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名探偵コナン「銀翼の奇術師」
こだま兼嗣 高山みなみ 山崎和佳奈
B000666UY8

今思えば第一弾からちゃんと劇場で観ておきたかったなあと思いつつ、最近は毎回映画化されるたびに友人と鑑賞に出かけている。必ず冒頭でキャラクタアの簡単な紹介と相関関係、基本設定を説明してくれるので、TVシリィズやコミックス版を知らない、子供に付き合わされるだけのホゴシャの方々にもヤサシイつくりになってるところがスバラシイと思います(笑)。いや、毎回面倒だと思うぞ、アレ。それなりにちょこっと趣向変えつつも同じ内容のことを「解説」しておく、てのは。

って。昨日も「コナン」で今日も「コナン」かよ。いえ、先日TV放映された「銀翼の奇術師(マジシャン)」。見直したら、劇場で一回こっきり観ただけの時よりは楽しめた。でも、残る不満めいたものは同じだった↓ うーむ。

「コナン」は基本的に推理モノ、と思っている私にとって、解決すべき事件にさほど直接的に絡まない仰々しいまでのすぺくたくるなシーンだとかさすぺんすふるな趣向、というのはそれほど期待を寄せていないもの、なのだけれども。この作品、ミステリの部分もありつつも、最後はパニック映画的要素が出張ってきて、ちょっとだけバランスが悪いカンジがしてしまうのだ。

怪盗キッドからの予告状、ターゲットはとある舞台で著名な女優が身に着けるという大きなスター・サファイア。コナンとキッドは遭遇はするものの、まんまと脱出に成功したキッド。歯がみするコナン。
舞台はナニゴトもなく(いや、警戒し過ぎたおまぬけさんたちによって地味にメタクソにされた・笑)終え、女優が宝石を守ってくれたお礼にと北海道にある別荘にコナンらを招待する。
……ここからは一種の密室モノへと展開を遂げる。空飛ぶ飛行機の中、女優が毒殺されるのだ。さて犯人は誰なのか!? そして、宝石を諦めたとは思えぬキッドは一体どこに!?

……つー話なのですが。今回は、終盤に力を注いだのね、という印象が強かった。毒殺事件に巻き込まれるカタチで操縦不能になったパイロットに成り代わって「一般人」であるコナンや蘭、ついでに言うなら誰かさんに姿をやつしたキッドまでがコックピットに乗り込んで、人命を救うべく奮闘するハメになってしまうのだ。
ちなみにコナンが何でもこなせてしまうのは「ハワイで親父に習」ったせいである(ここ、コナン・ファンは笑うポイント。映画観ながら「おいおい、飛行機の操縦なんてできんのかよ」、と誰もがツッコミたい衝動に駆られるその時、私が「きっとハワイで親父に習ったんだろ」と言ったらホントにそうだった・笑。このエピソオドはどれが嚆矢だったっけねえ?)。
でもって劇場版、ヒロイン、つまり蘭がことある事に何かしらとんでもねえ目に遭わされるのだが、今回はあの細く小さな(けれど大変屈強な・笑)双肩にたくさんの乗客の命を背負わせる、というある意味これまででいちばん重くてツライ重責を架してしまうのであった。
さらにさらに、青山ボーイズの中でも一、二を争うキザ野郎・キッドがイキな計らいでその「人命救助」に力を貸す、という真似をしでかしやがり、まあキッド・ファンにはオイシイ映画であった。

正直なところ、私はあまり「コナン」にはキッドは出張りすぎて欲しくない派、である。というのも、そもそもキッドというキャラは「まじっく快斗(全3巻、と銘打たれてしまった過去を持つ、未完にして今も時折書き継がれている作品。青山氏作品の中でもかなり初期の頃に開始した作品であるため、絵柄の変遷が楽しめて、ある意味新鮮なコミックスである。「4巻は出るの?」という質問は、私の母の「ねえ、コナンっていつ終わるの?」と同じほど禁句)」という作品の主人公で、こちらの作品世界では「魔法」も存在してしまう世界観なので、まず推理モノ、ミステリである「コナン」世界に出張り過ぎるのはどーなのよ、と思ってしまうのだ。とりあえず、すべてのファンがそう思っているわけではないのだが、「まじ快」のキッドと「コナン」に出てくるキッドはキッドであってキッドではない、という微妙な線を取るのが無難であろうか(私はそう思うことにしている。魔法だの不可思議な力も存在する世界観も許容していしまうとなると、推理モノのトリックでは何でもアリ、つーことになってしまう。密室殺人なんてお手のものだぞ。犯人は壁抜けで外に脱出できる、なんて理由がでっち上げられるんだから)。
まじっく快斗 (1)
青山 剛昌
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ちなみに。ほうら、今とはちょっと絵のタッチが違う第1巻よん↑。

ただ、「名探偵対大怪盗」という図式はミステリ好きにはたまらん趣向でもあり、ココロオドル♪対決でもあるのもまた事実(世の中には「ルパン派」と「ホームズ派」、それぞれを名乗る人々というのが存在するのよね…。自由放埒にして大胆不敵な怪盗の活躍に心躍らせるひとも居れば、頭脳明晰にして行動力と推理力で難事件を解決する探偵の活躍に心酔するひとも居るわけで。私はどちらも好きだけど。でも強いて言うならちょいとどこか屈折した、クセのある探偵により心惹かれるかもしれない)。でもって、「コナン」が「名探偵」であるならば、青山作品において「怪盗」を名乗るべきはただひとりと言えばただひとり。キッドを差し置いて別な怪盗を仕立て上げるのもまたちょいとばかり無粋。てなわけで、出るべくして出たカタチではあるのですが。
原作でキッドの登場する回は決して嫌いではないし楽しめたし面白かったし好きなんだけれど、「出張り過ぎ」はちょっとねえ、と。困った時のキッド頼みみたいなカンジで。もっと出し惜しみしてくれよ、と。

「銀翼の奇術師」(今作のこのサブ・タイトルはちょっとあれこれ掛けてあって好き。さらっとしてるようでいて、アレとアレにアレを掛けてるわけね、と楽しめる)では、スジとしてもキッドというキャラの在り方からしても、あれで妥当ではあったのだけれど、彼自身の姿で登場する、ということがほとんどなく(絵的にはキッド自身ではない、変装後の他人の姿をしている)、「怪盗」としての活躍そのものも少なく、とりあえず出る必然はつくられたものの、本来の彼としての活躍ではなかったのが残念。どうせ「わざわざ」キッドを登場させるくらいなら、やはりキッドらしさというものを大事にしてくれたらよかったのにな、と思ってしまう。
でもって、ミステリ部分と後半(というか終盤)のサスペンス部分がぱっきり分かれてしまっていて、ちょっとバランスが悪いように感じてしまう。スペクタクル映画に無理矢理ミステリ要素くっつけました、な雰囲気なのがなあ……。あまりにすぱん、と分断されてしまったカンジがして、前半、なけりゃなくてもええやんけ、になってまうー!

まあ何だかんだ言って楽しんで観てはいたのですが。サスペンスに徹するか、ミステリを貫くか、あるいはその両者のバランスを考えるか、どれかに絞ってくれたらもっと好きになれた作品だったよーに思います。
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名探偵コナン (Volume47)
青山 剛昌
4091264174

遅まきながら既刊2冊、47巻と48巻、友人から借りて読了(ありがとう、友よ♪ 名前出していいかわかんないから伏せとくよ↓)。個人的にはらぶらぶこめこめな要素多めの47巻が特に楽しかった(48巻は黒の組織絡みが巻末に来てて「待て次号!」状態でハラハラ…)。
一応、推理モノ、ミステリまんがではあるんだけど、ほどよい「少年まんが」テイスト(謎の薬で身体が子供に! とか、博士開発のメカが活躍、とか、少しだけ現実離れしたとこですね。そういう要素はなく、本格モノらしさを追求してまーすな姿勢を見せつつも蓋開けたらどこぞの有名作家のパクリやないかい、なまんがより私は好き…いやその、ゲフンゲフン……あれはあれで嫌いでもなかったんだけどさ……)があってフツウに、純粋に楽しんでる。でもって。
この作品に関してはまったく腐女子属性(このことばの意味がわからない方はそれはそれで大丈夫。わかる方は私がこれから書くことのひとつひとつが「どうでもいいこと」だと思うので、読まないのが無難かと思います。ほかの作品であってももうほぼそういう見方をしなくなったので、逆に「いかにも」な匂わせてある作品のほうがハナについて鬱陶しい。最近の「ガ○ダム」てのは何か、腐女子市場開拓用品なわけか? 中にはまっとうに? 「このMSが好きだ!」というコや、「ドラマ性のハードさがいいんだって!(宇宙空間で攻撃されて、戦艦だかが爆発、司令塔もぶっ飛ばされたもんだから、ひとが風船の如く膨らんで一気に破裂、というシーンは最近のG作品じゃなかったっけ? あと、主人公野郎その1が自分の能力故に悩んで、彼に勝手に恨みを抱く女の子と、そうとは知らずに慰めだけを求めてベッドに雪崩れ込むという生臭さも個人的には何だか萎える展開だったなあ…。「私を殺しにいらっしゃ~~い♪」よりマシなのか? …って、ヲタクじゃないとわかんないですね。あとやめます)」という方も居るのだろうが、目につくのは所謂キャラ萌え指向の方が多い気がする。……何をどういう視点で愛そうが、もちろんそのひとの自由です)がまっっっっっっっっっっっっったく! ないので、素直に(というのも妙だけど)「くっつくしかねえだろ!」なカップル(すでにカップル認定)がどうなってく(だから「くっつくだけ」なんだが…)のかが楽しみであったりする。

そもそも雑誌「少年サンデー」の特性のひとつに「ラブコメ」ちうのがあるわけなんだけれど(「どこの雑誌でもあるじゃん」と思われるでしょーが、やたらミニスカでパンチラありまくりだの、ありえないカタチしたデカい乳ばいんばいんさせてるおねえちゃんが野郎の妄想通り動くだけのものを、「ラブコメ」、とは少々呼びたくない。それもまた「ラブコメ」のひとつのカタチではあるのだけれど。「サンデー」の場合、あっても爽やかお色気系が大半で、異常成長したとしか思えない乳を持つ女の子しか生息してない惑星にでも居るのかアンタら、な話だの、やたらと冴えない主人公が女の子に囲まれてモテまくる等のベタさ加減よりも、「現実でもなさそうでありそう」を体現する系統のものが強い…と私は思ってるんだが。いかがなものだろう。あだち作品と某WJの「いちご…」を同系列と捉えるひとはあまりおるまいて。居てもいいけど。「いちご…」って、連載開始前は「さすが女性作家、絵が可愛いやね」と思っていたけれど、……あまりのアザとさにすっかり読む気を失ってしまった。作品として面白いんだろうか……)。
閑話休題。
この「コナン」も推理モノでありつつもその要素をがっつり盛り込んであって、嫌いではないひと、あるいは「うん、これぞ『サンデー』作品」と受容できるタイプの人間(……私ぐらいのものか?)にはオイシイ作品なのであった。主人公は小学一年生という仮の姿で過ごすハメになった「高校生探偵(!)」工藤新一、その幼馴染みの毛利蘭(……この「幼馴染み」という設定もまた同じ「サンデー」の「タッチ」を想起させるわけで、青山氏御本人も「タッチ」が好きだった、と告白しておられ、まあお約束を踏襲といったところ)、この2人、互いが互いを想い合っているのは明白過ぎるにもホドがあるのだが、どちらも素直になりきれず告白なんぞできずにいる。……まま、ある日新一が「コナン」になっちまうもんだから、「居るけど居ない」消息不明状態に。でも逆にコナンには素直に新一への想いを打ち明けてみたり(つまりは本人に告白しちゃってる)、好きだという気持ちを再認識したりと可愛らしいことこの上ないのであった。新一は新一で「青山ボーイズ」筆頭なので言うに及ばず(「青山ボーイズ」とは。キザでカッコつけが激しく――ここ激しく私の主観――ひとりの女性にのみ関心を抱き、浮気などという軽薄な行動に出ることなく、ほかのどんな異性に関心を持たれても意に介さないという野郎どものことである。キメるところはキめ、恐ろしくこっぱずかしい台詞を真顔で吐くのも特徴だろうか。特性としてさらに付与するならば、「定住しない」という点があるが、これはいずれ別項を設けて多分書いちゃうことだろう。←マジで!?)

47巻には大阪組(私が勝手にそう呼んでいる。ちなみに、「西の名探偵」こと服部平次と相棒? 遠山和葉の2人。やはり! 幼馴染み同士)が(私の記憶では)久々に登場(何せ飛び飛びで読ませて頂いているので、前の巻までの話は朦朧としか憶えていない↓)。アンタら学生の本分全うしとるんかい、と心配になるくらいあちらこちらにでばっているのであるが、今回も東京に来ていた……高校の出席日数と「出張費」はどこから出とるんか、という2点が気になってしょうがない(笑。それを言うなら、探偵家業の父に同伴している蘭にコナンもおそらくメインは土日利用であろうが、遠路遙々日本各地に足を伸ばしまくっている。まあ大阪組はどちらにしても、そこそこいい家のコではあるのだが。ああ、新一もそうだな。父:作家、母:かつて女優、で、ひとり息子置き去りで世界各国飛び回ってるんだったか。人気作家らしいので印税生活というヤツでしょーか。新一の自宅はエライ大邸宅だ……。少々耐乏生活を強いられているのは蘭くらいのものだ。父親は探偵家業しているものの、本当の意味で彼が稼いでいるわけでもなく↓)。
今回のミソは「もしや服部、自分の気持ちに気づいたか!?」だったのだが。……ふははははは、そんなことあるわけなかった(大笑)。平次が平次なら和葉も和葉、どっちもイイカンジで天然入っているのでまたしても平行線……↓ もっとも、とりあえず、前よりはマシになってきている気がするのだが(「劇場版」でなら、本人の自覚なしに相手への想いを抱いていると明示されたんだけど)。そうか、和葉のお胸が肘に当たったらドキドキするくらいのマトモさは身に付いたか。おばちゃんほっとしたよ。
今回はとある事件でやたらとコナン(新一)と平次が蘭&和葉がある男性をホメてみたり肩入れしたりするのでやきもきするという楽しいシーンが多くて嬉しかったわ♪(ちなみに、暗闇である男性に抱きついてしまった、という話を野郎ども2人にしたシーンがあるのだが、和葉がそのとある男性抱きつき、その和葉に蘭が抱きついていた、と真相を明かすとコナンはあからさまに喜び、反対にイライラが収まらぬ平次を諫める、という行動に出る。このわかりやすさも青山ボーイズの典型例だ・笑)。

正直、「黒の組織編」乃至「ロンドン編(やはり「ロンドン」なのはシャーロック・ホームズの聖地(笑)だからでしょーか。元々物語の中でもちゃんと伏線張ってありますが。そもそも町の名前が「米花町(べいかちょう。ベーカー街、「杯戸町(はいどちょう。ハイド・パークから)」から、…だよね?)」だのと銘打ってあるんだけど)とでも言うべきラストに向けた物語に突入してくれるまでは何とも言えない。長寿作品、人気のあることはいいことなんだけど、風呂敷ちゃんと全部畳んでくれるのかなあ、と勝手に心配するくらいにはこの作品が好きだ。ひとばんばん死ぬけど。
ミステリに造詣が深くない私でも、メイン登場人物の名前は探偵モノ、ミステリに関連した名前をもじってあったりするのがわかるし、そういうとこも楽しい。

しかし、いつまで続くのであろう。サンデーまんがって、クオリティはさほど低くなし、よくも悪くも安定性が高いけど、とにかく巻数重ねちゃう傾向が強くて(2週で打ち切り決定しちゃうこともあるWJと比べてはいけない……。ああ、「メタルK」好きだったのに! って、言ってわかるひと、居る!?)、人気があるからこそ続いているんだろうけど、そろそろ最終章に突入してもいいんでないかい、とコナン・ファンの友人とは語り合っている。これまでの伏線を回収して、風呂敷畳んで、うまいこと着地して有終の美を飾ってほしいなあ、と。

そして、らぶらぶこめこめの要素も忘れないでね、とろまんす好きの私は思うのであった(でもベタに大団円よりも、また仄かにボカして逃げちゃったりして。それはそれでもいいかなあ…と果てしなく広がる妄想)。「コナン」はその辺りのバランスが悪くないのでよけい好きなのかも。野郎同士をくっつけたくてたまらないお嬢さん方にとっては女の子キャラは無きに等しい存在でしょうが↓ 
くっつくのがわかりきってるのになかなかくっつかない、とゆーもどかしさ、でもフシギと(私は)イライラせずに楽しんでいる(あと、えろえろにならないから好みなのかも。その、水着姿なんかのサアヴィス・ショットはあるけど。でも、「コナン」って男性より女性ファンの方が多そうな気がする……。まあ女でも女性キャラファンはいるけど)。さて今後どうなることやら。

友人へ私信。また新刊出たら貸してやって下さい。楽しみにしちゃってます(図々しい!)。
友人の誕生日。早起きしてせっせと「引越作業」に勤しむ私。……部屋中に溢れかえっている本だの雑貨だのを別室に移動させないとおもてなしもできないのよ……↓ 「部屋を綺麗に保ちたかったら、頻繁に友人知人を家に招くこと」ってよく雑誌の収納・整理整頓特集で見るけど、……納得するなあ。いつでも招ける状態にしとけ、ということよね。ふだんからモノの定位置を決めて、コレは、というもの以外はできるだけ置かず……なんてできたら苦労せんのぢゃ!!(ひとり逆ギレ)

長~~~~~い休みと広いスペエス、創意工夫というものを生み出せるアタマと若干のカネがあったら迷わずやってるんだけど。
いや、そんなことはどうだっていい。とにかく友人を招いて、数時間過ごせる「それなりの」状態にせねばならんのだ!

とりあえず約束の時間にはどうにか間に合って部屋の片づけは終了。天気の悪い中御足労願ってのササヤカな誕生会と相成りました。お祝い事っていいなあ。今年は去年よりはマシな、というかそれなりに自分でも満足できるプレゼントを差し上げられたのでよかったよかったVv(去年は予算のやりくりがうまくいかず、妙にちんまりしたしょぼさ全開な状態のモノになってしまっていたので、かなりヘコんだ……。デカけりゃいい、高けりゃいい、とは思わないけど、……ショボいのはいやだよおおおう・涙)しかし、友人にとって活躍の場があるものかどうかは謎である(をい…)。

プレゼントを渡してお茶と茶請けの用意も万端となったら、あとはひたすら飲んで食べてしゃべる、これのエンドレス。でも、チョコレイトのケエキだのトリュフだの、重い菓子を用意し過ぎたせいか、いつもほどはお茶飲んだ量乃至回数は少なめ(重い菓子ならなおさら茶を飲むのでは、と思わないでもないけれど、クッキィやざっくりした焼き菓子の系列にあるような、口中の水分奪われるタイプではなかっためか、ゆったり紅茶を飲みつつ食べる食べる食べる、というカンジだった。スナックも控えめ。いつもならもう少し飲んでたなあ。←出した茶葉の数でわかる。一度飲んだ茶葉はもう一度淹れる、ということをしなくて済むくらい、私には茶葉がうなっているのだった。売るほどあるぞ。いつもなら7~8種類は飲んでるのに、今回は5種類くらい)。

お互いの休みがしっかり重なって、日頃の行いの良さを噛み締める2人(……文句がある方は私の手元の鉈を見てから言ってね♪)。とりあえず私は楽しく過ごせたけれど、友人にとってはどうだったんだろう? 少なくとも、不愉快な日ではなかったのならとても嬉しいのだけど。

誕生日はちょっと特別。……というか、トクベツ仕様にしたくなる。生まれてこなかったら会えなかったわけだし(生まれてきてても、会えずに終わるひとも山程…というかそういうひとのほうが断然多いわけなんだが)、そういう意味でも大事。モノを贈ることができなくてもお祝いのことばだけは必ず伝えたいなあ、と思う(しかし以前その日に間に合わなかったことがあってものごっつ悔しい思いをした。相手からはちゃんとお祝いのメッセエジを頂戴していたというのに!)。

てなわけで。お誕生日おめでとう。お祝いのことばなら何度言っても減らない(何がだ?)と思うので。今日何度目かわからないけど。
おめでとうVv
こげぱん―三都(京都・大阪・神戸)ぶらり旅日記 京都編
たかはし みき
4789724301

「こげぱん」のぶらり旅シリィズも早3冊目となり、しかも後続にすでにもう1冊控えているという嬉しさ。

思えば私はファン(?)歴が長い。店にグッズが出始めた当初から「あ。可愛いなあ」と気に入ってしまい(すでに成人もいいところであったが↓)、あれこれと買い集めるようになっていた。レタア・セットやメモ帳だのと「お前は女子中学生(or高校生)か!?」ぐらいの勢いで新作が出るたびに買っていた(いや、出るたびに買ってるあたり、やはりカネにモノ言わせた腐ったオトナだったと思う……)。友人にまで広め、気づけば周囲にも伝播し、中には気に入ってくれて一緒に楽しんでくれるまでになったひとも♪
そういうわけで、これまで出た絵本やまんがの類も全て購入済み。版元のソニー・マガジンズのオフィシャル・サイトで早々とその刊行を告知していてくれてからは楽しみに待つ毎日(それにしてもbk1は新刊の入りが早いなー……)。入荷後すぐに購入。今回は三都(京都・大阪・神戸。どうして「三都」と聞くと「きのうきょうあ~~~す~~ かわりゆくわ~~~~たし~♪」と谷村新司の歌が脳裏にこだまするのであろうか↓ 刷り込みってオソロシイ)ということで関西主要都市をぐるりと堪能できることに。で、3冊出るのかと思ったら、大阪・神戸編は1冊なのね。ちょっと残念だけど、その分ぎうぎうに実の詰まった出来になるのだろうと期待大。

ぶらり、と言いつつ、なかなかの強行軍。京都をおおまかにほぼ全域まわる、という勢い。ゴーカにハイヤーであちらこちら案内に慣れた運転手さんと共に巡る京都はとても楽しそう。修学旅行で一度行ったきりだな、そういえば……(涙)。セエラア服で京都の街を疾走したわ、そういえば……フフフ……(自由行動の日、門限に遅刻しそうになって一緒に行動していた同じ班のメンバアと爆走した・笑)。

3冊目ともなると書き(描き)慣れたというか、随分こなれてきたようで、内容の充実っぷりとともに絵のグレエドも上がったカンジ(御本人もすっかり旅慣れた御様子)。というか、改めて、「やはり基礎のある方は違うなあ」としみじみ思った(著者のたかはしさんは美大卒)。基礎があると、デフォルメしたり省略したり、自分なりの表現をしつつ、それでいて何を描いたかがちゃんとわかって、見たものや感じたことを「絵」というカタチにできるのだなあと改めて実感。私たちが思い出しがちな京都の風情も感じさせつつ、ちゃんと「今」の京都も描かれていて、追体験している気分に。というか、行きたくなるな、京都に。「そうだ、京都に行こう。」を呪いのコトバのよーに吐き続けながら読んだぞ……(怨)。

旅先では必ず地元でも評判のパン屋さんに足を運んではあれこれ試食。そのどれもが美味しそうだったり食べてみたかったりでおなかも空く。料亭や一見さんにはちょっと腰が引けてしまうようなお店にも行かれて、その店の雰囲気と従業員や女将の心遣いに感謝しつつ、美味しい料理を堪能するサマが何とも言えずいい。どのお店の方も(当たり前と言えば当たり前なんだけど)客に対する心遣いがさりげなくてしかも暖かく感じられるらしきところは、読んでいても心が和む。京都のやわらかい雰囲気が滲み出てくるイラストもいい。こげぱんたちがわらわら周囲に居るのも可愛い(笑。一緒に旅をしてる、という設定なので終始皆一緒に居ます。可愛い♪ 行く先々で「こげぱん」のことを話すと「こげぱんさん」とさん付けで呼ばれたエピソオドは何とも微笑ましい。アチラの方は「~さん」とよくさん付けして呼ぶものねえ♪ 響きが優しくまあるくなっていいなあ)。
お土産モノのイラストによるレポートも楽しく、可愛いやら欲しくなるやらで大変だった。巻末にはお店の包装紙や袋、ショップ・カアドなんかがイラストで紹介されていてどれも可愛かったり味わいアリ! だったりで欲しくなる。旅の醍醐味のひとつだよなあ。捨てられないの。

著者のたかはしさん、何気ないところでボソリと、あるいはチクリと冷静な(ひとによってはちょこっとだけ毒を感じる)ツッコミを入れるというか、言うなれば「正直な」コメントがあるのだけれど、今回はどこも楽しめたらしくそういうのが見あたらなかった(ただ、有名なすき焼きのお店では「せわしなかった」、と正直に〈笑〉コメントしていらっしゃいますが。もちろん、お味の方には存分に満足された御様子)。

当初の計画にはなかった体験モノにも急遽飛び入りで参加したり、とあれこれ挑戦しているところも楽しげでイイカンジ。染め物に焼き物の絵付け、座禅に川下り、練り香の調合(←やってみたい!)…ともうてんこ盛り。加えてフツーに神社仏閣も見て回っている。これ、何日間の日程よ!? と思ったらたったの6日間! 濃い! 濃ゆいぞ! 短期間であれほどあれこれやって食べて回って見て体験して……凄すぎる~~~!(清明神社ではひとの業の深さをまざまざと見せつけられてお疲れになったようですが。彼女もしっかり絵馬を残してきた模様なので興味のある方は探してみて下さいまし。壬生寺もそうだろうけど、清明神社も地元のひとにとっては「昔からある神社仏閣のひとつ」という感覚のところなんだけど、新撰組流行りだの陰陽師ブームのせいで持て囃されてヨソの地方からわらわらひとが押し寄せてるんでしょうなあ。でもそこで「ええい煩い!」とならず、商売にきっちり走るところが私は好きです。グッズがとても充実しているそうです、清明神社付近。ははははははは)

お約束のこげぱんたちによる4コマまんがも楽しく、充実した1冊。2冊目の「大阪・神戸編」もますます楽しみにVv(ちなみに7月25日発売予定とのことです)
御本人は「描きたいことや入れたかったエピソオドが多すぎてまたしても字が小さくなりました」とあとがきで仰ってましたが、私はさほど気にならず、逆にちょこちょこあれこれ描いてあるのが楽しかったくらい。1頁1頁の充実度が高いです。
しかし。前々から思っていたのだが。コレ、並装で十分なんじゃないのかなあ……。ハード・カヴァという豪華仕様なのは何故なんだろう? 今までの著書がすべてハード・カヴァだからか? 紙質よし、強度もそりゃいいわけだけど。ううむ。いや、その、もう少しお値打ち価格にできたのではないかという貧乏くささが言わせているのですが(あと、表紙が丈夫な分、地味に棚でハバを取る。……って、やっぱり貧乏くさいなあ↓ でも、もし旅のお供に持って行こうかな、というひとがいたら、ハード・カヴァだと嵩張るなあ、なんて思ってみたりもして。私じゃもったいなくて持っていけないけど。旅で持ち歩くバッグの中になんて入れてたら本が傷むわー!)。
さらにさらに気になることが。かの有名な「イノダコーヒ」。本文では「イノダコーヒー」と紹介されている。確かココ、「コーヒ『ー』」じゃなく、「コーヒ」なのがミソというかポイントなのだけれど(実際HPでも「イノダコーヒ」だし(一時期「カフェ」がやたらと流行ってもてはやされて、昔から愛されてきた地元では有名な喫茶店やカフェが紹介されることが多くなった頃、必ずと言っていいほど「イノダコーヒ」はエントリィ? していて、私にとっても「ココはこーひー、ではなく、コーヒ、なのだ!」と染み込んでしまっているので改めて「イノダコーヒー」と書かれると違和感が。うっかり書いちゃったのかしら? ここの珈琲は最初からミルクと砂糖が入ったものだというので、一度はゆっくりと味わってみたいお店のひとつです)。

京都に実際住んでいらっしゃる方はどう感じるのかなあ、とか色々なことを思いつつ、私は存分に楽しみながら行けない我が身を呪うのでありました。ちくしょー!!
個人的に関西方面には興味津々(それはあるまんがに大阪出身の2人組? が登場してくるから~♪ わかるキミだけわかってくれい!)。一度ゆっくり旅してみたいなあと改めて思ってしまった一冊で御座いました。
庭の小径で
きたむら さとし Laura Stoddart
477640088X

「記憶の片隅に、楽園のひとかけらのような小さな庭を持っている」……いい惹句だな、と思った。
私にとってのそれは、昔、本当に幼い頃住んでいた家の庭だ。庭、と呼んでいいものかは、正直わからない。一応、私の家の敷地内ではあったと思う。そこは単に草がぼうぼうに生い茂り、早春から夏にかけては緑の草いきれに覆われ、秋になれば黄金色の絨毯を敷き詰めたようになる。

父方の祖父母と叔父は、私たち家族には何も言わず、勝手に私たちの住まいとしていた家の居住期間を決め、ある時突然、出ていく時が来た、と告げた。当時はまだ小さくて、どうして突然引っ越さなくてはならないのか、どうして今まで住んでいた家を出なくてはいけなかったのか、全然わからなかった。
今思っても、古くはあったが広くて大きな家だった。縁側があり、そこでボウリングのゲエムをして楽しんだ記憶がある。兄には8畳から10畳程度の自室が与えられていたし、私は寝る時こそ親子で川の字になって寝ていたものの、小学校に上がる手前で6畳程度の自室をもらった。母の物置として使われていた部屋は縦に細長く、ちゃんと見たことこそなかったものの、ありとあらゆるものが揃った魔女の部屋のようだった。2階には父の書斎兼応接室があって、そこにある長椅子に寝そべって本を読むのが彼の日課だった。また、寝室に隣接した部屋には本や資料や仕事のためのあれこれが置かれており、そこでいつも遅くまで仕事していた。
無駄にしてしまっていたスペエスだの(ホテル等で言う)リネン室があったりして、やはり存外広い家だったのだと思う。おまけに庭、だ。

家の横(?)にあるその限られたスペエスは、それでも子供の私にとってはとっておきの場所だった。何があるでもない。四つ葉のクローバーを日がな一日探して暮れたこともあったし、草が水面のように風に撫でられて波立つのを見ているだけで、……楽しかった。
その頃の思い出は、誇張でもロマンティシズムに浸っているのでもなく、いつも紅茶の色をしている。褪せたのではない。多分、時の流れがそう染めてしまったのだ。そう染まるしかなかった。
失ってしまったもの。二度と手に入れることの叶わぬものに、鮮やかな色彩は似合わないものだ。……似合う方が悲しい。もう私はその場所に行けないのだから。「過去」が鮮やかすぎるのは、せつない。

今もというか今は、見知らぬ他人の家族が、叔父たちから借りて住んでいる。叱られて泣いた思い出も、父に本の読んでもらってから寝付いた夜も、母にキスされてから眠ったことも(……今にして思うと、私はやはり女の子故に余計に可愛がられていたのかもしれない。あとは母が英語教師をしていて、アチラの文化とやらに多少浸食されていたのやもしれぬ)、兄と喧嘩して肩を脱臼したことも、初めてベビィ・バスからフツウのお風呂に入った夜も、……みんなその家であったことなのに。その家で生まれて私の中に宿ったものなのに。切り離せぬ記憶、思い出。

あの庭に、私の知らない誰かが入り込む。私の知らない誰かが駆け回る。緑のざわめきを聴き、黄金の絨毯を踏みしめる。
――二度と戻れない。

楽園は失ってしまった。代わりになるものはない。新たに見つけるしかないのだ。そして、それは未だに見つかっていない。

だから、心に残り続けるのだと思う。あの紅茶の色に染まった景色は。

この本を、とても楽しみにしている反面、少しだけ怖い。紙の中に、本の中に、収まって消えることはないはずなのに。
私が、……老いるのと同じく、時を刻むうちに少しずつ少しずつ、紅茶の色を帯びてゆくのだろうか。

私のものになってくれるかはわからないけれど。扉を開けば楽園に入れることを約束してくれる本のような気がする。そうであって欲しい、とどこかで切実に願っている。故に、買おうかどうしようか、少しだけ迷っている。きっと買ってしまうのだろうけれど。
CLAMPノキセキ 第2号
4063670724

最新号はつい先日家に届いたばかりの「第7号」が最新号なのだけれど、画像が出せないので2号を。

……コレ、ホントにファンのひとは喜んでるんだろうか、というのが毎号感じる正直な感想。
繊細かつ細密なおまけがついて数百円(子供感覚で考えるとそれでも十分高額ではあるものの、クオリティを考え、どこで生産されているかを考えると、かなりお値打ち品であると言わざるを得ない)、という造形物がコンビニやスーパーに行けば手に入ってしまう昨今、チェス・ピース3体付・薄~~~い冊子とセットで¥1,680、というのはお買い得、なのだろうか。甚だ疑問。チェスはおまけだ、冊子が本体だろう、何とかしてくれ、と言いたいところだが、食玩と同様に、本末転倒になっているのだろうか。

で、この本のウリ、ポイントでもあるチェス・ピース、どうしようもなく悪いわけではないのだが、……何というか、その、量産型とはこういうことでしょうか、と言いたくなるような出来に見える。塗りも造型も甘い。数百円で買える、ちっこいガムだのが「おまけ」でついてくるフィギュアの方が何倍もいい出来で売られている現状を知っている人間から見ると、何とも、その、……ちゃちいカンジがしてしまう。塗りの面で言えば、髪に入れるハイライトなんかが「ハイ、流れ作業でスプレイぷっしゅうかけましてん」、なのがありありとわかっちゃうのがあったりでせつなくなるほど。ミニスカ・キャラはその「内部」は埋めてあって、がっかりだ(スケベ心で言うのではない。女の私がスカアトの中身見て何が楽しいか↓ そうじゃなくて、最近は埋めてしまうよりも、たとえばパニエのフリル再現だの、もっとはっきり言えばどんな下着身に着けてるかがわかるような状態でつくられるのがほとんどなので、何とも手抜きに見えて残念なことこの上ない。原型師さんは大抵男性なので、彼らにしてみればある種のスケベ心とやらもあるのかもしれぬが、どちらかというと、消費者/ファンにより楽しんでもらいたい、あるいは自分はここまでこだわってつくってるんだという心意気を見せんがためにそういう「わざわざあえて見えないところもちゃんとつくる」のだと私は思っているので、「がっかり」してしまうのだ。それがヲタクというもの~↓)。まあ、確かにチェス・ピースとしての「機能」を損なうほどの問題ではない。しかし、その造型をも楽しんで欲しいと思ってつくっているハズなので、……もうちっと気合い入れてつくったらんかい、と思ってしまうのである。

おまけにこの冊子、薄いなりに内容が濃ければまだしも、……何というかさほどの濃さがあるわけでもなく、作品の概要をなぞり、ちょっとした解説/解読的コラムがあって、数ページの描き下ろしまんががある「だけ」、なのだ。「ぱふ」の特集にすら負けている気がする(ああ、でも「今の」「ぱふ」くらいはあるかもしれない。いえね、80年代後半~90年代にかけての「ぱふ(注:知らない方のために。まんが情報誌です)」は本当に面白かった。特集されたまんがはすべて読みたい気持ちにかられたし、いいライター・編集子が揃っていて、誰が書いた記事か文章でわかるくらい個性というものが感じられた。……今は形骸化してる気がする。……ので、買わなくなった。全体的に内容がうっすいなあ。特集で取り上げるべきポイントも何かズレてるカンジがするし。トシ食うと文句ばっか多くなって困るねえ)。

小中学生が毎月楽しみにして買うにはちと高い気がする(実は、ホントの本気で楽しみにしている大人とは言い難いファンのひと、というのが存在するのかどうかわからない。……まあすれっからしな私と同世代のひとよりは純粋に彼女たちの作品を愛しているとは思うけど)。大きいオトモダチが買うのには、クオリティから言って思わず文句のひとつもつけたくなるような状態。ううむ。何というか、ヲタクの惰性で買ってるひと、というのが多い気がする(……私のことだ)。

私の場合、付き合いが長い(と言っても、むろん個人的に、という意味ではなく、彼女たちが商業誌デビュウする前からその存在を知っていて、活躍のほどを見続けてきた、という意味。「まん○らけ」でプレミアつきそうな同人誌を美品の状態で数冊今も所有している…)ので、「どう受け容れられているのか」とか「どの辺りが面白いと思われているのか」を知りたくて読んでいる。「好き」だとも「面白い!」とも思っていない作品にカネを払って読むのだから、相当な物好きというわけだ。コミックスのほとんどは新刊で購入しているから鉄板の馬鹿(同人誌は面白かった。楽しんでつくっているのがわかったし、お馬鹿ノリとシリアスのバランスがよくて、当時からデザイン面も力入ってたし。もっとも、「『ぱふ』の同人誌コーナーに表紙の写真及び中身の一部掲載されて紹介されていたら、その本は買って間違いなし!(本の発行元であるサークルにとってもハクがつく)」と言われていた時代、表紙の写真付〈コレが高評価の証であった〉で何度も取り上げられていたのだが、そのレビュウで「まるで商業誌のように凝っている。しかし、同人誌の着地点というのはこういう所でいいのだろうか。これが同人誌の終着点なのだろうか」というようなある種の疑問を投げかけられていたことがあった)。そんなわけで、「この話って、どこがどう面白いんだろう……」と思いながら読んでいる(ある友人にポツリとこぼしたら、「よかった、あのひとたちのまんが面白くないって思ってるの、私だけじゃなかったんだ」というコメントが返ってきたことがある)。

メインで作画を担当しているもこなさんの力量は素晴らしいと思うのだけれど。作品ごとに画風やペンタッチ、画材まで変えるというからスゴイ。イラスト単体でも十分に堪能できる(しかし、今執筆しているメインの作品のために変えた画風が、今度はどの作品に於いても流用してしまうというかクセがヌケないのかわざとなのか、終始某「ワンピ」のように胴長手長足長で描かれていて、昔の作品をその絵で見ると違和感を感じてしまってしょうがない。描線も変えることなく。……誰でも絵は変わっていくものではあるけれど)。
でも、「物語」として純粋に「面白い」と感じたことがある作品というのは、実はない、のだ(唯一「CLOVER」――今回画像を使用した号の特集作品で表紙を飾っている作品なのだが――だけは、ネエムに頼り過ぎず、絵とコマ割りほか「画面」「視覚」で楽しめる作品なので気に入ってはいる。あ、でも、やはりより「世界観」を愛しているのであって、純粋に「物語」を、ではないな)。
あと、「プロ」としてエライなあ、とは思う。色々な都合で休載することもあるけれど、並行して請け負った仕事はそれなりにこなしているし、作品を終了させてもいるし(……自分の好きなまんが家に、それができない方がいらっしゃいましてね、ええ……。完結もせず続きも描かず、すでに何年放置したかわからないくらいになってる作品を何本も抱えている「プロ」が居るんですよ……)。

「CLAMPノキセキ」とはよく言ったもので、ホントに「軌跡」を辿る「だけ」になっている所が惜しい。もっとこう、読んだことないひとにも訴えかける「何か」を盛り込めなかったものか。待てよ、読んだこともないひとはそもそもこういうモノに手を出さないか。ううむ。出版社側からもたれかかられているな。これを揃えて手元に置く付加価値的なモノって、何かあるんだろうか? わからん……(でもきっちり毎号買って持ってる私)。やっぱりチェス・ピース? だとしたらもう少し造型のクオリティを(略)。

で、この本買い続けて思ったこと。
「であご○てぃーに」ってスゴイんだな。
DVDにその作品内容をさらに深めるブックレットついて¥1,500以下で人気TVドラマシリィズを隔週で御提供、ってすごいわ。
22/" target="_top">駄菓子屋図鑑
昭和こども図鑑―20年代、30年代、40年代の昭和こども誌 まだある。―今でも買える“懐かしの昭和”カタログ (駄菓子編) まだある。今でも買える“懐かしの昭和”カタログ~食品編~ 駄菓子大全 まだある。今でも買える“懐かしの昭和”カタログ~生活雑貨編~
ある駄菓子屋で見た光景。実はその駄菓子屋自体はガメツさとガサツな店員の多さ故にあまり好きではないのだけれど、客が入っている時に眺める、には何とも言えぬ風情を感じさせて嫌いではない。

ある上品なおじいさまが立ち寄っていた。たまたまほかに客はおらず、ゆったりと見て回っては、小さな籠にあれこれ選んで入れていた。
店員に「ここは随分と安いんだねえ」とにこやかに言うと、店員は「はい、昔からよくある、子供さんのお小遣いでも買えるものを揃えてますので」と答えた。おじいさまは、またにこにことあれこれ見て回っている。
「孫が喜ぶと思ってね」
「きっと、喜ばれますよ」
籠にこんもりとお菓子を盛ってレヂで会計をしている様は何とも言えず心が和んだ。きっと、子供の頃もこうして駄菓子屋に足を運んで、多くはないお小遣いで楽しんだに違いない、などと勝手に想像して。

昔通い詰めた駄菓子屋が消えたのは寂しかったなあ……。
雲の上からの手紙
沼田 元気
4860201248

相変わらず「コノヤロー」と思わせてくれる(褒めてる)沼田氏の新刊。でもって、相変わらずいい本出すなあと感心させてくれるブルース・インターアクションズからの刊行。来た来た来た。こういう本出させたらピカイチの出版社のひとつだと思う

沼田氏は、いつも、「日常」に根ざしているのに少し遠い、「すぐそこの遠い場所」(@クラフト・エヴィング商會)を彼らしい視点とヴィジュアルで楽しませてくれるのだけれど、……今回のコレはまたツボにハマり過ぎ。
タイトルの「雲の上からの手紙」というのがもうそれだけでいい。まだ空路を使っての海外旅行が今程フツウではなかった頃、初就航の記念に手紙を出せるサアヴィスがあったなんてこと自体知らなかった(お恥ずかしい話ですが)。
編著、となっているので、彼自身がファースト・フライトに乗り込み、その記念に云々というよりは、どなたかのものをお借りして、ということなのだろうか。エール・フランスやスイス航空等のヨーロッパ各社の初飛行カヴァを収録とのこと。ううう、見てみたい。でも、……今の私の懐具合には見合わぬ価格……(涙)。いや、絶対自分好みで何度も見返してしまう本だと思うのだけれど。その前に購入予定立てている本が山積してる(ついでに、未整理の本と読んでない本も山積……)状態ではまだ手も出せず。

手紙にまつわる話題・ネタ・事物はことのほか好きだ。手紙好きの私だけれど、最近はメエルの便利さに書くことから遠のいてしまった。あの時差の持つ、ちょっとだけつきまとうもどかしさと、レタア・セットや切手のチョイスに悩む時間、それからもちろん、もらうことと出すこととが大好きなのだけれど。親しい友人は同じ町に住んでいたり、遠方の友人は今ちょっとツライことがあるらしく遠慮していたり、相手が筆無精だったり、と「書く」ことから離れてしまっている。ああ、無念。

前にも言ったけれど、フランス辺りは郵便関係の博物館のグッズが充実していて、とても可愛らしかったと記憶している(いや、それ以前に郵便局で買えるグッズそのものが可愛いんだったか。ポスト・カアドなのだけれど、切り取って立ち上げるとポップ・アップ風のカアドになるもの、なんかがあったりした。それがまたレトロで可愛らしいのだ!)。以前某通販会社からは、芸術家たちの家や絵画世界の建築物を立体化できるカアド、というものを購入した(同様のシリィズで、パリの街並み、みたいなのもあってそれも購入)。もったいなくて未だに使っていない。……何のために買ったのだ↓ あと、国内外問わず、古切手も集めたり、時には買ったりしている。詰め合わせセットみたいなのは色んな国のが入って居て楽しい。アンティークのカアド(ホントに個人的なもの。叔母から姪へのバースデイ・カアド、とかそういうもの。当時のデザインや字体、文章のスタイルが伺えてよろしい。それにしてもそういうものを売りに出したのはどんなひとで、どんな心持ちで売り払ったのだろうか…?)も買ったなあ。

――などと、手紙にまつわるあれこれを思い出していたらこの本、ますます欲しくなった。どうしよう……。
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……これが最後の2個だった。

いや、欲しかったのは揃っていたのだ。友人からもらったポットと赤い紅茶缶。それで終わりにしてよかったのだけれど。

……やっちまいました……。

「多分ね、もうないのよ。うん。何となく、手に入れてない、黄色ベエスのカラフルなリーフ柄のカップは、もうないんだろうと思うなー。昨日売り場覗いたら、そもそも置いてる本数少ないし、持ってるアイテムばっかりだし。無理だよねえ。……でもなあ。あったら、買っちゃうかもしれない。でもって、要らないかな、とかヌカしてたクセに、たった1個買わずにいる、ってのも何だかもったいないというか。だってあとひとつでコンプじゃないの。まあ、あるわけないよね」

私は誰に対して後ろめたさを感じているのであろうか……。

売り場に行く。果たしてそこにはいつものようにりぷとんの「リーフイン」が並んでいる。
あれ? 何か、本数多いなあ。そりゃ追加したからだろうけど。そうじゃなくてさ。フツウ、このテのキャンペーンモノって、はけるの早いじゃないの。ついてるのをどばーっと出してどんどん売ってって、てのが常道だよね。そう思いつつ、じわじわと売り場に近づいてゆく。冷気が少しずつ肌に迫る。

「げ。」

……ありやがんの……。

もしあったら買っちゃおうかな、と思った、カラフルなリーフ柄のマグ、ちゃんとあった。それも何個も。あれれ~~?(高山みなみ@小学1年生ぶりっこvoice)おっかしいな。フツウ、もう、ねえだろ!

いや、だからさ。こういう女性をターゲットにしてるタイプのものは、よほどのことない限り、そんなに注目されないし、はけるのも海洋堂絡み(=男性消費者をも巻き込む力を持つ)でもない限り、早々に消えるなんてことはナイ、って自分で言ってたじゃないのさ。

ココのお店、ホントにじわじわじわじわ小出しにしてくれていたようです。有り難いのか何なのか……。まさに踊らされている私(勝手に踊り狂ってる、が正解)。「特に欲しくもないかなあ」と思っていたポットまで手に取り、2本抱えてレヂへ直行。ああああああ、何してるの私、何やってるの私~~~~↓↓↓(教えてやろう。それはな、「無駄な消費」と呼ぶのだ)

帰りの車中、よく冷えた「リーフイン」をぐびぐびと飲み干す。また買ったことを母に知られるのは少々憚られる。このトシで何を自分の身銭切って買おうが誰に遠慮が要るものか、と思うものの、あの「またヘンなものを集めおって……」という好奇の混じった白眼視に耐えるのはちと避けたい(……思えばいつもいつもいつもいつも×10,000,000何かしら「どうでもいいもの」を集めている娘であった)。紅茶一本は隠蔽おっけー。もう一本はこっそりと廊下の「ストック」(以前まとめ買いした数本がまだある)の中に紛れ込ませる。

はい。そういうわけでコンプリートしました。今部屋のディスプレイ用の棚にすべて飾ってあります……。あーあ……。
●HNやPNに見られる「○○ちゃんのママ」●
「属性」で自分を示したいのは何でなのかなー、という素朴な疑問でもある。「ナニモノでもないただの私」ではなくて、「○○の」ナントカ、で居たい、のだろうか。勿論、「○○の」はある種の安心や安定を与えてくれるようにも思うのだけれど。それとも、誰、という特定性が薄れるのがいい、のだろうか。でもなあ。テキトーに本名以外名乗れば「誰」ってこともなくなるよーな気もするしなあ。
やはり、そう名乗りたい気持は謎のままなのであった。

●「ランキングに参加してます。協力してね♪」●
評価や批評・批判は(お門違いなものでない限り)有り難いものだと思う。しかし、自らランク付けしてほしいと思うのは、どういう気持なのであろうか。何千何万ものブログ・ブロガーの中でどれくらいの位置にあるか知りたい、ということなのであろうか。
カウンタで、来訪者の人数知るだけでも、随分有り難いものなのだが。どういう理由では判らないとしても、来て頂けた訳だし、読んでも頂けたかもしれない、そう思うだけで感謝しちゃうのだが。
そもそも、「評価してもらえる程のものなのか」が、自分の場合は疑問なのだ。もう自己満足の最たるもの。評価以前の問題かもしれない。ランク付するだけの価値のあるものなのか、が既にアヤシイ、内容があるんだかないんだか、なモノしか書けないので、ランキングに参加、なんてこと自体がおこがましくて私のブログなんぞでは出来ない(その割には、公開してやってるんだよな。大いなる矛盾)。
……みんな、自信があるんだなあ、と羨ましい。ホントに。
でも、多分私の中のモヤモヤは、ひとによっては「投票」を請うコメントがある、という点にあるんだろう。
面白くて、投票出来る機能があれば、何も言わずともひとはそれを押す(推す)だろう。応援したい気持とやらがあれば、押す。そういうものだと思う。請う必要など何処にあるというのか。請わねば押してもらえない、と判った上でランキングに参加し、投票用のボタンを用意するのか?
だとしたら、それは自信があるのか無いのか。わからん。「ランキング乞食」なるなかなか意地の悪いことばもあるが、それはわからないでもない(…)。

●ギャル文字でコメント、書き込み●
まあ、これはフツーに不快である。知り合い同士ならば判るのだが、明らかに初めてそのブログならブログ、HPならHPを訪問した上で残したコメントやら掲示板へのレス・書き込みがギャル文字、というのは如何なものなのか。管理人自身が使っているならまだしも、そういう訳でもないのに、ヘーキで使うその感覚が全く! 理解出来ない。
読みにくかったり自分だけは楽しいであろうその書き方でコメントやら残された管理人さんやブロガーさんが大変気の毒である(皆さん大抵丁寧にコメントを返されたりしている。そりゃあまあ、コメント頂けること自体は嬉しいことだからなあ……)。ぁたしゎ、そういうのゎやりたくないデス。←うあああ、気持悪うっ!!(これ↑かなり控えめな書き方なのに)

などと常日頃思っていたことをボソリと。
ゴシック&ロリータバイブル (Vol.16)
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オンライン書店ビーケーワン:ゴシック&ロリータバイブル Vol.16
創刊号からずっと購入していた(三原ミツカズさんが表紙を担当していなかったら、案外手も出さなかったかも知れない…。今は池田理代子先生が表紙を描かれておられます。往年のファンなんかはこの絵につられて買っちゃうんだろうか。できればずっと三原さんのイラストの表紙で楽しませて頂きたかったのだけれど。おまけに、彼女がココを「卒業」? したあとから、劣化コピィみたいな絵を描くひとがとあるメゾンのイメエジ・キャラクタアを描いていて、とても不愉快な気分になった。最近は見なくなったけど、やはりミツコツファンからの不満と非難がGo! Go! だったのだろうか……)ムック本。もう16冊目となっていたか。もう4~5年続いてるよな、確か。

最近は記事・内容が充実してきたカンジがする。前はとにかくメゾンの新作情報、みたいなのが主で、それはそれでまあこのテの服・メゾンが好きなひとにとっては楽しいのだけれど、単なるカタログに過ぎないかなあ、という向きがなかったでもない。創刊当時から嶽本野ばらちゃんが寄稿したり、とある意味お約束なれども豪華な面子を取り揃えてはいたのだけれど(Mana様〈……何かファンのひとに「様」付けしないと呪われそうなのでつい「様」つけて呼んでしまう。ええと、あの、かつて Gackt が Vo. を務めていた「まりずみぜる」のひとですね。中性的な魅力に溢れたあの方です。女性のお洋服もとてもお似合い。というより、そこらの女より綺麗なわけで、……時折せつない気分にさせられる・笑〉も創刊当時からずっとグラビアを飾り、自分のブランドを立ち上げられたこともあって、新作等を発表されてもいて、まさにお好きなひとにはたまらない構成ではあった。自分で着て見せて下さるのよ、Mana様は。女性のアイテムも男性のアイテムも。女性向けのアイテムが当然? 多いので、必然的にドレス姿とかが多い。パニエ入ったスカアトとか、ビュスチェとかねー……)。
でも、内容は、というと、今ひとつユルかった。薄い、というのか。なまじ世界が、彼/彼女たちの持つ哲学が濃いが故なのか、本誌の内容そのものはさほどディープでもなく、はうつーな内容(型紙付きで、紹介した一部の服・小物等自作できたり、ヘア・スタイルやイメエジ別メイク法の伝授、雰囲気に浸るための料理のレシピに部屋のアレンジの仕方とか)も満載で、ごすろりに目覚めたお嬢ちゃんたちのための案内書・入門書、というカンジだった。三原さんのショート・コミックが美しくて、毎号それを楽しみにしていたなあ(今は何故かナシ。お忙しいからか、何かあったからか、それはよくわからないけれど)。
今もその傾向がないでもないけれど、前よりは濃ゆい印象を受ける。メゾンの紹介、新作の案内、そういうものも相変わらずだけれど、ゴシックでロリィタな世界・哲学を知るための手引き、のようなものが前よりもペエジを割かれてあれこれ紹介されるようになった、気がするのだ。読み応えが増してナカナカにヨロシイ。「天使と悪魔」がどうの、とか、まあ基本中の基本をわかりやすく、とか。コンパクトにまとまっていて、まさにこの「道」に進み始めた乙女たちのよき導き手となるでありませう。大槻ケンヂ氏の連載小説もオツだな。彼らしいスタンスを保ちつつ、この世界に理解と興味を示してそれを文章にしてくれてる。さいこ○しぇーむのA○Aちゃんとかはしょーじきどうでもよくなってきているのだが↓ 香奈ちゃんのハンドメイド系とかはまあ見ていて楽しいし、「PUTUMAYO」のデザイナアさんが描かれるイラストやショート・コミックも雰囲気と味わいがあっていい(ダークでもろ好みだった)。モデルさんも可愛い方が増えて来て、眺めているのが楽しいです。深田恭子ちゃんの「下妻」を見て、本当に本当にしみじみと、可愛いコが着てこその可愛いお洋服なのねえ、という悲しい現実を噛み締めて以来、やはりモデルさんは可愛らしい方、お洋服の着こなしの巧い方、ハマる方のほうが見ていて楽しゅう御座います、ハイ。

一時期は「このままカタログ本として終わっていくのかねえ…」と危惧(?)していなくもなかったけれど、前より力入ってる印象を受けるので逆に楽しみになってきた。てなわけで、今後も買うわけね……。大きいし、場所取るからできるだけ買わないでおくのが無難なんだけどなあ↓ 次号は5月刊行予定よ。てなわけでスペエス空けて待ってな、自分!(やっぱ買うのねそうよね買うのよね……)
20050321144524.jpg……何で写メを回転させて保存すると画像の上部がカットされてそれが画像下にくっついた状態で見えるよになるのだ……(後になってから判ったことなのだが、私が使用している携帯のカメラはヨコで撮る場合「正しい」天地で撮影しないとこうなるらしい)。

もとい。今日友人から譲ってもらったおかげで、欲しかったりぷとんおまけは揃ったことに。ついでにまた「あってもいいかな」を見つけたのでそれも購入。「IV(←はぁと)TEA」のがN.Y.の土産物を思い出させてなかなかヨロシイ。
赤い缶があるとやはり並べた時引き締まって見えてイイカンジ。黄色のポットも可愛いし。それにしてもミゴトなスケール(比率)無視ぢゃのう。ポットもカップもティ・キャディもだいたい同じサイズにしなくちゃ、なのはわかるけど改めてこうして見てみるとかなり違和感がないでもない。まあいいや。可愛いので満足よん。
わざわざ遠方に私用で(それも自分の楽しみを満喫するためだったのに!)行ったのに私なんかのためにGETして来てくれた友人にひたすら感謝~~♪
今後もこういうキャンペーンを発見したらこつこつ買ってる自分が居るような気がする……。怖いなー。今よく行くお店、割とそういうのちゃんと入荷するし(もっとも入荷率が高くて確実そうなのはコンビニだけど、高くつくし数のハケがいいのと大量には冷蔵庫に入れられないのとで欲しいのを見つけにくいからそういう次元ではできるだけ利用しないようにしている。……物欲に踊らされている私……。もっとも、ここでしか見ないな、とかこれ一個くらいならいっか、という理由で衝動買いする、ということはままあるのだが。←どっちやねん!)、比較的価格を落として販売してくれるからつい手が出てしまうー!

どうせなら「リモーネ」にもつけて欲しかったなー。レモン・ティも楽しんでみたかった(それそのまんまだと買わんのかい! ←ちなみに、お値段一緒。安く買える。のに買わない……)。
薔薇のストレンジャー
鳴海 丈
4089010179

うわー……この画像が拝めるってのがもう「奇跡」だわ。実は大昔ないカネはたいて購入しました。もったいなくて1回くらいしか聴いてないんだけど。所謂今言うところの「ドラマCD」みたいなもので、声優さんたちによる声と、効果音のみによって成立する「聴く」物語です。当時はまだテエプだったんだよなあ…時代感じる。

昔まだ「コバ○ト」に「プライド」ってものがあった頃、大好きだったシリィズ。当時としてはファンタシィはまだ主流とは言い難くて、田中芳樹さんなんかも「アルスラーン」を書き始めた頃は異質な存在だった、みたいなことを仰ってた。
どういう訳か偶然この作家さんが気に入ってしまって、最初に買った本はなんとアニメ作品のノヴェライズモノだった(めったに買わないのに…。何にそんなに惹かれたんだ?)。で、ほどなくしてこのシリィズが開始。表紙と挿絵は大好きな高田明美さんと来てるし、何やらロマンティックでちょっとかっこよさげなタイトルも気に入った。物語もそりゃあもうお気に入りで、次回作以降が楽しみでしょうがない作品・作家さんのひとりになった。
コレ、男性の作家さんの書かれた作品なんだけど、女性が書くものより妙に耽美な雰囲気が漂っていて、そこもまた好みでした。ロマンティックで美しいの。
平凡な高校生活を送る早川愛弓(はやかわ・あゆみ)という少女の通う学校にふいにやってきた転校生(おおお約束のパタアン!)。それが左の胸に薔薇の「聖痕」を持つ祭貴優(まつるぎ・ゆう。名前もいかにもというか何かイイカンジです・笑)。彼はある使命を背負い、邪神と闘わねばならぬ宿命を背負ってる高校生。また、時期を同じうして美少女・宗方舞衣も転校してくる。
彼はとにかく美しい少年(しかも、女性的・中性的な美しさではなく、あくまでも少年・男性として「美しい」というさらにさらに私好みの設定なのであった)で、転校早々学園中の憧れの的となるわけです(お約束~♪)。とあることがきっかけで、平凡な愛弓と恋に墜ちる(?。実はこの辺り、設定上ちょっと微妙。愛弓にとっては確実に恋なのだけれど)。そして学園には不穏な動きが……。

「コ○ルト」にしては、かなりバリバリのファンタシィで、設定も凝っていたし物語の展開もそれとぴったり合っていて、今にして思えばしっかりしたハアド目の上質なファンタシィだった。巻頭には有名なことばが必ず引用されたり(「百合は処女、菫は未亡人、薔薇は殉教者の象徴である――聖ジェロームのことば」なんて、未だに憶えてるし〈!〉、物語に深く関わってくる「ギルガメシュ叙事詩」冒頭なんて引用されちゃったりなんかしちゃって、馬鹿にできないノリでした。……コレもやっぱり暗記しちゃってる。「えぬま・えりしゅ・らー・なぶー・しゃまむ・しゃぷりしゅ・あんまとぅむ・しゅまらー・ざりらっと」だったっけか・笑)していて、それまでの「コバ○ト」にはないくらい「きっちり」ファンタシィしてた物語でした。テイストは今思うと田中芳樹さんの「薬師寺涼子シリィズ」を思わせる。
ただ、困ったことに、この方、……遅筆なんですね(……田中さんもだな……いや、アレは遅筆、って言わないのか?)。それでもこのハナシは頑張ってた方だと思うんだけど。「暗黒のレインボウ」が次回作(「薔薇のストレンジャー」、「黄金のプリンセス」、「純白のラビリンス」、「覇王のタブレット」と4作刊行。毎回次回作のタイトルの予告がされていて、そりゃもう楽しみにしてた。それなのにそれなのに、あまりに遅筆で出すタイミングを逸してしまったのか、それから二度と出なくなってしまって……・涙)だったことまで憶えてるぞ。
でも、実はそれだけが理由ではないらしく。……どうやらアダルトな作品も手がけたことがよろしくなかったらしい、のだ。「眠狂四郎」みたいな「抱いてしんぜよう(きーっ、いつ聞いても思うんだが、この発言の不敵っぷりは何だー!!・笑)な色男が活躍しちゃう官能時代活劇みたいな作品なんかも世に送ったのがよろしくなかった、らしいと言われている(そのほかにも××が○○な男が女と見ると△△しちゃうんだけど、それは実は□□のためで…みたいなのもあった)。
……はっはーだ、今の「コ○ルト」見てたら聞いて呆れる話だよ。某作家の小説(思えばこのレエベルにおけるBL作品のハシリだったかもしれぬ…。ただ、この作家さん自身が本気でBL作品としてこの物語を生み出したかどうかは私には解りかねるので何とも言えないの)で「×××」と伏せ字見た時はナニゴトかと思った。ありえねー! と当時友人間で話題と笑いをかっさらった) 
コバ○ト」のプライドの無さは、自社のノベル大賞だのからイチから育て上げた「BL作家」を生み出してヒットさせるのではなく、他社で人気のある作家を「誘致」して稼ごうとした点にある。そこがイヤ。安易だし、正直私のような古い世代の「○バルト」ファンには、このレエベルでBLをやってほしくなかった。「売らんかな」意識があまりにミエミエ過ぎて何だか萎えてしまう。おまけに、まんが家上がりで文章力なくて、一人称でやたら☆だの♯だのわけのわからん記号を恥ずかしげもなく使い、ヤりまくりで(すみません、下品で)エロ度が高いからってだけで他社で活躍してたしょーもない作家引っ張ってきて下品なBL作品なんぞばんばん出してるような矜持のカケラもないことやらかしてると来た日にゃもう! 女性(それも、どちらかというとオトナとは呼び難い、所謂YA世代を対象にしてるレエベルで、だよ!)向けファンタシィなエロならアリなのかよー! サベツじゃないか、ソレは。
だからですね。男性を読者のメインに据えたアダルト作品書いたくらいで、何だって言うんだ、と言いたいわけです。そりゃ当時はそういう風潮はよろしくなかったんだろうけど(一応対象は女の子メインだっただろうし、「良識」とやらがあったのかもしれないけど。……でも、当時は、であって、今はどうかね)。おまけに、年月経過し過ぎて再び出るチャンス、なんてないも同然(まあかなり人気あって復刊ドットコムに再版依頼が殺到すれば話は別かもしれないけれど。氷室冴子さんや久美沙織さんの以前の人気シリィズが挿絵を替えて〈これもまたイマドキの読者サマに媚び媚びなのがミエミエで情けない……〉再版かかってはいるんだけど。でも、今の「コバル○」にあっては浮くことは必然だな。「今」ある「コバ○ト」のファンタシ作品を基準にしたら、ハード過ぎる。ヌルいとまでは言わないけれど、骨太な、というか、男性も楽しめるノリのアレは、「朝日ソノラマ」だの「デュアル文庫」だの「スーパーダッシュ文庫」あたりに鞍替えしないといかんだろうなあ……)。
その後、角川から「ダークハンター」シリィズなるものが2冊ほど出て、「聖痕者ユウ」シリィズの焼き直し的作品だった(主人公の名前が「ユウ」だった…)のだけれど、これも続きが出ることはなく。うをい!! 第1話でその後続きが出なかった作品だって未だに持ってるぞ! それなのに、しゃこしゃこさくさくアダルト作品は世に出てくるし。鳴海さん、もうジュヴナイルには見切りつけられたのかしら(涙)。

愛弓と優のキス・シーン(これがまたものすごくロマンティック。読んでるこっちが気恥ずかしさを憶えるほどの、初々しさ・優しさ・甘やかさが溢れてて。時が、風が、唇が触れ合った瞬間、止まっちゃうのよー・笑)、女性の身体の官能美(思えば「釣り鐘型の胸」なんてナマナマしいというか何というか…)、優の持つ七宝聖剣(しちほうせいけん)という剣の美しさとそれによるバトル、男性の美しさ、アクション・シーンの躍動感、怪異の禍々しさ、コトバの連なりの美しさ、どれも私を魅了してやまなかった。面白かったのになあ。

でもって、彼は自作を「読む大映ドラマ」と自称していて、巻末あとがきに実在の役者さんたちによる配役が書かれてました(笑)。優は何と私の愛する本田恭章だった!(彼に目をつけるとは鳴海氏もなかなかよのう……)でもって、舞衣は伊藤かずえちゃん(たまらん! …個人的に大好き)。憶えているひとは確実にヲタクか同世代だが、大昔のTVドラマ版の「ねらわれた学園」コンビなのだ、この2人(学園を則ろうとする側として2人が登場。ちなみに、ヒロインはデビュウした頃の原田知世ちゃん。主題歌も彼女が歌ってた。今でも歌える。……しかもCD持ってるし……↓)。

などと書いていたら、久々に読み返したくなった。あ。ダメだ。どこにしまい込んだか忘れた……(号泣)。

そうでしたそうでした。URLが変更になります。サブドメイン形式になるそうで。と言っても、従来通りのアドレスでもアクセスはできるそうです(実際、おそらくブックマアクして下さっている心優しい方々も、ここを訪れることはできていらしたと思いますが。運営者側からの告知は15日でしたので)。
……というわけですので、以下のアドレスに一応書き換えて頂けると大変有り難いです。今現在、私自身のURLは従来のまんま表示されてるんですが↓(この変更に関して、ユーザは特に何もする必要ナシ、とも言われているので、徐々に、……変わっていくのでしょーか。謎です。すみません、よくわかってなくて)

てなわけで、新しいURLは、

http://jardindelaluciole.blog2.fc2.com/

となります。要は私が指定したドメインがどん! と前に来て、SEO等の検索ペエジの結果等に有利になるのだとか。フツーに人気ないありふれたぶろぐなので、変わったからってこれまでとさほど何かが変わるとも思えないのですが(しーん……)。

よろしくお願い致します。

友人が私用で遠方へ行き、面倒だろうにわざわざ馬鹿な友達の「欲しい!」のために見つけてくれたりぷとんおまけ付リーフイン・ティ。赤缶も黄色のポットもこれで手に入る! そう思って喜んだわたくし。そりゃもう諸手挙げて喜びそうな勢いでした。
んが。
今日またふらりと偶然そのおまけ付を見つけて以来通うが如く行っている店のソフト・ドリンク・コーナーを覗いたらば。

赤い缶も黄色のポットもざっくざく……。

ああああああああああああああああ!!(慟哭)友人の手間が、私のボケが、許せねええええええ!!

20050317215337.jpgでも、「あ、何かコレも可愛いや。色味が好みぢゃん」とかヌカしてまたしても1本購入した土星馬鹿(……輪をかけて馬鹿、の意。出典:高橋留美子『うる星やつら』より)。
レトロが色合いがとても可愛い。あとは白ベエスのカップでもうひとつくらい可愛いのが手に入らないかなあ、とまた物色しに出かけそうな気がする。何やってんだか。

やはりその店では小出しにしてくれていたようで、たまたま今回は巡り合わせがよろしくなかったのか、それなりの在庫を保有しており、ちょこちょこじわじわと品出し/補充していた模様。……もう少し辛抱強ければ、友人に手間も迷惑もかけずに済んだものを……。

「諦めると欲しかったモノが目の前に現れる」

家電の調子が悪くて電器屋さんに来てもらったら絶好調、いつもバッグに忍ばせているけれどまず使うことがないからと家に折り畳み傘をおいてきたら土砂降り、……人生なんてそんなもの~うふふあはは~(涙)。人生勝ち負けで言うところの負けですな。くっそー!!
持つべきものはヲタクな趣味持ち物欲の権化たる人間を理解してくれる心優しき友。

友人が私用でちょいと遠くにでかけたのだけれど、その旅先にある彼女にいつもの調子で、「りぷとんの紅茶缶の赤と、黄色のポットが見つからねえ!」と嘆きのメエルを勢いで送りつけたら、「見つけたよー。欲しい? 要るんだったら買っておくよー」との返信を!!(号泣)

嬉しいよーう(大泣)。
今日も今日とてソフト・ドリンクのコオナアに行き、同じ場所に真っ直ぐ突き進み、瞬きもせず一点を凝視し、目当てのモノはないかと探るアヤシイ女と化していた私。

ない。

やはり、ないのか! 誰だ私に黙って買って行ったのは!?(いつお前の断りが必要になったんだ!)……辛うじて、ベージュ(?)っぽい色の紅茶缶と、赤い蓋のポットは発見、迷わずレヂに持参し、ほくほくして去る。休憩しつつその500ml入りの紅茶×2を一気飲み(……いやもうホントに、身体が水分を欲している御座います……)。水モノには強い方なので、コレでおなかがユルくなることはありませぬ(それ以前に、人体の70%は水分だと言うではないか。これを汗として出し切るかの如く働いていると、これくらい一気飲みしちゃうんですってば。←いや、やはり例外だと思うな、うん……。でも、事実このあとトイレにはまったく行かず。それよりも、事前に水分をたっぷり摂っての発汗、それと並行してさらに水分補給がもっとも健康的な気がするのだが、私の場合、水分不足のまま汗ばかりかいて、……血液がドロドロになってそうでイヤです・涙)。

あ。写メ撮っておくの忘れた。あとでUPしよう(まさに自分のためだけのヨロコビ~♪)。

友人には心から感謝を捧げます。無事に帰ってきたら抱きしめて離さないぜ、ハニィ☆(ちょーキモーイ。←平板アクセント推奨!)

ヨロコビで壊れてます。でもねでもね、日々の小さなシアワセを、砂粒を一粒ずつ集めるが如く大切にして生きているだけなのよー!(どんだけ私の人生は乾いてるんだよ!・笑)

カードは手作りが楽しい!
井上 由季子
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「手作り」。憧れて止まぬこの響き。てづくり。ハンドメイド。おおう、不器用な私には縁遠きもの。
手紙だとかカードの類のやり取りが好きでもあるので、タイトルを見た時から「これは買いか?」と目をつけた。

……ほぼ「当たり」、かなあ。作例が分かり易くて簡単で、さほど極端な手間はかからないし、材料もアリモノだとか、たとえば誰かから頂いたものへのお礼のカードなら、その包装紙なんかを利用してつくろう、とか、アレを買ってきましょう、コレを揃えましょう、という面倒さも少ないし、お財布にも優しい(ははは)。ホントに、アイディア次第で自分も楽しめるし、多分もらった側にも喜んでもらえるんじゃないかな、と期待できるようなデザインが豊富だった。

ちょっとした工夫とアイディアで色んなことができるでしょ? ね? という著者自身の楽しそうな様子がカードから伝わってくるカンジ。単純なデザインでも可愛かったり洗練されて見える気がしていいかも、と満足。欲張っても駄目よ、ということなのか、割とデザイン例は少なくて、そこがちょっと残念。でも、ホントのホントに不器用で初心者なんです、私、というひとのために、コピーして使える型紙のペエジもあるし、極端に凝ったものもない。シンプルだし手間もさほどではないけれど、工夫と「楽しむ」姿勢と、相手への思いやりがあればそれなりにおしゃれで可愛いものができるよ、と勇気づけられる(そりゃ私くらいなものか?)。基礎というか基本が記されているので、あとはこれを元に、自分だけのオリジナルを生み出していけそう。最初の一歩によさそうです。

以前、ボール紙で手作りしたフレエムに、自分が好きなハガキを入れただけの、シンプルこの上ないプレゼントを頂いたことがあるのだけれど、とても嬉しかった。平生とても忙しいコなのに、私なんかの誕生日のためにつくってくれたんだなー、と思ったら単純に嬉しかった。今でも大事に持ってる。ちゃんと、壁にかけて飾れるように、紙を縒ってつくってある紐もつけてあるの。ポスカの写真は赤い薔薇の花弁が散らしてあるとてもシンプルなものだけれど、その効かせの赤がいいポイントになっていて、ボール紙のシンプルで飾らない雰囲気とぴったりで。ホントに、工夫次第なんだなあと思ったのだった。

いずれ、誰かに「手作り」のカードを送ってみようか。よれよれへろへろも味だと思ってくれる優しい友人を選ぶことにしよう(笑)。
喉も渇いていたけれど、今回は明確に狙って行った。とある店のソフト・ドリンクの売り場に。もう迷わず直行。
あった~♪ しかも昨日よりアイテムの種類が増えてるー! コノヤロウ、小出しにしてやがったな、というチャチな怒りと小出しにしてくれたおかげで新たなアイテムGETだぜ! という喜びとを同時にかみしめつつ、4本ほど手に取りレヂへ。……迷い、つーものがないな。どうしてこう人生においてはそのように(以下自粛)。
20050314214956.jpg昨日はひとつも見かけなかった紅茶缶を3種発見。そのうち、私が勝手に Lipton Yellow と呼んでいる、鮮やかな黄色の缶と、ペパミント・グリーンの缶を選ぶ(赤がない~~↓)。

マグは黄色に柄モノ、と白地にリプトンのロゴ入りのものを。やっぱり可愛いどす。
20050314215018.jpg紅茶缶にはホントに茶葉が入ってました(といってもまだ中を見ては居ないけれど。スリランカ産の茶葉2グラム入りとのこと。ホントに入れてたのか!)。可愛いなー。茶は飲めるし。んまあお買い得♪(また自分に言い聞かせ口調になってきてる)
カップは可愛いから! それだけです。ああ、そんなもの目当てに¥400も払うのか私~~(アンズ棒も6本買ったけど↓ だって凍らせて食べるの好きなんだようっ。甘みと酸味とちょっとだけ独特な苦みがあって、ウマーで大好き~)。¥400て言ったらやっすい文庫が1冊は買えるじゃないの!(……出たよ、貧乏計算……)って、今日日¥400じゃあコバ○ト文庫だって買えないよな。イヤな世の中だぜ。

紅茶自体もちゃんと飲んでる。クセがないからごーくごく飲んじゃうよー(鯨飲、とでも言いたくなる勢いで飲み干す。……汗だくになることが多いので、水分が足りないんだと思う……)。

とまあ地道に駄目人間への道をてくてく歩いてゆく私でありました。

それにしてもドリンク系のおまけも最近は侮れぬ。だいたい、女性ウケメインなものだと、マトモにリリース(こういう時もそう呼んでいいのか?)情報も得られないことが多いし(某海洋堂さん曰く、ドリンク系は大変規制が厳しいのだそうで、おまけの原型を担当されると、正式発表までは御自分たちで担当した仕事のモノだというのに、どこの会社の何という商品にどんなものがつくのかを「解禁日」として指定されている時期までは具体的に発表できないのだそうな。…何でそんな神経質になってるんだろう? それまでなかった、今回限りみたいな企画モノのドリンクですら、「海洋堂」ってだけでアホみたいに売れるのに。売れると何かマズいことでもあんのか?)。男性を購買層のメインとして取り込もうとしてるモノ(わかりやすいとこだと「ガ○ダム」とかか? あとはやはり海洋堂絡み)は、比較的どこのネット上の食玩ショップでも逐一リリース情報が発表されたり、ちゃんと入荷されることがほとんどだけれど、よほどの企画モノ(サン○オ×海洋堂、とか。単にサ○リオ・キャラだ、というだけでは仕入れない場合も多い。お店や経営者さん側の立場や好みにも因るけれど)でないと、女性ウケしそうなもの・アクセサリィ感覚のモノ(お茶モノに付いてくるストラップだとか、アロマ系のグッズの類)だと見向きもされていない、というのが現状。まあある日ふと立ち寄ったコンビニでふと気が向いて冷蔵庫前に行ったら出会った、てえのもオツなのかもしれないけどさあ……。
と、物欲魔神のヲタク女が何やらほざき始めましたので今日のところはこのあたりでお開きに。
喉の渇きに耐えかねてふらりと立ち寄った店のソフト・ドリンク・コーナーへ直行する。駄目だ。駄目だってば。今はたとえ¥100だって惜しむべき財政困難下にあるのよ。我慢しろ、私! …と思ったけど、やはりどーしても我慢できなかった(どうにもどこまでもどうしようもなく脆いこの理性というか耐性の無さというか↓)ので安いのならいいよね、と自分に言い聞かせて物色開始。
しかーし。ものの数秒で買うべきものは決まってしまった。いや、そもそも紅茶(風飲料)は好きなの。でもって、リプトンのは「とても好き」の部類に入るの。だから、味は多分保証されてるし。いいかなあ、と思って。……どんどん言い訳が多くなってきてるな。
そうです。おまけです。16種類もあるとは! ……紅茶缶(どうやらリーフ・ティが入ってる、らしい?)にポットにマグカップ、これのミニチュアがついてたのだ。で、いかにもファイヤー・キングな翡翠なグリーンが基調のマグ付と白にラインが入ったポットがついてるのを選んだ(もう結構前から出てたんだろうけど、倹約のために滅多にそういう場所に近づかないので知らなかったのだった…ちくしょー。おかげで、可愛らしいのやいかにも人気ありそうなのはすでにほとんど買われていってしまい、消えていた…)

20050313221225.jpgというわけでこの2点。可愛いなあ。ラインナップはこんなカンジ。どれも可愛いんだけど、黄色のポットと、それと同じカタチのヤツ、ココロ惹かれるものがあるなあ。でもって紅茶缶は文句なく可愛い♪
今はまだ我慢できてるけど、ユーズドを扱う店なんかを巡ってちまちまと集めていきそうな予感↓

ちなみに、お茶はストレエトで甘みやや控えめ。すっきりしていて飲みやすいお味で御座いました。2本ともあっさり飲み干した(尋常じゃなく喉乾いてたので、そりゃもうごくごくと。お前は砂漠で彷徨っていたのかと。……とりあえず人生は砂漠の如く漠として渇ききっているのは事実だが。←冷静に言ってると何だか死にたくなる・笑)。ぷはー。

マスコット、どうしよう♪ ボール・チェーンが付いているので、バッグなんかにつけられるんだよなあ。って、いいトシしてそんなんするのはヘンか(それがなくても十分ヘンだよ、とどこからか声が聞こえるの。きっとそれは目に見えない小人が居てね、それでもって・以下略)。

何となく、コンプリートに燃えそうな自分を感じています。やば…。
本の探偵事典 (いろの手がかり編)
あかぎ かんこ
4894323397

……何というか、ホントに、「てがかり」を辿って自分の巡り会いたい懐かしの本を探し出すためのモノ、なんだなあ、と実感した。タイトルに偽りなく、何ら問題はない。私が一方的に期待し過ぎてしまっていたのがよくなかった。

「本の探偵」として名高いあかぎかんこさんの新刊。「昔読んだ絵本をもう一度読みたいのだけれど、タイトルも筆者も思い出せない。ただ、○○色の××が出てきたことと、△△という名前の男の子が出てきたような気がする…」というたったこれだけの情報から「その本なら多分コレだと思うな」とアッサリ(?)答えを出してくれちゃう、児童書、あるいはYA(ヤング・アダルト)本に精通した方。御本人曰く、依頼を受けても見つけだせないものもたくさんある、とのことだけれど、これまでに随分とたくさんの「思い出の本」を探し出してははい、と手渡すように提示してくれました(某通販会社の本・CDのみのカタログに連載を持っていらして、そこで毎号依頼を受けては回答する、というコオナアで人気を博しておられます)。
このシリィズは「あったら自分にとって便利だな、と思って」ということもあって執筆なさった模様。そりゃそうだ、やれ色だ食べ物だ動物だ何だとキィ・ワードだけでどの本か探すのに、こんなに手っ取り早い本はないではないか。
でも、私はうっかりそれぞれの物語のあらすじ(概要よりもう少し内容が豊か)も知ることができるのだと期待してしまっていたので、ちょっとだけがっかりしてしまった。手がかり、キィ・ワードとほんの少しアウトラインが添えられている。あとは本の(発刊当時、あるいは探している読者が読んだであろう頃の)表紙(装訂)。逆にある意味期待してあれこれ読んでみたくならないでもないのだけれど。忙しいとつい手抜きしたくなるというか、端折ろうとしてしまうな。やはり本は読んでナンボだと言うのに。

あと、もうひとつ残念なことが。
彼女の言説は、大抵は大きく頷かされたり、新たに気づかされたり、共感を抱いたりすることができるのだけれど。どうしても、毎回気になってしょうがないことがある。
「オタク」というコトバの使い方。
決していい意味では用いてないことだけは明瞭にわかる。ただ、どういうことを指して「オタク」とか「オタクっぽい」と言ってるのか、言いたいのか、がいまひとつわからない。
前に別な著書でも見かけたのだけれど「この話ってちょっとオタクっぽくて好きじゃないのよね」みたいな文章を見かけて、「……?」と首を傾げてしまった。その物語がどういう物語で、どうどのように何がどうだから「オタクっぽい」と彼女が定義(?)しているのかが、まったくわからないのだ。それでなくとも世に於いて「オタク」はまだまだ蔑称的扱いを受けることも多いというのに(まあ一頃に比べれば随分とマシになったものです)。

……私は「もたれ合い」が好きではない。素人ならまだしも、仮にも商業出版まで果たしているモノカキが「ね、説明しなくても、私の言いたいコト、何となくわかるでしょ?」とばかりに、どういうスタンスで、どういう意味合いでそのコトバを使っているのか明確にわからないような書き方をしないで欲しいのだ。プロのすることか、それは。ガクセイ時代、「自分のコトバで、そのコトバの意味を少なくとも3通りくらいの説明ができないような用語なら使うな」と言われた日本文学科卒(いや、こりゃどこのマトモな文学部の教員だって言うだろう。言わない・言われたことない? いや、マトモな教員てのは案外少ないものです。出会ったことなくてもお気になさらず)の私としてはどうにもこうにも落ち着かない気分になる。いい気になって、誰かの論文だの著書だのから、借り物のコトバを使ってカッコつけてみたって、いざ自分でそれはいかなるものかを説明できぬのなら、それは使ってはいけない、と思うのだが(これはアマチュアであってもだと思うけれど、致し方ないかな、とも思ってはいる。「所詮」アマチュア。私もそうだけど。他人のアラってのはよく見えるものでして、ええ↓)
このシリィズで見たのは、何枚もの蒲団だかマットレスを敷いたその下に豆が一粒あっただけでよく眠れなかった、とこぼした女の子(女性?)こそが本当のお姫様だ、という有名なオハナシを引き合いに出した時に出てきたのだけれど。
えーと。豆の一粒あっただけで眠れないヘンな女がどうして「本物の」お姫様なのよ、というツッコミたい気分はわかるのだ。ただ、それを「オタクっぽい」と表現する意味とか理由がまっっっっっったく! これっぽっちも!! 理解できん。「オタク」って何だ? 偏執狂のことか? どっかオカシイヒト=オタクなのか? どっかオカシイ=オタク、てのはワケわからんな。いずれにせよ、著者は何らかの偏見を、あるいは(独自の)正しい見解を以てそのコトバを用いているのであろうが、……腑に落ちぬ。というより、侮蔑的に使っていることだけは確かなので、気に入らぬ。もっと違う言い方でも言えただけになおイライラするのだが。このコトバでなくては伝わらないほどの強い何かをカンジさせない時点で、……「負け」です。著者として。モノカキとして。ふだんはとても色んなものに繊細な目を向ける方なのになあ。何でこのコトバだけは「無神経」な使い方なさるんだろう。不思議。

というわけで、本を買ったつもりが、本のカタチをした「道具」を購入していたのでした。活用度は高い、かもしれないけれど、この本そのものを「読む」ことを期待するのは多分ちょっと間違っている、というか、在り方が違うのだと割り切るべきものなんだろうな。
でもって。サイズとペエジ数から言って、高すぎる気がします↓ いい紙つかってるし、役立つものだとも思うけれど、……これで¥1,000以上取るのはちょっとなあ、と思ってしまう。¥780くらいなら適正価格ってカンジかなー……。本文フル・カラアだし、カヴァついてるし、本の表紙はわかるし、役立ってくれるだろうし、手間暇かかった本ではあるけれど、高いなー……。買っちゃってるけど。もう少しまからんかね、へりしもさん。
時々ぶろぐだとか日記だとかをふらりと訪れて覗いてみると、こういう文言に出くわす。
「しばらく更新できません。ごめんなさい」。
「ずっと更新してなくてすみませんでした。××頃には再開の予定です」。
……羨ましいなあ、と思った。これって、確実に自分のブログなり文章なりを楽しみにしてくれるひとが居ると思うことができてる、ということだもの。何も謝らなくたって大丈夫だよ、みんな自分の好きな時に更新するものだし、読みたいひとが読みたい時に読むよ、と思うんだけど、律儀な方はまだまだ多いのだな。

確かに、「古巣」に居た頃、「お気に入り」に登録して下さる方が何人かいらして、それはとても有り難かったし嬉しいことだと思っていたけれど、……その、ホントのホントに、私が書いた記事で楽しんで頂けてるのか?? という疑問の方が強かった(「登録抹消します」、と宣言したら、アッサリリンクを解除なさった方もいらしたし・笑。ソコに居る私以外には用はなかったというか、意味がなかった、ということなんだろうなあ)。今でもブックマークに登録して読んで下さっているらしき方が数人いらっしゃるのだけれど、……もし私が更新しなかったりしたら「残念」に思ったりなさるものなのだろうか? 「ええい、せっかくチェックしに来てやったのに更新ナシかい!」と思わせてしまったことならあるかもしれないけれど、純粋に「私の書く文章を楽しみにしてる」方って居るんだろうか? 自分のため、どこまでも自分本位で書いてるのでなおさらそう思う(だから、やれ更新ができなかった、と騒ぐことがあっても、あくまでも自分にとってのみ問題なのであって、読み手にとって問題だ、とは思ってなかったりする。……もしかして謝罪すべき?)。レスポンスもさほどないし(自分でもそうだからわかるけれど、大抵「あ、うーん、わざわざコメント残すほどのことでもないかなー」とか思ってコメント寄せずにおいちゃったりするんだな。あとは、コメントの機能性にも因る。メルアド必須だと、遠慮しちゃうこと多し。こちらとしては、頂ける分にはどんな些細なコメントでも嬉しかったりありがたかったりするものなのだけれど。ひとによっては鬱陶しいらしいしなあ。←でも、そういうひとはコメント機能を使えない状態にすればいいだけの話なので、どうということもナイ。そもそも、レスポンスをさして望まないのなら、ネットだのひと目につくところであれこれ言わないでおくのが一番ではないか。ココみたいに、管理人にのみ閲覧可能、というサアヴィスを選ぶのもひとつの手だし。そういう機能の取捨選択すらできない状況は、私個人としてはイヤだ。というか、所謂ブログの面白みとか魅力が半減してしまう。そういう意味でも、「古巣」は私には向いていなかったのだろう。最近またふら~りとサイトを覗きに行ったら、個人宛の記事が飛び交っていて、「おお、さらにコミュニティ性が密になっている!」と驚いた。でもって、慣れないひと、雰囲気が掴めないひとは、アレを見ると吃驚するだろうな、とも思った。お互いにとってまず意味がある記事だものね。そこからさらに話題が広がったり、ほかの方の興味を引き出したりするきっかけが生まれたりするのですが、……コレが他人の不愉快を引き出すものにもなり得るということを身を以て知った今は遠慮しておくが吉であろうかと思わないでもなかったりします)。

今に至るまで、更新しなかったからと言って、「お詫び」なるものを申し上げたことがない。これからも多分、することはないと思う。そんな「自信」を持つことはできない。自分の書いたものを何処かで誰かが「確実に」読む・読めることを「切望」してる、なんて思えない。読んで下さる方にとってもそれほど「大切なモノ」だとは思えないし(そんな域に達した内容のものはまずないので)、私としては、自分本位で書いたものなんかで、うっかり楽しんで下さったり興味を持って下さる方が居たらとても嬉しい、くらいにしか思っていない。それこそ「この程度の内容しか書けてないのに読んで下さるなんて。何だかすみません(日本人的だな…)」な気分にならなるのだが。かといっていちいちこれもまた謝っていてもしょーがない、のだな。だったら「書くな!」なので(ははは)。

実を言うと、ぶろぐは、個人的な、勝手な「試み」でしかない。自分の楽しみのためにのみ綴るものでも、自分以外の誰かに楽しんで頂けるものなのか、という。今のところ、成功しているのかまだまだなのかは、何とも言えないところ。でも、読み手がひとりも居なくなっても、書いていくんだろうなあ。不毛なのに続けられるのはやはり自己満足の自己満足たる所以やも知れぬ。
ちびくろ・さんぼ
ヘレン・バンナーマン フランク・ドビアス 光吉 夏弥
4916016556

私にとって「ちびくろ・さんぼ」と言えばコレ! だった。コレじゃないと「ちびくろ・さんぼ」じゃないのだ。
私が買ってもらったものか、はたまた兄のおさがりか、それはすでに記憶にないけれど、とにかく大好きで大好きでいつも読んでいた。そのために、今もあるけれど、ちょっと(いや、かなり、かな…)ボロボロになってる。それでも捨てられないし、捨てる気にもなれない。

絶版になった時、とてもとても残念に思った。幼心に、あの話を読んでやれ差別がどうの、なんて感じる子供は、多分日本に生まれて日本人のみの両親の元に生まれ育っていたならば、居なかったんじゃないのかな、と思う。読んで感じたナニカの中に、差別に繋がり得るものは潜んでいたかもしれないけれど(ジャングル=黒人、みたいな図式が出来上がっちゃう、とかか? 白人じゃ何故駄目なんだ、あるいはモンゴロイドだっていいだろう、何だって黒人なんだ、ということ? まあそもそも「ちびくろ」と言う言い方もヨロシクナイ、のか)、みんながこの物語を大好きだったのは、ひたすらあの荒唐無稽さ加減にあったと思ってる。
だって、虎がぐるぐる樹の周りを駆け回ってるうちに、あまりのスピードにバタになるんだよ!? その絵の黄色の鮮やかさと言ったら! 美味しそう以外に感じなかったってば(そりゃアンタがイヤシイからだって・笑)。しかもその「地面に」てろ~~~っと広がったバタ(まあきっとみんなで上澄みというか綺麗なとこをせっせと掬い取ったんだろうけど)でパン・ケエキをアホほど焼いて、おとーさんもおかーさんもサンボもアホほど平らげるの。皿の上に、何枚(本)も何枚(本)も何枚(本)もまっきっきーの横線が重なってる。それがパン・ケエキ。食べてみたかったー!! 「ぐりとぐら」のかすてらもそうだけど、黄色い食べ物はハアトを鷲掴みにするよな!(誰に呼びかけてるんだ?)ひとりひとり、詳細なデエタ付で書かれてるとこがまたいい(笑。誰それは何枚食べた、と正確な〈笑〉記述がある)。
一家がみんなで美味しいものを仲良くたっぷり食べることができました、めでたしめでたし、の話、として読んでた、と思う。少なくとも私はそうだった。虎からできたバタはどんな味だろう、それで焼くパン・ケエキ(あれ? 本では「ほっと・けーき」、だったっけ? 久しく読んでないからド忘れした! 日本人に馴染みのあるコトバに置き換えるとするなら当時ならほっと・けーきが妥当か? しまった、物置に行かねばならぬがそこまでの道が雪で塞がれているー!!)

「サンボ」が黒人に対する蔑称だ、なんて知らなかった(でもインドでは一般的な名前だ、とつい最近何かで見た気がする)。もしかしたら、パン・ケエキを山程食べられるのって素敵、みたいなのも差別に繋がってくの?(つまり、その、なんだ、ふだんはちょっと貧しいからそんなにたらふく食えない、とか、そういう図式を想定すればいいわけなのか?)

「差別」、というものは、これまで消えたことがなかったし、残念ながら、この先もこの世から「絶対」消えることはない、と思う。個々人が「私にはそんな感情・思考はない」と言うのは自由だ。だけど、それすらも「本当に」「間違ってない」「正しい」モノであるかなんて、実のところわからない。「平等」だとか「公平」だとか、そんなものも、まずないと言っていいと思う。時と場合によっては、そりゃああるにはあるだろう。なければおかしい時だってある。でもって、ある、と信じるのはそれぞれの人間に負うところであって、誰も誰がどう思うおうが止めることはできない(糾弾もできるし、非難だってできるけど、それでされた側が改めるかというのは別問題)。「平等」で「公平」は特に近年妙な解釈のされ方をしていて、何ともいかがわしげなモノに成り果てた観もあることだし。
いずれにせよ、AとBは「チガウ」、その単純な事実に何かが絡みついてその差異故に貶められたり持ち上げられたりする、それは消えてなくならない。消えてほしい、と願うひとたちはたくさん居るだろうが、そうは思えない人間も、そういう観念なぞハナからないも同然の人間も、同時にたくさん居るのだ。
未だに「日本」と言ったらフジヤマ・ゲイシャ・ハラキリを冗談でもクチにする輩は海外におるぢゃろう。スラム行ったら黒人のひとしか居なくって、すっごく危ないんでしょー? と思ってるひとだって山ほど居るだろう(「昔ほどではない、自分が注意すれば大丈夫」と旅行のガイド・ブックに書かれているのを見かけることがあるけれど、まあ基本的には危険視してる・すべきと取っていいわけだろうなあ。そんなんゆうたって、今日本だって殺人事件の起きてない日はないだろうし、窃盗・強盗・強姦・暴行、何でもアリじゃねえか。どんなに「安全な国」と称されていたって、何らかの事件・事故は起こるわけだし)。

この物語が存在することそのものが、あるひとたちにとって耐え難い屈辱をもたらすものであるとするならば、それはやはり「在ってはいけない」のだろう。でも、「差別」というものがある、それはあってはならないことだ、故に、それがあったという「事実」もなくしてしまおう、というのは、私はどうかと思う。「差別」だと感じるひとが居たのならば、それが何故そう感じられる(た)のかを語り継ぎ広めて欲しいと思うし、そういった言説を受け止める(た)側がどんな反応をしたのか、またそういう感覚すらなかった、あるいは気づいていなかった人間がそれまでどう思っていたのか、これからどう受け止めてゆくべきなのか、見据えてゆくことが大事なのであって、……隠蔽したりなかったことにしたり、ただ単純に否定してしまう、歪めてしまう(絶版になってから、改変したver.みたいな本を数点見かけたけれど、一冊も手に取ったことすらなかった。どんな内容なのか、今逆に気になっている)、というのはどうなんだろう、と思ってしまう。それこそ差別と闘ってきた人々の思いや願い、強い意志を、歴史を、見ないことにしてしまおうということに繋がってしまうんじゃないかと感じる。あるいは、そんな時ばかり引き合いに出されて、その物語を読んで豊饒な時を過ごせた子供たちの思い出を踏みにじることにも繋がりそうで何だかイヤだ。

ひとまずは「ありのまま」、を世に残しておくべきだと思う。その「ありのまま」に向かい合った各個々人がそれぞれに色んなことを考えてゆけばいい。……その考えは甘いのだろうか? 誰もが同じ方向を見て、同じ考えを持ち、同じように生きてゆくわけではないけれど。あるのは善悪の対立ではなくて、「それぞれが信じる善なるものの対立」であるために、色々とややこしいことが起こる、「それだけのこと」が真摯で深刻な問題を生み出す。……何とも厄介だ。

今回は虎がバタになるおはなしのみで復刊。本当は、もうひとつお話が収録されていて、それはさんぼの家に生まれた可愛い双子に纏わるおはなしだった。母親の愛情と家族の繋がりや絆が描かれていて、これはこれで大好きだったのだけれど。これもまた色々と解釈によっては黒人差別問題に繋がるのだそうで。……重いな。でも、重いだけに、本当はちゃんと残してほしいのだ。見ないことにするよりも、ちゃんと見て、考えて、それぞれがそれぞれなりにナニカを見出すことが大事だと、……私は思うんだけど。それともなにか、「政治的に正しい」表記に書き改めでもすればいいのだろうか。あれはあれで、面白く興味深い反面、なんとも胡散臭いものを感じないでもないのだが(むろん、是正されるべきはされて欲しいし、明らかに対象を貶める言い方なんかは控えてほしいと思うけれども、たとえば書き手としてはそれがどんなに汚くて悪いコトバだとわかっていても、そういう人物として造型したのであれば、そういうコトバを吐かせるしかないわけで、別に作家/書き手が本当に差別主義者だと直結して考えるわけにはいかない。逆に、何でもない地の文章だとか、登場人物の扱い方だとか、当時の文化のとらえ方だの描写の中にその書き手なら書き手の根っこの部分が滲み出てしまい、なんだコイツ、クチじゃイイコト言ってるけど、サベツしまくりの人間じゃねえか、と露見することだってたくさんある)。

とりあえず、今回復刊が決まったのは本当に嬉しい。……「読む」ために買おうかなあ。昔のは、逆に保存用として大事に取っておくべきかも。思い出も詰まってることだし。

……それにしても、子供の頃大好きだった絵本1冊語るのに、私は何をこんなにダラダラと屁理屈みたいなことを並べてるんだろう? ……ただ単純に素直に、復刊を喜んでいいのかわからない戸惑いがそうさせるのだとでも思っていただければ幸い。いえ、嬉しいんです、復刊されることそのものは。だけど。「だけど」、なんだよなあ……。
忙しさと風邪にやられているうちに、カレンダーが虫食いどころか無更新のまままっさら状態に……おのれ! つーわけで徐々に記事で埋まっていきます。埋めてみせる!(誰に対する宣言なのだ、って、そりゃ自分に対して。イヤなんだーカレンダーに虫食いができるのはイヤなんだー!!)

仕事の合間に書店にふらり。何となく出物はないかと見ていたら、こんなのを見つけた。う。いかにも私好みだ。見つけたその日はどうしようかな、と保留。ただでさえ無駄に(というのは正しくないのだけれど)書籍にはカネをつぎ込んでいるわけだし、我慢できるものならしたほうが無難だ。おお、たまには働く私の理性。翌日も見かける。あ、まだあるのね。どうしようかなあ。残り1冊かあ。でもねえ。お財布の中、サビシイしなあ。やはりここは我慢よね。おお、まだ堪え忍ぶ私の理性。さらに翌日。ネット書店で検索かけたら、あれ? 版元でも品切れ、あまぞんもbk1も品切れ? うん?
またまた翌日。レヂに持参しカード払いする女の姿があった。ああああああ、あっさり瓦解する私の理性。所詮私の理性なんてこんなものさああそうさ(涙)。
World foods catalog!
4874657540

表紙とタイトルからよーくわかるように、要は輸入食品のカタログ本で、ナカミはとある都合上見られない状態だったのだけれど、何となく予想はついた。これはなければなくても一向に困らないであろうけれども、眺めているとあれこれユメが膨らんで楽しそうだなあ、というタイプの本にちげえねえ(断言)。個人的には「カタログ」というモノ自体も好きであることだし、さてどうしようか。……価格はなんと税込み¥1,260! ……た、高!! 正直、厚さはないし、情報量も大量に、というよりは見た目の可愛らしさも重視し(つまりヴィジュアル要素が強い。写真なんかは豊富)、記事も極端には濃い内容ではない(ヴィジュアルに重きを置くタイプでこの厚さ、記事が濃ゆいワケがない)、のに、この価格。もしかして、……付録というかおまけのせい?
そう、「ナカミが都合上見られない状態」だったのは、この付録を本の間に挟み込んで、紐で縛ってあったため。あるメーカーのロゴ入りトート・バッグが同梱されている、とのこと。
ここでふと考える。昨今の付録は馬鹿にできないからなあ。昔と違って使える素材の規制が緩やかだし。だとするとそれなりに期待できるかもしれないなあ。

思いましたね。「汝イタズラにすけべ心を発動させるなかれ」。いや、すけべ心といってもアレでナニなソレではないのよ(日本語って便利ね…)。多大なる期待を寄せたり、ひょっとして海老鯛な展開!? 取らぬ狸の皮算用♪ みたいなことを考えてはいけないのね、と。

20050310164443.jpg入ってた「トート・バッグ」、こんなん出ましたけど。
……こう、ある種のでぢゃう゛にですね、襲われるわけですよ。アレ、これはどっかで見たよ、どっかで見てるテイストなんだ、何だっけ、と数秒考えて思い出した。そうだ。「ダ○ソー」だ(笑)。不織布使用した本体。持ち手の部分のナイロンな素材。そしてカタチ。ああ、いかにも「ダ○ソー」よー……。
いえ、使えないことはないです。不織布は使ってるうちにちょっとケバだってくるけれど結構丈夫だし、小さめサイズでお財布+α入れての近所へのおでかけ程度には十分役立ってくれそう。あとはお弁当入れ、とか。うん、そんなカンジ。うん(……何だか必死に言い聞かせてないか? 自分に)。
でもでも、実はごっつい期待しまくってました(笑)。まあ、これはこれで可愛いので、適度に活用しようと思います。
肝心のナカミですが、予想通りです。国内のメーカーの商品も紹介されていたり、頻繁に見かける会社の商品を見かけたり、あるいはまったく知らないものがあったりとやはり眺める分には楽しい構成。
奥付見たら1月発行だったんだけれど、実際にはいつ発売されたんだろう? 版元と(私が利用してる)ネット書店にはなくてたまたま1冊だけ流通在庫を見かけた3月もアタマ。はて。結構売れたのねえ。よく残ってたなあ。

しかし。買おうかどうしようかの逡巡の挙げ句、買うのをやめたひとが勝ち組に見える私なのであった。
ひえぷる水まくら(箱入)
B000FP3QLK

こんなもんだらだら打ってる場合でもないのだが。先ほど、身体のダルさ故にちょっと休んでしまってすぐには眠れそうもないので打ってみる。

仕事で気張り過ぎたのが原因なのか。思えば、数日前に喉の痛みというか違和感があったのが始まりだったのかも。ああああああ、風邪ひいてる場合じゃないのにー!!

風邪ひいてる場合ってどんな場合かわからんが。

動いては汗かいて、落ち着くと徐々に身体が冷えて……の繰り返しみたいなもんだからだろうか。……そうかもしれない。
私の住む地域はまだ雪が残っていて、今も時折吹雪いたりしちゃうし。依然冬のままだ。

って、どんどん熱が上がってるような。ヤバイ。……寝るです。
cafe Style photographer デジカメでステキなポストカードができる本
吉川 智子
4798107484

デジカメを持ってすらいないのに気になる本。最初はネット上の書店で見かけて、表紙の美しさに惹かれた。綺麗で可愛い写真がコラアジュされていて、とにかくナカミが気になって気になって。欧米の Amazon だとたとえ数ペエジでもナカミを見られることが多いけれど、日本のネット書店だとナカミが見られないことがほとんどで残念(今回は珍しく、 Amazon で数ペエジというか数点、見本が見られるのですが)。
で、先日「ヴィレッジ・ヴァンガード」に行くことができたので覗いてみた。……ああ、やっぱり。
個人的に目をつけていたり「コレ好きかも」と思った本は大抵置いてくれている「V.V.」が大好きだ~(まあ多分、それなりの書店ならココでなくとも置いているのであろうが)。

結果から行くと、やはり「欲しい」。デジカメもなければ、フォトショ使いこなす技術もない私が持っていても「役に立つ」かはアヤシイ(しかし、私のPCにはフォトショもイラストレータもインストールされている…まさしく宝の持ち腐れ)。ただもうひたすら、中に掲載されている「作例」が可愛らしいやら彩りが美しいやら楽しいやらで、眺めるだけでもうっとりものなのだ。
カヴァからしてそうだけれど、色遣いがとても美しい。これでデジカメあったら実際作ってみたくなりそう。誰かに送ろう、とか、そういうことよりもまず、実際に作って、その実物をしげしげと眺めて楽しみたい。

元々ポスト・カードが好きで購入していた(花、景色/景観、食べ物絡みのみ。あとはちょっとアートな雑貨関係のものくらい。あとは特定のアーティストのイラストモノ、立体造型を写真にしたもの、くらいか。人物モノと動物モノはまず購入しない。……そういうのが好きな友人に送りたくて買ったことはあるけれど)のだけれど、こうして自分でお気に入りを、しかも美しく綺麗につくれるならもっと楽しいだろう、とあれこれ想像が膨らむ。おまけに、この著者の本なら、フォトショ使ったことがないひと、使いこなせないと思ってたひとでも何かしら役立てて楽しめるようになってるようだし。

価格は少々高めだけれど、それだけの価値はアリかも、と実物を見ても思った。そのうちまたカートにぽん、と放り込んで購入する、んだろうなあ……。

紙質もよくほぼフル・カラーの本文に、丁寧な説明・解説文付(私がぱらぱらと見た分にはそうだったけれど、違ってたらすみません)。著者のセンスがまずいいのだと思う。どの写真もいい。自分にとって興味がないジャンル(それこそ人物の写真とか)のものですら「いいなあ、コレ」と思わせてくれる。
「カフェ・スタイル」と銘打ってあるのはカフェそのものにまつわるあれこれを被写体とした写真を、というよりも、カフェがもたらす雰囲気を伝えるような写真や、カフェに置いてありそうな写真、というカンジ。故に「カフェ風」フォトを撮りたいひとのための案内書というか入門書的存在のようです。

デジカメ買うのとこの本買うのとどっちが先か。……こっちかな。価格的に言っても↓

上田 恵介 柚木 修
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何というか、閑雅な空気すら漂っていたように思う。……むろん、思い出というのは時を経て如何様にも美化できるシロモノなので、実際はそれほどでもないのだろうが、それでも、個人的にはとても「理想的な朝」ではあったのだ。
ホスト・ファミリー宅に滞在させてもらっていた間、もちろん何から何までお世話になっていた。かといって、彼らはトクベツなことをしようとはしない。いい意味で見栄というものがない(そりゃ私たちにわからない程度のナニカはあるかもしれないけれど)。ふだん通りの生活の中に、私たち日本人学生という異物が侵入する。それでも、やはり「ふだん通り」なのだ。あるいは、「ふだん通りであろうとする」。さしあたって、「ふだん通り」でなかったのは私くらいのものだろう。

朝の基本はシリアル。小さい子供たちも居たせいか、シュガア・フロストのものや、チョコレイト味のシリアルを常備していて、それに冷たいロウ・ファットのミルクを注ぐ(ちなみにガロン。ホスト・マザーは買い物がさほどお好きではないそうで、また、アメリカでは大量まとめ買いなんてフツウなので、一度にどかん! と買ってちょこちょこ出かけずに済むようにしているのだろう。紙パック1,000ml入りなんていう「華奢」なミルクはその家ではついぞ見なかった)。
ボウルに好きなだけざらざらとシリアルを入れ、好きなだけミルクを注ぐ。あとはフルーツ。これが吃驚だったなあ……貧乏人(性格にはみみっちい、とか貧乏性、か)の私には。

朝からねえ、メロンがたっぷり! 饗されるの。それも honeydew(日本では「ハネジューメロン」とか呼ばれてるらしいんですね。売り場で見かけるたびに「…は、はねぢゅー…はねぢゅーかよ…」とちょっと絶句する)だとか cantaloupe なんかの果肉の赤い(夕張メロンを連想させる。でもってブランド=高級、というカナシイまでの貧乏臭い発想が展開されるのであった)メロンを、ざくざくと惜しげもなく切り分け、皿に無造作にてれれん、と並べて「さ、好きなだけ食べて♪」。
これがねえ、美味しいんだわ。甘くてジューシィVv ウマー。遠慮なくパクついていた。バナナもよく出してくれた。パンがメインの日もあったけれど、欠かせないのはフルーツだった。必ず出てくる。そういえば cantaloupe はアメリカ人がもっとも好むメロンだという。なるほど、そういう意味でも彼らの「日常」を満喫できたわけだ。

私は毎日同じようなものが続いてもさほど苦痛にはならない。何でも美味しくいただける。手間はまったくといっていいほどかかってなかったけれど、何の不満もなくぱくぱく平らげていた。日本では逆に絶対やらないパターンだったし(ガクセイの頃、自炊だろうが何だろうが、朝にシリアル、というのはほとんどなかった。……朝、食べるなら和食メインか稀にトースト+α、であって、そもそも「シリアル」というものは私の選択肢には存在してなかったのだ。……何故ってそれは高くつくから~↓ どこまでも貧乏はついてまわるのだな)。新鮮といえば新鮮だった。

でもって、朝起きて階下に行くと、ホスト・マザーと子供たちがもうダイニング・キッチンに居る。子供たちと揃って食べることもあれば、私たち学生たちだけでゆるゆると食べたこともあった。ある朝、ふとホスト・マザーが注意を促すように、そっと叫んだ(妙な日本語だなあ)。
「ほら、見て! 私たちでも滅多に見られないの! 日本ではよく見るのかしら」
窓を外を視線で示す彼女。それをまた視線で追うと。窓辺に添って飢えられた花々の蜜を吸いに、 hummingbird が目では捉えられぬ速さで翼を上下させ、ホバリングよろしく空中に留まったまま花を啄んでいるではないか。
初めて見た! 小さい! 思ってたより、ずっとずっとずっと小さい! だからこそ身体が軽くて、だからこそあんなに長いこと一定の場所に留まるかのように飛んでいられるのだろう。朝顔の花にも、彼らにとっては十分な蜜があるのだろうか?
「初めて見ました! 可愛い! それにあんなに小さいなんて知らなかった!」
「見られたアナタたちはとてもラッキーよ! ホントに、滅多に見られないんだから!」
私たちは一様に子供のようにはしゃいだ。まあ、幾分しとやかに、ではあるけれど。子供たちも、窓に敢えて近づかぬようにして、遠くからそっと見つめていた。皆少しばかり息を潜めていたかも知れない。

それは長い時間だったのか、短い時間だったのか、よくはわからない。ただ皆一様に見入っていた。そして、ふい、と小さな小さな鳥の影が消えてから、ようやくそれぞれ席に戻り、落ち着いて座り、ミルクを啜ったりフルーツを口に放り込んだりし、また和やかな空気を取り戻した。
見るとその日一日ラッキー、みたいなことも言ってたような…。
「ねえ、日本語では朝顔のことをなんて言うの?(ええ、もちろん、英語では "morning glory" ですね)」
なんて会話を交わしながら。
「うーん、直訳すると、もーにんぐ・ふぇいす、かな。朝だけに見られる顔、ってカンジで」
「そう、朝の顔、って言うの。それも何だか可愛くて素敵ね」
ホスト・マザーが笑う。

穏やかで和やかで喧噪とは無縁の、でも楽しい朝の食卓。贈り物のようにやってきたハチドリ。家の内部の雰囲気も違えば、食べるものも違うし、流れる空気も違う。
どこで迎えたって朝は朝なのに。どこかトクベツだった。

だから「思い出」になるんだろうけれど。
こえだちゃん なつかしの木のおうち
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小さい頃大好きだった。
家絡みの玩具は好きなもののひとつなのだけれど、こういうサイズのがいちばん好きだったかもしれない(「リカちゃんハウス」、バッグ型のを持っているけれど――そう、まだ捨ててもいなければ手放してもいない――あれってあくまでもリヴィングならリヴィング一室、という体裁で、ちょっと舞台のカキワリ風になってしまうんだよなあ。それはそれでディスプレイの仕方によってはとてもおしゃれというか可愛らしいし、遊びやすくもあるんだけど。ちなみに、個人的にはリカサイズでマンションだの4LDKみたいにやたらと部屋数があるのはニガテ。スケールがオカシイんだもの。お風呂のサイズとかトイレだとか、細部がテキトーっぽくて。しかも、無駄に広すぎてどうにもこうにも↓)。ちんまりしてて、家の全景が臨めて、それなりの部屋数があってギミックが効いてる、というようなのが(キキララモノでも、何だっけ、「月のマンション」だったかな、三日月のカタチの家〈?〉のがあって可愛かったし、「キャンディ・キャンディ」の「ポニーの家」も赤と白が基調で可愛らしかった。小さいのにあれこれ凝ってる、というのがいいのだな。かといって所謂ドール・ハウスほど緻密でもなく、ほどよくデフォルメ/省略されたカンジが。でもって、「木のおうち」にしろ「ポニーの家」にしろ、キキララのそれにしろ、何故か手でくるくる回して昇降できるエレベエタアだのエスカレエタアが取り付けられていた。昇降させると、ハンドル操作の振動で人形がぼたぼた落ちるのがミソ・笑)。

ある意味復刻版らしいけれど、どこがやねんな気分よ。私が持ってるのはホントのホントに初期型だったのかもしれない。木のおうちの屋根部分には天窓みたいなのなんてなかったし、家具のディテイルだって違うし、第一こえだちゃんが違う。こえだちゃんって、今に至るまで、3期~4期くらいあると思うんだけど、ホントの初期には両サイドのおだんごヘア(と言っていいのか?)にはアクセサリィなんてついてなかったもの。ごっついプレーンだった。アタマの大きさもより小さかったし。2期の初期くらいのモノの復刻かのう。むう。エレベエタアの扉は黄色で観音開きじゃなかったし、ソファと長椅子はもっとシンプルだったし。おまけに、……随分と高額じゃあありませんか。こりゃ子供のためにというよりも、えげつなくもキッパリと「ええ、その昔楽しんだオトナの方にこそ懐かしみつつ楽しんでいただけるアイテムでしてよ」と言わんばかりの価格設定だ。

でもって、私ンちの「木のおうち」では猟奇事件が発生しており、それがとてもカナシイ思い出となっている。
ある時みきちゃん(こえだちゃんのいとこの男の子。そういえばこえだちゃんのおかあさんて「わかば」さんだった木が…否、気がする)をエレベエタアに載せて、キャリキャリとハンドルをまわして階下に下ろそうとした時のこと。前述の通り、振動で人形の安定性が極めて悪く、内部で倒れてしまうなんてことはしょっちゅうで、現実レヴェルで考えると(考えるな!)「あまりの振動の激しさにいつも乗員が転倒しながら上下を行き来している」状態であった。ここで、事件が起きたんです……。凄惨としか言いようのない事件がああああぁぁぁぁ!(号泣)

ちょっと中途半端な高さにエレヴェエタアを停止させたことに気づかないまま、ドアを開けて、「ま、いっか」と倒れていたたみきちゃんを取り出そうとしたその時。ころん、とみきちゃんがエレベエタアのボックス内から転げ落ち、エレベエタア内部の底へと真っ逆さまに! もちろん、子供だから2頭身くらいのバランスの人形故アタマの方がデカくて重いわけです。だからアタマから突っ込んだ「犬神家」状態(わかるひとにはわかるハズ…)。パニくった私は慌てて胴体の部分を掴み、また子供だったものだから力の加減なんてものを知らず、ぎう、と無理矢理に引っこ抜こうとして……。
 
みきちゃん、頭部切断……(号泣。本気で大泣きした)。

それからは私ンちの「木のおうち」はこえだちゃんがひとり寂しく暮らす家になっちまいましたとさ(慟哭)。しかもですね、クビが、どうやっても取り出すことがかなわず、今でも「木のおうち」を振ると、ガロガロガロ、とクビが転がる音がするんですー!!(絶叫)

死体、というか、言うなれば髑髏が埋まってるんです、私のうちにある「木のおうち」には。どうよ、この幼かりし日々の淡くも愛らしげな思い出に潜む、凄惨にして猟奇な汚点は↓

でも、私にとっての「木のおうち」は両親に買ってもらったあの「木のおうち」だけ、なんだよなあ。可愛いなあ、欲しいなあ、なんてどこかで思いつつも、やはり買わずに昔のものをそのままに保存しておくと思う。捨てられなかったってのは、多分そういうことなんだろう。
ええ、どんなに凄惨かつカナシイ思い出がまとわりついていても!
中学生の頃のある日、突然妙な全校放送が流れた。
「今、教科書以外の本を学校に持ち込んでいる者は、すぐに職員室前に集まりなさい」。
どうやら、「手入れ」が入った、らしい。というか、運悪く、持ち込んだ雑誌だとかまんがなんかを休み時間に読んでるところを、教員に見咎められたコが居たのだろう。むろん、教員は、何の権利があってのことかは知らないけれど、
「正直に出ておいで~。もし検査して見つかったら、タダじゃ済まないよん♪ ひとりひとり鞄の中まで調べるからねV」
みたいな脅し文句も付け足すことを忘れなかった。その「運悪く教科書以外の本を持ち込んでいる者」の中には、私も含まれていた。

今より教員がキビシくて、というか、ある意味「体罰」もある程度は必要だ、というような風潮がまかり通っていた時代なので(今は「父さんにだってぶたれたことないのに!」な、そりゃもう大事に育てられた御子様が多いでしょうから、「ぶってでも教えないとわからんヤツはわからんのだ!」的論理は通用しないでしょうねえ。昔はフツーにありましたよ。ただ、理不尽なケエスも山ほどあったのが問題でしたが)、「実は持ってたけど隠してました」なんてことが発覚したら、お尻を竹刀か木の棒(多分、壊れた箒か何かの柄の部分だった)ではたかれるのだ。力任せに叩いてくれるので、ヒドイ時はあの学校の硬い椅子に座るのが苦痛になるくらい。……すごすごと、文庫を手に職員室前に出向きましたとも。とてもとても憂鬱な気分だった。その時持ってた本というのが、少々問題アリというか、受け取る側の反応をあまり見たい類の内容ではなかったのだ。
倉橋由美子『聖少女』。これ、枝葉末節一切省いて説明すると、近親相姦モノ、なのだけれど、……どうせ曲解されてしまうんだろうなあ、と思って辟易したのだ。
当時ちょっと憧れてた年上の女性(といってもほんの数歳しか歳は離れていなかった。ものすごく聡明で理知的なひとで、こういうオンナになりたい、と思っていた)が居て、そんな彼女が「面白いよ」と言っていたのが倉橋由美子作品だったのだ(そんな理由で読む私…。ちなみに、彼女は倉橋作品に触発されて長編小説をモノしたという御仁でもあった。読ませてくれる、と言ってたんだけど、あまりの原稿用紙の大量さに互いの間を行き来させることがちょいとばかり難しかったため結局読めなかった…あらすじだけでもすごく面白そうだったのに!)。
『パルタイ』を読んで衝撃を受け(いやもう何も理解できなくて・笑。こういう世界があったんだなあ、こういう文体もアリか! あの文体って、ロシア・フォルマリズムとはまた違う…のよね? ああ、もっと学生時代まともに読んでおけばよかったなあ。気づいたら卒論「八犬伝」で近世専攻扱いになっちゃってたし。もとい。とにかく、純粋に驚いて感動した)、件の『聖少女』も迷わず購入、さあ学校で暇な時間にでも読もうかな、なんて以ていったらコレだよ……。

私の両親が教員であったために、教師たちの中には私の両親を知っていたり懇意にしていた人物が何人も居た。でもねえ。まさか校長先生まで廊下に出てきてみんなの本を一通り見てくなんて思ってなくてねえ! 
正座させられている生徒たちの前には持ち込んでいたまんが、雑誌、文庫、ありとあらゆる書籍が点々と置かれている。それをいちいち教員たちが見てゆくのだ。……「ポップティーン」なんかを持ち込んでるコは気の毒だったなあ(笑)。サカリのついてる時期の女の子向けバイブルみたいなアレ、教師たちに見られるかと思うと気の毒でもう(でも実は内心せせら笑ってもいたけれど。←根性わりーなー)。
しかし、私だって笑ってはいられないのだ。何せ「近親相姦」です。ああ、いっそ「フランス書院」だの「富士見ロマン文庫」だの、『グリーン・ドア』だの『エロティックな七分間』くらい突き抜けてりゃまだよかったのに!(……いや、それはまったくもって違う、と思う。あの頃ならオヤが呼び出し食らってたか?・笑)
で。校長先生がふと私の前で立ち止まる。
(げ。)
凍り付く一瞬。先生が文庫を手に取りにっこり笑って言った。
「紫堂さんはこういうのを読むんだねえ」。
先生は、私の両親が教員であることを知っている。故に、名札など見なくても私がダレなのか御存じだ。ああ、笑顔がひきつるよう。
……新潮文庫の倉橋作品の装訂、殊に表紙は一様にシックでアーティスティックな装画で統一されていたので、一見しては「カルイモノ」に見えない。先生はあらすじに目を通すでもなく、その「文庫」という形態とブンガクのかほりプンプンなところにアッサリと騙され(あるいは知っていて黙認したのか…)、通り過ぎて行かれたのだった。
あっぶねえ!!
とりあえず没収は逃れ、「以後二度と持ってこないように!」と言い渡されるだけで終わった(コミックスや「ポップティーン」等は差別対象だったらしく、何人かから没収されていた・笑。後者なんて特に、パラ見でも目にどぎつい惹句が飛び込んでこないでもないからなあ…)。

読んで理解できているか、はさておき、倉橋由美子はそんなガキの頃から好んで読んでいた。文庫の大半は絶版だが、大学を卒業するまでにコンプリートできた。学生の頃住んでいたところは、一応学生街であったし、古書店もそれなりに多く、熱心に探し回れば何とか見つけられたのだ(状態はまあ、……劣悪に近かったけれど)。

文章そのものは平易でごてごてとした無駄な装飾等がない。ただ、内容が濃く深いために、あれこれと考えさせられる。最近ようやくちょっと前に出たエッセイ集が文庫化されていて、仕事の合間に惜しむようにして読んでいる(まあ休憩時間というものが限られているから必然でもあるけれど)。昔よりは少しアタマのナカミや理解度というものが成長したのか、とても興味深く読んでいる(もっとも理解できているかは話が別)。
すべての文章がまるで箴言みたいに、それ以外の並びはないかのようなコトバの選択と並び。収まりがいい。どこかの文章ひとつだけぽんと掲載されていても種々の意味合いを感じさせる何とも言えぬ含みを持つ。わずかな毒もあって思わずニヤリ。鋭利に容赦なく斬りつけてくるけれど、相手に隙がなくて太刀打ちできない。淡々としていて端正で、媚びたところなどひとつもない。明確に思うところを、だらだらせずに述べられる。これこそ「才能」だ。太宰の「人間失格」とそれを享受する側との関係性について述べた文章など大いに頷ける内容で、それこそ膝を打ちたい心境に(半ば大笑いしたほどだった。……冷静になれぬ太宰ファンにはお薦めしないでおこう)。
……などと言ってみたところで、私風情にはまだまだ理解できる領域ではない。上澄みをようやく舌先で舐めている、その程度。それでも何となく滋味を感じさせるのだからこのひとの筆は確かなのだな、と思う。

「あたりまえのこと」。タイトルからして静かな自信と確信、少しの毒とユウモアを感じる。流石。実は色んな意味にとることができて、このあっさりした衒いのないタイトルが何とも深いのだった。
あたりまえのこと
倉橋 由美子
4022643412
それなりにアタマはキレる馬鹿、がなるものなのか、とふとTVで生扉のヒトを見るにつけ思う(前勤めてた会社のシャッチョさんも今の会社のシャッチョさんも、キレるんだがどこかこう、ヒトとして受け容れ難いナニカを持っている。ガメつかったり、君臨することがダイジ、みたいな独裁者的立場を望むのはある意味必要悪の部分なんだろうが、……ええ、ホントに、ひととして付き合いたくないんです……先方にしてみれば、最下層の私など「ヒト」ですらなさそうですが・笑)。このひと、何がしたいのか今ひとつわからんのだが。「融合」がどうの、という発言をよく耳にしたんだけど、だから何と何を「融合」させたいのだ。そこがよくわからん。
そもそも「融合」って。「とけあってひとつのものになること」(やふーの辞書で調べました)なわけなんだが。融け合う? 何と何がよ? てか、融け合ったらベツモノが生まれるわけで、何を生み出したいのだ? わかんねえなあ。馬鹿だからなあ、私。馬鹿にわかるよーに説明してくれ。

自分がやってる事業と、TVつーメディアとどう「とけあってひとつのものになる」ことがどんな益を生み出すのか、それは誰にとって有益なのか、という明確なヴィジョンが提示されてなくて、何かこう、形而上的というか、机上の空論というか、実(じつ)のないコトバばっかりなカンジで、何言いたいのかわからない。フジ側だってその辺りがはっきりわかってりゃそりゃ「提携」はしただろうに。「融合」ちうのがよくわからんな。そのコトバ使いたいだけの小学生じゃあるまいし、具体性を提示できないプレゼンで誰が納得して理解して受け入れるんだか教えてほしいくらいだ。質問されてキレてるのも見たけれど、まあ内容にも寄るたあ思うが、キレた方が負けですな。その場でキレる分、マシっちゃマシだけど。遺恨残さないと思う、そういうヒトは。でも、オトナゲナイのも事実であって。「ウチの株価を下げたいんですか!?」だっけ? 知らんがな。下がって困るのは株主さんたちで、彼らを大切にすべき立場故のコトバなのでしょーが。

自分たちが何をしたいのか。でもってそれは相手側にとっても有益なことであるのか。それが経営あるいは利益追求になると同時に、需要する側にとっても益をもたらし得るものなのか。その辺りのことを、誰にでもわかるコトバで説明もできないでゼニにモノ言わしてるだけにしか見えないとこが損してると思う。
……かつてコイツ(らの会社)のおかげで怒髪天な思いした私としては、ハナッから信用もできないししてないんだけれど。ユーザの意向をまるっきり無視するようなやり方をする人間をほいほい受け入れるほど素直にも馬鹿にもなれねー。球団買収の時は「ああ、名前売りたいわけよね。うまくやったじゃん。知名度UPしたねえ」としか思わなかったし(もっとも、あの件に関しては、あとになってから名乗りを上げた「楽天」側が仙台を本拠地に定めた時後出しじゃんけんみたいで不愉快だった。何だったんだろう、アレ。どっちもどっちにしか見えなかったなあ。まあとりあえず「地元」となった場所に住む皆様に愛されるように努力しなよ、とは思うんだけど)。

連日飽きもせずコトの進展を報道してるメディアにとっては、対岸の火事なのかしら。とりあえず、「融合」とやらをするなら「フジ」がベストだ! と言われたにも等しい状況ってのは、顧みる必要ないのか。まあいいけど。

とりあえずわかったことは、報道すべきことがほかにないらしい、ということくらいだった。やはり私はぱーなのだな。

と、たまには時事ネタを。駄目だなー。この辺の本読むことから始めたほうがよさそうなくらいぱーだ……。
NHK週刊こどもニュース〈’04〉
NHK「週刊こどもニュース」プロジェクト
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……いや、でも本気で役立ってくれそうな気もしてるんだけど。買いですかね、ぱーは(涙)。
クリスタルパズル サファイヤ

クリスタルパズル サファイヤ
45ピース ハート スター クリスタルパズル アップル クリスタルパズル ダイヤモンド クリスタルパズル グリーンアップル
ここの所、あれこれあって(無い時は、まあ、無いけれども)、苛々し続けている。
何かを思いっ切り壊せたら気持もスッキリするのでは、などと安易なことを考えてしまう。

たとえば、皿とか。硝子とか。窓とか。壁とか。箱とか。粉々に出来そうなものなら何でもいい。堅牢で壊れそうにないものを、片っ端からこれでもかと粉砕したい。

パズルもいいねー、と思ったけど、元に戻すので倍苛々しそうだ(笑)。やめておこ。
  
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