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Yum!Yum!Yum!
Goma
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まずジャケットが可愛い。どうやらナカミも可愛い仕上がりらしい。
料理創作ユニット「Goma」の3人組がCDをリリィス。正直驚いた。料理つくるだけじゃなく歌っちゃいますか(作詞もなさったとのこと)。楽しいこと、なら何でも来い、という感じなんだろうか? すごいバイタリティ。
御本人たち曰く「CDをつくったというよりも、音楽を入れた雑貨をつくったというカンジ」とのことだけれど、言われるまでもなくそういう感覚で受け取ってしまっていた。だって可愛いんだものー!!
歌詞等が記載されたブックレットのアート・ディレクションも手がけたそうだし、丸ごと「Goma」ちっくな楽しさと可愛らしさで充ち満ちているであろうことも想像に難くない。
一枚のアルバムを「一日に食べるもの」として、5曲。朝・昼・おやつ・夜・ナイト・ドリンク、で5回(?)分。その全てにレシピまで着くというゴーカさ。
こういう小さいけれど手を抜かず、しかも作り手が楽しんでつくっている、というのはとても好き。
出てからかなり経過しちゃったけど、まだ手に入るみたいでよかった。欲しいものだらけで買い控えも多ければ買い込みも多いために、いつもヒヤヒヤしています。ふー。
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しったんしったんしったんしったんしったんしったんしったんしったん……(ツブヤキながら手で何処ぞを叩きつつリズムを取る)これだけで私の友人はちゃんと一緒に歌い出してくれる。素敵よ、友人!

友人にわざわざ「コレ笑えるんだよー♪」と教え(アドレスを記載したメエルを送信し、例のFLASHを見てもらった)、互いに「米さ!」「米酒か!」と巫山戯ること数ヶ月後。あっという間に巷に広がったなあ。でもネットでオオハヤリ、の頃とリアルに流行るのとではやはり時差がかなりあるのね。まるで女子高生が生み出す新語・造語のよーだわ(一般に知られる頃には女子高生の間では廃れているかすでに過去のモノとなっているか、という辺りが)。「電車男」だってリアルタイムで盛り上がってた頃と出版だ映画化だドラマ化だ、と残り滓すらもなくなりそうな勢いで消費されている今(ようやく少し沈静化したけど)ではやはりタイム・ラグがあったしなあ。ネットは普及してきてはいるけれど、用途や指向ってのは意外に偏っていないものなんだな、と改めて思った。
DRAGOSTEA DIN TEI~恋のマイアヒ~O-ZONE
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……楽譜まで出したの? どんな需要があるのだ。まあ高校の合唱コンクール(小学校、ではない)で大合唱してくれるなら聴いてみたいが。誰が欲しがり、何に使うのかよくわからないんだけど、ハヤリもんだから出したんだろうか。それともこの曲を演奏したいのか? いや、もちろんしたっていいんだが。そうか、需要があるのか……。

あまり日本人に馴染みのない言語だったために奇天烈な空耳りりっくに置き換えられて、さらに馬鹿馬鹿しさ倍増(曲の内容は失恋を歌ってるんだが、あまりにぽっぷで吃驚だ。いや、「楽しい曲は悲しめに、悲しい曲は明るめに歌うのが大人の歌い方だ」と近江俊郎先生も仰っていたが、この突き抜けた明るさは失恋の歌だとはゆめにも思わせぬ力がある。それこそ真っ当に、悲しさを歌うが故に明るい曲調で逆にセツナサが増す、という趣向なのだろうが、「飲ま飲まイェイ!」だもんなあ…ピカソくん、力強く生きてくれ)。お素敵過ぎて涙が出ちゃう。ここまで流行っちゃってなお吃驚。

DISCO-ZONE ~恋のマイアヒ~(DVD付)
オゾン
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一応、CD(DVD付)も置いておきますね。

何というか、正しい一発屋、というカンジでいいです(笑)。どぉうりゃ! と流行らせて砂漠に垂らしたスポイトの水のよにすうと消えていく、というカンジで。
「簒奪ビーフ」、っていいなあ。日本人の「高い食い物=牛肉」というすでに遺伝子に組み込まれてんじゃねえの? な意識に呼びかける何かがあるよなー(ねえって)。簒奪ですよ、簒奪。卒論で使ったなあ、その単語。どうでもいいけど。しつこいくらい「肉」出てくるし。「さらに肉」だもんなあ。

……と、馬鹿馬鹿しさでひたすら魅了してくれる訳ですな。本来つくって歌った彼らにはそんな意図などないのだけれど。ひとり歩きしちゃってるとこが何ともいい(彼らは日本人にどうどのように受容されているのか正しく把握してるのだろうか)。
でも、FLASHないと面白さが半減。曲だけ聴いても物足りない。って、どんな歌やねん(そんな歌なんです。←鬼のよに失礼)。
インターネットオークションガイド―コレさえ読めば売り買い自由自在
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友人はIDを取得し、某ネット・オークションに参加している。出品も入札も手慣れたもので、すでに何人もの方々とやりとりしている。顔も見えない見知らぬ相手とのやりとり故、迅速・確実・丁寧を心懸けて、せっせと作業に勤しんでいる。いや、そもそも他人であるからこそ、なあなあでは済まされないし、済ませる気もないのだ。それ故に、これまで「非常によい」という評価ばかりもらっている。相手の方々も、大抵は「問題なく取り引きが成立してよかった」と思えるひとだった(気分的に「うーん?」ということはままあったかと思う。個々人考え方の違い故に一概に言えることでもないのだろうけれど、友人のケエスで言えば、梱包やメエルのやりとり等で細やかで、かつ丁寧さを感じるのは女性に多く、男性は割と淡々としたやりとりになることが多いようだ。女性同士だと極端過ぎぬ丁寧さの「応酬」になるのだが、男性だとまさにびじねすらいくなカンジになることが多い模様)。自分にとって不要なモノを出品したら、落札者の方に大層喜ばれたこともあったし、いかに欲しいものであったかを感謝のコトバを交えてもらったこともあった。

「ちょっと大変だけど当たり前なコト」。これが出来ない・面倒だと思うヒトは、オークションに参加してはいけない――否、「するな!」と思う。つい先日、友人は参加して以来初めて「こんな取り引きになるとは…」と絶句するようなヤツに当たってしまったのであった。

出品→入札アリ→落札→落札者との連絡の取り合い→入金確認・送付、コレだけ、と言えばこれだけのことである。その「これだけのこと」が出来ない――あえて口汚く言うが――馬鹿は参加すべきではない。友人のこれまでの積み重ねを踏みにじるような態度は端から見ていても許せるものではなかった。

出品をし、入札がついた。よかったなあ、と安堵する。オークションが終了し、落札者と連絡を取り合う。この落札者をAとしよう。Aは直後のメエルでは「○日(終了した翌日の日付だった)に入金します」等ちゃんと予定を通知を寄越し、そう悪印象を与えるようなことなどなく、これまでの評価も決して「悪い」がない人物であった。故に安心して取り引きは終了するであろう、そう思っていたのだ。
翌日。友人は入金のチェックをした。が。該当する名前がない。はて予定変更だろうかと仕事を終え帰宅してからメエルをチェックするものの、連絡はなかった。こういう場合、大抵のひとはちゃんと連絡をくれる。「すみません、今日入金予定でしたが、急用のためできませんでした。○日には入金致します」とか何とか、ちゃんと理由や新たな予定を告げてくる。

そういうものだと思ってましたよ、参加したことのない私でも。最低限の礼儀だから。

連絡はない。もっとも、誰にでも事情や都合はある。故に、とりあえず友人は待つことにした。急かすのも何だし、急かされてもあまりいい気分はしないものだと相手を思いやってのことだ。まあ数日遅れるくらいはこれまでもあっただろう。しかし、連絡は来る。というか、来ていた。だって当然ではないか。予定は何時、と連絡してそれが出来なかったら変更の知らせと詫びを入れる、というのは。
……そのAは寄越さなかったのだ。この時点でそういう人間だ、と決めつけず、とりあえず待ってみようと思える友人の寛容さに気づけ、馬鹿者、と私などは思う。個人対個人とは言え金品のやりとりなのだから、入金の予定が変更となればその旨を通知するのがスジというものだ。だが、それをしない。短気な私なら、この時点でぶっちぎれる(友人はキレるよりまず相手の立場を色々想定して待ってみることを選ぶのだ)。

待てど暮らせど来ぬメエル。それでも友人は待ち続けた。いろんなひとがいる。それぞれに事情がある。都合もあろう。ひょっとしたらPCの調子が悪くなったのかもしれない。あれこれ想像し、相手の立場を自分に置き換えたら、連絡出来ず本当は焦っているかもしれない、あるいは連絡先を控えることも出来ぬままPCが起動させられなくなったのかもしれない、色々考えた。

その矢先のことだ。ふと相手のプロフィールを見てみた。そこにはAのHPらしきものがリンクされている。飛んでみる。ブログに移転する旨が告知されている。ブログを見てみる。
友人は愕然とした。PCの不調かも、などと様々なケエスを想定し、ひたすら待ち、何処ぞのネット・カフェなどでアクセスして見られるように、とあえて評価欄に連絡してほしい旨まで書き込んだ。
ところがだ。その馬鹿はほんの数日前にブログを更新してやがったのだ。おいおいおい。百歩譲って自宅のPCからではアクセス出来ず、プロバイダのメエルしか使えない状態で、友人のIDその他を控え損なっていたのだとしよう。でも、自分の評価欄を確認すれば友人が連絡を欲しがっていたことはわかるハズだし、メエルが送信できないとしても、同様に評価欄上で連絡を取り合うことくらいは出来るハズではないか。とりあえず取り引きは「終了」していないのだ、確認しないのもオカシイ。いや、連絡するつもりだのがあればまずそこも確認するだろう。

つまんないブログ(まあソイツから見れば私のこのブログはより下らないのだろうが)を更新するヒマはあっても、自らの意志で参加し入札したオークションの取り引き相手にはメエルひとつ送信することもできませんか。

だったらやめろ。今すぐやめろ!!

面倒だの忙しいだの、そんなことは理由にならない。なら、最初からやるべきではないのだ。出来ない・出来なくなったと思った時にでもとっととID削除をして参加を取り止めにすればよい。しかしそれはせなんだ。
少なくとも面白くもないブログを更新するヒマがあったら、礼儀を払うべき相手にメエルのひとつも送って詫びのひとつも入れるのがスジだろう。友人だって仕事の合間を縫って、時間をつくってやっているのだ。ヒマ持て余してる訳ではない。それでも自分の意志で参加していて、責任が生じることであるから、迅速・確実・丁寧を心懸けて、相手の迷惑にならぬよう、また自分でされてはイヤだと思うことをしないよう、せっせと作業しているのだ。入金チェックだって面倒なものだ。それも、連絡できないまでもひょっとしたら入金してくれているかも、と相手のことを思ってわざわざ確認しているのだ。

想像力のないヤツは馬鹿だ。

相手の立場に立ったら、そんなことは出来ないことくらいわかるだろうに。それともそれほどまでにAという人物はルーズでいい加減なのだろうか。今までの取り引き相手もそれを許容してきたのか? ……後者はあり得ないと思う。Aがルーズでいい加減なことだけは明確だが。

「ちょっと大変だけど当たり前なこと」。友人は自らの意志で参加しているからこそ、それを全うするのが当然だと思っている。不快な思いをさせぬためのことば遣い、商品の梱包、入金チェック後の迅速な発送、無事終わればすぐに評価も入れる。連絡はこまめに取るし、相手から質問や依頼があれば出来る範囲で答え(応え)ようとする。その結果が山程ある評価なのだ。
繰り返すが、仕事を持つ身である。時間を縫って入金の確認をし発送をし、時には休日で出かける予定がなくとも、確認が必要とあれば通帳を持ってでかけもする。郵便局や宅配便の集配所にも行く。オークションに参加している身であれば当然とは言え、かといって日頃忙しいのが削減・軽減される訳でもない。やり繰りでどうにかしているのだし、するのだという気持ちがあるから参加し続けている。
やって当たり前だからやっている。それが出来ないのならやるべきではない。友人は全うしたけれど、今回の取り引き相手にはそういうココロガマエなどカケラもなかったのだ――少なくとも、友人との取り引きに於いては。

それをアッサリと簡単に踏みにじりやがって! お前はどんだけエライんだよ、と私まで腹が立つ始末である。そして。どういう訳か、ひとしきり怒ると情けなさが募りかつ呆然とし、それも過ぎるとカナシイ気分になるのだった。

諦めかけたある日、ふと思い立って記帳してみたそうである。何しろ相手からは一度連絡があったきり音沙汰無しで、いつ入金があるかを確認することすら虚しい行為になっていたのだ。見れば入金されているではないか。

すればいいってもんじゃねえだろ。

「五月蠅いなー、入金すりゃいいんでしょ!?」と言わんばかりの態度だ。ほほう、詫びもなし、そもそも入金告知のメエルもナシで。へえええ。いいトシした社会人がねえ(ガクセイならいい、というものでもない。当然だが)。

365歩くらい譲ったとして、何となく申し訳なさが募ってメエルできない、のだとしよう。

それ、実社会で許容されるかよ? アンタだけの「マイ・ルール」だろが。

おこちゃまじゃないんだ、許されるか否かは別にして、まずはとにかく詫びるべきだろうが。それがのうのうとブログの更新ですかそうですか。おちゃらけた文章打つヒマあっても詫びのひとつも入れることはできませんか。

友人が「非常に悪い」の評価をつけなかったことに感謝しろ、大うつけ。友人がブログを見つけた時、どれほどショックを受けたことか。あれこれ心配し、心を砕き、様々なケエスを想定して忍耐強く待っていたと言うのに。

おそらくすでに友人からの荷物を落手しているであろうその馬鹿は、未だに到着したという知らせを寄越さず、評価も入れていないらしい。……呆れた。

友人が二度とこんな手合いとのやりとりを余儀なくされないことを祈るばかりである。
母子2代にわたっての「フェリシモ」ユーザである。何時、とも限定できないほど小さい頃に商品に「~の会」と名付けられているカタログを見た記憶が残っていて、長じて後、それが現「フェリシモ(元「はいせんす絵本」)」だと知って吃驚した(しかも、すぐには気づかず、「フェリシモ」から購入するようになってしばらくしてからその記憶はふと甦った(やはり「記憶」というのは無くなるモノではないんだな、としみじみ思う)。現在食卓に並べられる食器の一部には、彼女がこつこつ買い集めていたものが混じっていると知った時はもっと驚いた。やはり親子だな、母よ。

初めて買ったのは「100枚便箋」だったなあ…(100枚すべて柄違い、の便箋。今思うと結構なお値段だった…)。それから食べ物を模した弁当箱(何と12種もあって、「そんなに弁当箱あってどうする」と母からツッコミが入った。ええ、今でも何の役にも立ってないわよ↓ だっておにぎり1個もあればとりあえず足りるんだもの)、カップ&ソーサー(6客セット。ひと月に1客届く。欧米系はちゃんと偶数で和モノ東洋系のモノはちゃんと奇数…たいてい5客セットなのがお約束踏襲で逆にちょっとココロニクイ…のだが、何となく偶数個が好きな私は「これでいいのだ!」と思いつつ少し残念だったりする)なんてテイスト違うってだけで2セット購入してたし(それとお揃いのケエキ皿なんてのも6枚ずつ揃えた。ポットも数回購入しており、一体何人を集めてどんだけデカイ規模のパーティを開くつもりなのかと自問してしまった)、衣服、バッグ、アクセサリィ、食器、雑貨、目に付く可愛いモノを買いあさった。
ところが、数年前から「何となく『コレだ!』ってのがなくなってきたなあ…」と思うようになった。でもやめられず、惰性でだらだら毎月申し込んでしまっているのだが、ここのところは送料を払うことも多くなっていた(通販ではよくあるお約束だけれど、特定の金額以上購入すると送料無料になる。「フェリシモ」の場合は¥3,000以上)。

もう潮時かもしれない。やめてしまういい機会かもしれない。そう思うことも多くなっていた。……のに! 先日届いたカタログ、久々のスマッシュ・ヒットで、「どれ頼もう?」と悩み倒すほど(私はそれ以上に書籍にカネをつぎ込むので、1ヶ月で許容できる金額は限られているので悩む悩む。←何度もこの手合いのことが語られているくらい私は「やめる」ということを選択肢に入れることのない馬鹿である)。

最近のフェリシモは迷走している、と思っていた。カタログを出すスパンが妙に短くなり、それでいて申込期限には余裕があるため捨てるに捨てられない。また、基本カタログの種類が増えたのも、楽しいと言えなくもないけれどハタ迷惑でもある。
以前(私が知っている初期、だが)はまだ2冊だった。ファッション編と雑貨編。単純明快。そこに「こども編」なるものが登場して3冊。これくらいで留めてくれればいいものを、その後コンセプトでファッションも分ける、雑貨も分ける。カタログ乱立。おまけに、商品がその時々で掲載誌を変えて登場するため、「以前は『雑貨編』に載ってたアレ、載ってない! もう販売やめたのかな」なんて思ってると違うカタログに移動していたりする(さらにはまた最初に見たカタログに出戻ったりするので非常に厄介だ)。

スタイリストやカメラマンの腕は相変わらずで見せ方は巧いのだが、商品そのものにやや魅力の面で陰りが見えてきた(私にとっては、というだけのハナシですが)。出来がどう、用途がどう、とかではなく、そそられない、のだ。
それでも、細々と、細々と(同じ漢字だけれど読みは違うのよー)、あれこれ購入していた。ほかに欲しいモノをお店で見つけちゃうことも多々あるし、何も無理しなくていいよねー、なんて思ってたのに。のに。のに。のに!!
何故突然盛り返したのだーっ(ホントに好きなら喜べよ)。

てなワケで、今日も今日とて「次月注文分はどれ注文しよう……」とカラッポのアタマをさらにカラッポにする勢いで悩み倒している。オシアワセなことだと自分でも思う。
ばななブレイク
吉本 ばなな
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随分引っ張ったなあ、幻冬舎。文庫化まで5年もかかってるのか。そして文庫化しないと買えない貧乏人(ゼニも乏しけりゃ部屋の面積も乏しい↓)。でも、鮮度は関係ない(なくもないが感じない)本なので、楽しめる。まだ所々拾い読みしただけだけれど、やはり面白く読める。
シモネッタな単語(それも伏せ字一切ナシの潔さ。そこがばななちゃんだ!)がひょいと顔を出すかと思うと、今はもう会うことの叶わぬ他界した高名な作家についての思い出を淡々と、でもどこか軽妙に語り(そして、それはもう逢えぬ作家のひととなりに繋がってゆくのだ)、同列で愛する犬とその死を、家族との出来事を、出会ったひとを活写する。その分け隔てのない、差別のカケラもないところがとても好きだ。落としもしないし、持ち上げもしないけれど、愛する人々への賛辞は惜しまないし、腹立たしいことへはキッパリと腹が立ったと宣言する。潔い。面も割れてる、名前も知られてる、だからリスクは生じる、でも彼女はホントにキッパリと言ってのける。

どうしてか私は彼女の書く文章に「偽り」を感じない。小説はツクリゴトで、虚構で、事実ではない。けれど、そのツクリゴトで偽りで事実ではない文の連なりから「真実」と呼び得るものを出現させる。コラムやエッセイでもそれは(互いに異質でありながら)同様で、それでいてよりクリアになる。
中島梓氏に著作を批判された時のことを記し「腹が立った」と彼女は書く。腹が立つものの、結局は自分の書いたものがそのように取られてしまう程度のものでしかなかったのだ、と言う。中島氏に腹を立てはしても、憎んではいないことが、あえて言及せずとも伝わってくるのだ。ちゃんと中島氏の(持つ)良さも評価している。そして、モノ書きの批評は何らかの形で役立ってくれるものだ、とまで言う。その上で「腹が立った!」と断言するのだ。
それと同じ明瞭さで、愛するもの・尊敬するものへの思いを語る。惜しみなく、さりげなく、でも鮮やかな印象を伴って、美しく歯切れのよい簡潔なコトバで語る。そこがとてもとても好きだ。

気負いも衒いもなく、すとん、と気持ちよく心の中に落下して、種のように潜り込み、何時か自分の中で何かが芽吹くのではないかと思わせてくれる。
多分、彼女の書くものを読むと、不思議と元気が出るような気がするのは、この種と芽吹きの予感のせいだろうと勝手に思っている。
靴の事典―下駄をはいた?
岸本 孝
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今の今まで思い込んでたことが突然そうではなかったということを知るのは、たとえ自分のコトでも吃驚するものなのだな、と思った。

靴屋で一足買い求めた。その店にはこの辺りの地域では珍しくシュー・フィッタアが居る。
「一度(足のサイズを)測ってみたらいいんですよ」
そう言われて測って頂いたのだが。

私はかなり前から24センチの靴か、24.5センチの靴を履いてきた。23.5なんてサイズ、もう何年も昔に「卒業」してしまっていたのだ。可愛らしいデザインの充実度はこの23センチ台まで、ということも少なくない。もっとも、最近はサイズが大きめでもそれなりにデザインの多様性が広がってきてはいるのだけれど(ブラだとか下着に通じるものがあるな)。あるいは、お店に置いてある在庫数が豊富とは言えない状態も多々。選びたいけど選べないことだって沢山あったというのに。
衝撃が走った。
「あ、23.5、ですねー」

は!?

「いや、それはあり得ないです! だって、ずっと前から24か24.5のサイズだったんですよ!」

その店にはちゃんと足を載せて計測できるボードと、スケイルとがある。私はそのボードとスケイルの両方で測って頂いた訳で、その時も確かにボードの上に足を載せていた。

「ほら。23.5、でしょう?」
スケイルでも足の縦の長さを測ったのだが、やはり示す数値は「23.5」なのだ。うっっそー!!

「あ、でも、私幅広なんで!(何故か妙に焦っている)もうきっと3E4Eとかあったりして! ははは!」

しゅるり。巻き尺で測る。

「いいえ~~。ホラ。2E。ごくフツウですよ」

何ですと!?

「靴のデザインにもよるし、メーカーさんにもよりますからねえ。でも、ちゃんと23.5だったでしょう?」

……はい、確かに(呆然)。

「試しに一足、履いてみるといいですよ」
「いや、絶対無理ですって!」
何故か否定しまくる私。店員さん、つい、と靴を手に取って私に差し出す。
「はい、履いてみて下さ~い」
おおう、トウが随分とシャープだわ。こんなのもう何年も履いてないぞう! と、おそるおそる。シンデレラの義姉たちって、確か踵とか爪先を切り落として靴のサイズに合わせようとしてたよなあ…とイヤなことを思い出す。
「! 履ける! でもなんかみっちみち!! 余裕皆無!」
「でも、履けたでしょう?」
……はい、確かに(さらに呆然)。
「メーカーによってはもう少し余裕あるでしょうし、靴のタイプにも寄りますしねえ。でも、とにかくサイズは23.5ですよ。もちろん、サイズがすべてではないけれど。余裕があった方がいい、とも考えるでしょうけれど、あればいいという訳でもないんですよ。逆に、靴が履いている内に伸びてしまって、今度は爪先の辺りが余ったりして滑るようになったり。多少はキツいかな、と思っても革製品だと伸びますしね」
う、うん、それはそうなんだけど。
つい先日だって、ミュール欲しさにこの店を訪れて、試しに履いては却下され(むろん、靴の側から)、履いては却下され、の繰り返しで、ようやく履けた一足を贖ったのだ。デザインは別なのがよかったけれど、履けるのはソレだったし、そこそこ気に入ったから、と妥協して。ソレのサイズだって「LL」だったのだ。却下というか拒絶されるのは足の幅の故。底の部分は余裕ありそうでも、足が入っていかない。まるでウエストで選んだジーンズがヒップに阻まれるように。それも結局はデザインのせい、ということ、らしい。

「私、もう何年も何年もずっと24センチ以上の靴履いてたんですよ。それが、それが……」
私の脳裏でひとではなく靴が列を為し、次々とクッションに載せられ、それが合うまで試し続ける必死なオンナの姿が過ぎる。頑張れしんでれら! 靴に足を合わせるんだ!
……足に合う靴を、捜すべきなのにねえ。もう何年も思い込んできた「自分のサイズ」が違っていた、というのはこんなにも吃驚するものなのか。

健康にも関わることなんだし、もっとこだわっておくべきだった、と反省。でもって、またこの店で靴を買った。今度はサボ風。ちょっとフォークロア調で、革にステッチで模様が入ってる。これは、でも、「L」にしたんだけど。
「少し、爪先が余ってますねえ。履き慣れてきたら、ちょっと前に滑るかも」、と言われたけれど、やはり幅に阻まれて(いや、駄洒落ではない)「M」ではなくソチラに。

そう言えば今日履いていたサンダル、24.5だった気がするけれど、……微妙に土踏まずの部分が合ってないことに気づいた。私のサイズって、やはりと言うべきか、「24」ではない、んだ。

面倒がっていたことを反省したのでありました。「何だか靴が合わないわ」「靴選ぶのって、大変なのよね、いつも」と思ったら、ちゃんと測ってもらうことをオススメします(私を知ってるひとなら全員吃驚する数値だ、絶対に! ……だってでぶなんだもの↓ このカラダにそんな小さいサイズの足がくっついてるなんで誰が想像し得ただろー! 身長伸びるのが止まるのは、足のサイズが確定されて、以後変わらない、という数値になってから、とも聞いたけど。……そうか、不相応に肉を蓄えてるんだな、と逆によーくわかったのでした……カナシイ……↓)。
ネイティブスピーカーの英文法―英語の感覚が身につく
大西 泰斗 ポール マクベイ Paul Chris McVay
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アルク「英文法マラソン」マンスリィ・テスト2回目回答結果到着。
……おかしい。何故か高得点だ。1回目も予想以上に高得点で思わず「何で?」と思ってしまったのだが(スピーキングにしろリスニングにしろ、どのスキルも全部「◎(ランクとしてはいちばん上で「とてもいい」というシルシ)」がついている……何故ー!?)。

いや、おかしくない、と言えばおかしくない。問題の大半は学習した内容からピック・アップされたセンテンスや会話例を使用しているので、それを記憶していればわかる、と言えないこともない。故に、素直に喜んでいいものなのか、とちょっとだけアタマを抱えていたりする。

私はすこぶるつきの記憶力の悪さを自認しており、しかもその点に自信がある(要らないけど↓ 欲しくもないけど!)。だが、流石に何度もリピートし、音読し、マネなどしてロール・プレイングを繰り返しただけあって、「身体が覚えたこと」故か、それなりに自分の中に学習したことが残っている、らしい。しかし、それは口乃至調音点で音をつくりだし、耳で何度も聴き、手で書き込んだ、からこそ、のような気がするのだ。理論が身に付いたから、理屈が理解できたから、というのとはちょっとチガウ、と思ってしまう。

けれど、日本語を「習得」してきた過程で、そんなもんをいちいち意識しながら身につけたか、というとそれもまたチガウよね、と思う。沢山の情報・音を得て、自らの発話する機能・器官を以て時間をかけて刷り込み、アウトプットを繰り返す、という経験値があって、リクツを捏ねられる現在に至ったのだ。まずリクツありきでは話していない(いや、リクツはあるんだが、それをいちいち意識して、確認しながらやってるか、というとチガウと思う)。

うーん。喜んでいいものなのかどうか。私としてはリクツを理解して、それを元に会話や文意を理解する一助になれと学習を始めた、ので。

って、そんな高尚な(?)悩みを抱いて煩悶するフリする以前に、もっと復習しろよ、と自分で自分に突っ込む必要があることに、とりあえず気づいてはいる。その時限りで蓄積なんぞ生まれるハズないだろう、私!

しかし眼前の「今クリアすべきアレコレ」(つまり、3冊目のテキスト)に気を取られて、ぼんやりと掴みかけているアレやコレを逃しつつ、日々学習に追われるのであった。ああ、また記憶がどんどん抽斗にしまわれていくのね~~(消えはしない。ただ、思い出すきっかけを逸したり、思い出せない状態になってるだけ、のハズだから。←半ば願望に近いな、コレ)。
Hario カスピ海ヨーグルトメーカー EHC-3
B0007WTBOW

働くと喉が渇く。帰宅するなり冷凍庫のドアを開ける。しまった。今朝でかける時に夜のうちにつくっておいたお茶を凍らせておくのを忘れたのだ。今更「何で!?(いや、そりゃアンタが迂闊だからさ)」と嘆いても遅い。冷蔵庫を開ける。ふふふ、前に買っておいた低脂肪乳があるじゃないの~♪ とひとりごちながらドアを開き取り出す。ほーらね、とグラスになみなみと注ぐ。正直、この時期は中が飽和状態で冷え冷えのモノは期待できないけれど、まあ薬缶に入ってただけのお茶よりはマシ。そう思って一息に半分くらい飲み干した。
あれ?
何となく喉奥に感じる刺激は……ナニかしら?? グラスを凝視する。そこには半分近く飲まれたために水位の下がった牛乳が。
低脂肪乳の賞味期限をそこで初めて確認した。

8月5日。

何故だろう? 眩暈がする。
「ねえ、これ、ヘンなニオイ、する?」
母に差し出してみた。母がつい、と鼻先を牛乳のパックに寄せる。
「うん。するね」。

え。

徐に紙パックをむんずと掴んで、シンクにナカミをぶちまけた。だーっと流れ出る白い滝……のあとに、だばだばだば! というオソロシイ音を立てながら、固形にならんとするモノが……(絶句)。

自家製ヨオグルトができていませんか。

えーと。私、一気に飲み干したネー。半分くらい、ごきゅごきゅとネー。

……やってもうたがな(蒼白)。

しかしハラをこわすでもない私。その後元気に夕食をかっくらった。お母さん、丈夫に産んでくれてありがとう。そしてニブい嗅覚にも感謝します。わーい(棒読み)。

そんな日に届くあたり、ココロニクイものを感じてよ、あまぞん(いやまあ単なる偶然なのだが)。
こどもといっしょに牛乳料理の本
ユキ
4894444380

本来のふんわりとした甘みのある香りやら味わいを思い出して何かが切なくなる残暑の夜。
本はやはり美味しそうで小難しさのないレシピがわんさとあって、しかもカワイイヴィジュアル満載。でも、アレルギィのために牛乳が味わえない子もいるわけで、そういうひとたちのための豆乳のレシピも掲載しているところが母親としての著者の「優しさ」とある種「あらまほしき当たり前の態度」をカンジさせていい。

寒くなってきたら、またクラム・チャウダアを作ろうかな、とふと思った。浅蜊って何であんなにウマイんでしょう? おまけにミルクの味わいとぴったりで。日が経つとシチュウみたいにとろみがついてまたさらに美味しい♪

とりあえず今日感じた喉の違和感は忘れることにしよう。つーかフツウに飲むヨオグルト甘味抜きver.でした……しくしくしく。
アメリカの市販薬 ラクラク活用ブック~ 米国旅行・出張に必携
アンドリュー・テンヘイブ 當麻 あづさ
482224461X

別にアメリカに行く予定があるわけでもないし、病気になる気満々という訳でもなく、唐沢氏のように薬局通という訳でもない。酒と一緒に飲んでらりるれろ~♪ な状態になりたいとかいう不心得なことを思っている訳でもない(だいたい、そんなことしたいと思ってたらこんな所に書きもせず実行するが得策であろう。しないけど)。
薬局通―目からウロコが落ちる薬の本
唐沢 俊一
4150305579

デエタの羅列を眺めるのが好きだから、というのが多分妥当。……この本、発刊されて以来私のネット書店の買い物カートに放り込まれている。ちょっと高額な本なのでまだ手を出せないままでいるのだけれど。
生活に根ざしたモノ故に、他国の人間から見ると何が何やら、なモノという点でも惹かれる。いきなりアメリカ行って薬買うハメになったって何が何だかわからないし(いや、何に効くか、とかは、英単語に謎なものがあったとしても辞書で調べればそりゃわかるのだが)、アメリカで一般的にどういう位置を示しているか、というのもわからない(実際生活して、現地で友人・知人が出来るかして情報収集できるならハナシは別だ)。日本だったら整腸剤なら「ビ○フェルミン」とか、何となく代表格の薬だとか名前だけは知ってるぞ、なものがある。アメリカにだって当然あるだろう(多分)。おそらくそういうコトがわかるのではないか、と期待しているが故に欲しいのだ。

アメリカは良くも悪くも選択の幅が広い。アホみたいに広い。国の広さに比例しとるんか、くらい広くて、ウンザリしないでもない(実は楽しいんだけど♪)。洗濯用洗剤ひとつ捜しに行ったって、高い天井・見上げる程高い棚にズラリ何種類もある。だからこそ逆に「コレ1本で台所から家の壁まで何でも汚れが落とせます!」なモノが登場するのだろう。どっちもそれぞれに使ってみたい。でも、片っ端から、は自分の経済性と吝嗇の故に許されるものでもなく。
あ。今わかった。私はズラリ並んだ棚でどれにしようか逡巡する、という楽しさをこの本を眺めることで体験したいのだ。カタログなんかも大好きだもんな↓ もうう゛ぁーちゃるの限りを尽くすべきかもしれない。まずはどの病気に罹ったことにするか、から迷わねばならぬ(笑)。もっとも実際やれ風邪だ歯痛だ何だと苦痛に苛まれている時に遭遇したら迷うどころではないが。

――などという馬鹿げたお遊び(?)を許容しつつも、実際アメリカ滞在時に活用できる、という利便性までを備えた(本来はその「利便性」を追求するための本ですよ、紫堂さん)素晴らしい本なのだ。欲しい。
でもって、「あ、King(スティーヴン・キング)読むのにも役立ちそうだわ」などとも思ったり(彼の作品は固有名詞がばんばん登場するので。でもって、アメリカでは代名詞的に固有名詞で呼んじゃうし。ティシューをクリネクス、とか)。

いずれにせよ私には興味深い本なのであった。私のような理由で欲しい、と思っている日本人がほかにも居る……と思う。思うだけなら自由だし(何故良いわけしてるのだ)。
お料理絵日記
飛田 和緒
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つい文庫だというのに(最近の文庫は結構侮れないから)カラアのイラストなぞが入ったカラフルな、可愛らしいものを想像していたのだが。すべてがモノクロだった。少し大人でシックな、でも拙さが一種の可愛らしさになる絵に手書きでレシピやアドヴァイスが添えられた「絵日記」。

御夫君とチャッピー(犬、のぬいぐるみ。御夫君が幼少から大切にしていたものだそうで、結婚してからも持ってきているのだそう。男性でぬいぐるみを今も大事にしているひとを個人的に知らないので何だか新鮮)の「3人」暮らし。ほのぼの淡々とした、でもちゃんと地に足の着いた生活を送っていることが伺えて、何だかとても羨ましいと感じた。
絵はプロではないので、巧い訳ではないのだけれど、気取らない料理そのままにさらさらと描かれた感じで何だかいい。友達にレシピを教わるような気分で読める(実際、御友人に「キャベツ安いから勢いで買っちゃったけど、何をつくったらいい?」というような質問を受けて、ザワアクラウトの作り方なんかを教えて差し上げたそうな。ザワアクラウト、輸入品だけど市販のを見かけた。美味しいのかね? 何でも冷えたままだとあまり美味しくないけれど、温かいと美味! らしい。飛田さんはスパイスでアクセントをつけるといい、と書かれている。あー、駄目だおなか空いてきた↓)。

料理の巧いひとは素材を見つけるとするすると眠っていたアイディアを引き出すように料理を考えつくからスゴイ(私にはそう見えてる。ものすごく腐心したり苦心したりして考え出す料理人、て居るんだろうか? いや、より美味しくするために、あれこれ試行錯誤を繰り返す、というのはあると思うのだけれど)。飛田さんの御夫君がとてもとても羨ましい。私が欲しいわ、こんな奥方(笑。こんな奥さんになりたい、と言えないところが私だ↓)。オット(あるいは恋人)が料理上手、というのも好きだけど(この確率の方が高い私をどうしたものか)。

相手が男性であれ女性であれ、料理をつくってもらうのはとても嬉しくて楽しい(そして何となくくすぐったい気分になるのは何故だろう?)。特に、料理をするのが好きなひとなら尚更。つくっている姿がまず楽しそうで、わくわくする。私? いや、ほら、邪魔になるといけないから手は出さないの、アウェイだし(ははは。でも、私もアウェイならぬホームに招いてあれこれつくる時は待ってもらってることが多いなあ。別に手を出されるのがイヤなのではなくて、キッチンが狭いのと、多分私のトロさにイライラするだろうと思うからだが↓ 「ええい! その危なっかしい手つき、どうにかならんかー! 貸せ! こんなもんはこーやってサクサク刻んじまやあいいんじゃあっ!」とブッちぎられそうでなあ)。誰かと一緒に料理、も楽しくて好きだなあ(でも調理実習はキライ。仲良いわけでもないひとたちと楽しく料理、なんて私には無理だし、「船頭多くして舟山に上る」と申します。多けりゃいいってもんじゃない、統制取れてる訳でなし。←つまり、それなりに統制が取れてる大人数ならアリ、ということです。大人数であれこれやるのはそれはそれで楽しいことも知ってはいるのよ)。

つくる喜びとつくってもらう楽しさを思い出させてくれる。文庫という体裁のおかげで何処にでも持ち運べるので、帰宅途中電車の中で「今夜は何にしようか」とにらめっこするのも楽しい本。
ツバサ―Reservoir chronicle (11)
CLAMP
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相変わらずさしたる進展もなく、登場人物たちの行動原理をわからせるため、伏線を張るためとは言え、なければなくてもいいようなエピソオドをだらだらと描くことで長引かせるのがお上手だなあ、というところか。そういう意味ではデビュウ作の「聖伝」からほとんど変わっていないと言えば変わっていないし、らしさを貫いていると言えば言えなくもない。結局彼女たちの作品を面白がれるかどうかで評価はまったく違ってくる。
せめて「このエピソオドはこの物語にとって、こういう意味で重要性があったんだな」という説得力だの納得させてくれるだけの何かがあればさほど気にならないと思うのだが、さしたる進展もないまますでに2桁の冊数に突入している辺り、少々呆れないでもない。
「少年まんがではアクション・シーンも見所だけれど小さいコマだと見づらいし伝わりにくいから大ゴマが多くなってしまってバトルだけで一週分ペエジを使い切ってしまうのがよくわかった」
というようなことを仰っておられるのだが、……お約束を踏襲するだけに留まるか、あくまでも自分たちの伝えたいことをいかに自分たちなりの方法で伝えることに固執するか、でもその辺のことは変わってくるから、言い訳にしか聞こえなかったりしないでもない(もちろん、雑誌の傾向性だとか読者のボリュウム・ゾーンへの配慮が必要なため、必ずしも彼女たちが貫きたい姿勢を保てないこともわかってはいるけれど)。
物語の大筋は幼馴染み同士だったさくらと小狼(しゃおらん)が、まったく異なる世界の住人2人と共に、失われたさくらの「記憶」を取り戻すためにあらゆる異世界を渡り歩く、というもの。故に、その旅の過程の辛さ・厳しさ・長さを示すために巻数が費やされるのは致し方ないこととは言え、どうもこう、大筋にそれぞれのエピソオドが絡んでこないので「無駄に長い」気がしてしまう。
一応、読んでいて、このエピソオドでは○○について触れておきたかったんだろう、とか××への伏線を引いておいたんだろうな、とか、わかることはわかる。この作品はクロス・オーバーという手法によって描かれており、自分たちの既存の作品から、様々なキャラクタアたちが登場するのだが、そのキャラクタアでなくてはいけなかった理由だの、その世界観でなくてはならなかった理由などはあまり明確に伝わってこない。だからアンチ派の読者やまんが読みに否定的に叩かれるのだ(「自分たちのパロディ同人誌まんが描いてどうする」、などと言われている)。
青年誌連載作品「XXXHOLiC」と相互リンクし合って進む物語であるという点などは確かに試みとして面白いと思うし、そういう意味では展開が楽しみであると言えなくもないのだが、何ともうすっぺらい物語が延々と続くだけの状態で11巻……。もっとも、今登場人物たちが滞在している異世界を移動した後は少々展開というか物語の方向性が変わってくるらしいのだが。

彼女たちの作品はほぼ全作読んでいるけれど、説得力に欠けることがほとんどで、全巻通読して「……ああ、いいもん読ませてもらった!」という感慨に耽ったことが一度もない。絵的な美しさと一縷の望みだけで読んでいき、結局「そんなオチかい!」という展開が多かった。やたらめったらひとが死ぬし、その「死」にあまり重さというか重大性も感じさせられたことがない(死ぬ、というより「殺害される」「惨殺される」、か。でもって、重要性だの重さだのと言ったって「死」をどうとらえるかにも因るのだけれど、あまりにもさくさくと殺されるばかりで辟易させられるのだ。これもまたわからないでもないけれど、伝わってくるのはコリクツばかりで心情に訴えるくるものが感じられない)。そんだけ言っててもちゃんとコミックスを買って読むんだから私も相当オカシイのだが。

友人が録画してくれたのでアニメ化された方も観てみたのだけれど、……なんだ、これは。ノロノロだらだらと話がつき損ねの餅のよにのびのび~~んで、緊張感がナイ。物語として面白くない。テンポ良く進めては原作の物語を使い切ってしまうからだけれど、それにしたってテンポが悪すぎる。原作がそもそもたれれ~~んと進んでいるからしょうがないのか?
前半だらーんと弛緩しきった展開で、これからやたらとぽんぽん物語が進むのもまた何となく「……」とビミョウな気分だし、かといって今までのようなテンポで20巻近くの巻数を費やされても鬱陶しいし。それでいて単純に終わっては彼らの旅の「困難さ」とそれに打ち勝つ「強さ」が明瞭にならず。

結局、最終巻で私はまた落胆(?)するのであろうか。だとしたら、まだ彼女たちの作品のどこかに期待を抱いていることになる。辛抱強いな、我ながら(はっはっは)。
ちょっとネコぼけ
岩合 光昭
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いや何も、猫発見器、とか、そういう意味ではない。にゃんこがある種のセンサアのようだな、と思ったのだ。多分、動物を飼っているひとは機会あるごとに経験しているのかもしれない、些細なことなのだけれど。

先日地震があった時のこと。最近の私は不眠症を通り越して、生活のサイクルが狂っており、たいていのひとが眠っているような時間にまだ起きているか意識があるかという状態がほとんどである。暑さ故の寝苦しさもあって、よりさらにスンナリとは眠ることができず、だらだらと起きている(あるいは、意識がある。本人は眠るつもりで横たわってはいるのだが、なかなか寝付けず、半ば意識があるな、と意識しながら寝ているのだ。これは疲れてしょうがない)。

その日、明け方近い頃、妙に外で猫が五月蠅かった。「ご」と「が」と「ぎ」の間のような音が幾重にも重ねられたような声がする。1匹と言われればそうだろうな、と思ったであろうし、2匹以上居たよ、と言われればそうかもしれぬ、と思ったであろう。とにかく、何とも言えぬ声で、低く、呻ると同時に雄叫びを上げるかに聞こえた。
私の家の庭を通り道乃至縄張りにしているらしき猫が、3匹居る(母の証言に寄れば、だけれど)。特に夜にふらりと来て、ふらりと去っていく。家猫か野良かは判然としない。何処かの家では「○○」と呼ばれていても、実は野良、かもしれないし、出入り自由な家庭で可愛がられている家猫かもしれないし、よくはわからない。けれど、とにかく来る。多分、その猫(たち、かいずれか)なのではないか、と勝手に推測しているのだが。
とにかく鳴くのである。求愛か、はたまたひとりの美姫(笑)を巡って男たちが戦いを繰り広げているものか、単なる喧嘩か、それもまたわからない。とにかく、五月蠅いなあ、と思ったことを憶えている。
――その数時間後、なのだ。地震が来た、のは。揺れに揺れた。震源地付近ほどではないけれど、それにしたってここ最近ではもっとも強く長く揺れた。モノが密集した部屋にあって、私が心配するのは買い溜めてきた茶器(コワレモノ)の類なので、ぐらりと揺れた瞬間、跳ね起きて、それを収納している棚を押さえようかと思ったのだが、あまりにモノが密集し過ぎているせいか、揺れの割には落ちる気配はなかった。
しかし、やはりコワイ。色んな意味でコワイ。揺れも収まった頃、ふと明け方を思い出した。
もしやあの猫の鳴き声は、コレを示唆していたのか?
そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。でも、獣はヒトよりもそういうことに敏感だとは聞いていたから、そうなのだろうか、とぼんやりと。

何が吃驚した、って、その翌々日あたりにまた少し揺れたのだが、その日の明け方もやはり猫の何とも言えぬ声が近所に響き渡っていたことだ。
げ。やっぱ何か感じてたのか!? と。

これで三度目もあれば立証できそうなのだが、偶々、二度あったばかり、何とも言えぬ。けれど、猫飼い・犬飼いの御家庭でももしかしたら様子が通常と異なっていたりはあるものかもしれない。

でも、犬の吠える声は聞こえなかったから、やっぱり、単に喧嘩してただけかもな、と思ったりもしている(ははは)。
フィギュアボックスシリーズ シャア・アズナブル 軍服バージョン
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正直、どういう層に向けられてつくられたのかがわからない。「ガ○ヲタ」のファンと言えばMS(及び物語)のファンか腐女子なヒトビトしか今は思いつかないのだが。男性が着せ替えも可能っぽいこのテのフィギュアを買って楽しめるのかもよくわからないし(まあデカめのMSのプラモ買ってきて、ディスプレイに、とかはいいかもしんない。縮尺の度合いがまったく合わないとは思うけれど)、今現在「ガ○ダム」に夢中なお嬢さん方は彼に想いを寄せる(笑)世代とは言い難い。そうするとアレか、かつて好きだった、そして現在経済的に余裕のあるお姉さんあたりでも買うのか。……ううむ、わからん。
ただ、感心したのは、写真で見る分には意外に出来がよかったところ。ヘアのカンジがよく出てるなあ、と思った。ドール・ヘアも進化してんだなあ、とか妙なポイントで感心する自分もイヤだが。広がり具合とまとまり具合がイイカンジ。でもって、軍服の刺繍とか、またどっかの国の工場泣かせたんかい、な丁寧さが何とも。ブーツなんて内側にジッパアがついてるし。すげー。
顔立ちは、「ああ、男性のドールのクオリティも、昔に比べたらホントに向上してるよねえ」と思えるくらいには整っている(似ている・似ていないに関しては何とも言えない。アニメの絵を忠実を起こすというよりも、雰囲気を掴んでる、ように思える出来)。精悍な顔立ちで、美しいなあ、と思う(ますますこれを一般の「ガ○ダム」ファンの男性が喜べるのかどうかわからない。いや、「ガ○ダム」好きでシャアも好きだ、という男性は居るだろうけれど、そういう時に彼の「外見上の美しさ(?)」だのを「好き」の範疇に入れているヒトはあまり居ないような気がする)。やはり女性ファンが、自分好みのコスプレをさせたい、とか着せ替えを楽しみたい、という理由で買うような気がする。でもそうなると、「シャア」として買うんじゃなく「精悍にして美しい顔立ちの野郎の人形」として、買うように思えるのだが。わかんないなー。
個人的にはロングで見た時の立ち姿がなかなかさまになっていて、いいなあ、と思ったり。脚のラインとか、腕の曲がり具合、そういうのを含めた佇まいが何とも言えず「いかにも」な雰囲気を感じさせる。

いえ、私は買わないけど。どういうヒトが買うのか、それが気になる本日の一品。
片づけ下手で計画性のない雑貨スキーは大変だ。部屋の面積だとかどう収納するかだとか考えることもなく(あるいは休むに等しい考えくらいしか浮かばない)、「あ! 可愛い! ああしてこうして使ったら可愛い! しかも便利じゃん!」とか勢いづいてしまい、気がつくと商品を手に持ってレヂに向かっている。部屋には累々とあんなものやそんなものが所狭しと(本当に狭いのがセツナイ)あるというのに。
マグカップにしろプレエトにしろボウルにしろ、売る程ある。食器類はまったく! 困らない。数人招いて食事するにしても何ら支障ナシ。ひとり暮らしの時に毎月コツコツあれこれ買った結果+αのお陰だ。同じアイテムでもテイストが違う・サイズが違う、それだけでそそられてしまい、買ってしまう。

前からマドラア兼長めのスプーンが欲しかった。ウチには友人がくれたでかくて丈夫な「スタバ」のグラスがあるのだけれど、これで何かを飲むにしろ、パフェ風にアイスやら何やらを入れて食べるにしろ、かなり長さに余裕のあるスプーンが必要だった。まあ飲むだけならストローがあればよろし。でも、ステアするのに、あるいはナカミを掬い取るために、スプーン状になったマドラアとしても使えるものが欲しい欲しいと思っていた。大が小を兼ねるが如く、長は短をも兼ねる(時もある!)。
そして、「ヴィレッヂ・ヴァンガード」にも前々から置かれ売られていたのだ。私好みのマットな色合いソリッドな材質――メラミン製の長いスプーン兼マドラアが♪ しかし。財布と相談すると、「却下!」のひとことで退けられてしまう。
オサイフサマは雄弁である。そして強い。
「おい。お前な、買っていい、と思ってんのか? いや、そりゃ欲しいのは知っとる。欲しいだろうよ。まあ、コレ、意外に安いわな。1本¥126。ええ値段やないかい。でもな。買っていいかどうか、そりゃ話がベツってなもんよ。わかるだろ? お前の今の経済状態じゃあ贅沢、つーんだよ。だいたいお前は不必要に買うだろ。やれモノは同じでも色が違うのが欲しい、柄違いお揃いがいい、セットでこそ可愛い、どんだけ屁理屈持ってやがんだ。ステアだあ? 菜箸ででもかき混ぜてろ、ボケ!」
……めった打ちに遭う。
そうだよなあ、今無理して買う必要はないんだよなあ。でも欲しいんだよう。可愛いじゃん。
今度は自問自答が始まる。で、困窮している今、大抵はアタマの中にある「今後買うべきものリスト」に照会して「うん、そうだね、来月以降だよね」と収まるのだ。
しかし。今回は違った。私は悪魔を同伴していた(あー、今コレ読んで身に覚えのある君、君だよ!)。悪魔はにっこり笑って楽しそうに言うのだ。
「可愛いよねえ♪」
悪魔の声は弾んでいる。しかしこの時はまだ「友人」だった。徐々に先の尖った黒い尻尾を伸ばしつつあることに気づいていない。
「そうなんだよう。前から欲しかったんだよね。で。この深めのグリーンがいいんだ(「スタバ」のグラスに似合うし♪)。でさ、グリーンあると、赤合わせたくなるのよ。でね、赤あると、茶もいいなあ、と思うワケ。この3色でもすでにごっつい可愛いやーん♪」

にょん。尻尾、完全に伸びきる。友人は悪魔になっていた。で・び~~~~~~~~る!(←出来れば草なぎっちの声で)

「オレンジもいいよねー♪」
「そうなんだよう! オレンジにも合うじゃん!? 茶にもイケてるし! 何かこう、レトロな色合いでさあ!(興奮状態)」
「あ、オレンジもう1本しかないんだー♪」
「う、うん…そうなんだよねー……(声のトーン落ちる)。うー……せめて2本は欲しいんだよなあ(何でもペアで買うのが好きだし)。でも、だとしたら色の組み合わせが問題なわけよ。ドレを取るんだ! つーさあ。どれも捨てがたいし」
「そうだよねー、全部買っちゃえば後悔しなくて済むよねー」

ここでようやく悪魔が隣で笑っていることに気づく。しまった! すでに敵の術中に!(いや、意志薄弱なだけだよ)

迷った。オサイフサマはかんかんである。怒髪天を突く勢いである(あったのか、髪…)。「今買うたらどないなる思てんねん! あとで泣くんはお前やねんぞ!」と脅迫めいたコトバまで吐く。

「そ、そうだ、2本くらいなら、ねえ(自分に言い聞かせる)」
「えー、2本~~~? 後悔しない~? オレンジあと1本しかないんだよー。何と何組み合わせるの~~?」
「むきーっ! この4つ全色欲しいに決まってんだろー! でもカネがないんじゃあ!」
(↑ならば買わない、という決断が出来ない馬鹿女)
「だからさあ。買っちゃえばいいんだよ♪」

負けた。悪魔に負けた。違うか。自分の意志の弱さと物欲の強さに負けたのだ。「さくらと一郎」くらい負けている(何歳までわかるんだ、コレ)。
私は4本のメラミン製マドラアを4本握りしめてレヂに向かった。

商品の入った袋を持って戻ってきた私に向かってにこにこと微笑む悪魔…もとい友人に向かって私は言った。
「今度オボエとけよ。ケケケ、何か欲しい時あったら横でそそのかしてやるうっ! 仕返ししたる……」

コレはその悪魔の甘言にそそのかされて(まだ言うか)手に入れた禁断の(ははは)マドラアず。
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メラミンのもの、マットな色遣いのものが好きで、カップとそれも載せることが出来るランチ・トレイも持ってる。カトラリィも同色で揃えて。資金が潤沢なら「うわ、安ーい♪」と速攻買い、なのだが、如何せん今は耐乏生活を送らねばならない身……なのに買ってしまうこの惰弱さをどうしてくれようか。

友人へ。
いや、マジで。覚えておけで御座います。
20050819224843.jpgゲーセンにも生息していたのか、ユーヴォくん! ……という訳で、友人の見事な攻撃により撃沈せられ、今は私の部屋に住まう新しい住人・ユーヴォくん。
euvodesignから発信された、身近にある 'e' のつくモノ・コト(education とか ecology とか earty…etc.〈あ、えとせとら、にも「e」が〉)の存在にして、メッセエジ性を打ち出すのではなくて日常にあることに「気づく」ことを促すために生み出された、あれこれを象徴するキャラクタア、とのこと。シンプルで、どこかのほほんとした風情があって可愛い。しかし、ゲーセンで見かけた時は「あれ? 見たことあるし、知ってるけど何処で見たんだっけ?」と思ってしまったのであった。あれほど好きな「ヴィレッヂ・ヴァンガード」でイヤというほど見かけていたというのに。

気負わないカンジがいいなあ、と連れ帰りたくなったので、トライしていたのだが。やはり私には無理であった↓ その時はゲエム機の中に4体あり、紫色のが1体あるだけであとはこのグリーン。私は紫のが欲しかった(察しのいいひとは理由がわかってしまうわね…察しがいいというより私と付き合いが長いかヲタクであるか、どっちかだ)。
でも取れない。ドタマがねえ、重い、んだよなあ。どうしても。で、ここのゲーセンは一見取りやすく置いてくれてはいるのだけれど、トライしてもしても取れない。私たちがちょっとセツナイ思いで見つめていたら、「戦利品」をどっちゃり袋に詰めて持ち歩いている布袋様…じゃねえや、おばちゃんがやって来て、がんがんトライし始める。す、すげえ! 何の躊躇いもなく¥200を連投する。どんだけカネ持ってんだ、おばちゃん! 誰かにあげるのか!?(孫とか)自分のモノなのか!?(でもおばちゃんは「コレ、何だかよくわかんないんだけど」と言った…そんな理由で私の前から紫のコをさらって行ったんけー!)おまけに、店員さんに取り方のコツをこっそり訊いて、あとはカネに任せて連チャンでGET。色違いで2体、のユーヴォくんを拉致持ち去ったのであった。
ああああああああ! 残りあと2体しかなーい!!
店員さんがやってきて、奥にあるのを手前に置いてくれて、トライできる環境に。それから数回チャレンジして、どうにか獲得することができた。訊けば、これで、今あった分で最後、だったのだそうな。おばちゃん…地味に恨むよ…筐体(だからその言い方は正しいのか?)からどいてくれないからトライできなかったやん……(涙)。ようやく1体。それも、本命のぱーぷるは連れ去られてしまい。

そうだな。ある種の "energy" は投入しまくったな↓ なおかつどこかしら "egoistic" でもあった↓ 確かに「e」はキィになる頭文字だよ……。

まあとにかくウチのコ(…)になったのでありました。愛でるぜ!
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……コワイよ、コレ。でも何だか好き。引き寄せられてしまうのよ。その名もまんまやないかい、な「あおくび大根」(ひねりが無さ過ぎる所が素敵。ひねる、ということをそもそも放棄しているとしか思えないほどの潔さ)。大根だけあってあっさりしている。そして地味。どこまでもどこまでも地味。なのに何だこのインパクト。
可愛くないところが最大のポイントかもしれない。可愛いというよりも味わいがある、という類だ。そこがコイツの「可愛らしさ」のキモだろう(と思うことにしている)。どことなく達観しきったような、あるいは何もかもを捨て去り、諦め切ったよな顔にも見えるツラ。時にヒトを小馬鹿にしているようにも見えるぞ。好きなものは日本茶らしい。あとは踊ること(…)。
昨日のゲーセンにてかっさらってきた2体。私はおかんver.と呼んでいる(一応正確には「お母さん編」らしいけど)。正座するなよ。してもいいけどするなよ。何なんだよ。ワケわかんねえよ。でも好き。そして何故だかコイツ↓を思い出した。
Meet My Friends! (Spongebob Squarepants)
Tricia Boczkowski
0689851820

最近日本でもキャラものを扱う雑貨屋や玩具売場でもやたらと見かける「スポンジ・ボブ」。アメリカで大人気のアニメのキャラなのだが、ある意味コイツとは対極にあるせいかもしれない。そもそもスポンジて! チーズだと思うやん! しかしスポンジ、なのだ。何でかはよくわからんのだが(※)。でもって、彼はどうやら社会人(子供だと思ってたよ…)。ファストフードの店で働いていて、「パテをひっくり返す」のが彼の持ち場だそうで。楽天家で働き者でトモダチ思いのイカレ…じゃねえよ、イカしたヤツらしい。

※その後知ったのだが、この「スポンジ・ボブ」、一般的に出回ってるナイロンだとかのスポンジ、じゃなくて、本当の「海綿」の方の「スポンジ」、だったんですね。そっかー。それで友達とかが海産物(ヲイ!)だったのかぁ…。でもやっぱり何で「スポンジ」がキャラになって人気者になっちゃったのかは謎である。


そして「あおくび…」はこのハデだけれどどこか可愛らしい抑えめのイエロウのボディ+パンツ姿のスポンジに対抗できそうな勢いのある「地味さ」である。なんつったって、キャッチ・コピィ(?)は「わびさび」だ。白い肌、やや緑がかった顔(不健康そうやのう)、髭根のあるおみ足(それがいいあおくびの条件らしい)。純和風。うむ、まさに! 確かに! つーかこんな大根欧米じゃ食わねえやな! 純和風にして自ら「わびさび」で売る姿勢。そもそも大根を「キャラ」にしようという発想が私にいきなりスポンジとその仲間たちのドタバタを思い出させたのかもしれない。

このプライズ品のver.、3種あって、持ってるもの(白飯・子供?・謎の食い物)と座布団の色(赤・青・黄)が違うだけで、基本的には皆正座してただそこにちょし、と座っている(あ、ふだんつけてないエプロンしてるよ、おかんだから!)。ああ、意味わかんない。でも何だか好き。不気味なんだけど。妙な味わいが。私が気に入ったら、友人がゲエムに挑んでGETしてくれたですよ。いつもそうなんだけど。
でもコレを飾っている女の部屋……あり得ねえ。何かが許せねえ! だって一緒に「白いザクのドタマ」がある部屋よ!? はーれくいんとまんがと谷崎潤一郎とが同居するような部屋なのよ!? ……でも飾るよ、そのうち。スポンジ・ボブだって欲しいし。

私と付き合える友人たちって、どっかオカシイよな、確実に、と今しみじみと思った。あおくび大根とザクとそれから(このあと延々不穏な固有名詞が羅列されるのでカット)を好む女と付き合えるって。

ほーら、本だって出てるよー(出したんか、ポプラ社よ……)。
あおくび大根―わびさび日記
はじめ
4591083918

GUNDAM FIX FIGURATION [ZEONOGRAPHY] # 3001b 高機動型ザクII シン・マツナガ大尉専用機 MA-06R-1A
B0002U3EQA

Q:アナタはガ○ヲタですか?
A:いいえ、私はガ○ヲタではありません。私はE○Aヲタです。
……なんてやり取りを公共の場、カタギの人間が居る場所で交わしたくないからだもん……。


高校以来の友人たちとは、お盆や正月、帰省ラッシュというものが発生する頃に必ずと言っていい程集まってだらだら遊ぶ。最近はゲーセンに行くことが多い。
私の友人たちはゲーセンでさくさく景品を手に入れる(もちろん、散財もしまくるにはしまくるのだが)。そして、「獲得すること」により比重が置かれているのか、私に獲得したモノをくれることが多い。いきなりにーさんからもらったのはコレ↓
20050817184322.jpg「仮面ラ○ダー響鬼」×2種、「ガ○ダム」×2種のキィ・ホルダア。前者はにーさんのストライク・ゾーンなブツなので、おこぼれを戴いたのだが、後者はにーさんにとってごっつい好き! という程でもないためか「ねえ、ガ○ダム取ってよ。初代の!」と言ったらあっさりたった一度のトライで取れちゃったモノ。私にくれた。さらに「陸戦用」も。これを手にぶら下げつつ、さらにゲエムの筐体(…って言っていいのか?)に挑むにーさんを見ていたら。店員さん登場。
私たちがよく行くモール内にあるゲーセンは、客がうなりまくっている。もう少し離れた、まあ隣の市にあるモール内のゲーセンだってあるというのに、こちらのほうが断然客数が多い。多分、それは店員さんや店側のサアヴィスの良さにある。
子供連れだったり、あるいは何度もしつこくトライしていると、ふらりとやって来て声をかけてくれて、徐に鍵を取り出して硝子戸を開けると、客が狙っているものを確認して取りやすい状態に置き直してくれるのだ。それから、大きめのブツ、たくさんのブツを持っている客を見つけては、それを持って歩くための袋をくれる。リュック・タイプにして背負って歩ける仕様のもので、店側としては「ウチで遊んでくれるとこんなに色々取れちゃうんです♪」という宣伝にもなっている、らしい。
で。私を見るなり、妙にテンションの高い(この表現、とりあえず日本人独特のもんだと思って許してくれ、トニー@ダーリンは外国人)男性の店員がやってきて、こうのたまうではないか。
「おお! ガ○ヲタですね!? 今日はもうガ○ヲタの女のひと3人見てますよ! で、皆さんにア○×キラ(あ○きら、と読む)かキ○アス(き○あす、と読む)どっちですか、って尋ねたら、全員○ス×キラなんですよねえ。お客様はドチラですか!?」

え。待った。私、別にガ○ヲタじゃ…。そりゃ手にはキィ・ホルダアで2体ものガ○ダムを持ってはいるけれど、所謂「ガ○ヲタ」(=ガ○ダムヲタク、のこと)ではない、のよー! ヲタはヲタでも強いて言うなら「EVA」ヲタだもの!
……と言い返したらただのイタイヒトである。公共の場では言えぬ。つーか何も主張すべきことでもないよな、そもそも↓
しかし。「ヲタですか」と訊かれて「いいえ」と答えるのも何だか馬鹿げているように思ってしまう私はこう答えたのであった。

「いえ、キャラよりはMS(モビルスーツ)好きなんです」

これは嘘ではない。メカモノはデザインもキモなので、リアル路線の嚆矢たるガ○ダム(…って、コレに続くリアル路線て何、とは知らないんだが。ある意味本気でリアル路線ちうたら「ボトムス」!)は嫌いではないし、少なくともこの作品に対して、キャラ萌えはない。
そういう訳で上記の如く答えたらば。

「おっ! 正統派ですね! 失礼しました!」

せ、せいとうは…。まあ、「ガ○プラ」ブウムで世に認知されたこともある訳で、ストーリィの重厚さ云々に加えてあの一連のメカ・ロボット/マシンのデザインだのに惹かれてファンになったひとも多いし、強いて言うならそういうヒトの方が「これまでは」多かった、と思う。あー、あんまり詳しく語ろうとすると、ジェンダアとかの話にまで行けそうなネタだな。控えよう。

キャラ萌え、特に昨今の「ガ○ダム」に関して言えば、キャラ萌え路線突っ走り過ぎて観る気も起きないほどなのだが。いや、好きなひとはそれはそれでいいのだ。私に、観る気がない、だけ。でもって、私の中では宇宙を背に、「翼を広げたガ○ダム」が登場した時から、すでに「ガ○ダム」であって「ガ○ダム」ではないものになっている(こういうこと言えるのはやはりヲタだからか…)。さらにカタギの方に向けて補足しておくが、最近TVで放映されている「ガ○ダム」には対立する勢力にそれぞれ属することになってしまったかつての親友だか幼馴染み同士だかの少年2人が色んなしがらみを背負いつつ闘うことを余儀なくされている状況にあり、そういったシチュエイションやら設定やらで「男の子同士」であるにも拘わらず脳内でカップルとして認定し妄想を楽しむ女性が多い。店員さんが訊いた「き○あす」「あす○ら」とは件の少年2人の「カップリング(よって、性的な意味合いを多分に含む)」に於いていずれが男性的立場を取るものか、ということを表し、名前が前にある方が男女カップルで言うなら男の側にある(これもヒトによっては「そういう意味じゃないわよ!」とか「必ずしもそこまでの意味はない」とツッコミを入れるところだろうが、とりあえずこのくらいの説明に留める)。
で。そういうのは、男性ファンから見たら、キモチ悪かったりする訳ですな。で、「女性のガ○ヲタ」=キャラ萌え、という図式で見てしまう、と(実際この店員さんはその日一日だけで3人のキャラ萌えガ○ヲタ女に遭遇しているのだし)。その中にあって「MSが好き」というのはウレシイことなのかもしれない。

そう言えば私はずっと前に「EVA」のプラモを購入した時、おもちゃ屋の店員さんに「コレ、どれくらい持ってらっしゃるんですか? 今回、2つもお買い上げなんて~」と言われ「……今まで出た全て持ってます」と正直に言ってしまいやはりというのか「失礼致しました…」と言われた過去がある。イタイ! どうにもこうにもイタイぞ!!


「あっちのゲエム、やってみられました?」とデカいMSの頭部をクッションに仕立てたモノを取れるゲエムを指す。
「いえ、あれはかなり難しそうなので、ははは…」とコトバを濁す私。実はすでににーさんがトライして、「あれは絶対! 無理!」と断言したのだ。まず、デカさから言っても私も無理だと思っていた。
「やるんでしたら、声かけて下さいね!」
店員さんはにこやかに言って去っていった。……私、すっかり「ガ○ヲタ」認定されてるよ……。
が。そんなこと思いつつも、オブジェとして可愛かったりするので、つい挑戦しに行ってしまったのだ、例のヘッド型クッションのゲエム機に。
¥200投入。トライ。あっさり撃沈。そりゃそうよ。重いし、投入口のヘリに地味に取りにくくするためにほんの僅かな高さではあるけれど、ストッパアを設置してあるんだもの。
「やっぱ無理だよねえ」などと友人たちと笑っていたら。来ましたよ。赤い彗星ならぬ光速の店員が(神出鬼没で気がつくとそばに出現している…)。
「やっぱり来てましたねえ!?」
「でも、まあ、無理ですね、コレ。難しいですもん。重いから」
そう言ったら、店員さんはちゃきーん! と鍵を取り出して硝子戸を開け、私がトライしていた白いザクのドタマを投入口に寄せ寄せするではないか!
「これでやってみて下さい! ア○ロみたいに落としちゃって下さいねっ!」
またにこやかに去っていく店員さん。だからそういう台詞はやめんかと。
「えーと。『行きまあーす!』って叫ぶべき?」
笑う友人たち。私も何だかヤケ気味だ。コインを投入する。アームを移動させる。ひょい。
「あ」
取れちゃった…。ごろん、と生首よろしく、ザクのドタマが取り出し口まで転がり落ちてきた。
白いザクのドタマ、GETです……。
20050817233230.jpgコレはシン・マツナガ専用ザク(の、ドタマ)。「白狼」とあだ名される彼のための専用機、という設定なのだけれど、アニメ作品自体には登場しない。どういう出自のものであるかは興味のある方のみ検索かけて下さいな…↓
「おおおっ、やりましたね! コレが何かはわかってますよね!?」
「はい…ハハハ……(もうどうしていいかわからない・笑)」
「ジョ○ー・ライデン専用機ザク! いやあ、シブいっすねえ!」
あれ? と思っていたら慌てて御自分で訂正なさっていた。ライデン専用なら赤だよー。そっちのと紅白で対、みたいに思われること多いからつい混同しちゃうんだろうな(だから何故そういうことをお前は・以下略)。
でっっけえもらいもののヴィニルの袋にみっしりぎっちりとあれこれ詰めて歩き回る私…今その姿似合うのは泥棒と布袋・大黒様とサンタとお前くらいだよ(涙)。

その後もうひとりの友人と合流し、数時間後に行ったら見つかってしまい、「お帰りなさい!」とまで言われてしまった(そしてうっかり「EVA」ヲタの私は「うむ、その台詞こそ私に向けられるべきだな」などと思ってしまった…って、どこまで濃ゆい話をしているのだ、自分)。

そういう訳で、今部屋には白いザクのドタマが転がっている。私はどこまで見事なヲタクっぷりを露呈していけば気が済むのであろうか。

でもね。「ガ○ヲタ」ではないのです(誰に言い訳を…?)。
私には一切ないのだが、母には少しある、らしい。世間でよく言うところの「霊感」とか言うものが、である。
彼女は言う。
「女(の霊)って、台所に来るみたい。絶対落ちるはずのない棚から夜中にお鍋なんかが落ちたりするのでわかる」
などと言ったことがある。
奥行きのある棚にしっかりと落ちないように置いた鍋が落下することなど、確かに少々考えづらい。そして、何だって落ちたのかしら、と思っていると、訃報を知らせる電話が鳴るのだ。そして彼女は得心がいくのだった。
本人が落ちるハズがない、と思っていた鍋が落下することの不思議と、もしかして、という「虫の知らせ」、そこに入ってくる訃報がここで繋がり合う。故に、彼女はある意味納得し、理解し、不思議であって不思議でないことが起きている訳だ(京極堂の論理だねえ。金鳥の夏、姑獲鳥の夏)。
また、幼い頃火の玉を見たり(まあこれは大槻教授が説明してくれるのだろう・笑)、幾度かそういった「虫の知らせ」で近しい誰かが他界したことを察することができる、まあそういった程度の「霊感」(めいたもの)だ。

このお盆の雑事にあれこれ追われている中、彼女は奇妙な行動をした自分に愕然としていた(ウチは本家の長男宅なので、お盆ともなると色々と面倒なのだ)。父(つまり、彼女にとっての夫)にあることを告げるために何処に居るのか、と家の中を捜している時、何故か自分の母親を捜したのだという。彼女の母、私にとって実の祖母(亡くなった祖父は再婚しており、今も存命である母方の祖母は母にとっても私にとっても血縁者ではない)は、私が生まれる前、5歳年上の兄が生まれた時ですらすでに鬼籍のひとである。

「もう何年も母の夢なんて見てないのに。何でだか、自分でも不思議だわ。一所懸命捜してるの。母のこと。居る訳ないじゃない? 色んな意味で(注:母方の一族と私たちは異なる町に住んでいる)。それなのに、あたし、お父さん(注:日本語の紛らわしさ全開だが、これはオット。私の父)捜してたハズなのに、母を捜してるのよ」

彼女は亡くなったひとの夢、というのは自分に対する何かしらの警告や注意の喚起だと思っている、ので、気になるらしい。多分、本人があまり憶えていないだけで、見たのだろう、実母の夢を。自覚はなくとも夢というのはいつも見ているものらしいし、また記憶、というものは無くなるのではなくて、本人の読み取る「装置」の良し悪しのようなものに左右されて思い出せたり出せなかったりするものだろうし。その記憶の残滓がそういう行動を起こさせただけではないかと私は思うのだけれど。
また、タイミングよく、亡くなった実弟の妻がこれまで病気らしい病気をしたことがないのに、突然手術するハメになった、ということもあって、まあ母思うところの「霊のナントカ」であるならば、それを示唆するものかもよー、と私は言った(その実弟の妻、というのが、母の実母が気に入ってもらったヨメ、なのだな。周囲は「何故ヨメに!?」と疑問符でアタマがいっぱいになるよーな御仁なのだが)。だって、言うんだもの。

「そろそろコッチ来い、ってことかしらねえ……」

縁起でもねえこと言うな! 去年今年と猛暑続きで年齢故に弱りやすくなってる分、キモチまで弱くなってるのかもしれない。

今年のお盆はこんな出来事も孕みつつ、終わろうとしている。
こどものとも復刻版Aセット〈創刊号~50号〉
4834004422

オンライン書店ビーケーワン:こどものとも復刻版 Aセット
欲しい。持ってるのも何冊かは混じっているかもしれないけれど、欲しい。随分前から予約を受け付けてはいたけれど、……この価格では「よっしゃあ!」と張り切って買う訳にも行かず(そもそも通常買ってる雑誌の冊数にしろ小説その他本の点数が少々多過ぎて、このセットの3分の2くらいは毎月書籍代に消えてる訳だから、……どこに余剰なお金、なんだあるんだ?)。

発刊50周年記念で創刊号の1~50、50~100号目まで、各50冊ずつ系100冊分を一気に! ……財力のあるひとなら買いでしょう……「こどものとも」ファンならばなおさら。初期は今もハード・カヴァ化されて世に残った秀作揃いだったし、是非とも欲しいところなんだけど、如何せん金銭面に余裕がないぞ。1セット¥30,000以上って!

私が買えるようになるまで在庫があればいいんだけど。無理だろうな(涙)。
なごみのお家でらっくす 階段たんすのお茶犬寮
B0009J598K

また出た。新作。今度は「寮」で「階段箪笥(一応、前に出した商品に茶箪笥があったけど、一応コレも茶箪笥、なんだろうなあ…)」だそうな。意外に廃れないなあ、このシリィズ。セガとしては結構なドル箱(…この表現ごっつい久しぶりに目にするぞ)なのではなかろうか。しかも、人気あるらしいのに再販にはあまり力を入れていない(売り切れたが最後店でも Amazon でも見かけなくなる/販売終了になっている)。「欲しい時に買っておかないとアトがないよん♪」とでも言わんばかりなのがムカつく(笑)。まあ在庫抱えるのも馬鹿にならないし、その都度ごとの売上を見つつ出荷数を決めて生産してる、んだろう。これもきっと9月か10月くらいには姿を消すのかねえ。

「寮」とあるけれど、これはどっちかって言うと「下宿」の風情じゃないか? おまけに昭和のかほりが漂うこの雰囲気。瓦屋根(雪深い地方では土地柄もあるけれど瓦屋根は少ない。落雪+瓦では死者数倍増だ。ちなみに雪国の小学生ならではだろうが、冬休みの注意事項に「屋根の軒下を歩かない(あるいは近づかない)」という項目があるのはお約束だ)に多分万年床と思しき蒲団敷き(だって押入なんてないもーん♪ おまけに、ちゃんと寝た跡がくっきり! 掛け布団がふんわり盛り上がってる! ってそれは仕様だ)。蓄音機で音楽聴いてるのが居るかと思えば、卓袱台で談笑しているらしき面々が。
どことなくプライヴァシィが欠如してるカンジも昭和な下宿風だ(ははは)。下宿生活したことがあるので何だか懐かしいぞ(いや、さすがに70年代のTVドラマみたいな雰囲気ではなかったが)。
そもそも「お茶(それも緑茶=日本茶)」がキャラのメインなので和風であることにある意味こだわっているんだろう。ああ、無駄に可愛い。

それとこの「なごみの家」シリィズの、殊にDX版はつくりが凝っている。開いたのを閉じると急須、ポット、茶箪笥、と見事に和風テイスト+家モノで、収納にも困らないし、閉じた状態で飾るのも気が利いている。今度のなんて階段箪笥だから、開かない状態で飾り棚にして遊べるあたりもおされだ。……本来のタアゲットは子供だろうけれど、俗に言う「大きいオトモダチ(特に女性)」にもウケそう(実際ココに「可愛い! 欲しい!」と思ってる大きいオトモダチが居るわけだが)。個人の部屋(リョクの部屋)→団体で活用できる施設(温泉宿)→施設第2弾(お店屋さん)→施設第3弾(学校)ときて今度は「寮」。それなりに流れもあってイイカンジ。ただ、コンパクトな中に凝縮してつくりあげた急須2種とポットに比べると、茶箪笥の学校と階段箪笥の寮は少しばかり漠としていて空間密度が低いのがちょっと残念。ぎうぎうにあれこれ詰まってる方が個人的に好きなのだ。あれもこれもで飽和する一歩手前くらいでまとまってるくらい、のが(しかし、あれこれあればそれはそれで遊びづらいものでもある。このトシになると「遊ぶ」より「飾る」楽しみを求めてるんだけど)たまらなく好き。充実度が違うじゃないの。

人気があるのか、私が行ける範囲にあるモールの玩具売り場には、並び始めるとほどなくして姿を見ることすらできなくなっていく。私が買えないのも無理ないわね…フッ…(誤魔化しているがそれは主に経済的な理由なのではないかと自分を客観視しているもうひとりの自分が・以下略)。

懐かしさが逆に世代によっては新鮮、というベタさがある意味潔いと言えなくもない。買ってやる側の保護者にしてみればやや郷愁を誘うところも財布の紐を緩めさせる理由なのかも。
ドルチェナ DANDY PUMPKIN GREAT (ナイトメア ジャック)
B000AFMELS

来たなパク…いや、便乗商品。デカめのアタマに華奢なボディ。小さめサイズでコレクション向き。さらには天下のディズニー様キャラクタアのコスプレ、と来ている。しかし、コレは誰に向けて世に送られんとしているのだ? ディズニー・ファンか? 人形者(ドオル・ファン/マニア)か? 
大きく見開いた印象的な瞳、大きめの頭に釣り合わないボディ、というだけで逆に「ブライス」という人形がいかにオリジナリティに溢れたものであったかよくわかる。それだけに発売当初は人気を得られず、1年余りで姿を消してしまったけれど。
「キモカワイイ」などという、女子高生ももう使わないかもしれぬコトバがあるけれど、まさにそのラインのデザインで、今でこそその「キモカワイ」さがウケてはいるのだが、ここまでアッサリキッパリ分かり易い便乗モノが立て続けに出されると些か食傷気味にもなろうと言うものだ。
やハリディズニー・コレクタアが購入するのだろうか? 二番煎じどころかすでに三番煎じで、出がらしもいいところだが出してしまうのだな。それは勇気なのか暴挙なのか。悩むところだねえ(私が悩んでもどーにもならんのだが・笑)。
一時期の「メディコムトイ」の「KUBRICK」を思い出す。それまでのリアル路線や原型師の作家性を押し出していたものを一蹴するかのように定形+キャラクタアの持つ記号性でじわじわ人気を上げていった、所謂ブロック系のフィギュア。アレが人気を博してからは色々な会社から亜流が出てきたんだった。でもやはり強いのはオリジナル、なんだけど(もうだいぶ亜流のは廃れてしまい、今では見かけることも少なくなった)。
そう考えるといかにもこの勢いに便乗しちゃえ、なカンジがミエミエで、何ともセツナイ、のだが。「売れるのか?」といらん心配までしてしまうじゃないか。

「プー○ップ」はまだファッション性だとかその時々のメイクだとか、どこかしら洗練されたものを感じないでもないけれど、あまり似てはいかん、と思ったがためかこの「ドルチェナ」とやら、どこかしらのっぺりして「お、亜流なりに可愛いじゃん!」とか「分かり易いパク…便乗企画だけど、それなりに頑張ってるな」とかいうものが感じられない。せいぜい世界でも最大手の版権元を背負って、有名なキャラクタアのコスチュウムをどうアレンヂして人形に着せるか、くらいしか「頑張りどころ」が感じられないのだが。いいのか、それで。「冒険心」つーもんがあればいいと言う訳ではないけれど、ここまで「アリモノのアレンヂ」で終わってしまう、というのも如何なものかと。

それでも「プチブライス」ばりにお値段だけはしっかり高い(まあ小さければ小さいなりの手間暇がかかるものではあるけれど)。ディズニー・キャラでどこまで引き込めるかに、とりあえず注目しておこうか。
クラスが違っていただけで交流がない、という「同級生」はたくさん居た。いや、大半がそういう存在だった。彼女もそのひとりだった。ただ、違うクラスだったとは言え、そのクラスにたまたま母の友人の娘であったがために交流のあったAが居て、そのAと姓こそ違えど名前が同じBというひとが居たことは憶えている。多少はおしゃべりもしたような気がする。でも、仲が良かった、とはとてもじゃないが言えない。面識がある、名前を知っている、その程度。
そのBとショッピング・モールで偶然会った。そう言えば、前に勤めていた職場で一度会っていた。でも、それきりだった。私はその職場を辞めて久しい。そういえばその「再会」の時も、彼女から気さくに声をかけてくれたんだった。私としては何となく不思議な気分だったのだけれど(大して親しくもない、と思っていたひとに声をかけられるとは思ってなかったのだ)。

「あ! 紫堂さん、久しぶり! 元気? ねえ、前のあそこ、もう辞めちゃったの?」
「うん、ちょっと、色々あってね」
「そっかー。私ね、今××で働いてるのー」
「そうなんだー」

ビミョウなキモチのまま、返事をする。相手は終始にこやかだ。彼女は今とあるスーパーの惣菜部で働いているのだと言った。

「この時期、大変でしょう? オードヴルの客注入るから」
「そうなの! もう早朝だの深夜だのシフトもスゴイしね」

何と言うことのない、所謂世間話、というヤツだ。相手に合わせて適当に相づちを打ったり、頷いて見せたり。
うーん。私、こんなにハナシするほど、親しかった、のかなあ……。
そういうキモチが抜けないまま、笑顔は崩さない。相手に悪気がある訳じゃなし、声をかけてもらったのだから、「何でもない会話」くらいは交わせるというものだ。私はちらちらと手に持っていた携帯で時間をチェックする。実は約束があってそのモールに赴いたのだ。相手を待たせることは出来ず、少々焦り始めていた。その時。

「ところでさ、先祖供養って、知ってる?」

ぴきん。その瞬間、ここ何日と亜熱帯なみにクソ暑いというのに、私は凍り付いた。何だ? センゾクヨウ?? ちょっと前に会った、前の職場仲間もいきなりそんなこと言い出したぞ。まだ20代前半の若いミソラで、いきなり「先祖供養したら、これまで解決しなかったことが全部解決したんだよ!」と言い出して、吃驚したばかりだったのだけれど(「どーちゃんもやってみない? 何か色々あってブルウみたいだしさ。あ、でも、無理には勧めないよ。よかったら、って話ね」とだけ言った)。最近の(私が住んでる辺りでの)ハヤリなのか?

「私ね、持病があってね、そのせいもあって、すごく疲れやすかったの。で、去年なんてものすごい大病患っちゃって。それってね、結局は先祖の因縁だったりするの。そういうことをちゃんとしておかないと、あれこれ今の私たちにクるってワケ。でね、それをしてから、私、元気になってね、……」

目の前で唇がカタチを変え、そのたびに音が高低を変え速度を変え、コトバになって耳に流れ込んではくるのだが、私はひたすら笑顔のまま呆然としてしまった。

いいいいいいいいいいいいいいや、あの、なんだ、その、えっと、いやさ、何だね、……いきなりせんぞくよう!? 何でいきなりソレ!? と言うよりも、ナニゴトなの!?

所はモール内のホール(玄関ホール、の意味合いに近いホール、ね。漠然とある空間。何があるでもない、強いて言うなら各所へと繋がる場所)。約束の時間は数分後に迫っている。周囲は談笑しながら私たちの横を通り過ぎていく。誰も私たちには気づかない。いや、気づいてはいても黙殺している。関係のない人間が関係のない話を関係のない場所でしているだけだからだ。我と彼とは何らの関わりもない。ああ、此処は辻のようだ。否、まさに辻なのだ。境界と境界を結ぶ、辻に今立っている――って、関口くん(@京極堂シリィズ)みたいなことを言っている場合ではない。

「それでね、先祖供養すると、もう、何もかもよくなるの! 私ね、妹と仲が良くないのね。弟とはいいんだけど。でも、それって良くないじゃない。きょうだいなんだから。これからもずっと生きてくんだし。それも結局はね、先祖に遡る因縁があるから、なのよ」

呼ばれている。そう思った。引きずり込まれようとしている。そう感じた。怖い。そして、強(コワ)い。いきなり此岸から彼岸に移動させられた気分だ(まだそんな経験をしてはいないが)。
邪気のない笑顔。動き続ける口元。止むことのない声――ヤメテクレ! 

叫び出したいのをぐっと堪える。
「ごめんね、私、約束があるんだ(ああ、時間がホントに迫ってるうぅぅ!)」
「あ、ホント!? ごめんね、あ、そうだ、メルアド! あ、時間ないんだよね、じゃあ、携帯のナンバア教えてくれる?」

ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!(ここ、楳図文字で脳内変換して読むこと。楳図文字、とはかの楳図かずお氏のまんがで、氏によって手書きされる文字。太く、字の全体が逆立つように震えるように波打っているのが特徴)

本当に、悪気も悪意も他意もなければ故意でもなかったのだが、私は間違ったナンバアを教えてしまったらしい(「ワン切りしておくね」と彼女は言ったが、私の携帯には何らの着信履歴もなかった。ココであったらまさに「着信アリ」@柴咲コウ ♪ちゃららららららん♪ おおう、それは恐怖の幕開け! 余談。先日初めてTVで放映されたものを見たけれど、カットしまくりだったために「余計に(前評判でどんなカンジかは知っていた)」面白くなかった。どんな映画であれ、カットしなくちゃ放映できないくらいならするなよ、と思う。つくったひとに対する敬意とかないもんかね)。ふだんメルアドの交換なんてどっちかが紙に書いて伝えるだとか、口頭にしても余裕のある時にしかできない。だったらナンバアなら、と思うのだけれど、これはこれでふだんあまりそらんじる必要がないものだから、うろ覚えになってしまう――自分のナンバアなのに。しかし、本気で焦っていて(遅刻寸前!)、そのために慌てふためきながらの口伝えだったために、うっかりナンバアの前後が入れ替わったのを教えたか何かしたのだろう(もう、約束の時間まで数分だったので自分の携帯確かめる暇すらなかった。数字そのものは間違ってなかったと思うんだけど、如何せん並びが~~↓)。が、今日ばかりは自分の記憶力の不確かさに助けられた。

延々と語られる「祖先の因縁」のハナシ……。お盆近いけどさ。近いけどね。でも何でいきなり「先祖供養」?? 

件の20代前半の友人は、何となく言いにくそうに語り出したものだ。やはり、「誤解を受ける」、とか「妙な宗教にハマってる」と思われるかもしれないという躊躇いそのものがあったのだ。実際、恋人にも打ち明けるまで時間がかかったと言う。私に言うにしても、遠慮がちに話し始めて、妙な目で見られやしないかとドキドキものであったらしい。しかし、今日会った彼女は違う。「ねえ、お醤油取ってくれる?」くらいのノリで話し出したのだ、「先祖供養」のハナシを。するな、とは言わないが、私以外にしてくれ、とは思う。

こと宗教というものは「伝導」「布教」「宣教」というものがついてまわるのだろうか、とぼんやり思った。いや、ソレが「宗教」なのかどうかすらわからないと言えばわからないのだが、こと「死」や「供養」にまつわるソレは宗教の一端あるいは重要な要素であるとは言えるだろう。故に「何ぞの宗教か、ソレは」と私は思ったのだが。
「いかに自分が幸福になったか」、「不幸な状況を打破できたか」を嬉々として「いきなり」語り出す彼女に、一種の恐怖を覚えた。おまけに、私個人の見解としては「親しい訳ではない」のだ。何故親しくもない人間にそんなハナシをいきなり切り出せるのだ!? 
……街頭に時折現れるナントカという(もう、いろんな亜流・亜種が存在していて名前なぞ憶えていない!)宗教関係の勧誘のヒトたちも、同様に、親しくもない人間ににこやかに親しげに話しかけてくる。それを思い出すからコワイ、のだ。勧めて何のトク(得? 徳?)があるのだろう。やはり「ほかのひとにも勧めてあげるともっとシアワセになれるのよ」とでも言われておるのであろうか。それとも「自分だけがシアワセになるなんて! ほかのひとにも知って欲しいわ!」という使命感でもあるのであろうか?

そのひとにとって「しあわせ」をもたらしてくれるのなら、信じているものがたとえ鰯のアタマだっていいのだ。どんなに周囲が見てマガイモノであっても、「本人がシアワセ」ならそれでいい。それはそれで存在する意義があるのだろう。しかしだな。私は欲していない。望んでいない。それを「施」されても、困るのだ。しかし伝道に、布教に、宣教に励むひとにとっては、それは福音であり幸福でありある種の親切心なのだろう。
が。私は求めてない、んだってば!

「求めよ。さらば与えられん」――うん、コレはわかる。求めるひとには与えられるんだから、それはスバラシイ。じゃがのう。
しつこく言う。私は求めてないんだ、彼女のオススメすぺしゃる・めにゅは!(いつの間にそんなもんに…)それこそ「求めた時」にひょいと与えてくれるんなら有り難かろうけれども、求めてもいないものをあげるよ、と言われても困るんだーっ!

よかれと思ってのことだとはわかっていても、……欲しくないものをくれられてもなあ……。

架空請求ハガキの次は宗教まがいの勧誘(?)ですかい。なんかツイてないなあ。待て。憑いてる、のかもしれん(笑。…笑えないよおおおう↓)。

mission
1: 使節団、代表団、使節
2:(派遣された人の)任務、使命
3:宗教の布教、伝導
4:(個人がみずからに課した)使命
…などなど。

バッグ、はモノを入れるためのもの。だから、高校時代、周囲がいかに鞄を薄っぺらにし、ロッカーにぶち込めるだけ教科書やら辞書やらを詰め込んでおけるかに腐心している時、毎日重いのも我慢してぱんぱんの鞄、を持って歩いていた。
「大は小を兼ねる」の謂いに従って、収納力の高いものを買う傾向が強いのだが、場合によってはやはり大き過ぎるのもまた邪魔だったりして、小ぶりのもの、財布や携帯ほか、常時持っていたいものを入れられればいい、くらいのものも必要になって、買う。
今回買ったのは、だから、非常に贅沢なもの、と言えるかもしれない。
20050811230305.jpg

コレだけで見るとわからないけれど、コレ、実はとても小ぶりのバッグである。しかも、用途が限られている。何と、「文庫を入れるためのバッグ」、なのだ。文庫だけを入れてふらりとおでかけし、自分の好きな場所で耽読するために最適なバッグ、なのである。もちろん、携帯をコイン・パースや小さながま口だけ入れてでかけたって、それは使うひとの自由なのだが。
私はこの「文庫を入れるためだけに存在している」というところに惹かれて買ってしまった。
実際入れてみると、本当に、文庫1冊入れたらあとは何も入りそうにない(笑)。まあ、厚さにもよるけれど(京極作品は文庫でも無理だな…)。

20050811230417.jpgこの通り、特に横幅にはまったくと言っていいほど余裕がない。するりと文庫本1冊を滑り込ませたら、あとはせいぜい小さなメモ帳とペンの1本くらいだろうか。縦にやや余裕があるのは、新書までは対応しているためだ。

最初は、「こんなに小さいのを買ってどうする?」と思っていた。本当に、せいぜい持っている小ぶりのがま口と携帯くらいしか入らないようなバッグなのだ。でも、気になって気になって仕方がない。

文庫(あるいは新書)しか入らないバッグ。

少しだけ特別な感じがした。おまけに、とても贅沢だな、と思った。そう思ったら、何だかますます欲しくなってしまった。結局、ひとつ贖ってしまった。

さすがに文庫1冊だけを友に出かけることはまだしていない。そんな余裕が今はないし、やはり文庫以外にタオルハンカチも入らないようではやや不便でもある。それでも、このバッグをとても気に入っている。

本を入れるためだけに存在するバッグ。

大きなバッグに文庫を忍ばせて出かけることならいくらでもある。そういう訳で、バッグ・イン・バッグとして活用するつもりで買った。文庫にはすでに出版者側がつけたカヴァがある。しかしそれすらも汚したくなくて、ブック・カヴァをかけてある。それをさらにこの小さなバッグに入れて、鞄の中、カゴの中に、ぽん、と放り込む。これで本のペエジが開くこともなければ、するりと本を取り出すことだって可能だ。手にぶら下げて歩けるように持ち手だってついているのだから、指先でひょいと持ち上げられる。
いや、この暑さがなりを潜めたら、案外天気がよくて風の心地いい休みの日辺り、このバッグに本1冊だけ入れて出かけるかもしれない。そう思うだけでも、何となく気分が高揚する。

馬鹿げているかもしれない。でも、だから気に入ったのかもしれない。もうひとつ買おうかどうか、まだ迷っている。
いや、多分買ってしまうだろう。気分で取り替える、という新たな、そして小さな贅沢をさらに手に入れるために。
初めてもらってしまった。

料金未納訴訟最終通達書

要は架空請求ハガキなのだが(ちなみに、同じようにもらった方がいらしたら、その請求元をネットで検索してみましょう。多分コチラのサイトのデエタ・ベエスに既掲の事業者である可能性大かと。私の所に届いたモノもやはり掲載されておりました。おそらくコロコロ事業者名を変えたり、連絡先変えたり、架空の住所記載したりでアレコレやってるんだろうけれど。でもって、そんな業者というかしょーもないのがそれなりにうぢゃうぢゃ居るんだろうけど)。

もう、見たそばから「うわ。コレってよく聞く架空請求のハガキじゃん! ……うわー……もらっちゃったか……」とゲンナリ。詐欺だとわかり切っていてもとても不愉快! もちろん放置です(もっとも、最近は少額民事訴訟に持ち込もうとする手合いも居るので、まったくの放置でイタイ目を見ることもあるようですが。不安なひとは消費者センタア、警察に相談・通報しておくと気が紛れるかも)。

だいたい、ドコを利用した料金、と明記しない辺りでもうオカシイのがバレバレではないか。おまけに、裁判取り下げまでの期日が短いの何の(私のところに届いたのは明日が期限・笑)。
プリンタではがきに印刷、注意を惹きたいところは赤字できりりと!(大笑)ついでに「訴訟、起こされたくないなら連絡してね、お金でどーにかしてア・ゲ・ル♪」(ものすごい意訳。要はそういうことを言いたいのであろうという私の解釈に因る。本来はカネ云々は文そのものにまったく登場しない)みたいな文章なんて赤文字の上にアンダア・ライン付だ! 手が込んだ馬鹿だ! そんなに暇なのか!? でもってフツーの郵便はがき使用(エコーはがきのが少し安いけど使えないものねえ・笑)・プリンタで印刷…とどこまでも余計なゼニをかけている……馬鹿だ……馬鹿過ぎる……!

だいたい、本当に訴訟云々の書類がこんなペラいはがき一枚で送られてくるかい!(通常は「特別ナントカ」で送られてきて、受取手は印鑑押してやんなきゃいけないんじゃなかったか?)

それにしても不愉快。この暑いのにせっせとプリンタでぶぶぶぶぶぶ(あっ、斎藤さーん!@伝染るんです)・ごがしゃーっと印刷し、宛名シールをカットしては貼り、数ヶ所のポストから投函(同じような内容でも「訴訟番号(本当は事件番号、ではないか?)」が違い、その訴訟番号とやらで消印が違っている模様)し、……若いにーちゃんだのねーちゃんだのを小遣い程度のカネで雇うか、はたまた自分ひとりか仲間とつるんで寂しく自転車操業状態なのか知らないが、虚しくならないのだろうか(もっともあれほどTVのニュウス等で「オレオレ詐欺(今は「振り込め詐欺」か)」の被害が報道されてもつい動揺して引っかかってしまうヒト、というのが居るから、同じようについ、というひとが居るであろうを見込んでのことなんだろうけども)。もらったコッチは虚しさとある種の情けなさ(こんなことでひとからゼニを巻き上げようとかいうそのみみっちい根性が何とも)とか抱きまくりなのだが。やってて楽しいのか? 封書だと余計高くつくからはがきなんだね、とか考えるとさらに情けない気分になるし。まとめて出して郵便料金浮かせるにしても、住所ごとに、とか郵便番号ごとに仕分けしないといけないしねえ。ああ、ヤダヤダ。なんなの、この貧乏くささは!(だからこそひとを詐欺ってやろうと思うんだろうけども)

一度あったんだから、今後も来るのかあ…と思うと鬱々とした気分になる。そう言えば、最近迷惑メエルも来るんだった。しかも、所謂アダルト系のヤツが。鬱陶しい! タイトルもそれなりに誤魔化してあるかと思えば、直球の下品なものまで。忘れた頃に来るので、まず前々からDLしてあるサーバ上でチェック+削除ができるソフトでメエルをチェックするようになった(二度手間だけど嫌な気分は半減する)。

イヤな世の中になってきたもんだなあ、と年追うごとに思うこの頃。
アナ・トレントの鞄
クラフト・エヴィング商會
4104770019

「アナ・トレントの鞄」という「モノ」に拘りたいひとにはあまり向かない本である。「アナ・トレントの鞄」という「コトバ」に惹かれるひとにとって楽しめる本だと思うから。映画「ミツバチのささやき」という作品にこだわりだの思い入れがあり過ぎるひとにも、ひょっとしたら向かないかもしれない。

「テーブルの上のファーブル」をクラフト・エヴィング商會の第2期序章あるいは一種のインターバルであったとするならば、これは「作品」としての第1作になると思う。「商會」としての活動とそれによって得たものを披露するこの本は、これまで上梓してきた本の初期作品を思わせる、いわば原点回帰の一冊となった。始まりがこうあるのは「らしい」と言えば「らしい」。

「ミツバチのささやき」でアナが持っていた黒い鞄。それが何としても欲しい、これが今回仕入れの旅に出る発端。そう、あるけれどないものを求める旅だ。それが彼らの「仕事」である。あるいは、「生活」――「日常」だろうか。私たちからすれば「非日常」的であるが、彼らにはそれが「日常」。
もっとも欲しい「アナ・トレントの鞄」を求めて空の鞄を携えて出発。もちろん、道々あれやこれやと拾い物や収穫を得る。それらを淡々と紹介してくれる。
商品ひとつひとつに、詩的で短い散文が添えられている。あれこれ語らない分、雄弁になったり饒舌になったりする――私たち読み手の想像力が。

「モノ」を介して物語が綴られ、物語を介して「モノ」が登場する。どちらが先で後かは卵と鶏の関係くらい謎だ。多分、「旅支度」を始めたら、あとは足の向くまま気の向くままに「出会う」のを待ち、あるいは探すでもなく探し求めるだけ、なのだろう。
どこまでもフィクションである。つくりこまれたひとつの世界である。けれども、彼らが旅をしているのはある種の「事実」でもある。コトバがモノを導き、モノがコトバを連れてくる。
だから。
「アナ・トレントの鞄の中身の再現」を見たくてしょうがないひとは、自分だけの想像に任せるのがいちばんいい。「アナ・トレント」故に入れていたであろうモノを求めるひとは、この本を見ても意味がない。ここにはないのだ。だからこそ、アナの鞄の中に潜んでいても構わないモノたちでもある。

奇しくも(いや、きっと故意だ)本文中にこうある。

〈アナ・トレントの鞄〉という言葉を口にした途端、
世界中の鞄が
〈アナ・トレントの鞄〉と、
〈アナ・トレントではない誰かの鞄〉
のふたつに分かれた。(本文116p)


「アナ・トレントの鞄」はアナ・トレント以外の誰のものでもなく、彼女自身の鞄でしかなく、それ以外は「アナ・トレントではない誰か」のものになってしまう。でも、何がアナの鞄を「アナ・トレントの鞄」たらしめるのかは、誰にもわからない。
コレ、と思ったソレが「アナ・トレントの鞄」だとダレがわかるだろう? しかしコレだと思ったら、その瞬間から目の前にある黒い小さな鞄は「アナ・トレントの鞄」になるのだ。そう決めるのは結局のところ、私/貴方でしかないのだし。だからこそ探し求めたくなる「逸品/一品」となる。

多分、映画にまつわる「なるほどな」「いかにもだな」と思わされるようなアレやらソレやらが提示されたら、真にこの「アナ・トレントの鞄」を求める読者は興醒めしていたのではないだろうか。
コトバの持つ喚起力――格好つけて言うならば魔力のようなもの、だろうか、それに惹きつけられてこそ、この本は面白くなる。「アナ・トレントの鞄」という「モノ」ではなく、「コトバ」に刺激を受けたひとにとって、この小ぶりの赤い本は何処にもないたったひとつの鞄に変身を遂げる。

何処にでもあるが故に何処にもない。何処にもないが故に何処にでも存在する。クラフト・エヴィング商會がもたらしてくれる「とっておき」はいつもそういう逸品ばかりだ。

「アナ・トレントの鞄」はココに確かにある。だから、何処にもないことは何よりも確かだ。

母はキャラメルが大好き。「風味絶佳」の謳い文句(?)でお馴染みの某社(ってタイトルからバレバレやん)のキャラメルの袋入りのを買ってきてはもぐもぐ。他社のでも袋入り(お得なので)を買ってはもぐもぐ。どうやらヌガア系のキャンディが好きらしい。
で。「キャラメルは…と。あった!」と「いつものように」買ってきた、つもりだった。開けてみてびっくり。
「……水玻。コレあげる」
「んー?」
母が差し出したものはコレ。
20050810023510.jpg小さい画像なので解りにくいかと思いますが、これ、ちゃんと黄色(山吹色、かなあ)の地に、あえて赤に白抜きで「チョコレート」と書いてある、んだな……。
「チョコじゃん。どしたの? 食べないの?」
「うん、もう、食べたから、いい」
彼女はあくまでもキャラメルだと信じていたらしく、あの上にかかっている透明なラッピングをはがし、中を開けるまでキャラメルだと思っていたのだった。すごいぞ、母……。
「ちゃんとチョコ、って書いてあるやん」
「そうなんだけど。箱がいつもと同じだからさあ。デザインちょっと変わったのかな、って思って。箱入りは箱入りだし」
「そーやけど。チョコやん。書いてるやん」
「だから、間違ったのよ。いいから、食べて」
20050810023842.jpgこういう薄い板状のチョコレイトが6枚、だったかな、入ってる(母が1枚だけ食べて私によこした。そこまでしてキャラメルが食べたい割にキャラメル味では妥協しない母。そんなにぬがあ~~~~~なテクスチュアで食べたかったのか! そんなにあの味を愛しているのかっ。なら、チョコレイト味のキャラメルは食うのか? 試してみるか、今度。←いや、食べないことはないんだってば)。
食べてみた。……んー?? ホワイト・チョコレイトの味が勝ってる、気がする。ややキャラメルの味があとから追いかけてくるくらい、かなあ。
いや、決してマズくなどない。だがしかし、何とも微妙。不味くないです、ホントに。ただ、キャラメルの味とチョコレイトの味と、どっちが本道やねん、と首を傾げながら食べてしまう↓ 何故敢えてキャラメル味のチョコレイト、などをつくってみたくなったのだろう、森○さんは……。

キャラメル、そのまんまで美味いっすよ、○永さん。どうせならもう少しキャラメルの風味強い方が個人的には好みです。
しかしなあ。元々、どちらかというとまろやかな甘さだからなあ。香り強くて濃い味だったりナッツ入ってたり、じゃないし(そりゃグ○コのこと?)。チョコレイトにそりゃ負けるやろ、と思わないでもないんだけど。うーむ。

とりあえず母はぬがあ~~~~な、本来のキャラメルを何としても食べたい、ということだけはわかった。
すっぴん魂愛印 文春文庫
室井 滋
オンライン書店ビーケーワン:すっぴん魂愛印
話の面白いコ、というのが、クラスだの、その中にいつの間にか形成されたコロニィだのの中に、ひとりは必ず居たでしょー?(私の高校・大学時代はドイツもコイツも面白いヒトばっかりで昏倒しそうになったが・笑。よく「朱に交わって赤くなっただけだ!」「やかましい、類友めが!」と罵り合ったものである。……そういう面子に私は恵まれることが多い)そういう気の置けない友達が、「そう言えばさあ」、と何気なく、でも目を輝かせて、あるいはいたずらっぽく笑って、時にしんみりと、話し出すのを聞いてるような気分になる。いつも。
室井さんの文章、好きだなあ。コレと言ってものすごい特徴がある訳ではないの。でも、明瞭で無駄がなくて、テンポがいい。主義主張も「そうだよねえ」と相づちのひとつも打ちたくなるようなことが多くて。サバサバしているけれど、色んな細かいところにもちゃんと目が行き届いた、面倒見のいい女性。おまけに何処か可愛らしい。飾らない・気取らない、でずーっと居られるのもスゴイ。

今回も面白いエピソオド満載で、いつもの如く水でも一気飲みするみたいに読み終えてしまった。余計な味は残らないけれど、渇きが癒されてノドすっきり、という気持ちよさの残る所が大好き。

真夏でも厚着しまくってるフィリピンから出稼ぎに来てるホステス嬢の謎(さりげなく彼女の主演したドラマ名によってある種の伏線が張られていた)と少しのせつなさ。怒れるふぐママ(※)の怒れる理由。何故か年輩女性客が多いエステ・サロンへの潜入レポート。ファンから送られたキョーフのプレゼント……ああやはり彼女の日常は飛び抜けて非日常という訳でもないだろうに面白いネタに溢れている。

水。今やお店で買って飲む時代ではあるけれど、だからといって殊更特別視される訳でもなく。でも誰もがどうせ飲むなら美味しいのがいいな、と思うであろう、水。
ココロに潤いを求める時には、こういう「水」が、多分、ちょうどいい。

※彼女の所属事務所の社長。この愉快にして繊細、かつ豪快な女傑のあれこれはコチラでお楽しみあれ。
ふぐママ
室井 滋
4062748479

スーパーマーケットマニア アジア編
森井 ユカ
4062128993

お次はどこへ飛ぶのやら、と思っていたら。アジアだった! まだまだ続く、と期待してもいいのだろうか。って、新刊出たソバからもう次のハナシをする辺り、鬼が大爆笑するだろうよ↓ しかし、「ブルボンキーホルダー」が割とつい最近出たものだから、そのペエスの速さに驚かされる。経済力とフットワアクの良さがないと出来ない企画をがしがしと! 色んな意味で羨ましい……。でも、いちばん必要なのはやっぱり楽しみたい・好きだという気持ちかもしれない。「好き」が何をも凌ぐ、というのは「好き」だ。理屈抜きだから。

表紙のスーパーの袋、はタイのもの。この袋のデザインを見るのもこの本の楽しみのひとつ(でもって、表紙、赤い帯がいいアクセントになっていてイイカンジ♪ あれがあるかないかで印象がかなり変わる! と前にも言ったし、今回もしみじみと「ないとねー♪」と思っていたら、どうやらデザイン的に帯アリの状態をちゃんと想定して制作されておられるらしきことを知る。やっぱりー♪)。
5ヶ国6都市を巡って見つけてきたあれこれがすべてカラアで紹介される、という趣向は今まで通り(そして図版は5割増!!)。
決して高価・高額ではないけれど、その国ならではのデザインや色遣い、アイテムがぎっしりで、見ているだけで雑貨スキーな私は気分が高揚してくるのがわかる。キッチュさにしても原色づかいにしても洗練度にしても、似たようなことしてても、国で、地域で、こんなにも違うものなんだわー、と改めてしみじみ思う。でもって、諸外国のひとたちの目には、日本のプロダクツはどんな風に映って、どう思われていて、どう評価されてるのか、とか、逆に気になったり。フィードバック性(?)まで備わった良書よ♪

「ココがこうなってるとこがこの商品のキモなのよ!」と「小さい仕事」なんかを見逃さないところも好き。デザイン上でなければなくてもいいようなモノでも、それがなかったらどんなにか平凡なモノになっていただろう、というポイントをちゃんと押さえていて、「そうそう、ソコだ! ソレなんだよう!」と嬉しくなる。雑貨スキーならわかるハズだっ! ……ゼイゼイ。思わず息荒くして本眺めてる自分がコワイ(というよりキモイ)。

ちなみに、本が出来るまでの過程が、惜しくも掲載まで漕ぎ着けなかった雑貨たちをも紹介するカタチで、御本人のブログから拝見できるのですが、これがまた面白い! 文章のノリがかなり私のツボだったのもあって、うっかり真夜中(=私の活動時間)には読めませぬ。面白過ぎるうぅぅぅ! それでなくとも、雑貨好き・旅行好きにはたまらん話題・画像満載なのです。「このブログもまとめて本にしてくれ!」ぐらい楽しい。旅日記でもあるので、旅行好き・アジア好きの方も楽しめるかと。

…で。森井さんのブログを読まれた方、Amazonで内容紹介を読まれた方はもう御存じかと思いますが、雑貨の宝庫・ヴェトナムは今回ナシです。森井さんの視点で選ばれたソレやアレを見てみたかったけれど、本を作成なさる上で縛りを設けていらっしゃるため、そのコオドにひっかかったためにナシなんだとか。しかしいずれ何かのカタチで見られることを祈っておこう!(それがファンのつとめというものだ! ←そ、そうか…?)

第一弾の
スーパーマーケット・マニア ~EUROPE編~
森井 ユカ
4062123754

も忘れてはいけません。ナニ? 未読? 読みなさい。今すぐ読みなさい(@「ジャパ○ット高田」CM口調で。……って、またかよ!)。

日本に居ながらにしてどっぷりと各国・各都市のあんなものやそんなものに触れられるのは楽しいです。ただ、どうして今すぐパスポオトと荷物詰めたトランクひっつかんで空港から飛び立てないのか、とイライラしますが。くそう!

レシピ本を眺めるのが好きな私は、洋書のそれも大好きである(料理の本、て、なんであれほど実用的なのに「眺めるだけで楽しい」のかしら♪ ってそりゃ写真だのイラストだのが満載で、つくるに至らないから、だろうが↓ ひとり暮らしなら料理も楽しいのだが、誰かと一緒に暮らしていると色んな利害が一致しないので必ずしも楽しいものではなくなる。好みの違いとか、考えの違いとか。たとえば私は夜にパスタ、でもまったく困らないけれど、私の両親にそういう感覚はあまりない。パンもナシだな)。
で。こうもクソ暑い日が毎日続いていると、冷たいモノ、咀嚼に時間がかからないモノ、を求めがちになる。1,000ml入りのアイスクリィムを買ってきて、延々それだけ食べる、という禁忌を犯せるのもひとり暮らしならでは、だった。やっすいのを買ってきて、おもむろにスプーンで掬い取り、器に盛って食べる。食べる。食べる。食べる(以下エンドレス)……それで一日の食事、終わり。パックの中には半分以下になったアイスクリィム。明日もまた食べるんだ~♪ とか言いつつ一日が暮れてゆく。
そんなことを思い出しつつ、冷たいデザアト、特にアイスクリィム関係のレシピ本はないかなあ、と検索をかけていたら。こんなのがひっかっかってドギモ抜かれた。
Better Than Ice Cream
Alicia Sparks
B000243ADI

ベタに訳すなら「アイスクリィムより素敵」ってカンジ? どうよ、この「だからどうしろってんだ!」と言いたくなる堂々たる表紙は。最初ポカーン→眉間に皺寄せて思わず凝視→大爆笑、の道を辿って現在に至る。いかん! ハラがよじれる!! ビミョ~に見えてる気がするんだけどいいのか?(何がだよ……)

だいたい御想像の通りです。ヲトナの女性向けぽるのぐらひー(だと思う。色々検索してみた結果、一応ロマンス小説の類で、 sensual な傾向の強いもの、というカテゴライズされているらしいので)。ちなみに、DL版しかありません。ヲトナで英語読むのが苦痛じゃない方はどうぞ(もし読んだら感想聞かせて下さい・笑)。

ここまであっけらかんとぶちかまされると何も言えなくて…夏(わーたしにはすたーとだったのあなたにわーごーるでも~♪ さあ、いよいよ壊れてまいりました♪)。笑い過ぎてまた汗かいたじゃん!(どうせなら読んでその内容の hot さに身を焦がして欲しいとこなんでしょう、出版社サイドと著者としては)
それにしてもすんげえ表紙。モデルになった男性は何とも思わなかったんだろうか、とか色々考えちゃうと余計笑いが!!
観たい番組が観られない時(私はあまりスポオツ観戦を楽しむ質ではなく、母もまたあまり興味がないので、野球他競技で潰れてしまうと困ってしまうTV依存度が高い母子)、観たい番組がない時、「コロンボ」のDVDを観るのがお約束になってしまっているので、いつの間にやら同じ話を最低三度は観ている状態に(でもまだ序盤)。いくら忘れっぽい私でも、さすがに筋や展開を記憶し始めている(笑)。それでも楽しめるんだよなあ。
でもって、違うポイントでも楽しめるようになってきた。当時は今よりタイム・キーパーさんの仕事が甘かったのか、そして編集さんのチェックが甘かったのか、「あちゃー……」なシーンをたまに見かける。多分、撮影中のスタッフなんだろうけれど、影が入っちゃってるんだな。2~3回は見たぞ。「おーい、そこにその人影はあっちゃいかんだろうー」というツッコミを入れつつ鑑賞。ゆかに誰ぞのアタマの影がへろん、と映っちゃってる。時代故のおおらかさなのか!?(それよりさらに遡って、ヒッチコックの「鳥」なんかも、大量に鳥が飛び交うシーン、地上にその影はないもんなあ……今みたいにCGだのが発達していなかったから、あれにいちいち影をつける、てのはタダゴトではあるまい。しかし、CGなんぞに頼らずともあれだけ面白い作品をつくれた訳で、……こういうこと言い出すとキリがないか)

でも、3回目だと言うのに、まだ字幕ver.を一度も楽しんでいない↓ 母が一緒に観ることが多いので、吹替ver.にしておいているのだ(ダイニングで何か作業しながら、ということが多いので、字幕と映像にまで集中できない。それこそもう三度目になってる作品だというのにいまだに彼女は「ねえ、このヒト、何で殺されたの?」なんて尋ねてくる)。
刑事コロンボ 完全版 Vol.4
ピーター・フォーク
B00006JSL1

今日観ていたのは「死の方程式」。科学者としては天才的、しかしながら如何せんヒトとしてダメな男が叔父を殺害するハナシ。犯人役、「猿の惑星」でコーネリアス役を演じていたひとと同じなんだけど、……時々猿役やってた時のよーな仕草を見せるのは私の目の錯覚か?(それとも彼はふだんから猿っぽい仕草をするひとなのだろうか・笑)

って、今同じひとだったよね、と確認するために出してみる「猿の惑星」。
猿の惑星
チャールトン・ヘストン フランクリン・J・シャフナー キム・ハンター
B0006TPERY

今初めてDVDのジャケ見たんだが…コレは如何なモノか!? ダメだろう、このジャケットは! 読もうとして本手に取った瞬間、そのミステリの犯人の名前言われるよーなもんだと思うんだが。ナンボ有名な映画だからって、…何考えてつくったんだ、版元は。予告篇で内容のキモがわかっちゃうようなのをつくって映画館で上映しちゃうみたいなもんで、観る気が削がれそうだわ↓


細かいところは悪くないんだけど、あまりと言えばあまりな展開に思える部分もあるんだけど、それでも観てしまうですよ。

あと、やっぱり風俗が面白い。アメリカではもう70年代初頭で噴出させて空気に触れさせると固まるスプレイてのが存在してたんですな。知らなかった。パーティ・グッズのコオナアなんかで見かける、ぶしーってやるとスパゲティみたいに内容物が紐状になって出てくるヤツ、アレですアレ。この作品内では犯人である科学者の青年の発明品として出てくる。日本でフツウに見るようになったのって、もっともっと後になってからだと記憶してるんだけど(もっともアレがアメリカでも「一般的」であったかどうかは私にはわからない)。留守番電話だのコンピュータとかも、もちろん今よりゴツかったりデカかったり大仰だったりはするけれど、頻繁に出てくる(それは、コロンボが扱う犯罪が大抵富裕でインテリの犯人に因るものばっかりだから、なんだけど)。
当時の最先端技術によって「アナログ」なコロンボの目を誤魔化そうとするけれども、結局は彼の足で稼ぐというやり方、経験と観察力と頭脳――つまりはアナログの持つ底力によって一蹴されるに至る、というのが快感、てわけね。だから、今観ても楽しめるんだと思う。

そういう訳で、まだまだ当分「観る番組がない時は『コロンボ』」てのが続くのでありました。
あ、今でも買える、んですね、コンプリートBOX。それもちゃんと割引有りで。焦って買うこともなかったのかしら(ははは…・涙)。
刑事コロンボ コンプリートDVD-BOX
ピーター・フォーク
B0007LXPIQ

いや、こうしてこれでもかと観まくってまだ楽しめてるんだから、よかったんだ、うん(自分を納得させようと何やら必死・笑)。
  
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