6月の終わり、散りゆく前。
庭の薔薇…と躑躅(何で薔薇の側に躑躅なんだろう……。誰が庭やったんだっけ? 祖父だったような。いや、そうじゃなくて。つつじ、ってこんな漢字だったっけ!?)。私も好きだけど、母が薔薇好きなので、庭に何本か植えてあります。しかし「ガーデナア」を自称できる者は家人にはひとりも居ないので、ごっついセンスのない無法地帯と化している。そして無駄に広い。雑草取るのが大変よ↓
それにしても。au は小さい画像(携帯サイズ)だと不鮮明で、大きいサイズだとそこそこ画質が上がるのは何故なんだ……↓(いや、ある種当たり前のことなんでしょうが。そういう仕様なんだろうか、私の機種は)docomo でもらう画像は小さくても鮮明でとても綺麗なのに(機種でも違ったりするのだろうか? 今のところ docomo ユーザの友人から届く写メは小さくてもとても鮮明で綺麗なのばかりなんだけど)。というわけで大きいサイズで撮ってみる。天気が良いのでそこそこよい写りとなりました。天気いいのはいいんだけど、空梅雨で雨があまり降らないのが少々困りもの。気化熱で、すう、と涼しくなるのを期待しているのにまただんだん蒸し蒸しモードになりつつあります。……大雨で困ってる地域だってあるというのに……。渇水の心配が出てる地域もあるし。
庭の薔薇もじき散ることでしょう。もっとずっと暑くなる前に。
あまり雨に降られることもないまま7月に突入です。早いなー……。
ロマンスの神様?
恋のクルーズ
ヴァイオレット ウィンズピア Violet Winspear 安引 まゆみ 
正直、最近のHQは迷走している、ような気がする。何がしたいんだろう、と疑問が泡のようにむこふこ湧いてくるくらいに。
古参読者さんからも言われているけれど、まだ読んで日の浅い私から見ても、「最近の」HQは「昔の」作品に比べてちょっとクオリティが低いかなあ、と思ってしまうことが多い(私は…えーと、読み始めて5年くらいか)。
とりあえずあればいいんでしょ的につくられたような近場の図書館で面白半分で借りた本は、当然の如く古いもので(図書館の中には寄贈者が多かったりリクエストが多いのか、比較的冊数・レエベルが揃っているところもあるけれども、私が住んでいるド田舎の図書館では大昔のものがややカタマリでどちゃっとある程度)、でも読んでみたら「あ、思ってたより面白いんだ」と思って、それ以来、新古書店で、はたまた新刊で購入してまで読むようになったのだけれども。
昔の作品の方が、何かこう、わくわくできるというか、ヘンにこぢゃれた設定だのシチュエイションだのに頼ってなくて楽しい、気がする。展開の強引さとかで苦笑させられたり、似たようなフレエズを何度も見かけたりするんだけど。
で、HQをまともに読むようになってから知ったヴァイオレット・ウィンズピア。
「ロマンス小説の基礎を築いたと言っても過言ではありません!」などという惹句が添えられる、大御所サマなのだけれど、残念なことに数年前他界されてしまって、もう「新作」を読むことは叶わなくなってしまった。
私が読めたもっとも古い作品は、60年代に書かれた作品だった。でも色褪せたカンジがしないのだ。作品の内容や舞台、キャラクタアの設定の妙もあり、今ある様々な作品の原点なのだと思うと逆に新鮮に感じられるのかもしれない。
「涙の結婚指輪」
数年前復刊されたけれど、またしても絶版(しつこくしつこく繰り返すが、HQの在庫保有期間は4ヶ月!)。ちなみに、この作品は一般で販売されなかった創刊準備号のようなもの(だったハズ…)。
舞台になった国の風情や景色の描写も雰囲気が伝わってくるかのようだし、登場人物の内面描写もいい。ラテン系ヒーローだの砂漠モノ(あるいはシークモノ、とも呼ばれる)といったHQ的話型の雛型を作ったのはこの方のよーなもの、らしい。
もっとも有名なのは多分「ブルー・ジャスミン」。宝塚で舞台化されたために、この作品からHQを読むようになったひとも多いと聞く。今は辛うじてコミカライズされたものを読める程度(それでも読めないよりは嬉しかった)。
ブルー・ジャスミン
ヴァイオレット・ウィンズピア 橋本 正枝
で。迷走しまくりなHQ、何を思ってか今度は「ファイン・セレクション」と称した短期集中刊行のシリィズを発行することになったようで、その第1弾として彼女の作品が登場。ハーレクイン・クラブの会員しか購入できない豪華版(一作家の人気作がだいたい3作収録された函入上製本)の中でも特に人気の高かった作品を1作家1作品ずつ毎月刊行する、のだそうな。う、うーん……。
……いや、再販・復刻は嬉しい。嬉しいんだけど、そうじゃなくて、HQ社自身も人気作家と認めていて、さらには読者からの復刊の声も少なからずあるであろうV・ウィンズピア作品、どうせなら通常ある再販シリィズ(ハーレクイン・クラシック、という再版モノのレエベルがあるのだ)でコンスタントに出してくれればいいものを、何故にぽつり、ぽつり、と出し惜しむが如く出すのであろうか。翻訳モノには版権が絡むから諸事情あってしょうがない、という面もあるだろうとは思うんだけど。
やたらめったら作家競作のシリィズモノ連発したり、別レエベル創刊したり、購買意欲を激しく削ぐような装訂、と少々鬱陶しいのをどうにかして、堅実に「いい作品」を送り出してくれんものだろうか(と言いつつ、その連発されてるシリィズものをがっつんがっつん買ってるんだけどさ…↓)。
もちろん、この「恋のクルーズ」、購入済みで御座います。これからも彼女の作品ガンガン再版してくれないかしら(涙)。読みたくても読めないものばっかりだよ……。
タダだから、というわけでは(言い訳?)。
Amazon.co.jp オリジナルブックカバー(ブルー・文庫サイズ)
Amazon で、ある一定金額以上和書乃至洋書を購入して、しかるべき手順を踏むと、このブック・カヴァが無料でもらえる、とのこと。
前にもそういう企画をやってたんだけど、そのブック・カヴァが怖ろしく評判悪かった(笑)。何かゴム製か何かで匂いが凄かったのと、本に色移りするとかで大変不評だったらしい。今度のはごく一般的な(?)布製のモノ。7月10日まではこのブルーのみで、それ以降はブラック・ピンク・ボルドオの3色を追加、無くなり次第終了、というサアヴィス企画。……デザインもあっさりしてるし、市販のものよりずっと安くつくから、フツウに買ってもいいかなあ、と思いつつも、どうにか本を組み合わせて無料でもらえぬものかとセコい算段を立て始めている私。
書店で頂ける「書皮」は耐性が低いので私個人には不向き(手に汗をかきやすいので↓)。元々のカヴァの紙質が薄くてPP加工してない新潮あたりは気をつけないと折り目が掠れて切れそうになっちゃう。……ので、何を読んでるか隠したい、というよりも、ホントに汚れと己の扱いの乱暴さからの防御のためにかけて読まないといけないので、文庫サイズだけで5枚、新書サイズなら5〜6枚持っている(通販で買ったりしてたのだ)。読みかけのにつけっぱなしにしちゃうから、何枚あってもいいくらいだ。
というわけで、購入そのものも検討中。汚れが比較的目立たないボルドオあたりが特に欲しいなあ。淡色も可愛くて好きなんだけど。ベタに黒でもいいし(……結局全部いいんじゃないか……)。
フツウに購入しようとすると意外に高いので、これを機に買い込もうかしら〜♪
新シイ娘(コ)入タヨ、オ客サン♪
呼び込み? てか、何故カタコト!?
もとい。
やっと揃った。ので、記念撮影(しかし、場所と光線の入り具合の都合がつけられず、こんなしょっぱい画像になってしまった……↓ しかも、刀の鞘、現在飾ってる場所の関係上変な持ち方させてるんだが、面倒なのでそのまま、という状態だし・涙)。
3ヶ月連続リリース、「天上天下×Pinky:st. THE GREATEST TAG BOX」が全て手元に揃いました。いやあ、長かった。こんなカンジ↓で販売されてました(今までずっと画像なかったのに! 初めてちゃんとパッケエジに入ってる「販売されている時の状態」の写真がUPされてる! おのれあまぞんめ、いつの間に! 第1弾「亜夜」は画像ナシ、第2弾「真夜」は本体のみの画像、第3弾の「五十鈴」にして初めてかあ……)。
天上天下×Pinky:st. THE GREATEST TAG BOX Round 03:五十鈴
大暮 維人
この(基本的には)梱包用のBOXも、工夫されていて、サイドにイラストが描かれているんだけど、3つ横にして重ねるとひとつの絵になるようになっててカワイイ♪(何で「基本的には」なのか、というと、こういう箱そのものもコレクタアやファンにとってはダイジだったりするんだけど、発行元ではあくまでも「梱包用の箱」という位置づけにしていて、箱が潰れている等の理由では交換等の対象にならないから、です。ファンにとっては「イラストも入ったカワイイ箱、箱もあって初めて全部揃ってる!」となるわけですよ。……北原センセイ、間違ってますか? ←いきなり問われても・笑。私はこのクラフト×単色(黒)印刷、というアッサリさ加減が気に入ってるんですが、あまぞんの評価では「安っぽい」と言われてました。だって「梱包用」にちょいとイロつけただけだもの〜。そんなとこに凝ったらコストが嵩むじゃないか)
内容は Pinky (ちゃんと本来の Pinky 同様、本体+別ボディあーんど小物付〜♪ 小物はそれぞれのキャラクタアに縁のあるもの)、ブックレット、小冊子と同サイズのポスカ8枚、でお値段何と税込¥1,470!(どっかのTVショッピングかい…)お買い得♪
しかし。私は「Pinky;st」が好き、だから購入したに過ぎず、何と大元の作品「天上天下」をマトモに読んだことがない、のであった…ごごごごごめんなさい↓↓↓(もっとも、Pinkyサイドも原作の大暮氏もどちらかのファンが互いを知らなくても、これを機に知ってもらえれば、というスタンスではいらしたのが)何しろ「五十鈴」がフツーにファースト・ネエムだと思ってたくらい無知(フル・ネエム「五十鈴絵美」、であくまでも名字だったよ…)。
原作、漠然としか知りませぬ↓ 戦闘美少女が出てくるらしきことと、少々特殊な学園が舞台であることくらいしか知らない……。で、そういうのはキライでもないんだけど、「あり得ないデカさの乳」とか「故意的パンチラ」とか「無理あるアングルであんなとこやそんなとこがよく見える」とか「半ばモロ出し」とか「少年(青年)まんがによくある描写」……要は、男の子好みのエロ的描写、が少々ニガテで、戦闘美少女、は好きなんだけれどちょっと敬遠してた。でも巻を追うごとにそういう無意味なエロ、は控えめになってると言うし、ちょっと読んでみたいなあ、というキモチになっていたりする。
でも今のところは Pinky の出来の可愛らしさで満足しちゃってるので当分先のことでありましょう(ははははは)。
特に注目しちゃうのは第3弾の五十鈴。通常の Pinky にはないゴシック・テイストのドレスで、今まで持ってたぴんきーずのストリート系ファッションとどう合わせようか楽しみVv(それ言ったら第2弾の真夜だって通常販売されたモノの中では初の着物、なんだけど。数量限定のガレキver.みたいな形式でなら浴衣、ってのがあったハズだけど。浴衣じゃ上下パーツに分けてコーディネイト、はちょっと無理あるからのう……。今回の「着物」は袴なので無問題…というか、面白いコーディネイトが楽しめる…かな。まあロングのプリーツ・スカアトに見えなくもないし、ということで)97もの工程を経て完成した超絶メンドーな、でもそれだけ可愛い仕上がりです(大抵、こういう量産されるもの、は、工場の流れ作業で、パーツ、あるいは部品のどこならどこ、と一点集中でやる、ハズ。……ので、口に紅をひくだけの班、とか袖に塗り分けがあって、それが黒と赤なら黒だけひたすら塗る班、赤のみを担当する班、とか分かれて作業してるのでそれだけの工程になっちゃった、んでしょう)。欲を言えばもう少しスカアト丈短くてゴスロリ風になってると、スカアトの中(これがまたアホほど凝ってる。まあ見えないところにあそこまで凝ったってのが逆に素晴らしいと言えば素晴らしい)のデザインが活かせていいのになあ、と思ったり。
ブックレットは Pinky の解説と、ひたすら大暮氏と金谷氏(Pinky の原型担当)の対談が……。Pinky 好きには楽しめなくもないのだが、……結構微妙……(笑)。ラフ画とか見られたのは嬉しかったけど。
ポスカは美麗なイラストとぽっぷなイラストの両方あって、絵の美しさ故に大暮氏が好きなひとには満足のいくものなのではないかと。
それにしても、……今までぴんきーずを入れてきた箱には、もう入る余地ないなあ……。特に五十鈴のスカアト!!
ちなみにコレが今現在最新刊のコミックス。
天上天下 13 (13)
大暮 維人
もう13冊も出ちゃってるのかあ……。
一緒+楽しい=もっとおいしい。
コドモゴハン1年レシピ
コドモゴハンプロジェクト
子供は好きじゃないけれど、子供を取り巻くアレコレは好きだ。玩具とか遊具とか文具とか遊びとか本とかあれやらこれやらが。中学生になっても高校生になってもその先まで行っても、「できるかな?」は大好きだったくらいだし(ノッポさんがすいすい何でも楽しそうにつくって遊んでるのを見てるのがシアワセだった、んだよなあ……)、今だって好きなくらいで。
で。「コドモゴハン」です。私はこうして本になって世に出るまで知らなかった。そうか、ネット上でこうして情報/意見交換し合っていたのか、世の子育てに奮闘する皆さんは。私にはそんな発想すらなかったわ。「ネットで」という発想が。何だかんだ言っても自分という人間はアナログなんだなあ、と妙に実感してしまった。
でも、こうして「本」というアナログなカタチとなって再度人々の照覧を得るわけですね(そもそも本を出版することを目的に活動してもいたそうです)。
言い方よくないけど、子供という存在にかこつけて自分たちこそがあれこれ楽しんじゃおう、という旺盛な好奇心と楽しみたいキモチで出来ている、ような気がする。そこがまた私としては好ましい、んだけど。いや、本気で自分のカワイイ子供のためにあれこれしたい、というキモチもおありなんだろうけど、まずは自分たちが楽しみたい、それで子供とも一緒に楽しめればなおいいな、というカンジでつくりあげた本だと、勝手に解釈してる。
オヤが奮闘したり楽しそうにしてるのを見るのは、子供にとってはシアワセな記憶になる、と思うから。
私の母は習い事は一通り(茶道・華道はわかるんだが、琴までやってた、と聞いたときは驚いた)やってたヒトで、母親が大変厳しいひとだったので(私はその祖母に似ているそうだ。「あたしの母親はね、まあ、厳しいところもあったけど、面白いヒトでもあったの。アンタ、その面白いところが、母に似てるわ」とよく言われる)、まあ色々と仕込まれた、らしい。でも、こと家事に関しては、本人曰く「(夫が)ああいうヒト(父はとてもズボラで大雑把で不器用)だから、コッチがせっせとマジメにやっても駄目なんだな、って思ってから、手を抜くことにしたの♪」だそうなのだが、……時々「母よ。アナタの主婦歴は何年なのだ」と問い詰めたい時がある。
でもって、料理はそれなりにちゃんとつくってくれるのだが、所謂てづくりのおやつ、なるものをつくってくれたことがない。ただ一度だけ、私がまだ幼稚園に通っていた頃に、ドーナツをつくってくれたことがある。当時はまだ共働きで、持ち帰り残業が当たり前の仕事をしていたために、土日だろうがあまりゆっくりできる余裕、というものが彼女にはなかった。その彼女が、どういう訳かドーナツをつくる、と言い出し、私と兄ははしゃいだ。
結果から言おう。出来映えは惨憺たるものだった(笑)。生地を輪っか上に押し出して油に落とす、という器具があるでしょう? あれでやったにも関わらず、生地にユルさが足りないのか、はたまた器具の使い方がマズイのか、綺麗に押し出されず、自然、ぼたりぼたりと油に生地が落ちていく、という(笑)。
母は出来立てをバット+油切りに乗せたままで居間に運んできてくれて、申し訳なさそうに「これじゃあドーナツじゃないね」と言った。私と兄は、それでも喜んで食べた。ちゃんと美味しかったし、つくってくれた、という事実が嬉しかったから、もうそれで十分だったのだ。部屋中が甘い香りと油の匂いに満たされて、奇天烈なカタチのそれを何度も頬張って食べた。
それで、十分だと思う。カタチの美しさにこだわるのもいいし、材料を吟味するのもいい。でも、まずは食べて美味しくて、食べたみんなが楽しかったら、それでいいような気がする。で、「より楽しく!」を探求(?)した成果がこの本にまとまったわけですね。
私にとっては絵本のように楽しい。でも、レシピ、私でも(かなりの不器用でも!)つくれるのが結構あって嬉しい。蓮根のチップスも、単純だけど美味しそう〜。カルピスのかき氷! いい! 単純明快! レシピ要らねえよ? いや、この本ではまたほんの一手間加えて楽しんでますから(それもまた単純で簡単なものだけど。そこがいいじゃないのー)。
最近「食育」というコトバを頻繁に耳にするようになりました。健康的な精神と肉体を育むにはまず毎日の食事から、ってとこ?(イギリスではあのジェイミーくんが大奮闘して給食の内容・質の改善に努めて、大変評価を得ているそうで、若いのに頼もしいなあ、などと思ってしまったのであった。「イギリスはおいしい」が本当になる日が来るかもしれないなー。それと、「たまにならいい」とジャンク・フードの存在を全否定しないところも、いいなあ、と思う。これは「コドモゴハンプロジェクト」の皆さんもそうらしい。たまに食うとウマイのよね♪)
それなりに手間かけて工夫して、それを楽しんで、楽しんだ上に一緒に食べる。こんな簡単なことをするのがムズカシイというのは、……やはりサビシイものがある。「そういう時代なんだよ」で終わらせないひとたちがまだまだ沢山居ることがわかるという意味でも、読んでいて楽しいレシピ集でした。
お馬鹿占いが好き。
ネット上によくある、信憑性の一切ない、お遊び感覚の占い、がとても好きなのだが。何なんだ、みどるねーむ占いって(笑)。もう占いでも何でもないやん。
でもやってみる私。……結果はやはり笑わせるものであった。
紫堂 カリスマ 水玻
私のミドル・ネエムは「カリスマ」だとよー(よーよーょーょーょー…←エコー)。
よりによってかりすま。「り」と「ま」を取れ、という含みが実はあるんじゃないのか? 何かリッパなのだとそれはそれでせつなくなる微妙な乙女(嘘吐け)ココロ。別な名前でやったら「シュークリーム」だし(笑)。「靴のクリィム」ですね? ソレは。もし菓子の方なら「しゅー・あ・ら・くれえむ」じゃないんかー!?(と言いつつフランス語は英語以上にわからない〜♪)
皆様もよろしかったらお楽しみ下さい。
ブギー・ポ○プ占いなら霧間凪、アニメ・キャラ占いなら綾波レイ、とオイシイ結果が出るのは嬉しいんだけど(ヲタクの性というものさ)。
カリスマって何かね……↓
ボリュウムUPしてリターン。
VOYAGE!―ヴォヤージュ:旅 (2)
Mrs.f
個人的には「待ってましたV」な第2弾。ちなみに第1弾はコレ↓なんだけど、……著者名が違う……(いえ、同一人物なのですが)。
VOYAGE!―ヴォヤージュ:旅
nahomi
第1弾はかつて御紹介したことがあるのでここでは割愛。それに、第2弾、ということで、構成そのものは同じようなカンジです。
しかーし! 前より厚みが! すんごいボリュウム。その割にお値段そんなに変わらない(ちょっと微妙な気分・笑)。
相変わらずこれでもかこれでもかと世界各国その国でしかお目にかかれないアレやソレを、写真をふんだんに掲載して紹介してくれている。多分、フェリシモのユーザで彼女の企画する会を申し込んだ方の中には「あ、コレ私持ってる!」てのが掲載されてるんだろうなあ(クドくなるけれど、一応再度解説。Mrs.f は「フェリシモ」で主に海外の雑貨・衣料・玩具なんかを買い付けてくるバイヤーさんで、結婚前は「Miss f」でした。現在は既婚者なので「Mrs.f」。企画によっては「Mama f」とも名乗っておられます。第1弾の時はおそらく御本名を名乗られたのでしょうが、今回はこの「みせす・えふ」名義のまま。……何でなんだろう?)。
必ずしも「バイヤー」として買い付けたものというわけではなく、御自身がまず雑貨好きなので、気に入って個人的に購入したものなんかの写真も多数(いや、ひょっとしたら個人所有物、がほとんどか?)。チェコの、おばあちゃんの手縫いの小さなポーチなんかは私も欲しくなる可愛らしさだった(刺繍が施されたチロリアン・テエプみたいなのが縫い込まれてるんだけど、それがまた可愛い)。仕事として訪れた国で、そのついでにあれこれ市場やフリー・マーケットを覗いたりして掘り出し物をGETしてきちゃうのでしょう。羨ましー!!
さらには当時住んでいたイギリスのチャリティ・ショップをフルに活用していたそうで、「戦利品」の数々が(現在はドイツにお住まいだそうです…羨ましい……どっちも私の好きな国だ・涙)! 十分使えるけれどダレカにとっては不要なものを安価に販売して、それがチャリティにもなるのか。そういうルートがちゃんと確立されてるのだな(日本でもかなり古着屋だとかセコハン・ショップを見るようになったけれども、基本的には会社が純粋に利益を追求する「商売」としてやってるヤツだからなー。いや、それが悪い、というのではなくて、社会に何かしら還元できるシステムが確立されてるというのはいいことだなあ、と思った次第で)。
巻末にはそのイギリスでの暮らしぶりを綴った部分があるのですが。Amazon にもう読者レビュウが掲載されていたんだけれど、ものすごい酷評っぷりで、何というか、笑ってしまった。……失笑というか嘲笑に近いのだが。
著者は既婚者で、配偶者と子供と共に移住しつつ仕事をこなしている方なので、生活のことをも綴ろうとすると、自然に子供の話題に触れてしまうんだろう、と思うんだけど、そのレビュウを書いた方にとっては「子供が嫌いなので」どうでもいい、「本のタイトルにも内容にもまったく関係ない」ものだ、故に「そんなものは要らない」、カネ返せ! ……とまあたいそうな御立腹ぶりで。そ、そんなにイヤなのか??
私自身も子供は嫌いだけれど、イギリスでの育児環境・事情なんかはそれはそれで興味深かったし、子供関係のモノ自体は好きで、しかも既読の内容(「フェリシモ」で申し込んだひとにのみ送付される本とCDを紹介するブックレットに連載されていたものをある程度まとめた記事だった)だったから「ああ、コレも収録したのか」くらいにしか感じなかったんだけど。それに、子供絡みの雑貨や玩具の話題に触れつつ、という内容でもあったのでそれこそそんなに気にならなかったなー(ついでに言うなら、10ペエジ程度だし)。……「カネ返せ」まで思うくらいならどんな本であれ書店で内容を隅々まで確認してから買った方がいいような気(以下略。私なら自分で買う、と決めてそれがスベったらそりゃテメエが悪い、と思うことがほとんど。まだ「これはないだろう! カネ返せー!!」なほどの本には出会ってない…と思うことにしてる。本買うのは私にとっては博打も同然。すべて見て買うなんて出来ないので、「失敗」したらそれもまたベンキョウ、と。あ! ちょっと待て。許せないのあった! 映画「ハリポタ2」のパムフレット!!・笑)。それに、タイトルにも「旅」とは銘打ってあるものの、「長期滞在」の旅だってあるし、子連れの旅だってあるわけだから、話題としてそんなにズレまくってるとも思わないんだけどなあ(まあ、多少の違和感を抱くひとがいるのも、それはそれでオカシイことではないんだけれど)。
私は楽しめた。でも、上記のような内容も御座いますので、子供がどうしようもなく嫌い・育児ネタは見るのもイヤだ、そういう方にはお薦めしないのが得策のようで。
パリと雑貨を愛するひとへ。
パリ雑貨日記
ナカムラ ユキ 
ナカムラユキさんもそのイラストも「trico+(トリコ・プリュス)」もそれぞれに名前だとかを知っていたハズなのにどこかで繋がってなかった自分の馬鹿さ加減に呆れ返った↓ 雑誌なんかをナナメ読みし過ぎ。
最初出会ったのはイラストレエタアとしての彼女。
贈り物(プレゼント)料理―こんな気持ちを伝えたい
ナカムラ ユキ
料理絡みの本で、……バーゲン本(その時で既に半ば絶版状態だったと思う。そういうところで出会った、ということは)で買った時。レシピ+イラスト+(共著ということもあって)プチ対談めいたフリー・トーク集、といった本で、サイズが新書に近くて、可愛い本だった。
「Zakka Catalog」とかそういうところで何度となくお見かけした名前だし、某通販カタログでも見かけたりしていたし、……何で一直線に繋がってなかったんだろう……。
今更ながらですが、イラストレエタアにして「trico+」のオーナーであるナカムラユキさんのパリでの雑貨買い付け日記を1冊にまとめたもの。装訂が実際のノオト風で(ちゃんと背にいかにもなテエプが貼ってある♪)雑貨屋で買ってきたノオトに綴ったものを直接見せて頂いているような気分になれる。
タイトル通り、パリでの雑貨買い付けにまつわるあれこれと、それに伴うあちらでの生活振りを綴っていらして、パリが好き・雑貨が好き、というひとには見ているだけでワクワクものでしょう。写真もたくさん掲載されていて、欲しくなって困るくらい。日常のスナップもいい。時折挿まれるイラストも弾力あるペンのラインと色遣いがいいなあ。
文章は、ホントに、「日記」してました。その時その時の嬉しさなんかを率直に綴っていらっしゃるので、エッセイとして読もうとしちゃうひとにはくだけ過ぎているように感じるかも。
発行元は「mille books」。基本的には発行する本は1,000限定ということでこの名を付けたのだとか(ミルフィーユ、とかミリオン、とかの mill(e)なんでしょうね)。うう、欲しい本があっさり売り切れたらハイそれまでよ、ということか↓(もっとも「基本的には」とあるのだから、よほどの人気で即完売、とかになったら「例外的に」増刷なり再販なりなさるおつもりなのだろう)。縁あってココの本は3冊ほど所有している。1,000冊のうちの1冊かあ、とちょっと嬉しい(それにしてもリンク先の本サイトでは私が所有してる本の情報は一切得られない……。実はブログがあって、そちらの方が情報源としては活用度高し)。見てるとツボな本がまだあるので困ってしまうのだった↓
他人サマの日記、というのは何でこう「ちゃんと」面白いんだろう。自分の日記読み返すたびにカナシくなるですよ(ココは「日記」ではないのです。「日々」「毎日」綴りはしますが、「日記」ではない! の。「記事」として書いている……のにこのつまらなさはどうなんだ自分)。でもカナシくなっても自分の日記が面白くなるわけではないので他人サマのを素直に拝読して楽しんでいる次第。
淡い現実、鮮明な幻。
よるねこ
姫野 カオルコ
珍しく新刊を購入後すぐに読んだ(……最近は積ん読が多いので↓)。著者初めての「ホラー」短篇集ということで、ハード・カヴァで出た時から期待しまくり。書評でも概ね評価が高かった(まあいきなり悪く各ヒト、というのもそうは居まいが)。
純然たるホラーを期待すると、ちょっと肩透かしを喰らう。どちらかというと、著者御本人も仰るように、「奇妙(な味わいの)小説」。すんげえ速さで井戸を這い上ってきたりする白いドレスの女とか、真っ青な顔の子供とか、そういうモノは出てこない。何でもない日常に、気づいたら、ふ、と存在していた非日常に気づかされてしまう、淡々とした、時が過ぎるほどにじんわりと染み込んでくるようなある種の怖さ、を堪能できる。
大仰な仕掛けや設定がなくても、異なる9つ非日常に繋がる物語が紡げるのだな、と感心してしまった(単行本では8本収録。文庫化にあたって、さらに1本追加収録されているのだが、これはほかの単行本からこちらへと移行された模様)。
唐突にかつて寄宿舎で見たという、ひとのたましいを食う大きな青い猫のことを語り出す母親。
付き合っている恋人にストーカーの影が忍び寄る。無言で切れる電話の背後に流れる微かな音楽。
恋人が結婚しない理由を知りたいと依頼され調査し始めた探偵の見た「真実」。
同じ会社で働くすべてに恵まれた女性と、自分は愚鈍なのだと思い続けてきた吉田との間で交わされる会話に登場する「心霊術師」。
ある日見つけた不思議な建物に入り込んだ時にその建物の持ち主と出会う大学生が知った「秘密」。
ある女性が訥々と語り続ける「ほんとうの話」に潜む怪異。
ネットの掲示板に書き込まれる中傷と他愛ない、けれど毒を含むやり取り。奇妙なHPで見た「悪魔のつかまえ方」を知った少年。
大きなお屋敷に住む少女が入ることを禁じられている部屋に行くことを決意し、ささやかな冒険の果てに知った禁忌の理由。
日々に漠然とした不満と物足りなさを感じながら惰性の生活を送るアナウンサー志望の女の末路。
ふ、と狭い路地に入ってみたくなったこと、ありませんか? 特に親しい訳でもないひとから、突然妙な話をされたことは? 知らない方が幸せであろう真実を知ってしまったことは?
――そんな時、ひとはどうなるのか。どうするのか。
何となく所在なげな気分にさせられてしまう。何かがとても不確かで不安定な気になってくる。
そう言えば、ひとりで部屋に居る時に、ふ、と背後にナニカの気配を感じる時、ありませんか? そういう時は、居る、んだそうです。
ナニカ、は私も知らないんですが。
居るんですよ。ナニカが。まあ、とりあえずは振り返って見てみることです。
……それ、何でした?
あ、そういえば。

去年の今頃、だったんだ、「ブログ」始めたのは(正確には5月末頃なのだけれど)。
読んでくれるひとが居て、検索でやってきてくれるひとが居て、妙にわくわくしてた気がする。
「その頃」の登録先は「ブログの記事は検索をかけると比較的上の方に表示される」を地でいくところで、ちょっとした語彙にも反応して、それを頼りにふらりと訪れて下さった方も多かった。
それに比べれば、今はアクセス数はがくんと落ちたし、コメント機能有・トラバだって可能だけれど、この機能というのもまた微妙と言えば微妙なモノだから、前ほど「読んで下さった方の反応」というものもわからない、のだけれど(私自身はちょっと悩む。TBされた側は「何でよこすんだ!?」と思わないだろうか、とか、コメントに関しても「この程度のメッセエジなら邪魔になるだけ?」とかあれこれ考えてしまって自分からなかなか出来ない↓)。
それでも、今も誰かが読んで下さっているようで、有り難い限りです。親しい友人なんかはものすごい頻度でわざわざ見てくれているみたいだし(ありがとう!)。
気づけば一周年(だからもう過ぎてますってば。>自分)。いまだにだらだら(時に間を置きつつも)続いてる。来年の今頃も多分こうしてだらだらと綴っているのでしょー。
誰かがまたふらりと立ち寄ってくれるのを地味〜〜に楽しみにしつつ。このぶろぐは続きます。
先生が帰ってきました。
象は世界最大の昆虫である
池内 紀 
かなり前の記事で取り上げた本が、復活したようで。嬉しいやらちょっとセツナイやら、複雑な気分。うう、あの頃は「こういう本は文庫だとかにはしてもらえないだろうなあ……」と思って、高くても買ったのに。年月を経た今の方がまだ当時よりマシな経済状態と言えなくもないのに(当時、はガクセイだった)、今の方が安く買える…けど持ってるから買う必要もなく。ううう(涙)。「言いまつがい」がウケたせいかすら。コレとはまたちょっと味わいが違うとは思うんだけど。
でも、フツウには買えなかった本が復刊(?)する、というのは素直に嬉しい。多少なりとも廉価になったんだし、また手に取って読んでくれるひとが居るといいなあ。
きっと、わすれない。
幸せの絵本2
金柿 秀幸 絵本ナビ事務局
「もう出るのかー」。真っ先に思ったこと。好評だったんでしょうね。こんなに早く第2弾が出されるとは(正確に言うと、今は「絶賛予約受付中」なわけですが)。
実は第1弾、欲しい欲しいと思ってるうちに買いそびれて今に至っている…のだけれど、本のガイド・ブック、それも絵本の、と来たらやっぱり欲しくなる。
そう言えば、いつも思い出す光景がある。デパートだとかで再販本セールとかバーゲン本市みたいなのをやってるのを見たことありません? ああいうところで、子供が、もう本に吸い込まれたいのかぐらい熱心に見入ってる姿をたまに見かけるんだけど。
まあ、一応通常の書店で正価で買うよりは安いわけですよ。子供は真剣に見つめてる。動かない。微動だにしない。多分あの小さな頭の中で色んなことを考えたり感じたり思ったりしてる。そこに無情な声。
「何してるの。帰るわよ」
「ママ、この本ねえ、」
「もう! いいから。ほら、帰る時間でしょ!」
本の1冊くらい買ってあげりゃいいのになー、と。子供は振り向き振り向きしながら、やがて遅れまいと母親の背中だけを見つめて去っていく。
残された、ペエジ開きっ放しの大判の絵本。どうやら精密に船(それも、豪華客船クラスっぽい、でっかい船)の内部構造をスキャンしたみたいにして見せてくれる本だったらしい。こういう、「何がどうなってるのか」というタイプの本も、子供のウケがいいと聞く。
別に知らなくたって困らないんだけど、「知りたい」という純粋にして単純な好奇心を満たした上で、さらに想像力を豊かにさせてくれるであろうその一冊は、買われることなく売り場に置かれたまま。
本がすべてではない。本を読んだらエライひと(特に、ひととして敬愛されるようなヒト)になれるか、というと、そんなことはない。本呼んでリッパな税金泥棒になってるヤツらがうぢゃうぢゃしているではないの(ホラ、テメエで「夏場はこざっぱりしたかぢゅあるな服装でいいじゃーん♪」って張り切って大切なバッヂつけるの忘れるようなひととか、その周辺の有象無象どもとか)。でも、あったほうが色んなもんが豊かになるのになーと(ならない、と思ったら読まなきゃいいだけだし)。
小さな後ろ姿を思い出しつつ、そんなことを考えてしまう。ほんの少し何か削って本買うお金に充てて、買ってあげたら喜ぶだろうに。
「どうせアンタすぐ飽きるでしょー!?」
とか言わずに。
絵本読んだからって、シアワセになれるとは限らないけど。絵本買ってくれたおとーさんやおかーさんに対する感謝のキモチだの、読んで楽しかったキモチだの、そういうものは何かしら残って、……シアワセの種くらいにはなるかもしれないじゃないの。それを咲かせられるかどうかは本人次第、つーことで。
今じゃ意志の疎通が上手くいかない父ですら、私には寝る前に絵本を読んでくれた。気に入っている本なら、何度でもせがんだ。それでも父は辛抱強く読んでくれた。彼自身本を読むことが好きだったから、読書そのものを奨励していただけかもしれないけれど。
こうやって、残るものがあるんだから。何万円もするわけじゃなし、絵本くらい買ってあげなよ、と絵本にへばり付いてる子供を見るたび思う。
でも、こういう本が出る、ってことは、一応現役子育て奮闘中のホゴシャの方々も、分かち合えるナニカがあると思ってて、それが欲しいと望んでいるってこと、なんだろう。
いい時間が過ごせるといいなあ、と思う。親だろうが子供だろうが。老いていようが若くあろうが。
天使天然姉上様と悪魔の妹。
おかしい。「おねいちゃん」(※)の誕生祝いでプレゼントを渡したいがために集ったハズなのに。気がついたら「私に皆が振り回される日」、になっている……↓ ごめんよ、皆の衆。
実は「おねいちゃん」の誕生日はもう4日も前だ。友人Kちゃんと共同でプレゼントを購入し(ショボさを少しでも軽減したい私たち…↓)、手渡すべく、約束を取り付けるために空いてる日を訊いたら今日がいちばん近かった…ので、今日会うことに決定。
プレゼントはでかくて嵩張るので最初のうちに渡して車に置いていただくことに。とりあえず喜んで頂けたようで一安心。
その後軽くファストフードで食事を摂り、腹ごなしもかねて集合したモールの中を歩き回る。
行く場所は大抵決まっていて、書店・ゲーセン・玩具売り場・雑貨売り場。
ここで「カプセル・トイ」というトラップにひっかかる馬鹿1名出現。そう、それは私、と水玻は言った。「ピングーのおうち」なるカプセル・トイ、実は前から気になっていた。
これはカプセル全景。やや上から見たカンジ。フツウのカプセル・トイは、カプセルはあくまでも「容器」でしかないんだけれど、最近このカプセル部分もパーツとして活用するものがちらほら見られるようになってきた(どっかの馬鹿は、スコーンの生地を抜くのに使ったりしていたようですが!)。そのひとつ。写メなので見づらいけれど、これ、上の透明な部分が、イグルー風になっているのだ。通常は雪をブロック上に切り出してドーム型に組んでいくんだろうけれど、このピングーver.ではよりソレらしく、さらには半透明で中が見える楽しさを狙って氷製、という設定らしい。ここが「部屋」になっていて、開閉できるようになってる。部屋の種類は全部で5つ。
こんな風に、天井・両翼にぱっかーんと開くことが可能。んまあ、よくできてるわ♪ しかも可愛いわ♪
上から覗き込むとこんなカンジ。
「ロビとプレイルーム」とのことで、要は子供部屋。ピングーのくちばしがにょーと伸びているのは何故…?
で、カプセルの下の部分にパーツが収まってた(イグルー内にはブック〈全種の写真や組立方・楽しみ方等が記載された小さく折り畳まれた紙をこう呼ぶ〉とイグルーの外につけるためのドアパーツのみ)。取り出してみたら、ちゃんと全部イグルーに収まって収納も簡単。よく出来ておるのう。
「それさあ、ネットでチェックしてたから、気になってたんだよね。可愛いじゃん、すごく!」
とか言ってると、おもむろにおねいちゃんがお財布取り出してトライ。がろん、と最初に出たのがバス・ルーム。「ほい」と私にくれる。もらっちゃったよ……。
「よーし! ヒキの悪い私も試しにやってみるー!」とコイン投入。……見事にダブる……期待を裏切らないこの運の悪さよ↓
さらにおねいちゃんはさくさくとコインを投入しては「ほい」「ほい」と私にくれる。ついにはKちゃんまでがしょん、と一個取り出して私にくれる始末。……ヒトサマの善意で紫堂は生きています……足向けて眠れません……↓↓↓ 私自身も何度かトライしてようやく最終的にはフル・コンプできた。ああそれにしても、他人まで巻き込むなよ私……。
その後Kちゃんは仕事のために職場へ。私とおねいちゃんはさらにガシャ○ン行脚の旅へ。今度はおねいちゃんがとっつかまる。おねいちゃんはカメが大好きだ。リアルでもデフォルメでも、本物でも大好きである。そこへ¥100という低価格の割に精巧な出来のカメばっかり何種もあるカプセル・トイ発見(かつてコレの第1弾のフル・コンプを差し上げたことがある。今回見つけたのはコレの第3弾。改訂版とのこと)。おねいちゃんは半分泣きながら(笑)両替機を探し、¥100をしこたま手にするとベンダーに直行。「海ガメがいいな〜♪」などと言いつつ、がしょん。
「あ! 何かベエス(よりフィギュアの雰囲気や動きを出すために、付くことがある。今回は海ガメの場合、海底の珊瑚を模したものがついていた)が付いてる!」
見れば、ベエス付が基本的にはウミガメの模様。おねいちゃん、喜ぶ。
「でもさあ、1個じゃあ何か物寂しいよねえ」
悪魔の囁き。私の尻に先の尖った尻尾出現。手には三叉鉾…って、それじゃ虫歯菌だろ。
「そうそう、そうなのよね、って、違うだろ、私!」
おねいちゃんは叫びながらコインを投入。がしょん。陸ガメGET。
「2つ、っていうのも何かなー。やっぱもう1個か2個はないとねえ」
「そうだよねー、って、あああああ、悪魔がー! 悪魔が居るー!!」
コイン投入。がしょん。
「あ、カブっちゃったなー。じゃあもう1個でしょー」
「悔しいよー!! もう一回だけ!!」
……これのエンドレス(笑)。おねいちゃんはカメだけに¥1,000以上の投資をしてしまったのであった。しかも、いちばん欲しいなあ、と思っていたアカウミガメ・アオウミガメを入手できないまま。
本当は、「ピングー」のベンダーが違うモールにもないかどうかを「念のため」見に来ただけ、なのに。悪魔の妹を持つ天然…じゃねえや、天使の姉(いや、天然なのは事実だが)。ヒキの悪い私ではあるが、今回だけはおねいちゃんが欲しがってた海ガメ1匹どうにか引き当てた。でも何てショボイ恩返し(涙)。ヒレヒレしてる海ガメの方がより好みなのか、おねいちゃん…。
結局最初のモールに戻って私の「ピングー」フル・コンプ成立したのだった。おねいちゃんは違うモールにさえ寄らなければカメに捕まることもなかったのに……悪魔が来たりてぴーひゃらら。
でもって、カプセルでぎうぎうになったが故に財布すら収めるのが不可能と化したバッグをどうにかすべく、ゲーセンに向かう。そこのゲーセン、UFOキャッチャーなんかで取った景品を入れるための袋が無償で置かれているのと、互いにカプセル(不燃物)を捨てられる屑入れがあったのでは、という曖昧模糊とした記憶があったがために立ち寄ることになったのだった。
「あ! ぴんきー(私のブログによく登場するフィギュア。ブロックのように各パーツを組み替えることで着せ替え遊びが楽しめる)だ!」
まただ。悪魔、己の欲望のままに筐体(ああいうゲエム機の場合も筐体って呼んでいいのだろうか?)の硝子にへばりつく。コレの情報も、むろんネットで知っていた。
積み方を見ながら攻略法を練り、おもむろに財布を取り出す私。コインを手渡しながら言った。
「おねいちゃん。よろしく」。
彼女はこのテのゲエムに滅法強い。そして。流石我が姉。歴戦の武士(もののふ)! 何とたった一度で4つもの「ピンキー」をGET!(互いに予想していたよりアームががっばあ! と大きく開き、イイカンジで引っかかったために一気に雪崩れるように落ちてきた…)その後も2個一度に獲得し、私は全3種のそれを2セットも入手してしまったのであった。


ちなみに、今回は「SUPER LOVERS」とのコラボレイション企画モノで、キッチュさとヴィヴィッドさが可愛い。もったいなくてまだブリスタに入れっぱなし…。おねいちゃんスゴ過ぎる!! 少ない投資額で一気に6体て!
結局カプセルは捨てられず、彷徨って不燃物を捨てられる屑入れにどうにか処分してスッキリ。おねいちゃんをあちらこちらに引っ張り回す私と、イヤなカオひとつせず付き合ってくれたおねいちゃん……。せっかくのお休みなのに何をさせておるのか、私は↓
最後の最後まであれこれと世話を焼いてもらって帰宅。おねいちゃん。楽しんで頂くハズが私が楽しんじゃったよ……申し訳ない↓
でもって、結婚おめでとう!! 10月にはお式なのねえ……。幸せになって下さいまし。もっともあのだーりん様では幸せにならないハズがないけれど♪
※「おねいちゃん」
私にとっては高校時代以来、Kちゃんにとってはそれよりも前からの古い付き合いのひとつ年上の友人(センパイ、と言うべきなのだろうが、私があまりセンパイコウハイという括りを好まないので敢えて「友人」と呼ばせて頂いてる。…のみならず、個人的に「姉」のような存在として慕っており、またおねいちゃんも「私、ひとりっこだから妹が居るみたいで嬉しい」と私にまんまと振り回されてしまうようなことをのたもうてしまったが故に私から「おねいちゃん」と呼ばれている。そして実際私から甘えられ放題で大変な思いをしているのであった。合掌)。実は血の繋がった兄が居るのだが、「隣の芝生は青い」のコトバに違わず、兄持ち故に「アニキなんてイラネ。姉がよかった!」と言って憚らず、姉持ち・弟妹持ちの友人たちから羨ましがられることも屡々。……コイツのおかげで肩脱臼したり突き指したり火傷したりしてもいいならいつでもくれてやるが(いや、まあ、今は一児の父で本来の意味で「義理の姉」という存在が私にも居るには居るのだが会ったことがないので何とも言えん)。もっとも本当に彼女が姉だったら私は多分比べられて大層苦労したに違いない……。
順調に継続中。しかし。
三日坊主な私だが、奇跡的に英語の学習は続いている。多少ダル〜〜っとした気分にならないでもないが、それでも一応「よし、やる!」とテキストを開き、常時CD入れっぱなし状態になっているプレイヤーの電源をONにする。ペンシル持ってはい、始め!
思えば私の周囲には、「英語好き〜〜♪」とか「外国語を習得したいの〜V」というヒトは現在皆無と言っていい。……昔なら英語ネタだけで何時間も盛り上がれる友人、スクラブルとスクラブル用の辞典を持っていてプレイできる友人(……って、同一人物だが)が居たのだけれど。
身近な友人たちはどちらかというと「あー…英語はちょっと…」とか、「ニガテ!」と敬遠したいひとたちばかり。
言語としてのソレとはあまりお付き合いしたくない、らしい。キライとまではいかないものの、あえて習得したい、というキモチもない模様。……それは無理もない。だって使う機会というものが、このド田舎じゃあないんだものねえ。
でも、そういうヒトのためにも、何らかの通信講座を受講しているひとたち同士で交流できるよう、ALCさんは色々取りはからってくれていて、たとえば日記に「○○という講座の××というスキットの△△の■■が☆☆だと思っていたのに※※だった。これは、♪♪だからだろうか? わからないよー」なんて書いてUPすると、読んでくれた会員さんの誰かが「それは$$だからなんですよ」とか、助け船を出してくれたり、共感を寄せてくれたりする。そういうのもキライではないし、有り難いなあ、と思うんだけど、だけど、……そうじゃなくてですねっ。
直接話してあーだこーだ盛り上がりたいのよ、単純に。あちらこちら脱線しつつやれ英語史だの中世の文化がどうだの、そんなのに触れつつも笑いアリ考察アリで「向かい合って」「話」したい、のだ。ナマのやり取りをしたい、のよー!! 近しい友人と!
というフラストレイションめいたものと闘いつつ、今日もテキストを開くのであった。
どうでもいいけど(いや、個人的にはひじょうによろしくないのだが)、ただ読むならヘーキだけど、書けなくなってる! 当然だ、日常英語で文章なんて書いてない!(手帳に日程をメモる時は何故か英語を使ってしまうのだが)そのせいで、綴りがらへらへになってる。くそー、英単語練習した甲斐つーモノが消え失せてるじゃないかー!!(何でもない単語を間違った時のあのショックときたら…!)でもって、リピーティングをしていると、如実に発音が悪くなってるのが解る。あああああああ、昔よりさらにヒドくなってるよー!! ダメだ、やっぱり日常に根ざしてないモノはダメなんだ! もっともっと「やれる範囲で」がむしゃらにやらないとモノになんてならねえ! ……と、痛切に思いました……。ううううう(涙)。あと、単語、かなり忘れちゃってます↓ "disappoint" なんて忘れてた日にゃあまさにその単語の意味を噛み締めるために忘れてたんかい! と己にツッコミたくなる始末。
こんなことで大丈夫なのか、私!(いえ、駄目ではないかと思います。←冷静な心の声)いや、ここで落ち込んでる訳にはいかーん!
小さなことからコツコツと!
そうっすよね、きよし師匠!!(幻覚が見え始めています)
愛はあっても腕がない。
母に習えばウマウマごはん
小栗 左多里 
いつの間に新刊が…と思ったら、今度は「料理」だ。それも、お母様とのコラボレイション(コトバの選択を誤ってないか?)。
小栗さん曰く「実は私は、ほとんど母に料理を教わってきませんでした」とのこと。で、この本をきっかけに今は時々一緒に料理をなさるのだとか。何だかいいなあ。その顛末やあれこれをまんがになさったようです。
そういえば、小栗さんのお母様は「ダーリンは外国人」でもいい味出してたんだった。何だか想像するだに楽しそう。
思えば私も母から料理を習ったことがない。私が「辛うじて口に入れ、食道を通し、胃に落としてのち消化できるらしきもの」をつくれるのは、思いつきだのTVや本から得た知識だの、そういうものが下地になっている。それでいて「アンタはホントに何もできないんだから!」となじる母。アナタだって私にアレコレ教えようとはしなかったじゃないのよ〜、と思うのだが、まあこのトシ(どのトシ?)になってそんなこと言ったってしょーがない(しかし、今も母は私にあまり庖丁を握らせてはくれない。というか、台所に立たせない。私が懇願すれば別だけれど。……やはりアレか、台所は主婦の聖地にして戦場なのか?)。でも、小栗さんは私より年上だけれど、「最近」お母様から料理を教わった、というではないか。……それを踏まえれば、今からでも遅くない、……のかねえ……。
私は生まれついての不器用なので、とにかく手元が危なっかしい。そういう人間が狂気…違う! 凶器…いや、その、庖丁を持って何ぞやる、というのは周囲にとっては恐るべき光景であるらしく、遊びに来てくれた友人のために林檎の皮を剥こうとすれば「あたし、……やろうか?」と言われ、食物検定4級(「4」!!)で胡瓜の千切りをやらされれば、「紫堂さん、音はいいのよね、音は……」と苦笑される始末(大変リズミカルにテンポよく切っている「音」はするのだが、スライスされた胡瓜の枚数がその俎板がぶん殴られた回数に比例していないのだった……悪かったよ!)。その私が、○十の手習いか!? さらにさらに、理系センス皆無だぞ!?(料理は理科とか化学の知識があるとより面白くて系統立って理解できる気がする)
私はかつて「ロール・キャベツの作り方」をこう説明した女だ。
「剥ぐ。茹でる。巻く。煮る。以上!」
簡潔である。枝葉末節というものが一切ない、極めてシンプルな説明である。わかりづらいといけないわ、と思ったので、こうも付け足した。
「味付けはお好みで!」
……味噌味仕立て、ホワイト・ソース、トマト・ベエスだろうが、お好きなように! あず・ゆー・らいくですよ、奥さん!
――こういう女に、理系的センスだの、手間暇がどう、だの、理解できるものでしょうか(問うな。虚しいから)。
ごはんは炊ける。米といでから炊飯ジャーにセットすればいいから! 饂飩、素麺、パスタ等乾麺の茹で具合もわかる(ちなみに、パスタだけは母より上手いと思ってる。母は茹で抜いてしまうのだ。私もかつてそうだったんだけど、適度に歯ごたえがある方が美味しい、と身を以て理解してからは茹で抜いたパスタは食べたいとは思わなくなった)。カレーとシチュウはつくれる。ルウ売ってるから。ミート・ソースはトマト・ピューレと細かく刻んだ野菜に固形スウプとかでつくれなくもない……とまあ、誰でもできることくらい、はどうにか出来るのではあるが。
美味しい肉じゃが、とか、そういう「家庭の味」は一切自信ナシ。「愛のエプロン」で鼻でせせら笑えるのはえろてろりすと女くらいだ↓(でも煮物の味付けに砂糖・醤油・味醂、くらいは考えつくぞ……)オリジナル創作料理は、とりあえずつくっているところを食う人間に見られないならおっけー(……決して、決して覗かないで下さいましね……)。
って。それでいいのか!(いや、よくない。←反語)いっそヨソさまのお母様の御指南を受けて、我が実の母を吃驚させるのもいいかもしれない。
彼女が台所に立つことを許せば、の話だけれど(くそー!! 悪かったよ、作業がトロくて!! ←そう、母が私を台所に立たせたがらないのは、要は不慣れ故にトロく、任せてしまったら夕食の時間、などに間に合わなくなるから、なのであった……なんかどんどん哀しくなってきたよ…・笑)。
「リヤル」が欲しければ是非。
「真夜中の弥次さん喜多さん」オリジナルサウンドトラック
サントラ 長瀬智也 中村七之助 宮藤官九郎
DVDも出たので一応。……すげえパッケエジだなあ……。
真夜中の弥次さん喜多さん DTS スタンダード・エディション
宮藤官九郎 長瀬智也 中村七之助
より気になるのはこっちかな。
真夜中の弥次さん喜多さん DTS スペシャル・エディション(初回限定生産 おいらとおめぇの弁当箱版)
宮藤官九郎 長瀬智也 中村七之助
……「おいらとおめえの弁当箱」て!
映画観に行くなら、絶対早めに着くようにでかける。理由は2つ。
1:(自分にとって)ベストな席で観たい。
2:予告も観たい。
……予告篇は映画のエッセンスをうまく出せるかどうか(=集客力を上げられるか、興味を持ってもらえるかetc.)がかかった、本編並みにチカラ入れてつくるべき(と思ってるんだけど、それは言い過ぎか?)なモノ。それを見逃したくないのだ。で。「弥次さん喜多さん」も、その予告でのあまりのパワフルさに気圧されて、友人と2人、「あそこまでかっとんでると観てみたくなるねえ」と言っていた。原作しりあがり寿、監督はあのクドカン。それも観てみたい理由だったけど。
原作(まんが)をちらりとだけど見たことがある。しりあがり氏の絵で何ともせつない気分になったことを憶えている(そりゃ失礼か……)。弥次さんの腕に抱かれて、「俺は一生分の夢を見たよ…」とかいう台詞も、泣かせた。あの作品を、あの世界を、どう映像化するんだろう、ととても楽しみにしていた。
見終わったあと、トイレに行ったら、見知らぬ女性2人が同じ映画を観ていたらしく、感想を言い合っていた。
A「アレ、レディース・デイじゃなかったらカネ返せってカンジだった」
B「えー、そう? あたしは結構よかったけどなー」
私も後者だ。面白かったよ。馬鹿馬鹿しさとシリアスで重い要素と、シュールさがえらいことなってて、そこが何とも言えずよかった。
役者陣はイヤに豪華だし、音楽は全編アクセル全開状態で、内容に至ってはジェット・コースタアであった。
喜多さんにホレてる弥次さんと、ヤク中の喜多さん。江戸には「リヤル」がてんでねえ、と嘆く喜多さんのため、弥次さんはお伊勢参りに行こう、そこにこそ「リヤル」があるんだ、と2人は旅立つ。
ミュージカル調だったり(ぐっさんこと山口智充氏のハジケっぷりが素敵…♪ OPのいきなりのダンス&ソング、はレビュウのようで楽しいぞ)コント調だったり、終始一貫してないようでいてちゃんと一本スジが通ったような印象。これがクドカンかあ、と、「木更津キャッツアイ」は哀川翔のアニキが出てる回だけ何故か観てしまったほぼ何も知らないクセに知ったか状態で内心つぶやいてみる。
勢いがあるのに妙に繊細なところがあって、馬鹿馬鹿しいのに何かがせつない。思ってたより面白いわ。ワケわかんないんだけど。
長瀬くん(弥次さん)は美しい顔立ちなんだなあ、と改めて思った。アップになっても絶叫しても何しても美しい。すげえ。笑った顔も泣いた顔もすべて。あほスキップ(勝手に命名。劇中、お手手繋いで2人でスキップするのだが、弥次さんのスキップはどう観てもスキップではない…。概念を「スキップ」してるとは思うが)してても可愛いし。
七之介くんは「ヤク中」という設定にハマってたのをどう評価すべきなのかと(笑)。いや、巧いなあと思うべきですね、はい(ははは)。弥次さんにおんぶに抱っこのクセに強がってみたり、と可愛らしさが出ていて、ちょうど精悍で男前な弥次さんと好対照。
しかし、劇中、「ホモ」という設定とは言え、大変だなあ、と(そういえば、意外に知られてないらしいですね、原作、つまり「東海道中膝栗毛」においても、彼ら2人は「そういう仲」である、という設定であることは)。ちゅーVはしなくちゃなんねえやら、風呂で抱き合わなきゃならんわ、蒲団でいちゃつかねばならんわ、後ろから肩を抱くわ……そのテのネタが好きなお嬢さんたちには楽しいのでありましょうか。ヤケなのか真剣なのか、本気のでぃーぷ・ちゅーをする2人に役者魂を見ました……(もっとも、妙な緊張感に包まれつつ開始、一発O.K.の後、大爆笑の撮影だったそうですが。そりゃそうだよなあ)。観ててこっぱずかしかったということは、それだけちゃんと2人がらぶらぶ〜であまあま〜な関係であるということがわかるから、ってことなわけで。弥次さんが愛情表現(?)として喜多さんの髷をはむはむ口にくわえるたびに「それはなんの暗喩だ、ヲイ」と突っ込む自分がイヤでした〜♪(今猛省しています。声をかけないように。あ、手に持ってる鉈はどっかやって下さい)
生きることと死ぬことは等価で、だからこそ分かたれていなくてはいけなくて、真っ直ぐ生きるのはとても難しくて、だからこそ逃げられないもので、……途中何度かしんみりと弥次喜多の2人に思いを馳せてしまった。同時に小さい笑いを取りに来られるこの混沌ぶり。ああでも、混沌としているようでいて、秩序があるんだな、この作品なりの。混沌と秩序が同居してる。そういうとこがしりあがり作品でクドカンかな、と「木更津キャッツアイ」で翔のアニキが(以下略)。
音楽、全編に渡ってハジケててよかったなあ。サントラ欲しいかも。こう、気合い入れたい時に良さそうで。「リヤル」がね、掴めそうな気がしてくるようなね、そういうカンジでね。
パンフ購入(お約束)。おお、「シネマライズ」発行のもの、だったのか! 「シネマライズ」のパンフは必ずCUELによる、その作品のイメエジで生まれた料理とそのレシピが掲載されるので、楽しみなのだ(その映画に登場した料理、ではなく、あくまでも映画・作品に刺激されて生まれた料理、です。ちなみに今までの料理のレシピが本になってます。見ると映画観てみたくなる※)。ヴィジュアル要素も寄せられた文章も、充実していて楽しめました。表紙がきらりん☆な加工してあるところもミソだわー。
何となくもう一度観たい気分。祝祭的空間に濃密に漂う死の匂いと、はちゃめちゃさがクセになったらしい。七之介くんの父上が惜しげもなく素晴らしい壊れっぷりを披露なさっていて惚れ直しました(大笑)。あとは研ナオコ様の何とも言えぬ存在感、小池栄子ちゃんの巧さ(彼女、演技力あるなあ。存在感もあるし。それでいて邪魔にならない。そう言えば、この映画、「下妻」出演者が彼女以外にも居たぞ……)、竹内力や板尾創路の意味あんのかねえのかわかんねえよな登場とか、何かイイカンジに毒されて帰ってきてしまった。
ある意味この映画自体が、「お伊勢参り」そのものだったんだなー、なんて、「I.W.G.P」をまともに観たこともないクセに言ってみる。
こいとはどんなものかしら。
Bid!bid!bid!―ビドの絵本
ビド 
見事なまでにジャケ買いです。……それにしてもbk1よ、私がオーダーした時「2〜3日以内に発送」とあったのにも関わらず一週間ほど待たされたのはどういう訳なのだ……。
何と説明していいかわからない、不思議な本。絵本と詩集と作品集を足して、スパイス加えたあとにミルク入れた、ようなカンジ(ほらね、説明の意味がわからないでしょー?)。
bk1やあまぞんの紹介文によると
ビドはてのひらにのるくらい、小さないきもの。ビドはケーキの箱にはいって、女の子のおうちにやってきました。女の子はたくさんの恋をしては泣いたり笑ったりしています。ビドは考えます。恋ってなに?
……だそうだ。
ビドは白い、強いて言うなら猫。こいとはどんなものかしら、といつもいつも考えているために、ちょっと困ったような顔をしているらしい。
ぬいぐるみとオブジェで構成された写真絵本みたいなのか、と思って読んでいたら、ふいにペン画と文章だけのペエジになる。また写真絵本風に戻って、何となくあたふたしてるうちに、この小さな「絵本」はおしまい。モノクロのペン画とことばのペエジはどうやらビドの「日常」の世界らしい。そして大好きなキャンディに満ちている。
甘いもの。甘くて美味しくて、消えてしまうもの。それは恋に似てるから? わかんないなあ、と私まで困惑気味の顔になる。
考えさせられるような、でも考えるのは意味ないよ、と言われているような、何とも曰く言い難い、でもとても可愛い本。
薄いです。平綴じ。肩は凝らない。けど、ビドと一緒に困った顔になる(笑)。
軽いから、すう、と読めてしまう。歩いていたら道端で、ふ、と何かとすれ違う。知ってるようでいて知らないなあ、なんて感覚に襲われて、で、何だったんだろう、とふと振り返る…みたいに、また読み返してみる。
やっぱり、わかるとかわからないとかじゃなく、理屈抜きで楽しめばいい、のだろう。昔は絵本をそうやって楽しんでたんじゃないのか? などとやはりあれこれ考えている。
何も考えなくていいハズなのに何かを考えさせられている。もしかして、この本、深い??(さあ、どうかなあ……)
もう、生まれない。
倉橋由美子氏が亡くなったというニュウスに愕然。まだ69歳という「若さ」ではないか。新作を楽しみにしていた作家のひとりだったのに。
惜しい方を亡くしたものです。
せめてこれを機に(それはそれである種の切なさと虚しさと、商業主義を感じて余計にモヤモヤしたものが胸に生じる気はするけれども)彼女の絶版になっている作品をまた刊行してもらえないものだろうか。……いや、待てよ、新潮か講談社辺りが全集とか言ってごっついのを出すのかも知れないなー……(新潮が可能性大、か。かつて「全作品集」とか言って出してた気がする)。廉価でよい作品を読めるように、文庫で再版して欲しいところなんだけど。ハード・カヴァのがそりゃ堅牢で保ちもいいとは思うんだけど。1冊当たり高くつくわ本棚の場所取るわ(って、お前は本当にファンなのか。思えば「銀英伝」も新書・愛蔵版は一切買わずにやり過ごし、文庫化されてからはわざわざデュアルver.まで買った馬鹿なのに! ←そう、本棚でとても邪魔…。しかし道原かつみさんのイラストには勝てなかったのと、一応デュアル文庫版が定本というか最終稿みたいなことを著者自身が仰っていたので、ついまあいいか、と買ってしまった。でも1冊で収録できるところを2冊に分けて出すものだから場所を取りまくり…↓)。
石垣りんさんが亡くなられた時も、静かな衝撃がじわじわと襲ってきたけれど、今回も似た感覚に囚われてる。ああ、もう新しい作品は生まれないんだなあ、と。ただの一文も書かれることはないんだなあ、と。
御冥福をお祈り致します。
雨の降る日が待ち遠しい。
雨ふりの本。
タイトルそのまんま。雨ふりの本。雨が降った日を楽しむための、本。
「十一月、空想雑貨店。」さん久々の新刊は原点に戻ったようでいて、何処か進化していた。それが嬉しい(というよりも、三作目の「ふわふわ、やわらかいね。毛糸のこもの。」がそれまでと同じようでいて趣の違うモノ、になっていて、私個人が求めるものと少し違っていたから、余計に今回の新刊がいいなあと思えるような気がする)。
「十一月、空想雑貨店。」のいちばんの「商品」は、商品そのものよりも、コンセプト、というカタチのないもの、だと思っている。それをまた敢えてカタチあるモノにして見せてくれるところが楽しいのではないかと。だから、3冊目はあまりに直球過ぎて(モノ先行で、コンセプトはそれに沿って添えられた印象を受けてしまう……私は、ですが)どうも馴染めなかった。でも、新作はとてもいい。
雰囲気や空気、触れることのできないものが閉じ込められていて、それを眺めて感じることができるつくりになっている。だからこその「空想雑貨店」だ、と嬉しくなった。あっさりして大人っぽく、でも愛らしさは消えていない今回の装訂は今まででもっともいい出来のように思える(ただ、一瞬「クラフト・エヴィング商會」を思い出してしまったけれど。もっとも、帯乃至腰巻ひとつで雰囲気がちゃんと「十一月、空想雑貨店。」仕様になる、んだな。何だか不思議)。
雨。憂鬱になりがちな天候を、その日を、軽やかに楽しむためのアイディアと、楽しんだその残り香が収められている。
遠すぎず近すぎない場所への小旅行。自分のふだん使っているものを持ち込むだけで「自分の空間」になったような気がする、とのこと。家を出て、家以外の場所を求めつつも、居心地の良さを味わうためのちょっとした演出。
出かけては店先を覗き込んで、自分好みのあれこれを探す。あるいは部屋でゆっくりとお茶を飲むのもいい。音楽を聴いたり、ノートPCを持ち込んでDVDをだらだらと眺めるのも良さそうだ。外には雨の音。
雨の日のメニュ、雨に因んだ音楽、えとせとら。気分次第で雨の日はとても愛おしい一日になる。
「湘南に降る雨を集めました」とは帯にある惹句。海辺の雨を、私は知らない。生活する環境の内に海がないから、という意味で。本からは音は聞こえない(当たり前だけれど)。でも、何となく、静かで穏やかな雨が降るような気がする。鎌倉あたりは特に。
昨日降った雨はあがってしまった。その晴れとも曇りとも呼べぬ日に届くとは。間がいいのか悪いのか。とりあえず、また雨が降るのを期待する自分が居ることだけは確かだ。
もっとも。毎日降り続く梅雨の時期に、その余裕を持てるかは自信がないけれど。
穏やかな雨の降る少しだけ肌寒い日は、ポットで紅茶を淹れて飲もうと思う。最近、冷たいお茶ばかり楽しんでいたから。
よいあめが、ふりますように。
全て集めるのがかなわないなら。
せめてこの本を眺めて集めたがり屋の気分を沈めましょう。>自分。
ひみつのブルボンキーホルダー Les Porte-cles Bourbon
森井 ユカ
大好きな森井ユカ嬢の第3弾は、……ぶるぼん・きぃ・ほるだあ?? それはナニ??
フランスの企業モノのキィ・ホルダアにコレクタアが多数存在していて、日本でもそれを販売したりコレクションしたりしているひとが居るのは知っていたのだが。「ブルボン・キーホルダー」は、かつて宣伝目的で無料で多数配られたキィ・ホルダアの中でも、特にデザイン性や出来の良さで知られるブルボン社が手がけたもの、のことを言うらしい。60年代、とにかくそれこそ星の数ほどもつくられては配られ、一時期は熱狂的に蒐集するひともたくさん居たのだそうで。それが景気衰退・メディアの変遷・台頭のために徐々につくられなくなってしまったのだとか。以前取り上げたことのあるビュバーと同じ道を歩んでるなあ(本書の中でもノベルティとしてそのビュバーや、より馴染みの薄いカイエーなどもコラムとして取り上げていてくれて、これがまた楽しい)。消えモノ、あるいば消えモノとなってしまう運命にあるとわかっていてもデザインに気を配り美しく仕上げる辺りはやはりフランス人のプライドでしょうか。カッコイイ。
航空会社、嗜好品、ガソリン会社に自動車メーカー、食品・お菓子の部類から農機具、家具、何でもござれ! 見ているだけで楽しい…からこそ、集めたくなるのかもしれない。
中に水と気泡が封じ込められているものなんかは40年も前のものだとは思えないほどだっ。なかにはユルい、というか甘い出来のものもあったりするけれども、精巧なものの中に混じっているそれらは、それはそれで味アリの一品になっていて愛しくなる。
カタログ的でありつつも、デザインのどこがキモなのか、どう可愛いと思ったのかが書き添えてあって、読むのにも楽しい仕上がりになっていると思う。惜しむらくは、すべてが著者の私物ではない、という点、かなあ。そりゃたくさんあるわけだし、ブルボン・キィ・ホルダアのみ蒐集する生粋コレクタアでいらっしゃるというわけでもない方なので、実際お持ちの数は少なくていらっしゃるのでしょうが、やはりこういうのは彼女の既刊「とっておきロンドン雑貨58」 や「スーパーマーケット・マニア ~EUROPE編~」
同様、ほぼ自分で歩き回って蒐集したもの、であって欲しかったなあ、などと思ってしまった。もちろん、今回の本に掲載されたキィ・ホルダアのすべてを存分に堪能させて頂いたのだけれど。そこが個人的にちょっとだけ惜しかった。
あと、既刊2冊と同じサイズなのも何だか嬉しい。全部違う会社から刊行されているのにサイズは同じ。「スーパーマーケット…」とコレなんて、同じく塩ビのカヴァがついて、その内側に帯があるとこまでお揃い♪(やっぱり、帯がある方が引き締まって見える気がする…)
今後は何で悩殺してくれるのか、また楽しみが増えた次第。しかし財布の中身はまた減るのね……(涙)。
「オンナノコハ、ナニデデキテル?」
お砂糖とスパイス―マザー・グースの贈りもの
河田 ヒロ
タイトルからして可愛い。このフレエズで1本話書けるわ。それも甘々でらう゛らう゛でこっぱずかしいヤツ(←ものっそい得意! 読んだ友人が皆顔をニヤけさせて読むところを見られまいと背を向けて読み出すほどこっぱずかしい話、というのを生み出すのはもう天賦の才と言っていい。いや、よくない〈反語。言い過ぎやろ〉。しかし「あまりの恥ずかしさに便所ゲタで壁中ぶん殴りたくなった」、「あるフレエズで倒れた」等絶賛と絶叫を頂戴したのは事実なのであった)。
「女の子は何でできてる?」という問いにコレがスンナリ出てきたら、英米文学科卒かしら、それとも児童文学好きかしら、あるいは…と色々想像してしまう。もっとも、イギリス行ったら誰もがスンナリにっこりあっさり答えてくれるだろうけど(ついでに言うなら、お砂糖とスパイスのほかにもちょこっとあるんだけど。私なら「毒」と答える・笑。当然入ってると思うんですが! ちなみに私の主成分ですが何か?)。
ガクセイ時代、必修英語でたまたま「不思議の国のアリス」とナーサリィ・ライムを学ぶ(というのもおこがましいくらい英語力などなかったわけだが↓ だいたい、英語力もないのに「アリス」やらすなよ、と今は思う…)機会を得て、その時初めてまともに「原文」に触れた、所謂「マザア・グウス」。「ジョージィ・ポージィ」、曲に乗せて歌ったのを聴かせてもらったけど、あまりのもの悲しさに一時期仲間内で流行った(笑)。カナシイ時〜♪があると、いきなり歌い出す、という奇行が。「じょーじ・ぽーじ・ぷでぃんげんど・ぱ〜〜〜い、きっすざがーるざん・めーいぜむくら〜〜〜い」とか(怖)。ミジメったらしく日本語ばりばりの発音で歌うのがミソ、という。……ガクセイ時代の特権だな。馬鹿やっても笑って済ませられるって↓
――で、その当時は時間の関係もあって、テキストに掲載されているすべてをさらうことなんて当然不可能で、勝手に拾い読みしていたら、懐かしい詩に「再会」。小学生時代に谷川俊太郎訳の講談社文庫版4冊を揃えて持っていたのです。「誰がこまどり殺したの?( "Who killed Cock Robin ?")」の全文を知りたいが故に(イヤな子供だ。ちなみに、「風が吹いたらゆりかご揺れる 風が吹いたらゆりかご落ちる 赤ちゃん ゆりかご なにもかも」とか大好きだった。さて問題です。私は一体何をきっかけに全文を知りたいと思ったのでしょうか? って、……かなりヲタクな理由なのが泣けるぜ……。ちなみに「花と○め」で活躍されている某まんが家さんは関係ナシ。あ、該当者2人居るわ、「花○め」だけで。ゴシックなあの方でも永遠の28歳のあの方でもないのよ…)。
「男の子は何でできてる?( "What are little boys made of ?" )」。これも好きな詩のひとつだったけれど、もちろんというか、特に後半の女の子の方が気に入っている。「お砂糖とスパイスと素敵な何もかもでできてる」、んだよね、確か。可愛いけど、深読みすると結構皮肉な意味にも取れそうなところがまた。
この本は子供ももちろん楽しめるだろうとは思うけれども、著者としてはより大人にじっくりしっとりと味わってほしい模様。ヴィンテエジのレエスや布、釦を使ったコラアジュが可愛くて綺麗。表紙を是非イメエジ拡大で見て欲しい(@あまぞん)。今までほとんど訳出されていない詩も数編あるとのことでますます読んでみたい。
ガーリィで甘くて、紅茶があったらほどよくその甘さが緩和されそうなカンジでいいなあ、コレ。可愛いモノ好きのひとにプレゼントしても喜ばれそうです。
厨房は最前線。
キッチン・コンフィデンシャル
アンソニー・ボーデイン
まだ読んでいる途中なのだが。予想していたよりも面白い。訳した方が巧いのか、文章のテンポがよくて読みやすいのもあって、時間があると貪るように読んでしまう。スピード感と忘れずに加えるちょっと斜に構えたような下品とも思われかねないジョークを挟みながら、自分の来し方を語って聞かせるカンジ。自分のこともコケにしつつ、自分が居る世界を愛を持って罵倒する小気味よさが、ウケた理由、なのだろうか。それにしてもアンタクスリヤリ過ぎ、と今突っ込んでる最中です。どの辺り読んでるかおわかり?>既読の方。
「料理つくってる人間なんちゅうのはですね、そもそもがヤ○ザみたいな連中ですからね」
なんて、そういえば神○川サンが言っていた。料理人になる、と言ったら御尊父がそのようなことを仰って止めようとしたとか何とか。
血の気が多かったり気が荒かったり陰険だったり、そういうひとが、多い、らしい。それは万国共通なのかあ、と今回読んで思った次第(ちょっとうろ覚えだけど、元「サディスティック・ミカ・バンド」のミカさんもイギリスで料理人として修行中、そこそこ認められるようになってからの周囲の嫉妬は凄かったらしく、「男性の」仲間に下ごしらえ用の材料をダメにされたそうだし。「女の敵は女だ」とか色々見方というかとらえ方があるとは思うけれども、やはり個人差だな、と思う)。
まあ料理人(シェフとコックは違う、と私もコレ読んでようやく明確にわかった。Amazonのレビュウでも同じことを思ったひとが居て安心)てのは、要は美味しい料理をつくって客に満足感を与えればいいわけだから、コカインだクラックだLSDだ、そんなもんでキメていようが構わないのかも知れないが(いや、……やっぱちょっとよしてほしい・笑)、何というかおキレイな世界ではないことだけははっきりわかった。オーナーの目を盗んで調達しておいた材料はヘーキで盗むわ、結婚式で花嫁と店の裏で一戦交えるわ(この表現、さりげなくものすごい下品だよなあ…私ったら↓)、「これが現実ってヤツなのかー」とちょっとゲンナリもさせられた。もらる、ちうもんは多分クズ野菜や魚のアラと一緒にどっかに捨て去ってるな。
ただ、一度「仲間」と認められてからの彼(=著者)にとっての厨房は、耐えるだけで精一杯の熱気と殺人的スピードに包まれているにも関わらず、妙に楽しげにすら見えるから不思議だ。何百人分という料理を仕上げてさらに入ってくるオーダーをこなす、それはチーム・ワークなしにはやり遂げられないというのがよくわかる。一見無愛想で口が悪いようでも仕事ぶりは見事な職人気質なひと、というのがアメリカにも居るのかー(そりゃ居るこた居るだろ!)。
月曜日には魚料理を注文しないほうがいい理由も興味深かった。悪びれることなく彼は饒舌に「裏事情」を語って見せる。手つかずのまま厨房に戻ってきたパンはまた新たな客の席に運ばれてるとよー(笑)。やっぱりそんなもんかー(あははははは)。「手つかず」だったからいいじゃないか、食べ物だもの(パクってみた)。まあね。「手つかず」のだったらいいよ。食うよ。そんくらい。店も無駄にはしたくないだろうしさ。バレないよーにやってくれれば、多分出されても気づかないよ。ただ焼きたてと同じ料金取られてんのかよ、と思うと何となくやりきれない気分が残るのは許せ、ボーデイン!
ほかにも現れては消える店とそのオーナーたちや、いい店の見分け方、料理人として必須のアイテム、著者が今でも敬意を以て語る通称ビッグフット氏の話など、ネタは尽きない。
料理関係・食べ物関係の本はやはり面白い。人間の欲望・欲求に根ざしたものだからだろうか。ブリア・サヴァランの名言を思い出すなあ。食べる・食うという行為はそのひとのひととなりをも雄弁に語るものなんだなー、とかカッコつけて言ってみる。いや、実際にダレカと食事してみると色んなことが見えてくるから。姿勢とか食べる仕草とか、そのひとの「ふだん」が、隠せないもの、が見える。
続きが気になる。のでとりあえずこの辺で。ついでにコレ↓も観たくなった。前から観たかったんだけど、なおさらに。
ディナーラッシュ ~スペシャル・エディション~
ダニー・アイエロ ボブ・ジラルディ エドアルド・バレリーニ カーク・アセヴェド
何処かで眠っているはずの。
KATAN DOLL(カタンドール)
もっとも好きな人形作家は昔から天野可淡(あまの・かたん)だった。澁澤龍彦の著書を発見してしまった小生意気な中学時代を思えば、四谷シモンに傾倒してもよさそうなものだが(もちろんしなくたっていいのだが)、私は彼女の人形が好きである。若くして他界してしまったため、もう新作の人形を見ることはかなわない。今は亡き「トレヴィル」から出された3冊の写真集を今でも持っている(それにしても往年のトレヴィルはこれでもかといい写真集・画集を出していた……げに怖ろしきは倒産?)。
闇の黒と血の紅と黄昏の金が映える、美しくて禍々しい少女たち、あるいは少年。虚ろなようでいて何かを見据えるような視線を投げかける艶めかしさ。動くことも嘆くことも笑うこともない「生」を永遠に生き続ける。限りなく「死」に近い「終わらない生涯」。
今も彼女の人気は根強く、「復刊ドットコム」の「トレヴィル」の特集ペエジを見ていただければその絶大なるを知ることが出来よう。上位3位は彼女の作品の写真集であり、獲得票数ももの凄いことになっている(私も今回改めて見て吃驚した)。
私は彼女の作品から「球体関節人形」という存在を知った(一体シブサワの何をどう読んでいたのだろう、私は。……そういえば「毒薬の手帳」とか「黒魔術の手帳」とかそんなのばかり読んでいたような……。イヤな中学生だな)。通常木で出来ており、球状の接続部によってヒトガタとして成り立つ人形である。故にポオジングが可能。比較的大きいサイズのものが多く、虚実綯い交ぜになる風情が魅力的なのであるが、……それ故に余計、……気味悪く見えるひとも居るだろう。やはり著名な人形作家・恋月姫の目を閉じて眠る少女像など、薔薇色の頬をし、うっすらと花唇を開き、今にも「目覚め」そうに見えるほどである。しかし「彼女」は「人形」なのだ(はて、そういえば恋月姫さんの人形は球体関節人形であったか?)。
私の家には人形がやたらとあって、実はトラウマのハズ、なのだ。幼少の頃は夜寝ていると泣きながら起きて「人形が来るよう」を喚いたらしい。ぱつん、と切り揃えられた黒髪も美しい市松人形の類、これに弱い。当時確かそのテの人形がででんと映し出された映画のポスタアがあって、それを見ておののいて以来のことである。しかも、その幼い頃寝ていた部屋の箪笥の上にある硝子ケエスに累々と並べられていたのだからして、深層意識にまで達した恐怖心は相当のものだったと己のことながら推察する。
だからね。嫌いになってもおかしくないハズなんです。なのにねえ。写真集は持ってるわ、今度夏に公開される映画は観たくなるわで。
御存じですか? また来るんですよ、韓国製のホラー映画。その名も(またえらく何のヒネリもないというかB級のVシネノリな)「人形霊」(昔「女優霊」ってのがイヨウに怖い、と評判になったっけ)。
コレもまたシネコンで配布されているチラシの絵がなかなか美しく惹かれるものがあり。観てみたい気分にかられている(公式サイトのTOPペエジもなかなか美しくて好き。でも真っ先にうっかり「BIOHAZARD」を思い出してしまった私であった↓ だって以前CAPCOMが無料配布してくれた壁紙に、素晴らしく美しい画像ででーんと警察署内〈だったかな…〉にロゴのみ、というのがあったのよ。壮麗な雰囲気で今も時々デスクトップをそれで飾ってるのだけれど)。
ああ、観たい。でもコワイ。確実にトラウマ再生になりそうなのに観たい。……それより何より果たしていつも映画に付き合ってくれる友人は一緒に行ってくれるだろうか? それが今、とても心配(笑)。
昔、人形を持ってませんでしたか? とても大切にしていませんでしたか? それが今、何処にあるかわかりますか? ないとしたら、それは何処に消えてしまったのか。
それが再び現れることがあるとすれば、どんな「再会」になるのか。どうやらその映画では、……凄惨で怖ろしい「再会」になるらしい、のですが。
怒りにまかせて4連チャン。
弔いの鐘のあとで
傷心の旅に出たサブリナと偶然出会ったガイ。一夜を共にしてしまうものの、ガイの嘘に気づき姿を消すサブリナ。後にイギリスで再会して…、まあ色々あるわけですね。
シークに魅せられて
前作「弔い…」のスピン・オフ第1弾。「弔い…」のヒーロー・ガイの友人として登場した名うてのプレイ・ボオイの呼び声も高い王子ハリム(ええ、お約束通り中東の王子サマです。またシークかい!)と彼に目をつけられた(笑)ローズの物語。
罪深き誘惑
今度はハリムの側近を務めていたフィリップと、彼と過去イロイロあったリジーの物語。話型(?)的に言うと元サヤもの+シークレット・ベイビィもの。
いたずらな宿命
ハリム(何故かこの本では「カリム」と表記。是非綴りを見てみたいものだ。でもって、どこの言語を基準にした読みなのかを知りたい…)の異母兄弟・ダリアンとローズの親友・ララ(初登場時には「ラーラ」という表記。……翻訳者にしろHQ社の編集部員にしろ、こういうのはチェックしないのか……?)の恋の行方と王位継承問題勃発の危機!?
……立て続けに4作も読んでしまった。それも2日ほどもかけて。何してんだ。いや、そもそもはHQが悪い(責任転嫁)。
「ハーレクインクラブ」に入会していると、毎月新刊案内と会報が送られてくるのだが、これに「スピン・オフ」情報も記載される。
近年ヨソでも聞かれるようになったけれど、私個人は本乃至作品の関連作の意味でHQで知ったコトバだった(ちなみに、そもそもの意味は「副産物」。なるほどね…。「英辞郎」で調べると第2の意味として「TVの続編番組」とある。最初は映像メディアだったのかなあ?)。
で、その「スピン・オフ」なのですが。HQはとにかくやたらとある。作家が架空の町を設定して、そこである男女の恋愛模様を描く。そうするとその最初の物語のヒーロー乃至ヒロインの友人だの兄弟のロマンスも描かれたりする。これがどんどんまさに波及(spin-off)していくのだな(すごいのになると、Aという作品のカップルの兄弟姉妹から始まってその兄弟姉妹の友人・いとこ、さらにその友人、みたいに広がっていく。「リング」よりコワイ波及率・笑)。で、読み手はそれを追いかけたい訳です。その作家あるいは作品のファンだったら、読んでみたくなる、でしょう、多分。私の場合は関連作品を逃すのがイヤ、揃ってないとイヤ、というのがあるんだけど。
で、先日(と言ってももう数ヶ月は前なんだが)会報もらって「いたずらな宿命」が新刊リリース情報の中に入っていて、あらすじ読んだ時に「あれ?」と思ったのだ。
シーク・ハリム(あるいはカリム)の治める「マラバン」なる架空の国があるのだが、その国の名と「ローズ」という固有名詞(2作目「シークに魅せられて」のヒロイン)があらすじにあるではないか。まらばん。聞き覚えあるんだけどなあ。でも本棚のどこに関連作置いてるか、わかんないんだよなあ。そういう時にこそ、会報は役立ってくれるハズ。なのに。特に何の記載もナシ。私の勘違いか!? と思って、本棚調べるよりネットだな、と検索してみるものの、あらすじや登場人物を明記してくれているところが皆無だった(あるいは私の検索の仕方が甘かった)ので不明。結局、本棚を漁ってみることに。……やっぱり「スピン・オフ」じゃんかー!! と大激怒するのであった……。
出したついで、さらには最新作を読むついでに、既刊(既読のものもアリ)を読むことに。……読んでからちょっとヘコんだ。特に密接に絡まない、んだった、そう言えば。「関連作」なので、ほかの作品を知ってるひとはたとえば前作で結ばれたカップルのその後が垣間見られたり、人物の相関図がより鮮明になる、とかその程度で、何も無理して(?)読まなくてもそれぞれに独立した物語だから困らないと言えば困らないのだ(もっとも、最初からシリィズものとして刊行される場合は、1冊目で提示した謎を最後の巻まで引っ張ったりするので間が抜けると訳がわからなくなることもあるのだが)。ううう、何故あんなにムキになって読んでしまったのだ、自分!!
まあ、それなりに楽しかったけど。でも、どの作品も、傾向が似ていて、新鮮味に欠けていたのが残念。男性が「従順」とは言い難い女性をオトそうとしているうちに本気になる、というパタアンがほとんど、なんだもの(そして女性はしょっぱなからメロメロ〈死語〉気味だし)。もう少し緩急つけてくれい!(同じ作家さんだからしょーがないのだろうか…)。
読者の間でのHQ編集部に対する評価は最近とみに落ちてゆく一方なのだが。何でも、装訂変更時にはアンケエトを取ったりするのだが、読者の多くが支持したものが採用されるわけでもなく、また要望を尋ねてはくれても改善はあまりされないこともあって不満が募っている。さらには今回のような訳し方(?)の違いや妙な置き換え・ルビの間違い等に関するチェック・ミス(いちばん凄かったというか笑ったのは、ヒストリカル作品で、「御前様」に「おまえさま」というルビがふられていたこと、かな。「ごぜんさま」、だろう、執事が主人に向かって呼びかけるんなら!)、スピン・オフかどうかのチェック漏れ(結構あるらしい。まあ毎月・毎年の発行点数が多いから全部チェックするのは困難だとは思うんだけど。読者の方がよほどきっちり把握していたりする。コチラは自分の好きな作家のみ読めるわけだし、読む冊数も限られているとか色々有利〈?〉ではあるのだが、……)。
編集者のぷらいど、とゆーものはないのだろうか。出入りが激しいとの噂も聞くけれど(どんな職場なのだ!?)。
……と、勝手にヤケ起こして4冊も立て続けに読んだことを勝手に恨みに思う私であった↓
イチからやり直す。
どうせなら人生を、と思う常日頃。まあそれは無理なので(涙)、せめてずっと前からやりたかった「えいごのおべんきょう」を。
今日、最初のテキスト&CD到着。ちなみに、ALCの通信講座で「英文法マラソン」。4ヶ月間で終了/修了。何故か明け方4時におもむろにCDかけてやり出す私であった……眠いけど目が冴えてたので、ちょっとヤケ気味に(この記事はあとから書いて、しかも時間まったくの嘘なので妙なことになってますが)。ちゃんと月曜日に届くとこがまたニクイわね。1週間単位



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