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2005-04-13 Wed 23:34
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ダーリンの頭ン中
小栗 左多里 トニー・ラズロ ![]() やっと購入して、やっと読めた。思っていた以上に(いい意味で)軽くて読みやすかった。まんが形式というのもいいのだな、きっと。 誰しもいつも色んなことがアタマの中を渦巻いているものだと思うけれど、そうか、小栗さんのダーリンことトニーはコトバについてあれこれ思いを巡らせているのだな。何でもないこともナニカに繋がってあれこれ連想されていって色んなコトが出てくる抽斗をいくつもいくつも持ってるみたいに。混沌と秩序がバランス良く保たれているカンジ(どんなカンジ?)。 「V」を発音する時、唇は噛まなくてもいい!? というテエマで1本描いてらしたけど、私も試しに「ふだんの自分の発音の仕方」ちうのを意識して調音点はどこかいな、どげなふうじゃろか、とやってみたら、……うん、確かに、「噛む」までは行ってない。ちょっと前歯が唇の内側につくかつかないかくらいで、唇が少し横に広がるの(ひとにもよるだろうけど、日本語って縦に口が開くことが多い気がする。で、英語は横に広がるの。日本人のネイティヴで口開かないで話すひと見ると何となく違和感感じません? いっこく堂さんは別として)。いや、大袈裟に噛んだら痛いからやれなかっただけなんだろうと思うんだけど(笑)。 自分とは違う背景を持ったひとの考え方というのはそれだけで興味深いものだけれど、トニー氏は語学オタクと来ている。興味を持つとあらゆる言語に手を出している模様(「ダーリンは外国人」の中に、妙な呻き声がする! と小栗さんが吃驚して彼の部屋のドアを開けたらタイ語を練習していた、というエピソオドからもそれはうかがえる。えっと。タイ語ってそういう風に聞こえる音だったっけ?・笑。留学生のWちゃんの話すそれは何かこう、ふにゃんふにゃんにょあんにょあんとやわらかく響いて聞こえたものだけれど。それ以前にタイ語やとなんち言いよるかわからん!)。文化の違い、思考・思想の違い、歴史の重みや変遷、色んなモノ・コトが絡んで、面白くてしょうがないんだろうなあ。 「教科」としての英語は大っっっっっっ嫌いだったけれど、コトバとしての英語には興味があって(多分母が英語の教師をしていて、洋書の絵本があったりドクター・スースみたいな定番がゴロゴロしていたり、「セサミ・ストリート」観たりしてたせいもあるとは思うんだけど、小さい頃から漠然と英語には興味があった。……単に「えいごはなせるってなんかかっこいい」という単純さだろうけど)、今でもそれは変わらない。しかし、英語ひとつ満足にマスタアできず、というよりも、「忙しい」を理由に何もしなくなって早数年。「忙しい」を理由にするよーになったら駄目ですな。もうこれは。末期です。物理的にどうしようもないことだとしても、数分だろうが十数分だろうが、惜しんでちまちまとでもやる気になればやれるものをやらないのだから、末期! 卑怯な言い訳、というヤツです。昔お世話になった教員に何度も言われたものだ。 「人間誰もが一日24時間だ!」。 ……あい。まったくもってその通り。誰もが同じ時間しか持ってない、一日48時間のひとだの36時間のひとなんて居ない、同じ24時間。それをどう有効活用し、あるいは無為にするかはそのひと次第なのですね。「同じ24時間」でも、それぞれにとっての長さや価値が異なってゆく。 で。義務教育期間やら何やら入れて10年以上学んだにも拘わらず、身に付いたことは数える程度。こんな人間がほかの言語に手を出してどーする! と思っていたんだよなあ。 ……多分、それは間違い。間違い、ってのもヘンか。思い込みかな。案外、あれこれ同時並行でやってみた方が、よりそれぞれの言語の特徴だとか関連性・類似性を見出せたりして楽しいものなのかもしれない。トニーの泉の如く溢れ出る「関連事項」の多さを目の当たりにするにつけそう思う(でもって、学生時代の「友人」――ホントは当時お世話にもなった「教員」――が「日本語で書かれたテキストより、英語で書かれた入門書の方がわかりやすかったりするのよねー」とスペイン語の入門書やら何やらをよく読んでいた。端的にわかりやすく具体的に論理的に、はやはり英語の方に軍配が上がるのであろうか。でも英語にも悪文というか読みづらいのは確実にあるんだよなあ。読みやすい、するする入ってくるカンジのもあれば、いちいちひっかかって先に進めないのとキッパリ分かれる。私だけ?)。 でもって、この本を読むと、改めて日本語の良さに気づいたり、利便性について考えたり、といかに自分がふだんなーんも考えずにいるかがよくわかる。ナイフの使い方をすでに知ってるひとがナイフって何だろう、と深く突き詰めて考えないように。 おまけにトニーには率直に疑問をぶつけて一緒に考えたりできるパートナー・小栗さんが居るわけで(それもある意味ボケとツッコミなノリで)、日常に「そこにあるけど実はよく知らないもの」について「考える」「受け容れる」「突き放してみる」「掘り下げてみる」がぽぽぽん、と存在していて、そりゃあ楽しいだろう、と思ってしまう。小栗さんが疑問を抱きぶつけては「ええい、もっとこう直球で答えをよこさんか!」と主張すれば「曖昧さをまず受け容れて御覧よ」と言うトニー。いいコンビだなあ。 「学ぶ」というカタさよりも、「違いを楽しむ」、「未知のものに興味を抱く」、「違うという事実を知る」、そういうことの有意義さ、楽しさが伝わってくる本でした。毎日が疑問と議論に満ちてるって、楽しそうでいいなあ(大学時代の恩師御夫妻がそうだった。すんげえ議論好きで、お互いばんばん意見出し合って楽しそうに会話してるの)。 サブタイトルに「英語と語学」とあるけれど、カタくないです。興味のあるひとなら楽しめると思う(英語、というだけであれるぢーを起こす方にはどんなもんだろう?)。 でも、やっぱり学問に王道ナシ。地道にやるしかないのです。さあ、私はいつ「忙しい」を理由することをきっぱりとやめ、正々堂々「未知(とちょこっとだけ既知)」のモノと向かい合えるのか!? ……実はその前に経済的な理由、というもっと物理的かつ即物的な理由が潜んでいるという事実が私を軽く蝕んでいる……。貧乏ヒマナシってホントよね……(ちっ!)。 ……とまた逃げるし。あるでしょーが。今までずーっととり続けてきた「AW(※)」とかそのCDとか買ってた雑誌とかが! 読め! 聴け! やる気がないんぢゃ、お前は!! 「努力は積み重ねるから崩れる。だから横に並べていけばいい」 というのは、私の高校時代主席入学・卒業を果たしたTくんの友人のコトバだ。うむ。積み重ねると崩れるやも知れぬのだな。横に並べる、それよ! って、どれよ!? どうすりゃいいんぢゃ! だから「学問に王道なし」って言うだろう!(このままエンドレス) 精神論は好きではないけれど、やはりやる気でやらないと駄目ですね、ナニゴトも。はい。何だか猛省モードです。でもだからって明日からやるかってえと話が(以下自粛)。
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| 拠火園雑録 |
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