……私は迷わず前者を選ぶわけです。母は何故かふと後者を選んだりする。どちらもブレンド米。どちらも特に新米でもなく。生産地は同一県。
「ねえ、価格、違うじゃん。何故高いほう??」
「別にいーじゃない。高い方が美味しいんじゃない?」
……いや、そりゃそうなのかもしれんが。贅沢言わなきゃ大抵なんだって美味しく食べられるよ、私(でもって、アンタのオットは何食わせても美味そうには食わないよ。人生の苦悩一身に背負ったみてえなツラしてやがるから)。京極さんと違って一口食って「コレは余目産や!」とかわかる(@「美味しんぼ」)わけでもないんだし。もったいないよー、¥200~~(……貧乏くさいな……)。

私がうだうだ愚痴るか、最悪怒り出すので(「ま、アナタはお高いものをお買い遊ばされるのがお好きですものねえ」などという小姑めいた嫌味すら言う最凶の娘)、母は私に一応「お伺い」を立ててから買うことも多い。
「ねえ、水玻、コレ、ココの店で買うのがいちばん安い?」
「ああん? その商品ならココじゃなくて○○!! 今度行ってきてあげるから、今はスルーね!」

一体誰が財布のヒモを握っているのか。とりあえず日常レヴェルにおいてなら父ではないことだけは確かだ。
そして、鬼のよーな娘はある日突然「そんなもんジャ○コ行ったらイチキュッパで買えるんちゃうん?」というようなシャツを万単位の大枚はたいて突然買ってきたりするのである。返す刀で「えー、このエプロン¥980は高いよー。買うならホーム・センターで¥498だな!」などとヌカす。
げに恐ろしきは豪快なケチ。頑張れ母! 負けるな母! 娘は今日も明日も明後日も、終生変わらず身勝手だ!(合掌)
進め海洋堂―食玩からアクションフィギュアまで海洋堂作品オールカタログ
4846524698

最近ちょっと遠いものの行ける範囲に、本から古着、玩具や食玩等まで何でも広く扱うリサイクル・ショップが新しく出来た。
行ってみたのだが。気になることがある。

食玩(所謂おまけのつくお菓子。このおまけ、を扱う)やカプセル・トイ(ガチャガチャ、ガシャポンなどと呼ばれる、コインを投入してカプセルに入ったアレコレが出てくるアレ)を扱ってくれるのは嬉しい。買い逃したもの、コンプリィト出来なかったために探していたものが適価で売られていると有り難いし嬉しい。
が。

ブック無しも有りも同じ値段たあどういうことだ(怒)。

ブック、というのはそのテの商品に付属する紙で、リストをも兼ねた商品説明書のようなものである。新古書店が台頭してからはさほどでもなくなったものの、帯付の方が本もやや高値で引き取ってもらえるように、このブックもちゃんとついてこそ完品、と見なしたい人間にとっては、ブック無しならば価格で差を付けて欲しい、のだ。

おまけに、よく見ると何だか杜撰。検品してるのか? と問いたくなる。中身がちゃんと揃ってないものまで同じ価格、って(それこそ、ブックが付いていればちゃんと判ることなのだ。ついてないのをいいことに確認してない/出来てないのか、知っていても素知らぬ振りで敢えてそのまま販売、という汚いテを使っているのか、……どっちにしてもヤだなあ)。あるいは違うモノと勝手に混ぜて1セットにしてるものまである。わざとなのか判らないからそうなのか。どっちにしても「いい加減だな…」と思ってしまうような管理の仕方だった。ちゃんとしてるものはちゃんとしてるんだけど。

ネットで買えないひとたちのことを見越した(?)高めの価格設定にも驚かされる。ネットのお店の価格の数倍で販売してるのを見た時は「おお、何という分かり易いボッタクリ!」と思って何となく残念な気分に(商売なんだからそんなものなんだけど)。

見るのは楽しいんだけど。商品管理の面と価格でやや「んー……」。などと言いつつちょくちょく足を運ぶんだよな↓
シネマ・スイーツ―あの映画に出てきた!お菓子のレシピ集
4835609751

オンライン書店ビーケーワン:シネマ・スイーツ
……似たようなテエマの本をあと何冊買ったら気が済むのか、私。
これはスイーツ、というだけあって、お菓子・甘いモノオンリィでまさに甘い誘惑。「アメリ」に「ショコラ」、と私にとって好きな定番映画(またベタなチョイスで…)も取り上げられているだけでなく、これまた好きな「フライド・グリーン・トマト」に登場するお菓子のレシピもあるらしく、……余計に欲しくなったわよ、畜生(←?)。
個人的には別にレシピ集でなくてもよかった。食文化を通して映画を観る・楽しむエッセイ集であったとしても、私には楽しめる本になったと思う。でも、ここでレシピがつくからより「楽しい」のよねえ(結局どっちなんだよ)。

そういえば、「フライド・グリーン・トマト」ならこういう本もあるんだった。これも欲しい! と思ったきり早数ヶ月……(哀)。
Fannie Flagg's Original Whistle Stop Cafe Cookbook: Featuring : Fried Green Tomatoes, Southern Barbecue, Banana Split Cake, and Many Other Great Rec
Fannie Flagg
0449910288


そしてさらに畳みかけるように、「こんなのもありますぜ、ダンナ」と言わんばかりにAmazonさんが紹介してくれたのがコレ↓
シネマキッチン―美味しい映画の本
大河原 正
4835582705

……気が利き過ぎです、あまぞんさん。私そんなにカネないっちうねん!(おまけに、カートに迷わずぶち込んだら「今もう買えないんだ」とか表示が出るし! 喧嘩売られてるなあ…ははははは…。まあ今買えないからいいか、って、よくない!! 重版かかればいいけれど、ヘタしたら絶版で二度とお目にかかれなくなる可能性だってアリじゃねえか! 去年の秋頃に出て既に買えない!? どういうこと?)

「食」がらみは文化や生活観(感)、色々なものが如実に現れるものなので気になるし楽しい。洋の東西を問わず興味を惹かれる。さらには、改めて自分の国のことを知らなかったんだな、ということに気づかせられたり、随分と他国の文化が流入してきてるんだな、と改めて思いを馳せたり。

それにしても。地元の書店が頼りなさ過ぎて、ふらりと立ち寄って物色しても「おお!」という本に出会えない。売れ筋、話題の作品は揃っているけれど。ネットで表紙や読者さんの紹介・書評を見て買ってることが多くなった。……何となくサビシイ。地元にこそカネを落とせよ! と思うのに。
20050115221356.jpg夜更けてからひとりざくざくと雪かきする私。……近所のひとは気持ち悪いかもしれない(笑)。
空の500のペット・ボトルにお茶を詰めてそれをコートのポケットに入れて、軍手で手を保護すると、おもむろにスコップやスノウ・ダンプを持ち出してざっくざっく雪かき開始。
久々の快晴だったりして、星がよく見える。吐く息が白いなあ、景色も白いよなあ、と思ってたら、何だか雪の白さだけじゃない。日中との気温差のせいか、靄が立ち込めてきていたのだった。ぼんやりとけぶる景色の中、ざくざく、ざくざく。

20050115221912.jpg街灯に照らされた景色など撮影してみるもおかし(しかし画質悪くて趣もへったくれも……↓)。時折休憩がてらお茶など飲みつつ、またざくざく。

……で。あんまり一所懸命にやったせいか、指の付け根がひび割れたように荒れている(涙。どうもおろし立ての、しかも小さい軍手のために余計に作業中皮膚が擦れたらしい……しくしくしく)。それに気づいたのはシャワー浴びて手がふやけてから。掌もそうだったんだけど、そんなとこの皮剥けてるから、ナニゴトかと吃驚した。だって指の付け根なんて鱗状に(以下自粛)。

身体動かすと何も考えなくなっていいのだけれど。体力も十二分に消耗しまくりで、ブログ書く気力はなかったです。ひー。作業中どころか作業終えてまでも考えなくなってる自分がカナシイ(もっとも、こつこつとある作業に打ち込んでいて、文章書く方にまでアタマも力も回せなかったんだけど)。何しろ、一日に原稿用紙換算なら毎日平均8枚~10枚は書いてるので(どんだけヒマだ、アンタ↓)。
ちょっとだけですが、久々の更新となりました。
「スノウ・ソルジャーのクロス」と読む(笑)。わかるひとだけ夜露死苦。

豪雪地帯らしい冬を迎えています。寒いです。庭なんてこんなです。
20050112231747.jpg20050112231816.jpgもっさりふっこり積もりまくりやがりです。久々に地上1メートル以上の高さを歩いたよ!(車道は除雪車が片づけてくれるけれど、舗道まではさすがのお役所も手が回らないので、町内会や商店街の結束か、はたまた人海戦術…通行人の誰かが歩き始めたところを次々に他の通行人が踏み固めることで獣道程度の通路を生み出して凌ぐ。故に、踏み固められた「通路」はあるものの、雪そのものがどこかへ移動するわけもなく、そこに厳然としてあるため、日々積もる雪の上を歩くのが常となる。降っては積もり踏み固め、が基本ローテーション。町にもよるだろうけど、おおよそはそんなカンジ)
毎日コレ――雪をどうにかせねばならんのです。そこで! 除雪者の聖衣ですよ。これはわけわからん島だのにぶっ飛ばされて争奪戦を繰り広げずとも入手可能。というか、互いになすりつけ合いたいモノ(笑)。イヤだろうが何だろうが、毎日装着し、日夜闘うのでございます――白魔と! でいやあああああっ! とね。こう、廬山昇龍覇の勢いで(もうやめれ)。
さて聖衣(クロス!!)。ナイロン素材のベンチ・コート系の下にはフリースか裏起毛モノのトレーナーを着用。ボトムスとしては撥水性の高いものを上に重ね履き、がベスト。フツーに埋もれます。私は今日両足とも足の付け根まで埋まりました。それも側溝(というか川)脇、いつ崩れるとも知れぬヤバげなポイントで。別にジーンズ等、そのひとにとって身動き取りやすいものでいいわけだけれど、その下にスパッツ等の着用がベター。
プラスティック製、アルミ製、鉄製のスコップを雪の硬さや積もり具合で使い分け、広い場所・積雪量の多い場所にはスノウ・ダンプを使用しての戦闘。これは装着者各自自由に選べるオプションにして必須アイテム。
長靴は突然ぬかってしまっても中に雪が入り込まぬよう、ふくらはぎ部分の幅を自分で調節することができるマリン・タイプと呼ばれるものをウチでは好んで使用(魚河岸のおっちゃんらが履いてるようなアレ。冬場、男女を問わず寒冷地用仕様の愛用者は多い。…若いコは別ね)。手は多少荒っぽい作業をしてもいいように、「軍手」である(華奢な手袋なんぞで敵に勝てると思うなよ!! …滑り止めついてるのがいちばんかも。力仕事だし)。
以前九州の友人にこの姿をイラストにしてFAXしたところ「紫堂さん、福岡のTV局がね、ソッチに取材に行ったの。そしたら、現地のひとたち、紫堂さんの書いたイラストと同じカッコしてた!」とウケまくっていた…ふはははは、ビミョ~に嬉しくねー(笑)。

屋根から落ちた雪は、暖気のせいか屋内の暖房で発生した熱気のせいで落ちるわけなので、半ばシャーベット状になったがために滑り、落下する。故に、それがまた冷気によって固められて地上にででんと居座る。さらに降雪。太郎の屋根でなくとも雪ふりつむ。これをとっとと片づけないと、シャーベットとさっくりな雪が何層にも重なる地層ができてしまう。油断してアルミ製スコップなんぞを刺そうものならフチが歪む(しかし長年の勘と掴んだコツでだいたいどんな雪かわかってるので力の入れ具合だのスコップのチョイスにヌカリはない)。
雪かきしてる側から雪は降るわ除雪車は来るわ(この除雪車、というのもなかなかの曲者で、車道に積もった雪等を路肩に寄せてゆくだけの除雪ドーザーと、路上路肩の雪を掻き込んで吹き上げてくロータリー車タイプとがある。後者は、要は地面にあった雪を粉々にして路肩に積まざるを得なくなった雪山にさらに人工的に降雪するようなものです。ロータリーは吹き上げないのもあるけれど。とりあえず、除雪してもらえるのは有り難いけど、家の前や車庫の前に残されるため片づけないといけなくなる)、仕事は減らない。いかな除雪者(すのう・そるじゃー! って、もういいから↓)でも追いつきません。まさに冬の日課。……これが雪国の冬。

スノウ・ダンプ2台、スコップ合わせて5本、凍結防止剤(かけておかないと玄関の風除室の引き戸が開けにくくなる恐れアリ)、マリン・タイプの長靴にベンチ・コート系防寒具、これがウチの必須装備。
今もびょーびょー風が唸ってます。夜間になると除雪車が出回って雪を片づけてくれるのだが、この振動がまたスゴイ。安普請故部屋のあれこれが揺れる(PCの液晶ディスプレイも揺れる……)。

燃えよ小宇宙脂肪、と言い聞かせて今日も明日も明後日も聖衣纏って頑張るのです。いや、いいダイエットになるわよ、毎日やれば。スノウ・ダンプに積めるだけ積んだら……20~30キロくらいはあるのかな? それで雪掬って(ある意味積み上げて)、少々離れた側溝まで捨てに行く、これを何往復も繰り返すんだもの。今日は10スクープ(その数え方は何か間違ってる)以上は運んだぞう。筋力UPにもなっちゃうし。汗だくになるので水分補給もかかせず。

楽しいわけではないししんどいんだけれど、実はそんなにこの作業、嫌いでは、ない。吹雪の日はやる気を喪失しますが。

以下参考資料(嘘吐け)。
聖闘士星矢大全
車田 正美 Project Seiya
483421690X
大極宮〈3〉コゼニ好きの野望篇
大沢 在昌 宮部 みゆき 京極 夏彦
4043611064

作家だから、なのか。単に私が彼らに好意を抱いているからか。私たちとはちょっと違う「日常」を送っているのが興味深いからか。web 上で更新され続けている彼らの「身辺雑記(であり、明確な主張であり、単純な情報)」が一冊の本にまとまると、欠かさず買って読んでいる。何で面白いんだろう?
ゴルフのことはわからないけれど、太夫(=大沢氏)のゴルフネタは楽しく読んでいるし、安寿(=宮部氏)は自他共に認める「ゲーム女」で、私はゲエム嫌いじゃないしむしろ好きだけどさほどやってるわけでもないので、やったこともないゲエムの話題なら「?」で終わりそうなものなのに読んじゃうし、厨子王(=京極氏)のネタなら何だって食いつく(まあ、私、京極さん好きだからなあ……)。
何にしろ、折々に語られる彼らの主張にちゃんと芯の通ったところがあって、読んでいてなるほどね、と思わせられることが多いのと、作家ではない私にはあり得ない日常とが興味深くて読んでしまう。

最近、ひとりうにうにと悩んだりすることがある。
ネットの中の情報というのは、9割9分9厘くらいまで、基本的には「ゴミ」だ。「基本」があるのだからして、「例外」がある。つまりは、有益だったり面白かったりする情報がある、ということですね。あるいは、有効活用できる「ゴミ」もある、とでも言うべきか。何を有益とするかは結局のところ個人の指向/思考が決定することであるので、ほぼすべてが「ゴミ」だとするなら、逆にすべてが「有益である」と言うこともできる。
私が発信してるこのブログも、まあ塵芥のひとつに過ぎない。「過ぎない」と自覚しているのに発信するのだからタチが悪い。自己満足の最たるものだ。それでも何人かの方がこまめに目を通して下さったり、コメントを下さったりする。ありがたい。ありがたいのに、私の吐き出すものは自己満足でしかない。「誰か」に楽しんでもらえれば嬉しいなあ、と思う反面、それほどの技量というかネタというか、何があるんじゃい、と自問すると、……答えにつまる。

「大極宮」が有益(まあ、誰かにとっては無益な場合もあろう)なのは、彼ら作家たちのファンがいる、ファンたちが彼らの情報を知りたがっている、作家たちもまたその要望に応えようとしてくれている、が故に成立している。読んでくれているひとがいることを大前提に「書く」、それを生業にしているひとたちであるが故に、彼らの身辺雑記は面白いのだ(むろん、面白い、と感じないひとがいてもそれはそれで当然)。

おまけに、自分の短所には思いが至らないのに、他人のそれには妙に敏感になっている自分に気がつく。つい最近も腹を立てていた。
「……というのは、私には理解できない。私はノーマルだから」みたいな文章を見かけた時。
アンタにとっての「ノーマル」てのあ何だ、それを明示もせず、読み手との間に相互理解が「当然」成立しているかのように、ごく当たり前の如くそのコトバを平然と使うのはどういう了見だ、この無神経めが! …と、かなり悪態を吐いた。誰かの常識は誰かの非常識だろうに。何をしてノーマルと言わしめるのか、マトモに考えたことあんのかよ、とそれはもうひとりきーきーと。
「……というのは、私には理解できない。私にはない感覚/指向だから」だったら何とも思わないのだ。しょうがないことだもの。どんなに理解したい、と思ったとしても、できないものはできない。「ワタシ」と「アナタ」はどこまでも平行線のままだ。それを時として「事実」として受け止めた上(それが「事実」であるかはひとによる)で「わかりたい」、と思うことがダイジなんじゃないのか(むろん、強く強く、祈るが如く、「ワタシはアナタの思いがわかる。理解できる。ワタシとアナタは何もかも理解し合っている」と信じているひとは、それはそれでいい。美しいと思う)。
「一般的に」「異常」だと思われていることであろうと、当人にとっては「何でもないこと」「いつものこと」「当然のこと」であるかもしれないではないか(そこに齟齬が生じるが故に、理解できるかもしれないことも理解できなくなるのだし、理解しづらい時、したくない時が生まれるのだ)。
自分にとって「異常」に思えるコトであろうと、実際に起こったり好まれたりしているという「現実」がある(殺人はあってはならない行為だと私は思っているけれど、現実には悲しいほどに誰かが誰かを殺し、誰かが誰かに殺されている)。その「現実」を「私、ノーマルだからわかんないや」のひとことで片づける、というのは無神経ではないか。「自分にはない感覚だからわからない」のは「わかる」。そうではなくて、書き手なら書き手にとって、何を「ノーマル」と呼び得るのかが読み手に明確にはわからない文章書いておきながら「『私』はノーマルだからわからない」と書くその感覚がイヤなのだ。「誰もアンタのことなんか知らないよ、アンタと読み手はトモダチじゃねえよ」、と私は唾棄するが如く言い放って、それ以上そのひとが書く文章を読むのをやめた。自分だって、友達でもなんでもない不特定多数のひとたちに向けて、随分といい加減に思える書き方をしているハズなのに(気をつけてはいる。いるけれども、それが読み手に届くかどうかは話が別)。

ことばを尽くしても理解してもらえない時もあれば、ほんの一言何気なくあることばを用いただけでそのひとの平生の、……たとえば物事に対する考え方の薄っぺらさが仄見える、というのは、面白いと言えば面白いし、怖いと言えば怖い。
私は読んで下さるひとに対して、ちゃんと心配りができているのだろうか? わかってもらえるように、書けているだろうか。……まあ、答えは「否」だ。
「だから」――だから、こうして今日も書いている。

まだ読んでる途中だった。続き、読もう。
The Phantom of the Opera (Original 1986 London Cast)
Andrew Lloyd Webber Michael Reed David Firth
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「オペラ座の怪人("The Phantom of the Opera")」映画化(公式サイト、PCの環境や設定にもよるでしょうが、結構な大音量で気分を盛り上げてくれる音楽が鳴りまくります。注意!)、公開迫る♪ 嬉しいなー、あくまでもアンドリュー・ロイド=ウェバー版の映画化(決して「原作の」、ではない)ということですが、とても楽しみ。

かつての私には、「みゅーじかる」はこっぱずかしいモノ、だった。台詞のやり取りが歌。おもむろに始まる登場人物の心象を描き出す独唱。芝居なのに歌って台詞の応酬(しかも舞台なので声張りまくり、歌なので抑揚ありまくり)、というのがどうにも気恥ずかしさを感じさせたものなのだけれど、「ミュージカルってスバラシイ!」にあっさり転向させてくれたのがこの作品。
日本でも話題になり始めて、色々取り沙汰されるようになり。コミックス(「劇団四季」版、ないしウェバー版を下敷きにした作品。他のルルー作品に登場するルールタビーユ氏までヒーローの友人として登場して、……ある意味好きなひとには嬉しい演出なのか?)耽読→ロンドン・オリジナル・キャスト版CD堪能→「劇団四季」ミュージカル観劇→ブロードウェイ公演突撃、という変遷を辿って「好き♪」などとほざいているので、原作ファン、ルルーファンからすれば邪道もいいところ(コミックス版だのCDを買って後、原作の文庫も入手したのだが未読。←をいをい…。いや、結構長いので気合いが要るのです。読んでないので謎のペルシア人とか言われても「?」だったりする)。
要はウェバー版の「オペラ座の怪人」ファン、だな。音楽、演出、全てに魅せられているわけだし。

ロンドン・オリジナル・キャストver.のCDは購入当時から毎日のように聴いた。出だしで掴まれる。Overture でガツン、とやられて、あとはもう暗闇に飲み込まれるが如く引きずられて惑わされて泣かされる。すごい、と単純に感動した。
Booklet 、ほぼすべての歌詞・台詞が書いてあるので、日々それを見ながらCDに合わせて歌っていた(ファントムよりアンタがコワイわ・笑。元のキィのまま歌うので、血管ブチ切れそうになる…)。半ば暗記するほどに聴きまくっておりました。

日本語で、しかもミュージカル!? などと生意気にも思っていたけれど、なんの、役者さんたちの気迫や声量、声の美しさのびやかさ、それ以前に「生の舞台が持つ迫力」に圧倒されてあとはただ浸るばかり(でも、浸ってると「あ~とには引け~ない~♪」とか切迫したシーンで歌われて我に返る時もあるんだが・笑)。生の良さというか恐ろしさで、役者さんのその時の調子が如実に現れるので(高いキィで少し苦しそうになる時がある、とかイロイロ)色んな意味で緊張しつつ観てしまう。
私はコンサートだライヴだ観劇だと、そういったものと縁遠い生活を送っていたので、偶然観ることがかなったただ一度の舞台でがつんとやられちゃった、のだな(それまでは身内のに出演させられたり、小規模な舞台観たりしたことがある程度。あとは学校の「情操教育」の一貫で観ることができたくらい…貧しいのう……)。その日その時の一発勝負に全身全霊で打ち込んでる(ハズだ)役者さんたちを観て感動しないわけがないではないか。

何度観ても、あのシャンデリアが天井へと上ってゆくシーンは鳥肌が立つ。「現在」から一気に「過去」に、物語の世界に連れて行かれる(同時に、私たち観客もまた物語の一部になる…ニクイ演出だ)。豪華絢爛な舞台と、一転地下水路のシーンの荘厳さ、と互いが互いを引き立て合ってどちらにも釘付けにされる。衣装は言わずもがな、小道具までも美しい。
ヒロイン・クリスティーヌはサラ・ブライトマンがベストだけど、ファントムは日本人の村俊英さんがベスト、であったりする(素晴らしい美声だ! 甘くて艶やかで品があるのと同時に力強さを感じさせる。ただ、その、ちょっとがっしりした体型でらっしゃるので、ぱっと見の哀愁、というのがない…のを、演技力で補っていらっしゃいます。そこに惚れたんだい!)。いや、オリジナル・キャストだって大好きだけど。

誰もが言うことだろうけれど、ウェバー版は3人の男女の恋愛劇に的を絞ったのが功を奏していると思う。エピソオドや登場人物等を省き、ファントムとクリスティーヌ(ついでにラウル・笑)の心情をメインに物語のポイントを巧く捉えて、豪奢に造り上げた点が秀逸。何回観ても泣く。こらえきれない。私の目はファントムのみを追う。

個人的最大の謎は、……クリスティーヌが本当に愛していたのは誰なのか、ってとこだな。ファントムに対する感情は、父性を感じての好意なのか、孤独と闇を背負うしかなかった彼への同情なのか、それとも。
ラウルという若さと光を象徴する男性と、結局は地上へと出てゆくのだけれど。彼女がそれで幸せだったのか、わからない。
閉ざされた闇の世界にとけ込むように消えてゆくファントムの行方のほうが、ずっとずっと気になる。壮年期を過ぎ、老いを象徴するファントムの哀愁とより深まる孤独感の方が。
光の中にあっても、常に闇の中に生きた彼を忘れることはできなかったはず。選んだのは彼女。それ故に。
冒頭で登場するラウルはひとり。結局、彼女はどちらの男性も置いて「去って」しまったのだ。あるいは「闇に融けた」のか。永遠の謎。

映画ではミュージカル版で描かれなかった部分もあるらしいので、さらに期待大。さあ来い、公開日!!(あまり期待しないことを心懸ける私にしては珍しく気合い入ってる・笑)
20050108222013.jpg 見よ、このがーりぃっぷりを! あまりの可愛さに卒倒するぜ。某通販会社へりしもから、ポイントと引き換えにもらったブック・カヴァ。買い物した金額ごとにもらえるポイントがあって、ふだんは既存のカタログから選んで何かをもらえるのだけれど、その時々で限定版みたいな商品も提供される。これもそのうちのひとつでブック・カヴァ。チョコレイト色にちょっと濃いめのピンク、と甘さたっぷりなのが気に入って申し込んでしまった。

20050108221931.jpgおまけに裏地は小花柄です。sweet にもほどがある! ぐらいすうぃーとでございます。
すっきりあっさりしたデザインやちょっとシックなものとか、全部で4種類あった中から迷わず(いや、ちょっと迷った。で、迷ったのと2種もらおうかと思った…けど我慢。もしここで張り切って?もらってしまって、次やその次にまたツボなものが提示されたら、ポイントすでに使っちゃってないわよー、になってるのも悔しいので!)コレをチョイスしてしまう辺り、私の血中乙女度は高い(それが外見と行動と指向にあまり反映されないのだが↓)。栞もついてるんだけど、その栞紐がまた可愛い(くらくらくら)。
コットン100%。でも洗濯禁止、らしい。……ど、ドライ・クリーニング、ですか?(そこまでするか?)ふんわりやわらかな手触りで、コーティング等一切ナシ。
しかし、知っていたとはいえ、こう可愛いと使うのがもったいないのう(何のためのブック・カヴァか言ってみやがれ!)。しばらくは眺めるか、文庫につけて(文庫サイズなのです)持ち歩くくらいかしら。
本来のブログよりコチラの方をより気に入っている自分に気づいた。テンプレあれこれ選べちゃって、友人が気軽にコメントくれることがあって、より自由な気がする。

不便ではない。元々のサイトであっても。ただ、何となく、時々だけど、息苦しくなることが、ある。

ヨソから来たひとには判らない・リンクし合ってないひとには見えないコメントのやり取りが行き交ってる、というのに、慣れないからだと思う。この機能を使ってメッセージを下さる方がいらっしゃるから私も使いはするんだけど、……何となく沢山のひとの中で内緒話をしてる感覚を覚えてしまって、それが少し居心地悪く感じてしまうのだ。

その点、ココにはそういうものがない(コメントを非公開にすることは出来るけれども)。
同じ記事をUPしてるのに、気分が違う。

ミラーのつもり、だったんだけどなー……。
新聞がない。これは困る。ひじょ~~に困る。いや、所謂地方紙、はあるのだ。昔から地元の新聞も取ってはいた。のだが。全国紙、も併読していたのだ。この全国紙の購読を、父が今年から止めてしまった、のだった。ああ、父よ、確かに2紙取るのは費用が嵩むけれど、でも、でもだなあ、……(涙)。

地方紙、何も悪いとは言わない。ただ単に、私個人にとっては全国紙の、それも文化面が好みであった、だけなのだ。地元紙は基本的にはラ・テ欄しか目を通さないことが多い(ニュウス、というだけならTVで事足りる)。政治経済面にも目を通せよ、と思いつつも、そこは撫でる程度にしか目を通さず、文化面を毎日楽しみにしているのだ。特に、日曜の書評欄。これが毎週楽しみで。ついでに土曜に挟み込まれる「別冊」(これでどの新聞かバレバ~レ♪)も楽しみにしていた。
書評欄、最近はさほどでもなくなってきたけれど、比較的私好みな本を取り上げてくれることが多かったし、評者も興味深い執筆陣が多かった(ことに、今は高橋源一郎氏も評者のひとりなのでなおさら。高橋氏の着眼点なんかが参考になるし、そもそもその評論文が純粋に面白く感じられるのだ)。ヤングアダルト向けのペエジなんかも月一であったりでナカナカの充実度だったのになあ……。

何故全国紙を捨てて地方紙を選んだか、おそらくは――年明け早々申し訳ないのだが――「訃報欄」のためであろう、と推測している(ウチはあらまほしきコミュニケイションというものが成立しない家庭なので、「何故○○新聞取るのを止めたの?」などと父に問うたりしてはイケナイ。何が彼の機嫌を損ねるのかわかったものではないので、極端な話、会話そのものを避ける)。
両親共に高齢である。当然、彼らが世話になった方々、だの、友人・知人、は、当然の如く高齢者が多い。「天国にリーチがかか」る年齢になってきたわけだ。そうすると、新聞を取っていないことによって気づくのに遅れを取ったりすると、閉鎖的な田舎故に「紫堂んとこはこんな大事なことに気づきもしねえで」だの「こういう付き合い粗末にするたあ何事だ」などと言われかねない。全国紙にも「おくやみ」欄はそりゃあるんだが、喪主が誰で式場は何処で、という子細までは掲載されないのが常。そういう広告はまさに地方紙に依頼し、それ相応の広告を打つ、のがお約束。……新聞取ってない、なんてことは、「あり得ない」(これはその家庭やそれぞれの事情・都合によって違うと思うのですが、ウチに限って言えば、私の父はかつて教員であり、そういった職に就いていた人間が新聞を購読していない、などということは「あり得ない」と思われるのです。ええ、田舎ですから)。見逃して失礼でもあったら、という予防線を張るべく、地方紙を選んだのだ(でも、推察)。

不便は、さほどないといえばない。平生ラ・テ欄があれば困らない程度の私である。しかーし!! 新聞ゆっくり読みたい時、読みたい記事だって、あるんだい!! 何気なく開いた場所から思いがけず情報を得ることだってあるのに。雑誌・新刊の広告だって見たいのに!(いや、地方紙にだって載りますが、「週刊○○」の類は載ってもたとえば「天然生活」の広告は載らないのよ、地方紙なんて!)むきー!!
……ならばおのれのカネで購読せんかい、と思われるだろうが、これをやったらやったで父の沽券に関わるというか、少々よろしくない空気が流れてしまうのだ。ああ、面倒な家だな。

ひとり暮らしの頃ですら、新聞は購読していた。毎月お金飛んだけど、元取ってやる、とばかりに clipping の嵐。本の広告・書評から気になる記事や話題まで、月の終わりには必ず改めてひと月分に目を通してから処分していた。
すべてに、は無理だし不可能だけれど、「情報」はある程度「対価」を支払って手に入れるのが妥当だと思っている。「対価」は必ずしも金銭のことを言うのではない。それは「手間」の時もあれば「時間」のこともある。とりあえず、何だってタダで手に入れよう、というのはムシが良すぎる態度であろう、と思っているのだ、横着で極貧の割に。

新聞を読まないまま七草を迎えてしまった…ありえねえ! 未だかつてこんな正月を迎えてことはないぞー!!(そのくらい、地元紙には興味がない。あ、そうか、ラ・テ欄は見てたんだった。…って、それだけかい↓)

図書館へ行け? そうですねえ、吹雪の中、雪道歩いて一時間、ですか。そこまではちょっと(根性ナシ!!)。
世界の料理・メニュー辞典―最新海外旅行者のための
学研辞典編集部
4053000394

学会というのは、どんな学問のソレであっても、終えた後の慰労会というか打ち上げのようなものはあるんだろうか?

とある学会に出席した時、その打ち上げのようなもの、に学生・院生たちも御一緒させていただくことになった。確かに私たち学生・院生たちは会場作り等に奔走し、それなりにお手伝いはしたにはしたが、……そりゃ当たり前といやあ当たり前であって、労いによく冷えた缶ジュースのひとつも頂戴できれば有り難い、と思うべき程度のものだと思っていた(学会に出席して、あらゆる論文・論述を拝聴させていただける機会をこそいただけるてえのが有り難い、んだから。って、何とも日本人的発想ね♪)。
これは私の論文主査である教員がひとえに太っ腹な(というか見事な potbelly・笑)方で、……何ということもなく振る舞うのがお好きな方であるらしかった(私はお座敷で1貫単位ナンボやねん、なお鮨を御馳走になったり、豆腐料理専門の割烹料亭のようなところで湯葉だ何だといただいたこともある。昼食に呼ばれるなんつーのは日常茶飯事。真っ昼間からボリュウム満点のステーキをいただいたこともある…というか食える自分がセツナイ……食い過ぎで演習中眠くなるっちうねん! 個人的には、有り難さと申し訳なさともうひとつ、鬱陶しさ、が実はあった。食い物で懐柔される気がして、お誘いがかからぬよう必死で学内を逃げ回ったほどだ)。

その学生・院生のメンバーの中に、留学生も居た。居た、どころか日本人学生より人数は多かったほどだ。すべてアジア系で、国籍も様々。中国、台湾、インドネシア、タイ、韓国…とそれぞれの国の正装で出席したら、それはそれは華やかであったことだろう。
私たち日本人はやはりというべきか、この「招待」に対して、「申し訳ございません、気遣っていただいて」というキモチが強いのだが、留学生たちは「呼ばれて嬉しい、有り難い、得した」とヒジョーにあっけらかんと受け入れる。「やったー! おなか空いたー」と無邪気に声を上げる私より年上のSさん(台湾)が可愛いと言えば可愛い(笑)。

さすがに、全国津々浦々から集まった教員の皆様方と同じテエブルを囲む、ということはなかった。一緒に、なんて美味しいものも美味しくなくなるわ! …緊張するし。そんなわけで、末席にぽつねんと隔離された陸の孤島の如き席が出来上がる。これすべて学生・院生。
食べることの大好きな教員が準備させただけあって、無駄に豪華であった。大皿料理ではあるが、前菜から何から、するすると手際よく従業員の方々によって運ばれてくる。正直なところ欠食児童な私たちは、遠慮もどこ吹く風で、鬼のよーに食べ物を頬張ることに熱中し始めたのであった。

「これ、何の肉でしょうか?」。
彼女たち留学生と同席すると必ず耳にする台詞である。敬虔なるイスラム教徒であるPさん(インドネシア)、仏教国・タイから来たUちゃん、2人はしきりに料理の皿に載せられて登場したモノたちを確認したがる。そう、まさに「宗教上の理由で」食べられぬものがある故、必死でそれを避けねばならないのだ。
「……これ、ハムだからなあ……。ハム、たいてい豚肉でつくるよね?」
とつぶやくと、「ぎゃー!」とPさんが箸でつまんでいたそれを皿にぶっ飛ばす。そ、そうか、箸で、とは言え、触れることも避けたいものか。
「コレ、何?」
Uちゃんがつぶやく。見れば挽肉をつかった料理である。
「あー、うーん、挽肉って、合い挽きがウマイからね、豚と牛(7:3、がイイカンジよ♪)、混ざってること、多いよ」
「ぎゃー!!(×2)」
こうして避けられてしまった禁忌の肉は、私たち日本人や韓国人、台湾や大陸からの留学生の口にするすると収まってゆく。美味しくいただいております、調理した皆様。御安心召されよ。
刺身や魚料理が出てくると、俄然留学生たちが嬉しそうになる。そりゃそうだよなあ。心配なく食べられるものねえ。
「コレは?」
「ああ、そりゃトリだね。大丈夫だよ。美味しいよ」
「よかったー!!」
こうなると、私たち日本人や「宗教上の理由」を持たぬ人間はお毒味役のよーなもんである。パッと見で判断できないのもあるので、食べてみては数人で討論するのだ。
「これ、純粋ウシオンリィかね?」
「うーん、ウシのみ、じゃない?」
「こっちはブタっぽいですよね。あー、でも、オレいつもそんな考えながら食ってねえからわかんねーなー……」
「ヒツジは問題ないんだっけ?」
「ユダヤ教だと適性に処理された肉じゃないと食えないの、ってあったよね。アレ何だったっけ?」
だんだん方向がズレていきつつも、「ブタ!」「ウシ!」「トリ!」「混合かも! 注意!」と判断を下してゆく。それを聞いて初めて「宗教上の理由」を抱えた留学生たちが口に食べ物を運んでゆく。

「ぎゃー!」という絶叫と「よかったぁ~」という安堵の声に包まれながらも、私たちは食事を続けた。食べられないものがどんどんこちらに流れてくる。あっちが川の上流、こっちは下流だな。ああ、どん~~どん、流れてくるぞー……。
「ほれ、男の子やろ? もっと食べり」
姉さん格の院生Mさんが学生Eくんにどんどん流す。
「うわー、嬉しいですー。満貫全席やー!!(半ばヤケ)」
私たちもイイカンジで壊れておりました。疲労と満腹感が~~。

「あ! コレ駄目!!」
ん? 台湾人のSさん、何か駄目なのってあったっけ?
「私、海老とか蟹、駄目!!」
……って、好き嫌いの問題かい! いただきますともよ。高級食材、滅多に自炊で食えませんもの。さあ、およこし!(←本性)

教員たちが地味~~にあるこほうるで壊れゆく中、私たちは「コレ、何の肉?」と呪文のように唱えながら黙々と平らげていったのであった。

その節はゴチになりました♪(って、誰に言うのがもっとも適当?・笑)

参考(?)文献。持ってます。「~の世界地図」シリィズはどれも興味深くて楽しめるので好き。
食の世界地図
21世紀研究会
4166603787

ブックカバー・コレクション
4894443171

オンライン書店ビーケーワン:ブックカバー・コレクション
ピエ・ブックス(どうでもいいけど、公式サイトから探したい本が見つからないことが多々ある。発行元と発売元が違うとかの問題??)はこれでもかと欲しくなる本を出してくれるのね……。

タイトル通り、ブック・カヴァに注目した本。
いいなあ。本のデザイン、もの凄く気になる。「デザインの現場」なんかの雑誌、本の特集の号だとつい(高いけど)買っちゃうし(紙の特集の時もイヨーに燃える。……元同人女だからか↓)。装訂をメインに手がけるデザイナーさんとか装訂家さんの本とかも興味ありまくり。
違うか。やっぱり「デザイン」全般惹かれるんだわ。面白いし、自分にはできないことだから(広く、また些細な次元のことも拾い上げれば、私たちデザイナーではない人間も、何らかの「デザイン」を手がけたことはあるんだろうけど)、面白いし興味持っちゃうんだよなー。

もの凄く欲しいんだけど、本文もカラーだろうし、そうなると紙質も悪かろうはずもなく、……お高い、のでした。ちくそー。欲しいなあ。
あと、「デザインの現場」のバック・ナンバーも、今チェックしてたら欲しい特集のがガンガンあって困った(笑)。そんなにカネないって。
「三十一高利貸し(サーティーワン・アイスクリーム、とイッパツでわかって下さった方には座布団3枚ご進呈。山田君、持って来て~)」の一月限定 flavor 、その名も "Piece of Cake" 。友人と2人で、月限定のアイスが登場すると一緒に食べに行くのがお約束♪

アイスの説明文と表示を見ると、…なかなかにハイ・カロリィなわけですが、私はアイスはクド甘なくらいが好きなので(あんなに甘いのって、冷たいもの、は味を感じにくいから、でしょうか。清涼飲料水もとどのつまり砂糖水だし。でもって、塩気は冷えるとキツく感じる…)、ココのアイス、大好きなのです。アイスならホーム・サイズひとりで全部食べられる(ただし、その後の食事はパスするが。ひとり暮らしの頃、夏場よく安売りで買ってきてはその日の食事すべてアイスだったことがある)。

冬場ストーヴ前に陣取ってアイス食うのも好き♪(前にそれをやっていたら母に「それは矛盾しておる!」と言われたが、このオンナ、その後ガス火にアイス・キャンディを炙りながら食っていたことがある。「何してんの!?」と訊いたら「だって、寒いせいか硬くなり過ぎてて、食べづらいんだもん」とヌカした。……いよう、馬鹿母子!)

思えば私、アメリカ行った時、朝っぱらから甘いモノ食べるの、平気だったなあ。日本に居る時は、しようとも思わないししないんだけど(まず食指が動かない…)、何故かアメリカに居た時は朝っぱらからデニッシュは食う、シュガア・コオトしてあるシリアルは食う、何でも来い。日本食が恋しくなったことすらない、と来てる(短期間だったからだと思うけど。これが例えば数年、くらいのスパンならさすがに恋しくなると思う)。
その土地の食べ物、食習慣に馴染むのが早いので、一切ぶーたれることなく何でもパクついて食べてました(ただ、これはアメリカだから可能だったのかもしれないけれど)。旅行行く時梅干しだとかインスタントのみそ汁なんかを持ってく、ということは、多分今後もしないと思う。せっかく外国行ってその土地の食い物食わない、てのはもったいない、という貧乏くささがそうさせるのかしら(涙)。どうせ食べるなら自国でウマイの食うよ、という歪んだプライドもあるし。N.Y.にだってうまい鮨屋はあるだろうが、さほど食いたい気持ちにはならない(実際、ならなかった。日本食屋における現地の人々を観察したい気持ちならあったが)。
土地の食べ物はその風土とかも相まってウマイもんなんではないかと。いや、その、○ックはどこで食ってもマッ○なのがエライです(笑)。

とかなんとか言いつつ、アメリカ生まれのサーティーワンを日本でもばくばく食べるんですけど。だって日本で食ってもウマイんだもの。
そういうわけで(?)、「朝飯前」というアイスを朝飯前に食べるのくらい、私には朝飯前、なのでした(きっとホントに食える…↓)。

 コレ↓は有名な Ben & Jerry のアイスクリィムの本。Ben と Jerry が著者だ、という時点でイイカンジ。お値段も手頃だし♪
Ben & Jerry's Homemade Ice Cream & Dessert Book
Ben Cohen Jerry Greenfield
0894803123

ピンキーストリート#012
B0006NGLWC

元日早々 Amazon にオーダーしたもの。
1:Pooka Vol.9 (2005)―絵本工房 (9)
2、が上の商品。「Pinky:st(ピンキー・ストリート)」。前にも記事UPしたことありますが、また買いました。ヘア・スタイルが可愛いのにやられたー! 服というかふぁっそんも可愛い、んだけど、ヘア・スタイル、これがもうツボでツボで! これで何体目だっけ? 10体くらいはあるような気が。
トップスとボトムスは色違いなだけだったりするんだけど、組み合わせとか考えると結局欲しくなっちゃっう。まだブリスタの中に入れたまま、出してないんですが(今日は友人たちと新年会的恒例夕食会? があったので、ゆっくり遊んでる〈いや、遊ぶつーてもそりゃパーツ交換して、こーでねーとを楽しむ、だけです。「おぢちゃんはコワイひとじゃナイんだよー」と言えば言うほどアヤシくなってく気分が何となくわかる今日この頃…〉ヒマはなかったのです。いつもならソッコー開ける!)。

「Pooka」だけだと送料無料までちょと足りぬ、と思ってたところにふと思い出して張り切ってカートに放り込みました。ほほほ。
年末にオーダーしてもよかったんだけど、引落のことを考えたら、月が変わってからのほうが都合がよかったので我慢して。ぴんきーは売れ筋なのでいつ Sold Out になるかとヒヤヒヤしてましたが、無事に購入できました。嬉しいわ♪

しかし。某雑誌の誌上通販の「ピンキー」は申し込み損ねた!! ……ヲタとしての気合いが、根性が足らん! と自分に激怒するのでありました。くっそー!!
Bedtime Stories
Madonna
B000002MUW

何故か昨年末から聴きたくなったアルバム。これももう随分古いアルバムになっちゃったのねえ。今もCDかけながら記事を書いてる(いつも思うんだけど、……「書く」、っていうコトバには、手で行う動作、という意味合いを強く感じてしまって、こういう風にキィ・ボードぶん殴って――私は遅いヒトよりはタイピングが早く、また軽快に、というよりはマシンガンぶっ放してるかの如くだかだか打ち込む音が響くので「ぶん殴る」とでも表現すべきではなかろうかと思ってしまう――「打って」いると、「書く」というコトバを使うのを少しだけ躊躇してしまう)。
Babyface らも参加したアルバムで、まさに寝る前に聴かせる物語みたいに、やわらかい印象を与えてくれる(ところで、native の感覚では、"bedtime stories" というコトバには、一切ダブル・ミーニングは感じないもの? もし何か「本来の」意味以外感じ取れるものだとしたら、それはそれで Madonna らしい皮肉を感じてつい笑みがこぼれてしまうのだけれど。何せこのアルバムを出した頃、脱セックス・シンボル宣言してたし、収録曲にも自分をとやかく言う・あるいは言いたがる周囲の人々をからかいたげな皮肉っぽい曲があるものだから。ちなみにタイトルは "Human Nature"。←このタイトルからして皮肉に感じる・笑)。

いちばん好きな曲が5曲目の"Inside of me"。
会えないでいるか、あるいは別れてしまった恋人を思う歌のようなのだけれど(もちろん、そういう曲として聴くのも受け手側の権利)、実は母親を思ってつくった曲だという Madonna のことばを思い出すと余計にせつなく優しく聞こえる。初期の可愛い甘さがはじけたカンジのあの声ではなくて、もっとしっとり優しい印象を与える mellow な声。
1曲目の "Survival" も、決してアップ・テンポな曲ではないけれど、地に足のついた、どこか泰然とした雰囲気も感じて好き。諦観を踏まえた前向きさ、とでも言うのかな?

英語を聞く耳慣らしにもいいかな、と思って聴いているけれど、曲に聴き惚れるのが先になってるー↓ それとショックなのは、昔何度となく聴いて、歌詞もすべて憶えていたハズなのに、所々忘れちゃってたこと。ダメだ…脳細胞が炭酸の泡みたいに弾けて消えてくのを想像してヘコむ(笑)。

正月に Madonna。なかなかよいです。
  
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