今後もイロイロ復刊されますように。
カオス[増補改訂新装復刻版]--野波浩写真集--E.T.Insolite
野波 浩 
随分前に、書店の画集・写真集コオナアで、見かけるたびに欲しい、でも高くて買えない、と眺めるだけの本が数冊あって、この方の写真集もそのひとつだった(彼の場合2〜3冊、か)。「トレヴィル」は画集にしても写真集にしてもいいもの出してくれるなあ、とかわかりもしないのにわかったよーなことを思っていた。
写真(集)のイメエジは鮮明に憶えていたのに、写真家の名前はちゃんと憶えていなかった↓ 買えるかも、と思った頃には名前は思い出せないやら、それ以前に発行元が消えて(?)いたりでもう巡り会えないのかー、とがっかりしていた。
ら。へうれか! 見つけた! そうだ、名前は読みとか憶えてないけど、字面を憶えてる! この名前だ! おまけにこの写真! びんごーっ!! とひとり燃える燃える。
野波浩氏の写真集で、私が知っているものは、女性を何処までも何処までも人工的に加工した状態で、神話や伝説でも登場するひとならざるもののように、時に禍々しく、あるいはただただ美しく印画紙に焼き付けたもの、であった(ほかに違う傾向の作品集を出しているか、とか、そういう知識皆無↓)。
しかし、人工的に加工とは言っても、CG等でどうこうしているのではなくて、すべてメイクやセット、ライト・アップ等に加え、御自身の技術でつくりあげている、のである。これがもう本当に美しい。妖精や女神はこんな姿をしているかもしれない、とため息が出るような美しさ。神々しさまで感じさせてくれる素晴らしい写真ばかりで、どの女性も生身でありながら幽玄の美すら醸し出して陶然とさせられる。
幻想的な味付けをしているのって、どうも嘘くささのようなものがあって「……あんまり惹かれないかも……」とさほど気にならないのがほとんどだったけど、野波氏のだけは別だった。花々や鳥の羽根で美しく彩られた写真の数々は、本当に「そういう存在」を撮影したかのように艶やかで蠱惑的。
今また復刻されているらしいので、かつての作品集も手に取って見られるようになった模様。嬉しい限り。もっとも、コワイのはある程度売れて、初版とりあえず売り切ったら即オシマイ♪ になってしまうこと。細〜〜〜く長〜〜〜く、この先もずっと残していって欲しいんだけど。
光琳社(計画倒産との噂)にトレヴィル。好みの写真集や画集をがしがし出してくれて好きだった。今後もこうして復刊されていきますよーに!
そろそろ本題行きませんか?
名探偵コナン 52 (52)
青山 剛昌 
またしても友人からお借りして読了(私信:いつもありがとうVv)。もう52冊目ですか……。まさかこんなに長くなるとは。作者御本人が探偵モノ、ミステリがお好きで描きたかった、という熱意があるのはわかってるつもりですが、正直ここまで長〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くなるとは思ってませんでした。まあ「サンデー」は長期連載になること多い雑誌ですけれども。
特にアニメ化されて、タイアップ的側面も持つので、余計に長寿連載になっちゃったのかもなあ、と思ってみたり(しかし如何せん週間連載のため、アニメはアニメでオリジナル・ストーリィ展開しちゃったり、と何だかな、な状況にあるし)。人気あるのはあるでしょうが、……そろそろ本題入りませんかね? 伏線回収にかかりませんか?? とりあえず最終的には(あるいは最後の大きい山場としては)ロンドンへ行くのでは、と勝手に踏んでいる(ホームズ誕生の地なので! ……いや、その、過去の状況と伏線と作者御本人の弁を総合して、です、はい)訳ですが、渡英はまだですか???
ええい、もったいつけとらんで、黒の組織絡みでじゃんじゃか進んでいかんかー!!
……という気分になってきましたよ、正直なトコロ。今回は少年探偵団大活躍の巻、という感じでした。おこちゃまたちの活躍も悪くはないんだけどね。それにしてもこんながきんちょの頃から殺人現場にナンボほど居合わせとるんじゃ、と彼等の将来が心配になるぞ。彼等の活躍もまた今後に向けての伏線だとかになってる、というならまだフツウにわくわくしてしまえるのだけれど、何というか、率直に言うと「つなぎ」ですね、と。思ってしまう。
回収されていない伏線多々あるけれど、どれもまだ明かされていないままに50巻以上の大台に乗っちゃって。全部が全部「なくてはならない要素と物語」だったらそれはそれで息詰まるものがあるのかもしれないけれど、ここまでくると少々冗長になってしまった感が否めない。
作者お好みのらぶらぶこめこめもややナリを潜めているし……と思ったら、最後の最後で久々に「青山ボーイズ」の面目躍如を遂げるハナシがあって、……呆れつつも笑わせてもらいました。はははー。もうねー、どうにでもしてくれあの男はー(笑)。ちなみに財閥令嬢園子さんにどういう訳か(失礼な!)想いを寄せる彼がほんっっっっっっとーに久々にハデに活躍しておりました。すげえなあ、「青山ボーイズ」はすーぱー・ふりーだよ(語感悪い、ソレ)。もうふりー過ぎて地球の裏側から日本に登場しても何とも思わねえよ(何となくヤケクソ)。
それでも、最終的に着地する地点ががっつり決まりまくっているが故に、無限ループ地獄に陥っている「犬○叉」よりはいい……のかねえ。微妙だな、何とも。「コナン」だって最終的には黒の組織と対峙して終わるだろうけれど、それまでの伏線がどう絡んでどう収斂してゆくかが楽しみとして存在しているし、そういう意味でも期待が持てるんだけど。
次巻もすでに2月半ばに出ることが決まっていて、友人に「出るね」と言ったら「え、そんな早く出る筈無いんだけど」と言われてしまった。確認したらやはり出る、んだよなあ。早いですね。雑誌で特集組んだ時の記事(って、……あったか?)とか、10thあにばーさりぃの記念に何かの記事を新たに入れるとかでもして、発売が早まるのかしら?(友人が「そんなに早く出る筈が…」と思うのは、ペエジ数と掲載回数からそう思った訳で。溜まってるとは思えない、実際溜まってないのだとすれば、そういうこともあるのかな、と)
名探偵コナン 53 (53)
青山 剛昌 
↑予約も開始されてます。早いなー。
とりあえず、TVアニメ放送と映画化が10周年という節目を迎えるのだそうで、その一環なのかもしれません。ファン・サアヴィス?
でもどうせサアヴィスして下さるなら、内容と展開でゼヒ、と思ってしまうのでありました。だって黒の組織が本当に優秀かつ狡猾で人材豊富だったらこんなにも長いこと要注意人物を放置しておく筈が(以下自粛)。
コレが見たかったのよー。
木下綾乃のレターブック
木下 綾乃 
デジタル全盛は全盛だけれど、アナログだってしっかり残ってるし愛されてる、ということを実感させてくれる出来なのがとても嬉しかった。
前作が手紙にまつわるあれこれ「エッセイ」篇だとすれば、この2冊目は「実践」篇。
ちなみに前作はこちら。
手紙を書きたくなったら
木下 綾乃
写真等豊富だし、読んでいて楽しいのは楽しいのだけれど、私個人としては著者がお好きだという切手に割かれたペエジが多すぎて「手紙」からちょっと離れてしまったことと、手紙そのものをどう楽しんでいるのか等についてもっと知りたかったという欲が強かったためにちょっと残念に思っていた、のでした。今回のと2冊合わせて前フリ・本ネタになったわ♪ とほくほく。
今回も、ちょこちょこと少しだけ「手紙」というテエマそのものから逸れるネタのコラムもありはするけれど、ちょっとした箸休めみたいな感じの内容だし、ふんわりした気分になれるのでオトク感に浸れる。
「本編」はとてもいい。手紙を出すために必要な文具や道具あれこれを取り上げていてどれも興味深い。
カラア・コピィでつくる可愛いオリジナルの封筒、万年筆とそのインク、ボールペンのようなありふれたものから、「今でも売ってるの?」なダイモ(テエプにローマ字等で名前を打ち出して浮かび上がらせられるアレです)、タイプライタアも登場。
はんこやシーリングで「おめかし」させたり、書いている自分も楽しいし、きっと読んでくれるひとも喜んでくれるだろう、と思いながらせっせとあれこれ手間暇かけて楽しむ彼女の姿勢が好ましい。
ちょっと前まで、連絡を取り合うならふつうにやりとりしていたのに。手紙魔だった私もいつの間にか「時間がないから」「疲れてるから」と理由をつけてあまり書かなくなった。FAXもまたしかり。一日で、あるいは一晩で、同じ友人と5往復くらいぶちかますのなんて当たり前だった。「書く」という行為、相手に伝えたいと思う気持ち、相手からの返信、何もかもが少しのタイム・ラグとともに愛しく思えたのに。
FAXは手紙の次に好きで、あれも送信する、送る、という行為自体はちょっとデジタル寄りなのだけれど、とにかく送るもの自体は自分で書かなければいけないので、それこそ、FAXパッドを購入するために奔走したり(……最近はそれそのものを見かけなくなってしまった。数年前まではそこそこ見たことあるんだけど、……つくっても売れないんだろうなあ。「ダ○ソー」のはびじねすらいくな時には使えるし、それでいいんだけど色気ないし)、自分でつくったり。
レタア・セットもたんまり持っているというのに、すっかり活躍の機会が減ってしまった。「出そうかな」と思うのに「ま、いっか」と終わってしまう。心身共に疲労しきってるとこんなものなのか? 出せる相手も減ってしまった、というのもあるけれど。何しろ手紙の「やり取り」が大変そうな方ばかりが遠方に居る。……筆無精なコが子育てしながら返事書いてくれるのを期待するのはふいに出ていった飼い猫(と、飼っている本人だけが思っている・笑)の帰り待つくらい気の長い話になりそうだし、読むのは嬉しい、もらえるのが嬉しい、とは思えても、「返事出さないと!」という「面倒」を増やすのも申し訳ない気になってくるし。
同じ市内に住んでいる友人とはほぼメエルでやりとりか直接会って、になってしまうし(同じ市内でも出す時は出していたケド↓)。
しかし、ものぐさな私を皆さんは軽やかに置き去りにして、これでもか、と御自分なりに「書く」「送る」という行為を楽しんでいらっしゃるのであった。木下さんが最初の本を上梓した折りに、感想を募り、真っ白なカアド(ハガキ)を挟み込んでおいたら、意に反して沢山の「封書」を頂いたそうである。しかも、これでもかこれでもかと色んな工夫を凝らして、楽しんで書いたであろうことが伺える素敵な仕上がりだった(一部を公開してらっしゃる)。中には70歳の女性からの達筆な、何とも品のあるお手紙があったり、と「待ってました! アナログ万歳!」なひとがまだまだ沢山居るのだと今更ながらに感じさせてくれる勢い。
東京と関西の文具ツアーで素敵なお店(有名所もいっぱいあってじぇらしー!! 行きたいけど行けないわ!)も紹介されていて、否や応にも(?)手紙が書きたくてたまらない、アナログに浸りたい気分にさせられるのであった。
楽しいです。「いーめーるって便利だけど味気ないなー」と感じつつある時、本書を手に取ってみると俄然「書きたい」気持ちが募ってくる。ああでも誰にとりあえず出せばいいんだ?(それが当面の問題)
この本も前から気になってる。装訂からしておしゃれ♪
手紙手帖―あの人は、どんな手紙をくれるかしら
木村 衣有子

追いかけて逝国。
さよなら絶望先生 2 (2)
久米田 康治 
絶望した! ……という絶叫が今回少なかったという事実に絶望した! という程のことでもないか。楽しんだよ笑ったよ。はははは。
とりあえず1冊目は顔見せ興業的に核になるキャラ(何故か女子生徒オンリィ。その理由は多分同じ掲載誌に女の子をアホほど出せばいいっていうまんががうわ何をするやめ)を散りばめて終わったので、どう展開するのかが楽しみだったのですが。
はっはっは。以前ちらりと読んだ「かってに改蔵」のテイストを思い出したというか、久米田氏の本領発揮というノリで、ちまちまちくちくとセケンとセカイのイタイ部分をこれでもかとつついてきて黒い笑いが自分の中に満ちてゆくのを感じます。
七夕を楽しめば「時効で…すように 優」(コマの関係というより作者の保身…いやまあ何だな、大人の事情で書かれた内容が一部見えないのです)なんて短冊がぶら下げてあるもんだから「ああ、○び○優かー♪ 最近見ないよねーそりゃそうだよねー何処の世界に自分が昔窃盗やらかしてた、なんてTVで笑顔で話すようなお馬鹿ちゃんがのうのうとゲイノウジンやってるの許容されるんだよーマズイよねー『アッコにおかませおまかせ』にも出なくなったよねー」とか、黒い笑みを浮かべてしまう。ひきこもりの霧ちゃんの願いが「来々世はピスタチオに」にはめるひぇんを感じるわ♪
開校記念日にはカイコウだけに、ペリーさんがやってきて、ありとあらゆるものを開いてしまう。でも開けない糸色望先生のココロ。
知る権利があるならば知らずに居る権利もある筈、と非通知宣言をした絶望先生(さっきと漢字が違うなあ)が知った「宇宙の真理」はうっかりかなり納得してしまってまいっちんぐ。こりん星の側には、ちゃんとへきる星があるんだね! 団地の奥さん!(何でも知ってるものよね、団地の奥さんて♪)
同人女・藤吉晴美(この名前だけでごはん2.5杯くらいイケそうです。最初から幕張だったら大変だったなあ……つーか幕張晴美とか嫌だな、何かこう、そこはかとなく別な次元に逝きそうで)の描く同人誌の中身がイイカンジでちゃんと腐っていて素晴らしかったです。
絶望先生には何人もの兄妹が居ることも判明。糸色命(イトシキ・ミコト)兄さんは医者♪ 末妹は「倫」さんと仰るのね。そして華道の先生。だから呼ばれるのは絶倫せんせ(もう無駄ですがヲトナの良心として青少年のために以後省略します)。
キャラもそこそこ揃い、ひらすらネガティヴ街道をひた走る絶望先生の明るくもない陽も当たらない今後が楽しみでなりません。貸してくれた友人には恩を仇で返したいです(素敵なまんがをこれと合わせて2冊も貸してくれたので、お返しにこれでもかと駄作良作入り交じりまくったはーれくいんのコミック雑誌をどかんと貸す予定です)。
待ってろ、友よ。君の前に道はある。その先に断崖あるのみ。君のあとに道は出来る。後に続く若者を待て。ああ父よ(以下壊れたので省略)。
地続きの別世界へ少しだけ。
ku:nel (クウネル) 03月号 [雑誌]
毎号買ってるのに、随分久しぶりにじっくり全部の記事を読んだ。……「スロウ・ライフ」というか、「愛しい日常」を発見した雑誌だというのに、疲れ切った日常に浸り過ぎてそれどころじゃなかった自分が何だかアワレだ↓
眠りたいのに眠れないから、真夜中にならないと出来ない。本を読むこと。日記をつけること(ブログとかはまた別だけど)。英語音声のDVDを「聴き」ながらあれこれ作業に勤しむこと。
やりたいこととやるべきこととやりたくはないけどやらなくてはいけないことと山積みされていて、どれからどう手を着けていいかもわからなくなってきてるし。「すろー・らいふってナニ?」状態。
自分と自分の日常を見つめ直したり、小さな発見をしたり、そういうことを気負わずに楽しむことなんて、どうやったら出来るのよー、な気分。
だから、なのか、久々に読んで「ああ、何かいいなー」ととろーんとした気分になれた。
中国の家庭でそれぞれに食べられている家々独自の水餃子(ホントに、中国では水餃子が一般的だな)の素朴で飾らない、それでいて旨味たっぷり! が山盛りで饗されちゃってるのを見るにつけ眩暈が…(笑)。写真と文章だけで美味そうなのが伝わってくる。ああ、鍋からのぼる湯気が、頬張って噛み締めた瞬間の皮のぷりぷり感が口中に……! と読んでると無性に水餃子が食べたくなる巻頭から始まって、おしゃれで可愛いがま口バッグ(アンティークのものが今でも現役で使える状態で残ってる、ということにはいつもいつも驚かされるし感動してしまう)、華奢なものから大振りのものまでさまざま。
ル・コルビュジエが立てた小さな家、も、頼むから私にも一軒つくってくれ、と懇願したくなる佇まい。日本の家は猫の額ほどで何とも暮らしづらいなどとむくれていた自分がちょっとハズカシくなるこぢんまり感。無駄なものがなくて機能的。少しの遊び心もあって、「モノ無くてこその豊かさ」を思い知らされちゃったり。
カゴ、バスケットは夏のもののみにてあらず、を実践する素敵なひとたちの紹介も楽しかった。男性ユーザもなかなかによいではないの。日本では機能的かつでかくて余裕のある、昔ながらのカゴ、昔ほど見なくなった気がする。私が住んでる所はド田舎だから、多分探せばかなりイイカンジで古びたデザインが新鮮に見えちゃうヤツが転がってそうなんだけど。
……どの記事も噛み締めるように、味わうようにして読んだ。前号もフランス・パリの特集で、読み応えがあって楽しかったのだけれど、ココロに余裕がなさ過ぎて途中でストップしてしまった。凝縮感が楽しかったのだけれど、体力が続かない↓ でも今号はするすると読めて、何となく心地いい。
閉じてしまうとそこにあるのは乱雑に散らかった我が部屋と、くたびれきった自分があるだけ。それが「今」の私の「日常」なのかあ……。
工夫と心懸け次第で如何様にも「豊かに」出来ることを知っていてしないのは、やはり怠慢と言うほかない。
でもこのどうしよーもないほどの心身の疲れ、どうやったら取れるもんなんですかねえ……。
レトロこそモダン?
レトロなつかしダイアリー
佐々木 ルリ子 
最近妙に目にするようになった。女性をタアゲットにした《モダンなレトロ》――60〜70年代頃に幼年時代や青春時代を送ったひとには懐かしくも愛おしいモノやコトに纏わるあれこれをまとめた本。
明確にテエマとして打ち出して先鞭をつけたのは、やはり宇山あゆみさんだっただろうか。
少女スタイル手帖
宇山 あゆみ 
彼女が監修をつとめたガシャポンまで出た時、「ああ、このテのモノって、確実にオトナをタアゲットにしてきてるよなー」と実感させられた(その前から十二分にそれは分かり切っていたけれど。オトナの、しかも女性もタアゲットに出来るものがある、ということが食玩「ぷちサンプル」等でのヒットなんかで掴めたんだろうか。……そんなもんと関係なく、ひと目を忍ぶようにして子供たちと隣り合ってコイン投入してはせっせと買い込んでいた自分が居るんだが・涙)。
本と女の子 おもいでの1960-70年代
近代 ナリコ 
この本が出たのも、河出での宇山さんの本の成功があったからだろうし。でもって、ネットで細々と経営していた小さな書店が提供していた本は「オンナコドモ」のための本。
海月書林の古本案内
市川 慎子 
この2冊に先駆けて、ガーリィ文化・乙女文化に精通しているこの方の著書だって出ていて、非常に面白く読んだ。
ブック・イン・ピンク―おしゃれ古本ガイド
山崎 まどか 
最近出たものでいちばん惹かれたのはコレ↓ 食器をフィーチュアしてるんだけど、「探せばウチにもありそうな…」が満載というカンジで、妙にノスタルジックな気分になってしまう。表紙可愛いなあ、これ。
昭和モダンの器たち
佐藤 由紀子 クニエダ ヤスエ 泉 麻人 
もう戻れない、豊かだったあの頃。精神的には幼かったけれど、憧れだの日々の瑣末なことに流されつつもどきどき出来たアレとかソレとかが、本の中に閉じ込められてそこにある。
触れられないのがもどかしいけれど、だからいいのかもしれない。イヤなことも、時間が都合良く美化してくれる時もあるから。
当時は「えー、こんなのダサいよー」と思ってたものが今見ると新鮮だったり可愛く思えるから不思議。ダサ可愛いってヤツ?(「えろかっこいい」はどうでもいい辺りがもうババアである。歌で勝負出来ないとヨゴレ路線なのか? とか意地悪い見方する辺りがババアである。フツウに、というかちょーぜつ目がデカくて可愛いあゆなら何着てても可愛かったり格好良かったりするのにおまえはすぐ乳の谷間とのーぶらかよ、と思う辺りがとてもとてもババアである)野暮ったさが味わい、と思える日が来るなんて。
もっとも60年代はかすりもしないトシなので、懐かしいもへったくれもなく、漠然と「ピチカート・ファイブ」(懐!)見て「ああ、格好いいわー♪」と思う気分くらいしか味わえないんだけど。
昔テイストが流行ってくれてるお陰で、母は大助かりらしい。「昔のコオトとか来ても平気なんだものねー。流行りだ何だって言ったって、人間の考えられることなんて所詮似たよーなもんよ♪ チェックが廃れた、ストライプだボーダーだってその時その時でちょっとテイスト変わってまた出てくるじゃないのよ」……母よ、身も蓋もない。
物置探索に行きたくなってきたな。あそこには母が溜め込んだあれこれがざっくざくある筈なのだ。でも寒くて面倒なので、本を眺めてほくほくしたいの。
見て、眺めて、読んで、それから。
福田里香チョコ+スイーツ×ラッピング
福田 里香 
チョコレイトとそのほかのスウィーツに加えてラッピング、と分かり易いタイトル。雑誌に連載されたもの・掲載されたエッセイやレシピを集めたもの、と著者の本の中ではちょっと珍しい一冊(雑誌掲載分はこうしてまとまることがあまり無い気がするので、個人的にとても嬉しい)。
表紙を開くといきなりチョコレイトの包み紙のようなフォイルなペエジに、チョコレイトが挟まって出来たようなシミがプリントされている。まずはこの辺りでキモチを掴まれる。あとはひたすら可愛くて美味しそうなお菓子が可愛らしくラッピングされ、あるいはフツウとはちょっと違うスタイルで紹介される。写真のみのもの、写真+イラストレイションでガーリィな仕上がりのペエジ、レシピと並記のペエジもあれば、まったく別個で記載されるペエジもありで、色んな意味で何だか目まぐるしい。……けれど、そこがこの本の「可愛い」のキモにもなっているので、まずはたっぷり眺めて楽しむのが良さそう。
数ヶ月に渡って雑誌に連載された記事は、御本人も後から思ったそうだけれど、なかなかに濃ゆい内容で、よく30代女性をタアゲットにした雑誌で、ここまでのびのびと書かれたなあ……と思わずちょっと苦笑い。私は楽しく読んだけれど、これは「福田里香」ファンにとってより楽しい内容、という気がする。でもって、男性でもある意味楽しめそうだったり。「自由に書いていい」と言われて本当に自由に書かれたことが伺えるのが微笑ましい(というかかなり自由で「よく編集さんO.K.出したなあ…」と思ってしまった・笑。掲載誌が違っていれば何てコトない濃ゆさなんだけど)。
レシピの本としては少々難アリ、かもしれない。どの写真のスウィーツがどのレシピか時々わからなくなる。ペエジ数を明記して、そのペエジに移動できるのもあるんだけれど、前のペエジに戻ってみたり、かなり後半に掲載されていたり、と利便性(?)には欠けてるかな、と。
やはり読んで楽しい、をまずやり倒してから、つくってみたい、に流れていくのが良さそう。
もちろん私は延々「読んで楽しい、眺めてはっぴー」を繰り返すのですが↓
ほんの数年前なのに。
とっておきの気分転換
廣瀬 裕子 
「好きだ!」となったら勢いで新刊が出るたびハード・カヴァでもがしがし購入するのだが、やや熱が冷めてから「……何もそこまでして買わなくても、数年後にはちゃんと文庫化されるではないか」と我に返った時、というのが何とも情けなく、やや辛い気分になる。本は余程のことがない限り手放さない質であるので、それはある意味財産である。そして、同時に家賃に置き換えて考えるとどれほどの面積を埋め尽くしているのか、それをどれほど読み味わい堪能したのかを振り返ると、……無駄金を何年も何年も何年も(以下延々続く)支払っているようなものであり、不良債権を抱えているようなものかもしれない、とも思う。
……ので、文庫化されそうなものはひたすら待つことにし、面積を食わぬように心懸けよう、と思っている――筈なのだが、単価が下がる分今度は冊数をこなしてしまうので結局プラマイゼロ、とゆーヤツかもしれぬ。合掌。
私が好んで読む作家さんやジャンルが、あまり文庫化されないこともあって、やむを得ず単行本で購入することもあるのだけれど。こと彼女の本に限って言えば、それほど場所を取る訳でもないし、文庫に比べて少々値が張るくらいのものなのだった。それに、「文庫化はされないかもなあ」と何処かで思ってもいた(今は「これはされるかもしれんなあ」と思いつつ買っている作家・ジャンルがある・涙)。それがされちゃったんだよな。でも、その事実を知らなかった。気づいた時にはすでに版元でも絶版であるらしく、あまぞんでも「マーケット・プレイス」でのみ購入可能の状態。
文庫が出たのは2000年。6年前。確かに小学校に上がった子供が最高学年に達する年月ではあるが。そんなに簡単に消えてしまうものだったか。
というか。年間何千何万とアホみたいに出ては消えているので、安心してなどいられない、という事実を時折忘れてしまう。いつもは大抵必死なのだが(何しろベストセラア作家のキング様の文庫ですら絶版のものがあるのだから新潮社ってわからない。版権失ってんのか!? ……でもだとしたらほかの会社が獲得に乗り出しそうだけどなー)。
彼女の著作はある意味ノー・マークだった。文庫化される、と思ってなかった。それがされていて、しかも気づいた今は既に絶版。
友人の協力もあって、新古書店でようやくどうにか見つけて購入。それにしても状態悪! なのに¥250て……足元見られてる? 全国展開してる新古書店って、(コミックスや売れ筋以外は)状態くらいしか見てないんだろうと思ってたのに。それに基づいて価格つけてるんだろうと思ってたのに。どう見ても¥100均一程度の状態だった。しかし、これを逃したら後がないので仕方なく。あまぞんの「マケ・プレ」では送料がハバ利かせるから余程低価格とかじゃないと手を出す気になれないし。
いちばん吃驚したのは、大抵文庫化されると親本が消えてゆくものなのだけれど、どういう訳か文庫が絶版の今もちゃんと手に入る、ということ。やはりコンスタントに売れているのだろうか。
とっておきの気分転換
廣瀬 裕子 
大好きな杉浦さやかちゃんのカットが入ってる点と、この本の内容そのものが割合気に入ってる。この方、どうして絶大なる人気を得ているのか、実はあまりよくわからないのだけれど。ただ、時々すとん、と心に落ちてくることばがいくつかあるのは確か。日常の中にあるあれこれを掬い上げるのもお上手だなあ、とは思う。
これは、「とっておき」と言いつつ誰でもいつでもやろうと思えば出来てしまうお手軽な「気分転換」の方法あれこれを紹介している本。読む前から実践済みのものがあってもそれはそれでおっけー。「そうだよね、そんなんで結構気晴らしになったりしてるよね」と再確認してちょっとにんまりできるのがいい。
余談。最近は、いきなりぽーんと版元買えて新たに文庫化、とかがあるからコワイやら有り難いやら。うう、この方の同じ会社から出た本だの似た傾向にある本て、皆違う出版社から出てるんだよなあ。今後が地味にコワイ。
甘く美しく。
イノモト和菓子帖
猪本 典子 
久々に書店で偶然見つけて手に取って「いいなあ」と思った本(最近はネットの書店で購入してばかり↓)。でも時間がなくてゆっくり中身は見られなくて、余計気になってる。
見開きで季節の和菓子の写真とごく短いエッセイのようなものが添えられていた(と記憶している)。
本文に使っている紙が上質で、少し質感のはっきりした(なめらかでするりとした紙ではなくて、和紙とかのように触れると少し凸凹を感じるようなタイプ)の紙で、それがやわらかな色彩の写真ととてもよく合っていた。食べ物……和菓子の持つ甘さとか職人さんの心意気みたいなものまで感じられるような美しい写真。季節感故の清涼感やほっこりとした空気、艶やかさや繊細さが閉じ込められているようで、写真を眺めているだけで色んなことが脳裏を過ぎる。和菓子って本当に繊細で美しいのだな、と再認識しつつ、味蕾をも刺激してくれる有り難くも困ってしまう本でありました。抹茶と一緒にいただきたくなりました。
いかにもハンドメイドで無骨なお菓子も、それはそれで好き。というか、込められた理念みたいなものが違うから、単純にひとくくりに「菓子」とまとめて語ることそのものが乱暴なことなんだな、としみじみ思わせられた(以前読んだ本で「菓子=美しいもの、と思っていた自分にはアメリカの菓子は衝撃的だった」ヒトが、アメリカの菓子をあれこれ論じようとしたのが自分に合わなかった理由が今ようやくちゃんとわかった。「菓子」だから、で一括りにして、自分だけの、自分の持つ文化背景だけであれこれ先入観ありまくりで語るのは何だかフェアじゃない、ような気がしてしまうのだな)。アメリカのクッキィの、繊細というのとは違うフォルムの、デカくてボリュウムあって甘くて、あれはあれで大好き。
イギリスあたりの喉越し悪いさくさく・ほろほろ系(少々水分控えめ)の菓子(と呼んでいい、んだよね?)はお茶を楽しむためにこそある食感だのう、と勝手に思う。お茶が進みまくり(笑)。そりゃ軽食のノリになるよねえ、と得心もいく。
日本の、所謂和菓子、というのは、見て、味わって、季節を感じるものなんだなあ、としみじみ、しみじみ思う。それ故に美しくつくられるし、簡素な中にも情緒が感じられたりする詩心ようなものも感じられて、そこがまた味わい深い。おまけに食べて美味しいし。これもこれで大好き。
で、やっぱり別物として、それぞれにそれぞれの味わいを楽しむのがよいのだわ、とごく当たり前のことに頷くのでありました。単純な事実ほど後になってから気づくことの多い私(……カワイソウに↓)。
本のつくりは簡素だけど何しろ写真+無駄のない文章のみ、ということで、ある意味豪華。そのためかお値段が今の私の財布に優しくないのが難点でした。うがあ、何時になったら買ってじっくり眺められるんだああああ!
何となく著者の名を見たことがある気がする、と思っていたら、以前「欲しい!」と思った本を手がけていらした方だった。
修道院のレシピ
猪本 典子
ということはこの方の視点が私好みなのかもしれない。
その辺はあめりかんな訳ね。
あまぞんでは、雑誌「REAL SIMPLE JAPAN」、あっさり! 取り扱い停止しちゃったよーですね。たった3号で引導渡すたあなかなかドライだな。そんなに売上悪かったんだろうか。それともレビュウの評判の悪さの故か? ……両方かもな。いずれにしても見切りつけるのが早い早い。ということは、今もずっと購入可能な雑誌はコンスタントに、あまぞんとしては「最低これくらいは売れて欲しい」というラインに達してる、と思っていいってことなんでしょうかね。……結構専門誌的なのもあるんだけど、……あ、だから逆に売れるのか? ……やはりわからん↓
でもって、「リアルシンプル」を検索にかけると「スポンサーリンク」(気づいたら表示されるようになってましたね。あれ、必死で何か探してる時なんかもの凄く邪魔なんだけど。ユーザの立場に立つより、販売者のエゴ〈笑〉を追求した訳ね)で「富士山で買えるよ」だの、年間講読受付してる本家サイト紹介してるくらいだし。元々そういう契約だっただけかもしれないけれど。日経さんとこと、「3ヶ月間、こちらで、雑誌の紹介・プロモも兼ねて紹介・販売することにしましょう」とか。
結局、何もわからんのだが↓ 単なる憶測です。いや、年間講読という方法以外に、家に居ながらにして雑誌購入出来るのは助かるわあ、と書店に行くためには自転車でさえ15分はかけねばならない所に住んでいると、ものぐさ根性発揮しまくっちゃって、「あまぞんで買えるようになるのなららっきー!」と勝手に思ってたものだから。
売れないものを売ってくれる・扱ってくれるほど、余裕だとか優しさとでもいうのか? そういうものはあるわけない、と言うところでしょーか。
新刊情報UPされないなあ、と数日様子見てみたけれど、いつまで経っても紹介されているのは創刊号以降3号目まで。何だかやたらと鳴り物入りっぽく紹介されて販売開始した割に、随分とすっぱり引いてしまって勝手に驚いているのでありました。
コレが洋雑誌は扱わない理由、なんだろうなあ、とふと思ったり。アレは売れ行きにムラがありそうだし。固定ファンつきそうなのも結構あるのだけれど。最初は予約制で販売、とかやってくれると有り難いんだけど。無理だろな。雑誌って、毎号律儀に買うタイプ(私だ)と特集が気に入れば買うひとと、それぞれだし。なおさらムラ出るわ。大きな書店があると、洋雑誌くらい気楽に手に取れるんだけど(値段が気楽ではないが! それでもひところよりは多少安い…と思わないでもない)。
とりあえず毎号買ってる雑誌3冊ほど、購入可能な状態が続いているだけでも感謝しておくべきだろうか。
オセロが好き。
color “いろ”の魔法―松嶋尚美
飯田 かずな 
……あまぞんではもう品切れ? つーかまさか版元にもナシ!? ……欲しかったのにー!!(白・赤・黒・緑…と9色もの色のそれぞれのイメエジで、あらゆるファッションに身を包み、あるいは状況・空間の中に居る、というもので、少し見た限りでもとてもいい出来だった)どうやら女性ウケが大変よろしかった模様。
「オセロ」は中島さんも松嶋さんもどっちも好き(とりあえずこの後少々面倒なので敬称略)。しっかり者だけど実はとても繊細で一見強気そーに見えてそうではないオセロの黒こと中島と、天然バリバリだけど正義の味方キャラを潜めたオセロの白こと松嶋。「ポッキーデコレ」の時の美しさにはくらくらしてしまった。あのポスタアあったら買う! 間違いなく買った! 改めて「うわ、ごっつ可愛くて美しい!」と感動したんだよなあ。「デコレ」言うだけあって、御本人たちもデコラティヴに着飾って、メイクも(クドくない程度に)ばっちりキメて。綺麗だったわー……。
「♪……でこれちおん・こまん・がとぅー めっちゃせしぼんやんけ うまいやんけ ぽっき・でこれ ぽっき・でこれ ぽっき・でこれ♪」(私におフランス語の空耳はコレが限界だ↓ こんな風に聞こえてたのよ。「めっちゃセシボンやんけ 美味いやんけ」は確実だと思うが!)とか歌いながら頬寄せ合ってる美女ふたり! たまらん!!(私、ヘテロだから恋情は抱かないけれど、とにかくひたすら美しかったり可愛かったりする女の子・女性が好きなのだ。そう言えば、大昔部屋にA全くらいあるデカイサイズの女性ふたりアップで唇を寄せ合うかのようなモノクロのポスタアを貼っていたんだけど、「そういうシュミなの?」と訊かれたなあ……美しかったから気に入って買ったんだけど、……そうですか、そういう風に見られるもんなんですか……。男性が好きなレスラーのポスタア貼ってたら即ゲイだとでも思うのか?? じゃ、お約束で。「ふぉーっ!!」)
「ナイナイ」の「ゴチ」だって中島が出てるから観てたのに! 新レギュラア○○は今のところ個人的に興味一切湧かないからガッカリ(真鍋かをりちゃんだったら燃えて観たかもしれない……。最初「所詮ぐらびあ・あいどるだべさ」と小馬鹿にしていたけど、「爆笑問題」と共演してるヴァラエティ番組観てから好きになった。アタマの回転早そうで、発想が面白いし可愛い♪ 脱がなくなってからの方が好き)思えば「ウッチャンナンチャン」内村入魂のコント番組「笑う犬」も中島が出ていた初期がもっとも面白かった(「京女」とかごっつい好きだった。レギュラアから外れると知った時のショックと言ったら! ……って、何年前の話なのよ)。
という訳で、今のココロのうるおひは「きらきらアフロ」。鶴瓶師匠と松嶋嬢のボケの爆走が素晴らしいです。ああ大好きだ「きらアフ」! 毎回何でああも笑えるのか。絶妙過ぎる。
毎回の松嶋のふぁっそんも楽しみ。脚! ほっせえええええ! 綺麗で細い脚! 故に太めボーダーのタイツだって似合うし、サーマルとか穿いてても可愛い。ミニスカでも可愛らしいしパンツ姿もいい(つまり何着ても可愛いのだが)。華奢だけれどヘンな痩せ方してないので、何をお召しになっても着こなしちゃって可愛い。「万古焼き」を放送コオドに引っかかる間違った読み〈でも、それは「言い間違い」なのでちゃんと放送されました♪〉で連呼する素敵さ(深夜に笑い過ぎて死ぬかと思った。ええ、もちろん「ばんこやき」ですともさ)。
中島さんは御実家で御両親共に詩吟をやってらっしゃるとかで、華やかなのに古風な面もあって、着物の着こなしもとても素敵♪ 大人っぽいドレスとかさらっと着ちゃうし(確か大学時代ミス○○〈大学名が入る〉だったよなー)。
思えば、このふたり好きだわー、と思ったのは、トーク番組か何かでのエピソオド聞いてからかも。
「私(=中島)、こう見えても、たとえば電車で痴漢に遭ったりしても、叫んだりとか出来ないんですよ。何か、いかにも強く『何すんのよ!』とか言いそうに見えるんですけど、出来ないんですね。で、一緒に乗ってた相方に、半泣きで助け求めたら、『アンタ! 何してんねん!』って怒鳴りつけて痴漢の手をガーッと掴み上げて助けてくれて」
というような感じの話を聞いた時(もうかなり昔のことなので記憶ががなり曖昧ですがそんな話でした)。それ以来何か好き。
そういえば先日の「きらアフ」でも、東京進出直後に、地下鉄の電車内でいきなり殴られた、そのおっさんがまだ何処かに居るかもしれないと思ったら駅から出られない、と泣きながら相方に電話した中島。「よっしゃ待ってろ!」と松嶋は請われるままに地下鉄の駅まで迎えに行ったそうで。その時「相方、アタシ(=松嶋)がコナンに見えた、て」。
……中島のたとえも面白すぎるだろ。「コナン」かよ!(むろん、「きらアフ」でもあの軽快なお約束ミュージックが流れていた・笑)何でコナンだ、と尋ねたら、松嶋さんが階段の段数無視で何段もぶっ飛ばしてぽーんと下りてきたかららしい(笑)。中島さん。「コナン」観てるんだね。ふふふ。
ええ、ですから、その、タイトル通り「オセロのふたりが好き」、と、それを言いたかっただけなんです。
それにしても写真集〜〜〜〜!! もう入手困難か!?
どうせなら中島さんのも欲しいっす。ふたり揃ってのも欲しい。どっかで企画してくれんだろうか。……やはりタアゲットは女性になるんだろうとは思うんだけど(やっすい色気で売るタイプの写真集にはならないしなれないだろうから・笑。←褒めてる!)。
機種変やってそろそろ2年〜(哀)。
ザ・ベスト・オブ・東京プリン
東京プリン 
携帯は数年前に初めて所有した時から自衛隊推奨の某社の携帯を愛用している。最初はタダでもらった(一時期新規加入者を増やすのに必死だった頃、新規契約は本体タダ、というキャンペーンをド○モ以外の会社でやたらとやってたよなあ)東芝製。その次にソニー・エリクソンのジョグ・ダイヤルが気に入って、それを選んで使っていた。そこに、「デジタル形式はサアヴィス終了になるので、携帯本体も変えてもらわないと駄目なのよ。次の中から好きなの選んで」とリスト付で連絡が来て、ジョグの便利さに慣れきってしまった私はソニー製の携帯を選んだ。それ以来、機種変更するたびにそのままソニー製携帯を選んできたのだけれど。どうもここ数年相性が悪い、というか、よろしくないのに当たってしまう。機械は所詮アタリモノ、と割り切るべきなんだけど、こう続くとちょっとなあ、とヘコんでしまう。
今使っている機種の前、これはジョグ・ダイヤルの部分がイカレてしまい、使い物にならなくなったために、否応なく機種変を余儀なくされた。これは悔しい。
機種変にはあまり興味がないのだ。新機種が出ると飛びつきたくなるタイプではない。どちらかと言うと、使えるまで使い倒したい、と思ってしまう。それが、ほんの1〜2年でダウン。携帯はバッテリィの関係もあって1〜2年で機種変するのが相場らしいけど、……最初に使ってたのなんてそれ以上の期間使ってもビクともせなんだわ。その次も。その次も。
でも何故か折り畳み式になってから、アタリが悪い。ジョグがイカレたことなんて今までなかったぞ。仕方なく機種変した次の携帯(今使っているもの)は、今度はバッテリィがイカレてきたらしい。充電式ってそんなに保たないんだっけ? ほとんど月額使用料内で収まる程度にしか使って無くても摩耗(?)が激しいのかね。
というか。要はどんどん買わせたい、んだな? すぐ駄目になるよーなのつくって、すぐ新機種出して、すぐ変更させて儲けたいんだよな? そうとしか思えん。むう(怒)。
最近は十分に充電させた筈でもあっという間に切れてしまう。最悪、翌日には「充電してくれえぇぇぇぇ!」と悲鳴を上げてそのままダウン。……使えねえな、お前。ジョー樋口か(誰がわかるんだそのツッコミ)。
電池だけ、確か購入でいた、んだったよなあ。でも、それはそれで何だか悔しい。だったら機種変してやるう! と思ってしまう。しかし、使い始めてまだ1年と数ヶ月、変更してしまうのもそれはそれで悔しい。
でももっとも悔しいのは、現行携帯が、所有した比較的初期の段階から何となく充電器の調子が妙だったりしていたけれど、たまたまそうなるだけなのか、とスルーしていた自分の馬鹿さ加減、だな。くそう!
正直、携帯「電話」としての活用度はほとんどなく、せいぜいメエルのやり取りくらいなので、なければなくてもいいのだが、何となく解約出来ずにいる。それなりに便利だから、だけど(町中歩いても電話ボックスだの公衆電話そのものを見かけなくなってきたし)。いちばん活用してる機能が「写メ」って、……終わってる……(要は安っぽい写真撮るためにパケ代支払わないとPC内にファイルすることもできないモノに、レンタル料払ってるようなもんだもんなあ……↓ 安いデジカメ買った方が余程マシだろうと・以下悲しくなってきたので略)。
とりあえず、とことん駄目になるまで使い続けるけど、……ジョグにこだわらないで、どんどんほかの会社の携帯に浮気して試してみた方がいいんだろうか。うがー、どっちにしても今そんな金銭的余裕はなーい!
長く使えるもの、という視点ではつくってないモノ、なんでしょうね、基本的には。どんどん新しい機能・新しいデザインを生み出して、消費するためのモノ、なんだろうなあ。ちょっと虚しい気がする。
所詮はファンの我が儘なのか。
やじきた学園道中記 28 (28)
市東 亮子 
もうアナログ(=手塗り)のカラア・イラストは拝見出来ないんでしょうかねえ……。好きだったんだけどなあ。
今回のカヴァも、掲載誌の表紙か掲載時のトビラに使用されたイラストがそのまま流用されているけれど、アナログの絵の方が繊細で美しかった気がする。PCの塗りって、巧ければとてもとても美しい仕上がりになるように思うけれど、アナログと同様、やっぱり慣れと習熟とワザが要るんだなあ、とわかるようになってきた(でも、PC彩色ってすぐわかる程度の塗りがほとんど、で、個性がないといえばない気がする。そりゃあ大抵はとても綺麗だったり効果がPCならではだったりで、それなりに効果ってものが上がってるとは思うんだけど)。着物の柄とか、手描きの頃の繊細さ・細やかさなんてうっとりものだったよなあ……。
28巻目。もうそんなに! でも遅々として進まぬ感の抜けぬままこの巻数↓ ああ、何だかせっかく「復活」したのに、だんだん自分の中の「祝! 復活!」という気分が萎れてゆくのがわかるうぅぅぅぅぅ(涙)。
通して読めばそれなりに読めるんだけれど、すでに前の巻までの物語というものを忘れきってる。あり得ない! 今まで「やじきた」でそんなことなかったのに! 前回から次どうなるの!? が気になって、タイムリィに連載していた頃(つまり、まだ掲載誌「ボニータ」があった頃)、少ないお小遣い削ってまで毎月買って読んでいたというのに! 今は掲載誌にほかに読みたい作品がそんなにない、ということもあって買いもしなければコミックス派になってしまってチェック(立ち読み…)すらしなくなってしまった。
物語の骨子が判るよーでわからん。脊髄というか、大筋は何処なんだ。何に主眼を置きたい物語なんだ(まあ修験道の聖地・赤目にまつわる「秘密」と「謎」である、ということは一応わかってはいるのだが)。
やじきたコンビはいつも脇でひたすら周囲の状況を静観しつつそれに合わせて動くだけ、という感じで、見せ場がほとんどないし(そのために爽快感が少ない)、やたらとキャラクタアが乱舞するし(どうやら連載再開につきファン・サアヴィスであるのと同時に、作者さんなりの作品及びキャラへの愛情故であったためらしい。それにしたって出過ぎのような……。おまけに、御自身のコメントに因ると「キャラが多くないと話が進められない」とのことで、……いやそれにしたって多過ぎるでしょー。どう関連してるのかもあまり詳細には描かれないため、「タダの読者サアヴィス??」としか思えないし)、正直あまり物語の主軸に絡んで欲しくない雑魚テイストなキャラが出張りまくって食傷気味になるし、それだけでも多いのに新キャラわっさーだしで、せっかくの「復活」がちょっとトホホな雰囲気に。本誌では来月で最終回ということだけれど、「ホントに終われるの!?」の声多数。
もう少しテンポ良く進んでくれると楽しめたかも知れない。今までになくスロウで、何だかオタオタしてしまう。フツウ、速過ぎてオタオタしそうなもんだけど。
馬鹿いとこ同士の瑠璃子・玉彦のしょーもない企みもとりあえず落着したものの、実は赤目という土地とそこにある「秘められたモノ」のために玉パパ・露彦も裏で暗躍していたことが発覚。また、玉彦だけが知らなかった、ハーディと「ゼウス」こと葵(コイツがラスボスだと思ってましたよ昔は……今のところ、「何かよくわかんないけど最強っぽいヒト」に「しか」見えないわ。ウラありまくりだろうが)の「ゲエム」の存在。やじきたコンビは秘められたモノを守ろうと必死になる赤目側に協力し、埋蔵金目当てに乗り込んできた雨宮と対決(しかし、実際に「対決」するハメになったのは、雨宮を迎えに来た牛頭丸・馬頭丸という男たち2人)。
先が見えているようで見えていない、というのは面白さのひとつの筈なのに、今回はあまりにあれこれ錯綜させ過ぎて策士策に溺れる、といったカンジに見えてしまうのが残念。
それと、肉弾戦が信条(?)の「やじきた」にあって、超常的な要素を含む格闘戦というのが出張ってきているので、純粋なアクション・シーンの格好良さというものが以前に比べると足りない気がする。前はコマの運びといい、動きといい動線(スピード線、かな)といい、何とも言えないキレの良さがたまらなく格好良かったんだけど、……今はなー……忍術修験道とかそういうのがやたらと絡んできちゃってて、どうもこう。そりゃあ武術というものには気迫や気というものが反映されている、ということなんだろうとは思うんだけども。
「てやんでい!」の勢いでばったばった蹴って殴ってぶっ飛ばして、のやじきたコンビが好きだったものだから、今回は色んな意味で歯痒い流れと展開。
主線もかなり雰囲気というかテイストが変わってきていて、なめらかさより効果を狙ったのかどうなのかちょっと荒っぽいタッチに。「箱根」篇までがいちばん好きだったなあ。「日光」篇では描線は美しかったし、アシスタントさんたちも最強のメンツと言いたくなる程のクオリティの高さで素敵だったけれど、如何せんキャラの顔が盆のよに丸くなったのにちょっと落胆しちゃったし。その後は瞳の描き方がアニメ調(?)になってみたり、と勝手にがっかり。キャラの身体のラインも変わったなあ。特に女子。特にやじさん! 出るトコは出てて、くびれるとこはこれでもかとくびれ、もっとむっちりして健康的に美しく艶めいていたのに最近そうでもないわー(涙)。男性キャラは相変わらず各種取りそろえたガタイあれこれでそれほど文句ないんですが↓
次の巻でとりあえず「赤目」篇ファイナルってことで、またしても一段落ついてしまい、原作付の作品に取りかかられる模様。……続けては読めないのか。せっかく再開できたんだから、ハズミつけてとんとーんと気持ちよく進んで欲しかったけどな。
最終回まであと少し。最終巻までまた少し。待ちますかね。
目にクる可愛さ♪
ハッピークッキー
sweets maniac 
これは表紙でやられた。可愛さ全開。食べ物をつくる、ということにおいて「可愛く美味しく楽しく」をとことんまで追求した結果はこうなるのだろうか、とまじまじと見入ってしまった。これ、エポキシ粘土とかでつくって、マグネット貼り付けたり、釦のデザインに流用してつくってみたりしても可愛いと思う。……生真面目なヒトなんかは「何も食べ物でやらなくても」と思うのかもしれないけれど、遊び心あっていいなあと個人的には肯定派。身体に悪そうだから…とか言ってたら今フツウに売られてるもので「食べられる」モノってそんなにないよね、と思ってるような鈍感だからか?(笑)あと、海外のとんでもねえ色合いのアイシングやケエキのクリィム・デコレイション見慣れてるひとだと「可愛い!」とか「おお、何か日本ぽくないぞ」とか別な意味で楽しめそう。
で。これ一冊で終わっちゃうのか、それともまた続編みたいなものでも出すのかな、とか思っていたら、出た。
小さなケーキのデコレーション Happy Mini Cake
sweets maniac 
今度はミニ・ケエキと来た。表紙からしてもうキてる。すごい色だけど私は平気Vv 可愛いじゃないか。写真集として楽しむだけで終わっても損しない可愛らしさですよ。でも、レシピもしっかりしてるようなので、カラフルさが嫌いじゃない限りは楽しめるテイストだと思う。「毒々しい、不自然なだけ」という評価も見たけれど、多分著者たちの意図はそういう所にまったくなくて、見た目の可愛らしさと、それによって喜んでもらったり――つくって楽しい、ということを見て欲しいのではないかな、と思うので、健康志向の方ではなく、少女まんが好きにオススメのよーな気がする(すごい理論だが、意味のわからない方はゼヒ「プチココ雑貨ディクショナリー」を御一読下さい)。
で。同じ出版社から2冊上梓かあ、と思っていたらさらに来た♪
sweets maniacの12ヵ月のプレゼントスイーツ―身近な材料でだれでもおいしくかわいくできる
スイーツマニアック 
私が好きな「12ヶ月」モノ(1ヶ月ごとにイヴェントや季節に絡めたあれこれを紹介するタイプのもの)。日本ならではの行事絡みのモノもあるので、色彩もちょっと控えめになって、テイストも色々。でもカラフルで可愛くてガーリィ・パワア全開なのは上の2冊と同じ。
ああ、どれも欲しいと思いつつ、まだ購入できてない。あまぞんの「ウィッシュ・リスト」、とうとう500冊に到達していた↓(カートはいきなりクラッシュして消えてしまうことがあるので。「ウィッシュ…」もどうかはわからないけど、何となくいきなりカートに入れることが少なくなった。購入決定してるものはどんどん放り込むけど)bk1の購入予定(というか、アマゾンの「ウィッシュ・リスト」にしてもそうだけど、興味がある、というだけでとりあえず入れておいてるだけ、が6割以上を占めてる。後になってから「あの本って何処から出た本だっけ」とか、物忘れの多い年齢〈…〉になってきた今、備忘録代わりと化している)の本も常時90冊近くあるし。買えないのにねえ。そんなに買える予算も、買って置いておく場所もないのにねえ。でも欲しいものは欲しい、と。
レシピ本は実用性云々よりも、すでに眺めて楽しむ本になりつつあります↓ ヴィジュアルが綺麗なものはついつい欲しくなる。何時になったらオーヴンだの購入してつくれるようになるのかしらね…フフフ……(涙)。
今のテエマ・ソング?
SPOON
中森明菜 夏野芹子 梁邦彦 
最近やたらと思い出しては口ずさんでる曲があって、それが「帰省〜Never Forget〜」。
もうかなり前のことだけれど、中森明菜ちゃん(…「ちゃん」付はどうなの↓ やはりダウンタウン風に「明菜サマ」か?)が主演したサイコ・サスペンス・ドラマ「冷たい月」というのがあって、その主題歌。低音からじわじわとサビに向けて徐々に高まってゆく感情の迸りみたいなものが感じられて、せつなさと何処までも消せない情念のようなものを感じさせてくれる名曲(暗いのが好きじゃないひとにはそうでもないかもしれないけど)。
ドラマそのものももう一度観たい。率直に言ってしまうと、アメリカ映画のパクリっぽい内容(※)ではあったんだけど(いやもう観たひと誰もが思ったに違いない、と断言出来るくらいのレヴェル)。
※どうどこから見てもコレ↓ 日本人の脚本家に余程気に入られたのか何らかのココロの琴線とやらに触れたのか、ほかにも「スイート・ホーム」とかいうタイトル(もうかなりうろ覚えなのでまったく自信ナシ。伊藤かずえちゃんも出演していた記憶がある)で萬田久子主演で2時間ドラマ化されていた。
ゆりかごを揺らす手
アナベラ・シオラ カーティス・ハンソン レベッカ・デ・モーネイ
でもってタイトルは「冷たい月を抱く女」だよなあ、どう考えても。安易ですね、日本TV界てなぁ↓
彼女(明菜サマ、ね)の演技そのものは鬼気迫るものがあって、被害者(と言っても逆恨みなのだが)と加害者の両面を持つ女性の哀愁と狂気が感じられて毎週楽しみにしてた。
幸せに生活していた女性と、その夫。夫はTVにも出演する著名人。彼がひき逃げ事故を起こしたのを偶然ある女性(永作博美嬢)に目撃され、通報される。そのために夫が自殺。夫が間違ったことをしたのはわかっているけれど、怒りと恨みを抑えられない。逆恨みした上、周到に復讐の計画を練り、幸せな家庭を営む目撃者の妻の家庭の隣に謎めいた女(もちろん明菜サマ)として引っ越してくる。その時から次第に平穏な日常が狂っていく……と、ホントに、どこまでもどこまでも見事にパクってる脚本でしたが!
萬田さん主演のドラマにしても明菜サマのそれにしても、うまく取り入って家庭に入り込み、徐々に内部から崩壊させようとする、というのも、まるっきり「ゆりかご…」と同じ〜〜↓(もちろん、「オリジナル」の映画の方で夫を失い復讐に走る女を演じたレベッカ・デモーネイの迫力には負けるもんがある。徹底しててもっと執拗でやることえげつなくて怖いんだよな……)
でも、それでも好きでしたよ。
OPで、何故か彼女たちふたりがそれぞれに「死体のように」横たわるシーンがあってとても綺麗だと思ったのを憶えてる。瞑目するでもなく、虚ろな瞳で何処かを見つめてただ横たわる、という姿が、とても美しかった。どちらもそれぞれに苦しんで、それぞれに傷ついていることを象徴してるようで。
で、かぶさるのが「帰省」という曲。
雪を 雪を見たかった
真っ白な雪を 知らない二人
という一節があって、それで思い出してる、んだと思う。幸福感というものが一切ないんだけどそれでもまだ希望を捨てていない、捨て切れないある種の強さとやりきれなさの混在した歌で、そこも何だかツボ(まあ今の自分の気分にも十分リンクしているつーのもあるんだが↓)。久々にちゃんとフル・コオラスで聴きたくなってきたわー。ただ、明菜サマ、昔ほど声にハリとか艶、伸びやかさがなくなって、そこがまた何ともせつない気分にさせてくれるんだけど。
「帰省」というタイトルも短いけれど残る。時々白鳥の群が鳴きながら飛んでゆくのを耳に出来る雪国在住者だからかしら。
ちなみに、不発に終わった(というか、打ち切りっぽかった・涙)「ボーダー 犯罪心理捜査ファイル」というドラマも好きで、その主題歌「オフェリア」も好きだったなー。何かこう、制作サイドの安易さは感じるんだけど(ハヤリもの取り込んどけ! みたいな所がないでもなかったし。○ジの「沙粧妙子」っぽいテイストだった)。尻切れトンボで終わってしまって残念だったのう。
ああ、明菜サマの低音の魅力と力強さと繊細さを感じられるアルバムが欲しくなってきたよ↓ あまぞんで探してみるか…。
やっと手に入れた(涙)。
小学生の頃、図書室か学級文庫で見つけた一冊の本。
くるみ割り人形
辻 信太郎 

もうぼろぼろで、ガムテエプで補強してあって、それでもなおぼろぼろだったままに「大切に」されてきた本。繰り返し借りては読んでいた。
とにかく人形の出来が素晴らしくて、これを一コマ一コマ動かして動画になっているのか、と思ったらどんな風に動いてるんだろう、とかあれこれ想像してはうっとり。絵本で見てこれだけ綺麗なら、動いている様はもっとすごいんだろうなあ、と思っていた。
でもって、この本が未だに入手可能、という事実にかなり驚いている。もう絶版かと思い込んでいたのだ。巻末に撮影にまつわるエッセイなんかが掲載されていて、とても苦労したらしきことを知ってその手間暇かけた作業に驚愕し、賞賛を送ったものだ。
ようやく観ることができました。つい最近廉価版が「サンリオ」から出されて、何と¥1,575で購入出来てしまうのです(今まではキング・レコードだったかな、そこから出されていて、¥4,000以上するので、買うのをずっと躊躇してました↓ それでも、1979年に公開された作品がヴィデオなりDVDになっていて、今でもちゃんと手に入れることが可能だった、ということ自体には感謝しまくってましたが)。昔、「サンリオ」は何本か、結構な規模の映画(アニメイションが主)を制作していたのですが、最近は子供向けのしつけアニメ程度に留めているようです。その「版元」たる「サンリオ」がやっと! とうとう! それも廉価版で! 出してくれて、初めてそれを書店で見かけた時はひとりはしゃいで一緒にいた友人を呆れさせてしまった↓ それくらい嬉しかったんだよう。これがサンリオ版DVD。

で。あまぞんでも扱ってるよね、と思って書店では買わないでいたら、今に至るまで入荷している気配すらナシ。我慢出来なくなって見つけた書店に買いに行ってしまったわよ! ええいくそ!
……よかったです。観たことはないけれど、写真絵本で何度も読んでいたので、何だか懐かしい気分に浸りつつ、「ああ、こういう音楽ついてたんだ」とか「こういう感じだったのか」とか色々発見や新たに知ったこともあって新鮮でもあり。買ってよかったなあ、としみじみ。
バレエのアレンヂされた物語とホフマンの原作を辻氏がミクスさせてさらにアレンヂ、と少々ややこしいことになっているのですが、元を知らない私には未だコレこそがオリジナルで、成長してしまった今、逆に「本当なら原作ではどうなってんだ!?」とか「バレエならどう表現されてるの?」とか気になるようになる始末。アレンヂされたもの、の存在意義はこういう所にあるよな、とひとりごちています。
物語は、明日は大好きな従兄弟のフランツが来るという前の晩、クララが叔父のドロッセルマイヤーに「醜い」くるみ割り人形をもらった所から始まる。そのくるみ割り人形が何故か鼠たちによってさらわれ、クララは鼠たちと、そしてドロッセルマイヤー叔父さんの消えた居間の大きな時計の中へと冒険に出かける。そこにあったのは人形の国。皇帝によって統べられた、平和そうなその国は悲嘆に暮れていた。姫君・マリーが鼠の呪いで姿を変えられて眠り込んだままなのだ。マリーにそっくりのクララを見て驚く皇帝や家臣たち。マリーの呪いを打破し、平和を取り戻すべく、皇帝に呼ばれたのは近衛隊長(だっけか。←半ば興奮状態で見ているので要所要所で忘れている↓)のフリッツ。クララとフリッツのふたりは何となくひと目で惹かれ合うものをうっすらと感じる。呪いを解くには何によっても割ることの出来ないとされている胡桃を破壊すればいいと知り、フリッツは兵隊たちを引き連れて鼠たちの巣窟へ向かう。ところが彼は姫の呪縛を解いた代償にあの「醜い」くるみ割り人形へと戻ってしまう。フリッツの呪いを解きたい。強い願いを抱いてクララは諦めることなく前進する――
とゆーカンジのオハナシ。人形がとにかく愛らしかったり不気味だったり端正だったり、キャラクタアの個性をひとりひとり出していて、よくぞここまで丁寧に繊細につくって下さいました、と御礼を言いたいくらい。衣装の出来がまたとてもいいし、「セット」も素晴らしく凝っている。さらにはアングルまでもが凝っていて、2階まで吹き抜けの大きなホールの下から、手摺越しに階下を見つめるクララ、というショットがあるんだけど、実際のスケエル感があるのだ。ヒトが実寸の家のセットで撮影したみたいな広さ・高さを感じさせるの。家具――調度品もすべてが美しくて素晴らしい。あの大きさ(だいたいどの人形も大きくて男性の掌大くらいの高さしかない)に合わせて全部つくったわけだけれど、品格のあるいいお屋敷のお嬢様・クララの家に相応しい重厚感と上品さに溢れているし、人形の国は何処までも可愛くて玩具ちっくに出来ているし、鼠たちの住まう場所は汚穢やどす黒い雰囲気を醸し出している。街の風景も森の風景もそれぞれに風情があるし。町中の佇まいとかいいわー。
現在の技術に比べればやはりやや見劣りするのだろうけれど、モーション・アニメとして秀逸だと思う。クララが何とも愛らしいし、フリッツが紳士的で格好いい(……このフリッツ、……幼少の頃から思っていたのだが、……高見沢顔してる。ええ、あのあるふぃーのたかみざわ。通称タカミィに)し、夜おとなしく眠ろうとしない子供を夜な夜な捜しては見つけ出して鼠に変えてしまうオハナシの中の登場人物・「ジャンカリン」もまたうさんくささと怪しさを醸し出していていい。
全編おとめちっくでめるひぇ〜んな世界。クララのフリルたっぷりのドレスに縦ロオル・ヘアもたまらん。フリッツと旅立つお菓子の国の愛らしさ(何故かサンリオキャラが乱舞している・笑)と美味しそーなところがまた何とも。いきなりバレエ・シーンが挿入されて吃驚した。しかも世界の森下洋子。ソロだけだと思っていたら、彼女のパートナーとしても有名な清水哲太郎氏とのパ・ド・ドゥまであるし(! ソロの部分では、人形のクララと森下さんの踊りがシンクロします。ものすごい努力だー・涙)。
でもテエマは「本当の愛ってナニ?」なんだよなあ。子供には哲学よね。本当に誰かを愛する、というのはどういうことなのか、というでっかいテエマをぽーんと。楽しませつつも考えさせてくれるという。
オンナノコの幻想と夢と現実とが絶妙なバランスで配合された可愛らしい、でもただ甘いだけではない砂糖菓子のような一編。最後がまたいいのです。誰も居ない部屋でひとりで観てたら「ぎいやあああああああああ!(赤面)」とか叫び出しそうなあまーい! ラストで(笑。またねえ、妙に官能的なんだよなあ。高見沢顔…いえ、王子顔した男とクララが見つめ合うシーンてのが)。
どこからどこまでが夢で現実か、あるいはそもそもそのあわいの中にあるのかも判然としないまま、クララは恋心と愛情との両方の何たるかを知る、という、何歳になっても消えない「少女」の部分をくすぐる物語。
「すれっからし」というコトバがまだ微塵も似合わなかった頃の杉田かおる嬢が初々しい声でクララを演じております。フリッツは志垣太郎……思えば彼はあのアニメ版「ベルばら」でアンドレ役であった…!(ちなみにオスカルは田島令子さん。どっちも「さんま御殿」で拝見しているとナニカがガラガラと音を立てて崩れて行くぜ!)いや、好演してらっしゃいました。サワヤカで。ええ。
声優陣が無駄に(失礼な)豪華なのも必見です。EDのエンド・ロール観て吃驚したぞ。益田喜頓て!(皇帝役で声をあてておられました)
3年もの時間を費やして、一コマ一コマ時間をかけて丁寧につくられた世界。こうして20年以上の時を経ても色褪せずにいるのは、つくり手の愛情と根気の故でしょうか。また観なくては♪
★2008年5月現在、Amazonでもちゃんと購入出来るようになっています。く、悔しい、何かが悔しい↓ もう持ってるからいいんだけどもー!
くるみ割り人形
杉田かおる 志垣太郎 西村晃
もうひとつ観てみたかった、「シリウスの伝説」、買うか……?
シリウスの伝説
古谷徹 小山茉美 宇野重吉
くまーっ。
Joon Bear 2006 Winter Ver. カーキ
……こういうものもあるんですかでもってあまぞんでも販売されてたんですかまったく知らなくて吃驚ですよ。
ペ・ヨンジュン氏の公式ベア……!
世にグッズは数あれど、はあ、人気俳優さん公式のベア、ですか……。何かすごいことになってるなあ、値段が。2万円以上もしちゃうってのがもう(目が点)。ただし、その価格を取るだけの品質はあるみたいだし、実際のモノも可愛いと好評なようです。一見ライオンかと思っちゃったけど(たてがみっぽくふさふさっとあるのは、ペ・ヨンジュン氏をイメエジしたものなのか?)。韓国のテディ・ベア・デザイナアさんが手がけたそうで。色んな意味で凝ってる訳か。それにしてもすごい。眼鏡かけてるのは可愛いなあ、と思ってしまった。目がもう少し離れてるカンジのが個人的には好きなんだけど、これはこれで確かに味わいが(あまぞんの画像、やや真っ正面なこの角度にたまらんマヌケな可愛さがある。こう、ハナがもふっと出っ張ってるのがわかるのを真っ正面、てのが)。しかし、にまんろくせんにひゃくごじゅうえん……(絶句)。
きっとファンで手先の器用なひとは自分でマフラア編んで首に例の巻き方で巻いちゃうんだろうなあ。あるいは型紙付の本買ってきて根性でジウ姫ver.をつくり、「冬ソナ」再現! とかかましちゃう、とか(ありそう……ごっついありそう……)。
何かもう、そこらにフツーに売られてるベアですら買えない私にはチガウ国のハナシのようよ(地味にベア好き。部屋の一角がややくまくましい。←勝手に変な日本語つくんな)。てづくり出来るひとも羨ましい。自分好みのベアがつくれるってことだし。いいなあ、手先器用って。きっとこれ買ったひとは着せ替えも楽しむのね。
何だかんだ言ってヒトの購買意欲は衰えていないのね、と再認識しました。
ごみぶろぐだからって。
ゴミみたいなコメントだのトラバ送信されても困る、というか鬱陶しいです。どういう訳だか馬鹿女か馬鹿女を装ったえろぐか馬鹿女御自らのえろぐ、のどれかの方々から頂戴してしまいます。もっと総じてアクセス数高いブログ・サイト探せって。それすらもしないのか。本当に馬鹿だな。
ウザイのですぐ削除してますが。
「アクセス乞食」とはよく言ったものだなあ、としみじみ思います。ラクして何かを得たい、というその根性がダメだろ。
カウンタ回してランキング上位でも狙っているのでしょーか。だったらもっと建設的にやった方がいいと思うけど。マトモにブログも確認しないで適当に ping のサイトとか見てスパムよろしくトバしてるんだろう。私のみたいに訪問者少ないブログに足跡残しだの宣伝だのしたって意味ない。そもそも見る人数少ないとか、見るひと選びそうなブログだなんてこたあカウンタとアーカイヴのバランス見たら判るだろう。そこ見もしないでテキトーにやるんだもん、「アクセス乞食」と言われるだろうよ。私の月別アーカイヴ数、記事の本数とカウンタの数字、どう見たってアクセス数少ないショボいブログだとイッパツで判るっちうねん。
先ほども「生扉」ブログに開設したと思しき如何にもなサイト管理者からのコメントが、どうでもいい更新記事にどうでもいい内容で残されていてウンザリ〜。
「私もブログはじめました」
だから? それが何か?
「写メとかもあって恥ずかしいんですけど」
じゃあ載せるなよ。馬鹿か? 馬鹿だろ。
「よかったら来て下さい」
よくないので行かない。つまんなそうだし。どうせえろ絡みだろ。管理人はネカマの可能性大ってとこか。釣るにしたってもう少しヒネりゃいいものを。ワン・パタアンな文章ばっかりじゃないか。
という訳で、どうせ誘導したいなら、もっとヒネリのある、面白いもんにしてみやがれ、と思うので御座います。面白くないからお互いアクセス少ないんだってば。でも乞食呼ばわりされるような真似はしないけどなあ。某巨大掲示板にでも晒せば、一気にアホみたいにアクセス数稼げると思うからそうしてくれ。
今後も、宣伝に終始するコメント・トラックバック、足跡残りに相当するものはさくさく削除して参ります。こんなサイトでもマメに見てくれている友人・知人に見せたくもない下品な文言とか、何気なくアドレス踏んでイヤなもの見てしまったりするのは、心底厭なので。
関係者各位。そういう訳ですので、「如何にもフツウのオンナノコを装ったような馬鹿文章」系等も要注意の可能性大ですので、興味がおありでない限りアドレスは踏まないことをお勧めします。
真夜中に、ひとりで。
腕が痛む、と言い出して以来、食後の食器洗いは私の担当になっている(それでもかなりマシになってきたので、調理のメインは母であり、私はどんくさいので出来る範囲のお手伝い、という情けなさ)。よって、朝・昼・夜の分がどどんとシンクに置いてある。
家にずっと居る場合はいちいち洗うこともできるけれど、そういう訳にも行かないし、ある程度水に浸けておいた方が汚れを落としやすい。だから、寝る前にまとめて洗うことになる。
夕食後すぐ、は「自分の時間」として確保して、あれこれうだうだ自室に籠もってやっている。その時にでもやってしまえばよかろうに、と第三者的立場からは思わないでもないのだけれど、真夜中にひとり自分のペエスで、というのが「楽しい」のだ。ひとり暮らしの頃を思い出す。おまけに、食器洗いは好きな作業なのだ。綺麗に洗ったものを水切り用の籠(?)に入れて、終わった頃に水気を拭き取って、また元の場所に戻す、という一連の作業が好き。時々、「あー……同じ場所に入れちゃー出し入れちゃー出し、って意味ねー。どうせまた使うのになー」と思わないでもないが↓
食器洗いの時は必ず「コロンボ」のDVDのどれかを用意して、英語/字幕にセット、あとはそれを観つつ聞きつつ食器をひたすら洗う。入れ替えるのが面倒だったり、途中で作業が終わってしまったりで、何日も同じものを繰り返し観ている。それでも楽しい。今までも何度も観ているのだけれど、いつも小池朝雄氏の吹替版が好きだからそちらでばかり鑑賞していたものだから何だか新鮮でもあるし。ピーター・フォーク氏はちょっとしゃがれた、やや高めの声だったのかあ、と思いながらスポンジの泡立てをする。しゃかしゃか。
刑事コロンボ 完全版 Vol.13
ピーター・フォーク 
ここ数日はずっとコレ↑でした。少し声がくぐもってるカンジで、英語もわかりやすいクリアな発音ではなく、クセがあるような気が。小池氏の吹替と当然ながらまたちょっと味わいが違う。二度美味しいな。ふふふ。
アルクの通信講座「英文法マラソン」を終了させてから、次は何をしようか決めかねている今、ナニカのカタチで英語に触れておかねば! という気持ちが辛うじて残っているので、この食器洗いの時間を利用するのだ。
水の弾ける音や水そのものの音で少々聞き取りづらいし、そもそも「聞き取れる」ほどの耳も持ってないので、時々聞き取れる単語を拾ってみたり、「あ、あのコトバは英語だとその単語か」と気づいたり、その程度。「ながら学習」にさほど効果はなかろうけども、それでも何もしないよりはマシかな、と思いつつ毎晩楽しんでいる。
というわけで今夜も黙々と食器洗い+DVD鑑賞(?)。父も母も寝てしまった後、ひとりで。少し贅沢な時間。
本当はオトナ向き、かも。
ゆかいなゆうびんやさん―おとぎかいどう自転車にのって
ジャネット・アルバーグ アラン・アルバーグ 佐野 洋子 
時々思い出したように読む一冊。さほど長くもないから、すぐに読み終わってしまう……のだけれど、また最初から読んでしまう。
面白いから。ただそれだけ。
ゆうびんやさんが著名な皆さんにお手紙持って何処にでもでかけていっては渡した手紙を、読者である私たちも一緒になって読める、というしかけが施された本で、初版がかなり大昔になっちゃったけど、今でも人気があるので入手は簡単。
封筒から手紙を取り出して読める、というタイプの本は数あれど、やはりコレが極めつけかもしれない(「フェリックス」シリィズも大好きだけど。アレもこの作品からのインスパイアとかオマージュとかが感じられて好き。時代の流れもあって、よりゴーカになってる気がするけど)。何しろ「単なるお手紙」ではないから。
よく知られたおとぎばなしの登場人物に宛てられた手紙やカアドその他、取り出して読めるのですが、……子供にとって楽しめるように書かれたであろうに、一切「容赦がない」。原文の英語のままだと、多分英語にかなり慣れてないと理解しづらい文章もあるのではないかな、と推測。
何しろ、子供の間違った綴りや文字で書かれた手紙(これはまあ多分どうにか判読できる。手書きver.の手紙もあれば、タイプライティングされたものまで色々ある)、通販のダイレクト・メエル(これがいちいち面白い。隅々までよーく眺めて、「あー、わかるわー。そうなのよー、そんなカンジよー」と笑える)、公的文書(コレが原文だと難問ではないかと。日本語に訳したものも、そのカタさをちゃんと再現しているので、小さいお友達には少々判りづらい。なので、文章・文書というものは、色々TPOをわきまえて書かねばならない、とか、オトナ世界では当たり前のことを何となくでも理解できるくらいの年齢で読むか、保護者がちょっと補足してあげたりするかしないと本当に小さい子だと多分理解できないし、面白さもわからない)、出版許可要請の手紙と本の小さい見本(凝ってる! 無駄に凝ってる! そこが素敵Vv)……などなど、とにかく芸が細かい。
受け取る相手も、女の子に留守中不法家宅侵入された挙げ句に食べるつもりだったスウプだかおかゆを食べられちゃったカワイソウなくまさんだったり、森の奥深くにすべて菓子で家を建ててる凝り性の魔女だったり、王子と幸せな暮らしを営んでいるお姫様だったり、かつて大事な宝物を持っていかれちゃった大男だったりするのだ。
……だから、これをいきなりぽーんと読むというのもまたヨロシクないのである。まずはたっぷり古今東西の古典作品つーものを通読していなくてはいけないのだ。本当に楽しみたいなら、それらを知らないとその手紙が何故面白いのか、どう面白いのかがちっともわからないようになっている。パロディの醍醐味は典拠をどれだけちゃんと知っているかにかかっているからねえ。
そこんとこもまた「容赦ない」ワケである。
でも、そこがいいのだ。典拠あってのパロディ。小さい頃、お母さんやお父さんに絵本を読んでもらうという栄養、幼稚園等の施設で絵本や紙芝居、お話を色んなカタチで触れておく、という素養、そういうものが大事なのよ、と言われてる気分にもなる……昔は、フツウにやってたと思うんだけど、何しろイマドキは「読み聞かせって、どんな風にしてあげたらいいんでしょう?」と不安になってる保護者ってのが山程いる時代らしいから。
「一緒に」てのがキモなんであって、「どんな風に」はあとから勝手についてくるもんでいいではないか。
そしてさらには自分の経験で得た知識、というものがそれなりにないと、この絵本、「本当に」楽しめないよーになっている、のであった。いや、お手紙引っ張り出して開いて読む、それだけでも楽しいんでしょうが。
ナニカをするためにはそれなりの土台が必要である、という単純な事実が毅然と貫かれているようにも感じられて、そこもまた好印象。
ヒネリの効いたジョークや皮肉の好きなイギリス人らしい作品で、私はそれだけでニヤニヤしてしまうのであった。
最後にゆうびんやさんが仕事を終えて何をするか、もまたちゃーんと「イギリス人」していていいのだ。やっぱこうじゃなくちゃ、とまたニンマリ。
私も負けじと茶を淹れなくては。
「自信」がある、ということか。
spoon. (スプーン) 02月号 [雑誌]
創刊号を偶然書店で見つけて以来ずっと買い続けてる大好きな雑誌。文系乙女向けカルチャア(いや、当初は別にそんなこと主張してはいなかったけど)ならなんでもござれで、一見「オンナノコ向きって感じじゃないよね?」なものも、単に甘いだけが「ガーリィ」じゃないんだぜ、とひょい、と取り上げてくれる。既知のモノでもより一層興味が湧いたり、未チェックのモノをぽぽん、と出されるとヤラレた! と悔しくなったり。自分たちなりに「いい」「可愛い」「クる」と思ったもの、それもちょっとひとひねり効いたモノを探し出す・見つけ出すのが絶妙にうまくて、何をどう取り上げても、本道をちゃんと歩みつつも自分たちなりの「面白い」を絡ませて記事にして読ませてくれる。
ファッションだけ、流行だけ、コスメやおしゃれに重点を絞った雑誌、生活に根ざしたモノ・コトを取り上げる雑誌、そういうものの中にあって、メイン読者を「女子」と設定し、ありきたりの、簡単に系列分け出来ちゃいそうな雑誌たちが取り上げはしないものを掬い上げてその可愛さや面白さを綴る、というのは画期的だった。ファッションはファッションでも所謂ベタな価格とステイタスを競いたいひとが買ってるようなブランドは取り上げないし、取り上げたとしても他の雑誌とは切り口を変えてくる。ハヤリモノにも目をやりつつも、ハヤってはいないかもしれないけどプチ・ブウムやマイ・ブウムといったミクロ視点で、でも愛されているもの、を発掘してきてくれる。
だから、好きだったのだ。
オンナノコでしょ、女性でしょ、ならこういう情報とこういうモノコトが好きで必要でしょ、というそこらに蔓延してる似たようなアレやコレには何ら求めるものがない「女子」はひっそりと、でも確実に存在していた。「どうせ取り上げてくれるなら、テキスタイルの可愛いあそこのデザイナア取り上げて欲しいんだよなあ」なんて思ってるヒトや、「こういうもん好きな女子ってアリ?」とちょっとだけヒケメを感じていたようなコには、たまらない「楽しい」「嬉しい」「綺麗」「可愛い」をこれでもか、と繰り出してくれて、「よかった、読みたい雑誌がある!」と嬉しくなった潜在的サブカル乙女たちにはたまらん存在だった、そう思ってる。
その「spoon.」が。何と今後は「ファッション・カルチャー誌的な面を強く打ち出してゆく編集方針を打ち出し」た、と宣言してしまった。
ええええええええええええええええええええええ! ナニカ、に絡めてファッションをフィーチュアしたり、てのが程良くて好きだったのに。モデルの個性も活かしつつ、服の可愛らしさをも出してトータルで見せる、のが巧かったのに。ファッション・カルチャーメイン!? それは「今までの」「spoon.」が好きだった文系サブカル乙女にとって「も」楽しめる内容になるのか!?
正直、ファッション関係ならそのテの雑誌を買えばいい。もちろん、ファッションそのもの、モードそのものを取り上げる、というよりも、そこから派生するあれこれやそれと絡み合うあんなものやそんなものをも巻き込んでゆくのだろうとは思うけど。
「今更」「敢えて」「ファッション」をメインに据える、ってことは。それでも「spoon.」らしさ、を失わない自信がある、ってことなんだろうか。
いや、そもそも私は彼等の言う「ファッション・カルチャー」なるものを「正確に」理解しているかもアヤシイので、あれこれ憶測したって始まらないんだけど。これまでの「はちぽち(ごちゃまぜ)」感の中に見える「spoon.」という揺らがない骨子に惹かれて読み続けてきたけれど、今までと同様に乙女なガシャだとかおしゃれな雑貨だとか「なければなくてもどうでもいいけどあればなんだかふんわりうれしい」なアレコレを、映画や本や絵本を、お菓子や玩具を、取り上げてくれるのだろうか(多分やってくれるだろうけど)。
モード系グラビアメインであっても、多分、凡百のファッション誌とは違う個性を見せてくれるだろうとは思ってる。
でも、でも何で今ファッション・カルチャーがメインに……?
妙に定まらず、「spoon.」的「旬」を切り取って楽しませてくれるところが大好きだったのに。
自信がなかったら、やらないだろう。あるいは挑む気があるからやるんだろう。楽しませることの出来る誌面をつくってみせる、という気概あってこそなんだろう。そう信じたい。
だから、まずは次号をひたすら待つだけなのだ。
ああどうか、「spoon.」が「spoon.」らしさを失うことなく、新しい「spoon.」になってより楽しませてくれますように。
ぜんとたなん+ごりむちゅう。
七草も過ぎて正月正月したところから抜けた…ような気もするし、そうじゃないような気もするし。オトナになるとあまり「正月だわー」とか「年末よねえ」という、時期特有の気分のようなものが湧かなくなってしまったのだけれど、近年さらにその傾向が強まっていて、気づけば年末、気づけば年始、気づけば正月も終わり、なのが例年となっている。
今年は年明け早々母が体調を崩したものだからさらに拍車がかかってしまった。年末に無理してあれやらこれやらやり過ぎて、疲労が蓄積されたらしい。自力では起きあがることすら出来なくなってしまった。
かかりつけのクリニックに行って診てもらったものの、総合病院を紹介され、翌日再び病院へ。ああ、病には年末も年始もないわね、としみじみ思う混雑ぶり。母は座るにしても横たわるにしても身体が痛いくらいなので、待っている時間がとにかく気の毒でならない。
クリニックでちゃんと X-ray 持たせてくれたのに「こちらでも改めてレントゲン撮って頂けますか?」と言われ、レントゲンの受付に。戻るなり問診を受け、これまでの症状を訊かれ、今言える可能性を聞くと、採血やら何やら指示され、言われるがままに点々とする。病院に備え付けの車椅子を使用させてもらおうかとも思ったのだが、いちいち立ち上がったりという動作が今の母には堪えるため、それも出来ず。
夜は母に何かあったら、とか、深夜にトイレに行きたくなった場合等を想定して、出来るだけ寝ずにいることにして過ごし、早朝2時間ほど寝たらまた病院行きの支度を始める。出かける前には雪かきもあるし、私は母の代わりに家事その他諸々をやり、家族全員疲弊しきっていた(母はそもそも疲労の故に体調を著しく崩したのだし、父は私が家事やら母の面倒を見ているために雪かきと送迎に追われ、私は寝ずの番〈?〉とあれやこれやでボロボロ)。
薬と注射のおかげで、ようやく多少マシになってきて、私もやっと夜睡眠を取るようになった。もっとも母が気になるので睡眠導入剤を服用するのを堪えているのであまり眠れないし、日中可能なら仮眠を取ったりしていて、拍車をかけて生活のサイクルが狂いまくっている。
ぽろぽろと届く年賀状を見て「あ、そうか、まだ正月か」とか訳わかんないことヌカしちゃうくらい。でもって、今年は怒髪天なくらいイヤ〜〜な年賀をもらってしまってオカンムリよ♪ もう年賀状自体やりとりは本当の本当に最小限に留めるべきか、と考え込むくらい。
私は名前の漢字を間違われるのがもの凄く嫌いなのだが、……それなりに付き合いの長い相手にやられると、なおむかっ腹が立ちますな。今回は、もう、「……ねえ、ワザと同じ読みの漢字の候補から、ソレ選んだでしょ?」と訊いてみたくなるくらいヒドかった。馬琴を卒論でやってた身には、そうねえ、「お前、人間以下」と言われてる気分になるような誤字だったのよねえ(この辺りの理論がわからない方はそこらに転がってる馬琴関係の論文や評論読まれるか、実際「八犬伝」お読みになって頂ければ♪ ……何だか今年は年頭から馬琴馬琴言ってるな)。
誰だって忙しい時期ですがね。PCてなあ便利なツールですがね。結局の所、相手をどう思っているのか、ツールを使って作業するのは人間であって搭載されてる人工知能じゃない、道具任せにしてるんじゃないわよ、と残念通り越してムカムカしてしまったわVv
よく間違われはするのです、名前の漢字。あまりないせいか。でも、近しい人間にやられると相手が日頃自分をどう見てるのか、思わず疑ってしまうわねえ、と(極端に言えば、「どうでもいい」と思っているのではなかろうかと思ってしまう)。親しき仲にも礼儀アリ、つーか、親しいからこそ間違って欲しくなかったなあ、と。
唯一の救いは手書きではなかったことくらい。手書きで「友人」乃至「知人」に宛てた手紙やはがきの宛名の文字間違うって、やられたら私なら速攻縁切りっす(実際縁切るというより、ココロがそのひとから離れる、くらいの意味ですが。稀に本気で切るけど↓)。たまにやられてものごっつヘコむ。
PCに住所氏名登録、便利で楽ですね。でもねえ、漢字の誤字に気づきにくいらしい(ワアプロ時代からだけど、ホントに、「平気で」間違ったのをくれるひと続出。間違うひとは手書きだろうと何だろうと間違ってたけど・笑。何で出す前に一通り見直さないかねえ?)。おまけに、見直さないか、見直すことすらしていない。機械信用してもいいけど、自分の目とか判断力、何処まで信用出来るか、は一度よーく考えた方がいいよ、と思うことしばしば。
名前間違うのって、かなり失礼だと思うんだが。しかも新年を言祝ぐ賀状でやられるともうねえ……(涙)。言祝ぐどころじゃねえよ! いきなりむかつかせてんだよ! と。「新手のイヤガラセか!?」くらいムカついた。まあそのくれた相手は平生から私を目下の、どうでもいい人間だとでも思っているらしき所があった(約束の時間に遅れても連絡ナシ、とかフツウ。私なら平謝りだけど、どんな事情があるにしろ。まあ、でも、多分、本人にしてみれば別に見下してるとか、そのつもりはない、んだろうとは思ってる)ので、そうなるのも宜なるかな、と思わないでもないのだけれど。
疲れてたし母のことで心配しまくってヘコんでただけに、友人からふ、と届いた年賀状に慰められたりしてたのに、その一枚で何だかダイナシ……(涙)。せめて人名にフツウに登場する、ありがちな間違いで留めてくれよ。どんだけ失礼な漢字使ってくれてんだよー!!(極端に言うと、ハナコさん、という名前に「洟(ハナ)」使うくらい失礼。チカさんて名前に「痴(チ)」使うくらい失礼……私基準では。まったく、絶対に使われないこともないかもしれないけれど、まず余程のこと無い限り、それも女性の名前には使わないと思う漢字だった)多分このぶろぐ読んでくれてないだろうし、読んでも「私のこと?」とは気づいてくれんだろうが。人間不信にまで追い込める誤字ってのもスゴイな。
ついでに、数件、メエルのやり取りでもヘコんだ。メエルもらって返信してもその後一切ナシのつぶて〜。私は言いたいこと言ってすっきりできる穴か何かなんでしょうか。「おおさまのみみはろばのみみ〜〜♪」って? それとも都合良く何らかのコトバが返ってくる山彦かね? 何か律儀に返信した自分がアホウみたいで厭になってくる(いや、「みたい」じゃなく「アホウ」なのよ♪)。だから馬鹿みたいなメエルにちゃんと応対してくれた「姉」に泣くほど感謝したナリ。
年頭からいきなり前途多難の相は出るわ、友人知人との関係性を見つめ直すべきだろうかと考えさせられるわで、……今年も何だか大殺界ってヤツかしら、と遠い目をしているのでした。ヘコんでる時って、平生さほど気にしないことでも大仰に考えてさらにヘコむもんだなあ、としみじみ思ったり。
今年はひたすら家内安全を祈ることにします。
「隔月」がよかったのに。
天然生活 02月号 [雑誌]
「今月号から月刊化決定」とのことでした。……がっかり……。毎月読みたい! という方にとってはこれ以上ない嬉しいお知らせだったのでしょうが、個人的には隔月で、というペエスがよかったのではないかな、と思っていたので、ある意味残念です。このテのものに先鞭をつけた「Ku:nel(クウネル)」との差別化を図りたい、というのも意図されているのかな、と勘ぐってみたり。
所謂「スロウ・ライフ」を謳った雑誌のひとつだけれど、自分たちなりのスタンスがあってやっているなら、何も毎月「せかせかと」出すこともないのになあ、と思ってしまう。隔月で、色々と練られた企画や読み物を提供してもらえる方が私としては嬉しい。実際に月刊化されてみないとわからないけれど、それまであった準備期間や取材にかけられた日数が短縮されてしまう分、劣化してしまわないだろうか、と勝手に心配。
「天然生活」はあまり「ひっかかり」のない――良くも悪くもこれといったクセのない、はっきり言えば「これがキモだ!」という特徴には欠けている、気がする。著名な料理研究家やイラストレエタアさんが多数活躍してはいるし、毎号それなりに楽しませてもらってはいるけれど、雰囲気で保たせてるなあ、と思ってしまう。毎号おしなべていい出来だと思わないでもないけれど、「クウネル」みたいに「今回のはちょっと」とか「今回の特集はよかった!」とかあまり意見が聞かれない気もする(まあ各々それぞれに思う所あっても表明してないだけ、なんだろうけど)。あと、「天然生活」というタイトルの、耳障りの良さと、そこからはあまり届いてこない雑誌としてのスタイル。内容読んでも、「天然」って、どの辺りがどう「天然」?? と思うこともしばしば。
気負わずゆったり、みたいな雰囲気をそう呼んでるだけかな、と思わないでもないし。それでも買ってる自分はどーなんだか↓
ヴィジュアルはとても綺麗だと思うし、充実もしてると思う。そういう意味では、ゆったりした気分になりたいなあ、という時に眺めるのにもイイカンジではある。ちょっと上質な、大人の「日常」向上を目指したい、というところだろうか。
しかし。そろそろ止めた方がいいよ、と思っていたものが次号からは何と連載企画になってしまうらしい。
好きな方には申し訳ないのだけれど。私には雅姫さんを毎号のようにフィーチュアする意図とゆーものがまったくわからず、食傷気味ですらあって、そこまで彼女を登場させるのは何故なんだろうと思ってしまう。そんな彼女の連載が始まってしまうとのことで。……毎号毎号彼女の御写真と共にアレコレ拝読出来ちゃう訳ですか……あー読みたかったら彼女の本買うから、雑誌では別に、取り上げてくれなくてもいいんだけどなあ……。
《雅姫》というブランド・ネエムみたいなもの、《雅姫》というフィルタアを通して取り上げられることで、「ほら、何だか平凡だと思ってたモノがとっても素敵に見えるでしょ?」みたいな感じに見えてしまって、逆に損してないか? と思ってしまうんだけど。
それこそ「人工加工物」的ではないの。市井のひとや職人さんを直接ルポして記事にして、それを面白いと思わせてナンボだと思うんだけど、彼女のような存在を添えて誤魔化してるようにも思える(意地の悪い見方だが)。彼女は店のオーナーでもあるし、一応デザイナアさんでもあるのだろうけど、スタイリストとしてのプロでもなし、プロでもないのにセンスが光る、とゆーのがオイシイ、てのはあるかもしれないけど、……「彼女でなくてはいけない理由」が読者には伝わってきてない、と思う。
私はどうも子供をヘーキで「商売」に駆り出すタイプのひと、がニガテらしい。このヒトの場合、ライフ・スタイルのおしゃれさだとか、子供の服も手作りで、それは愛情からくるもの、嘘とかツクリゴトじゃなく実際つくって着せてるのよ、というのを「ちゃんと」見せたい、と思うから子供も登場させるんだろうけど、……何だかなあ、と思う。このキケンな御時世になんとまあ暢気な、と思ってみたり。御夫君だって所謂一般人ではないのだから子供の姓名全国にバラしてるよーなもんではないか。ある意味キケンに晒してないかー、とか勝手に心配してる私は何なんだろう↓ 「見て見て私の素敵らいふ〜♪ 素敵せんす〜〜♪」もあまり続くと「あー、はいはい」としか思えないヒガミ根性のカタマリ(笑)としては何かもうヨソで十分ゴカツヤクなんだからこの雑誌でまで取り上げなくていいよー、としか思えないー↓
そんなに牽引力のある方なのかあ。女性向けのベタな雑誌読まないのでそこまでだとは知らなかった。正直、この方が出てくる記事を読んでも「……?」な気分にしかなれないのだが。
キリの悪い所でいきなりの月刊化で止めるに止められない(損な性分。せめて昨年末で告知しておいてくれてたら↓)。月刊雑誌かあ。とりあえず今年の残り出る分買ってみて、購入存続か打ち切りか決めなくちゃなあ。




