小さな頃からこつこつと(?)。 |
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2005-09-30 Fri 23:02
Totally Cool Journals, Notebooks & Diaries
Janet Pensiero ![]() 子供向けの、強いて言うならスクラップ・ブッキングの手解き本、といったところ、かな。思い出や記録しておきたいことを残しておくための楽しいアイディアが掲載されている模様。あ、でも、コレは activity 版らしいから、直接これであれこれ色々楽しめるいわばワアク・ブックみたいなもの、でもあるのか。 アメリカでこのスクラップ・ブッキングが盛んだとは知っていたけれど(専門雑誌まで数誌あるくらいだからかなり根強い人気があって、かつ定着してる、んだろうなあ)、子供向けのはう・つーモノの本も結構見かける。 そもそも写真を飾ったりすることが大好きなひとたちだから、家族の記録だとかそういうものにコダワリがあるのかもしれない。そこにさらにひと工夫どころかふた工夫もあれもこれもとやらかすんだからスゴイ(笑)。究極の自己満足にして、家族や一族への愛情、というヤツなのかもしれない。いや、自己満足、にかなりの比重があるとは思うが(おしなべてそーゆーものであろう)。 それにしても。対象年齢4−8歳ですよ。4さい!? そんな小さい頃からやるんですかい。というか、楽しめるアクティヴィティを用意してあるワケね。 対象年齢故に英語も読み易そうだし、何となく楽しそうなので、これもまた「欲しい本」のひとつです。 |
「可愛い」への対抗策ナシ。 |
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2005-09-29 Thu 23:11
買おうか買わずに我慢するか。そこんとこが問題。ガーリィなブーツ。見つけてしまった。ダーク・ブラウンで、レエスのトリミングだとかデコラティヴ加減がごっつい好み。
アングルがよろしくないので何だか寸詰まりに見えるのだけれど、ロングでもショートでもないハーフ丈(? ミドル??)くらいのブーツ。スウェードで少しルーズなカンジなのがまた好み。でも本来黒の服が多いので、どうしたものかとは思ってるんだけど、ダーク・ブラウンなら比較的合わせ易いかな、とも思い(昔、画家で、小学校の校長先生もしていた方が、「茶色は難しい色なんだよ」と言ってたので、結構気になってはいる。子供の頃の刷り込みはオソロシイのう。ああ、それにしても黒の衣服とのコーディネイトがー↓)。長めのスカアトに合わせても可愛いなー(とりあえず中身の私本体は無視してくれ)、とか妄想が膨らむ膨らむ。そもそも履けたのが奇跡だったのだが↓ 柳葉魚足(足首が細く、異様に脹ら脛がぱんぱんにぶっとい足のこと)なので、これまでショート以外は避けていたのだが。こっそり履いてみたら…履けた!(まあ、足のサイズそのものよりかなり大きい訳だが)ならますます欲しい!! この履き口付近のデコレイションが何とも言えずVv たまらん♪しかし。お財布に優しくない。まったくもって優しくない。今の私に「たかが」靴に万単位のカネを出せ、とは「清水の舞台から飛び降りて這い上っていらっしゃい。ヴェルサイユで待ってるわ」(意味不明)くらいキッツイ。そりゃカアドという便利なものがあるけれども。あるけれどもだな! カネは無尽蔵に生まれてはくれんしのう。どうしたものか。 ……などと言いつつ、取り置きを頼んであるのであった。懲りる、ということがない。学習能力もない。芋を海水に浸けると塩味がしてオイシイ、とわかった猿には遠く及ばない程ドアホウ。 欲しいものは欲しい時に。母の哲学。娘は実践し続けている。それもどうなんだよ。 お店のバックヤアドには私が頼んで取り置きしてもらっているブーツが一足。それが家の玄関に忽然と姿を現すのはそう遠くないことのよーな気がする。合掌。 |
出してくれるとは! |
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2005-09-28 Wed 22:57
ワールドタンクミュージアム図鑑
![]() 戦争がキライとか言っておきながら、兵器や銃器、軍服や軍隊の歴史だのに興味があるというこの矛盾。ううむ。 海洋堂が生み出した小さな戦車のコレクションは、お菓子の方がオマケですか、とやはりツッコみたくなるような繊細な出来の食玩のひとつで、私はどうにか第2弾までは購入していたのだけれど、ほかにもあれこれ手を出していたのでいまではぎぶあっぷ。でも、ひとつだけとても残念に思っていたことがあって、それはこのモリナガヨウさんによるオール手描きの、愛情と執念の込められたブックレットが読めない、ということ。モノそれ自体を所有することは我慢できたのだけれど、「情報」が得られなくなったのがひたすら残念でしょうがなかった。それがどうやら「本」にまとまったらしい! やったー♪ ちなみに、どんだけ詳細かつ微細に丁寧に描かれているかをお見せしたいのでデカイ画像にしてみました(でもブログのレイアウト崩れそうだな↓)。第何弾のラインナップまで掲載されてるんだろう? 気になる。 し、しかし。予想以上によいお値段ではないか↓ 元々フル・カラアとかで描かれたいたものを多分そのまま収録したであろうから、紙質だとかにもこだわったんだろうなー……ううう、即刻買うにはちとツライ価格。でも読みたい。じっくり隅々まで読みたいぞう。 モリナガさんの絵は気負いないやわらかな線なのにとてもしっかりと「物体」をとらえていて呻らされる。可愛らしさというか、ほどよいデフォルメもあるのに、何だかとても精密・正確。そこが好きなのだ。 ひとびとが戦争というオロカシイもののために生み出した「ダメ」兵器・戦車。重量あるが故に強固なるハズもその重量故に動かなかったり、と悲喜交々…というか正直笑ってしまえる色んなエピソオドが美しく彩色された絵とともに楽しめる。 あー、欲しいなー……。いつ買えるんだろ↓ それよりも、絶版が怖いわ。 |
何故薦められている? |
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2005-09-27 Tue 23:54
もし「あなたの欲しい玩具 アイディア・コンペ」みたいなのがあったら、応募してみたい企画がひとつある。正直、……売れる見込みは低い。しかし、コアでお馬鹿なヲトナにはウケそうな気がしている。
昔、「パーフェクション」とか言うパズル・ゲエムがあったと思う。盤に様々な異なる形の窪みがあって、それと一致するカタチのパーツをはめ込んでゆくのだが、制限時間付で、それを超過するとせっかくはめ込んだハズのパーツもどっかん! と爆発よろしく弾けるよに飛び出してくる、というモノ。これの、…… 人体模型ver. が、欲しいなあ、なんて。思ってたりする、んだけど。あ、いかん。今コレ読んだ10人中9人がドン引きだ(笑)。 こうね、土台はひとのカタチしててね、内臓がはめ込むようになってる訳ですよ。で、正しい位置に正しく臓器をはめ込んでくんです。もちろん、制限時間付で。ぜーんぶちゃんと体内に詰め詰めして、おなかである蓋を閉じればクリア! 時間オーバーすると、……血糊とともにどっっう゛ぁーっっっっっ! と内臓が飛び出してきて、……って、猟奇ですまん↓ いや、生物のオベンキョウにもなるやん?(誰に同意を求めているのだろう、私……)正しい臓器の位置がわかるの! 血糊は、洗えば簡単に取れるヤツか、時間の経過とともに消えてしまうヤツ、ってのがいいかな♪と(おまけで、オペ服仕様の使い捨てスモックとかつける、ってのもいいなあVv)。ほーら、パーティで大盛り上がり♪(なのはお前だけですよこの鉄板馬鹿) でもですね。そういう私の指向を、いつあまぞん様に悟られたのであろうかとどきどきするようなことが起きましてね。ある日ふとおすすめの品だかマイ・ストアだかにコレ系↓のがででん! と何種か紹介されてんの。何でだよ!? M.A.女性骨盤モデル ![]() 確かに。確かに以前、こういう精密人体模型を扱うミョ〜なネットのお店を見つけて、時折覗きに行っては「ああ、この内耳モデルとかちょっといいわあ」だの「心臓モデル、内部見られるようにパーツ取り外し可能!?」とか思ってわくわくしながら見てはいましたよ。人体模型(内臓スケルトンで丸見えver.)ストラップだって持ってるし(以前カプセル・トイでそういうのがあったのです。あ、「ヴィレヴァン」でも一時期そういうの売ってるの見た)。 何だ? 何の商品をチェックしたらこれが「おもちゃ&ホビー」部門から「おすすめの商品」として表示されるのだ。私は医学関係の本だとかもチェックしてないぞ。 さらに気になるのは、おもむろにコイツを検索して発見し、喜び勇んで購入した強者は存在するのであろうか、ということだ。 女性トルソー,20分解モデル ![]() こういうのとか↑。一体どんなシュミだと思われると(お前みたいな・以下略)紹介されるのだろう。ソレが今とても疑問よ。 でもって、「おもちゃ&ホビー」という括りである、という事実にも驚いた。まさにパズル感覚なのか!? 教えてあまぞん! 私はかつて「芸術新潮」で「グロテスク」の特集、「春画」の特集を組んだ時迷わず買った女ではあるが、しかしなあ……(「グロテスク」の特集の時は、まさに血管に水銀を流し込んでひとの体内の血管が如何様な状態であるか示した標本、だの、胎児が胎内に居る状態を精密に再現した蝋人形、だの、ひとの身体のスライスした状態、語源にもなったグロッタ内部などなど、色々見ることが出来た。面白かったなあ。って今も持ってるけど。後者は卒論が近世文学だったから。近世やってて春画・艶本について知識皆無です、とは言う訳にいかないので。おまけに、私が取り上げた作品は大層有名な大著で、そのパロディ艶本も出版されており、その一部がカラアのまま一部掲載されていたため、尚更資料として手元に置いておきたかったのだ。のちに一冊丸ごと影印本みたいなのが出て、それも買ったけど。……そう言えば、林美一氏の著作はとてもわかりやすくかつ面白くて、わくわくしながら読めた。江戸時代の出版文化の有り様や、造本の面白さはアーティスティックで素晴らしい、と実感したものだった。仕掛けとか凝ってて、今見ても新鮮で斬新なのだ)。ナニだ? ナニからソレを紹介してくれたのだ! めちゃめちゃ気になるじゃないかー!! あまぞんでそういう商品を「おもちゃ&ホビー」の括りで扱ってるという事実も新鮮かつ興味深い情報でしたしね。それにしても気になる…。 関係ないけど、コレも持ってます。 人体模型の夜 中島 らも ![]() まんまのタイトルやのう。うっすらイヤな味わいの怖さが残る掌編集でした。ああ、学生時代横光利一と中島らもの文庫一緒に持ってて、恩師に「シブい組み合わせだよな」と言われたことまで思い出したよ。 どっかの企業でアイディア買い取ってくんないかなあ(無理!)。 あまぞんがあくまでも「おもちゃ」とかのカテゴリで勧めてよこしたので、私も倣って「ほびー・とい」のカテゴリにしておく。ってどんな玩具やねん。 |
素敵にsticky♪ |
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2005-09-26 Mon 23:30
チャーリーとチョコレート工場 オリジナル・サウンドトラック
ダニー・エルフマン サントラ ![]() ようやく観てきた。チョコレエト絡みの映画は甘くてビタアなのがお約束であろうか。でも不幸さはないんだよなあ。何でだろう?
ストーリィそのものは極端にヒネることなく、子供にも楽しめるし、大人やヲトナにもあれこれ深読みできてしまう楽しさ(キリスト教的文化背景を無視して観るか考慮して観るかで色んなものが違って?見える気がする)があった。音楽がとても素晴らしいわ!(おかげで現在はあまぞんでは在庫切れよ↓) 世界でいちばんでっっかい、そして美味♪なチョコレイトを世に送り出す「ウォンカ・チョコレート」工場(映画では何度もふんわりした食感がどうの、と言っていたのだが、子供たちがチョコレエト・バーを囓る時、ごっつい堅そうに見える……のは私のココロがケガれているせいね。いや、エア・イン・チョコだなんて言ってはいなかったから、口溶けが多分ふんわり、してるんだろうと思うけれど)。従業員は、かつてスパイによる裏切り行為が発覚してからは全員が解雇され、働く者はひとりも居ないハズ。なのにチョコレエトは大量に日々市場に出回り、人々に愛されている。それまでひととの接触を避けるようにしていたオーナー・ウォンカ氏がある声明を発表。 「金色のチケットを引き当てた5人の子供を一日だけ工場に御招待!」 こぞって購入する人々。チャーリー少年ももちろん行きたくてたまらないひとり。運良く引き当て、見事工場行きをのチケットを手に入れて、長く閉ざされてきた秘密の工場に入れることになったけど……というある意味お馴染みのストーリィ(子供の頃読んで以来大好き、というひとは少なくないハズ)。 チャーリィ。ハンパなく貧しい。家がピサの斜塔より絶妙な佇まいだ。そこにまさに身を寄せ合うようにして、祖父母×2組、両親、の合わせて7人で暮らしてる。貧しいけれど、……とても豊かさに溢れてる家庭なのだ。じーちゃんばーちゃんがいい味出しまくり。でもって、両親がまたいい。まさに相手を思いやりながら生きてる。さらにはそういう家族を大事に思って文句ひとつ言うでもなく素直にあるがままの日々を送るチャーリィ。 冒頭でアタマも何もかも平凡、と紹介されるのだけれど、同じく招待されたガキどもが突出してオカシイだけで(笑。ちなみに、皆芝居が達者だった。自分のやるべき役割をわきまえていて、イヤな子の役をちゃんとイヤな子に見えるように演じている。クソ生意気そうな表情とか可愛い・笑)、彼もまた本当は平凡とは言い難い子供だったと思う。 確かに、誰かより足が速かったり、頭が良かったりするわけでもないし、特別お金持ちでもない(それどころか赤貧)。 おんぼろな家にぎうぎうで生活して、お父さん頑張ってるけど収入少なくて、毎日赤貧に喘いでるけど笑顔と励ましと愛情とを持ち続けられるって、……できるか?(原作未読なのだが、チャーリィの友人、は登場するのだろうか? 映画では彼の友人は一切登場しない。行動する時はいつもひとり。ここでまず 誕生日のプレゼントはウォンカ社のめちゃウマチョコ(このネエミングも何だか好きだ)1枚きり。でも、それすらも彼は家族全員と分け合って食べる。子供なんだもの、1枚まるごとがっつり心ゆくまで食べたいものではないか。……可愛い。でもっていじらしい。しかもそれが「当たり前」なのだ、彼にとっては。ちょっと泣ける。 さらにはじーちゃん。ジョーじいちゃんはかつてウォンカ氏の工場で働いていたことがある。じーちゃん、カワイイ。ごっついカワイイ。チャーリィがチケットを当てたことを知ってベッドから跳ね起きて踊り出すんだもん(ふだんは寝たきりなのに…・笑)。きゅーと過ぎる、じーちゃん!! ひとりだけ付き添い可、となってるのだけれど、このじーちゃんが一緒に行くことになる。 いや、しかし、どのじーちゃん・ばーちゃんもきゅーとなのだ。皆が皆のスタンスで、チャーリィを愛している。チャーリィもまた皆を愛している。それがちゃんとわかる。素晴らしい家庭なのだ。 じーちゃんが「もう一度チョコ買っておいで。お前と私とでもう一度賭けをしよう」とか言ってへそくり差し出す所でうっかり泣いてしまった。じ、じーちゃん……(ちょっと自分のじーさまを思い出している)。 でもって、チケットを手に入れたのに、カネ出して買い取ろうとする輩が居る現実を見たチャーリィは工場に行かず家族のため、家庭のためにこれを売ろうとまで思う。それを止めるのがもうひとりのじーちゃん・ジョージ。このじーさん、結構シビアなことをヌカす、少々イヤミな所がないでもないのだが、やはり孫を愛しているのだろう。「カネは毎日つくられて世の中に出とるが、そのチケットはたった5枚。それを捨てるほどお前はトンマか?」みたいなこと言って送りだそうとするのだ。イキだな、じーちゃん! しかし、……ほんっっっっとに! いい家族だなあ。 チョコレイト工場の内部は子供とかつて子供だった誰もが夢見るような、極彩色のスウィートな空間(まさにスウィートで、チョコレイトの川、ツイステッド・キャンディの樹、マシュマロやクリィムでできたあれやそれ、……お菓子の家どころかお菓子の森!! ちょっとどぎつい色彩なのがまた何とも言えずいい。やっぱり甘くて綺麗で美味しいものには「毒」がないとね(いやなくてもいいし)。 圧巻というか笑い所は工場でせっせと働くウンパ・ルンパたちの存在であろう。皆同じ顔の身長75センチの小さな人々。彼らは黙々と仕事をこなす反面、歌を歌い、踊り回る(シンクロナイズド・スイミングもイケるらしい・笑)。 子供が工場内を案内されるうち、「自業自得」で次から次へと姿を消すハメになるたびに、ウンパ・ルンパたちは集い、歌い、踊る。楽しくてやみつきになる悪夢だ。子供たちをそれぞれ的確に小馬鹿にする歌詞を70年代のロック・テイストな曲に載せて歌い踊ったかと思えばビートルズ風に歌い上げもする。館内では彼らが登場するたびに笑いが起きた。 意地汚い者、奢る者、自己を過大評価する者や強欲な者は容赦なく工場の何処かへと運び去られるハメになる(地味〜〜に seven deadly sins に通じるものを感じないでもない……日曜学校に通わされた子供ならぼんやりそういうのを嗅ぎ取りそうなんだよなあ)。素直でおよそ欲というものが欠如しているようなチャーリィ(とそのじーちゃん)だけが最後に残る。この辺り、わかりやすい。ある意味スカッともするし。 原作にはない父と子の愛憎(?)の過去も付加された物語、原作ファンにとってはどんな味わいを持つのだろう? 私はこの映画そのものは楽しめたけれど。ティム・バートンならではのあの映像美とジョニー・デップ(人工的かつ病的な美を体現していて素敵。でも、時々森○一と○ュリア・ロバーツに見えてしまったのもきっと私のココロがケガれて・以下略)という最強コンビの濃厚な味もまた好み。でも「ショコラ」の時と違って、何故かチョコレイトを食いたくはなりませんでした。何故かしら〜?(それよりもあのパッケイジのチョコレイトそのもの、が欲しい……。チャーリィが包み紙を綺麗に開いて部屋のベッド・サイドの壁にコレクションのようにして貼ってるんだけど、誕生日に一枚買ってもらえる記念にして思い出な訳だけれど、デザインそのものも洒落てるんだよな。貼りたくなるぞ、私も。あれそのままのデザインのクッション、もとてもとても欲しい〜〜・涙) お金よりも何よりも家族がいちばん大事。愛情がもっとも大切、と、ベタと言えばベタなテエマではあるけれど、見終わったあとふんわりしあわせな気分にはなれます(そして、「報い」を受けた子供たちはどうなったか、っていうと、……映画館でお楽しみ下さい。その辺りは毒気がまだまだ効いてます)。 チョコレート工場の秘密 ロアルド・ダール ![]() 買おうと思ったら劇場公開のせいか在庫切れですよ↓ はよ増刷してくれ講談社。最初はペーパーバックで、と思っていたけれど、文庫だとよりコンパクトに収納できるのでコッチにしよう、と思ってたのにー(泣)。 でもって、かつて制作された昔の映画の方も俄然観たくなってた。 夢のチョコレート工場 ジーン・ワイルダー ジャック・アルバートソン ピーター・オストラム ![]() 今から30年近く前につくられたらしいけれど、これはこれで楽しめそう。当時どんな工夫を凝らして楽しませてくれたものかゼヒ鑑賞したいところ。 ……出費が嵩む映画だよ……↓(それが感想ですか!!)
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読めなくはないのだが、…。 |
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2005-09-25 Sun 22:48
やじきた学園道中記 27 (27)
市東 亮子 ![]() まず表紙のカラア・イラストで少しばかり黙り込む。……手塗りの方が断然美しく繊細な絵を描かれる方なのに、何故まだツールとして使いこなせている、とは思えない段階での「習作」をカオである表紙に使ったんだろう、とかなり残念…というかことばもなかった。出来が悪いというよりも、CGで出せる美しさや繊細さが出せていない、手塗りの時の方が断然美しい故に「もっと習熟なさってから発表されては…?」と思ってしまうのだ。シロウト目にも「プロの方に言うのは何だけど、こんなにお上手でも掲載されないの?」というケエスを見てるだけに余計なあ(某有名まんが家さんが、シロウトの投稿ペエジにCGイラストを送り、何度もボツを喰らった、というものをHPで公開されているのを見たことがあるのだが、失礼ながら今回のこのコミックスで使われたイラストの数段上を行く美しさだった。もっとも、「CGが美しい」「技術がある」ことと、「絵そのものに魅力がある」というのもまた別なのであるが。上手くても魅力的ではない、というモノもやはりあるわけで)。CGで描くことの利点が感じられないだけにより気になるなー……。もともと繊細なカラアを描かれるだけによりアラが目立つとでも言うか。趣味で飽きるほど描いてこれでもかと機能を使いこなせるようになったらどどんと公開! の方がよかったなあ。 肝心の内容。これがまた。どうしていいものかと。 まとめて読む分にはそれなりに面白さも感じないでもないけれど、これを雑誌で毎号分断されつつ読む、というのは正直ツライかな、と思った。今まででもっとも冗長で、もっともテンポがスロウ、もっとも登場人物が多く、もっとも……面白いと感じられない。多分大団円(というものがあるのだろうか、この話の場合)が来れば「うーん、読んだなあ」「面白かったあVv」と感じられるようになるのであろうか。前までは次号(巻)が楽しみ、だったものだけれど、今回は「次巻が心配…」だもんなあ。 とにかく物語が進展しない。同じことを繰り返す。「やじきた」コンビの活躍はさほどなく、周囲のヒマな貴人(奇人)どもに振り回されているだけにしか見えず歯がゆいことこの上ない。もっとこう、スカッとしたいもんなんだが。でもって今までの大抵の話ではスカッとしたもんなんだが。どうしちゃったんだろう。 赤目という土地と、日本史マニアにはオイシイネタと、それと「やじきた『学園』道中記」という作品があまりかみ合ってない気がする。妙にビジネス、というかオトナの世界が食い込み過ぎてて(しかも学園生活・学生という立場の人間にさほど直接的に関わってこないため、妙に生臭いハナシになっちゃってる気がする)、これからの展開への伏線しか感じられないし(人物相関図をつくろうものなら何がなにやら、になりそう)。アクション・シーンも以前ほど燃えないなー……。そもそもやじきたが活躍してないからな。登場人物も話も錯綜し過ぎてて、どこにどう焦点を絞りたいハナシなのか判然とせず。どうでもいいと思っちゃうようなキャラの活躍(?)ばかりが目立つ目立つ。これ、どう決着つけるんだろう。そろそろ終焉に向かって動き出してはいるようだけれど。いや、終わっていただかないと困るんだけど。こんだけ引っ張ったんだから、さぞやスカッとする爽快にして納得のいくラストが待ってるんだろう(でないと悲し過ぎる。盛大に始まって尻すぼみ、ではあまりに悲し過ぎる……↓ いちばんモヤっと感が残りそうなのが「微妙に多大な謎ばかり残して本来読者が望むような解決というものがなく、一応丸く収まっただけの何処かもやもやしたラスト」ってヤツなんだけど。個人的には。そりゃ今後また連載があるかも、と感じられるかもしれないラストでもあるんだけれど)。 巻末のおまけまんが「がんばれ鎌足くん」も微妙だ↓ 今までと同じく、「小劇場(やじきたのキャラたちがドラマや古今東西の名作の登場人物に扮して楽しませてくれるコミックス恒例のおまけまんが。配役の妙や、本編と絶妙にカブる台詞回しや展開のぶっ飛び具合が素敵)」のが楽しいよ〜〜↓↓↓ 主線もペンが変わったのかそれとも筆圧等の関係なのか、妙に荒れて見えたりも。ざりざりしたカンジに見える。気のせいか?(それでいて姫御前なんかは妙につるりとまろやかな線で描かれてるんだが) すでにかなりの分量と冊数を費やして、私が見ることが叶ったのは「小物がしゃしゃり出てメイン登場人物を振り回して遊んでるだけ」と「学園が学園にして学園にあらず」なとこくらいで御座いますよ。ひと多過ぎです。詰め込み過ぎ…の割に満足感はちょっとスカスカなカンジ。ああ、面白く終わってくれええええ!(で、ちゃんと続いて欲しい……) |
ゆく川の流れは。 |
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2005-09-24 Sat 22:55
寒いなあ、と思いつつ、まだ部屋の窓を開けたままにしている。肌を刺すようなきりきりとした冷たい空気が嫌いではない。いや、ちょっと、違う、かなり好きだ。風邪、ひきやすい質なんだけど。
夏だ、暑いぞ、そんなことを喚いているうちに、気づいたら秋の気配。庭の緑はもう鮮やかな濃さを失っていて、どこかくすんで見える。まだ夏物の寝間着だし、家でだらだら過ごす時はタンク・トップにショート・パンツだったりするけれど。寒いなあ、あったかいミルク・ティ飲みたいなあ、とかほざいてる。 一雨ごとに寒さを増して、あれこれ忙殺されて、うっかり(?)してるうちに冬が来るのだ。もうじき9月だって終わってしまう。 何かしてるうちに、何もできないうちに、どんどん時間だけが過ぎてゆく。困ったなあ、と困ってるようには見えていないらしき顔で言ってるうちにも、時間が流れて、……置き去りにされてゆくような感じ。 紅茶好きのメニューブック 山田 詩子 ![]() 絵本みたいに可愛いけれど、実用性大。何となく手にとって何となく開いたペエジを蜂蜜を垂らすように楽しむ。とろとろと。ひたひたと。染み込むまで。静かな気分なのにちょっとだけわくわくする。もう何回も眺めて読んで楽しんでるけれど、飽きない。やわらかい線、美しい色合いのイラストがちょうどいい。 焦っても何がどうなるでもないのに外の景色が変わっていたり、風の冷たさが変わってるのに気づくと、妙な焦燥感にかられる。ホントに、焦っても何も産まれないんだけど。というよりも、そもそも何で焦っているのかもわからない。 (精神面の)成長が見られない、とか。このままの日々が何時まで続くのか、という漠然とした不安だとか。そういうものに押しつぶされそうになってるのだけはわかる。 あったかいお茶でも飲んで、落ち着け、自分。 |
仕事だけさせてくれ。 |
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2005-09-23 Fri 23:21
「困った人たち」とのつきあい方 (河出文庫)
ロバート・M. ブラムソン Robert M. Bramson 鈴木 重吉 ![]() 職場では仕事だけしたい。その他「雑味」は一切必要ナシ。要らない。欲しくない。必要ない。邪魔。馴れ合いも好きになれない。やるべきことだけやってとっとと帰りたい。……出来ないものなんだな。私みたいに「そんなの工場にでも行って流れ作業でもやってれば?」な人間の方が少ないんだろう。 トップ、サブ、下っ端私含め3人。全員女性。シフト制。私は大抵蚊帳の外に置かれるか自ら居るようにしている。 皆ヒマな時、無駄話をするのが好きだ。私も別に当たり障りのない世間話くらいは平気だし、ヒマな時はそれこそ多少は気が紛れて助かることもある。しかしだな。 そこに居ない人間のある種の批評・批判、下手したら中傷めいたもの、それはあまり聞きたくない。返事のしようもないではないか。 「Aさんて、友達としてはいいけど、一緒に仕事するのはちょっとね。やれ、って言ったことやらないんだもの。それでいてセンパイ風吹かすしさ。そこが困るんだよねー」 「Bさん(=この事業所で一番エライ)て、ホントはバツイチなの。みんな知ってるけど、知らないことになってるから、本人には絶対そのこと言っちゃ駄目だからね」 「Cさんも長く勤めてる割にはまだちゃんと出来てないとこあるのよね。ワケわかんないわよ」 「Aさんは食い意地張ってるって言うか自分は損したくない質みたいで、お土産とか誰かが旅行先で買ってきてくれるじゃない? ああいうの、ひとより少ない数でもらうのがイヤみたいで、きっちり数えて『ひとり○個ですよー』とか言って、とにかくしっかり持ってくの。で、いつもそうやってがっつりもらってるんだから、たまには遠慮したらいいじゃない? それをしないんだよなあ。『いつも私ちゃんともらってるから今回はいいですー』とか言えっつの」 ……などなどなどなど、ふいに空いた時間に聞かされ、何とも言えぬ気分になる私。 ふだんは皆なかよしこよしな皆様であるが、いざ本人不在となるとこんな風に言われ放題になっているワケである。私だけが例外になっているとは思えないので、「ああ、こりゃ私も何ぞ言われとるな」とゲンナリする。 来客があっても声もかけず私語に勤しむひとたち。おい。客だよ。挨拶してるのは私だけ。虚しく声が響く。私にはカウンタア内に用もないのに居るなと言っているひとたちが、何かしら理由を無理にでもつけて集い、無駄話に花を咲かせている。……上手いですね、理由つくるの。そこまでしてソコに居たいですか。私は肩を落とす以外することがない。 職場では仕事だけしたいです。どこの誰が誰と付き合ってるだの、○○さんは××なんだって、みたいな噂話も、どうだっていいんです。客来たらまずそっち反応して下さい、どうして私語に全力傾けて語り合って笑ってられるのかわからないですーっ!! 八方美人と言われようが何だろうが、誰の味方にも敵になる気もない。適当に相づちは打つが、細心の注意を払い、どうとも取れる返事をする。自分から話しかけることはあまりしない。しても当たり障りのない内容を選ぶ。 だからだろうけれど、私はいつも大抵ぽつねんとひとりで作業していることが多い。皆隙を見ては移動しつつ私語にうち興じている。それを眺めながら、黙々と作業をし、早く時間が去ればいい、と念じ続ける。 個々人は皆それぞれにイイヒトだと思う。100%イイひともワルイひとも居ないと思う。必ずしも同じ考えの基に動いていないだろうし、考え方なんて違うことの方が多いとも思う。でも、できれば横の繋がりでの批評批判(それもちょっと陰口めいた内容)はあまり聞きたくないし(言われてるだろうとも予測できてしまうので尚更)、そういう内容で盛り上がるのも遠慮したい。 皆がやり玉に挙げるひとが居るんだけど、いちばんひととしてはいいひとだと思うけどなあ。そのひとの口から同僚の批評とか聞いたことないし、言わないひとだし。それこそ、そのひととふと空いた時間にする会話は「世間話」程度で、毒にも薬にもならないけれど、和やかな関係性だけは築けるもの、なんだけど。皆が言うほど仕事できない・してないひとだとも思わないし。……と思うにつけ、このやり玉に挙げられる彼女に仮託して実は私自身を批判しているのかも、と疑心暗鬼に陥り始めていたりもするのだが。 仕事だけしたいです。私はソレをすることでカネもらってるんだし。無駄話して来客も無視する行為にはゼニ払いたい会社ってないと思うんだけど。 身体の疲れもさることながら、精神的な疲労が最近高まりつつあって、イライラし通し。どうしたものかねえ。 |
ちまちま小ネタ。 |
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2005-09-22 Thu 23:52
増位山太志郎全曲集〜そんな女のひとりごと〜
増位山太志郎 ![]() 一日48hくらい欲しい。24hでは足りぬ。半分は寝る訳だが(ははは)、残り12hを3等分して、 1:仕事 2:読書: 3:その他好きなコト と割り振れたらもう最高なんだけど。「1」は削りたいがそうもいかん。どうでもいいけど、先日TVで「家庭婦人スポーツ大会」とかいうフレエズ(かなりうろ覚え。とにかく、「専業主婦」とか「主婦」ってコトバを避けてるのかな、と思ったことだけは覚えてる)を耳にした気がする。専業主婦、じゃ何か不都合でもあるんだろうか? 「稼ぐというカタチでの仕事はしてなくて税金払ってなくて夫の稼ぎで食えるもんだからヒマあるのでスポーツしてます、大会にだって出ちゃいます」ってカンジに聞こえるとか??(無理矢理カンジ悪く言ってみる)でも一瞬羨ましいな、と感じた。時間やりくりできる、んだものね。もちろん、あれこれ忙しいひとだっているんだけど。ヒマなんて持て余してみたいよ……。スポオツする余裕も体力も時間もないんだもんなあ。仕事だのシフトに縛られて「自由」なんて限られてるぜ(と他人のせいにするとラク。単に自己管理が出来てないだけなんだってば)。でもとりあえず、時間足りねー。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ やりたいことが増える。ココの更新もできるだけさくさくやりたいところなクセに、コレとはまた違う傾向の文章(要は創作系なのだが)を書きたい…けど時間が取れない。いや、取れるこた取れるんだが、一度書き始めると集中してしまうので、翌日以降に差し障り乃至しわ寄せが(そしてその集中力をどうして仕事の時には発揮できんもんなのかと)。自分でも驚くほどの集中力よ。数時間で原稿用紙で7〜8枚とか平気で書く。多い時は二桁の枚数書いてる。半ば飲まず食わずでやらかす。ひとり暮らしなんてしてよーもんならぶっ通しで書き続けて徹夜までするな、きっと(実際やったこともある)。 日記とココともうひとつ、あとは手帳にも日記つけて別個に主旨の違う日記つけてて、……何をそんなに主張したいんだか(とは言っても、日記は自分のための備忘録でしかないので非公開)。記しておかないとどんどん忘れるのよ、トシだから(禁句を敢えて自らに言うのかよ)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ とうとう家でストオヴを作動させた女が! 母は寒がり……。頑張れ母。風邪ひくな母。居間でストオヴが母をぬくめているさなか、ムスメはダイニングにて扇風機で風を浴びている。ひとつの家に季節が2つある家(←加藤みどりサマの声で)。私、肌寒くなってきた辺りに、お蒲団に潜り込んで扇風機つけておくのが好き(無駄無駄無駄アアァァァァ!)。ぬくぬくとひんやりを味わいたいのよー。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 英語。ヤバイ。本気でヤバイ。通信教育もあと1ヶ月で終了、というのに、とうとう Monthly Test 、〆切に間に合わせられなかった!(遅れても提出できるし結果も教えてもらえるけど!)疲労と他の誘惑に勝てない。惰弱! でもって何故か夜更けてからでないとヤル気が起きない。眠いっつの。とっととやればいいのに。やればやったで楽しいんだけど。とっかかりまで辿り着くのに時間のかかる馬鹿。厄介……。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 今月末〜来月給料日まで大赤字。友人の結婚式・お祝いの準備、奨学金返還、毎月の引落(書籍代月3万台からどうやっても落とせない↓)、購入予定のあんなものやそんなもの。そして私の住む地域は抜きん出て最低時給が低い。どうよこの最凶タッグ。実入り少ないけど所得税はきっちり取られるし。くっそー。一日で出来る仕事を三日もかけてやるという役所に勤める、机に向かって定時までだらだらしてる「だけ」の公務員が憎い(いえ、ちゃんと働きに働いて残業しまくりの公務員も知ってるし、苦労を家でも見てきたので公務員=即税金泥棒、とは思っていないです)。どこぞの県のとある役場だかで、人員整理して、それまで3人でやってた仕事をひとりで3つこなすようにしたら仕事はかどるわ無駄な人件費が無くなるわで黒字に転向した、ってニュウスなかったっけ?(一般の会社ではそれがフツウなんだが)それやって。私の住む地域でも。何もしなくても高級取りでいられる輩が多すぎるのよー! 以上私怨。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 来週こそは「チャーリーとチョコレート工場」を観にゆくのだ! 友人と休みのシフトが合わないため、強行軍的に(私たちが住んでる地域でやってくれないので他市まで行くのであった)。レイト・ショウを。安いし。というか、¥1,000で観る習慣を自分につけてしまったので、これ以上の価格で観るキモチを失っている。前売りでおまけが欲しいから、とかそういう理由でなら多分平気で¥1,000以上払うんだろうけど(なんて現金)。 |
透ける肌、物憂げな瞳。 |
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2005-09-21 Wed 23:20
ヴィクトリアンエクセリーナ8 A
![]() 子供の頃に、マテル社との契約が切れたとかで、今まで「バービー」と呼ばれていた人形が「ジェニー」として生まれ変わった。顔は同じなのに、ヘンなの、というよりも、大人の事情っていやねえ、と思ったものだったが、慣れてしまえば「ジェニー」は「ジェニー」。EPOのつくったテエマ・ソングだって歌える私はかつてファン・クラブにだって在籍していた(おお!)。 「ジェニー」として生まれ変わってからは、怒濤の新作ラッシュだった。友人と称して人形が増える(最初は同じモデル・クラブに所属するメンバア、という設定で、皆国籍が違うのが5体ほど登場。顔立ちも微妙に、あるいはかなり変えてあって、どれも欲しくなって困ったものだった)。ドレスにテエマ性を持たせたり、クチュール界で活躍するデザイナアに衣服をデザインしてもらったり、と財布の紐を緩めさせるのにあのテこのテを繰り出してくる。お店で無料で配られたファンクラブ会報(らしきもの)のつくりがまた凝っていて、実際のモデルを撮影するが如く、街に繰り出してポオジングをつけ、あたかもファッション雑誌のようなつくりで、これを無料配布たあやるな、タカラ! とコドモゴコロにも驚いたものだ。 色んなラインナップがあった中でも、「エクセリーナ」は憧れまくりの人形のひとつだった。通常のジェニーよりも肌が白く、ビスク・ドオルのような趣がある。瞳の持つ表情がまた何とも言えず麗しく、どこか漠とした定まらぬ夢見がちとでも言えそうな印象を与える。着る服はシックでクラシカルなものが多く、ヴェルヴェットだのシフォンだのレエスが踊る。今も人気のあるドオルのひとつ。 その新作が発表される模様。このロー・ウエスト気味のデザイン。惜しげもなく使われ重ねられたレエス。ヴィクトリアン・スタイル! うがあ、めっさ好みよ! でもって、エクセリーナに相応しいドレスだわー! ヴィクトリアンエクセリーナ8 B ![]() そしてペアで買わなきゃ損でしょう!(byタカさん)と言わんばかりに同時に発売されるこちらのヴァージョン。これは…男性ver.なのかしら? しかし、ヴィクトリアンというよりもイタリアというかヴェネツィアなんかに住むお貴族サマ辺りを思い出してしまった歴史に疎い私……↓(ああ、今アタマの中にロレンザッチオとかメディチとか、ない知識のせいで混乱しまくって色んな名詞が飛び交ってるよ↓) 閑話休題。とりあえず、これいいなー欲しいなー、と思ったのでありました。でも、あったとしてこの小汚い部屋にどう飾れと(以下自粛)。 |
食べられないのよ。 |
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2005-09-20 Tue 23:54
さすがは「ひまわり」世代と言ったところか。母は今でも可愛いモノ、愛らしいモノ、美しいモノ、が大好きらしい。ガーリィなモノも好き。
ムスメ、というものを授かり、彼女にしてみればあんな可愛い服、こんな素敵な服、を着せたかったらしいのだが、如何せん生まれたムスメは父方の血を濃く引くため、可愛くない造作であり、彼女の望んだモノは似合わないのであった。すまん、母。多分私が可愛いムスメとやらに生まれていれば、「PINKHOUSE」だのあのテの服を嬉々として着させたがったに違いない。すまん、母。私はあのデコラティヴな服が大好きなのだが似合わないのだ。 彼女の趣味故に、私は学生になるまでジーンズというものと無縁であった。彼女にとって、アレは「作業着」なのだそうである。まあ、間違ってもいないか。元を質せば確かに丈夫さと安全性を兼ね備えた労働着(えーと、幌馬車の帆布に、ガラガラヘビ除けのインディゴで染めた、んだっけ?)。故に、「オンナノコには穿いて欲しくないのよねえ」と堂々とおヌカし遊ばされたのである。私は私で「ウエストで選べば良くて尻、最悪腿で阻まれる悲しき衣服」という概念が捨て切れず、穿きたい、とも思えなかった。そもそもボトムスにパンツ、というのも稀だったくらいだし。パンツ姿の私を見た時の友人のオドロキっぷりを今でも憶えている。 「どーした、紫堂!?」 いや、その、まあ気分転換みたいなもんです……。そんな私が今じゃふだんはジーンズがほとんど。母もすでに観念して久しい。 しかし。だからと言って彼女の中の「乙女魂」あるいは「乙女回路」とでも呼ぶべきものは失われてなどいなかったのであった。 ![]() これがテエブルの上にちょこん、と置かれていた。私はすぐさま 「父がまた早生の、かハウス栽培の蜜柑でも買ってきやがったな」 と思った。買ってきて、ほい、と私や母に寄越すのだ。で、何となく食べたい気分でない時は近くに放置しておくことがままある。 翌日だか翌々日だったか。 「これ、本物みたいでしょ?」 嬉しそうに尋ねてくる。え。本物じゃねえの? 「これねえ、リップなの♪」 私にひょい、とそれを手渡す。あ。確かにカタイ。プラスティックだ。よく見たら周囲ぐるりに線が見える。蓋、なのだろう。くるん、と回してみる。開いた。 ![]() ほ…ホントにリップだよ……。ちょっと吃驚。こんなの売ってたのかー。ちなみに、私たちは仲がいいのか悪いのかわからん姉妹や友人同士のようなノリがあって、いらんところで自分の可愛いと思ったものをくれてやろうとしたり、逆にウケそうなものは自分だけで保持する、というヤラシイ根性の持ち主同士である。自分の分だけ買いやがってー!! 私にも寄こせ!(笑)そういう私も自分でたまたま気に入って購入したモノを譲って、と言われても首を立てには振らないのだが。はっはっは。 という訳で、今母を呻らせる(?)あるいは羨ましがらせられるようなナニカはないかと物色中。むきーっ!(ヒス) |
飲み放題? |
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2005-09-19 Mon 23:54
カフェオレボウル
山本 ゆりこ ![]() 「ミ○ド」のカフェ・オ・レが気になる気になる。飲んだヒトの話によると「砂糖入れなくても結構コクと甘みが感じられて美味しいよ」とのことでますます気になる気になる。おまけにおかわり自由だと言うではないの! ますますますます気になる気になる気になる! 私が知ってる限り、カフェ・オ・レをボウルで供してくれるお店、はない(ヨソの地域にはあるのかしら? 私の住んでるド田舎には皆無よ)。私、好きなんだけどなあ。お抹茶飲んでるみたいに見えるけど(笑)。両手でほこほこの器包むように持ち上げて、少しずつ口に含んでく、っての。だいだい、お弁当食べる時、カップとお茶持参してるんだけど、そのカップ、ちゃんと取っ手(?)がついてるマグなのに気づけばそこを持たずに本体そのものを持って飲んだりしてるくらいだし(ほんっっっっとに! 意味ないよ…)。ああ、でも、あのボウルで飲む、てのは家でやってこそ、なのかもしれないなあ。和むというか何となくほっとする。器を両手で抱えて少しずつあたたかい飲み物を飲む、というのは。 個人的には、友人招いてお茶する時も、気分によってはボウルを使う。ミルクも紅茶もなみなみと注いで、たっぷりのミルク・ティにお菓子を添えて延々話し倒す。 グッズ集めに狂騒することもなくなった昨今、「ミ○ド」そのものに足を運ぶ回数も減ってしまったけれど、カフェ・オ・レ飲みたさに行きたくなってる。できれば文庫持参でドーナツのひとつもオーダーして居座るくらいの心持ちで(店側から嫌われる客のいい例)。 上にある本はカフェ・オ・レ・ボウルのみを集めた本。無駄がないというか、ちょっとストイックなつくりで、大人の可愛らしさやおしゃれさが感じられて好き。「カフェ・オ・レ」で何かいい画像ないかな、と探していたらコレがヒットして「そう言えばコレがあったわ!」と載せてみました。中身は書店でどうぞ。 |
そんな季節でした。 |
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2005-09-18 Sun 23:17
来ましたよ。また「新しい手帳とカレンダア!」と騒ぐ季節が。しかし問題なんぞ最初からあってないようなものだと最近ようやく悟るよーになりました(遅い!!)。
カレンダア。予約・購入決定しているものは2種。ひとつは惰性で買ってしまう某まんが家集団のモノ(何と、毎年購入し続けているのに、ただの一度も部屋に飾ったことがない……。何のために買っているのだ! あ、そう言えば二度、2年間だけ飾ったことがあった! ひとり暮らしの頃だ。間取りや窓の関係であまり日焼けを気にしなくて済んだからなあ……今は日焼けが気になってうかつに飾れない。ヲタクなので、今更恥ずかしい、とかはない。イタイという自覚はあっても・笑)と、 ツバサ REVERVoirCHRoNiCLE & xxxHOLiC 2006年合同カレンダー CLAMP ![]() "The SIMPSONS" のモノ。 The Simpsons 2006 Fun Calendar Matt Groening ![]() 後者も毎年購入しているけれど、これもやはり日焼けだとか釣り下げるための穴の部分から傷むのではないかと気を揉んでしまって飾れない。眺めるため専用…意味ねー。アメリカではこの Wall 版専用のラックというかホルダアというかボオド?(キーパー? 英語ムズカシイネー!!)があるんだよな、確か(しかしこのおPOPなテイストに合うかというと、私が見てきた中には見つけられんな……)。 結局、卓上サイズでも小さいフロッピィ・ディスクくらいのサイズのものを机の上の棚にちょこん、と載せているのを日々活用している。ますます何じゃそりゃ↓(しかも、市販のそれではなく、通販で毎月買ってるモノに運が良ければ混じって届くモノ。もうひとつはHQ社がクラブ会員に毎年くれるカレンダア。これも同じサイズ。でも、大抵ブロック・タイプではないのでひじょーに見づらい。ほぼ飾りモノ)。 そして。もっとも活用度が高いカレンダア、とは、結局のところ仕事先のシフト表である、というこのセツナさ……(涙)。味もそっけもないどころか仕事のことばっか思い出させられてツマラナイことこの上ナシよ。ちくそー。 手帳は今のところ「またか。またミ○ドなのか!」と自分を責める毎日(責めなくてもいいだろう…)。いや、でも、サイズと仕様とデザインに寄るけど。文庫本サイズ・マンスリィ・ウィークリィ・ペン・ホルダア付でガキっぽくなさ過ぎ無いデザインのものなら多分迷わず「す○ぢゅーるん」になりそう。進歩がないのう。いつも利用している通販会社も「あげるよん」と予告してきやがったけれど、いまひとつナカミが私好みではないし。ううむ。 早くデザインとキャンペーン実施時期発表してくれないかしら(結局どーなつ食うしかないんかい↓)。 |
忌憚なく。 |
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2005-09-17 Sat 23:01
「お母さんはね、……」「お母さんの言うことを、……」
母の口から聞いたことがない。 「あたし」。彼女の一人称が「お母さん」だったことはない。それでも私の母だという事実は変わらない。 「おかあさん」と殊更に名乗らない母を、私は敬愛している。この世でもっとも「美しい」おんなのひとりだと信じて疑っていない。とはいえ、さすがに彼女も年齢を重ねたのだな、としみじみ思うことがある。 歳を重ねると、人間、少々脆くなる。こころも、からだも。昔は凛とした、芯の通ったおんなに見えた。 彼女は「教員のクセに」、明るい色合いのコオト(タアコイズ・ブルウ乃至セルリアン・ブルウ!)を来たり、所謂「ファッショナブルな格好」で出歩いた。教師たるもの、地味でなくてはいかん、ハデに着飾るものではない、という風潮が強かった頃でも、平然としていたという(おかげで、夜の街を徘徊している、だとか色々噂が流れた「伝説の女」だったらしい。同僚男性陣にとっては近づき難いオンナだったようだ)。 授業中にこっそり飴やガムを食べる子供を見つければ 「みんなに配れる分持ってるの? 持ってないでしょ? 見てたら回りだって食べたくなる。だから、今は食べるのやめなさい。あとで食べて」 と注意する。 息子が思春期を迎え、煙草をフカしたいオトシゴロになった時 「アンタ。吸うな、って言ったって吸いたいものはどうにもならないでしょう。だから、吸うな、とは言わないけれど、ひと目につく所ではやめなさい」 とだけ言った。兄はよく自分の部屋で煙草を吸っていた。高校生の頃。 強くて泣き言を言わないおんなだと思っていた。でも、私が長じるにつれ、愚痴を耳にすることが多くなった。 今は、……少しさびしげなひとに見える。 私もそれだけトシを食ったってことなんだろう。 …………………………………………………………………………………… 以前、スペアリブを食う時、いかにみっともなく食べてしまうかについて語ったことがある。その時、もらったコメントにこんなものがあった。 「女性がガツガツ食べるのを見るのは気持ちがいい」 とか何とか。私は吃驚した。 そのコメントを下さった方とは何らの面識もない。親しくないどころか、コトバを交わしたこともないどころか、まったくの他人なのである。彼のフランクさ? 違うね。距離感の取り方(在り方に対する考え方)とコトバに対する考え方の違い。多分。 彼は私より若いひとだったけれど、自他共に認める(と思しき記述が多々あった)英語に堪能なひとで、そこはとても素晴らしいと思っていたけれど、何とも自意識過剰なところも垣間見えて、内心「ははは、大言壮語は若さの特権だね」と思ってはいた。まあそれはいいとして。 せめて「ばくばく」とか「ぱくぱく」と言え。お前、どんだけ英語出来たって、日本語が母語だろう。ニュアンスの違いが印象やその後の関係性を左右するんだぞ。 「がつがつ」で伝わるのは私にしてみれば「卑しさ」だ。欠食児童よろしくようやくありついた食べ物を他者に奪われまいと必死で頬張るようなシーンが脳裏を過ぎる。その時は一種の好意を示すとともに、軽い感覚で言ったのであろうし、漠然と女性全般を指したのであろうが、彼は私の書いた文章を元に述べたのであるから、漠然としているのと同時に、私個人のことを指してもいるわけで、つまりは「アンタはイヤシイ」と言われたも同然の気分なのだ。ああ、そりゃイヤシイだろうさ。理不尽な怒りなのだろうが、「私に対して少々シツレイではなくて? お若い方」、と思ったのであった。書いた私も誇張して書いたのだから、それに合わせただけで、あくまでも「ノリ」で書いただけなのかもしれないけれども。 面識のある、親しい、ジョークのわかる間柄でならば、それはアリなのだが、如何せん私は彼の何をも知らない。何らの関係性もなく、その時ようやく生まれたようなものなのだ。そういう人間から「ガツガツ食う」などと言われたくない。もっとも、密度の濃い人間関係が築けてしまうソコでは私はそのことについて語らなかった。 とりあえず、キミはね。某有名アーティストの上を行く人間だ、と胸張って言う前に、同じ土俵に立って、彼を実際に越えてからお言い。誰もがそうだとわかる姿をお見せ。「越えた」と思うのは勝手だけれどね。自信と思い上がりは違うのよ。英語では同じコトバなの? だとしたら「その」英語はアナタ向きの言語でしょうね。私は違う英語を学ぶことにする。 …………………………………………………………………………………… 前に某通販会社で「年間予約」なるものをやっていた。1年12ヶ月、テエマに沿って色々なものが届く、という企画で、デザインは選べない。もっとも、ある程度ラインナップは事前に公表されているので、コレが届くのかあ、とかコレは別に来なくても平気だなあ、とか、色々を期待を膨らませて待つことになる。 ふだん利用していた紅茶専門店のオーナーさんがデザインを担当する紅茶雑貨を購入できる会を申し込んでいた。友人も同じコオスを選択し、それぞれにズレて届くため、先に届いた方に「ねえ、今月何が届いた?」などと尋ね合う。 ある時、友人からメエルがあって「もう私には届いたよ」と言う。「何が来たの?」と尋ねたら、友人は楽しみのすべてを奪ってはいけない、と気遣ってくれたのか、こう言った(大抵は同じ商品が同じ月に届いていた)。 「うーん。紫堂さんには必要ないもの」。 私は考えた。ラインナップを思い出しながら、比較的アッサリと友人の元に何が届いたかわかってしまった。 友人の手元に届いたのはクッキィの抜き型とそれを収納するための缶(後日たちゃんと私にも届いた)。 私は料理がとてもとても上手、という人間ではない。最低限の最低限をどうにか、という程度だ(魚をサバくのは上手くない…)。所謂お菓子づくりはしたことがない(クラブ活動ではやったけれど)。オーヴンもなかったし、腕もなかった。友人はそれを知っている。 つまり。 「紫堂さん料理ヘタだししないから、必要ないでしょ?」 と言ったように思えた訳だ。料理が出来る出来ないに関して、私には劣等感がある。上手い・下手は関係なく、やって当たり前、という行為だと思っていたので(「食う」という行為は生きてくために必要なことなので、まるっきり他人の手に頼らなければ食事もできない、というのはよろしくないのではないか、と思っている。むろん、ひとそれぞれなので、「出来なくても今は便利なもんで、出来合いでも美味しいのあるからそれで十分よ、忙しいし」と思うひとがいてもそれはそれだし、「つくってくれるひとが居るから♪」でもそれはそれだと思っている。ただし、その「他者」を失った時誰を頼れるのかを思えば、私には「頼り切る」ことは出来ない行為、なのだ。まあ自分で出来るに越したことはないし)、あまりしない、という事実も如何なものか、と思っていたし、できないでしょ、しないでしょ、どうせと言われるのも何だか悲しかった。ついでに言うなら、お菓子づくり、なんて「可愛らしい」コトとも無縁でしょ、と言われた気分にもなった。 事実はいちばん刺さる。どんな時でも。 …………………………………………………………………………………… 日常の会話、というものを、私はいつも耳をそばだてるようにして聞く。そのひと自身が見えてくるからだ。ふだんどんな風に何を考えているか、鎧っても隠そうとしても隠せぬ、綻びのようなものが、本人も意識していない状態で出てくる。本当はワタシをどんな風に見て思っているのか、口では言わない何かを別な事象を語る時にひょい、と漏らしてくれた「友人」を何人も見てきた。 単にコトバの遣い方を知らない、という場合も往々にしてあるのだが、大抵は自分を優位に見ているのが判ってしまったり、ワタシを見下している部分があることが露呈されたりするのだった。いや、バレるもんですって。実際そう思ってるなら。多分、中には巧みに何気ない方法で敢えて言ってるヤツ、というのが存在している、とも思う。 人間、「本当に」言いたくないこと・秘めておきたいこと、は寝ている時でも絶対に言わない、と本で読んだことがある。つまり、うっかりだろうが口をついて出てくるということは、「言いたい」気持ちがドコカにあるから、だろう(よって、当時とは医療に関する情報や知識の違いがあるとは言え、泉鏡花の「外科室」は色々な解釈ができて何とも興味深く、またその解釈故に作品の持つエロティシズムの幅や奥行きが広がる佳品なのであった)。 =============================== ひとつ忠告。こういう人間は友人に持たない方がいい(笑)。疲労の元だ。フランクかつ深く考えることなどしない、気むずかしいところなどカケラもない砂糖菓子のようなひとを見つけることをオススメする。 |
何処にもない「平凡」。 |
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2005-09-16 Fri 23:48
ドロップ
廣瀬 裕子 ![]() とても人気のある方らしく、書籍も好調に売れているのか、割合頻繁に新刊が出される。どうしてそんなに人気があるのか、正直わからなかった。ただ、私の好きな(恋愛的な意味合いではない)ひとが好きらしいので、よし、ちゃんと読んでみるか、と意識的に買った初めての本。 ときどき、せつない―わたしらしい恋を育てる50の言葉 廣瀬 裕子 ![]() この本ならば、イラストレエタアが山田詩子さんだったので買ってはいたのだけれど(しかも used で↓)。購入当時恋愛もへったくれもそんな艶っぽい(?)感情とは無縁の生活で、これという感銘も受けなかった。多分、誰かに想いを寄せる、とか何かしらあれば、また違った感慨があったのかもしれない(正直、「えーと。だから、なに?」と受け流して終わってしまうくらい、平素な内容なのである)。 彼女のスタンスはいつも明快だと思う。「日常」、「シンプルさ」、その中にある宝物のように愛しいナニカ、こういうものにこそ目を留めて慈しむ、というカンジがどの本にも貫かれているように思われる。その彼女のエッセイなり本なりに惹かれる沢山の女性(男性も居るかもしれない)が居る、ということは、皆そんなにも「日常」というものに目を向けていない、あるいは向ける時間がないのであろうか、と何だかセツナイ気分にならないでもない。「平凡さがとても大切なものに思える」らしいのだ、彼女を本を読むと。 常々、平凡な、何ということもない人生、というものを諾々と送ってみたいものだ、と思っていた。皆が厭うような、「何の変哲もない」などと評されてしまうような、そういう人生を送りたい、と真剣に思っていた。今も思っている。いや、十分に平凡なのだが、世間一般にありがちなパタアンなるものを踏襲し、だらだらと流されるように生きる、ということはどんな気分がするものなのだろう、と思うのだ。 生まれて、小・中・高、ひとによっては大と進み、何処ぞの会社に就職し、何処ぞで出会った異性と恋愛をして結婚し、子供を産んで育み、徐々に老いて死を迎える。 そういう「平凡な」のひとことで片づけられてしまうような人生を歩むことができるというのは、「しあわせ」だろうな、とぼんやり思っている。本当は「平凡な」なんて評価は他人のモノで、それを自身まで肯定し受け容れる必要などないのだけれど、ヒトに言われるとそういう人生を「平凡なモノ」だと思ってしまう。……そんなこと、本当はないと思うんだけど。より波瀾万丈じゃない、というだけで、そのひとなりにとてもとても色々あってそういう人生築いていると思うんだけど。 波も山もない、淡々とした日常、というものは、どんな味わいを持つのだろう? その一見平坦に見えるものの中から宝物のような一瞬を見つけるというのは、どんな気分なのだろう? もしからしたら、そういう気持ちが彼女の本を手に取らせるのだろうか。だとしたら、やはり「平凡」というものを全うするのはかなり難儀なのだと言わなくてはいけないだろう。 詩ともエッセイともつかぬ散文集に、衒いのない写真が何葉も散りばめられた小さな本。「読む」、とか「味わう」本というよりも、「浸る」ためにある、かもしれない。 何処にもない「平凡」や「日常」を求めるひとは、とりあえずこの本の扉を開いてみるのもいいかもしれない。 ただ、ひとによっては少しばかりせつない気分になる。ありふれたようでいて、何故それらが自分の周囲には、自分にはないのか、手に入らないのか、思わず考えてしまうから。 「日常」はいつから「すぐそこのとおいばしょ」になっていたのだろう? 幼かった頃の自分に問うてみたくなる。多分、その頃に私は手放した気がするのだ。 |
急がなくてもよかったのに…。 |


アングルがよろしくないので何だか寸詰まりに見えるのだけれど、ロングでもショートでもないハーフ丈(? ミドル??)くらいのブーツ。スウェードで少しルーズなカンジなのがまた好み。でも本来黒の服が多いので、どうしたものかとは思ってるんだけど、ダーク・ブラウンなら比較的合わせ易いかな、とも思い(昔、画家で、小学校の校長先生もしていた方が、「茶色は難しい色なんだよ」と言ってたので、結構気になってはいる。子供の頃の刷り込みはオソロシイのう。ああ、それにしても黒の衣服とのコーディネイトがー↓)。長めのスカアトに合わせても可愛いなー(とりあえず中身の私本体は無視してくれ)、とか妄想が膨らむ膨らむ。
この履き口付近のデコレイションが何とも言えずVv たまらん♪




















