読者「を」選ぶのか読者「が」選ぶのか。
2005'12'18(Sun)23:08
REAL SIMPLE JAPAN (リアルシンプルジャパン) 2月号 [雑誌]

……私、コレそんなにキライじゃないんだけど、あまり評判芳しくないみたい、あ○ぞんのレビュウ読む限り(得てして自社でのアンケエト結果は芳しいものしか掲載しないものだし)。
曰く「広告が多過ぎる」。
曰く「ひとつひとつの記事の内容が薄い」。
曰く「US版どカブってる記事がるのがガッカリ」。
広告、多いか? 私気にならなかった。やはり鈍感なのか、私。どちらかというと海外ブランドの広告が多くて結構おしゃれだから、そのデザインも楽しんでたくらいだで、「広告」と意識して見てなかったからかも。正直に言うなら、メインの特集や記事が終わったよー、という頃にどがーっと形成外科・美容外科系の広告だのがわんさか入る某雑誌の方がイヤだ(笑。記事内容は楽しませてもらってるけど)。
記事とか特集の組み方も、そのアッサリ加減が私個人としては好みなんだけど、あれですかね、隅々までぎうぎうにあれこれこれでもかと「情報」で充ち満ちてる方がいい、んですかね。好みの問題なんだけど。
「ku:nel」とか「spoon.」とか、割と記事の内容の濃さと独自の空気や雰囲気の漂う雑誌も購読しているけれど、それはそれで好き。楽しい。楽しめるし楽しんでる。
最低限必要な情報を簡潔に書いたらああなるだけ、と受け取っているのだけれど、読者によっては「薄い」んだろうなあ。
「REAL SIMPLE」の身上は、多忙を極めつつも日常を大切にしたい、時間を大切にしたいひとのために発信する様々なコト・モノに関する tips にあるのだろうと思っていたので、どのテエマもあってもいいし、それがすべて100%全開フル・パワアな記事である必要も感じない。そういう「読み込んでこそ楽しい・タメになる」を目指しているのではなくて、「出来るだけ端的に簡潔に」を目指したが故に自然とああなるのだろうし、そういうものを目指しているが故にぎうぎうには書かないんだろうし。それと、生活を大切にしつつも所帯じみたカンジにならないトコロが、まあ、おされなんだろうと思うし。ヴィジュアルはとても洗練された雰囲気で綺麗だし、眺めるだけでも何だか楽しいですよ。
「実践第一!」主義のヒトは、「レタスクラブ」とか「おは奥」みたいな雑誌の方が楽しめるし、お得感も得られていいと思う。私は「レタス…」とか「オレンジページ」なんかも大好きだけど(「おは奥」系はあまりに日常かつ主婦密着型的雰囲気なので、シュフではない私はそそられない)。そう言えばマーサ・スチュワートのアイディア集の本とか雑誌にも「そんなの実践できるかい!」とかツッコミ入れるヒトが居るけど、無粋だと思う。あれは、カネにも時間にも何もかもに余裕あるヒトじゃなきゃそら無理っす、なアイディアがほとんどだもの。つーか、それを「そのまま」実践しよう、というのが無理。土台が違うんだから。アレは欧米の一般的中流家庭層のヒトだってフツーに「無理! 出来ん!」と言うってば。アイディアを自分なりにどう活かすか、を楽しむのが粋つーかあのひとのアイディアなり雑誌の楽しみ方だと思うんだけど。生(き)のままで受容しようというのは楽しみ方間違ってるのでは、と。もちろん、そのまんま楽しむのも楽しみ方なので、実践できるひとはそれはそれだと思う。
アメリカ版と記事が多少カブるのはしょうがないかな、と思う。アメリカ版読めるヒトはその方がいいんでない?(在日本だと高くつくけど)日本版が劇的に違うモノになる、としたら、それはそれで真似しましたね、と言われようとオリジナルのレエベルで出せばよかっただけのことで、個人的にはアメリカのひと(読者編集者問わず)が発信した情報「も」読めるのは楽しみ。
あの誌面の贅沢な使い方、がいいと思うんだけどなあ。記事もそれなりに活用度があるし。掲載されてる商品が高額、とか、そんなんゆうひとは読んだらイカン!(笑)「『家庭画報』で紹介される京都の宿は確かに良さそうだが高過ぎる!」だの「雑誌でうまそうな料理を出す高級割烹料亭が紹介されてるが、ぅおい! そんなん行けるかい!」とぶつくさ言うようなもんである。無粋ではないか。その、ちょっと味わいがたいトコロノモノを記事や取材を通して楽しませてもらうもんでしょうから。それにゼニ払ってるんでしょうに、と。違うかなあ。逆に掲載されている商品と類似しているがより安価なものを見つける、とかに精出すのが健康的だと思うなー。正しい小市民の在り方とでもいうのか(ははは)。
というわけで、何でもそうだけど、「自分なりの楽しみ方」に沿わないものは読まないに越したことはないのね、としみじみ思うのでありました。「私はもう今後買うことはないです」とレビュウで宣言してるひともいて笑ってしまった(最近何となくピントずれてるレビュウ多いなあ。中身確かめもせずに買って、確かめないことがもっともヨロシクナイのに「騙された!」みたいに書くひととかよく見かける。「目次等で期待させられた内容が、自分が思ったよりも不足していて、そこが少々不満でした」とかいうのはわかるんだけど。それ以前にレビュウにすらなってない、自分の快・不快を述べるだけ、みたいなのも山程あって、参考になるレビュウが少ない……)。
いや、確かに、特別目新しいテエマで攻めてくる訳でもないし、「それくらい、誰でもやってない?」なこととかあるけれど、それだってたまたまダレカにとって「当たり前」に思えることで、ほかのひとにとってはそうでもなかったりするし、「言われてみればソレもアリだわ」と気づかされたり、と発見もあるんだけど。
「情報は豊かならいいという訳ではない」、その側面を改めて実感させられただけでも私には「買い」です。何を書いて何を削るか、それによって何処まで自分たちの主張したいこと、届けたいことを伝えるか、そこに価値を見出せる場合だってある。何に価値を見出すか、を問われてるとも言える。
選ぶのは何時だって「自分」。

……私、コレそんなにキライじゃないんだけど、あまり評判芳しくないみたい、あ○ぞんのレビュウ読む限り(得てして自社でのアンケエト結果は芳しいものしか掲載しないものだし)。
曰く「広告が多過ぎる」。
曰く「ひとつひとつの記事の内容が薄い」。
曰く「US版どカブってる記事がるのがガッカリ」。
広告、多いか? 私気にならなかった。やはり鈍感なのか、私。どちらかというと海外ブランドの広告が多くて結構おしゃれだから、そのデザインも楽しんでたくらいだで、「広告」と意識して見てなかったからかも。正直に言うなら、メインの特集や記事が終わったよー、という頃にどがーっと形成外科・美容外科系の広告だのがわんさか入る某雑誌の方がイヤだ(笑。記事内容は楽しませてもらってるけど)。
記事とか特集の組み方も、そのアッサリ加減が私個人としては好みなんだけど、あれですかね、隅々までぎうぎうにあれこれこれでもかと「情報」で充ち満ちてる方がいい、んですかね。好みの問題なんだけど。
「ku:nel」とか「spoon.」とか、割と記事の内容の濃さと独自の空気や雰囲気の漂う雑誌も購読しているけれど、それはそれで好き。楽しい。楽しめるし楽しんでる。
最低限必要な情報を簡潔に書いたらああなるだけ、と受け取っているのだけれど、読者によっては「薄い」んだろうなあ。
「REAL SIMPLE」の身上は、多忙を極めつつも日常を大切にしたい、時間を大切にしたいひとのために発信する様々なコト・モノに関する tips にあるのだろうと思っていたので、どのテエマもあってもいいし、それがすべて100%全開フル・パワアな記事である必要も感じない。そういう「読み込んでこそ楽しい・タメになる」を目指しているのではなくて、「出来るだけ端的に簡潔に」を目指したが故に自然とああなるのだろうし、そういうものを目指しているが故にぎうぎうには書かないんだろうし。それと、生活を大切にしつつも所帯じみたカンジにならないトコロが、まあ、おされなんだろうと思うし。ヴィジュアルはとても洗練された雰囲気で綺麗だし、眺めるだけでも何だか楽しいですよ。
「実践第一!」主義のヒトは、「レタスクラブ」とか「おは奥」みたいな雑誌の方が楽しめるし、お得感も得られていいと思う。私は「レタス…」とか「オレンジページ」なんかも大好きだけど(「おは奥」系はあまりに日常かつ主婦密着型的雰囲気なので、シュフではない私はそそられない)。そう言えばマーサ・スチュワートのアイディア集の本とか雑誌にも「そんなの実践できるかい!」とかツッコミ入れるヒトが居るけど、無粋だと思う。あれは、カネにも時間にも何もかもに余裕あるヒトじゃなきゃそら無理っす、なアイディアがほとんどだもの。つーか、それを「そのまま」実践しよう、というのが無理。土台が違うんだから。アレは欧米の一般的中流家庭層のヒトだってフツーに「無理! 出来ん!」と言うってば。アイディアを自分なりにどう活かすか、を楽しむのが粋つーかあのひとのアイディアなり雑誌の楽しみ方だと思うんだけど。生(き)のままで受容しようというのは楽しみ方間違ってるのでは、と。もちろん、そのまんま楽しむのも楽しみ方なので、実践できるひとはそれはそれだと思う。
アメリカ版と記事が多少カブるのはしょうがないかな、と思う。アメリカ版読めるヒトはその方がいいんでない?(在日本だと高くつくけど)日本版が劇的に違うモノになる、としたら、それはそれで真似しましたね、と言われようとオリジナルのレエベルで出せばよかっただけのことで、個人的にはアメリカのひと(読者編集者問わず)が発信した情報「も」読めるのは楽しみ。
あの誌面の贅沢な使い方、がいいと思うんだけどなあ。記事もそれなりに活用度があるし。掲載されてる商品が高額、とか、そんなんゆうひとは読んだらイカン!(笑)「『家庭画報』で紹介される京都の宿は確かに良さそうだが高過ぎる!」だの「雑誌でうまそうな料理を出す高級割烹料亭が紹介されてるが、ぅおい! そんなん行けるかい!」とぶつくさ言うようなもんである。無粋ではないか。その、ちょっと味わいがたいトコロノモノを記事や取材を通して楽しませてもらうもんでしょうから。それにゼニ払ってるんでしょうに、と。違うかなあ。逆に掲載されている商品と類似しているがより安価なものを見つける、とかに精出すのが健康的だと思うなー。正しい小市民の在り方とでもいうのか(ははは)。
というわけで、何でもそうだけど、「自分なりの楽しみ方」に沿わないものは読まないに越したことはないのね、としみじみ思うのでありました。「私はもう今後買うことはないです」とレビュウで宣言してるひともいて笑ってしまった(最近何となくピントずれてるレビュウ多いなあ。中身確かめもせずに買って、確かめないことがもっともヨロシクナイのに「騙された!」みたいに書くひととかよく見かける。「目次等で期待させられた内容が、自分が思ったよりも不足していて、そこが少々不満でした」とかいうのはわかるんだけど。それ以前にレビュウにすらなってない、自分の快・不快を述べるだけ、みたいなのも山程あって、参考になるレビュウが少ない……)。
いや、確かに、特別目新しいテエマで攻めてくる訳でもないし、「それくらい、誰でもやってない?」なこととかあるけれど、それだってたまたまダレカにとって「当たり前」に思えることで、ほかのひとにとってはそうでもなかったりするし、「言われてみればソレもアリだわ」と気づかされたり、と発見もあるんだけど。
「情報は豊かならいいという訳ではない」、その側面を改めて実感させられただけでも私には「買い」です。何を書いて何を削るか、それによって何処まで自分たちの主張したいこと、届けたいことを伝えるか、そこに価値を見出せる場合だってある。何に価値を見出すか、を問われてるとも言える。
選ぶのは何時だって「自分」。