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母が玄関から戻ってくると、ぺそり、と私にデカめの封筒を差し出した。何だそりゃ、DMか、と見てみたら。
あら。早いじゃないの、角川さんたら。
「夏の100冊」系のキャンペーンで2冊買ったらひとつあげるよ、とブック・カヴァをくれる、てえのをやっていて、応募したんだけど。今日届きました。ちなみに、応募したのは7月上旬。このテのものって、大抵一ヶ月近くかそれ以上かかるもんだと思ってたけど、予想外に早かった。みんなまだまだこれから応募するから、か、単に応募者が少な(以下自粛)。
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小さい画像なので見にくいけれど、いちばん下から、入ってきた封筒・カヴァが入っていたやや半透明気味の袋・本体、です。「アランジ・アロンゾ」さんデザインの不敵な笑みを浮かべるぺんぎんさん。可愛いわー♪
しかーし!
やはり予感は当たってしまった。「塩ビ製の、ヘタすると接合部分がぴーっと破けちゃうよーなのじゃないだろうなあ」なんて思ってたら、ばっちこーい! でそんなのが来ました(笑)。おまけに、表紙を前後とも差し込むタイプのヤツで。……あああああ、そりゃカヴァ駄目にするか本駄目にするかどっちかだわ、自分、不器用ですから(@高○健)。
この際、素材には目をつぶるとして、せめてデザインが、一方が織り込む形式のものであれば~~(しかし、塩ビでソレぶちかましたら、一度ついた折れ目がくっきり残っちゃったりするんだな↓ 布製ので撥水性加工してあるヤツはやはりそれなりに折り跡・クセがついて取れなかったりする。時間経過すればそこそこ戻るけども)。
確かに、夏向きではある。水ははじくね! 汗も寄せつけないね!(なんかのキャッチ・コピィみたいだよ)でもって「京極堂シリィズ」にはつけられないね!(いや、あの文庫を余裕で受け付けるカヴァはそうない)

まあ可愛いし、ある意味タダだし、ぶつくさ言ってねえで活用の道を自分なりに見つけろよ、ということですな。誕生月最後のプレゼントになったナリ。
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20050731185047.jpgこの小さな棚に全部(10種)並べよう、というのがそもそも間違っているのね…(回を重ねてあれこれ出してくうちにどんどん手が込んできて、点数が多かったりモノが大きかったり。嬉しいようなちょいと迷惑〈笑〉なような)。

リーメントの「Myスタイルコレクション」シリィズ第5弾は「フレンチ雑貨」。やると思ってはいたが、どういうラインナップで来るんだろう、と思ってたら結構盛り沢山な内容。ある意味統一感、てのはないかもしれない。フランスの生活を雑貨を通して楽しむ、というような視点で切り取ってるから当たり前か。
「ぷちサンプル」シリィズは料理・食品・食材をメインに展開しているけれど、こちらは衣食住の「食」以外の側面をメインにしたシリィズで、「アジアン雑貨店(アジア各国の雑貨。ものすごくいい出来で大人の甘さがある)」、「Pure Flower(まさに花。花が食玩になる時代が来たですか……。ちなみに、ある意味自分でアレンヂメントしないといけないのでセンスが問われないこともない)」、「こだわりルームコレクション(和・欧米・北欧・アジアン・モダン、と5種類の部屋のテイストの違いやいかにもな小物使いが楽しめる)」、「デパートショッピング(ちゃんと「○階・紳士服売り場」とかでテエマが括ってある)」ときて「ナタリーちゃんのフレンチ雑貨」。最近の食玩は主に男性がボリュウム・ゾーンを担う商品だったんだけれど、モノによっては成人女性も取り込める、とわかってきてからはチカラの入れ方が変わってきた、ように思う。価格に比してクオリティが高く、可愛いけれど場所は取らない(いや、私は取られてるが!)大きさ。男性も購入してるだろうけれど、より女性を取り込みたいという意気込みが伝わってくる。
「Myスタイル」は「コスメティック」もすでに販売されていて、これはボール・チェインでアイテムをぶら下げることができて、アクセサリィ乃至携帯のストラップ感覚でも楽しめるつくり、と来ている(実際そうやって楽しむひとは居るのかは正直謎だけれど。ついでに言うなら、このコスメを入れるボックスまで別売で発売されている。メイクさんが持ってるようなちょっと本格的なつくりなのが微笑ましい)。
で。「フレンチ」です。絶対来る、と思ってた。そのうち「世界一周土産」とか言って各国のいかにもな土産モノを集めたシリィズとかもかましそうだなあ(笑。絶対インドは謎の象かガネーシャの置物とか入ってるぞ!)。女性ウケを狙うなら、今は北欧モノ、東欧モノもイケるぞ(北欧・東欧の雑貨って日常にアートを、の精神が溢れていて、デザイン性高い雑貨がわんさかあっていいよな)。
それなりに取材(?)はしてあるようで、アイテムとしては「ああ、うん、わかるわかる」なものが揃えられている。でも、マーケットで買い物、というテエマがあって、しかもチーズだけ独立してすらあるのに、ワインはない! これはオドロキ。ケエキとかお菓子ないのは、他のシリィズでやっちゃってるから、だろうか…。マカロンとか地方のお菓子とか、ならでは、なのが結構あるのになあ(で、カフェ・オ・レ・ボウルとかつけるのよ♪)。プロヴァンスモノ、もベタに欲しかった。あの明るくて元気が出そうな色遣いのあれこれ、好きなんだけどなー。イマン風の台所道具一式にはちょっと感心したけど。
ナタリーちゃん、という少女の日常に沿った、半ば物語仕立てのラインナップになっていて、彼女の日記カアドがついてくる。ナタリーかあ、ロクサアヌ、とかもっとヨオロッパしてる名前(どんなんやソレ…)がよかったなあ(いや、どうでもいいと思う)。
……と、あれこれ言い出したらキリがないけど、とりあえずどれも可愛いので無問題。ごしゃっと並べてるから写メにしてはデカいサイズだけど、やっぱり見づらいなあ……↓ でもこのごしゃっと感(すごい造語だな)も嫌いではないので、当分これでディスプレイを楽しむことに致します。
獣は花の夢を見るか 2 (2)
刑部 真芯
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……この本をきっちりカネ払って購入している自分がイタイ。彼女の著作をすべて所有している、という事実が輪をかけてイタイ。いつか「化け」てくれるかもしれない、というあえかな望みを抱きながら買い続けているが、……そういう夢はもう見てはいけないのかもしれない、と思いつつある。
「描きたい」という情熱は感じるのだが、どうにもこうにもその情熱と呼ぶべきものが空回りしているらしく、……何ともこう、「作品」としてもう少しどーにかならんのか、と読むたびにがっかりする(「まだ期待を持ってたのかよ!」というのが多分彼女の作品をずっと読んできた「大きいオトモダチ」から入るであろうツッコミだ)。

好きなパタアンの作品しか描けない、んだろう。強引・傲慢・身勝手で我が儘だが財力とツラだけはヒトより上(ということらしいのだが、絵に安定性がなく、また自分でつくった設定を絵で表現できない時が多くて困る。「背が低くて小柄で華奢」みたいな設定、あるいは年齢的にそういう体型であろうはずのヒロインが引きの絵だとえらくゴツく見えたり、は日常茶飯事。最近は絵が某人気まんがの作家さんの絵に影響を受けているのがアリアリと見て取れるのが嘆かわしい。おまけに野郎がウマヅラーになっていてコワイ)の男と、その男に拾われる/囲われる/飼われる少女、という設定をもう何度見たことか。この「獣は花の夢を見るか」という作品も、性的虐待を受けていたヒロインが自殺を図ろうとしていた所をナンバー1ホストに拾われて生活を共にする、というハナシなのだが。

またそんなのかよ。

としか思えなかった。彼女の作品に「禁断」というシリィズがあるのだが、これなんぞ、成人しつつある男性が幼女(…)を一目見て欲情し、施設から引き取り、……予想通りの展開だが、無理矢理に自分のモノにしてしまう、というハナシなのだ。コレの「前世篇」として後づけ(どう考えても「禁断」描いてるうちにハナシが膨らんで「実は…」ってことにしちゃお♪ なノリにしか見えない)された「囚 愛玩少女」に至っては東京都の条例に戦いを挑むべくフォースの暗黒面に堕ちたとしか言いようがない。それはドコにある日本で何時の明治時代ですか、なちょっと無茶な時代考証を力業で敷き詰めた世界に展開する、萌えと勢い取ったら何が残るんですか、なオハナシであった。何せ直接的に明言されてはいないもののどうやら「前世篇」、やはり野郎がカネにモノ言わせて少女を買い取り、自分好みに好き放題、という鬼畜っぷりを「少女まんが雑誌」で御披露(編集会議にかけられたというが、結局GOサインを出し、たまたままんまと売れたので味をしめてしまったらしき編集部。エロ街道を爆走中である。アンタら、もし子持ちなら、胸張って自分の子供にソレ読ませることできんのか)。
都知事じゃなくても吃驚するわ。
年端も行かない少女を手込めにしてモノにする、けれどもそれは歪んだ愛情の発露であり、少女もまた惹かれているために男を憎みきれない、という、巧く描けば確かにイイカンジで転がらなくもない筋ではある(ヲトナ向けのファンタシィとしてならアリだと私は思ってる)。のだが。如何せん、……読者に届くのは「私の萌えってコレなんですぅ」という気持ちと、その自分の萌えポインツを楽しんで欲しい、という気概でしかなく、読み手に対して説得力というものが皆無なままなのだ(あの描かれ方ですんなり納得できる方がちょっとどうかしてる・笑。読み手が脳内で補完しつつ読んで汲み取っているだけで、正直作品そのものを直球で受け取ると「これでどう何を納得しろと!?」と思うのが通常ではないかと思う)。
野郎は性欲の奴隷みたいに年がら年中発情してるし(彼女の作品に始まったことではないけれど)、ヒロインはヒロインでいいようにされているだけにしか見えないし、おまけにその状況に浸り切っちゃっててどうしよーもない。故に、「禁断」とか「背徳」とか、作者が萌えに萌えまくっている要素がカケラも感じられない、のだ。コトバだけがひとり歩き。そりゃもうすたすたと。つーか猛ダッシュ・全速力で疾風の如く去っていく。帰ってこい!! 
そして何かあるとそれはすべて悉く完膚無きまでに「運命」の為せるワザだと仰るのだ。何でも運命。出会ったのが運命ならば、肌を重ねるようになるのも運命、ホテルの一室で、体育用具室で、墓標の前で、図書館で、あんなことやそんなことをしちゃうのだって「運命」。年中運命大安売り。出し惜しみはねえぜ! という気前の良さ。良すぎるからもうやめれ。

ナンバー1ホスト・鷹夜(彼が勤めるホスト・クラブの男性は皆名前に動物の名が入っている)と、彼に拾われた女子高生・花(タイトルに、素晴らしく捻りがない。おまけに、英訳タイトルも添えられているのだが、これがまた「出版社の編集って学歴とか教養とかそこそこ高いもんなんじゃないのか!?」という私の幻想を見事にブチ壊す破壊力で "Does a beast look at the dream of flower?" と来てる。学習雑誌も出している出版社がこの英語を許容したのかと思うと涙が溢れて止まりませんよ…ハハハ…。1巻でコレ見た時は、今すぐこのタイトルの元ネタの原題見てこい、と電話かけたくなるほどの衝撃を受けた。コレを何とも思わなかったのをハズカシイとは思わなんだか。本気で気づいてないんだろうか。だとしたらヤバいぞ、出版社!)、そして彼らを取り巻く他のホストたちの物語なのだが、花というヒロイン、フェロモンだか何だかを出しまくりだそうで、どんな野郎もそのニオイとやらに引き寄せられるのだそうだ。
……で。あれこれトラウマ持ちのハズのヒロインにアッサリ手を出す野郎と、アッサリ手を出された挙げ句、彼に嫌われたくないわ~、触れて欲しいの~と思っちゃえるヒロイン。どんだけ簡単なんだ……(以前の作品で虐待されていた少女が登場した時はまだマシな描写・展開だったのだが)。

エロ、ない方がいいハナシ描くんだけど、雑誌のカラー故か、それとも本人の指向故か、とにかくエロ要素を入れて来る。なければなくてもええやんけ、なところにもがっつんがっつん入れてくる。素饂飩食いたい、つーてんのにごぼう天てんこ盛りにして「美味しかろ?」と微笑みかける饂飩屋店主のようだ(居ねえよ!)。エロに頼らずとも面白い作品はごまんとあるのに、とにかく何がなんでもエロなのか!? とイライラする。
しかし。珍しく、この2巻では、やや控えめ、だったのだ。チョコレイトのせいでうんざりし、フォークを投げ出した南海キャンディーズの山ちゃんのような気分でペエジを繰ったのだが。あれ? コレ、最初はちょっとクドいけど、結構イケるかもしんね! という気分にさせられ、気づけば完食。
ベタな演出だろうが、安易なエロに走るくらいなら、王道を突っ走って、なおかつそこでアンタのオリジナリティとやらを見せんか! と思っていたら、オリジナリティ云々はさておき、久々に「読める」話になっていた。やれば出来るじゃないか! うまい、しずちゃん、コレコレ! この味だよ! やったよ、食えるもんが来たよ!(ちなみに、どうもこの作品、編集側から打ち切られたらしい。彼女としては徐々に野郎の過去の物語や、他のホストたちの物語を描く気で居たらしきことが回収されていない伏線等からも伺えたのだが、「全2巻」とクレヂットされていた。今後余程要望があればまた描けるチャンスもあるかもしれないが、とっても微妙

……そう、コレにダマされる、のだ(笑)。エロ(正直、コレでうっとりしたりコーフンしたり、なんて出来ない。照れすらも湧かない。呆れるか苦笑するかくらいだな。恥じらいとかツツシミとか、そういうものをかなぐり捨てたエロに何をどう感じろとゆーのだ@ヲトナの意見)なしで描けるじゃないか、いっそエロなしの方が読めるじゃないか、そう思っているとまた「てんこ盛り」がやってくる。「運命」と「エロ」は年中出血大サアヴィス品なのだ。ええい鬱陶しい。少しは出し惜しみせんか!(ペエジが余ったらしく、過去の未収録読み切り連作が2本同時収録。こちらの方が、絵が丁寧で可愛らしさもあり、またエロにまだ瑞々しさというか初々しさのようなものが感じられる描写なので、ある意味ちゃんと少女まんがとして楽しめた。……ふだん? そりゃネタまんがですよ↓ 本気でのめり込んで読める作品、ではない)エロは描く分にはある意味ラクだが(場所を変える・シチュエイションを変える・場合によっては相手を変える・体○を変える…えとせとら)、それで楽しませるとなるとホントは難しい、と思うんだが。必然性とか説得力、というものを欲する読者に対しては、であって、エロあればいいや、な読者にとってはどうでもいいことなんだけど。

そして。その「運命」(とエロ)をこれでもかとたたき売りしているのがこちらの作品。
禁色 1 (1)
刑部 真芯
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もうじき完結ということでいやあ、よかったよかった。またしても暴力的な男の言うがままになり、彼のココロの暗部を知って以来惹かれるようになってしまった、という展開で前世絡み、ああ運命そうよ運命年がら年中運命祭、とくりゃ、そりゃもう「TOPS」のチョコレエト・ケーキがいくら美味しくたって連チャンで延々食い続けたいとは思えないのと同じで、遠慮したくもなるというもの(しかも彼女の作品にはかなりムラがあるので、ずっと美味しいか、というとそういう訳でもない↓)。

読者の需要と作者の描きたいという熱意や欲求が、必ずしも合致する訳ではない。それ故に苦悩する描き手も沢山居るだろう。しかーし! ここまで率直に自分の萌え「だけ」で描かれると、もう読み手はどーでもえーんかいな、な気分になってしまう。
「描きたいものたくさんあるんです!」と彼女はフリィ・トークで語っていた。月産ペエジ数が100を越えた時だって何度もある。一応人気作家であるらしいし、それ故にペエジをもらえたのだろうけれど、多忙を極めたはずである。おまけに彼女は作品やコミックスのペエジの余り状況によっては、丸々1本描き下ろしたり描き直したりするのだ。どっかの月産十数ペエジのまんが家に聞かせてやりたいくらいの情熱ではないか。だがそれが「良い作品」として現れるかというと、話が別だからカナシイ。

やれば出来るコなんです、と思って読み続けているのだが。まだまだその「幻想」を「現実」にはしてもらえないらしい、と思いつつ、読み続けているのであった。……そこまで暇か、私。
新世紀エヴァンゲリオン鋼鉄のガールフレンド2nd 5 (5)
林 ふみの GAINAX
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「学園EVA」…う、うん、まあ、そうなんだけど。ちょっと「鋼鉄のガールフレンド」というサブタイがどうにも「?」だと思うのだが(それ言ったら「2nd」になる前から、そもそも何で「鋼鉄」やねん、とは思っていたが)。ベタに、ヒロインの想いや意志の強さを意味している、と考えればいいのであろうか。
でも。ある意味メインはカヲルなのだ。しかし、ちゃんとゲンドウとユイの物語なのである。ユイの想いの強さがゲンドウを――あるいは「世界」を変えたと言えなくもないから、……確かに鋼の如き強靱なる精神を持つ女性であるかもしれない。
林ふみの版「EVA」4巻までは、シンジと彼を取り巻く人々の物語、であった。「もしかしたらあったかもしれないもうひとつの世界」を丹念に描き、読み手の好み云々(シンジは誰とくっついて欲しい、とかそういうトコね)はひとまず置いておいて、物語としては到達すべくして到達したラストを迎えて大満足だったのだが。よもや、その「もうひとつの世界」の「過去」をも覗けるとは思ってなかった。シンジたちの物語も終盤に差し掛かる頃、ゲンドウはかつて誰かに「この世界を守る」と約束したのだと言う。その「約束」にまつわる物語が今回の1冊。
ゲンドウとユイ、そして、何故か彼ら親の世代の少年期と、シンジたちが出会った時とまったく同じ姿で現れる少年・カヲル。

ゲンドウは「世界」を否定し、拒絶する。あるいはそうすることでしか自分を守れないと思っている。ユイはそういう彼に惹かれてゆく。けれどなかなか自分の気持ちを表せず、また自分の可能性を否定し、引っ込み思案になりがちである。カヲルは彼らふたりに尋ねるのだ。何を望むのか。何をしたいのか。「世界」を否定したいのか、それとも「世界」に否定されているのか。「本当は」、自分の中に、どんな何がどうどのように在るのか――。

「本来の(つまり、オリジナルの)」「EVA」ではユイとゲンドウは大学生の頃に出会っている。故に、まさにこの物語は「あったかもしれないもうひとつの世界」におけるユイでありゲンドウである(ゲンドウが暴力沙汰を起こして厄介な存在だと見なされているのは似ているけれど)。同じ学年・同じクラスに属し、時間と空間を共有しつつも互いが互いにとって遠い。

「自由意志」の天使・タブリス。カヲルの真の姿(?)であるが、この物語でもそれは変わらないのだろうか? 確かに彼は何にも囚われない。それでいて何事にも染み込むように干渉する。かといって相手を縛ることはしない(相手は、彼の問いかけにある種の呪縛をかけられてしまう、のだが)。
ただ、問う、のだ。何もかも見透かしたように、微笑を浮かべて。

ゲンドウは「世界」を拒絶することを選ぼうとする。何もかもが消えることを望む。世界も、……自分すらも。その望みを叶えようとするかに見えるカヲルと、それを「阻止」するユイ。

ゲンドウにとっての「世界」は自分を拒絶/否定するものでしかなかった(この辺り、オリジナル「EVA」におけるシンジとカブる。意図的なのかそうでないのかは謎だ)。だから、無くなっても構わないのだと思ってしまう。
ユイは自分を「どうせ…」と否定することで、あるいは周囲に適当に自分を合わせることで「世界」との折り合いをつけてきた。「どうしたいか」ではなく、「世界がそうだから」それに従うだけだったのだ。その気持ちを変えたのが、ゲンドウでありカヲルだった。

どんなに自分を傷つけるだけの醜くてイヤな世界でも、君が居る場所だから。
理由ならそれだけ。

ゲンドウは「守る」ことを誓う。世界を――愛しい存在を。ユイもまた「好き」というその理由だけで、ゲンドウをひとりにはさせないと宣言する。

ふいに舞い降りて、心をかき乱し、あるいは冷静さを取り戻させ、己の内面を晒すことなく、ただ相手の胸の内を見透かすかの如く問いかけ、答えを見出したのを見ると消えてしまう――カヲルは変わることがない。少年のまま。時を越えて、突如そこに存在し、同じように消えてしまう。
空が何時何処で見上げても青いように。彼は変わらない。見つめる者を見つめ返す。ただ、其処に居る。

彼は鏡。相対する者のココロを映し出す。

ユイとゲンドウは互いが互いの存在する場所だからこそ「今の世界」を受け容れる。では、――彼は? カヲルは? そもそも彼はダレなのか?
ゲンドウがすべてを否定し、その身体――我と彼とを隔てる「境界」すらも消えゆこうとした時、カヲルの姿もまた消えてゆこうとする。まるで、融け合うように。「人類補完計画」は、他者と自己とが境界を失い、融解し、ひとつになってしまうものではなかったか――

カヲルは消える。ゲンドウとユイの記憶からも、「彼らの世界」からも。何処にでも居て、故に何処にも居ない。

空の青さは変わらない。彼らが少年の頃も、シンジが見上げた時も、私たちが見つめているそれも。
カヲルが少年の姿を留め、また何処にも留まることがないように。

「こんな世界、無くなってしまえばいい」。
自分がすべてから拒絶されているように感じて、そこから逃れられない自分に気づいて、さらに足掻いてもがくことの苦痛。そこから逃れられたら、どんなにかラクだろうか。それが叶ってしまうかもしれない恐怖をほんの少し潜ませて、鮮やかに、でもせつなさも漂わせながら、この物語は始まって終わる。

世界は最初から其処に在るのではない。自分に発見されて初めて存在する。壊すのもつくるのも、だから本当は対等で簡単で難しいことなのだ。

空の青さ。大好きなひと。胸には約束。それから、――もう名前もわからないキミ。何も変わることなく、けれど全てが変わりながら時間が流れてゆく。
そして。ふりだしに、もどる。ゲンドウとユイから、シンジへ。シンジたちから、ゲンドウとユイへ。ひとりの少年を介して。

ネエ、君ハ、ダレ?
こげぱん三都ぶらり旅日記―京都・大阪・神戸 (大阪・神戸編)
たかはし みき
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待望の「旅日記」三都篇・第2部(勝手にそう位置づける)「大阪・神戸篇」、予定・予告通り7月に無事刊行♪ ……文章から何からすべて手描きという気合いの入った本だけれど、一切の手抜きナシ、それどころかパワア・アップすら感じる素晴らしさ。この描き込みっぷりはスゴイ。愛と情熱を感じるぞ。
前回の「京都篇」から今回の「大阪・神戸篇」読んで思うのは、ちゃんとどこの土地もその土地しか持ち得ない空気のようなものが伝わってくるところがスゴイ! という点だろうか。
大阪・神戸篇では台風直撃された時に行かれたために、それにまつわる大変だったりおかしかったりするアレコレも満載で、気を抜いて楽しむというよりも、楽しむためにこそ旅に行ったんじゃあ! という気迫めいたものまで感じる。楽しむぞー! という気持ちが伝わってきて、とても楽しい。

大阪。私は二度だけ、それもほんの少し立ち寄ったことしかない。一度目は修学旅行で大阪城を見た程度、二度目は受験のために宿泊地として訪れたのみ(受験校そのものは兵庫で、実はちょうどあの大震災があった直後であったために、兵庫では交通機関や宿の関係がうまい具合に手配できなかったために、大阪に滞在することになったのだった。飛行機の窓から見下ろすと、瓦葺きの屋根にブルーのシートが被せられるのが見えて、ひどくせつない気分になったことを憶えている。受験した学校の校内も、壁が落ちていたり、そのせいで内部がむき出しになっていたりで、かなりの被害だったのだ、と改めてわかってそれもまたせつなかったし。ついでに「何で今そこ行くのよ!?」と周囲から言われまくり。そんなこと言うなよ、地元のひとたちはそこに住んで、生活してるんだぞー!? いや、余震あるかも、と私を気遣ってくれたのは嬉しかったが。でもって、もうひとつの受験先は九州だったのだが、この時はこの時で地下鉄サリン事件直後で、地下鉄駅構内が妙にピリピリしたムウドであった…)。
私にとっては気さくでおおらかで賑やかなひとが多い街。多分、そんなには間違った認識でもないと思う(そりゃ天然ふんわりな大阪人も居れば、冷静かつ淡々とした大阪出身者も居るだろう)。新大阪の駅に降り立って、小さな地図を見てホテルの場所を確認していたらタクシィの運転手のおじちゃんがするーっと近づいてきてくれて、「何処行くん? ああ、ココやったら…」と地図と大阪の街を指しながら行き方を教えてくれた。首都圏じゃあコレはないな、と思ってしまった…。東京でいきなり声かけられたら、多分私はキャッチか宗教だと思うだろう(はっはっは。すげえ偏見!)。

そんなわけで、勝手にほんのり恋心を抱いている大阪である。で。読みましたよ。……行きたい! 行って心ゆくまであの「濃さ」を堪能したい! 彼の地では何につけてもサアヴィス精神満点であることがこの本からもばんばん伝わってくる。
たかはしさん(with編集担当氏あーんどこげぱんs・笑。この担当氏、たこ・いかがアレルギィのせいで食べられないたかはしさんの代わりにたこ焼きを食いまくり、「もう当分たこ焼きは食べなくていい…」とまで言っていた。そこで大阪のヒトに質問。香川県民が一日に一度は必ず饂飩すするが如く、たこ焼きやお好み焼き、そのテの粉モンを一日に一回は食うもんでしょうか? あるいは、一週間で見るとどれくらいの頻度でお召し上がりに?? たこ焼きメーカー乃至たこ焼き用鉄板は必ず一家に一つですよね!?)が回ったあらゆる場所が楽しそうで、強行スケジュウルを立てた理由がありありとわかる。どこも見てみたいし、食べてみたいし楽しみたいよう、という気分にさせられるので困る困る(そういえば、関東以北出身者は、大阪で「大阪弁」を聞くと妙に感動するのはどうやら共通らしい。私も電車に詰まって周囲のひとたち全員が大阪弁乃至関西系の方言で会話しているのを聞いて「うわー! やっぱり関西弁ちうか大阪弁だ! ナマで聞いちゃった! ああ、ココ、大阪なんだー!」と思ってしまうのだ。たかはしさんもそうだったようで何だか親近感が増してしまった。……地元のひとからすると「失礼な!」と思うかもしれないけれど、TVを通した、とか、他の地で聞く、とかではない、生活に根ざした方言を聞くというのは、とてもとても新鮮なカンジがするのです。ホントに。それなりに聞き取れるし理解もできる、しかし自分はソコの native ではない、そういう気持ちが高まって「ああ、大阪来たんだわー(ある意味外国に行った気分に近い)」と高揚してしまう)。
どこも手軽な値段で楽しめる、のがやはりウリなんだろうか。¥30~50で美味しく食べられるパン、て凄すぎる……(このぶらり旅ではお約束、地元の美味しいパン屋を巡る企画、今回もこれでもかこれでもかと美味しそうなお店・パンが紹介されていて、地元の方などは「でしょー?」と思ったり「そこの○○を食べなくてどーする!」とか楽しくツッコミを入れられそう)。
「ソース二度づけ厳禁」の串カツも食べてみたい~♪(この「二度づけ厳禁」は懐かしの「恨ミシュラン」で、さいばらりえぞお先生が青木光恵ちゃんに「そないなひとの道に外れたことを~~!」と突っ込まれていたので知っている・笑)揚げたてをソースにつけて……あ、大阪って、ソースで食べたら美味しいモノ、多いなあ。焼きそばなんかも旨そうな気がする(冷食のそばめしでも私にとってそこそこ美味いってことは、地元のお店でつくりたて食ったら絶対美味いと思うし!)。
USJなんかのベタな所(しかし私個人はまだ行ったことがない↓)もレポってくれているので、想像力を膨らませつつ追体験をさせてもらう。「なんばグランド花月」も行ってみたいぞ!(舞台そのものも楽しみなんだが、地元のひとが楽しんでいる、客席の雰囲気にどっぷり浸りたいのだ)
ああ、たこ焼きのキィ・ホルダアとか可愛かったよなあ……(空港の売店でもよく見かけた。出来がイヨーに精巧で可愛い♪)。

翻って神戸は「港町・舶来・おしゃれ」というわっかりやすい私の中のイメエジを壊すことなく、大阪に比べると何となくしっとりとした落ち着いた街のようで、こちらはこちらで行ってみたい所(……「やじきた」でも行ってたところだし。ってまたヲタク根性が↓)。チョコレイト・洋菓子と言えば神戸! という思い込みがあるので(正直、それはどうなんだ、アリなのか!?)、……うああああおおう……たまらん!! 有名なビゴさんのパン屋さんにも行ってあれこれ試食したり、お店の雰囲気も抜群のパティスリィやカフェ・喫茶店も紹介されていて、チェックしまくりたい気持ちにかられる。日常にこんなに美味しかったり楽しかったり可愛かったりする店が溢れかえっているのか、大阪&神戸よ!(京都も、でしたが。京都はまた違う雰囲気だからなあ。他の地方に居るとすぐ何でも「関西」と一括りにしてしまいがちなんだけれど、本当に、その土地その土地で色々違うと思う。しみじみと)

私は東日本出身の割にさして知っているわけでもない関西(及び西日本)が好きなのだが(私の知人などは「大阪弁怖い、好きになれない」とか失礼なコトをヌカす。それを言ったらアンタの出身地の方言だってヨソサマからすれば「まくしたてるように早くて、叱られている気分になる怖い言語」だっつの!)、この本でますます行ってみたい気持ちと「何か好き~♪」という気持ちが強まってしまった。

そういえば、受験の時ほんの少しの間、ヨソから来た私を気遣ってくれた彼女は、どうしているのだろう?(たまたま早めに到着してキャンパス内をふらふらしていたら、やはり早めに来ていたのか、お互いベンチに座ってテキストを眺めたりしていた。何とはなしに声をかけて、試験までに時間を過ごし、終了後、私を少しばかり大阪の町に連れ出してくれた。「お互い合格して、また会えたらいいね」なんて言ったのに、私はそこの合格を蹴って九州に行ってしまった、んだよなあ。彼女はちゃんと合格して、多分そこを無事修了した、ハズ。住所交換とかしときゃよかったかしら、と今でもふと思う。忘れられないのは、電車に一緒に乗ってて、周囲は皆当然の如く関西系の方言なのだけれど、彼女は和歌山だか滋賀だかの出身で、「大阪のひとが『~しはる』とか使うんは何か許されへんわ。あんなん○○とか××(この辺りの地名はすでに判然としない)とかで使う言い方やのに」とか言ってたこと。やはりあるのか、方言にかけるプライドというものが! ←私の地元にもある。ちょっとだけ離れた地域で自分たちと同じような言い方してると「あーん? アンタらの使用語彙じゃねえだろ! いっぱしのツラして言ってんじゃねー!!」と機嫌を悪くする輩が居る。←あ、おふくろ? オレ。オレだよ、オレオレ)

京都、大阪、神戸――退屈してる暇なんてカケラもなさそうな三つの都市を、これでもか、と満喫してその楽しさを伝えてくれたたかはしさんに感謝しなくては♪(巻末のお約束・4コマまんがが「映画篇」だったのはきっとUSJのせいだろうなあ……ふふふ)
Paper×paper―uiの紙工作
中林 うい
4579209478

今度は大人向け(?)紙工作本。その辺にある材料で、ちょっとの手間とアイディアとでこんなに色々楽しめるよ、というヤツ。もっとも手先が不器用な私には純粋に楽しめる訳もないのだが(私が子供向け工作モノ好きなのって、実はそこに理由があるのでは、と今気づいた……。きる・はる・ちぎる・ぬる・おる……うん、私にも出来るね、ははは↓)。

例によって例の如く、作品集にしてアイディア集なヴィジュアル満点の本で、見るだけでもわくわくする。最初から掲載されているレヴェルに挑戦できないなら、自分で試しに出来そうなところからトライしてみる、という手もアリだし、日常に根ざした(でも遊び心からつくる)モノがほとんどなので、ある意味活用度も高い。型紙もちゃんとついていて、実際同じものをつくりたいひとは、それを指定された大きさに拡大コピィしてつくることだってできる。

……型紙ね。つけてくれるのは嬉しい。でも、「本」をツールとしてしか見なさないひとにとっては有効だけれど、いい状態を保つことにこだわる私のよーな無駄に神経質な人間(場合によっては「書痴」と呼ばれる人間のことだ)には、どうにも困ってしまうつくりをしている。手芸関係の本は大抵そうなんだけど。

別冊で、型紙集をつけてくれよ。

そう思うのだ。わっきり開いてコピィ取ったら、「本」としての(そして自分にとってのみ)あらまほしき状態が保てないではないか。私は本の背に折れ目が入るのを好まない。中綴じの本ならば別だけれど、平綴じの本となるとノドの部分まで絵だの図だの入っていたら、コピィ取るのだってラクじゃない。服は実物大の型紙を巻末なんかにつけてくれたりするけれど、こういうちまちまっとしたモノの場合は大抵作り方と一緒に型紙も掲載してくれちゃうし。

そもそもこの本、少々アクロバティックなつくりで、見開きで完成図と型紙&作り方が掲載されているペエジもあったりするのと同時に、本の真ん中からちょっと過ぎた辺りにまとめてどん! と型紙と作り方を掲載したペエジが存在していているのだ(まあレシピ本なんかにありがちな構成ではあるのだけれど)。その後、また作品例・完成形の写真が掲載されている。それを見るにつけ、どうにも「別冊で挟み込みにしてくれ!」という気分にさせられてしまう。つくる上での工程と完成品が並んでいると仕組みというか出来る過程がなんとなく分かり易くなっていいな、と思う反面、何だか学習雑誌の一コオナア(「○○をつくってみよう!」みたいな企画モノペエジみたいなカンジ)みたいになっちゃうから、今の状態がまるっきりイヤ! という訳ではないんだけど。まあ本当は、誰でも「まずやってみよう」の精神でどうにかなるものなんだけど、どういうものから、どんなデザインからやってみたらいいだろうかと悩んでしまう「やってみたいという意欲はあっても独創性・発想力がやや弱い」ひとのために型紙やそのまま使えるデザイン例が掲載されている、んだろうけど。でも、それならなおさら別冊にして~と思っちゃう。

結局、本を劣化させるのも忍びなく、今は「作品集」として楽しむことにしている。もっとも、そのうち少しばかりアイディアを頂戴して、何かにアレンヂして楽しめないかな、とほくそ笑んでいる。

サブタイの「できるかよ!」の元ネタはもちろん「できるかな」から。これは「本を劣化させるような真似が出来るかよ!」が9割で、残り1割は「不器用な私に出来るかよ!」という僻み(笑)。

人形霊
小島 由記子
4812422353

誕生日の翌日に意気揚々出かけて観てきた映画がコレだ。記念すべき、「トシ食ってから観た映画第1弾」。何か、素敵やん?(壊)画像は原作乃至ノヴェライズ作品の文庫です。

タイトルの「人形霊」、日本に於ける惹句「捨てないで」で、話の流れというかあらすじのようなものが掴めなくもない物語。枝葉末節一切省いて言うなら、人形が人間に復讐しようとするハナシ。

館モノミステリ+ややスプラッタ・ホラー+哀切感、といったカンジ。ちょっとだけ「箪笥」を思い出させる(「箪笥」も隔離された環境の中で展開するホラー「風味」の物語であった)。
山がちな、ある辺鄙な場所にある美術館に集まる5人の男女。そこでは人形師と館長と、――美しく精巧でどこかしら禍々しさを感じさせる人形たちが待ち受けていた。偶然集ったはずの男女には、奇妙な共通点があった。そして惨劇が幕を開ける……。

互いの素性や経歴等を知らない男女がある館に集う、という辺りはミステリの定番(?)「館モノ」を想起させる(というよりも、そもそもそういう仕立てなのだろう)。人里離れ、山がちなために携帯は常に圏外(やはり「館モノ」というのは「陸の孤島状態」にさせられるのだな…)。各自自家用車等でその場所まで来てはいるものの、ほぼ孤立した状態となっている。集った彼ら、待ち受けていた彼らは、この館(とその周辺)からほぼ出ることはない。ミステリ要素も相俟って出だしからわくわくさせてくれる。おまけに、しょっぱなから人形はいつの間にか背後に忍び寄り、動き、瞳をギラつかせてくれるのだ。「箪笥」はホラー「風味」なだけであったが、こちらはその点真っ当に「ホラー」と呼べる展開にして雰囲気である。
何しろ、「人形」が主役でもある物語。館は至るところに精巧な球体関節人形がインテリアの一部としてもあしらわれ、美しいと言えば美しいのだが、かなり不気味でもある。「人形」に何かしらの恐怖心を抱くひとは言わずもがな、観ないのが賢明である。

時折現れる謎の少女・ミナが、愛らしい。大きな瞳を潤ませ、じっと見つめる様には美しさと切なさが漂う。白いブラウス、赤いワンピース。少しのあどけなさと、それ故に漂う妖艶さ。彼女の存在がもっとも哀しく痛ましさすら感じさせた。この少女を演じた女優が、デビュウ当時ほとんどプロフィールを明かされなかったため、かの国では「神秘の少女」などと呼ばれているそうである。まっすぐな黒髪、大きな瞳、やや官能的な唇、なかなかの美少女。彼女が作品のキィの一部を担っている。

小さな伏線が後々になってからちゃんと活かされていて、そういう意味でもミステリ的な要素が楽しめる。それでいて極端には入り組んではいないので、分かり易い(複雑ならいいというものでもないし、複雑故に楽しめる場合もあるけれど、今回の物語に関しては、その匙加減がちょうどよかった、ように私は思う)。メインで活躍するヘミはハリウッド映画にありがちな「追いつめられつつも最後まで諦めずに応戦する」女性で、恐怖と不安に襲われながらも必死で抵抗するくだりはサスペンス・スリラーモノの王道でもある。
また、怖ろしいはずの存在がそうならざるを得ない理由を観た時に、何とも言えない悲哀を誘って、泣けた。無償の愛を注がれたがために魂を持ち、それ故に注いでくれた相手を憎んでしまう。けれど憎みきれない。どこまでも自分を拒む存在を、消してしまえない。そして、その強い「愛情」は最後の最後まで本当の意味では受け止めてほしい相手には受け止められることなく散ってゆく。報われる、ということがない。それでいて、もう恨むという感情もないのだ。どこまでも憎み呪い続けることができれば、返って楽だっただろうに。

興味深かったのは、やっぱり儒教の国なんだねえ、という点だろうか。「身は親の遺体(なきがら)」(五経の一、『礼記』より。ちょっとー! ATOKってば「らいき」では変換できないわ。「礼記」くらい変換しろ!)と言うのがよーくわかる物語でもあったので。いやはや。やはりこういう所に平生の哲学というか宗教観とゆーものが出るのかのう、としみじみ思った。あと、字幕では(観客に分かり易いように)固有名詞で呼んでいるように表記してあるけれど、集った男女の中のもっとも年下の女の子・ソニョンが、年上の彫刻家・ヘミを呼ぶ時は必ず「オンニ(お姉さん)」と呼んでいるし(韓国では女性から見て相手が年長者の場合、「お兄さん(オッパ)」「お姉さん」あるいは名前をつけて「○○お姉さん」などと呼ぶのが通例〈…だよね? 韓国語、詳しくないので自信はナイ〉。とりあえずまず相手の年齢を確認するのもお約束らしいし。そう言えばBoAちゃんも「SHINHWA(シンファ/神話)」メンバアたちに話しかける時は「お兄さんたちは…」とか言ってたなあ。芸能界で先輩格というだけでなく、実年齢上も年長だったものねえ)、逆に年長のカメラマン・ホンを敢えて「おじさん」呼ばわりするとホンが抵抗感を示したり、と長幼の序が根づいてるのと同時に、それを何とも思わない(もしくはわかった上でそれを殊更重要視しない…まあ冗談のレヴェルくらいで、相手を選んでのことだろうし、フツウはやはり気を遣って生活をしているのだろうけれど)世代(あるいは個人)も居ることが伺える。自国以外の映画は、こういう小さい発見や再認識が生まれるのが楽しい(いや、邦画でも十分、自分の国のあれこれを再認識させられるけど)。

愛情故の怨念と、それから逃れることの出来なかった哀しい存在が引き起こす惨劇。
いちばん最後のシーン、それこそがこの物語の発端のひとつ。鮮やかな色彩を以て演出されたために、返ってやるせなく美しいが故に物悲しい。

「私のこと、憶えていないの?」

黒髪に白いブラウス、赤いワンピースの少女のことを、問われた女は憶えていなかった。彼女にとっては刹那的な愛情でしかなかった。死んでもいなければ生きてもいない存在であるが故に、少女には永遠のものだったのに。

モノには時として魂が宿るのだと言う。忌避したいと願いながらも、そうであって欲しいともまた同時に願っているのは実はヒト自身なのだろう。

問われた女の腕に残る消せない傷跡。それは「愛」の証だったのに。それ故に信じていたのに。
無償のもののはずなのに、わずかでいい、見返りが欲しい。そう思うのがヒトの性なのだとすれば、「アレ」はやはり「モノ」ではないのだろう。妄執に我を忘れて憎悪に身を任せてしまえなかった「アレ」は。
憶えていて欲しかっただけ。忘れないでいて欲しかっただけ。一緒に居たかっただけ――捨てないで欲しかった、だけ。

「願い」とはいつも勝手なものだ。故に叶うも叶わないもまた曖昧である。だからこそ、この物語はどこまでも哀しい。

80分とちょっと、ということでさほどダレることもなく、展開も早いので飽きることはないかと。謎めいた雰囲気や美術の美しさ、禍々しさも映像と物語に花を添えている。気晴らしに観るもよし、真剣に観るもよし。アホみたいに怖いのじゃないと、というひと以外なら楽しめるのではないかと思います。

DVDも発売になりました。ミナ役の彼女が好きなヒトとか球体関節人形が好きなひとなんかは繰り返し観ても楽しいかもしれない。
人形霊
イム・ウンギョン チョン・ヨンギ キム・ユミ
B000BQ5L34

ブランチ。夕食。ケエキ。そして、――トシ。ああ、とうとうまたひとつ食ってしまった。もぐもぐ。
「成長」のない加齢など単なる「老化」の一側面ではないか、などと考えるとヘコむので考えないことにする……。

さっそくお祝いのメエルをくれた○○○ちゃん、ありがとうVv 嬉しいです。でもって、今日お会いした時もわざわざお祝いのことばを……。ありがとう~~次の誕生日覚えてろよー(何故脅す)。

eカアド送って下さった○○ー○○○サマ、いつもありがとうございます。同じ今月は21日にお誕生日で、私からのカアドも見て頂けたようでほっとしています。最近連絡が途絶えていたので心配だったのですが、お元気でしょうか? どうか御自愛下さいね。

ぱんだちゃんからは携帯にメッセエジ頂いた。ありがとう~~。憶えていてくれるだけで嬉しいです。

でもって、母からは乙女なカゴバッグを頂戴する。ありがとう、サマア・クリアランス・セール!(笑。そんな値段ぶんどるの!? と思ってたら半額くらいになってた。よかったー)
20050724230640.jpg写メだと大きさがわからないのだけれど、コレが結構デカい。私の場合、そもそも外出時の荷物が多いのだが、その理由の半分は「財布」のせいだったりする。その財布もまた昔「無印」でクリアランスで購入したものなのだが、見た目ほぼCDホルダー(24枚入仕様)。デカいおかげで容量がたっぷり、カアド類入れるポケット充実、加えてあれこれと機能的なつくりなので、コレに慣れたら通常よくあるサイズのものが使えなくなってしまった↓ そもそもは海外に行く時に、円とドルの両方を効率よく持てるように、とか思って買ったものだったんだけど。これひとつで(ショルダー用ストラップもついているので)ポシェットのように持ち歩けるくらい。……なので、あまり華奢なのは持てないのだ。容量そこそこありそうなので、買い物にも役立ってくれそう♪ あえてボーイッシュ(?)な格好にコレ+クラシカルなパラソル、とか合わせるのもいいなあ、などと妄想しつつ(持つ人間が可愛くない、という事実はこの際全部すべてまるっとどこまでも無視)。ありがとう、母! 大事にするナリ。

でもって、ケエキなども買ってくれた。「イ○トマ」にて調達。チーズ・ケエキと、タルト生地にカスタアド・プディング入りのケエキ+クリィムのデコレイションたっぷり、のケエキ(名前失念↓)を選ぶ。「南海キャンディーズ」のしずちゃんのよーにばくばく食ってみたいところなのだが、油甘物@さいばらりえぞおセンセイはよー食わん↓ とか言いつつ、昔より食えるようになってしまったが。トシ取ると味覚も変わるって言うしー(←言い訳)。
20050724231019.jpg……密接したケエキを真上から取る馬鹿は私……。何が何やらさっぱりわからん画像ではないか↓ いいの、美味しかったし、味わったから(自己満足)。

すでに素直に諸手上げて喜べるトシでもなくなったけれど、やはり祝って頂けるのは有り難いです。ありがとう、皆々様。
とりあえず、誕生日覚えてろよ(だから何故脅す?)。
避暑地の猫
宮本 輝
4061841831

私がこの物語を知ったのはTVドラマからだった。それを見てからこの文庫を手に入れた。
当時人気のあったアイドルの高橋良明くんが主人公にして語り手である男性の少年時代を演じていた(それまでの彼は明るくて元気な好青年的役が多かったのだけれど、このドラマではどことなく陰のある、寡黙な少年の役だった。若いひとはもう彼の存在そのものを知らない、んだろうなあ…。まだまだこれから、という時に若くして事故で他界してしまった。16歳、まさに夭折〈若くして亡くなるとよく「夭折」ということばを使うけれど、「夭折」と言ったら10代くらいで亡くなる時によく使ったもので、20代で亡くなったくらいでは使わなかったらしい。まあ、20代でも十分に「死ぬには若い」んだけれど〉。今でも彼を惜しむひとは少なくない模様)。どういう枠でどういう企画でそうなったかはよくわからないけれど、全4回、という雑誌なんかで言うところの短期集中連載みたいに始まって終わったドラマであった。
TV版のほうが結構ドロドロした、少々どぎつい内容・描写だったので、原作を読んで肩透かしを喰らったような気分になったことを今でも憶えている(それだけ文章に品があった、ということだろうか)。わかりやすく言うと、エロい出来だったのです、ドラマは。で、文字通りすけべ根性出して原作に手を出した訳で(笑)。

軽井沢の持つ緑に包まれた静謐さ(同時に観光地化もしているので猥雑でもあるのだが、そういった「現実」からは隔離されているかに見える)と、淡々とした筆致。別荘の主夫妻と、その別荘の管理人一家との間に横たわる、明かすべからざる「秘密」……。
断片的にはドラマも憶えているのだけど、私にとってこのドラマはEDに使われた歌がすべてであったかもしれない。前奏から鮮烈で脳裏に焼き付き、麻薬のように惹きつけられて、終いには耳から離れないのだ。

錦城薫(きんじょう・かおる)。沖縄出身(やはりかの地のひとたちは歌が巧く声が美しい方が多いのだろうか)、私の記憶では声楽をやっていらした方で、澄んだ伸びやかな声が大変美しい(歌う、ということに「容姿」は本来関係ないけれど、とても美しい方でもある)。彼女が歌った「赤い華」という曲、これが印象的で、一度聴いただけで気に入ってしまい、まだ「レコード・ショップ」でLPとCDが同時に発売されていた頃、必死になって探し出してシングルCDを購入した(よくこの田舎町の小さな店であったものだ、と吃驚した・笑)。この曲がなかったら、多分あのドラマもそれほど熱心に観ていなかったかもしれない。アルバム2枚出して、すう、と消えてしまった(一節によると新興宗教にのめり込んだのが理由とか何とか…)。
「赤い華」はどことなく異国情緒が漂うメロディ・ラインで、切なさと狂おしい情念のようなものが感じられ、打楽器の力強さと彼女の繊細な歌声とが見事にマッチしていて、「残る」曲である。脳裏に。耳の奥に。
ちなみに、タイトルが指す「赤い華」とはどうやら彼岸花。美しいけれどどこか禍々しいこの花は、さもありなんというべきか、毒を持っている(歌詞の中に「GONSHAN(ごんしゃん)」というコトバが何度も登場するのだが、それは北原白秋の詩「曼珠沙華」に出てくるコトバで、そもそもは良家の長女、大雑把には「お嬢さん」を示す方言らしい。曼珠沙華はイコオル彼岸花、ですね。「ごんしゃん」で検索をかけると色々面白いエピソオドが読めるのでお暇な方はどうぞ)。
背徳や人間の持つ「悪」という側面、淫靡さと醜さ、それらと対極にあるものとが綯い交ぜになったドラマに、奇妙なほど合っていた。
シングルとほぼ同時にアルバムが出されたのだが、当時はコドモであったが故に買えなかった。おまけに、そのアルバム、何と「NEC」の音楽部門から出されているのだ。……NECが音楽業界に参入していたとは知らなんだ(でもって、すでに撤退している、んじゃないか?)。今では Amazon で検索をかけても検出できないときている。
「アヴェーナ(Avena)」――花言葉で、「私はあなたの音楽を愛します」の意、とのこと。それがタイトル。数日前、友人の協力を得て十数年ぶりで入手することができた(ありがとう!)。
20050725034651.jpg

日本的かと思うと、ふ、と日本ではない国の音楽が混じっており、いずれも彼女の声がなめらかに響く。実は2枚目のアルバム(「S―ES―」)は中古でどうにか見つけて持っているのだけれど、1枚目とは趣がガラリと変わっていて、正直「……」な出来だった(1枚目を聴いてもいないのに、方向性が変わったことだけは正確に嗅ぎ取った私)。ようやく1stアルバムを全編通して聴くことが叶った訳だけれど、……やはり良かった。どの曲もいい。
でもやっぱりいちばん聴き込んでしまうのは「赤い華」。シングルCDだって持ってるのに。

この初期の路線で行ってたら、もっと長く彼女の歌を聴けたように思う。どうして急に変わっちゃったんだろう。残念……。

  ごめんね 遠い瞳をして
  次の風を 待つあなたを
  このまま 闇に落として
  二度と帰さない

彼岸花のように紅い唇で、そっと囁かれたら、もう二度と帰れなくてもいいような気になる――多分。

こどもといっしょに食パン料理の本
ユキ ウィルソン Yuki Wilson
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またしても「子供」絡み。でもって「料理のレシピ本」。買う時の基準のすべてがそこにあるわけではないんだけれど。あと、ヴィジュアル要素重視してるので、「見て」楽しい本であることも気に入るかどうかの条件。
「ピエブックス」が出す本はデザインでまず期待させられ誘われてしまうので、その時点で半ば「欲しい」気持ちは固まってしまっている。

さて。実際の中身はと言えば、コラアジュっぽいイラストあり、写真あり、ちょっとした文章も添えられた、それこそ子供と一緒に気軽に楽しめそうなものだった。買って正解、かな、自分としては。
食パンをいかに楽しんで食べるか、というレシピ本ならすでにたかはしみきさん(「こげぱん」の生みの親であるイラストレエタア)の「まいにちトースト」
まいにちトースト
を持ってはいるのだけれど、描き手(つくり手)が違えば視点もまた違ってくるかと思うので、その「違い」を楽しみに。
この「こどもといっしょに…」では、パンにつけて食べるためのジャムを手作りしよう、ということでそのレシピを掲載したり、それを楽しんでいる子供たちの写真などがたくさんあって、楽しそうな雰囲気が溢れているところがいい。写真集感覚、だなあ。この「雰囲気」もあるとないとじゃ大違いで、かつて買ったとあるレシピ&パーティ・アイディア集は驚く程その「雰囲気」が漂ってこないもので、ひとり首を傾げ続けていた。
12ケ月のハッピーテーブル―みんなが来る日のとっておきメニュー
すずき 尋己
4072351636

ヴィジュアル要素満点だし、メニュの種類も豊富、パーティの飾り付けのアイディアだとか盛りだくさんで、ツボなハズなのに、本当に不思議なほどするするとココロを素通りしていくのだ(ちなみに、あまぞんではとても評価が高い)。写真は楽しそうで賑やかだし、「12ヶ月」ということであれこれ季節感を醸し出す工夫なんかもされていて、見ている私の気分がガーッと高揚しそうなものなんだけど、何故か「あれ? あれ??」と疑問符ばかり。思うに、せっかくのパーティ・アイディアの本なのに、ヴィジュアルも満点なのに、それを実際どう楽しんだか、があまり私には伝わってこなかったから、だと思う。何というか、自分が楽しむために実際やったものを披露する、というより、企画があるのでそれに合わせてセッティングしたのを公開・撮影しました、というカンジに見えてしまうのだ(実際、その写真はテエブルの上の料理であり飾り付けられた屋内・室内であり、料理のアップであって、それをつくったり楽しんだりしたひとの姿はあまり見られない、のだ)。あと、料理がやや上級者向けで、レシピも文章のみ、つくる工程はさほど目で見てわかる書き方ではない、というのも大きいかも知れない。でもそんな本は山とあるのに、どうしてかこの本は物足りなさばかりが残ってしまった。
イラストで楽しませてくれるものであれば、それはそれでさほど気にならなかったかもしれない。それそのものが楽しい存在となるから。

とりあえず、この「食パン」レシピ本は楽しめました。続編(?)「こどもといっしょに牛乳料理の本」もすでに注文済み♪ 

でもホントにレシピは増えるけどつくらないよな、私……。
20050723214426.jpg……まさに「箱入り娘」。そんなん言うてる場合ちゃう! 増え過ぎ! 増殖し過ぎ! それ以前に買い過ぎ↓ 顔のニュウ・ヴァージョン(まさにニュウ・フェイスだな)で気に入ったのとか、服が可愛いとか、そんな理由でついつい買ってしまい、とうとう今まで収めてきた箱には入りきらないほどになってしまった(涙。実はよーく見るとほんの少し余裕があるので「隙間無く」ではないのだが、それはディスプレイしている3体がまだあるせい……)。画像が小さいのでわかりづらいけど、コレ、箱に収まった十数体もの「Pinky」たち。頭、圧倒的に焦げ茶(一応黒髪、かな)が多いなあ。茶髪率低い。やはり好みが反映されてしまうものなのねー……。

急遽箱を買い足して、そちらにバッグとかの小物類、頭(というか髪の毛)のパーツ、キャスケット(着せ替えアイテムとして存在してるんだけど、キャスケット被せたい、と思ったら前髪のパーツをハズして被せないといけないので、余るパーツが出てくる)、台座(主にキャラものについてくる。でもどうやら商品化されるらしい。単体では直立させにくいポオズのものとか、バランスが取りづらいコも居るのであると助かるアイテムではある)なんかを入れたけど、……それでも余る。箱の中のスペエスが、だったらいいけど、余るのはフィギュアの方……ううう↓ もうどうやって収納していいかわからん! そりゃパーツごとにオークションに出品されて、落札するひとも出てくる訳だよ……(「Pinky」はフィギュア1体+上半身パーツ(トップス)下半身パーツ(ボトムス)にちょっとした小物やおまけがついてブリスタに入って販売されている、のが基本形なんだけど、私みたいに「あ、このヘアスタイルの持ってないから買おう」とか「お、この顔可愛い♪」とか言ってほいほい買ってたらキリがないし増える一方。
中には「うーん……服だけ欲しいんだよな」とか「このスカアトだけ! 欲しい!」とか「キャスケットが!」とか「前髪パーツのの分けてないヤツが欲しい」「スカジャンのカスタマイズしたいからスカジャンが欲しいな(オリジナルも所有していたいし、自分だけのデザインも欲しいとなると、同じパーツを入手するしかないわけで)」とか、そういうひとたちがやはり確実に居て、それがわかってる同好の士(あるいはある意味転売ヤー)が自分にとってはさほど必要ないパーツを出品し、需要と供給が成り立っている。
それによって、そのパーツのみが欲しいひとはあえてブリスタ入りの新品を購入せずに比較的安価に欲しい部分だけを手に入れることができる、と。そうしたら、自分の好みの顔ひとつならひとつ、あるいは数種あればいいひとたちにとっては「不必要に」増えることはないし、収納も割とラクになる。あるいは欲しいパーツのためだけに新品で購入し、自分にとって必要ないパーツは欲しいかも知れない誰かに譲ってしまうことですっきりさっぱり。
……ああああああ、私には出来ないわ、ソレ……。いや、場合によってはパーツだけ欲しい時なんかはもちろんあるんだけど(赤いダッフル・コオトが欲しい! とかね)。でも、自分が持ってるのを手放す、てのが出来ない~~(涙)。そりゃ溜まるだろ。
そして。溜まりに溜まっているのに、まだ買う予定がばしばし入っている自分がニクイ。
P:キャラ THE KING OF FIGHTERS 不知火舞 & 麻宮アテナ
B0009HBI2S

……コレですでに2体は増える。さらに。
P:キャラ ストリートファイター 春麗 & さくら
B0009HBI32

コレでもう2体増える。このラインナップは「Pキャラ」と称して、版権モノのキャラを「Pinky」化したもの。「Pinky:cos」(※)と違って、一応キャラそのもののファッションなので、既存の(自分が所有しているキャラたちの)ファッションとどう組み合わせたもんか悩む悩む。でも買うんだな、私よ。すでに予約入れてあるしな……(人生の負け組)。

※「Pinky:cos」
ピンキーストリート エヴァピンキー PC-001
B0007U92OS

コレ↑に限って言えば、版権モノのキャラのお約束コスチュウムをアレンヂしたコスプレ感覚の「Pinky」、というカンジ。通常の「Pinky」は日常に根ざしたストリート系ファッションなんだけど、このラインのは少々非日常的な格好のもの。だから「cos」とつくんですね。この「EVA」Pinkyはほどよくアレンヂされていて、可愛い仕上がりになってて好き。ほかのアイテムと組み合わせても極端な違和感はないし。ただ、やはり「コスプレちっくなファッションを好むキャラなオンナノコ」に見える訳だが↓)


で、今後もがんがん出ちゃうのはわかってるし、できるだけ欲しいのは絞って、買い控えしなくちゃね、と思ってたら新たな情報が。
ただの一度も読んだことがない、でも大人気なまんが「フルーツバスケット」のヒロイン「透」の「Pinky」が全サで登場する、らしいのだ。まんがは読んだことないし(ただ、あまりに有名なので、あらすじくらいは知っている)、正直好きとかそういう感情すらないんだけど、ただもう「Pinky」であるが故に欲しい。前髪ストレエトぱつん、でストレエトのロング・ヘア(しかも黒/焦げ茶)で、おそらく制服姿+αであろう。欲しい。欲しいぞ。そういう訳で、私は買ったこともない雑誌「花とゆめ」まで買わなくてはならんのであった。ちなみに、「花とゆめ」18号・19号+「ザ花とゆめ」8月26日号連動企画らしい(いや、何しろ情報の入手先は白泉社の無料配布情報誌「COMICATE」のみなので「らしい」としか言えないんだけど。ええ、本誌まだまったく目を通しておりません↓ それ以前に、「白泉社」の公式サイトでその情報を見つけられないと来てるよ……まあ、まだ無いだけかもしれないけど)。ああ、また想定の範囲外の出費が!(私にはホリ○モンのよーに計画性も先を見通すチカラもありませんので常に「想定の範囲外」ですとも)

「モー娘。」より増殖率高いよ(泣)。リペイント版も出るし。シャッフルしたみたいに、「アミューズメントPinky」(顔等のラインナップ、ボディのパーツもは決して新作ではない、言うなればリペイント版。ゲーセンのプライズ商品)なんかも出ちゃうし。ああ、増える増える増える……。

おかねもこれくらいの勢いで増えると嬉しいです(馬鹿文章)。増えるぴんきー、減る貯蓄。世の女性たちがコスメに、あるいはファッショにバッグにアクセサリィにゼニ費やしてる時に何をしとるんかと。

カネもそうですが、人生、というものの費やし方を根本から間違って(以下略)。
あそびのおうさま・スペシャル 1―きってパッ!ぬってピッ!たのしいなプッ! (1)
編集部
4056040354

漢字で「王の帰還」にするとまさにベツモノのソチラになってしまうので、ひらがな。だけど、タイトルは「おうのきかん」なのだ。帰ってきたのです、「あそびのおうさま」が!(ひとり盛り上がる私~♪)

今でこそひとつのコトに主眼を置いて編集された、遊びのワアクブックとして書店に並んでいる「あそびのおうさま」シリィズ、元々は様々なアクティヴィティを掲載した冊子だったのだ。シール遊び、切って遊ぶ、千切って遊ぶ、貼って遊ぶ、塗って遊ぶ、描いて遊ぶえとせとら。何でもアリだったのが、1冊ワン・テエマ(?)になって、しかも一応は常に手に入る状態のものとして出されていた。それが、ある意味元の状態に戻った、のが今回の「あそびのおうさま・スペシャル」。最近「お母さん」になったひとたちでは、その当時注目してなかったか、その存在そのものを知らないかで御存じないのでしょう。ふはははは、子供も居ないのにこの本が大好きだったのだよ、私は!(おまけに、アンケエトはがき出して、編集者側も子供が居る保護者対象を前提につくったであろうそれに答え、正直に「子供は居ない、だがこういうコンセプトの本が好きなので買った、ひじょうに楽しいし可愛らしい出来で、自分が幼少の頃にあったらどれほど嬉しかったことだろう」みたいなことを書いて、ある号のプレゼントを頂戴したことがある。どんだけファンなんだよ↓)
こういう風に「復活」してくれて私は嬉しい限り♪ 中身はグレエド・アップしてましたが(何度も遊べるように、という配慮からか、アクティヴィティに使うカアドが、かなり厚い紙でつくられていて感心した)。パソコンのゲエムだのも悪かないけど、こういう紙・筆記用具、である意味どこに居ても遊べるもの、手を使って頭を使って遊べるもの、が廃れないでいてくれるのはいいことだと思う。

子供は居ないし、これからも私の人生に存在することはないだろうけれど、コレは手元に置いておく。何でも今後3ヶ月に一度発行してゆく予定らしい。ええ、毎号買いますとも。
快感〓フレーズ (1)
新條 まゆ
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むか~~~~しの「少女コミック」はいい作家さん揃ってて、面白い雑誌だった。「だった」、だよ、「だった」。今は東京都の条例に果敢に挑戦状叩きつけるが如く、下品なエロ満載の雑誌に成り下がっていて、その事実を知った時は少しショックだった。いや、元々えっち系には寛容な雑誌でもあったんだけど。でも、下品だったことはなかったし、面白く読めたものも多かったし、そういうカラーの作品もそりゃあるか、くらいの認識で。今はもう見る影もなくどーしよーもないのばっかり掲載されているのね…。今は私が知ってる作家さんなんてただのひとりも居ない(姉妹誌や傾向の違う雑誌に移動してより劣化したものを描いてるか、あくまでも自分のスタンスを崩さずに描ける環境にあるかのどっちか)。

で。「快感フレーズ」。アニメ化された時、うっかり深夜に観ちゃったのだ。いや、もう、大変だった。笑い堪えるのに必死で(笑)。2時過ぎとかに大爆笑しそうになったから、口元にタオルケットとか押し当てて、必死で声を殺して笑い転げてしまった。だってなー。
原作では恋愛色が強いんだけど、アニメではバンドのサクセス・ストーリィ的にまとめてあったので比較的観られる作品になっていた、らしい。何しろ私が観たのはその1回ともう1回分くらいなのでよく知らないのだ↓
真夜中私を爆笑の渦に叩き込んだのは、主人公(本当はヒロイン・愛音なんだが、もうアニメでは交際があることになっている咲也〈コイツがバンドの Vo.〉という男と彼が所属するバンドの物語がメインになっていた)が、歌番組でインタビュウを受けていたシーン。
咲也つーキャラは、日本人で黒髪なんだけど実はハーフだから瞳が青い、という設定。日本人と欧米人とのハーフなら黒髪で目が青に、というのはナシだしょ、ということで読者から質問(ツッコミ)があった時、作者は何と「突然変異なんです」という回答を出した。コレでも十分スゴイんだが。
アニメにて、
「咲也さんはどうして目が青いんですか?(そのあと「カラコンじゃないよね」とか、そういう「尋ねる理由」みたいな台詞もあった気がする)」
と尋ねられて、まさか原作者同様「突然変異なもんで」とも答えられず、こうボソリとつぶやく。

「青い海を見過ぎたせいだろ……」(ちょっとうろ覚え)

やめてくれ。腹筋がよじれる!! そのほかにも思わず自分の部屋に手頃な鈍器はないものかと捜したくなるような台詞を何度も聴き、「いやあ、最近『少コミ』読んでなかったけど、そういや情報誌にちょこっと触れてる記事があって、人気あるらしいって思ったっけ」とかなんとか思っていた。それから数年後、どうも原作はものすごい電波っぷりを御披露してくれている、という話をさらに聞き、勢い余った私はつい新古書店に走って全巻購入したのだった。

「……あれ? 思ってたほど『どうしようもない』訳でもないじゃん」。

それが感想だった。いや、御都合主義的なところも山程あったし、無理あるよ、それ、なエピソオドも散見されたし(それ、必要十分条件じゃないか、小馬鹿にされる)、ああ、ホントはもっと短期間で終わるハズがうっかり人気出ちゃって延長延長になったのね、その割には頑張ってるじゃないか、と思ったくらいだった。それくらい私は「少女コミック」という雑誌を小馬鹿にしていた、訳だけれど。「ま、この雑誌の今のレヴェルならこんなもんでしょ」と。
それに、決して上手くはないんだけど、絵に華があったし、「ああ、今の中学生なんかはこういうの好きかもね」と思えたし。荒唐無稽さはまんがの特権、とも思ってたし。

しかし。このあとがよろしくない。次作の「悪魔なエロス」で、ファンタシィ色の強い作品を描くものの不発。タイトルに「エロス」と入れただけあって、「エロ描きまっせ」な意欲満々なのはわかった。しかし、そのあとの「覇王愛人」にてクリティカル・ヒットをぶちかます。もう鈍器捜すどころのハナシじゃない。ロケット・ランチャー調達したい気分になる素晴らしさ。
どこまでもあり得ない香港を舞台に、律儀に高校に通うマフィアの少年と、偶然出会った日本人の少女が恋に落ちる(ということにしたいらしい…)というまんがにしても程があるやろ、なGENKAITOPPAモノをお描きになり、またしても爆笑の渦と、それまでさほど感じなかった多大な不快感へと導いてくれたのだった。

同じハナシしか描けないらしい、とよくわかった。しかも、どんどん劣化していくのがわかる。「好きだから」「離したくないから」とレイプする、つーのは……いかがなものか。しかもそれでカップル成立、というのはさらにどーよ、である。おまけに無駄に巨乳でロリ顔のヒロイン(この作品に至るまでに絵が劣化してしまい、それまで「デッサンの狂いとかはあるけれども少なくとも少女まんがにあらまほしき『華』はあった」絵が男性向けの18禁ゲエムなノリの絵になってしまい、野郎キャラのツラまで艶がなくなってしまった)に周囲の野郎どもが砂糖に群がるありんこの如く惹かれてゆくのも「快フレ」とまったく同じ展開(ああ、でも、愛音は別にロリ顔ではなかったか)。
それでも、「快フレ」ではヒロインがレイプされる(この辺りからヒロインはレイプされる・あるいはレイプされかけるのがお約束になっている)のだが、そのために自暴自棄になり、またそれを救えなかったとヒーローが自分を責めるくらいの「良心」があった。しかーし。「覇王」ではヒロインはもう奴隷扱いもいいところ。しかも高校生まひあの部下にまで身体許す(?)し。でもって、何故か「AVかなんかの見過ぎか?」と尋ねたくなるくらいヒロインスカアトのみで、とかブラを上に押し上げて、とか、そんなのばっかり。……うおああああう……キモチワルイ↓

キャラもいつも同じ。というか、作者の好みか単に描き分ける、ということが出来ないひとなのか、メインの野郎のキャラ、ツラから性格から皆同じ。「クローンの復習(誤字ではない)」かとツッコミ入れたくなるほど同じ。クール(多分作者はそのつもり)で強引でキザで自信満々で自分勝手。さらには黒髪・短髪が基本で顔立ちは皆同じ。まさにクローン。SFか!?

最高最低最悪だったのは読み切り作品「もっと教えて」。電車で痴漢プレイ、その後バックで青姦(もう作品のレヴェルに合わせるとこんな品のない言い方しかできん)というかほぼレイプという形でヒロインの処女を奪い、その後も野外で、を繰り返す。「もうこんなのイヤ」と言うヒロインを突き放して去った馬鹿を追う土星馬鹿(輪をかけた馬鹿、の意。@高橋留美子)ヒロイン。御都合主義というよりも、練りに練って描かれたのにヘタレてる男性向けエロまんが(orAV)みたいなのが平然と雑誌に掲載(あ、別冊付録だったか)されたというこのオソロシさ。
艶っぽさも色気もない、ただのエロ。それもおやぢテイストの。こんなの、誰が「面白い!」と思って読んでんだろう……(別な次元では爆笑モノだけど、レイプ絡みの辺りなんかは胸糞悪いだけでヒく)。こんな作品でドキドキできちゃうよーなオンナノコなんて居るか!?(どうやら居るらしい。だからこそ連載持ってられるんだろう)

現在連載中の「ラブセレブ」ではアイドルの少女+政界にいずれ君臨するであろうとかいう元総理の孫の描いたまんがの右ナナメ上を行く野郎との話で、……またレイプだのレイプ未遂だのそんなんばっか↓ ヒロインの周囲の野郎はもれなくヒロインに懸想するのも同じだなー。はんこぺったん状態。同じものを何度でも量産。

世も末だな、としみじみ思う真夏の夜。
ロードオブバイストンウェル VOL..1 ダンバイン
B0009UCBHQ

ものっそい、本格的に(といっても、カタギのヒトに比べれば、という程度ですが)ヲタクな話題なので、興味の無い方はスルーして下さい(……多分、というか確実にすべてのひとたちにスルーされると思う……)。

一応「ガ○ダム」世代なんだけど(これより前だと「ヤ○ト」世代だと思う)、リアル・タイムでは観てなかった。観られなかった、が正確か。地方で、しかも今以上に民放局少なかったので、遅れて放映されていた、気がする(なので、次作もどんどん遅れて放映されることになる。大抵は放映すべて終了してから私の住む地域での放映、となったので、毎日連続で観られたりしちゃったのだ。一週間待たなくてもいい、てのはある意味嬉しいんだが…ううむ↓)。さらにはその放映自体も大して観ていなかった。あまりに子供で、あのリアル路線は理解できなかった、のかもしれない、今にして思うと(今なら「ミノフスキー粒子ってすげえ!」なんだけど。←はい、わからないひとはぐーぐる検索ねー)。ただ、所謂「ガ○プラ」がオオハヤリしちゃって、TVでも報道されたために知ってた、という程度。数ある富野作品で最初に興味持ったのは「イデ○ン」だったし。
その次はいきなりアレコレすっ飛ばして「戦闘メカ ザブングル」。
戦闘メカザブングル大全
戦闘メカザブングル大全

主人公がまったくの美形ではないのがよかったなあ(笑)。まん丸なの。顔が。で、彼の名前は「ジロン・アモス」というんだけど、作中「メロン・アモス!」と呼ばれてホントに顔がメロン(高級あみあみめろんでした・笑)になる、という、富野作品にしては比較的明るくてポップな作品だった(ラストもハッピィ・エンドだったし)。
さらにその次の「聖戦士ダンバイン」。
聖戦士ダンバイン大全
聖戦士ダンバイン大全

……思えば、世界観とかも好きだったんだけれど、今上げた3作、共通項があって、監督が富野氏であるということに加えて、キャラデザ(ああああ、この略し方がもうイタイ)が湖川友謙(「こがわ・とものり」さんと読む)氏だったことも大きい、かも。少しクセのある絵で、でもそこがとても好きだった。キャラクタア・デザインの設定資料のポージングからしてもう「ああ、湖川さんだ」とわかる(金田アクションと同じくらいわかる! ←はい、わからないひとは・以下略)。ボディ・ラインも特徴的で、脚が、こう、すとん、とまっすぐじゃないの。脹ら脛とかばん! とあって。顔立ちとかも、可愛らしい顔からバタくさい顔まで色々で、艶っぽい女性なんか特に好きだった(唇美女が多いの。えーと、イマドキでたとえるならアンジェリーナ・ジョリィ的美人ね)。ものすごく彼の絵が好きで、湖川氏が作画監督(はい、わからない・以下略)の時はそれとちゃんとわかる、イヤな子供だった(当時からリッパなヲタク……。EDのテロップで確認したし、ムック本みたいなの買い込んで確認したりしてたもん……って、ああ、真性だ、これは)。
でもって。メカのデザインがまた好きだったんだなー♪ メカ、というのはちょっと不正確なんだけど。劇中世界の存在する昆虫だか生物の外皮・外殻みたいなのを素材にしてた、という設定があった…ハズ。で、メカモノって大抵直線と角(かく)で構成されてるんだけど、このロボットならぬ生体マシン「オーラ・バトラー」が昆虫的で(かぶと虫のあの固い羽の下にある薄い羽、アレみたいなのがついてるくらいで。妖精のイラストにありがちな、半透明で葉脈みたいな線が走ってる羽、って言ったらわかる?)、つまりは曲線で構成された姿をしてたわけですよ(いちばん上の画像とかからもわかるよーに)。それが、「かっこいー」と思ったんですな。今までに無かったから(あー、でも、最高カッコイイのは「装甲騎兵ボトムズ」かもしれない! 何しろ、それまで主人公が搭乗するマシン乃至ロボットあるいはメカ、というのは、タイトル・ロールに名のあるもの、その後続機であって、一応決まったものにのみ搭乗するのが通常だったんだけど、この作品では、搭乗してたマシンが駄目になると乗り捨てて新しいものに、というハードなリアルさがあったのだ。これもまた新機軸、だったなー。えーと。辛うじてここまでは読んだカタギの女性で何人ついてきてるー? ←全員脱落だと思います、隊長!)

物語は、フツウの少年(青年、か)ショウ・ザマが異世界「バイストンウェル」に召喚されるところから始まる。その異世界は中世ヨオロッパ的風情を持ちつつも、「オーラ・バトラー」なんぞを開発したりする科学を有していて、独特の雰囲気がある。さらには妖精も存在する(その妖精がまた、ランクにもよるんだけど着てるコスチュウムがSF寄りだったりする)。ヒロイック・ファンタシィにえせえふ風味までつけちゃって、もう大盤振る舞いよ。
中世風ドレス姿の女性が居ると思えば、SFちっくなドレス(それもミニスカ♪)を身につけてる女性も居るし、オーラ・バトラー搭乗者は甲冑を着ちゃったりもする(白兵戦もあるにはあった)。その混在ぶりがものすごく新鮮だった。建築物だとかが中世風なのに、オーラ・シップなる移動要塞(というか戦艦、か)が空中を往く、という。

でも、出渕裕氏(私の中ではイラストレエタアにしてデザイナア、なんだけど、まんがも描くし最近はアニメの監督も務められたり、とマルチに御活躍。「ロードス島戦記」のイラスト担当してらっしゃる、と言えばわかるひとにはわかるんだろうか。つーかわかるひとしかわからんよ↓)なんかはその混在っぷりにちょっと不満がおありだったようで。あくまでも中世的世界の中に、異質なモノとしてはオーラ・マシンのみが存在して、それ以外は――たとえば服装なんかは、中世風が良かった、と思っていらしたよう。そのどりーむ炸裂? なイラストを拝見したことがある。……やっぱ当時相当「新しかった」と思うなー。今だったら割と誰でも思いつきそうだし。


とにかく偏愛しまくっていた。今でも根強い人気があるみたいで、今世紀になってこういう造形物が発売されちゃったりするわけです。ああ、ちょっと欲しいなー……。

主人公ショウ・ザマと、同じく召喚されたアメリカ人女性マーベル・フローズンがカップルで好きだったわー(このマーベル、というキャラがSFテイストなミニスカ女性、ね。でもって、唇美人♪ やらしくないセクシィさがあって好きだった~)。あ、ちょーどいい画像が。
聖戦士ダンバイン DVDメモリアルボックス(1)
手前がショウ、後ろの女性がマーベル。……あああああ、観たいなー。全話ぶっ通しで観たいー!! ん? 確かアニキが持ってたっけ? DVD-BOXで全話。貸してくれ、アニキ!

ラスト、好悪が分かれる結末を迎えたので、その辺りに賛否両論はあるんだけど、いまだに廃れずに愛されてる作品。私も今でも大好き。
文庫版 姑獲鳥の夏
京極 夏彦
4062638878

公開されても観られる範囲で上映されなかったら意味ないじゃん……。
ちなみに、最近分冊版まで出ましたね……。確かに背がわっきり割れる(?)心配だけはなくなったな、コレで。あー、読むため用に買うか?
分冊文庫版 姑獲鳥の夏 上

分冊文庫版 姑獲鳥の夏 下

シネコンあったって、「人形霊」上映されたって(昨年の「箪笥」に引き続きある意味破格)「ガッシュ!」(あ、アニメ版だと「ガッシュベル!」、か。いや、そんな細かいことはどうだっていい)上映されたって、「姑獲鳥の夏」観られないんじゃ嬉しさも半減だーっ!!
「京極堂が堤氏とな、ううむ、やや肉が多いな。いや、あれでいいのか?」だの「木場修が宮迫!? いや、演技力はあると思うけど、もっとこう、ガタイいい、いい意味でのおっさん臭のあるひとの方が……」とか「敦子の配役はまずまず納得、といったところかのう」とか「関くんは合ってんだか合ってないんだか、……ハテ?」とか、「榎木津、わからんでもないが、阿部ちゃんかあ……何となくビミョ~~」とか、公開に先駆けてひとりわくわくしたりほくそ笑んだりしていたのに。「映像化は不可能」と言われていたのが映画化、とあって喜んでもいたのに(いや、「アレ」は、表現の仕方で映像化自体は可能だと思ってたんだけど。観客がソレを受け容れられる・理解できる描写が「映像で」出来ればいいだけの話なので。先日読んだ乙一氏の小説の一編のが余程映像化困難だったぞ)。
ものっそい遠出しないと観られない……(号泣)。

映画公式HP観てちょっとだけ吃驚したんだけど、……京極堂、「黒ずくめ」じゃあないのね……確かに下駄の鼻緒だけが赤かったけど(あ、清明紋もか)。
ふと、忍者装束のことを思い出した。よくTVの時代劇なんかで、忍びの者がお約束のよーに黒い忍び装束身につけてるけど、実際は柿色、らしいんだな。その方がより闇によく融け込むのだそうで(あと、昼日中に黒い装束で走り回るのも逆に目立って意味ないからオカシイっちゃオカシイよな・笑。黒のが絵的にサマにはなるんだけど)。いや、それもどうでもいいんだけどさ↓

HMVで公式ガイド、とかいう蛇腹のブックレット置いてたのをもらって、涙を飲んでいる次第で御座います。ああ、パムフレットには「御祓済」(京極氏直筆〈?)というかデザインの、篆刻みたいなヤツ〉の字がぺったし印刷されてるのかしら。何かグッズは販売されるのかしら(清明紋入りのナニカ、がありそーだのう……)。気になるわ(涙)。
てなわけで、今デスクトップは公式から頂戴した壁紙に彩られておりまする。ちょっと禍々しくもせつない画がイイカンジ。一週間限定とかでもいいから私が行けるシネコンでも上映してくれないだろうか。てゆーか、してくれええええ!!(魂の叫び)

でもって、早々と(?)こんなんも出てました。
姑獲鳥の夏PerfectBook
4796647317

さらにはこんなのも。ぱーへくとに対抗して(?)おひさるなんですかい……。
映画「姑獲鳥の夏」OFFICIAL BOOK
講談社
4061795775

これでも眺めて我慢するしかないのか!? 免許があってもクルマがないって……カナシイ……(ちなみに、田舎故に電車という利便性の高い交通機関は発達していない)。
はちみつのじかん―子どもの造形には物語がある
こやま こいこ
4577811677

幼稚園時代の絵、というものがまだ残っている。捨ててしまわずに、引っ越してさえ、物置に置いておいたのはおそらく母だろう。捨てないでいてくれて感謝すべきか否かは、中身を見るたびに悩むところだ。……当たり前のことだけど、ヘタ、なんだもの。あまりに前衛的過ぎて眩暈がする(笑)。でも、もうこの線も色遣いもできないのかもな、と思うと我がことながら少しばかりサビシイ気分になるのだった。

私は絵を描くのが好きではあったけれど、どうしようもなくヘタだった(悲しいことに、いまでもヘタだ)。描きたいもの、を描きたいように描けないのがひどく悔しかった。子供の絵にありがちな、妙なところで曲がる関節、だとか、歯を磨いている絵を描こうとすると歯ブラシを握っている手がうまく描けないことだとか、そんなことがとにかく気になってしょうがない。何かを見ながらトレエスすることですら苦手で、何故見たまま描けないのか、とイライラしていたものだった。工作にしても同じ。アイディアはあるのに、カタチにすることができない。2次元にせよ3次元にせよ、私は思ったことを何らかの目に見えるモノ、にすることがどうしようもなくヘタで苦手だった。無駄なところに神経質な子供だったと思う。それに、他人の目を気にする質だったので、余計に上手い・上手くないにこだわってしまっていたのだろう。

それでも、大昔の私の絵には、まだ何となく自由なものを感じた。色遣いにしても線にしても、「これがいいの!」という主張がないでもないように思える。でも、……当時から私は縛られていた。
ぬりえ。たとえばキャラクタアものであれば、髪の毛の色は、絶対に表紙のカラアと同じ色(一応アニメなんかでの指定色、みたいなものね)に塗らなくては、と思っていた。つまり、表紙で茶色の髪の毛をしているキャラクタアであれば、必ず茶で塗らなくてはいけない、のだ、自分の中のルールとして。紫なら紫。ものすごい勇気を振り絞らないと、指定色以外で塗れず、塗ってもあとで結局は消して、「正しい色」で塗り直したりもしていた。また、色の合わせ方にしても、「その色とその色を同じ画面上に置くのはいかがなものだろうか」と子供なりに疑問に思ったりしていた組み合わせは、できなかった。ドレスにエプロン姿をしていて、ドレスを黄色に塗ろうものなら、エプロンを何色にするのがもっとも「適切」であるかを考えてしまう(ちなみに、「白」は塗った、という実感が掴みづらいため、どんなにデフォルトとして「白がベスト」と思っても、何かしら塗らないと気が済まないと来ている。厄介な餓鬼だな……)。もう自分の中に「こうでなくてはならない」という規範めいたものが拙く、また無意味ながらも存在していたのだ。
お花の真ん中(マーガレットなんかの中央部を思い浮かべられたし)は黄色でなくてはいけないし、着物姿の女の子は黒髪でなくてはいけなかった。髪を黄色で塗ったら、瞳は青や緑だった。

つまんないなあ、としみじみ、しみじみ、思う。もっと好きなように塗ったり切ったり貼ったり組み立てたりすればよかったのに。のびのびと、「自分の好き」を追求すればよかったのに。振り返ると、ひと目ばかり気にしていて、気の毒な子供だったなあ、と思わないでもない。

どうして自分で自分を型にはめるような「決まり」をつくってしまっていたのだろう。今振り返ってもわからない。まるで何かに怯えていたかのように。

だから、ノッポさんの「できるかな」なんかは本当にわくわくしたし羨ましかったし(何が羨ましかったといって、それで遊んでいる様子ではなく、そういう奔放で囚われたところのないアイディアが浮かぶ、ことが羨ましかった。もちろん、遊んでいる様も楽しかったし羨ましかったのだけれど)、今でもそういうアイディアを提唱する本やワークブックの類が大好きなのだけれど、……習性というか性格というか、なかなか軌道修正できないものはやはり今もそのままの状態で、柔軟性だとか創造性というものが欠けていて、ココにコレがあるのはヘンだろうか、とか、こういうアイディアは妙だろうか、とか、そんなことばかり気になって、結局本当の意味では楽しめない。それどころか、苦心して何かを仕上げよう、「ちゃんと」つくりあげよう、という意識ばかりが働いてしまう。……どうしてそんな貧しい、つまんない指向/思考しか、私にはないのだろう?

そんな訳で、この本もまた私に「いいなあ、羨ましいなあ」という気分を抱かせるものであるに違いないのだ。私には描けない線、出せない色、つくれないカタチ。

何が正しいか、なんて誰も求めてなかったと思う。それなのに、私はいつもそんなことばかり追求していたような気がする。しかも、とても深刻に、生真面目に。

樹を描いて、葉の色をオレンヂや紫に塗っている子を見たら、私はこう言う。
「綺麗に塗れたね」。
その子には葉っぱはオレンヂに見えたり、紫のものだったりする時があるのだ。ライオンを緑色で描いたっていいし、和洋折衷に中東風味までプラスしたお城があったっていい。宇宙でパーラー開いて、ケエキ食べてるお姫様が居るのもいいなあと思う。
「上手に描けたね」。
私はそう言うだろう。そうはできなかったかつての自分の代わりに。
私にはできなかったはにかみ笑いを、その子が浮かべてくれたら、多分嬉しい気持ちになれるような気がする。
ヘウレカ――ユーリカ、ユリイカ、とも。意味は「見つけた」、「我発見せり」。
ええ、ええ、貴重な時間とこんな時ばかり発揮できる体力とを無駄にしてやっと入手してきましたともさ! これが私のばーすでー・てでー。
20050716215821.jpg光線の加減と携帯の性能、そして私の技術の無さ故に、フェルト部分(耳・手足)が黄緑色に見えますが、黄色です。レモン・イエロウ。そしてこの本体の布地……。ううう、なんぢゃこりゃ……↓
このシリィズ、柄モノだと、さすがにこんな小さいボディ向けのものなんてないので、生地から作ることになるそうで。……そうか、こんなもん(失礼な。つーか、その「こんなもん」呼ばわりのためにお前はチャリで爆走して隣の市まで行ったんだろーが!)のために、結構な手間をかけているのね、と改めて感心してしまった。……零細企業モノ(※)のニオイがするのに。

※私と昔の友人との間で存在する概念。いかにも人件費が安くて済む某国だとか、あるいは日本国内の小さな工場(こうば、と読んでね)で、ひたすら無言でちくちくと、あるいはミシンでだだだ、と縫い上げては流れ作業でつくられていく、「ぱっと見で『おお、何というクオリティ、何という可愛らしさ!』と絶賛せしめることは決してない、どうみてもコレは余ったから、ちょっとダサいから売れなくて安く仕入れることができたんだよね、なコスト・ダウンの思想かはたまた吝嗇に寄るものか不明な素材で作られた、少々ユルいデザイン・つくりの、主にぬいぐるみなどのプロダクトを称して呼ばれる。類似のプロダクトには努力したらしいけれども可愛くは仕上がらなかった着せ替え人形とそのドレス等がある。なお、本国では「可愛い」の範疇に収まるであろうものの、日本でのウケが悪そうなものもその括りに入れられてしまうことがある。主にスーパーのワゴン、100均ショップで多く見かけられる。


数をこなすことで採算取っていこう、ということかしら。って、何を訳のわからんことを考察しているのだ、私。
とにもかくにも、「ココナツマカロン」、入手しました。はー……。コレひとつのために汗だくになってチャリで駆け回る私の馬鹿さ加減がイタイ。しかも真夏日に。
ものっそい頑張って(?)手に入れたテディはやはりと言うべきか、……期待したカンジとは違う、のであった……。ううう、写メじゃよくわからないと思いますが、マカロンはマカロン、とすぐわからないし、ココナツの方が目立つのよー(涙)。
でもいいの。とりあえずコンプよ(現時点での)。

そして。またしても浮気。どうにかダブらずに済んだ。
20050716215858.jpg「ブライス・ベル」の「キティクラウン」を引き当てる。そろそろヤバイ。これから先はダブってダブってようやく未入手ダブってダブってダブって、くらいのイヤな波が押し寄せてくるのよ、きっと(経験が物語るある種の事実)。

手に入れられた満足感と、ちょうどあるお店がリニュウアル一周年記念セールやってたので、あれこれ買い込んだりしたためにお買い得感も得られて(もっとも、自分のものではなく、家の消耗品を安く買えただけ、なんだけど。私は多少遠くても安くつく方が好き♪ ←主婦だよ、その感覚…)、さらには多少は運動になったかな、という自己満足のおまけつき。

財布の悲鳴を無視して、ひとまずはヨロコビに浸ろう。
ブライススタイル
ジーナ・ガラン
4766115066

ド田舎に住んでいた私は、ある女の子が「PARCO」の「プロモーション・モデル」として注目を集めつつあったことなど、リアル・タイムでは知らなかった。創刊号から購入している愛してやまない雑誌「spoon.」が誌上で何度か(「も」!)取り上げてくれて初めて知ったのだ。彼女こそが今人形者に大人気の「Blythe(ブライス)」

初めて見た時はインパクトあったなあ。何故かおっきなアタマに華奢なボディ。印象的な、ちょっと物憂げに見えるでっかい瞳、洗練されたファッション(もっとも、オリジナルというよりも、彼女を「見出した」ジーナ・ガランや、プロモのモデルとして起用したひとたちのセンスや尽力に寄るものでもあるんだろうけれど)。素直に、直行で「おお、可愛い!」と感じるよりも、見ているうちにじわじわと「うー、何かいいなー」な魅力、であった。

でもって、彼女が人気爆発したあと登場してきた「Pullip(プーリップ)」が分かり易い○クリ企画モノに見えるのは気のせいですかね……。顔立ちとか自由度みたいなもんはよりコチラの方があるような気がするけど。ブライスはモード性を楽しむカンジを強く受けるし、プーリップはあまりテエマ性を狭めることなくあれこれとアレンヂしていて、何だろう、コスプレ感覚が強いカンジ。前者が比較的日常に根ざした、でも少しアッパーなファッション性を追求してるのに対して、後者はいい意味で日常に根ざしてないファッションを楽しめる、気がする。まあ結局は購入者の欲望と嗜好によってどうとでもなるわけだけれど。後に気づいたというか知ったというか、「プーリップ」ってふろ~む・こりあだったのねー……。


で。ハヤリを逃さないのが今の食玩業界。いや、逃しちゃいないが少々遅きに失したのでは、と思うほど「今更」登場してくれちゃった「Blythe Belle(ブライス・ベル)」。
海洋堂、「サ○リオ」なんかのメジャー路線もきっちりこなしたかと思ったら、ようやくというかやはりというか、キましたよ。「ブライス」で食玩。買うまい、と思っていたけれど、「バースデイ・テディ」を探し回ってる時に店頭で見かけてつい2個ほど購入してしまいました……ちなみに、お値段大凡のところでは¥300(+tax)くらいでしょーか。高いよ! 高いんだけどね! ……可愛いから、つい、ね……(涙)。「CUBRICK」ver.の時は我慢したクセに。
20050715223550.jpgまず引き当てたのが全6種のうちの「ベアハグ」。奇しくも(?)熊の着ぐるみかい……↓ 当てつけのよーだよ、ブライスちん! そして天才的なまでにダブれる才能を持つ脅威の「無駄神経衰弱勝者」紫堂としてはびくびくしながら2つ目を開ける(ものっそい離れた場所にある2コを選んでも同じもの、だったことがかつて何度もある、という前科持ちなのだ。それもねえ、全6種、なんて「そりゃカブりもするわよ、アンタ」なのじゃなく、全24種、とか結構な数あるヤツでやらかすのよ!・号泣。ちなみに、本来の「神経衰弱」は記憶力の無さ故にメチャ弱)。よかったー、違うの当たったよーっ(ええいああひとりで嬉し泣き)。
20050715223616.jpg「ベルベットメヌエット」は欲しいなあ、と思ってた一体だったので嬉しい♪(近場の「ヴィレッジ・ヴァンガード」では「売れるだろう」と張り切ってか、うなりまくってたな、そう言えば。山積みなのよ、函が)。それにしても、今回いつもとさほど変わらない環境で写メ撮影したのに、何だこの光線加減は。妙に赤みが強いなあ……。小さいから画像粗いし。むう。

買ってはいかん、と思いつつ、気づけば2つも購入しやがってこの馬鹿は。でも可愛いなー(やはり馬鹿。鉄板の馬鹿)。

細部まで緻密につくってあって、顔、特に瞳なんてまんま「ブライス」。ドレスだとかのディテイルも細やか。ヤバイなー、またぽつぽつ買いそうだわ↓

これが「浮気」の真相で御座いました。いや、今度こそは「テディ」です。必ずや入手して見せてよ、ヒロミ!(……誰?)
365日のバースデーテディ―誕生日別あなたの性格診断つき
オンライン書店ビーケーワン:365日のバースデーテディ

タイトル出典(元ネタ)のあまりの古さに一瞬自分でも絶句してしまった。いかん。ちなみにランちゃんが好きよ。田中好子嬢が仰っていたけれど、彼女がセンタアだったこともあるのだが、何故かそうすると売れ行きというか人気が芳しくなく、ランちゃんをセンタアにすると不思議と売れたのだそうな。それ以来ランちゃんがセンタア、というのが定位置になったらしい。って、何の無駄知識だ!(へぇボタン押す価値もないわ!)
もとい。
明治製菓から2000年より発売されている「365日のバースデーテディ」今年も出ました。とうとう第6弾。今度は Sweets と来ましたよ。ひー。

第1弾:布地にある程度テエマ性を設け、一体一体すべて名前がつけられていた。初期は誕生日を明かしていなかったものの、あまりの人気高騰ぶりに誕生日を公開。かのリリー・フランキー氏が「アレはわからなかったからこそよかった。懸命に買って買って買いまくってようやく彼女の誕生日のベアを引き当ててプレゼントする、思わず感激する彼女、そういうロマンがあったのに。何で公表したんだ!」と怒りを露わにしていたことを憶えている。
第2弾:「星座×ラッキィ・カラア」。ガーリィなファブリックであることを期待したものの、敢え無く撃沈される。ちなみに、7月は「オレンヂ」がラッキィ・カラア。花柄とかの可愛いのが当たるといいな♪ という私の小さな望みをあっさりぶち壊すサイケな柄のが当たりやがった↓
第3弾:箱のデザインが一新されてシンプルかつすたいりっしゅに。テエマは「パッチワーク仕立て」。月別に素材・柄が設定されていたわけだが、よりによって7月は「星」模様……。なんぢゃそらぁ! と思っていたら案の定とんでもねえ柄のテディであった。また手足のフェルト部分はオレンヂかい……。守護星が「太陽」なのでしょーがないのか。
第4弾:テエマ:「世界の旅」。自分の生まれ月は何処だろう、と思っていたら最愛の N.Y. でボルテエジ、否が応にも上がる上がる。しかし、布地の模様がこれまたしょっぱいちゅーとはんぱなストライプで落胆させられた。初のマスコット付。 N.Y. なので「自由の女神」と「プレッツェル」がついた。コレは可愛かったんだけどなー……。どの月(国)のもそれぞれの可愛らしさがあって個人的にはツボだった企画。
第5弾:次は何で来るの? と思っていたらそうか、「誕生花」かあ……。果たしてコレの占い(?)でいくと私の誕生花は何だろう、と期待しまくっていたら「オシロイバナ:花言葉〈内気〉」。……粗暴で毒舌で断言口調で冷酷無比な私ですが内気です。そうなんだったら。文句があるなら来なさい(@荒木真樹彦。←ハスキィでセクシィな声がたまらんヴォーカリスト。つくる曲もナイス。ちなみに、藤原理恵と組んだ某ユニットで「文句があるなら来なさい」というタイトルのシングルを出している。いやあ、まさに)。
第6弾:そんなわけで「スウィーツ」です。何なんだ、バースデイ・スウィーツてなあ……。私のばーすでー・すいーつ、とやらは「ココナツマカロン」。ココナツ、と限定なのは夏だからなのか。わからん。「テディからの一言」は「むじゃきに!」……粗暴で毒舌で(以下略)な私ですが、とにかく「むじゃきに!」とのことなので、イノセントさを漂わせつつ右手にナイフ、左手に鉈の精神で生きていきます。紅は血の色、黒は罪の色♪


で。第1弾から買い続けてきたので、当然のように売り場を漁る私。う。何だか去年より仕入れた数が少なくない?? 去年なんて、ひと月ごとに販促ディスプレイ用のボール紙製の棚(?)使って売ってたのに、今年はほんの一角を占める程度でちんまり??(ちなみに、同じモールの同じ食品館)……そういえばかなり経っても売れ残りがいっぱいあったっけ↓ そのせいで入荷数を控えたのかもしれない。
まあいいや、とにかく捜そう。そう思って、3段くらいに重なっている自分の生まれ月のところを掘り返したり見てみたりするのだけれど。ない。ないのだ。ほかの月もざっと見てみたけれど、今年はアソート率に偏りがあり過ぎるように見えるぞ! 同じカートンに同じ日付のが数個、とかで、ざっと見ても1ヶ月分キレイに揃ってすらいない(そりゃまあ当然でもあるのだが。ある程度バラけるようにはするだろうが、基本的にはランダムだし)。

ない、だとう?

コンプリートせねば気が済まぬ私にとってはたとえば今年なら今年の分だけ抜ける、というのは許し難い。我慢がならないのだ。ええい、いまいましいこの習性!(いや、もう、ホントに。自分でもイヤになる)
一度帰宅し腹ごしらえをして、再び出かける決意をする(するなよ、「決意」をよ)。何としても見つけて手に入れて見せーる!! 固く誓う私(誓うなよ、そんなこと)。

かくして。食後、日焼け止めを塗りたくって再度外出決行。
もっとも近いコンビニ→2番目に近いコンビニ→某スーパー→某コンビニ→某コンビニ其之弐→某スーパー其之弐→某スーパー其之参……と市内の要所を巡りつつ自転車で爆走する私。もっとほかのことに注げ、その情熱を!
しかーし! ない。ないの!! どこにもないの! あっても私の誕生日のはなかったり、そもそも入荷してなかったりで。

むきーっ!!(←ヒス)

後日、りべんぢです。必ず見つけ出してやる! 首洗って待ってろ、クマ!!(根が893な私♪)

とか何とか言って、ちょっと「浮気」もしていたのだが。それについては明日。
曇り時々ラテ
ジェイン・アン クレンツ Jayne Ann Krentz 中村 三千恵
4576022059

カテゴリが「ほしいほん。」でもまったくの間違いではないのだが、欲しい理由が少々間違って(?)いる。

表紙のイラスト。

この一点あるが故に欲しい、という気持ちが強い。……まったくの表紙買いかよ!
いや、ロマンス読みには評判がいいというか、それなりに定評のある作家さんで、人気もある。ライトなサスペンス・タッチのロマンスを楽しみたいな、というのであれば、おそらくこの作品なり作家は楽しめると思う(ジェイン・アン・クレンツ、キャロライン・ジャンツ、アマンダ・クイック、とペン・ネエムを使い分けている作家さん〈キャロライン・ジャンツ、はちょっと自信ナイ……〉。キャロライン・ジャンツ名義のHQ作品「天使の靴音」は確かに好みだったし面白かった。ヒストリカルからコミカルなコンテンポラリィと作幅も広い)。
しかし。私に限って言えば、その面白さだとか定評云々はあとからついてきてくれれば嬉しいな、という感覚だったりする。
表紙のイラスト。これを描かれた上杉忠弘さんの絵、がものすごく好き、なのだ。マットでシックだけどポップ、でもってどこかしらレトロなとこもあって、上品かつ個性的。色遣いとかタッチとかとてもとても好みなのだ。

イラストレエタアさんとして意識した、というか「あ。私、このひとの絵、好き!」と改めて思ったのは2002年にハーレクイン社から刊行された "Teen's Romance" という、巷で言うところの「夏のナントカ」みたいな、企画モノののレエベルの表紙を担当なさった時。その時は既刊の中から20冊チョイスして発行されたのだけれど、そのすべて上杉さんの描き下ろしのイラストが表紙にあしらわれていた。当時まだ読み始めて日が浅く、ラインナップに一冊も所有していた作品がなかったので、ネットの書店から20冊まとめて一括購入(!)したのだった。装訂に時々小首を傾げさせられるHQ社にしては破格のセンスの良さを発揮していた。もう抜きん出ていた、と言っても過言ではない!(……ふだん、どんだけヒドイんだよ、と思われるでしょーが、近年ますます拍車かかってます↓ 何か、年々やっすいデザインになっていっててカナシイ……)どういう理由で「ティーンズ」なんて冠ついたんだ、とかまったくわかんないけど(だってキャッチ・コピィだって「恋する夏の20冊」くらいで、特に「まだ読んだことのない若い読者をターゲットに…」みたいなことは一切語られなかったし、こう言っちゃ何だが、イマドキの10代の8割はベタなコミック系イラストを好みこそすれ、こういうシックなイラスト+翻訳モノロマンス、が「素敵♪」と思うとは思えないんだよな……。ちなみに、この年のみ発行され、以後刊行されていない。何がしたかったんだ、HQ社よ!)、とにかく白眉と言っていい。全体的なデザインは簡素で、そっけないと言えなくもないけど、イラストがどれも素晴らしかった、のだ。ちゃんと作品に合わせたイラストで、絵にドラマ性と作品そのものの存在感とがあって、とても素敵だった。
で。ふだんは女性誌や大手のミニコミ誌、雑誌からの依頼を受けてのお仕事と、どちらかと言えば女性をターゲットにした小説や本の表紙のイラストを手がけておられる模様。
もう、いっそ画集あるいは作品集出して下さい、てなものなんだけど。

詳細に、リアルに描く(あるいは造型する)というのは、つくり手にしてみれば、簡単なのだそうです。「そのまんま」描く・つくる、をすればいいだけだから。何をどうどのくらい簡略化するか、ソチラの方がよほど難しいし悩むものなのだそう。上杉さんのイラストも、その「何をどう簡略化するか」が彼独自のセンスによって表現されていて、まとまりがいいのだ。女性の横顔にしろ、一歩踏み出す軽やかな全身像にしても、背景のカフェの雰囲気にしても街並みにしても。詳細に描かないからこそ逆に浮かび上がるものがあったり、簡略化の度合いを抑えたが故にイラストが引き締まったり美しく見えたり、と色々。
あとは、光と影の表現。マットな色遣いなのに、とても繊細に見えるのは、きっとそのせいだと思う。影を落とした木々の葉とその間からこぼれる光、とか、見ていてうっとりする。レエスを透かして流れ込む光、とか。光を浴びて佇む女性とその影、とか。

新古書店に落ちてたら、買っちゃいそう。でもなあ。そしたらほかの作品だって欲しくなるじゃないか。むきーっ!!(逆ギレ)

御本人のサイトで、これまで発表なさった作品・未発表の作品が拝見できますので、興味のある方はゼヒ♪(HQに提供して下さったイラストも、「過去の作品」を遡ると拝見できます。……滅茶苦茶過去になってるけど↓)
多分、ひとによっては「あ、知ってる」「見たことある」作品・イラストレエタアさんだと思うのですが。

でもって、かつて彼がジャケットのイラストを担当した、という理由だけで買おうとしたCD、なんてのもある。いや、内容も良さそうではあったのよ。
カフェ・リラクゼーション~freedom cafe~freedomレーベル編
オムニバス デイブ・バレル スタンリー・カウエル デューイ・レットマン
B00005S0DE

オムニバスは自分では敢えて選んで聴かない曲だとか知らなかったアーティストを知るいいチャンスにもなるし。
問題があるとすればそれは私の経済状態で(以下カナシイので自粛)。

ああ、ホントに、作品集でないかなあ……。
以前、 Amazon にて一定金額以上購入するとブック・カヴァがもらえる、という記事を書いたのだけれど。……またしてもちょいとばかり不評、らしい。学習してくれ、あまぞん。
何でも、サイズが少々小さめで、文庫本によってはかなりキツキツになって、本入れるのがやっとだったりしちゃう、のだとか。そ、そりゃないよ、あまぞん。10日も過ぎてやっとブルー以外の色も選べる段階になったってのにー! ……というわけで、購入金額も満たせないことだし、今回は見送るべきね、と思った私なのであった……。
本が傷む原因をつくるのが本を保護するモノによってもたらされるなんてもってのほかではないかー!!(私は粗暴なので絶対・必ず無理矢理に本を押し込もうとして表紙をへにょらせるにちげえねえ・涙。そうなると、もう捨てられることこそないものの、生ける屍というか路傍の石というか、在るけれど存在は無視乃至否定される運命にある。私所蔵の場合。おおう、何という哀れな末路)

前回のは、合皮製、だったんでした。何だよ、ゴム製って(笑)。匂いと、本への色移り故にかなり不評で、今回布製で「名誉挽回か!?」と期待したのにー! 「汚名挽回」状態ではないか。うぬう!! 
仮にも本をメインに扱ってるサイトでオリジナルでカヴァつくろうってえんなら、もう少しあれこれ試行錯誤してつくって下さい、あまぞんさん……。今刊行されている主立った出版社の文庫のサイズに合うようにつくればいいものを……。もっともコンパクト(らしい)な岩波文庫でさえきっつきつ、てのはどうよ!? ええい!
「タダでくれてやるんだから」という根性でつくったんだろうか? そんな程度でつくるくらいなら、がっつり(と言っても何枚でも買いたくなるような、色のヴァリエで揃えたくなるような価格設定で)カネ取って販売せんか、と思ったわ。廉価なれどもそれなりの耐久性とデザインと素材。文庫サイズで1枚¥300程度なら飛ぶように(てのは大袈裟か)売れると思うけど。新書サイズ、単行本サイズもシリィズで出して。売れると思うんだけどなー。
高級素材とか、そういうコダワリは要らない。本を保護できて、なおかつりーずなぼー、それで必要十分なんだけど(紙製、はさすがに擦れてゆくので、ねえ……。まあ和紙ならそれなりに保つけど)。

というわけで、ますます角川が「2冊買ったらあげるよ♪」と言ってるカヴァに期待が(笑)。これでしょっぱいの届いたら泣くかもしれない(はははははははは!←ヤケ)。布製だといいなあ。どうしよう、塩ビの、ヘタしたら使用してるうちに接合部が切れてきちゃうよーなのが届いたら(あれはいやだー! 文庫の表紙に対して滑りが悪いし、やわらかさはいいけど気温に左右されるし、場合によっては蒸れて汗かきそうだし↓ 耐水性アリ、なのはいいんだけど……)。
あれこれ検索していたら、こんな意見を目にした。
「はーれくいんの○○という作品を読んでみた。ヒロインにあれこれあってあっという間にハッピー・エンド。こんな本ばかり読んで読書した気でいるとしたら気の毒だ」

……アンタ、馬鹿ァ!?(←はい、宮村優子嬢の声で)

一種の書評サイトなんだけれど、何だこの勘違い野郎は、と思った。HQを500冊だ1,000冊だと読んだからと言って、「んまあ、こんなに読んでるアタクシって、すんごい読書家!」なんて思ってる人間は(皆無という可能性はまたゼロだけれども)居ないと思うぞ。どちらかというと自虐に走るか、単に楽しんでいる・好きである、というだけで読んでいるのであって、別に冊数とその質とやらを誇りたい訳ではないと思うのだが。
そんなマヌケなことをおヌカし遊ばされるこのひとこそが、そう思ってるんだろうなあ、と思った。
「ちょっと難しい本を何冊も読みこなして評することが出来るオレって読書家!」
みたいに。……余計馬鹿っぽいんだが。カルくてアタマ使わなくても読める本を読んで読書した気でいるなんて、と見下してる態度がよくわかるなあ。どんだけ自分がエライ人間だと思っているのだ。
確かに、あれこれ色んな本を読んでおられるようではあったのだが、正直、「だからナニ?」なのだ。名著とやらを読めば人間としての徳とやらでも向上するのか? こういうこと言えちゃう程度の人間なら居る、とは証明してもらった訳だが(笑)。
マルクス読んだら人間として上、とか、ギリシア悲劇読んだらエライ、とか、そういう次元で語ること自体が程度低い気がしてならないのだが。

何を読むかよりどう読むか、だと思う(私は、だけど)。何読んだって、身(実)になるものはなるし、ならないものはならない。そのために、自分なりにあれこれ考えて、また何か読むべきだと思って読むひとは読むし、そうじゃないひとはそうじゃない。それで何か不都合あるか、っていうと、ない、じゃないか。

自分は読書家、とそれを誇るのは勝手だが、他人の趣味を貶めたり、それによって自分を上だと思うような態度はどうかと思う。逆に、「これだから本読んだくらいでエラくなったと思うようなヤツは」と言われるんじゃないのかねえ。

HQ読もうがデカルト読もうが、駄目なひとは駄目、というのが、そのエラそーなことヌカしたヤツのコトバを読んで思った結論。
高河ゆん画集「YOUR EYES ONLY」
高河 ゆん
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自分の誕生日に出しちゃうところが高河ゆんちゃんだ(笑)。イラスト集の刊行としては、随分久しぶり。以前出したのは、確か90年代の初期くらい…結婚した直後くらい、だったか。wire-o binding な装訂で、結構な収録点数、結構な厚さ、そして結構なお値段(ははは)。一時期仕事そのものが停滞しているように見えたけれど(それなりに執筆活動していたのだけれど、どうもこう、尻切れトンボな感じで終わったり、インパクトが弱いというか彼女らしいぱわふりゃあな衝撃が感じられなかったりで、何となく存在感が薄くなってしまった…というのが私の感想なのだが、一般的に、というかヲタク的にはどうなんだろう?)、この画集に収録されたメイン作品「LOVELESS」からようやく(?)「らしさ」が戻ってきたなあ、と、古くから彼女の作品を読んでる私なんかは思う(……何しろ、今は亡きファン・クラブ「CYC」にも入会していたくらいだ……)。

ハード・カヴァ、A4サイズ、ということで、美しいイラストがでっかい絵で見られるのは嬉しい限り。もっとも、私は本を思い切り開く、ということができない性分なので、その魅力の半分を損ねた状態でしか見られないのだが(いやだねえ、書痴って)。描き下ろしも数点アリ。ハード・カヴァにしないで、その分価格を落としてくれよ、と思うのは貧乏人の性……。

すっかりCGメインになってしまって、かつてのカラー・インクで描かれた絵が好きだった私には少しだけ残念(それだけに、随分昔のものとはいえ、何点かアナログ作品もあって嬉しかった。そのうち一点はコレの前に出たイラスト集の表紙、つーのがまた何とも言えず)。ただ、PCを「画材」として使いこなしているところはさすがで、色遣いや絵のタッチに見られる「彼女らしさ」は健在(プロの方でも、カラーにCGを使う方は多くなってきているものの、手塗りのほうが余程綺麗だよ、という程度で商業誌に掲載しちゃう方も多かったりする。もっと修練してからの方がいいと思うよー、なイラストを見せられても、ファンは萎えるだけなのだが)。それでいて、CGならではの美しさや技法もあって、鑑賞するに値する出来だなあと思う(生意気な言い方だのう……。いや、でも、ホントに、「CGはやめれ! 今すぐやめれ!」な「プロ」は多いんだようっ。それでなくてもCGで描かれたカラーは「あ、この色の出方ってCGだよね」とすぐわかってしまうのが多いやら誰が描いても似たような色遣い・表現になってしまうやらで、個性に乏しい時も多い)。

「LOVELESS」のほかには「恋愛-CROWN-」、「完全版 アーシアン」や版権モノ(ええ、「ガン○ム」でしたよ……懐かしのフォウ・ムラサメだよ……「私フォウ。4番目だからフォウっていうの」とか言う台詞が脳裏を過ぎる自分がイヤだ)等も収録。「LOVELESS」掲載誌「Comic ZERO-SUM」と連動して、両方購入したひとだけが申し込める全プレもアリ(……ホントに、こういうの好きだな、ゆんちゃんは……)。
全部「今」の絵ばかりで、ほっとしたような残念なような。何しろ「アーシアン」後半はそれまでとまったく違う絵になってしまってショックを受けたファン多数、だったし。でも、カラーそのものは美しいものもたくさんあったし、個人的には一度がつんとまとめてじっくり拝みたいところなんだけど。今回の画集、「1」とナンバリングされていたし、ゆんさん本人も「『2』があるぞー、出すぞー」みたいなことを言っておられたので、色んな意味で楽しみにしておこう。

それにしても、よりによってCLAMPさんの画集と同じタイトルで出しちゃうか……。ほら、コレ↓(実はコッチも持ってる……ヲタクだからね!・涙)
Your Eyes Only ちぃフォトグラフィクス
CLAMP
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かつて「REN-AI」〈コミックス2巻まで刊行の後未完の作品。「恋愛-CROWN-」の原型。私個人としては「REN-AI」の続き読みたかったよ……絵がとても艶っぽい時期だったなあ……。ちなみに、いきなり十数年後にいきなり3巻が出て、しかもそれは「CROWN」を踏まえた次世代篇とでも言うべき作品だった。どんだけアクロバティックだよ↓〉という作品を描いていた頃、「本当はタイトルを『Diva―女神―』にしたかったんだけど、ほかの作家さんが使ってるからやめにしました。ほかのひとが使っちゃったタイトルは使えない、ひとと同じものはイヤ」みたいなことを言ってたけどなあ。どうしても使いたかった、のかな。「あなただけが見ればいい」という文言が中に刻まれていたことだし(こういう惹句みたいなのや台詞なんかは、ばしん、と決まって、ホントに巧いなあと思う)。


未完作品が多いこととプロとしての月産枚数の少なさを除けば、いまだに大好き。「LOVELESS」ちゃんと続いて完結して「天使庁」継続して描いて完結させて、その勢いで「源氏」その他再開・再始動してくれたら文句ナシに好き(ははは)。で、イラスト集の「2」も出して下さいまし、と。
大昔からのファンは思うのでありました。あー、結局全プレ応募しちゃうんだな、私。何しろ買ったことない雑誌、そのためだけに買ったんだから(買って初めて読んだのだが、……なんつーかその、クドイちうか重い雑誌だった……。バタ・クリィム+生クリィムにシロップかけて、なカンジ。どの作品も妙に世界観とか設定に凝りまくっていて、チカラの抜きどころが少ない少ない。私には読めねー(面白い作品ももちろんちゃんとあるのだが)。好きなひとにはたまらんのでしょうな。「WINGS」をよりクドくしたような雑誌だった…いやあ、イマドキはこういうのがウケるのですね。←イマドキのまんが、をあまり読まないひとの感想)。
ぜんぷれ! 久々のこの響き(いや、待て、ちょっと前に篠原千絵さんの複製原画集とアクセサリィのセット欲しさに雑誌買って応募しただろ、お前!)。
為替を買いに出かけるには、雨の量が多すぎます……。ふおおおおう。
GOTH 僕の章
乙一
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引き続き読んでいる。止まらない。それにしても、若干16歳にして読める・面白いと言わせる文章を書けた、というのは今更ながら「どうなのよ!?」と何故か文句をつけたくてしょうがない私。ちなみに今年で書き続けて10年目だそうな。書くごとに研磨されていってるんだろうか。凄い……。

さて。「僕の章」。
「僕」はずっと「僕」なのだが、ふと、読んでいる側はソレに「揺らぎ」のようなものを感じる。ある種の不確かさを感じる。……感じるように、書かれているから、なのだが。「僕」は誰なのか? 

「リストカット事件」
まだ「僕」が森野と「親し」い間柄になる前の話。「リストカット事件」なる猟奇的な事件が巷で騒がれていた。
ある日「僕」は自ら化学の教員の手伝いをしに化学準備室を訪れた。そこでは静かに読書する、長い黒髪、白い肌の痩身の少女――森野の姿があった。
「僕」の目的はテスト問題作成時のメモでもあれば、ということだったのだが、その時偶然ゴミ箱の中から切断された人形の手を発見する。「僕」は世間を騒がせる犯人が誰かを知り、その家に忍び込み、手をすべて盗み出す。自分が来たという痕跡を何一つ残さぬように。そして、――。

「土」
誰からも穏やかで優しいと慕われ信頼も厚い男・佐伯。だが、以前からひとには言えぬ衝動を抱えていた。手作りの棺桶に隣に住む幼いコウスケを寝かせ、そのまま埋めることに成功する。出して欲しいと懇願する少年の横たわる柩には、呼吸用の穴が穿ってあり、竹筒が挿してある。佐伯は徐に竹筒の一方にホースを差し込み、大量の水を流し込んだ。激しい後悔と自己嫌悪の感情、同時に湧き起こる恍惚感。3年後、彼は再び衝動に駆られる。長い黒髪、細身の身体を持つ、女子高校生に目をつけると、行動を開始した。またも自作の棺桶に少女を収め、地中に埋める佐伯。彼女は土の下、柩の中で、あくまでも毅然とし、佐伯の思うままにはならない、自分はひとりで死ぬことはないと宣言した。やがて訪れる哀しい終焉。

「声」
姉を惨殺された夏海。家族は半ば崩壊し、夏海は過去に思いを巡らせていた。死んでしまった姉の、生前の態度は、自分に冷たいような気がした。理由はわからない。ただ、何故なのか、それを知りたかった。ある日出会った少年からテエプを渡される。それには死ぬ――殺される直前の姉の肉声が収められていた。姉は「あなたに話しておきたいことがある」と語り出す。2本目のテエプを渡され、最後まで聴くと、姉が殺され発見された廃墟まで来い、という少年の声が入っていた。殺されるかもしれない。また両親に悲しい思いを味わわせてしまう。そう思いつつも、夏海は決意して廃墟に向かう。

……「ライト・ノヴェル」という冠ナシでも、「あ、乙一のじゃん」と手に取った若い読者は、ある意味幸運だと思った。多分、読書のハバが広がったり、興味の対象が増えたり、とそのひとにとって何かしらの有意義なものを得られたのではないかなあ、とぼんやり思う。

またしてもやられた。その後の物語への十分な伏線をも張りつつ、時系列としては過去に遡る「リストカット事件」、犯人の意外な正体とふと「暗黒系」を思い出させる小道具、哀しいまでの狂気と愛情とが結末を彩る「土」、伏線をフルに活用し、「僕」という一人称で語られたことの意味が明白になる「声」、と流れのなめならかさが心地いい(ひとを惨殺したりするような小説でその表現もどうかとは思うんだが)。

何か先が気になって気になって駆け足で読んじゃって、おかげで何度も読み返すハメになって、それでも「もしや!?」とか「あれ、ココってどうなってんだ!?」と思わせられ、……一度ならず二度三度と楽しめる(←私限定? …だよね↓)作品だった。そもそもミステリを何度でも読めるタチ(=記憶力が乏しい)なので、これもこの先何度か読み返すのではないかと。

残忍な凶行に及ぶ犯人の複雑な心理に、妙に沿ってゆく自分が居ることに気づいたり、どこまでも傍観者でありながら事件の中枢に迫る「僕」の心情の不可解さに魅力を感じたり、と思っていた以上に楽しむことができた。

「本格ミステリ大賞」受賞作、とのこと。「本格ミステリ」の定義がそもそもわかるよーでわからんので何とも言えないところがあるけれど、個人的にはミステリとして堪能。思えばデビュウ作も殺された「私」が語り手だったなあ。彼の作品においては、「語り」が重要視されるものが多い、のだろうか?(この「GOTH」が初めて読む作品である私)だとしたら、この先もなかなか楽しみだなあと思う。

「萌え」だとかエロだとかキャラ立ちだとか、まあひとそれぞれ書きたいモノ・読みたいモノてえのはあるもんでしょう。私個人としては「萌え」というものを定義できていない(ものすごく漠然とした、感覚的なモノとしては理解しているけれど、自分と他者を納得させられる言説で語ることはまだできない)ので作品を選ぶ時の条件にはならないし、キャラクタアの在りようも作品世界にあってこそ好意を抱いたり興味を持ちはするものの、それそのもの、単体で扱ってわあわあ騒ぐタチでもない(よく「綾波が好きだ!」とかヌカしてるヲタクではあるけれど、やはりあの作品世界にあって初めて好き、なので、同人誌なんかでまるっきりキャラ単体扱いされてるものは違和感覚えるだけで面白くない……)。
小説として、物語として、内容だけでなく文体というものもまたその書き手なりに意識されていたり、また考察や理解の対象になるもの、が私には好ましい。いや、文体もあって成立してるんだから。コレ抜いても語れる、というのは文体どうでもいいだけの、形骸化したモノ、のように感じてしまう(むろん、形骸化していても、楽しめるひとが楽しめれば、それはそれでいい)。

結論:面白かったです。←小学生以下!

ほかの作品も読んでみようっと♪(そしてまた欲しい本が増え、財布の中身が減る)

GOTH 夜の章
乙一
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ブック・カヴァ、裏表紙のあらすじを読んで、「森野夜」を何を思ったか名字だと思った私にはすでに読む資格がないような気がする…(読んじゃったけど)。「もりのよる」さん、だと思ったのだ。「西園寺」さん、とか「伊集院」さんとかみたいに、3文字でマイナアな(あるいは創作の)名字だと思ってしまった。何でだろう? 夜ちゃん、という名の少女、があまり想像できなかったからかもしれない。
「夜」。漆黒の闇。すべてを覆い隠してしまう帳。蠢くものの姿を消して気配だけを浮かび上がらせる。夜、という名を背負わされた少女はどんな命運をも背負わされるものなのだろう?

「夜の章」。 night の章、という意味かと、勝手に思い込んでいた。それで、分冊にされた他方「僕の章」とどう繋がるのかがわからなかったのだが。そういうこと、だったのだ。「夜」という少女と「僕」(いや、もちろん一人称の)という少年を軸にした物語だと、ようやくわかった、のだった。

夜と「僕」はクラスメイトで、互いに互いを「自分と重なり合う部分を持つ者同士」という認識を抱いている。どちらも、ひとの死というもの、あるいは殺されるという事象(あるいは殺す・死ぬ)という事柄に強い関心を寄せている。それ故に他者とは相容れないものを自分の中に持っていることを強く自覚している。強い関心を抱きながらも、殊更に執心するでもない。関心は持つし、知りたいという欲求もありながら、どちらもがつがつしたところがないのだ。日常に立ち現れてしまった非日常、非日常が存在してしまうこともまた日常であるという「現実」と、淡々と向かい合い、考察を巡らせ、それを楽しむ。

ひとのこころの暗部を好んで見たい・知りたい、と思うことは、……さほど異常なことではない、と思う。誰にでも多かれ少なかれあるとも思う。そう考えれば、「僕」も夜も何ら変わりないフツウのヒトなのだ。ただ、彼らは好んでその暗部に触れようとする。近づこうとする。そしてしばしば巻き込まれる――猟奇的な事件・事象に。

「暗黒系」
猟奇殺人鬼の落とした手帳を拾った夜と、それをともに読んだ「僕」。ふたりはまだ報道されていない3人目の被害者の死体を見にでかける。被害者と同じ格好をした夜から「たすけて」と簡潔なメエルが届き、僕は少しばかり推理を巡らせ、「犯人」の元へと赴く。

「犬」
「ママ」が連れてくる男から虐待を受けていた「ユカ」と、それを救いたい「私」。町で起きた連続ペット誘拐事件。何故ペットはさらわれるのか。そして、奇妙なまでに犬を嫌悪する夜。「僕」は虐待が目的で飼い犬たちがさらわれていると見当をつけ、静かにその事件を調べ始める。

「記憶」
不眠症に悩まされる夜。首に紐を巻き付け、絞殺体になった自分を想像するとやっと眠れるのだと言う。ぴったりの紐を探しに買い物にでかけた途中、ふたりは「僕」の妹に遭遇する。「私にも妹がいたのよ」。双子の妹が「居た」。彼女はすでに他界しているという。首をつって死んだのだが、それは事故だった、と夜は言う。「僕」は彼女が幼い頃過ごし、また彼女の妹が死んだという田舎へとでかけ、ことの「真相」を推理し始める……。

関係ないようでいて、どこかでうっすらと繋がっている3編の物語。この本では「犬」にやられた。くそ! めっさ深読みし過ぎて逆手取られた!! narratology の側面から見ても面白いと思う(というか、この作品のキモはそこだ)。ああああああああああ、何かものごっつ悔しい!(その悔しさはイコオル面白さ、なのだが)
「語り」という点でも楽しめる「ライト・ノヴェル」はなかなかない(乙一氏は御自身を「ライト・ノヴェル作家である」と自認している)。もっとも、この作品群ではミステリの面白さというものをラノベ(ライト・ノヴェルのコト)の読者にも知って欲しい、という意図も多分にあったそうで、まあそうなると「語り」の部分で楽しませるという趣向はアリもアリ、ということになる。いや、存外面白く、楽しませてもらった(上遠野氏の「ブギー・ポップ」シリィズも、物語の展開の面白さそのものもさることながら、構成の面白さ、時系列の在り方とそれをしっかり把握している姿勢が私には好ましく面白い)。

ここ数年、「ライト・ノヴェル」というジャンルにあって、構成力で読ませてくれる作家さんがぽつりぽつりと出現してくれるのは嬉しい限り。……「いいトシしてラノベばっか読むなよ」という意見もあるのでしょうが、私個人としては「面白いか面白くないか」が問題なので、ジャンルそのもので選ぶつもりはない(むろん、好きなジャンル、あまり読まないジャンル・ニガテなジャンル、というものは存在するのだけれど、それと「面白いか否か」は関係ない)。あと、「ラノベだから」面白くない、という論理も、故に好きではない。ただ、……「粗製濫造」もまた否めないところがあるので、「面白い」作品に出会えると嬉しくなってしまう。
ん? 待て。「粗製濫造」なんて結局どのジャンルにも言えることじゃないか。年間に何万と本が出て、そのうち数年後も版を重ねることができる作品・著述など、いくらあるというのだ。

結局、私もまた「ジャンル」(しかもそれは大抵出版社サイドによって位置づけられたものでしかない)に囚われているところがある、のだな。

結論:面白いものは面白い。うわ、簡潔(笑)。

てなわけで、明日は「僕の章」に突入するのであった。

GOTH 夜の章
乙一
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GOTH 僕の章
乙一
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……ブックレットを眺めてどれにしようかとあれこれ悩んだ割に、結局というか、読みたいな、と思っていたこの2冊になったのであった。

「夜の章」と「僕の章」との2冊に分けた理由が、解るような解らないような。1冊のままだと何か支障があった、とか、あえて2冊にすることで面白みを云々といった、京極氏的コダワリがあっての故というよりも、「少しでも多くゼニをぶんどりたいんぢゃ!」という角○の偏執…いや、編集サイドの意図がそこはかとなく感じられる(笑)。

まだ読んではいない。これから。多分。
どうやら指向するところが他者とはチガウことを意識している少年と少女、彼らが興味を抱くモノたちの物語である(と、思う。でも、誰にでも、「こころのどこか」にその禍々しい「指向」を宿しているのだと、多分誰もが「こころのどこか」で知っている、のではないだろうか)。
物語は森野夜(もりの・よる)という少女が拾った手帳が発端となって始まる。それは、最近起きている連続殺人事件の犯人が克明に殺害の手口を綴った手帳だった……。

彼のこと(つまり、乙一氏)はデビュウ当時からその名前だけは知っていた。何しろ華々しいデビュウを飾ったのだ。若干16歳で小説家デビュウ(いや、それなりに過去にもそういう作家は存在してはいたのだが。まんが家なら、才能や実績はともかく、10代でデビュウ、高校生デビュウ、などはさほど珍しくもない。実際結構居るし)。しかもその作品が少々ダークな題材を扱い、新鮮さを持ち合わせていたが故に話題にもなったのだろう。ついでに言うなら、多少は「ライト・ノヴェル」と呼ばれるものが、それまでよりは多少マシな存在(強いて言うなら「前よりは知られるようになった」という意味であって、依然その存在価値は低いものと見る向きが多い)になっていたらしいことを感じないでもない。
私よりも若い彼の才能に嫉妬したのと(そう、才能もなければ、ないなりに努力もしない人間に限って妬心というものは肥大して存在する)、妙にもてはやされた(?)感じがして、読みたいけれど読まない、という状況を自ら生みだしてしまった(私は天の邪鬼なので、ハヤリモノ、という認識が持たれているらしいものには手を出すまでには時間がかかるか、あるいは手を出さないという傾向があるのだ)。

しかし。面白い本を読まずにいる手もないと言えばない。先日見た映画「ZOO」(このリンク先はあくまでも原作本)がなかなかに面白かったのと、一度は読んでおきたいわ、という気分との相乗効果があってのことだった。

体力ないから読めないわ、とかヌカしている私が読む気満々になっているのも久しくなかったことだ。というわけで、多分感想をココにそのうちUPすることになると思う。

そして。この2冊で○川に申し込んだブック・カヴァは。とってもお似合いな「アランジ・アロンゾ」デザインのちょーキュート♪ なモノなのだった(はっはっは)。
死人主催晩餐会―ケータリング探偵マデリン
ジェリリン ファーマー Jerrilyn Farmer 智田 貴子
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「ケータリング探偵」ってのもエライ冠だなあ。まあ確かにそうっちゃそうなんだけど。

数ヶ月前に手を出して、どうも文章のテンポが掴めなかったため、その後放置していたのをふと手にしてみたら、……面白いじゃないか。

ケータリング業を営むマデリンの働く場所は太陽輝くL.A.のハリウッド。パーティの企画を立案したり、ケータリングで料理を提供したりという仕事をしている。ゴシップと欲望渦巻くハリウッド、もう事件が起きないハズないじゃないの、な舞台。
大物プロデューサー(お約束のように大勢の人間から煙たがられ、嫌われ、憎まれ、でもある意味では誰もが彼との繋がりを望んでいる)に依頼されて開いたハロウィンのパーティで、依頼主が毒殺される。そこで疑いがかけられたのがマデリンの仕事仲間のウェスリーだったものだから、彼女は彼の冤罪を主張すべく奔走することになる。
……うーん、見事なまでの常道。コージィ・ミステリ、それもシリィズ化を想定しているものの最初の事件は本人への嫌疑が近しい人物への疑惑故、でなくっちゃね♪(まあコージィは基本的に探偵役の周囲・日常で偶然起きてしまった事件を解決する、んだけど)
マデリンの蔵書から察するに、どうやら彼女はミステリの愛読者でもあるようで、その辺りも事件解決へと向かわせた模様(こういう描写がサラリと書かれている所なんかは上手いなあ)。
Amazonでの紹介文だと「レシピも満載」(今回はちゃんとこの本のペエジにダイレクトに飛びます)となっているけれど、「お菓子探偵(…これもまたエラい呼び名だなあ…)ハンナ」シリィズみたいに、別にペエジを設けてレシピ紹介している、訳ではないので、それをも期待していた読者は少々がっかりするのではないかと思う。実際に料理しているシーンは確かにあって、結構詳細に手順が書かれているので、心得のあるひとなら再現できなくもないかな、という程度。

途中までものすごく面白かったのだけれど、犯人が突然ぽん! とわかってしまって、……何というかタメが無さ過ぎてちょっと唖然としてしまった。まあ犯人登場してから少しは緊迫感あったんだけど。意外性のなさ過ぎるヒトが犯人、というのはちょっと新鮮だったかもしれない(笑)。

マデリンの周囲の面々もなかなかの個性揃いで、会話のテンポがよくて楽しい(ちなみに、物語そのものはマデリンの一人称で語られる)。彼女のロマンスの行方も微妙(一応ステディな恋人が居るのに新しい男の影が~♪)。2作目まで出ていて、そちらもすでに所有しているので、読むのが楽しみなシリィズのひとつ。3作目がなかなか出ないなー……。ハンナのシリィズは順調に巻を重ねてるのにぃ!(ついでに、主婦探偵・ジェーンのシリィズの続刊はどうなっているのー!? 新刊出なくなってから久しいよー!)
探偵を「本職」としていない女性たちが活躍する作品は、彼女たちのありふれた日常をも活写してくれているので、そこを読むのも私にとっての楽しみのひとつ(P・コーンウェルのヒロインの生活ぶりも、ヴィクの私生活の部分もそりゃ興味深いし面白いんだけど)。

色んな出版社がロマンスやらこのテのミステリを積極的に翻訳・出版してくれて(しかもそのほとんどが文庫で♪)嬉しい限り…なんだけど、読んでく側から忘れてくから、次の本が出るまでのスパンが長すぎるのが困りモノだわ。
だれでもできる「起こし文」―和の仕掛け絵手紙
山岡 進
4795828733

思っていたよりも本に厚みがあります。本文に使用している紙が上質なせいでもあるでしょう。内容は日本の四季を感じさせてくれる趣深いもので、立体絵手紙とでも呼べそうな「起こし文」の作例と作り方とを掲載しています。見ていて、「うわあ、これどうやってつくるの?」とか
「そうか、色味をちょっと変えるとまた雰囲気が変わって良さそう」とか、眺めているだけで何だか和めます。しかし。

「タイトルに偽りアリ」、と思わず言いそうになりました。

無理ですってば。「だれでも」は!

そう言いそうになりましたが、偽りではないですね。だって著者の山岡さんは「すぐに」とは仰ってませんもの(涙)。

要はアイディア、楽しみながら、あれこれ試行錯誤してつくってみてはいかがですか、ということなのだけれど、「初心者」で「不器用」なヒトにはちとハードルが高いように感じました。
何しろ、「サイズ」がない。縦何センチ、横何センチ、という一応の決まり、雛型となるサイズ表示が一切無いのです。御自身の創意工夫で如何様にもなるものです、とのこと。……ええ、それはそうなのですが、……導き手が居ないと迷うどころかスタアト地点から動けそうにない鈍くさい私としては、ちとどうしたものかと頭を抱えてしまうわけでして(さらには、作り方、手書きで示されているのです。温かみが伝わって嬉しいものの、たまに少~~~~~し解りづらい部分があったりして、またこの鈍くさい私には「??」なのでした)。

もっとも、何度も眺めてるうちに、とりあえず、基本になるような比較的簡単なデザインのをまず色味を変えてみたり、紙を変えたりしてつくって慣れればいいだけのことでは? と思うようにもなりました。

結局私が面倒くさがりなのね……↓(ざっつらい!)

所謂飛び出すカアドを自作できるわけですが、本当に、アイディア次第で如何様にもつくれるんだなあ、と感心させられました。季節に沿って温かさや涼しさ、穏やかさやわらかさを、色や紙の質感でここまで表現できるものなのか、と見入ってしまいます。
はがきにちょっとした細工をして、受け取った側が組み立てて楽しめる作例が個人的には気になってます。コレならもしかしてつくれるかも? と想像だけがひとり歩きしているのですが。

帯に「開いたとたん、四季折々の情景が浮かび上がる大人の粋な紙あそび」という惹句がありますが、まさにそんな風情が漂っています。上品で繊細で遊び心を忘れていない。

まだ当分は、このものぐさな私が実作してみることはないでしょうけれども、ここから着想を得て何かしらつくれないだろうか、とあれこれ思案を巡らせています。眺めているだけで、少し気持ちが穏やかになったり涼やかになったり。
日本情緒の豊かさと、それを自分なりにカタチにして楽しみ、さらには受け取った側まで楽しませてしまえるのはいいなあ、とふとした時に本を手に取って眺めるのが楽しいです。
友人が「是非連れて行ってあげたいと思ってたの」、と言ってくれたクラフト・フェアに行って来た。感想は。

びば・はんどめいど!!

数年前から定期的に行われているそうで、私はまったく知らなかったのだけれど、行ったことのある件の友人が「多分水玻ちゃんなら気に入るのでは」とのことで、わざわざ車を出してくれた。
「お昼過ぎると結構混むから、朝からになっちゃうけど」
いえ! こと快楽が絡むことなら早起きだって平気です!(わかりやすい物欲の僕)

それにしても。天気予報なるものはアテにならぬ。つい数日前までは「曇り」だの「曇り時々晴れ」だのと言ってたクセに。
ドぴーかんではないか!!(嬉しいようでそうでもない↓)
日焼け止め塗ってパラソルまで差しても私のパフスリィヴ気味な半袖と、服に付くとマズイからとやや避けて塗った付近が真っ赤になってしまうほどの陽射しの強さ……↓
色んな意味で会場は暑(熱)かったのでありました。

出展者が年々増加しているそうで、まさに全国各地からあらゆる craftworker(女性もむろん居るので一応無性的なエイゴを使ってみる…。こういうのにいちいちコマカイのも何かヘンな気もするし、でも何か気になるし。ううむ)が集結。各自思い思いにテント設営しディスプレイし、自分の作品を展示しながら販売する。ものによってはその場でつくりながら、の方も居たし、オーダー受け付けてくれる方も。
陶芸、古裂再生・リサイクルの作品、漆器、木工、硝子(トンボ玉のブースが思っていた以上に多くて驚いた)、アクセサリィ…とえとせとら。ジャンクな味わいのものから家具までオーダー受けてますな本格派まで色々と。
「こんにちは~」とお互いに声をかけつつ作品を拝見させていただき、出展者はカルく営業に勤しむ。なかなかに楽しい。
「どうぞ、観ていって下さいね」
寡黙な職人気質なカンジのひとも居たけれど、大抵は気さくな方ばかりで、家族で半ば旅行がてら来ちゃってる方も居れば、1,000キロ以上の距離をクルマでやってきた、というツワモノも!(しかもつくってる作品は硝子工芸品……すごい根性だ……! ものっそい繊細な作品を壊れぬように梱包してクルマで1,000キロ以上の距離!? しかも往復!? 脱帽……)
そして何故か出展者にも一般参加者にも犬連れが多いのは何故なのだ…(いや、出展者の中には家に置いてこられないとか預け先がない、とかあるだろうけど、陶器だの焼き物なんかのコワレモノ多いとこに、……い、犬……? まあちゃんと引き綱つけてたし、走り回るのは引き綱つけたくてもつけられないおこちゃまたちであったが)

快晴に恵まれ、風も程良い(時々強風が! テントが揺れるしはためくし、陶芸系のお店なんかがつい心配になる)。時間が経過するにつれて賑わってゆく。

私と友人が最初に立ち止まったのは東京から参加の手作りアクセのおじさま。硝子とも樹脂ともつかないクリアでジャンクな素材に針金を絡ませてペンダント・トップに仕上げてあって、すでに出来上がってる中から選んで買うもよし、自分で好みの石(トップ)を選び出して、その場で紐をつけてもらうもよし、でどっちも¥600!(お買い得ー!!)
「じゃあ、とりあえず回ってきますのでまた~」なんて言って、ホントに戻ってホントに購入してしまった。
友人とともに、お互い誕生石の色に近いものを。彼女は3月生まれなのでアクアマリンな淡い澄んだブルー(ああっ、写メ撮らせてもらうんだったー!! とても綺麗)。

後ほど友人が写メでわざわざ撮って送信してくれましたVv
20050709181210.jpg20050709181241.jpg
紐もついた全体像(?)ver. とトップのアップ画像の両方。私のものはコレの赤でカタチ違い、という訳です。



私は7月なので赤で、ちょっとオレンジにグラデイション気味に色が変わってみえるのを。
20050705024059.jpgこう、無造作にがん! とぶち壊した欠片っぽいところがツボ。シンプルさが可愛い♪ おじさまはほかにもちょっとゴツめのステンドグラス調なペンダントも販売してらっしゃいました(そっちはより手がこんでるので¥3,500と少々お高め。あと、切り絵風というか影絵風のアート作品とかもつくっておられるようで。件のステンドグラスの余った色付き硝子をペンダントのトップに加工してる、のかな?)。
私はあまり持ち合わせがない(というより今月すでに経済状態がものすごい勢いで下降線を辿っている・笑。←いや、笑ってる場合じゃねえよ!)ので、本当はあまり高額なものを買うつもりはない、というか、あっても我慢する、つもりでいた。でもなあ。やらかすんだよなあ。

ある女性のアクセサリィのお店にて、好みのものを発見。それがこのロザリオ。
20050705024452.jpg本当はY字のタイプのが本来欲しいカタチだったのだけれど、これはこれで魅力的で、もうどうしても目が離せない。ちらりと覗き込んだ時に目に飛び込んで来てしまって、もう……。
たまたま最初見に行った時は(も!)エライ混雑ぶりで、なかなか見られなかった(ひつこく値切ろうとするおじちゃんが居て、おねえさんが大変そうだった…。「ホントに、それは素材がかなり昔のもので高価なんですよ。だから、ちょっとそれ以上のサアヴィスは…」と何度も断っているのだけれど、おじちゃんもなかなか引かず。おじちゃん、ある意味慣れてるね…)のでヨソを覗いて時間を潰して再トライ。
その時あったロザリオは、型は同じで色合いの違うものが3つ。ひとつはピンクが基調、もうひとつは水色、残るはダーク・グリーンに金を効かせたもの。ホントのホントは赤が基調、のが欲しかったのだけれど、残念ながら無し(もしかしたら昨日はあったのかもしれない。土日で開催しているので)。でも、グリーンが基調のもの、金も入ってるけれどシックだったし、気に入ってしまった。
「すみません、これ、おいくらですか?」
うーん。てづくりだしなあ。作家さんとしてはそれなりのお値段つけてるよな。うーん。悶々とする私。
「¥3,000です。でも、お買い上げになられるんでしたら、少しサアヴィスしちゃいますよ~」

えっ。

「¥2,500に♪」

しばし悩む。巷で売られているネックレスの華奢さとそれに釣り合わない価格をふと思い出す。うーん。気に入っちゃったしなあ。
「いかがですか? それに、今日の服にも似合うし」
……この日は真っ黒のトップスで行きました。確かに、金は映えるよね。でもって、十字架そのものも真鍮っぽい色味だし。
「欲しいものは、欲しい時に買いなさい。あとで後悔したって駄目!」
母の哲学が胸に木霊する。
「……これ、下さい……」
「ありがとうございます~♪」
その場で首にかけちゃうし。ああう↓
「とってもお似合いですよー♪」
おねえさん、口も上手ね……。顔には似合わなくっても服には似合うよね、確かに!(自分で自分を励ましているのか貶めているのかだんだんわからなくなってきた)
首が太いので(いや、首以外も太いんだが・涙)ちょうど十字架がイマドキで言うところの乳間(すごいコトバだ……)にくる。多分華奢なひとならもう少し下に来るんじゃないだろうか。気に入っちゃったのでとにかく嬉しい。
でもって、こつこつつくったであろうそれを、¥500もまけてくれたおねえさんありがとうー!! ずーっと「ホントに似合いますよ」を繰り返しのホメ殺しも効いたわ(笑)。

その後、友人とともにツボだったデザインのペンダントを売っているお店を数回見にゆき、友人が私が買うか買うまいか悩んでいた時悪魔と化して耳元で「ほーら買っちゃえ買っちゃえ♪」を繰り返すので「悪魔返し」をする(笑)。彼女に向かって延々呪詛のよに「一点モノで、今逃したら、もう二度と会えないよねー。あとでするから後悔と言うのだわ~♪」(←まさに悪魔)。
てなわけで、友人は外国の古切手を加工してつくったペンダントを購入してしまった(くううぅぅっ、コレも写メ撮らせてもらうんだったー!!)。地がピンクに花柄の古切手は、使用済みなだけでとても美しい色合い。私も別なデザインのが欲しかったけれど、さすがにもう財布が悲鳴どころか怒号を上げているので我慢(涙)。

こちらのペンダントも、写メ戴いたのでUPしちゃいます。ほほほ。
20050709181331.jpg20050709181307.jpg
ちなみに、ウガンダの花の切手です。ここのお店の切手はどれも可愛らしいのばかりだった。外国使用済み(あるいは古い)切手をちまちま集めている私にはツボ過ぎだった…けど今年は断念……。



食べ物を販売する露店も結構あって、そこで食べ物を仕入れて昼食。お天気はいいわ風は心地良いわ、食べ物は美味しいわで満足満足♪
私たちが「さあ、帰ろうか」となった頃には店と店の間の通路がひとで埋め尽くされたかのようにぎうぎうなカンジになっていた。すれ違うひとの中にはがっつりお買い上げ、なのか大きな袋を持って歩く家族連れもちらほらと。

ついでに海も見て来ちゃった♪
20050705024914.jpg

晴れてるから気持ちいいし眺めも最高でした。カモメが海面でぷかぷかしてるのが可愛かった(しかし近くで見ると凶悪なツラをしているよね、キミたち……)。

忙しい中わざわざ連れて行ってくれた友人と、快い応対・接客をして下さった出展者の皆様に感謝感激の日曜日となりました。
ありがとう~~♪
久々に地元の書店に行く。季節柄楽しみにしている恒例のフェアがあるからだ。
夏の100冊。
これのカタログ、というか小冊子が欲しい。毎年大手3社が夏というとブックレットを無料配布してくれるので、その年のラインナップを見て「今年はコレを押したいのね」とか「ああ、話題になったもんなあ」とか、読んでみたかったけれどまだ手を出してないもののあらすじを読んだりして楽しめるので、毎年配られるのを待っていたりする(なんだかしみったれてる気もするが↓)。時折某海外翻訳モノで著名な出版社や出版社としては後発なわりにヒット作ばんばんトバしてる出版社もそのテのブックレットを発行することがあるので、ほとんどをネットに頼っている私にしては、この時期珍しく書店に立ち寄ることが多くなる。

で。平積みのコーナーが出来ていて、「お、始まってるじゃないの♪」と思って本が積まれた台をぐるり見渡す…んだけど、ナイ。私が今まで行ったことのある書店って、大抵100冊のコーナーを設けると、どこかにブックレットをででん! と置いてくれてることが多かったんだけど。「あ、そうか、もしかして」と文庫の目録だのこれから出る本のチラシや無料配布のチラシのコーナーを見てみる。……ない。「待てよ、レヂで配布、ってヤツ?」と思ってレヂの辺りを眺める。……やっぱり、ない。
コーナーつくってるくらいだから、ブックレットも当然(出版者側から来るものなのか、ある程度販促モノとして書店側が発注かけるものなのかわからないけれど)あるのではないのか?? 何故ないのー?
と疑問符がアタマの周りをらりらり~~と飛び回り始めた頃に書店員さんが夏100文庫(どんな略し方だ)の売り場を整えにやってきたのを幸いに尋ねる。
「すみません、こういう『夏の100冊』で配られるカタログというか、ブックレットってあると思うんですが、まだ、入荷してないんでしょうか?」
「! いえ、御座います。少々お待ち下さいね!」
店員さんは大急ぎで走り出したのであった……。

あるのなら、一緒に並べておいて下さると嬉しいです、○○書店さん……。

そのうち出そう、じゃなくて、本並べつつ、あるいは本並べたらすぐにでも、一緒に出しておいて頂けると、利用者としてはとてもとても有り難いです(そんなの私だけかもしれないが)。
店員さんが置いてあるらしき場所に走って行ったので、私もその後を邪魔にならない程度についてゆく(だってお願いした場所で待ってたら、また走らせちゃう↓)。で、彼女が消えた付近の売り場で待っていたら、3社分掴めるだけのひとかたまり分を持ってきて、その場で状態の綺麗なものをちゃんと選んで手渡してくれました。店員さん、ありがとう。でも、どうせならせっかく届いてたんだから、売り場とレヂとに置いておくといいと思うよ……。

忙殺されたが故に準備できなかったのか、はたまた「上の指示を待つ」ことを余儀なくされており、「現場の意志」では出せなかったのか、それはよくわからないけれど。
うーんうーん。微妙……。それなりに大きな売り場確保してる上に、扱う点数もそこそこ多いし、大変だろうとは思う反面、それなりに人員もまた確保しているように見えるから、……うーん……。
多分、自店舗の判子を押すのがまだだったから、というのも店頭に置いてない理由だったんだろうけど。そういう作業もほかの仕事の合間ぬいながらやらないと、だし。仕事は増えはしても減りはしないから、時間/ペエス配分が面倒だし大変なのはわかってるんだけど。
けどけどけど。客に訊かれてから、つーのは私が書店員ならヘコむ。

以前はメディア・ミクスでその名を馳せた出版社さんは、今年、2冊買うと必ずひとつブック・カヴァがもらえるそうです。しかも6種ある中から選べるとか。ココの定番カラーはどうやらグリーンに定着、なのかな? そして何故カバ……??
パンダをマスコット(?)として登場させて以来がっつり物欲モードな人々のハートをキャッチ(死語)した出版社さんは今年も2冊購入で読書にお役立ちなグッズを一点プレゼント。今年も黄色の表紙が目をひきます。
ワカモノにウケそうな若手女優・俳優をキャンペーン・キャラクタに起用する出版者さんはお馴染み図書カアドを抽選で。

今年は久々にカバがマスコット・キャラクタアの出版社に欲しい本が集中している。おおう、ホントに久しぶり。昔はココ、面白い作品多かったのになー(最近、個人的には少々物足りなかったりつまらなかったり)。ついでにブック・カヴァももらっちゃおうかと。

結局は物欲に躍らされてるだけかもしれない♪(おい…)というわけで、以下はもらってきた3冊のブックレット。
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