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ぽいずん。

↑一応言っておかないと(笑)。

サービス残業・労使トラブルを解消する就業規則の見直し方
北見 昌朗
4492260765

毎日毎日最低2時間は退社時間後居残っている。……正直、何が出来るでもするでもなく。ひたすらに。だらだらと。おまけにどうやらその後も皆で「一服しよう」「一休みしよう」とちんたら缶珈琲を飲んだり茶をシバいたりしている模様。

……帰宅恐怖症か何かなのか?

何故そんなに会社に居たいのだ! ……いや、実はあれこれ仕事が溜まっているらしきことは知っている……のだが、如何せん私がまだそれらを教わる段階には居ないので、何らの手助けも出来ないのであった。なので、とっとと邪魔にならぬよう帰宅している(お付き合いで残る、てのがタダシイ日本人でしょうか)。

起床はほぼ7時(6時55分くらい。みみっちいのだが、少しでも長く眠りたいのだ)。朝食食べて支度して出かける。8時45分くらいには会社到着、朝礼や掃除等をし、開店に向けてあれこれと。
開店前から客がすでに到着し、待っていることがある。こういう場合はとっとと開店し、入っていただく。
基本は「客優先」。発送や事務系のあれこれがあろうと、客が入ったら接客モオドに突入。ただし、何も数組の客に全員何が何でも付きっきりに、という訳ではない。必要に応じて動く。別動班にHP作成・更新担当者がおり、担当者は掲載するための写真を撮影したり、POP作成を頼まれたり、要するにPCを使用する雑事の全てを任される。……が、あまりに忙しいと接客・会計の仕事のヘルプに入らされてしまう。

12時頃から随時交代で休憩に入る。およそ40分。それが済んだらまたひたすら仕事。発注が入れば在庫確認、在庫確保出来なければ工房に連絡、製作依頼。発送に至るまでに、商品確保・検品・清拭(ってまるで看護師さんの仕事みたいな言い方だなー↓ 要は商品の汚れ落とし)・研磨・包装・梱包・発送手続き。傷・罅等のあるものは無論発送商品に出来ないため、発注数に達しなかったりすると大変。商品の研磨は電動の鑢を使用するため、店内に客が居る間は出来ない(こういうちまちましたことが仕事全体の遅延に繋がってる)。
客が来たらお茶出しもあったり(ごく一般のお客様すべてに、可能であればお茶を差し上げるのだ)。タイミングを逃し、何度もトライしたりもする(まぬけ)。
各方面からあれこれと問い合わせや確認の電話が来まくりやがり。上役に取り次げない時は伝言を承ってメモを残す。この電話も立て続けに鳴る時があって面倒。
3時頃再度休憩。今度は20分。これで1日計1時間の休憩アリ、となる。何が出来るでもないビミョ~なこの時間、お茶シバいたり珈琲飲んだり煙草フカしたり、とそれぞれの行動に。
5時が閉店時間なので、それに合わせて閉店準備や会計の締めの作業に入る。この時間帯でも客が来れば無論お通しし、店内を見て頂く。発送作業のツメ。この辺りの時間帯かそのやや前辺りに、各宅配便の集配者が来訪。それぞれに持っていってくれる。

……とまあこんな感じで始まって終わってゆくのだが、これらの作業を「そこそこ」終わらせようと思えば、まあ残業も1時間程で終了する。のだが。
発送が立て込んでいると居残ってやり、経理関係の遅延があるため居残ってやり、新たな計画のためにあれこれ思案するために居残ってやり、……サイアク夜の10時辺りに御帰宅、と相成る。

帰宅後夕食。ひどい時は夜12時にちょこっと食べたりもした(太るーっ!!)。皿洗い等をこなした後、メエルのチェックとサイトのチェック。こんなんしてる内に翌日目前。シャワーを浴びて就寝の支度。気づけば2時。寝る。

時間が、無い。私の配分が悪いとも思うのだが、会社に10~16時間も拘束されて疲れ切り、帰宅して何をする気にもなれないのはやはり惰弱なのであろうか↓ 本読みたくても、疲れ目で霞んじゃって読むどころじゃないぞ(酷い時はメエル・チェックしながら開かない目から涙流しながらやってた↓ 1日に30通は届くのがザラだから、サーバ上でデリってから受信、読んでは捨て、をやる。……何やってんだろう、と我に返ったら負け)。それに本読むならじっくり楽しみたいし。

居るんだろうなー、似たような境遇のひと。毎日アホみたいに忙しくて、通勤やら仕事・残業で会社のために1日の半分以上拘束されて、でも手当なんて特別つくでもなく、ひたすら生活のために忍の一字で耐えてます、なひとってのは。読みたい本も読めない、新聞はマトモに読んでる暇ない(その代わり、職場で業界専門紙を読まされたが↓)、TVなんてずっと観てないから番組が新たに始まったものがあっても「へ? いつの間に?」状態。ある意味世捨て人。本くらいゆっくり読みたいよ……。おまけに休みの回数が少ないから、あれもしたい・これもせねば、と読書に専念することも難しく。

私もうぢき駄目になるーっ!(最初から駄目だった説・すでに駄目である説も濃厚)

……「しない・させないサアヴィス残業」じゃねえのかよーっ!!(ま、何処でも結構簡単にそんなもんは黙殺されとるのであろうが)実入りが少なく徒労は多い、これが社会とゆーものなの?(今までである意味いちばん劣悪な就労環境だ↓)

本読みたい。でももう目が言うこと聞きません……(涙)。そろそろオチないと涙目になってきたナリ。
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新世紀エヴァンゲリオン ゴスロリ・レイ (1/6スケールポリストーン製塗装済み完成品)
新世紀エヴァンゲリオン ゴスロリ・レイ (1/6スケールポリストーン製塗装済み完成品)

……以前、アスカのゴスロリver.が貞本氏の手によって描かれ、立体化もされ好評を博したらしいのだが、いつも思う。
何となく、私が思う「ゴスロリ」の服とは、文法が異なっているのではないかな、と。

ゴシック・テイストなロリィタ服、というのが所謂「ゴスロリ」な訳で、クラシカルにして何処か厳かかつ暗く重い何かをレエスやフリルの重なりをも以て表しており、それが愛らしさやあどけなさと共存するアンバランスの中の絶妙なバランス、を取っているのが「ゴスロリ」だと思い込んでいる。拘束するかのようなコルセットにビュスチェ、夜に融ける色合い、幾重にも重なる布、過剰なまでにデコラティヴでありつつも荘厳さが漂う、というのが理想ではないかな、と勝手に。

……このレイのコスチュウム、「ごすろり」か??

フリルとレエスで固めればゴスロリって訳じゃ無いと思うんだが。でもって、鎖等のアイテムは、この使われ方にして着衣からすると、テイストとしては「ゴスパンク」の系列に近いものに見える。あと、無駄に露出多すぎるのも何だか違和感が。これでもかと包み込むことで生まれるストイックさが淫靡さに繋がっていく方が好みな私としては、安っぽいなあ、と思ってしまうのだ(「ゴスロリ」と銘打ってなければ、逆に素直に「おお、可愛いかも」と思えたのではないかと思う)。

で。男性が多分原型を担当しているのだと思うのだけれど、何というか、「ゴスロリ」ファッションを自分なりにアレンヂしているのか、あるいはある意味オレ的ゴスロリなんだ、と割り切っているか、はたまたまったく理解していない・衣装/意匠としての「ゴシック・ロリィタ」を創り上げているか、のいずれかにしか見えない。これぞ「ゴスロリ」! と言いたくなるようなものはあまり見かけない。
惣流・アスカ・ラングレー ゴスロリver (1/7 完成品)
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この「アスカ」のゴスロリver.にしても、やはりそうで、「ごすろり?? そうか? 何か違わないか?」と思ってしまった(「EVA」における貞本さんの描く「日常着てそうなごくフツーの私服」は割と「ああ、可愛いかも」と思えなくもないんだけど、「ちょっとおされしてみました♪」な時は微妙な気がする……。初登場時のアスカの黄色のワンピには正直吃驚した。アニメ的にはある意味正しいんだけど、14歳にして大卒の背伸びしたがりの女の子が着る服、にはちょっと見えなかったんだよなあ)。
微妙に、「私が思う」ゴスロリからは外れてるんだよなあ。ゴスロリと思わなければイケてなくもないのだけれど。……うう、微妙……。

経済上の理由から言っても買えない・買う予定が無いヤツが言うなよ、てなもんですが↓
CLAMP Newtype PLATINUM (クランプ ニュータイプ プラチナ) 2006年 10月号 [雑誌]
B000ILZ4JS

なんだ。やれば出来るんだ。いや、待て。これはたまたま焦点を絞ったから、であって、通常ver.ではないからか?

角川から出ているアニメ雑誌「Newtype」は、正直特集内容に期待して買うと肩透かしを喰らう(……ええ、「EVA」全盛の頃とか、特集組んだりすると買ってましたよ……ハハハ……)ことがほとんど(頁数が少ない・内容が薄い。あまりのウスさに吃驚した。何処が特集? と疑問符がアタマの回りを飛び回るぞ)なんだけど、コレはちゃんと楽しめた。
連載・掲載された作品がほぼ全部休止中な角川で今更ふぃいちゃあして出したのは何故なのかは分からないけれど、ちゃんと(…)全編CLAMPの作品についての記事で、カラア・イラスト等の収録数もなかなかのものだし、自社掲載作品がメインなのもまあ御愛嬌。今後、休載中の作品を復活させるつもりの前哨戦だと嬉しいのだが、それは何となく望めないような気も。だからこそ「?」なんだが。

注目すべきは、休載されたまま3年は経過してしまったコミックス未収録分の「X(エックス)」をまとめた別冊付録がついてくる、という点だろう。コミックス派だったために正に初めて読むことが出来たので、それはそれで嬉しかった(文句はつけるがちゃんと既刊のほぼ全てを購入して読んでいる私)。つくりが同人誌みたいなのは笑ったけど(ホントに、見事なまでの「同人誌」的つくり・笑)。休載前の絵は、何となく描線が粗いなーと思ったことを除けば絵的にも「X」の絵だったし(ちなみに、本誌の方に描き下ろしパロディ風のショート・コミックが掲載されているのだが、そこでの「X」キャラたちはすっかり今連載中の作品のスタイルで描かれていてちょっとだけ「……」だった。今回の表紙は描き下ろしだそうで、今でも描こうと思えば描けるんだな、とやや安心した矢先だっただけにちょっと背筋が凍ったぜ↓ もっとも、何だかもう復活しない気もするけれど)。

もう一度CLAMPをふぃいちゅあして出すらしい(10月25日発売予定)ので、そっちも購入してみようかと。「こばと。(仮)」が「サンデーGX」を抜け出して「Newtype」に移籍(?)し、「こばと。」として新たに連載開始だというのに連動しただけ、なんだろうか(それにしても、「サンデーGX」の編集サイドからは「雑誌の女神たるに相応しいヒロインを」とか求められて開始した、みたいなことが言われていたのにあっさり他社・他誌に行っちゃうのか? ということは「GX」においては女神になんてなれないまま・以下略)。

お値段と付録の割にお買い得だったかな、と。それにしても、まんが系だから辛うじて読めたけれど、文章モノの本をマトモに読めてないのがカナシイよ↓
Moleskine Pocket Diary Daily 2007
Moleskine
8883705882

今日、あまぞんから到着。今見ると、もうサイトでは値引きしてないのですね。……良かった、値引きしてる期間に間に合ったらしい。前々からカアトに入れておいて、頃合いを見計らっていたのだけれど、買った直後に割引表示が消えているとちょっと背筋が冷える。ほんの数百円でしょ、と笑われそうだけれど、そのほんの数百円が大事な時が沢山あるのよう(涙)。

さて。あまぞんではどれくらいの厚みがあるのか、が画像では判らない状態で、ヨソ様で同じ商品を色々な状態で撮った写真を拝見したので知ってはいたが。

厚い!

本文380ペエジとは知っていたし、画像でも見た訳だけれど、実際手に持ってじっくり見ると「こんなに厚みがあったのか」と驚いてしまった。さすが1日1ペエジ♪(365日分を引いたペエジには、各国の休日や地図等、有益な情報が端的に書かれたペエジになっている)
以前とある雑貨屋で「MOLESKINE」を扱っているお店があったのだけれど、メモ帳ver.なんかはそれほど厚みが無かった。その記憶があるものだから、余計に、殊更に厚く見えるのだ。
来年以降はコレが定番の日記帳になる、予定。消費税がUPしてユーロがさらに強くなったら手が出せなくなるかもしれないけど↓

サイズは文庫本より幅が無く、より手に馴染む感じ。高校生以上の男性なら手にちょうど収まるくらい、だろうか? 指の短い私にも、比較的持ちやすく感じる(ふだんから文庫持ってて、ソレだってそれほど大きい訳じゃないけども)。表紙は「MOLESKINE」の名の通りと言うべきか、表紙の部分は堅牢なつくり。使い込むとやややわらかさが出て、風合いが増しそうに見える(映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」でインディアナの親父の手帳が登場するけれど、それもこの「MOLESKINE」なんだそーで、かなり使い込まれ持ち運ばれたらしく、やや皺が寄りひび割れて見える部分もあるけれど、綴じている部分や背が壊れている風は無かった。映画的演出ではなく、実際そういう風になるのだろうか?)。本文の紙質もイイカンジ。インクが裏移りしなさそうないい紙使ってる♪

裏表紙内側には蛇腹になったポケットと別冊のアドレス帳のようなものがついている。表紙についたゴムでバッグの中でも開いたりしないようになっているのも人気の高さかも(それに、名刺なんかをポケットに多少多く入れてもそのゴムで落ちてくることがないそうで、そういう意味でも好評らしい)……果たして手持ちのブック・カヴァ、というか手帳のカヴァで間に合うんだろうか。やや心配↓

何はともあれ妙にわくわくしつつ到着を待っていたので嬉しい限り。歳が開ける前に使い込まれた風合いが出てしまいそうな勢いでやたら触りまくっているのをどうにかしなくては。
Pinky:cosシリーズ Pinky ゆかた 立ちポーズバージョン
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ようやくウチにも届いたよ…浴衣姿の「Pinky」が。発売が遅くなったのもあるけれど、別な商品も加えて注文したのが良くなかったのか、本来発送されてもおかしくない時期をあっさり過ぎまくってからの到着。しかし季節外れぢゃのう↓

最近、あまぞんの調子がヘンで困る。これも加えた2種のぴんきーと、HQの既刊をダメ元で一緒に注文した。もうとうにHQ社の在庫保有期間は過ぎているのに、平然と「3~4週間以内に発送」なんてヌカしていたから「運が良ければ…?」と一応期待して一緒に頼んでみたのだ。そしたら。いつの間にか発送可能時期が「1~2週間」に変更されている! 吃驚した。でも、とりあえず、あまぞんサイドには嘘か誠かイキオイか、「ざ、在庫なんてあるんだもんねっ。無いなんて言ってないわよ! でっでもある、絶対、なんても言ってないからね!!」と馬鹿っぽいツンデレキャラが吐きそうな台詞を連想させるくらいに堂々と「発送時期」を明示しておったので、これならば一緒に発送されて、めでたく入手出来るかもね♪ などと思っていた。

甘かった。

あまぞんを信用したら駄目、ってあれほど言っただろ!

というもうひとりの自分の冷静な声が脳裏に響いて止まらない。「もうそろそろ発送されてもいい頃だ♪」とアカウントを確認したら、何故か発送時期が変更になり、ぴんきーずとHQは別個の日付が書かれている。えーと。そういう時って、発送可能時期がたとえば9/20だとして、今が9/25だとする。

とっくの昔に発送開始になってる筈じゃないっけか?

ここのところ、立て続けにやられているのだ。発送可能時期に突入してもされず、こちらが問い合わせると「システムの不調がうんたらで…」と言い訳メエルが返ってきて、慌てて発送に取りかかってくれる、というのが。もう連続して3度目ときた。どうしたんだ、あまぞん。発送時期の表示はへんてこになるし、発送可能時期を提示しながらも取りかからない。……不必要に分割発送、なんて余計なことはしてくれるのに。
著者名がちゃんと表示されない商品、というのも増えてきた。検索してもHITしないため、余所に客が流れている、という事実をあまぞん側は知っているのであろうか。
タイトル表記つーのも厄介なもので、読み仮名付にしてないとHITしない、とか、半角全角の違いだのなんだのでHITしない、なんてこともあったりする。だからこそ著者名は大事な情報なのに無いなんて!(記号の「×」なのかアルファベットの「X」なのかそもそも判然としない文字がタイトルに使用されている書籍なんて著者の名前が頼りだったりするのに)
それでいて、関係ない書籍もちょっと同じ文字列が入ってるだけでチョイスして検索結果としてべべん、と出してきやがるし。
翻訳者の名前が表示されなくなったのも残念。翻訳者の名前だって大事な要素だというのに(そもそも失礼ではないか)。

最近のあまぞんは妙な表示に切り替わったり、著者名で検索出来なくなったり、と面倒が多すぎて困る。どうにかしてくれい。

Pinky:cosシリーズ Pinky ゆかた 座りポーズバージョン
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浴衣・座りポオズver.、この画像では「よしこ」の顔を流用しているけれど、実物はちゃんと違っていて嬉しかった♪(よしこ顔はもう何体も持ってるからちょっと遠慮したかったのだ)くーる・びゅーちぃ系のお顔で可愛いです。ヘア・スタイルも従来無いタイプで嬉しいVv もったいないとか言ってまだブリスタから出してもいないけど↓
一時は「何時になったら送って寄越す気だ!?」とかなり気を揉んだけど、催促したら届いたからいいか……(ちうか、催促せなんだら一生送って寄越さんつもりやったんかい)。



蛇足。私が予約した時より今の方が安くてショックよ……。何のための予約だったんだろう↓(そりゃ正価よりは安く済んだけどさあ・涙)
ハーレクイン 2006年 11月号 [雑誌]
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今月はある作品の作画を除けば(…)概ね満足出来るクオリティ。物語は悪くないけれど絵が…というのも結構ツライのだな、とまたしても思ってしまった。ゴージャス感や美しさを絵でも出してもらえないとツライ。のっぺり日本人ヅラで何処が「外国」なんじゃい、な絵で「このひとなんて素敵なの」みたいな台詞を添えられても「……いや、それ、その絵で言っていい台詞じゃないから」としか思えず。まあ日本人作家の描く、日本人読者(それも、おそらくその8割以上は少女まんがを読んで育ったであろうひとたち)に向けて描かれる、「原作付のオハナシ」なので、ある意味少女まんがとして正しければ成立する部分もあったりで、一概にあーだこーだ言えない所はあるけれど(たとえば、物語の中で屈強そうで筋肉質、と描写されていても、絵的に映えなかったり巧く描けない作家さん、つーのはどうしてもいて、でもって、それがうまいことハマらないと折角原作の描写通りに描いても「まんが」としてのウケを考えると微妙だったり、ということがあるので)。

ルージュの刻印
アマンダ ブラウニング Amanda Browning 中村 三千恵
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コミカライズ担当:小林博美(巻頭カラー/描き下ろし)

安心して読める安定感ある出来映え。最初から最後まで「ああ、HQ作品読んだなあ」と思える。
とある秘密を抱えたヒロインと、兄の友人だったヒーローとが久々に再会する。以前から彼に想いを寄せていたものの、その秘密故に愛してはいけないと自分を戒めるヒロイン。でもヒーローの方は彼女を誘惑しようとする。ヒーローは名うてのプレイボーイ、所詮自分にも遊び相手としての関係しか求めていないのかも、いや、その逆だとしたら。それほど嬉しいことはないのに、それだけはあってはならないと自分を押し殺して耐えるしかないヒロイン。
ヒロインがヨットの製造販売に携わる会社の社長でありながら財産を食い潰す以外の能がない馬鹿兄貴のために苦労していると、そこに登場するヒーロー。現状を知られたくない一心で誤魔化しつつ、日々会うハメに。以前にも増して惹かれるけれど、彼を愛しているから避けなくてはいけないとつれない態度を取ってみたりと必死になるヒロインがけなげというか何というか……。

ヒロインの抱える秘密と、ラストを思うと、「そんな簡単に乗り越えちゃえるものなのかなー」と思わないでもないけれど(多分、その辺りは原作のままだろうから、そういうラストであっても小林さんのせいとかではないんだけどね)、概ね満足。ヒーロー、やや強引ではあるものの、終始彼女を優しく気遣う態度が好印象。傲慢だけがHQヒーローじゃないんだ、と安心する(笑)。

ハーレムの花嫁
アン ヘリス Anne Herries 沢田 純
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コミカライズ担当:中村地里(カラー有/描き下ろし)

逃げ出したヒロインが落馬して怪我をしたのをいいことに(?)自分のハーレムに再度閉じ込めるヒーロー。馬鹿のひとつ覚えじゃのう。
そこに、ヒロインの弟と彼の付き添いを買って出た、ヒロインに想いを寄せる男性とが現れ、彼女の行方を捜し、ヒーローの元にもやってくる。話を聞き、すぐにヒロインのことと気づくものの、彼女を失いたくない一心で嘘を吐き追い払う。
もしや彼女には想う誰かが居るのではないか? だから自分の元を去ろうとするのではないのか。疑念にかられたヒーローは、その夜無理矢理に彼女を抱いてしまう。心は抗っても身体は受け容れてしまい、ますますヒーローとの距離を取ろうとするヒロイン。
彼女と弟たちとを隔てる大きな壁を取り壊そうと画策する、元宦官長だった男と、ヒーローを妬む従兄弟により奸計が敷かれようとする。無事逃げおおせ、弟との再会を喜びつつも、ヒーローに危険が迫っていることを伝えずにはいられないヒロインは折角逃げ出した城に自ら戻っていく。

……その、「身体は拒絶しなかった、彼を受け容れてしまったわ~」ってので、「レ○プ」って事実をねじ曲げる展開は苦手なんだが↓ まあそりゃあよくあるパタアンではあるけれど。でも、他の作品であれば、まあ何だかんだとヒロインを言いくるめたり御自慢のてくにっくとやらで懐柔してコトに及んだりするくらいの奸智は持ち合わせてる(←どっちにしても褒めてねえよ)。けど、この物語ではあくまで嫌がる彼女を寝所に連れていって……ってな展開なんで、……あーあ、と。「女は男に従うべきもの」という宗教上の教えっつーものがある、ちうことにはなってるんだけど、何だかモヤモヤしてしまうのはどーにもならん。最後には妻となったヒロインにメロメロ(死語)ってな感じで終わりはするけど、何ともなあ。

プリンスは独裁者?
リズ フィールディング Liz Fielding 片山 真紀
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コミカライズ担当:岡本慶子(カラー有/描き下ろし)

ヒロインは新聞記者。特ダネ求めて奔走中。ひょんなことから突撃取材を敢行しようと目論んでいたとある公国のプリンスとお近づきになれてしまった! さあ、取材してスクープをモノにしてやる! ……と思っていたものの、人柄に触れてそんなことが出来なくなりつつある自分に気づく。さあ、どうする!

崩れきったデッサン、故に人体としてはおかしな構造・構図、妙なファッション・センス、のっぺりした顔にデカい目(少女まんが向き)なのに表情が無く虚ろな瞳、何もかもがどーにもこーにも「HQ」に向いてない……↓(イマドキの高校生同人ちゃんよりも絵のレヴェルは低いと思う、正直なトコロ。で、読み手(というか内情をやや知っているひとも絡んではいるだろうけど)の中に伝わる噂があって、それは、何でもこのHQの雑誌の発行元の編集長さんというのが元某出版社の編集長だったとかで、そのためにその元勤めていた先の作家さんの起用が多いらしい、というもの。この作家さんがドコからデビュウしたのか知った時、思わずその噂をごっくん鵜呑みにしたくらいだ。正直、コンテやネエム以外はどっから直させたらいいもんか、と担当なら悩むトコロだと思う。
物語そのものは優しさと穏やかさに満ちていて、個人的には好きな作家の原作だし、楽しめなくはなかったんだけれど、如何せんロマンティックなシーンやHOTなシーンでは興醒めになることしばし。イラスト描き慣れてきた中学生くらいのレヴェルのデッサン力でもデビュウ出来て作品がコミックスとして発行されている、というのは羨ましい限りだ(小さい頃まんが家になりたい、とか夢見ちゃったことあるひとりとしては)。

舞い降りたヴィーナス
デビー マッコーマー Debbie Macomber 中村 三千恵
4596735980


コミカライズ担当:アリスン(カラー有/描き下ろし)

ヒロインはシングル・マザー。幼い子供ふたりを抱え、路頭に迷いそうになっていた。条件のいい求人を見つけ、面接を受けると見事採用され、図書館司書として現地に向かう。出迎えた男は不機嫌そうで、かつとても尊大に見えた。
だが、とりあえず生活は出来そうだし、思えば子供を犯罪やドラッグとは無縁の平穏な地で過ごしたいと常々考えてもいたのだ。大歓迎され驚くヒロイン。それには「裏」があった。
若い女性が少なく、そのため土地を去り余所に移る者が増えてしまった。飢えた野郎ども(笑)で満ちた町でひとつの計画が持ち上がる。このやや辺境めいた土地に、都会から若い女性を「輸入」することにしたのだ。それを知ってショックを受けるヒロイン。サビシイ子持ちの女は結婚しようと言われればあっさり承諾するとでも思っているのだろうか。そして、……あの尊大だけれど優しさも持ち合わせている男も?

……思っていたよりも楽しめた。実はデビュウは結構以前によく知られる少女まんが誌から、現在はロウ・ティーン向けのえ○まんが雑誌で主に執筆している方だと知った時は正直「別に無理して描かなくてもいいのに」としか思わなかった。
とりあえず、今回の作品そのものは面白く読めた。物語のテンポも悪くないし、男性キャラは(妙に美麗な気もするが)魅力的だし、女性キャラも可愛らしい。ただ、小柄で華奢、とか、細身の身体、というものと、子供みたいに見える幼い顔立ち・身体つき、というのは違うと思うのだが、原作ではどうヒロインは描写されていたんだろうか? あまりに幼くて、中高生くらいか? と思ってしまった。概してアチラの女性たちは年齢に比して大人びて見える(究極ロウ・ティーンでもハタチくらいに見えるなんてザラだ)ことが多いだけにかなりの違和感が……。いや、可愛いとは思うんだけど。そりゃアチラにだって童顔で華奢で小柄な方は居るんだけど。男性キャラも高校生キャラみたいに見えてしまうし↓ 悪くはなかったけど、今後ももし登場なさるなら、作品選ばないとキツいかもしれない、と思ってしまった。
それにしても。以前夏よしみさんがあるミニ・シリィズのスピン・オフをいきなりコミカライズした時も残念な気分になったけど、今回も「オーロラ伝説の町」という6部作の内の1冊をコミカライズ、というのがちょっと引っかかった。いや、別にほかの作品無くても読めるようにはなってるんだけど(原作も)。

来月は星合操さん、曜名さん(やった!)、宝生映美さん(HQ生え抜き。絵がなー。もう少しクドさが取れてもう少しあか抜けてくれればなー)、橋本多佳子さん(来たー♪)というラインナップ。個人的には曜名さんと橋本さんに期待大。楽しみVv
「天使」と「悪魔」がよくわかる本 ミカエル、ルシファーからティアマト、毘沙門天まで
造事務所 吉永 進一
456966685X

コンパクトな本だけに、コンパクトにまとまっていて、読みやすかった。初歩の初歩、みたいなものが解る程度のことが、短い文章でまとめられているので、ひとりひとり(?)についての情報は必要最低限程度。でも、さらっと読み切れてしまうので個人的には楽しめた、かな。
知っていても別にどう、ということはないことにまつわる本は楽しい。誰も困らないよなあ。フツーに生活してて、天使の名前が解らないとマズイ局面に立たされる、なんてことはまずないし、悪魔の性質を知らないからといって孤立することもまあ無いだろう(逆はあると思うが↓)。そういうのを「知る」のが楽しい、のだ。もっとも、文学作品や最近のラノベ(=ライト・ノヴェル。低年齢層でも楽しめる、ファンタシィ系の物語が多い小説。昔は「ジュニア…小説」などとも言われていたねえ…)、ゲエム世界にはぽんぽこ登場するので、その出自を知りたいひとなんてのも結構居そうな気がする。そういうひとにも、多分入門書としては解りやすいし読みやすいからオススメかもしれない。

実はこれに先駆けて出た本をそれこそ先に買うつもりだったのに、こっちから先に読んでしまった。
「世界の神々」がよくわかる本 ゼウス・アポロンからシヴァ、ギルガメシュまで
東 ゆみこ 造事務所
4569665519

これ↑を先に買って読むつもりだったのに。うっかり忘れてて、件の本を先に買ってしまった。「眷属」の方から先に読むとは~(まあ別段困りもしないのだが)。

「毘沙門天」(他)までが「天使」と「悪魔」という括りに入れられているのが興味深かった。「眷属」と思えば「なるほどねー」でしかないというのに。もっとも神として信仰されているアレやらソレ(不敬?)もこの本には登場したりしてるので、ちょっとその辺りは「?」だったりするけれど、広い意味での「天使」と「悪魔」ということらしいので、それを許容出来ない方にはオススメ出来ないかもしれない。ただ、悪魔の方は一応あれこれ称号だとかも含めてメジャーどころから何からあれこれ紹介されている。神と天使は別個だけれど、悪魔はあくまで悪魔な訳ね(←しょーもない駄洒落言うな、と言わないでくれ。私のオリジナルではないのだ)。

ちゃんと巻末に参考文献も列挙されているので、より深く知りたいひとにとっては本を探す一助になることは間違いナシ(私が持ってる書籍も結構入っていた)。
神話や伝説はそれを持つ国それぞれの文化背景の基盤になってるので、どの国のものも面白い。いずれ比較的読みやすくまとめられた、それぞれの国のものを読みたいものだ♪(何時になるんだね、それは)
わたしの紅茶生活―おいしい楽しい12ヶ月のティータイムズ
山田 詩子
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大好きな「12ヶ月」モノで、大好きな山田詩子さんが本を上梓された。嬉しい♪ 紅茶とその周辺のあれこれにまつわるエッセイが読めるのだろうと期待していたら、まさにその通りの内容で、1月から順番に、季節の楽しさ、美味しい紅茶、紅茶にぴったりのお菓子やティ・フード(レシピ付)の紹介、ティ・シングスのこと、日常のあれこれ……えとせとら。

これまでに出された本にもやや似た傾向のものがあったから、ややネタかぶりするかも、なんて失礼にも思っていたのだけれど、そんなこともなく、より御自身にとって身近な話題(お子さん手作りの新聞なんかも載せられていて、とても微笑ましい)だったりで、直接的に「紅茶」のあれこれではなく、タイトルに偽り無く「紅茶のある暮らし」について、かなり個人的なことも含めて書いてある。個人的な事柄も多いものの、「そんなこと言われても他人のワタシにはわかんないよ」なものではなくて、ちゃんと「ああ、なるほど」と思わせてくれたり、「そうか、そういうのが好みなんだ」と山田さんの人柄や暮らしぶりが伝わってきて、何だかより身近に感じられるのが嬉しい。

「カレルチャペック紅茶店」が、近年歳追う毎に功利主義的というか、何だか儲けに走ってるように見えるなあ、と思って勝手に残念に思っていたりしたけれど、山田さん自身がより日常を楽しめるものを、と考えて考案されたグッズとしてあれやこれやが生まれたのかな、と思えるようにもなったり(でも、紅茶専門店でバス・グッズが買えるのって、やっぱりちょっと違和感が・笑)。
そうは言っても、自分が知った頃(1998年くらいだったか…)から数年間にかけて、がいちばん好きだった。紅茶の種類もガーデン・ティ、ブレンド、フレイヴァ、ハーブとあれこれ色々あって、それぞれに特色があって楽しかった。缶が茶葉の種類によって色分けされてるのも好きだった。蓋が二重になっていて、シンプルだけど使い勝手の良さがあるのと機能性の高さも兼ね備えている所が大好きだった。ティ・シングスはシンプルで使い勝手が良くて上品な仕上がり。
最近、妙に可愛らし過ぎるような、と思っていたけれど、ふたりのお子さんを持つ「お母さん」としての側面も出るようになったのかな、と思ってみたり。同じように子供を持つ「カレル」ファンには嬉しいことなのかもしれない。好きな山田さんのイラストが入ったグッズが自分の生活の中にさらに溶け込んで馴染んでゆく、というのは。

それでも、ひとりでじっくり紅茶を味わう朝や夜があって、気の置けないひとたちとの楽しい時間があって、子供たちや家族と過ごすティ・タイムがあって、とただ「お茶を飲む」「だけ」の行為がとても豊かなものであることが改めて実感出来て、ほんわかした気分になれる。

夜寝る前に、じっくりゆっくりゆったり、読みたい分だけ読んで寝る。ひと月分の時もあれば、ほんの数編の時も。一篇一篇はそれほど長くないからだれることもない。もっとも、ずっと読んでも飽きもしないのだけれど。

これから紅茶がますます美味しくなる季節。飲みながらのんびりした時間を過ごしたいなあ、と思う。
タイトルの元ネタのわからん中学生以上は反省するように。

……いや、本当にそうなのだ。山間にある。そこで働くことになってしまった。何となく、で面接受けたらこれがまたエライ厭~~な印象を持ってしまい、しかも何だかしどろもどろな受け答えしか出来ず、「……ま、いっか。どうせ駄目モトで受けたんだし」などと思い、「どっかまた探すかー」と思っていたら「採用、ということで」と連絡が。

何で?

素直に、率直に、何故私を採用したのかがわからん……↓ いや、まあ、有り難い、とは思うけど。

そして俄に始めるオベンキョウ。そのために買った本がコレ。
くらしのやきもの事典―昭和の名品と全国の窯場
MCプレス書籍編集部
4901972480

とりあえず、日本の焼き物関係についての知識を体系的に、しかも簡略化された情報でとりあえず手に入れたい、と思って、試しに買ってみたもの。……悪くないです。写真豊富で綺麗だし。コンパクトにまとまってて、見易い。ああでも惜しむらくは和食器そのものについてさほど詳しくない、ということか。くうううう! 和食器も今では色んなアレンヂの仕方があって楽しくて、以前買おうと思ってたんだよなあ。その前に洋食器アホほど買っちゃったんで結局我慢してるけど。

……ええ、まあ、そういう仕事、なのです。焼き物に強くならないかん、食文化の知識蓄えなならん、文化だ歴史だと知らなくてはならないことがてんこ盛りな素敵な職場よ、ええ。楽しいと言えば楽しいのだけれど、如何せん「自分の時間」を確保するのが難しく、困っている。何か調べたり読んだりしたいと思っても、帰宅時間が10時過ぎで起床時間6時台(7時に限りなく近いが・笑)、家のことやらあれこれやってる内に時間なんてあっという間。寝ないと身体が保たないし(睡眠導入剤に頼らねば眠れぬ私が薬無しで昏倒するように眠り込んでいる)。会社の部長からはしょっちゅう「漫然と仕事すんな」と言われるのだが、……漫然とどころか緩慢な仕事っぷりが残業を(以下略)。
ああ、時間が足りない……。というか、居るのか、やはり。何時間も残業あっても手当もつかず、自分の生活・暮らし、というものが蔑ろにされちゃってるヒトってのは。そういう会社ってゴロゴロしてんのか!?(涙)

焼き物云々とは言っても、私が携わっているのはとある焼き物のみで、お客様との会話や知識・常識として全般知っておいた方がいいかな、と思って勝手にあれこれ調べたりしている(でも、時間無くて九州出来てないのがセツナイ)。

地味に激務で、この先も続けられるのかは謎。有り体に言えば不安。というより無理があり過ぎてなー……↓ 働いても働いてもゼニの花が咲かんのどす!

でもとりあえず頑張ってみる。
ろくろ倶楽部
B000GTC6AC

家庭で出来る陶芸、みたいなのが今ハヤリなんでしょーか。以前ネット書店で何となくあれこれ見ていたら「オーブンで焼ける陶器」みたいなタイトルの書籍があってちょっと驚きました。それ専用の粘土があるのかしら?(いや、フツウ、陶器だのって1000℃以上の高温で焼くもんでしょー? 違った?)

趣味でやってらっしゃるシロウトさんでも、大変お上手な方がいらして吃驚する。私は「道楽」ちうのは本来は極めてこそナンボ、情熱注いでこその粋だと思っていて、だからこそ、「いやいや、ま、何ですな、趣味の手遊び(てすさび、と読んでくれい)なんですよ、暇ですからねえ、ハハハ」と言いつつ日々研鑽を怠っていないらしきその作品を見ると思わずニヤリとしてしまう。

最近少し陶芸について学ぶ機会を得てしまい、「……何にも知らねえなあ、ホントに」と思ってた矢先にあまぞんで紹介されていたろくろ。なかなかの高級玩具だのう。ちゃんと、これ専用の粘土なんかも一緒に発売される模様。すごいなー。初歩の初歩から一応あれこれ教えてくれる解説書のようなものも付いてくる(まあ当然と言えば当然なんだが)だろうから、ドシロウトでもイチから楽しめます、ということかねえ。家でこっそり色々試してから文化センタアの講習会デビュウ、とか(笑)。
ろくろ倶楽部専用土・赤色
B000HEZEI2

生来不器用なのであまり「つくりたーい♪」な気分にはなれないのだけれど、すでにつくられてそこにあるものは大好きだVv お陰で無駄に食器持ちになってしまったが(……そもそもC&Sのセットを2つも持っている必要が何処にあるというんだろう? 紅茶用のポットが5つ以上あってどうする? 皿なんて何人招く気なんだよくらいあるし。マグ・カップに至っては笑えるくらいある↓)。
テイストが違うと欲しくなる。磁器と陶器では趣が違うから、アイテム同じでも持ってても欲しくなる。……溜まるねえ。怖ろしいくらい溜まるねえ。カネもそんくらいの勢いで溜まってくれないもんだろうか、なあ、ホリ○モン(←尋ねる相手を間違っているようないないような)。

とりあえず何か手軽に色々判る本が欲しいのでこれでも買ってみようかと。
くらしのやきもの事典―昭和の名品と全国の窯場
MCプレス書籍編集部
4901972480

日本のもいいけど、欧米のもいいし、アジア圏の焼き物もなかなか楽しそうだし、さらに飛んで中東やアフリカ辺りも面白そう。ほかにもいい本は無いか探してみなくては。
……と尋ねられたら、私には「何もないです」としか答えることが出来ない。今まで随分漫然と生きてきちゃったんだなー、としみじみ思う。スキルがない。才能もない(育てる努力、というものもしなかったし)。

そもそも、目的、とか、目標、というものを、持ったことがない。夢、とか将来の希望、というのも特になかった。だから、小さい頃に「大きくなったら何になりたいのかな~?」と「無邪気に」尋ねてくる大人が大嫌いだった。

無いと駄目なのかあ。

いつもそう思っていた。そして、

何も無いんだよなあ。

とも思っていた。そして、今に至っている。困ったものだ。幼稚園の頃、どうしても「将来の夢」みたいなものを答えなくてはいけない時があって(確か、卒園記念の、小中学校で言う卒業文集みたいなもので、だった)、仕方なく「かんごふさん」と答えて茶を濁したことがある。そうしたら、案の定、数年後に母に「アンタ、子供の頃は看護婦(当時はまだ「看護師」という呼び方は無かったです)になりたい、って言ってたじゃないの」などと言われる始末。

言ったからにはならなくてはいけないような気がして、それが厭だった。なろうと思ったら、努力が必要で、才能もあった方がいいなんてことくらい、小さくたって解る。だから、物理的に、あるいは精神的に、いずれ「なりたい」という気持ちが摘まれてしまうのか、と何だか悲観してしまうのだ。
それと、無邪気に「およめさん」と答えられる女の子が結構居て、それも羨ましかった。まあ、「ヨメ」が本来持つ(あるいは負わされている)概念が無く、「綺麗なドレスを着た幸せそうなひと」になりたい、と思ってのことだったのだろうけれど。……ぶちゃいくだから、そんなもんになれる、なんて思うことすら無かったぜ(そして見事に現在に至っている・笑)。

幼少の頃から、どことなく生きることに疲れていたので(はっはっは)、目標だの目的どころではなかった。

……あった方が、やっぱり、良かったんですかねえ……。

「仕事」、というものに「生き甲斐」を求めたことがない。さらに言っちゃうと、「やり甲斐」もそれほど求めていなかった気がする。自分みたいなのでも雇ってくれて、働かせてもらえて、それで食っていければそんなに有り難いことはないやー、という感じであった。志、つーものがカケラもない人間なのだ。そして、未だに「やり甲斐」や「生き甲斐」を仕事に求めていない。多分、私がいつもふらふら海月よろしく漂っているのはそのせいなのかもしれない。
「ウチはね、賃金は低いけど、でも、やり甲斐はあるよ!」
などと言われても「え。実入り少ないんだ。そっかー。でも大変な仕事、ってことなんだね? なるほどー」と思ってしまうタチと来ている。
入りたての頃なんかに「思ってたよりキツいでしょ?」と声をかけられると「……大変じゃない仕事、なんてそんなに無いと思うんだけどなー」とぼんやり思いつつ、とりあえず疲れた顔で苦笑して見せる。
そりゃまあたとえば接客業であれば、お客様に喜んで頂けたら嬉しいなあ、とは思う。お金頂いてるんだから、頑張ろう、とも思う。でも、それだけ。一緒に働いてるひとに迷惑かけちゃいけないから、出来るだけ早く仕事覚えよう、でもって協力し合って早く終わらせよう、とも思う。でも、それだけ。

そういうツケみたいなものを、今支払わせられているよーな気がしている。貪欲さ、というものが無い。「まずは現状維持。それからじゃないかなあ、向上を図るのって」と何処か暢気というか、……使えない思考の持ち主だ。それと同時に、内心は「現状維持すら出来てないんじゃないのか!?」などと、ものすごく焦っていたりするのだが、どうもどんくさいので更に暢気に思われているような気がする。

やってみたい仕事、というものが無いでもない今は、多少マシになった気がするけれど、でも、それを「仕事」にするにはかなり時間がかかるだろう、何時になることやら、と何だか他人事だ。

これから、どうするんだろう、私、とやはり他人事みたいに何処か遠くを見ている。

何も見えないって。
偽りの愛はいらない
ジェニファー・グリーン 葉山 笹
4596609683

毎月最低1冊読めば、12ヶ月で読破出来るじゃないの♪ と思っていた私が馬鹿でした……↓ 必ずしも本読みたい気分じゃない時だってあるし、ろまんすじゃなくミステリがいいな、という気分の時だってあるし、絵本や写真集がいい日もあればカタログ眺めて楽しいな、な時もある。
甘かった……ようやく読み終えたよ……「富豪一族の肖像」ことフォーチュン家の物語第1シーズン(勝手にそう呼んでる)全12冊の内の最終巻ーっ。長かった……↓↓↓ 再販ver.も、つい最近刊行されたばかり。それすらにも追い越された訳だが(くそう!)。

大富豪にして全米でもトップ・クラスの企業フォーチュン・コスメティクス社の新開発商品に端を発し、飛行機墜落事故、殺人事件、身内の逮捕ととんでもなく不運に見舞われまくりの割にはその都度ロマンスが発生し、「そんなんしとる場合か!」な状況なのにもかかわらず結構元気なひとたちの物語もようやくどうにか(一旦)終了。
前の物語で一族の長・ケイトが実は生きていたことを明かし家族の前に現れ、さああとは殺人犯を見つけ出してケイトの息子を無実の罪から救い出す「だけ」となったフォーチュン家。物語の初期からずっと探偵を雇って調査をさせることに対して陣頭指揮を執るかの如く淡々と活動していたミステリ作家にしてケイトの末娘・レベッカと、彼女に振り回される(ははは)有能なる探偵・ゲイブのロマンス。

レベッカはミステリ作家、と家に籠もりがちな仕事を生業にしている割には行動派で、とにかく危険も顧みずに動き回る。有能であるゲイブにとって彼女はピンの抜けかけた手榴弾も同じ。しかし、彼女が「女性の勘」だのを振りかざしてはこれまで見逃されてきた証拠や手がかりを発見してしまうのも事実。どんなに危険な真似は止せと言われても、聞いた試しがないためにゲイブは落ち着かない。それに、その美しさや、本当は内心では怯えて辛い思いをしてることにも気づいてしまい、自分を窘めなくてはならないハメに。
一方レベッカもレベッカで、明るいとは言い難い過去を持つ彼に想いを寄せ、ゲイブに愛情というものを注ぎたいと願っている。
ある時、彼女の命をつけ狙う人物に襲われた時、ふたりはベッドを共にしてしまう。ゲイブは「責任」を感じ、レベッカは「愛情」だけを持っていた。故に微妙に感情がすれ違ってしまう。
「もし妊娠していたら、連絡してくれ」。
そう言って去ったゲイブに、レベッカは自ら連絡を取ろうとはしなかった。たとえその身の内に新たな命が本当に宿った時も。さてそのあとは、……。

レベッカが無茶ばかりしていて、何というか、ホントに小説だからアリだね、というくらいあれこれ勝手なことをやらかす。こんなクライアントを持ってしまったゲイブが気の毒でしょうがなかった(笑)。
今回は、ヒロインが無茶しいなのを除けばあまり不快感を感じることなく読めて、素直に楽しめた。やはり私にとっては男性キャラがどんな人物か、がより重要らしい。野郎が馬鹿で傲慢で強引で自分のことしか考えてないすっとこどっこいだと苛々してしょうがねえ(笑)。でも、今回のヒーロー・ゲイブは任務に対して誠実かつ実直だし、生真面目なくらい。ただ、愛情、というものと無縁の人生を過ごした分、やや頑な。そのゲイブに、まああれこれ対抗するかのようにやらかすきらいはあるものの、率直に感情や思うことを伝えてぶつかっていくレベッカもキュート(時々鬱陶しいが↓)。

ロマンスの部分と、事件解決への筋とが絡んで、テンポよく進んで、事件は比較的アッサリ解決するのだけれど、「ふたり」の関係に関してはその後もじりじりとゆったりと進んでいって大団円、という流れ。事件解決よりもロマンスに重きを置くのがやはりロマンス小説たる所以でありましょうか。

この後確かクリスマス短篇集が来て、どっかーんと第2シーズンが来て(全16冊…!)さらに続編続編と続くのだ。ああ、眩暈がする↓ なんぼなんでもそこまで続くものとは思ってなかっただけにちょっとキツくなってきた。でも買っちまったもんはしょーがねえ!(ヤケ)
ああ、でも、何時本当の意味で「読み終える」日が来るんだろう(涙)。
エア・ギア 15 (15)
大暮 維人
4063637174

……見直し手直し休載他社での並行連載、と遅延する理由ならヤマほどあるグレっちの「エア・ギア」最新刊がようやく出た。またしても「限定版」はピンズ付。まあ可愛いし嫌いではないので嬉しいのだが(当分続くぞ、「限定版」てえのが↓ それなりに物語にマトモに関わったチームが多いし、ショボいチームですらちゃんとエムブレムあるくらいなのでねえ。まあメジャーなチームのをつくるとは思うけど)。

「眠りの森」王蟲vs「トライデント」所属「ナニワの毘沙門天」ことベンケイ(いずれもエライ名前だが女性だ)とのバトル。カズの復活と「炎の王」継承への布石(?)。イッキ退院、それを祝って林檎たちが祝宴を開くものの、その夜林檎の調律者・奏音(カノン)によってバトルへと雪崩れ込んでしまった林檎とイッキ――で以下続刊。

王蟲対ベンケイのバトルはなかなか見応えアリで楽しませてもらいました。王蟲とベンケイはちょうど正反対なある種の美女同士なんだが(王蟲はビミョ~に美女・美少女ちうのとはチガウ気もするが)、好対照にして好敵手、同等のレヴェルの者同士のイカしたバトル。動きに躍動感があっていいなー。定評のある「デッサンが面倒な物体の描写(今回は主に水と水泡)も相変わらずの美しさ。正直、物語においてそれほど大きい意味を持つバトルではない、んだけど(かなり巨視的に見れば、まあまあ重要、なのか)。おまけに、「走り」で魅せるというよりも、王蟲ならば玉爾(レガリア)の特性とその高度さ、ベンケイも蹴り炸裂、ちうカンジで、この物語で言う所の「キューブ」(限られた空間内での肉弾戦、という趣。なんつーか、純然たるA・T(エア・トレック)による「走り」やジャンプ力・トリック(技)で魅せるというよりも、それを利用した殴り合い、という要素が強い)に近いのがやや残念な気がしないでもない(勿論、パワー・ライド系に見えて速度の点でも劣ることのないベンケイの走りの確かさとか、王蟲の身のこなしはそれなりにイケてんだけど)。
それにしても潔く「散る」こと、そこまでして「眠りの森」が遵守していると思しき「トロパイオンの掟」に従うことを良しとする王蟲や蛾媚刺(媚の字は便宜上の使用)に、一体どんな思考・思想が潜んでいるのかまったく判らない(それを言ったら林檎や蜜柑たち野山野家シスタアズの「真意」も謎のままなら、林檎がいつも「眠りの森」の「正統後継者」と敢えて「正統」であることを強調される理由も明らかにはされてない。「正統」とは言われても、本当にチームのトップなのかどうかも不明だし。そんな訳でキリク黒幕説はますます濃厚になるんだが)。今後それなりに判明していくことは多いんだろうけど。

次元の違いを見せつけられて意気消沈どころかやる気すら失せたカズがよーやく復活。とりあえず自分も「チームの一員」で「為すべきことがある」と実感出来たことにより立ち直った模様。そして、どんなにヘタレても見捨てないエミリが最高可愛い(笑)。好きな男がヘタレてるのを見てるのはツライのに、エミリはそれでもカズから離れないし、それどころかいい所を即座に見つけてそれを絶賛しまくる。……ほんっっっっっとに可愛い。カズは浮き沈みのハゲシイ、悩み多きオトシゴロらしく、UP&DOWNがすんげえのだが、それでも見捨てないエミリが好きだ。ついでに、カズを尊敬すらしていた、とキッパリ言い放ち、最終的には見捨てるのではなく「仲間」として闘うことを選んで最後を託したブッチャも男前。正直、主人公イッキよりもナカミは男前かもしれぬ(笑)。

そしてよーやくイッキ復活。つまりアレか、コイツが居ると進む部分が進まない、つーことか?(主人公なのに・笑)まあ居れば居たで無茶苦茶やらかすだけではあるが。しかし、実は膝の怪我を理由に入院していたのは本人は知らないものの偽りで、この間に前・「風の王」である空に猛特訓をされ、「空の王」の座を目指せる最低限(空によれば、だが)の能力を手に入れた模様。今後それがどうどのように体現されるかが楽しみなんだけど、……コミックス未収録分(つまり次巻以降分)ではあんなことやそんなことになっていてカナシイ……。

ようやくシムカの双子の兄・キリクこそが旧「眠りの森」を壊滅させた張本人であることが明示され(……本誌読んでなくてもネットのお陰でねえ)、今後どう動くのかが楽しみではある。

個人的に困った(?)のが調律者集団・チーム「トゥール・トゥール・トゥ」、それも枢(くるる)が出張りつつあること、かな。中立の立場を取ると言いながらも敢えて林檎とイッキの間に不和(「現実」、とも言う)をもたらした奏音も鬱陶しければ、「私になんて無理ですぅ」なんて言ってたクセに突然やる気満々でイッキの調律者になる、と気張り、さも自分はイッキを理解出来ているかのようなことをヌカす辺りが何ともウザイ↓ 林檎がイッキを想い続けてきた時間の長さと深さを思うととにかくウザイ(ええ、私はベタなかぽー好きですともさ)。

ラストは互いに敵対する以外無い、ただしそのことで自分のことを理解出来る筈だ、と「荊の王」としてイッキに宣戦布告しバトルを仕掛ける林檎の姿で〆。……ああああああああああああああ(涙)。

次巻もドトーの如く進むのであろーか。楽しみだけど、枢の存在やら調律者どもが鬱陶しいてかなわん↓

表紙を華々しく飾った彼だが、本編では何と2コマしか出ていない。しかも1コマは宴会で飲み過ぎてゲロを吐き、それを「アイオーン48の宴会芸」のひとつ「時の逆流」とヌカしくさりやがった素敵野郎であった。いや、好きだけどさ、この表紙……。ゲロ吐いても好きだけどさ……(笑)。

とりあえず今いちばんお気にの「少年まんが」なので今後もやはり期待しまくりなのであった。
ツバサ―Reservoir chronicle (16)
CLAMP
406364667X

……いやあ、自分でも驚くくらい前の巻の話を憶えていない(はっはっは)。何というか、それほど読み返す気にもならない、というか。新旧キャラ、の旧なキャラがあれこれ出張っていて、既存の作品の世界観をちょっと引きずった世界になってて、そういうのは辛うじて憶えてはいるんだけど。自分を惹きつける程のものが少なくて、「ああ、はい、またそういうのですか」みたいに冷め切った目で見てしまう。

ようやく少し話が動いたというか、多少躍動感を感じないでもない展開になった、ように思う。
小狼と、もうひとりの小狼。ふたりの関係性と飛王(フェイワン)の叶えたい夢との関わり(ちなみに、後者は未だに明らかにされていない)が少し明かされ、2人の小狼は対峙し、闘うことに。「自分たちと行動を共にしてきた」小狼を救いたいが為に大きな犠牲を払ったファイ。彼を死なせずに済むのかと「次元の魔女」こと侑子に尋ねる黒鋼。「ある」と答える侑子。待て次巻、と。

15冊も費やしてやっとココに辿り着いたのか、と思うと、感慨に耽るよりもまずため息が出る。……長いねえ。無駄に長いよねえ。「聖伝」の回りくどさ(物語の最初にすでに予言が為され、そのために何が起こるか、どうなるかは読者は予め知っている。その顛末・詳細がちんたら描写される、のがあの作品における「物語」部分だったもんで、……ふー……)を思い出すなあ。
小狼が築いてきた周囲の人々との関係性や絆、そういうものに重みを持たせたい気持ちは解るけれど、それにしたって長かった。おまけに、何一つメイン登場人物たちの旅に大きな進展が無い。ひたすら飛散したサクラの「記憶」を探し求めて数多あるらしき「世界」を渡り歩いてるだけと言えばだけで、その中にちまちまとそれぞれの人物のあれこれが差し挟まれることで膨らませている、のも解るんだけどねえ。

如何せん、無駄に長いねえ……。

長いというより、ひとつひとつ何を省いて何を描くか、それの取捨選択が私好みではないのかも。細部こそが面白いのだと思いたいけれど、これからまた延々時間とペエジ数割いて伏線回収・謎解明されるとなるとあとどんだけ続ける気なのかと正直ゲンナリしてしまう。それでいて、妙な所は謎のまま、にされてしまうから何となく落ち着かないというか収まりが悪くて厭というか。
見開き大ゴマ裁ち切りばしばし、もあれだけあると疲れるぞ。「全部見せ場なんです!」ってことなんだろうか。「見せ場」は「魅せ」場なんだから、やはりここぞ、という所でここぞ、というコマ・展開の場であって欲しいのだが。

まだまだ続くんでしょうか。友人なんて50巻超えた「コナン」を長いと言いつつも迎えるであろうラストを期待してまだ待ってるけど、私は高々16冊で「いい加減にしろい!」とキレそーになってしまっている。全体的にのっぺりしてるからなあ。もう少し緩急つけて欲しいもので。
ああ、でも、小狼にある種の成長が見られなかった伏線解明ではあるのかね。あの設定というのは。それでいて、定番の「でもそれはくつがえされるんです!」という展開に雪崩れ込んでゆくのでしょうか。をっほほほ、いい加減飽きてよ、その展開は。でもやらないとあの設定は死に設定かしら。

地球の存亡に関わるひとたちが久々に登場しつつも見事にほーちされつつ終わった1冊でした。次巻はどうなるのかしらー、と一応期待してみる(でも既存キャラであまり掘り下げるな! とも思ってしまう、と↓)。
エア・ギア限定版15
エア・ギア限定版15

おお。ホントに「スーパーホモ星人」(エミリ談)にして「アイオーン・クロック」こと左安良が単独でカヴァを飾っている(笑)。「王」でもなく、ある意味美味しいサブ・キャラだっちうのに単独でカヴァに登場かよ。吃驚だ。嫌いじゃないから嬉しい、けど。将来「王」になるかもしれないカズの立場って一体……(遠い目)。ウスィ~からか? 存在がウスィ~~からなのか!?

――良かった。無事に注文出来た。一安心。「エア・ギア」限定版は同じ掲載誌のアレとかソレの限定版みたいに事前に予約を受け付けないから困る。何で?? ハケてるじゃん! 売れてるじゃん!(それなりに。アニメ化されたせいで前以上に売れてると思うんだが……)
早く手元に届かないかなー♪ 今回はとりあえず王蟲と「ナニワの毘沙門天」ことベンケイのバトルから拝める、んだったっけか(前の巻が王蟲嬢の見事に張り出したケツ…いえ、尻のアップで終わっていて凄いことになってたなあ)。

それにしても刊行ペエス、やはりほかの作品より遅いよーな気が。手直し・描き足しが多いからしょうがないのか。絵のクオリティの高さがそれほど落ちないのと他誌と並行、ということを考えればしょーがないんだろうか。ほかのコミックスがもっとぽんぽんすぐに出てる感じがするだけに余計感じる。ううう。

今回の特典は前回同様エムブレムのデザインを流用したピン・バッヂ。「ジェネシス」、「トゥール・トゥール・トゥ」、「ポチョムキン」の3種と来たか。「ジェネシス」の読みしか当たらなかったな…(てっきり「シムカ」とかオイシイと思われそうなのが来るのかと思ってたけど、当分ピン・バッヂ付が続きそうにも思えるから、そこそこウケそうなのを後々まで残しておかないとヤバイんだろうか)。某所では「トゥール・トゥ」ではなく「レザボアドッグス」と言われていたんだけど。

とりあえず届くのが楽しみ♪
物欲ネタは「本館」で綴るとして、ココではさらに「AtoZ」にまつわるあれこれを少し。

弘前市全体、もっと大きな括りとしては青森県そのものも色んなカタチでこの企画を応援しているのだけれど(何と近隣の市でも小さなレクチュアとかあるらしい)、やはりいちばん色んな意味で応援しているのは地元弘前。
奈良くんが是非、と地元の老舗の菓子舗やパティスリィに要望を出して、オリジナルのスウィーツを販売することを提案したために、弘前の色んな場所に散らばる15店舗から色んなお菓子が売られています。どれもこれも可愛いのだ! お菓子の種類にも因るけれど、大抵そこそこ日持ちのする焼き菓子で、可愛い奈良くんの絵の焼印が入っていたりします。
ちなみに、実際展示が行われている「吉井酒造倉庫」では見本のみ置かれていて、会場では買えません(時節柄、店頭でのみ販売、とのことで)。15店舗を示す小さな地図が配られています。お目当てのお菓子があれば、直接お店に足を運んでもらうことになっていて、全部回ろうとすると否が応にも(笑)弘前散策が楽しめるよーになってます(いい運動になるが、……正直会場で堪能しまくりーのも含めて当日で全て制覇しようとするとなるとかなりの体力と根気が必要かと)。
たまたま会場から近いこともあって、友人と一緒に「開雲堂」さんへ。ここは老舗の菓子舗で、洋菓子もあるのですが(ちょっとレトロな雰囲気があって可愛い)和菓子メインのお店です。お店の佇まいとか、変わってないなー(私が住んでいた頃はかれこれえーと何年前だっけ↓ ヘタすると私の母が女学生だった頃から雰囲気は変わってなさそうだな)。
ここではサブレともう一品買うことが出来ます。友人と私はそれぞれサブレを購入。たまたま同じように「AtoZ」から流れてきたらしいお客さんもお菓子をお土産にするつもりか買っていかれてました。かなり日持ちするのでまだ食べずに眺めている↓(味やどんなものかはいずれレポオト予定)

ならねぷた。また、「まちなかカフェ」なる新たな建物があって吃驚した。うう、街が、また変わってるよー(涙。おかげで道間違ったんだよな↓)。どうやらふだんは地元のグッズ(主に林檎ネタ、というのがらしくていい)も扱う、カフェテリア式な休憩所、といった感じの施設らしく、PCも置かれていてあれこれネットで検索したり、が出来る模様。イヴェントの告知のフライヤアがあったりで、広報も兼ねている、のかね。今回は「AtoZ」に協賛してのことなのか、コチラも一応今回の企画に連動したカフェ、という体裁を取っているらしく。……なので、「ならねぷた」も展示されてました。ちょっとコワ可愛いになってるのがいいなー。
まちなか・中から。まちなか・外から。外からの眺めと中からの眺め。私たちが訪れた時は、学校帰りらしき高校生の男の子がやや黄昏れて座り込んでたり(疲れてんだね、お若いの)、ひともちらほら。
DJブースくらいのこぢんまりしたスペエスで、お姉さんがドリンクなんかを提供してくれる。その側で、今回のみだろうけど、奈良くんの作品集等が販売されてました。多分期間中はここでもスタッフTシャツや作品集が購入出来そう。

今回のキィ・カラアとでもいうのか、ライム・グリーン(と呼んでいい色であろうか)が街のあちらこちらで見られました。それを見るとしみじみと、「おお、『えーとぅずぃー』を見に来たんじゃのう」という気分になれる(どうでもいいんだが――いや、ある意味良くないか――「AtoZ」は何と発音するのが正しいのだ? 私は米語読みで「えーとぅずぃー」、友人は英語読みで「えーとぅぜっと」と呼んでいたのだが)。パンフや配布されるフライヤアの類の色なんかはこの色で統一されていて、妙に可愛い。すっきり引き締まる感じもするし。清々しいのと甘いのとちょうどいいカンジ。この色の新作グッズもげっとしてきました。去年のとお揃いだーっ!!(って去年のとどう違うかは「本館」で。←しつこい)

弘前甘味処巡りもしたかったなー。去年はチョコレイト(チョコレイトの表面に、奈良くんの絵がきん色でプリントされてて可愛かった!)があったけど、今年は期間が夏から秋にかけてだからか無かった(去年は春頃で、雪すら会場の片隅に残ってた頃だからのう。夏場はショコラ系は弱いのでねえ)。フロマアジュとかとにかく色んな種類があって、それぞれのお店なりにつくっていて食べてみたかったのことよ。
ちなみに、カフェで食べたあれこれもなかなかにぐー♪で御座いました。

ああ、やっぱりまた行きたいなー(涙)。
いきなり寝る。

メーラーは「Post Pet」。以前まで飼っていたテディ・ベアの「ろいえんたーる」がその任務を終えて「消え」てしまった。結構へこんだ。所詮ぷろぐらむのクセに、泣かせるよーな手紙を残して(ああ、それすらもぷろぐらみんぐさ! ああそうさ!)。
しかーし。何時までも悲しんでもいられない。ちうか、戻って来てくれる訳じゃなし。てな訳で、ようやく新しいコを飼うことにした。

さて、どのコにするか。同じくテディ・ベアで何代も、というのも考えたのだけれど、何となく今は見るのがセツナイので、「よし。リアルで飼いたくとも飼えぬにゃんこなどであろうか」と思い、ねこを選択する。……そういえばデフォルトの名前が、大嫌いなヤツと同じ名前だった……↓(特定の誰か、であって、その名を持つ方全てでは当然ないです。同じ名前の方ごめんなさい)
性別。前はオスにしたしなー。よし、メスにするか。
名前。名前ー? 前と同じ出典で行くか。

そんな訳で、新たに飼ったペットは

雑種ねこ(メス) かーてろーぜ(愛称かりん)

にけって~い。……てさ。そこまでは良かったのだよ。初めてだ。というか、今までぽすぺ関係のHP等拝見させて頂いて、皆大抵一様にこう仰っておられるのだが。

「今まで、寝てるペットは見たことがないです」。

それがですよ。ウチのねこときたら、飼って部屋に現れた瞬間、蒲団に潜り込みました。

待てーい!!

何、その自由奔放さ。「民主主義のいい所はペットが主人に無断で眠れることね」とでも言いたいかーっ!!(出典判るひとにしか解らんな、コレ……)
何故寝るか。フツウは疲れてる、が理由らしいのだ。で、こういう時はうんともすんとも言わない。殴っても反応ナシ。お遣いにも出せない。

飼った初日からそれかい、お馬鹿ねこ……↓↓↓ 画像、蒲団が盛り上がってるのが見えますかね? ふだんぺったんこなのにふっこし盛り上がってますですよ。

このアマ、ナメてんのか!! 置屋のばばあ並に怒る私。しかし、……所詮ねこはそんなものなのかもしんね、と諦めて、起きてくるのを待つことにした。それに名前は「かーてろーぜ」……ホホホ、そりゃあ奔放かつ囚われぬ性格になりましょーとも。ええいくそ!

そういう訳で、今後この幸福度の上がりにくい(それはデフォルト)、扱いづらいじゃじゃ馬ねこと過ごすことになったとさー(投げやり)。寿命まで可愛がって家出なんぞさせないように頑張ってやるー!!

うまくやっていけんのか、ホントに。ろいえんたーるはやはり忠実でいいコだったよ……(涙)。おマヌケだったが。
会場左サイドから。これは会場の左サイドから撮ったもの。手前に見える白い張り出した屋根はカフェの外側の席です。天気のいい日、暑い日は風通しの良さそうなコチラで涼みつつ、あれこれ頂くのも美味しそう。私たちが行った日も、結構外でランチを楽しんでるお客様を見かけました。カフェは別に入場券無くても入れるから、展示を観た観ないに関係なく入れるのではないかと思う。
より奥に見える煉瓦の建物はまさに本館とも言うべき場所で正面入口附近。スタッフさん常時スタンバって皆さんのお越しをお待ちしております。お願いすれば手荷物を預かって頂けるので、買い物帰りにだって寄れるぞ!(最初は、私がデカめのトートで行ったので、必ず預けないと駄目か!? と心配したら、邪魔にならないようだから大丈夫、とのことで、預けずに済みました。いや、小さくても預かって欲しければお願いすればいいだけのことだと思う。こぢんまりした場所や狭い所もあるってこともあって、大きい荷物は色んな意味で迷惑になるから預かってくれてるんだろうなー)

今回はとにかく作品数が多くて、何処行っても何観てもがーっとテンションが上がりまくってしまって、ある意味落ち着いて観られなかったかも、と後になってからぢわぢわと反省してしまう。以下、改めて気づいたことやお気に入りぽいんつ。
●キラキラがいっぱい。
←こういう、キラキラを表すオブジェを、今回は沢山観た。可愛いのだ! 至るところに発見出来るので、つい「ここには無いか!?」となまはげのように探してしまう。きん色で、ライトを受けるととても綺麗Vv 展示によっては素晴らしいアクセントになっていて、「D」のとある一室は、仄明かりだけがあって、天井からこの「キラキラ」オブジェが沢山釣り下げられていて、それが絵と部屋の内部と、マッチしていて素敵だった。明かりの具合が絶妙なの! そこはドアを閉じて観るのだけれど(「D」の小屋はドアが5つ、開けて初めて中が見えるのだけど、基本は中に入ったらドアは開け放しておくことになってる。で、その部屋だけは監視員さんが居て、ドアを閉じて中の雰囲気と作品とが一体になってるのを楽しめる。……ドア開放されてると、「あ、中に観てるひと居るんだなー」と、観てる側の「あ、外で次のひとが待ってるなー」がお互いすぐ判るんだけど、この閉じてもいい部屋は、作品の素晴らしさと雰囲気が落ち着くのとで、つい長居しそうになる。……多分、あまりに長く滞在したら、監視員さんに「そろそろ次のお客様と変わって差し上げて下さい」と促されると思う)、明かりはごく限られた量だけ。でも、それがちょうどいい具合に絵に当てられていて、幻想的かつ美しく見える。外に出てちょっと見上げるとヨロコビ倍増なので、どの部屋か判った方は是非、出た後なり見上げてみて下さいませ。

●封筒もキャンバスです。
無造作に開けられたキャンバスに、ささっと描かれたようなドローイング作品、またまた増えてました。むう、名人・職人は画材を選ばないのだな! 紙質とかそれに合う画材とか色々あるだろうに、それにはそれと判っているかのようにしっくりとひとつの作品になってしまった「元・封筒」が飾られている。自分がファン・レタア送ったらそれに書いてくれるだろうか。だとしたら紙質いいのを選ぼう(笑)。で、なるべく大きめのにして(はっはっは)。「二ツ折厳禁」なんかのハンコがていっと押してある封筒にすら描かれてるの。で、それがヘンじゃないの。すげー。同時に「おいおい」ともツッコむんだが。何かの案内をしてるらしき紙にも描いちゃう。敢えて描くのか。何となく其処にあるから描くのか。その両方? 判らないけれど、ゴリッパな画布でなくとも、素晴らしい作品は生まれるのだ、と思う生意気なドシロウトでありました(素地・基礎のある方の一見ラフに見える作品、というのは「侮れねえ!」という気分になる。……なりませんか?)。

●近い! 近いよ!!
アメリカの美術館(MoMAとかMETとかSMITHSONIANくらいしか行ったことないが↓)で驚くのは、作品との距離が「近い」こと。あの、無粋なロオプとか、まず無い(究極、「レプリカだから触っておげ!」みたいなのもあるしね。航空博物館とか、たっっっっっっけえ天井からぶらーんと飛行機ぶら下げられてるし、置いてあるもので、硝子ケエス入りのものは子供たちが張り付かんばかりの勢い(いや、半ば張り付いてるか)で観たりしても注意受けたりしてんのは観たことがなかった。レプリカとは言え、技術と資金つぎ込んでるのに!)。その代わり、まあ、警備員さんは多いけど。でも大抵ふれんどりぃだし。
で、この煉瓦倉庫で行われる展示も、ほとんど、無い。「寄っちゃ駄目」を示すものが。余程「やらかしそう」な行為に及ばない限りは、結構な至近距離で、作品を凝視しまくれる。ごっつい近づいて拝見したけれど、監視役のスタッフさんは様子を見守りつつ、「まあ、そのくらいなら作品に何かあったりはしないでしょう」と判断してくれているのか、距離を詰めても注意したり、はなかった。絵の瞳のラメラメ、細やかな線や描写を観るために、私も友人も結構顔近づけまくりだったんですが(勿論、鼻の天辺との距離およそ1センチ、とか怖ろしい真似はしてない)。生で、直に、近くで。これぞ展示観覧の醍醐味ではないか。でも、日本ではなかなか難しい。それを何だかアッサリ許容してくれてるかのようで、とても居心地よく、楽しく観ることが出来る。スタッフさんは、本当は作品に誰かが無造作に近づくと、実はハラハラしていたり、とても神経を尖らせているのかもしれないけれど、それが伝わってこないので、リラックスして観られるし(とりあえず、小さい子供が駆け回ったり、という光景は、この日見ていない。子供は悪気が無くても何かやっちゃうかもしれんので、監視員さんは大変そうだな、といつも思う。明らかにオヤが「どうなのよ? 放置? 何かあったらどうするよ?」なケエスもあるし)。

●細かい所までじっくり。
小屋のつくりから小屋の位置・配置、作品の配置、作品そのもの、もう全てが見所で。困る(笑)。見応えはかなりあると思う。それで、大人¥1,000。素晴らしいこの低価格!(ボランティア・スタッフの方々のおかげであろう。大感謝)青森在住で津軽地方に住んでいるのなら、多少遠くても観に行く価値はある。南部地方からだと来るだけで大変かもしれないけれど、それでも価値は大あり。なので、県外はもとより、県内のひとたちにガンガン行って欲しいなあ、と思ってしまった。個人的には1回だけじゃ勿体ないやら物足りないやら。You、行けるならまた行っちゃいなよ! というか、行けるひとが羨ましい……。
とにかく倉庫そのものがでかくて広かったことに改めて気づかされた。ガクセイの頃観た時は、ただ黒塀の向こうにあるのを眺めることしか出来なかったからなあ(弘前には4年間だけ在住)。それを「作品」で埋め尽くした奈良くんとgrafって…! おまけに2階まで使ってさらに容量倍増なのに、広さにも奥行きにも何にも負けてない作品群て!!(そしてまだつくり足りなかったらしき彼等って……)

●会場の外も観るべし。
案内板A。案内板Z。外にある案内板。こういう所も手を抜いてないぞ、というのが伝わってくる。建物を正面にして、左サイドと建物の側にそれぞれある。やたらと好奇心発揮しまくり過ぎてあちらこちら覗きたい一心で入ってはいけない所までうっかり行っちゃうのはどうかと思うけれど、とりあえず観て回っても良さそうな所はチェックするよろし♪
まだ小屋が!去年はこの出入り口の側に移動カフェ(可愛い赤い車でクレエプ販売してた)があって、その入口から中に入ると休憩出来るスペエスがあったのだけれど、今年は裏口状態。しっかーし! このゲエトの上にまでちゃーんと小屋があるのであった。脱帽。ある意味呆れる。すごい執念と集中力だ! と感動もする。会場外も見逃せないんだよう、ほんとに。去年は何と日陰の部分でもあったせいか、5月に行われた展示だったのに倉庫の隅に雪が残ってたりしてたことまで思い出してしまった(去年のブログ記事参照。興味のある方は「ナラヒロ」でブログ内検索してみて下さい)。で、この裏手、にトイレがあるのだけれど。これがまたこの展示のためにつくられたトイレ。綺麗で清潔。
トイレ。小さな気配り。去年よりも大きくなった、と思ったら、個室そのものが広々としていた(女性用しか当然見てないのだけれど、多分男性用の個室も以前よりは広かったのではと推測)。で、ドアだったのが引き戸になってる。おそらく、車椅子の用意もされていたので、車椅子を利用なさる方にも使い易いように、という配慮の元に設計されたのではないかと(実は内部撮影しようと思ったんだけど、戸を閉めたままではうまく撮れず、じゃあ開けてから、と思ったらスタッフさんが順番待ちしていたのでそそくさと逃げてきた。そこで撮ってたらトイレにイヨーに執着のあるヘンなひとになってしまう)。全体が白で統一されていて、何故かアクセントみたいに便座の蓋とかがパステル・カラアだった。本当に余裕あるので、お子さん連れ、介助の方なんかも一緒に入れます。去年はもう少しこぢんまりした、一般的な(?)広さのトイレだったのだけど。改善・進化してた。素晴らしい。簡易的につくられたとは思えないくおりちー。
花は、去年もあったけれど、トイレの手を洗う場所に置かれていたもの。日々様子を見てはスタッフの方がより元気な花と取り替えているのでしょう。

……と、思い出したことや書き留めておきたかったことをつれづれに。物欲と食欲を満たした思い出はまた、別の機会に(もしかしたら後々、「本館」でうだうだ語っているかもしれない)。ちうか、まだ語りたいんか↓
iPodでアートを持ち歩こう!ART STAR:奈良美智「Take Me There」
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海だ――黒い海。世界が黒いのか。とにかく、一面が黒い。壁も、そしてゆかも。広々とした場所すべてが黒で覆われていて、きん色のふねがある。桟橋を繋いだような通路があって、私たちはそこを歩いてゆくことが出来る。しばし呆然。見とれているのかあっけにとられているのか判らない。ただ、どきどきする。黒いスペエス――海原のような空間には、遠く、半ば、近くに、浮島のように、南瓜をちょっとぺったんこにしたみたいな女の子のアタマが3つ浮かんでいた。

きん色のふねに目を取られていると、視線の左端に見た記憶のある箪笥のような小さな箱状のものがふたつある。「イトーヨーカドー」の地下通路で見た写真にあったものだ。
小さな家。小さな窓。覗き込むと、そこは「部屋」だった。にゃんこなつなぎを着た、めつきのちょっと悪いあのコが座っている。宅配便の空き箱や、何かを食べたらしき空の丼や箸が床にあり、机には沢山の色鉛筆(どれも小さいサイズ! ごっつい可愛い)。ダレカさんのアトリエなのかもしれない。
ミニチュアの世界は何処までも丁寧につくられていて、可愛かった。そして、小さいクセに、何処か広々として風通しが良さそうで、ちょっと孤独なようにも見えた。ふたつとも、目を凝らして方向を変えながら見る。
友人と「可愛いねー。あれ見てー」などとはしゃぐ。

さあ。ふねだ。行ってみよう。スタッフの方が居る。
「上がってみて下さい。中へも入れますから、どうぞ」。
スタッフさんの声が響く。ここは、人数制限のせいもあってか、階下より更に静かだ。だから、さほど大きな声で話さなくても、ちゃんと聞こえる。
「え。入っていいんですか?」
「どうぞ」
見学者は一様にちょっと躊躇って、それからわくわくしているのも隠さずに、ふねに上がり込む(雨の日でなくてよかった。靴の裏が水気たっぷりだったらどうしようかと!)。
おお! 船室がある! 入れるの!? 階段を下りると、小さなスペエス。時々、階下の展示にあった小屋にも、屈まないと通れない小さな入口やドアがあったけれど、この船室の入口も決して広くはない。でも入れた。友人とふたり、ちっさいねー、でもすごいよねー、ひとが入れちゃうんだよ! とまたまたはしゃぐ。周囲が真っ黒なせいか、きん色がいやらしくない。それどころか光を放って美しかった。船体もすっきりとしていて無駄がない。友人に「さあ、舳先で両腕を広げておいで~」と「タイタニック」ごっこを勧めた馬鹿は私だ。

ふねの上をしばらく歩く。当たり前のことだけれど、これもひとの手でつくられていて、乗ることが出来て、中に入ることすら出来る。すごい。こんなのもつくれちゃうんだ。

ふねを出て、桟橋状の通路を歩く。誰も騒いだりはしないから、心地よい静けさに、さわさわと声が響く。それから靴音。
行き着いた先には階下でも見た八角堂状の小屋があって、友人と「これは」と思い出しつつ中に入る。
「去年は、この中心に至るまでに、絵が飾ってあったよね。『ともだちがほしかったこいぬ』の原画だったかなあ?」
もし去年と同じ構成で見せてくれるならば、中には皿絵が飾られている筈だった。そして、思った通り、そこには皿絵が飾られていたのだった。
それぞれに違う表情と色調を持つこども(?)が居る。大きく見開かれた目と、濃い色の水(?)に浸かり口元が見えないのと、淡い色調に包まれて穏やかに瞼を閉じ、微笑するのとが、対称的に飾られている。
「目に、ラメ入ってるのかな?」
友人が呟き、私たちは絵に負けじと凝視する。監視員としてのスタッフが常駐しているので、余程のことをしない限りは結構近づいて見ても大丈夫だったりするので、私たちは注意されない程度に近づいてそれを見つめた。
「違うね。これ、マットな色調で塗った上に、まったく違う、対称的な色合いで、同じマットな絵の具で書き入れて(塗って?)あるんだよ。ラメじゃない。全然違う色合いだから、輝いて見えるんだと思う」
ラメラメは入ってなかった。本当に、色の違いと調整だけで瞳が煌めいて見えるようになっているのだ。
「すごいね……」
広いとは言えないその小屋の中で、しばらくそれぞれの皿絵を見つめ続けて後にする。桟橋を繋いだ通路をまた戻って、次の展示室へゆくのだ。
振り返っても、あるのは黒を背景に佇むこぢんまりした小屋と、3つの大きな女の子のアタマ。
人工の水面は波立たない。見る側の気持ちに波が寄せてくるけど。何かこう、訳のわからない衝動にかられる。モノを生み出す力をまざまざと見せつけられて、興奮が収まらない。どうしてこんなにわくわくするのかわからない。
最後に、もういちどミニチュアな部屋を覗き込み、きん色のふねを見つめてから次へ。

矢印が「こっちは次だよ」と指しているところまで戻る。ううむ。少しの場所も無駄にしない気だな! 作品が左右にあるのを見つつ、「黒床部屋」へ入ると、そこからは、またガラリと印象が違っていた。昔の、木造校舎の学校みたいだ! と思った。まさにそんな感じ。懐かしい気分になる。
窓のある細長い部屋と、広い広いホールが延々続いてるかのように広い。「第一研究室」「第二研究室」と銘打たれていて、硝子窓の向こうがアトリエというか作業部屋になっているらしきことが伺える。中に入ってみる。
「第一研究室」は、作業準備室。まさにそこでミーティングがなされ、おそらく馬鹿話と真剣な話とが混ざり合った談話があり、このプロジェクトのために奔走したひとたちが居た、という「形跡」がそのまま残してあるかのようだった。飲んで空になったビール缶が何個かあったし、絵の具の飛び散った繋ぎかブルゾン(触れたり広げて見られないからなあ)がそのまま置かれていて、作業時の激しさや真剣さが伝わってくる。部屋の壁には設計図や見取り図が貼られ、奈良くんが書いたメッセエジやドローイング、やりとりしたらしきFAXや手紙がこれでもかとある。惜しげもない、とはこのことだ。舞台裏をふだん見ることなんて出来ないから、ここもやはり嗅ぎまわるようにして見て回った。今は奈良くんも、奈良くんと共に「闘った」ひとたちも、誰も居ない。でも、異様なまでのエナジィで満たされている。空っぽなのに、空っぽじゃない。開放的なのにぎゅうぎゅうに何かが詰まってる。今回よく見かけたキラキラ(平行四辺形の辺の部分を丸みをつけて削り取ったみたいなアレ。「キラキラ」を表現する時に使っちゃうアレ)の型紙ならぬ型板が何種類かあった。
「第二研究室」はアトリエ。「第一」よりもやや狭い。壁には、大きなサイズの絵が飾られている。描きかけ? それとも完成品? いずれにせよ見られることが嬉しい。そういう状況の中にある彼の作品を。
ひとり真っ白なキャンバスと向かい合って、それに何かを咲かせたり生まれさせたり潜ませたり立たせたりする気持ちは、どんなだろう? 「今ちょっと留守にしてます」という感じに、居ないのは奈良くん本人だけで、絵や画材があれこれ置かれている。ゆかに直接座って描くんだ? それとも絵の出来具合を見るために床に置いてあるんだろうか?

「研究室」の向かい側のホール(ホール、は大広間、とかの意味ではなくて。アメリカとかの住居で、玄関から部屋に至るまでのスペエスがあるでしょう? ああいう場所の意味で使ってます)にはタイの子供たちがワアクショップでつくった張り子の犬とその犬小屋が展示されていた。文化祭みたいに。机の上に行儀良く並べられていた。わんこはどれもユニィクで、カラフルだった。小屋もそれぞれ趣が違っていい。参加出来た子たちは楽しかっただろうなー。このホールの向こう側には、さっき階段を上がって歩いてきた通路がある。境界、在って無きが如く、無くて在るが如し。来る時、「おおー」と思いつつも、お楽しみは後で、とばかりにチラ見で我慢していた。時々、許可を得たらしき新たな見学者が歩いてゆく。

ホールには、学校で使っていたような椅子の、でっかいver.が二脚置かれていた。
「うわー。でか!!」「すごいねー。これも作品??」などと言っていたら、研究室前のスタッフさんが「座って結構ですよ」と仰った。
「いいんですか!?」
「どうぞ」
わーい♪ 座る。……私よりずっとずっと小柄な友人はまずヒップを載せることに苦労していた。私は身体の重さの割にひょい、と座れたわ、ほほほ(乾いた笑い)。足をぶらーんとさせるどころか、背もたれ(正直、背もたれと呼んでいいのか迷うとこだ)に背を密着させようとすると、……足の3分の2は載っかってしまう。……わたしゃ熊のぬいぐるみかい↓(そういう気分になれるよ……。ちなみに、あとでショップで販売されている様々な図録を見て、どうやら作品であった、かも、と気づいた。多分参加してるアーティストさんのかと。違ってたらどうしよう↓)
ここに至る前に、実は大きなパズルを見ていた。不規則に、あらゆる面に絵を描かれた立方体が無造作に積んであるのだが、私たちはそれすらもソレで作品だと思い、見るだけに留まっていたのだ。そこに現れたひと組のカップルに、スタッフさんが声をかける。
「どうぞ、組み立ててみて下さい」。
何と、本気の本物、でっけえ絵合わせパズルだったのだ。ええええええ、やりてー!! ……という訳で、友人と私、ひたすらカップルを見守りつつ待つことに。おお、なかなか難しいらしい。ふたりは一生懸命立方体を持ち上げては回転させ、絵を見ながら「ここかな?」「そっちじゃない?」「合わないよ!」と楽しそうである。そのカップルに「さあ終われ~~。完成させるのだ~~。わしらにもやらせるのじゃ~~」と呪いをかける(笑)。
女性が見事完成させて、ふたりはちゃんとそれを「崩し」て去っていった。素晴らしい! 次のひとたちが楽しめるようにバラバラにして積み直していってくれたのだ! ある意味、これは私たち客と、奈良くんとでつくりあげる作品なのかもしれない。組み立てることと、崩して積み替えることと。
椅子から降りてふたりを見守っていると、女性2人連れが現れて、私たちが座っていた椅子の側に来て見ていた。
「それ、座ってもいいんだそうですよ」と声をかけると「そうなんですか」と嬉しそうに彼女たちも座っていた。

さて、巨大パズル。友人とふたり、これでもないこの面でもない、と汗をかきながら試行錯誤。完成させる。……うう、写真撮りたかった(館内は撮影一切禁止なのでねえ)。そして、また崩して積み替えておく。絵柄は今回のマスコット・キャラクタアとでも呼びたい「Three Sisters」。三人の女の子たち。童心に返りまSHOWなので、来館の際は是非トライを。イイカンジで見せ物になりますが(笑)。

最後の小さな小屋をくぐり、階下に向けて歩き出す。名残惜しい。でも、私たちが降りないと次のひとたちが上がれないし。
上がってきた階段を下りて一階へ。スタッフさんがまた順路を親切に教えて下さり、それに従って歩いてゆく(本当に、押しつけがましくなく、タイミングがよい。こういうひとばかりが従業員の店なら毎日でも通いたい)。
「これ、去年は入ってきた道だったっけか」
「あ、そうだね」
出るのが惜しいけど、おなかも空いてるし、ショップも見たいし。ああ、好奇心と関心を満たした後は物欲と食欲だよ。
会場に着いたのは10時30分頃だったか。出てきたのは13時半くらいだった。すげえ滞在時間。でも、もっともっともっと居たかった。一泊していきたいくらい気に入った小屋なんてざらにあるんだーっ。

大きな倉庫の中に現れた町を後にするのはひどく勿体ない気持ちになる。でも、後戻りするより、再び訪れる、のがいいように思う。そこにある限りしか、行けないけど。

充実感に充ち満ちたので、空いた腹を見たそうと思います。てな訳で、カフェにごー。その後は物欲満たしにショップにごー。つまり家計は火の車(ごー。←燃えろよ燃えろ)。たすけて。

この後のことはまた明日にでも。ちまちまと思い出だとか感想だとかまだ語るつもりでいやがりますので。

今回の図録は、今後発行されるそうで、ショップで予約受付中でした。何と今会場で申し込むと、奈良くんのサイン入りが入手出来ます。行けるひとはごー! だ(……ゲイジュツとゆーものは貧乏人には時に大変残酷で御座います……今余裕ないから無理……ゲフッ……。←吐血)。見応えありそうで欲しかった……(涙)。

とっぷにあるしょうひんは、あいぽっどというぶんめいのりきをもたないわたしには、むようのちょうぶつですが、……お持ちの方ならきっと買って損は無いと思う。お手頃価格だし!! 欲しかったなー。「アートを持ち歩こう!」……畜生、悔しいから前に買った奈良くんの作品マスコット化したやつ(キィ・チェイン付)バッグに付けてやる!(何そのショボい負け惜しみ)

装苑 2006年 09月号 [雑誌]
B000GUK29S

スナオに、Aから順に見て行くことにした。その「A」に至る前に、まずちょっとしたワン・クッションがあって、そこで笑った。掴みはおっけーでした(ははは)。さらに「Yokohama Seaside Tenement House」なる部屋(小屋、か)があり、そこで部屋中にあるドローイングに圧倒される。それらに添えられた文字はハングルが踊っていて、マップで確認するとやはり韓国の巡回展の時に描かれたものであると知る。とにかく壁一面、床以外全部に貼ってあるのだ。それらと共に、奈良くんの作品が一緒に存在している。私の知らない、ヨソで行われた展示の熱気が伝わってくる。描いたひとたちの情熱やら愛情もすごいことになってるが、それを美しくそれなりに配置等も考えて一枚一枚壁にみっしり貼り続けたスタッフの熱意にも感服せざるを得ない。手ェ抜いていいもんつくろうなんて根性が微塵も無い(当然だけど)。

さあ、どんどん中へ。それにしても今歩いてるココもソコも、全部改めてこの展示のために建てられたものなのか、と思うと吃驚だ。「graf」の皆様や携わった人々の腕を疑う訳ではないが、私の体重でぶっ壊したらどーしようかと思ってしまったんだが(笑えん)。そんなヤワなもんつくるわけねえべ、と踏みしめる床や階段に一笑に付された。

さあ、本格的に中に入るわよー、というのが判ってくる(私はあまりマップを見ない↓ 何のためにあるんだか)。雰囲気とか、そういうもので。どうなってんだろうなー、とちまちまある窓だとかそこから見えるものから、判る。早く見たい。この目で見たい。

――町だ。あるよ、あるある。こういう町。そんで、でも、何処にも無いんだ。
アジアでヨオロッパで中東で南洋で、でもその何処でもないような町。こぢんまりしてるクセに広がりと奥行きと深さを感じさせる不思議な空間が広がっている、らしい。らしい、って、だって、上から下までまんべんなく使ってて、見渡せば別な小屋の天辺や窓があったりするんだもん! ただ、ある程度の既知のこととして如何に広々としていたかは知っている。あっけにとられながら、期待で自分の中がいっぱいになるのが判る。

大きな倉庫の中に、「graf」によって建てられた大小26(and more!)の小屋があるのなんて知っていた。でも、知ってたと実際見るとじゃ大違いだ。

すげえ。事前にそれなりに情報を仕入れていたので、奈良くんも含め「最初は広いと思ったけどまだまだやれる、もっとやりたい」と思っていたというのは知っていた。もう、何なら私の住んでる町やっちゃってくれ、と思うくらいの勢いがある。……でも、何処か静謐な空気は無くなっていない。そのままそこにある。それが、面白い。あれか? 情熱と冷静は相対するのではなく、同時に其処に在るものなのか? あるんだな、きっと。

開館して間もなく入った方ではあるが、客は多かった。皆それぞれにそれぞれの小屋を回って、ひとりで、あるいは友人らしきひと・恋人と、あれこれことばを交わしながら歩き回り、作品に見入る。小屋そのものも作品なので、その佇まいに見とれ、中に入り、奈良くんの作品に見入る。見落としていないものはないか、とあちらこちらに目をやり、お前は連獅子か、くらいの勢いでアタマを振り回してしまう。

どの小屋も(当たり前だけれど)それぞれに趣があって楽しい。静かに眺めたくなる部屋、わくわくしながら突き進みたくなる部屋、見てない所などあってたまるか、とばかりに目に入ったものは全て観る。奈良くん以外のアーティストさんの作品もあちらこちらを彩っていて、互いが互いのアクセントになっているような。

紙芝居風の機材の中で上映される謎の映画、出版されて間もない本(「鳥への挨拶」)のデザイン構成(? って何?)のコピィにドローイングアリの作品が壁に貼られた部屋(これもとても良かった。本欲しくなったけど、……思っていた以上にお高かったわ……アレね、貧乏人に対して、アートは時にキビシイわね……)、タッチの違いから、ひょっとして比較的古い、というか初期の作品が? というものばかりが展示された小屋(今マップで見たらやはりそのようでした……やはりマップ見ながらちゃんと鑑賞してくるんだったぜ↓)、……ああ、見ても観ても、尽きるということがないー!! そして、奈良くんや他のアーティストさんたちの創作意欲もまたそうなのだろう、と思ってくらくらした。何処からそんなに湧き上がってくるんだろう? どんな時に? どんな風に? 判らないから、私はただ出来上がったものを見つめるだけだ。

今のところ、暫定一位で大好きなのが「D」の部屋。別に「Death」とか「Disappear」とか「Disappointment」とか「Desperate」の頭文字だからではない。「doors」と銘打たれた横長の小屋で、ドアが5つ並んでいるのだ。基本的に、中に監視員の方が居ない部屋はドアを開け放したままで観なくてはならないようになっている(逆に、監視員さんを置いている部屋、は、ドアを閉じて観てこその作品、ということだ)。どんな部屋に繋がっているのか、どきどきしながら開けて、中に入る。暗い部屋、真っ赤な部屋、可愛らしい色合いの部屋、それぞれに異なる。けれど、同じく奈良くんの作品や世界が存在しているのだ。わくわくしてどきどきして、それから、少しだけ戦慄めいたものが身体に走る。同じひとから生まれる異なる色調・テエマの作品。去年は「抽斗の奥」を見せてもらった。やっぱり、それまでのあれこれを見せてもらいはしたけれど、それだけじゃなかった、もっともっとまだまだ入ってたんだ、とまたまた当たり前のことを発見する。

「奈良くんの部屋」(「K」)も好き。上からと、正面からと観られる。本当にそんな部屋なのか、はたまた何処までもつくられた空間なのか、その中間なのか、でもやっぱりそれは「奈良くんの部屋だ」と思える空間。硝子一枚隔てて、すぐそこにあるものを観られるのが楽しい。壁と言わずテエブル(作業台、と言うべき? 机?)の上と言わず、床の上と言わず、とにかくモノで溢れている。それが彼を構成するものだったり、彼から生まれたものなんだなあ、と改めて見入る。おもちゃ箱みたいな楽しさと、その中で自分と向かい合ったりすることもあるだろうアーティストが持つ厳しさが同居してる。

あとは去年も観た作品があったけれど、スライドが観られる「アフガン小屋」(「M」)も印象深い。「AtoZ plaza cinema」(「W」)も好きだった(これは奈良くんの作品、ではない)。真っ暗な中、アルファベットがどんどんカタチを変えてそれぞれの文字に変化してゆく、だけなんだけど。シンプルだけれど可愛らしくてスタイリッシュでもあった。
スライド上映の類はどれも胸に残る。数々の写真に収められ切り取られた「日常」が映し出される。澄んだ目をした何処かの国の子供や、抜けるような青空、何処で咲こうと同様に美しいだろうに殊更綺麗に見える花々。無邪気にへらへらしてる目の前に、ふ、と突きつけられる私の知らない「現実」のかけら。
どの部屋だったっけか。おっきな長椅子があって、其処に腰掛けて見ることの出来る部屋があったんだけど、……子供の頃以来だった。あんなおっきくて、足をぶらぶらさせられる椅子は。何だか妙に嬉しかった。真剣に見てるんだけど、とてもリラックス出来る。

大きくこちらを見据える瞳の中に、ラメが入ってる絵、が何点かあって、ああ、こんな効果を効かせたものもあったんだ、と知る。……印刷されたものでも、気づけるものなんだろうか? 画布の上に塗られた絵の具の、更に上に付されたラメが瞳の中でちらちらと輝く。やっぱり、生の迫力は違う。その場で、許される限り近づいて見つめるのは、印刷されたものを見るのとは違う。
ずっと前に、ピカソの絵をある美術館で観た時、動けなくなった。もうこの世には居ないひとの筆のタッチがあまりにいきいきと生々しくそこに残されていて、「ああ、これがほんものの力なんだ」と思った。あの塗り重ねられて出来た凹凸や筆の走り具合、加えられた力は、直接観るのとそうでないのとではまったく違うんだ、としみじみ思ったのだ。
今回は、またちょっと違う。まだ現役で、これからも、たった今も新しい作品を生みだして、ちょっと前に弘前でDJやって場を盛り上げてくれたひとが実際に描いたものが、其処に在る。奈良くんが企画してその絵を描いて、其処に置いたんだから、そりゃ其処に在る。でも、とても不思議な気分になる。もう何も生むことはない(観る側の感動や感慨はいくらでもこれからも生むだろうけど)腕ではなく、これからも描いてゆくひとの手で描かれた絵が其処にある、それを自分が今まさに観てるんだ、と思うと何とも言えない気持ちになる。会えるかもしれないひとが描いた素晴らしい絵を、こんな間近で観てるんだ! という興奮に満たされる。

「Z」まで辿り着き、さあ次に進むか! と思っていたら、側にいたスタッフさんが声をかけて下さった。
「その下にも、ありますよ」。
穏やかで優しく、鑑賞するひとたちの妨げにならない程度なのに、ちゃんと聞こえるように。
「え! ありがとうございます! 見逃すとこだった!」と駆け寄る(……トシ考えろ、私)と、確かに小屋の下にはわんこがぐるりと輪を描いて並んでいるではないか。おお、可愛い! 見逃さなくて良かった! と思っていたら、更に声が。
「手を入れてみて下さい」。
え。いいのかしら。……手を入れてみる。
「回った! ライトついた!」……童心に返るよりちったあ我に返れ、私……↓ 手を入れるとセンサアがそれを感知し、ライトが点いてゆるゆると犬たちの乗った円形の台が回転するのだ。しばらく、それを繰り返していた(これが奈良くんが公式サイトのブログで言ってた見逃しがちなポイントか!?)。二ヶ所から観られるので、友人と場所を入れ替わりつつ眺める。
要所要所で、見逃さないように、とスタッフの方が声をかけて下さるのも嬉しいしありがたい。「そこの穴も、覗いてみて下さいね」と穏やかな声。そのたびに「おー!」とか喜んじゃってる私と友人。駄目です。「童心」から帰ってきません。

そういえば、私と友人とが「T」の小屋を探してうろついていた時、親切なスタッフさんがコチラからどうぞ、と指して下さったのは「V」の入口。マップを見て「え? え?」とひとしきり混乱し、結局戻る。
スタッフの方の親切心をどうして踏みにじるか、お前ら↓ 「すみません、こちらですね……」とすごすご引き返してきたおマヌケ2人に、スタッフさんは笑顔で「迷いやすいですからね」と微笑んで下さったのであった。ああもうアナタはきっと天使か聖母ね! ……すみませんすみません許して下さい(涙)。

観ても観てもまだある! すげえ! 興奮が収まらない。進んでも進んでもまだ観るべきものがあるのよ! どんだけ広かったんだこの倉庫! もう何度か足を運んでいるのに、空間の使い方や作品・小屋の配置の仕方でこんなにも違って感じるものなのかー!?
そして。その興奮は最高潮に達してしまう。以前来た時はショップとしてのスペエスだったりして、階段あるのは知ってたけど、封鎖されていた。そこに、今、閉ざすものは何もない。スタッフさんが立っている。微笑して。
「2階にも展示がありますのでどうぞ」。

マジですか? 
行ってみたかった、2階!(倉庫そのものを探検してみたい気持ち、というのもあったのだな)今回は、2階にも展示があるんですね!?(だからマップを見ろと)
スタッフさんが階段の上と下とで人数の確認をし合う。人数制限を設けているのだ。
「2名でーす」とスタッフさん同士の確認点呼の後、「どうぞ。上がって下さい」と促された。階段は思っていた以上に段差がきつい。足首まで届くスカアトなんぞ穿いてくるんじゃなかったぜ↓(まあどの階段の昇降にも邪魔でしたが)
で、到着。「こっちを最初に観てね」と促す矢印に従って歩いてゆくと、其処にはだだっ広くてとんでもない空間があった。

TOPにある「装苑」、表紙からもお察し頂けるよう、「AtoZ」にも触れられており、奈良くんへのインタビュウ記事もあります。ものすごくペエジを割いている訳ではないけれど、弘前そのもののガイドにもなっているのでオススメVv ファッションにまつわる「AtoZ」の特集ペエジも、写真が美しくて眼福でありました。

STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 10月号 [雑誌]
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「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」。去年「ナラヒロ2005 "From Depth of My Drawer"」を観に行った時点で、行くことは決まっていた。来ない訳には行かなかった。……逃したら勿体ない、どころのレヴェルではない。逃してなるものか、くらいの勢いで、この日を待ち望んでいたのだ。

友人がわざわざ車を出して迎えに来てくれた。仕事上のシフトで忙しい中、貴重なお休みを割き、面倒だろうにわざわざ。連れてってくれてありがとう!(以上私信)私を抜きにしても、行くだけの価値がある。観れば判る。あの会場に行って、空気に触れて、雰囲気に浸って作品をこれでもかと眺め睨め付けて見入る、ということをしたことがあれば。

街で。久々に行った弘前は様変わりしていた。少し戸惑うくらいに。ついでに、地味に道を間違うくらいに↓ 私が知っていた頃とは色んな場所が変わっていて、何となく寂しい気分になる。変わらないものはないし、発展や進化を遂げることに繋がるんだろうからしょうがないのだが。しかし、歩けばそこかしこに「AtoZ」へいざなおうとする「A」のカタチをした看板が(ちなみにコレは「紀伊國屋書店」入口にて。協賛したり、何らかの形で応援してくれているお店の前にはこのサインが置かれているらしい。もちろん、書店内にはコオナアがちゃんと設けられていて、奈良くんの著書や携わった作品が平積みにされている。
「『Z』のカタチのもあるのかな?」
……友人は期待(?)したのだが、やはり量産するためかはたまたシンボルとしてなのか、「A」のカタチのみであった。「Z」だと中身をどうするか、デザイン上面倒というか掲載したいものがうまく載せられない気がするし)。こういうのを見るだけで嬉しくなる。
会場へは車で行くのを遠慮することになっている。駐車スペエスが無いのだ。よって、駅前のイトーヨーカドーを利用することに。

「AtoZ観覧者は駅前の『イトーヨーカドー』で当日チケットを購入すれば駐車料金が無料になる(3時間、と告知等には書かれていたのだが、実際は終日OKであった。太っ腹! 弘前という街全体が、このイヴェントを盛り上げようとしていることは、後々からも判ってゆくのだが、すでに駐車のために向かった「イトヨー」でもその片鱗が垣間見られるのだ。あーいかん。駄目だ。はよ行ってはよ観なくては!

イトヨー内展示。「イトーヨーカドー」の地下の、ちんまりした特設会場にてチケットやグッズの販売もしている。この写真はそこのディスプレイ。「純米酒 AtoZ Cup House」が山の如く積まれ、その頂上に「ならねぷた」が君臨しているのだ。可愛い♪(……思えば、こういった店舗内で撮影は禁止ではなかったか。どうやら「記念に撮影したい」というのを汲んでくれていて、客がカメラ付携帯で撮影しても黙認してくれているようだった。会場担当の方、ありがとうございました)
ちなみに、駐車場からその場所に至るまでの通路に、奈良くん(前にも言ったけれど、私は(当然!)友人でも知人でも何でもないのだが、彼を「奈良くん」と呼ぶ。どういう訳か、誰も示し合わせていないのに、私と私の周囲は皆彼を「奈良くん」と呼ぶのだ。……本人が知ったら気を悪くするかもしれない……)のこれまで他国で開催した個展等で発表した作品等の写真が大判で掲示されていて、これから行くのだと気分をさらに盛り上げてくれる。その写真では外観くらいしか判らないので、尚更わくわくする。


会場裏手。会場・吉井酒造煉瓦倉庫に至るまでにある歴史ある教会「昇天教会」(何時聞いてもインパクトある名だ…キリスト教の考え方が端的に伝わってくるけど)の側を過ぎ、道なりに歩いてゆくと会場が見えてくる。正面を基準にすると、私たちが来た方向から見えるのは建物の向かって左サイドに当たる場所が見えてくる。ここはボランティア・スタッフの皆さんがミーティング等を行ったりしており、スタッフ・オンリィの出入り口でもあるらしい(彼等はよく外でミーティングしている。真剣な顔つきで、誰もがこの展示を成功させるために熱心かつ情熱的に取り組んでいるのであろうと感じさせる。ピリピリした雰囲気はないけれど、何処かきりりと引き締まった雰囲気が漂っているように感じられる。でも、同時に何だか和やかでもある。会場での彼等の姿そのままだ)。

「ああ、ようやく来たんだなー」と感慨に耽る。歩いてきた距離(まあ大した距離でもないが)と、去年の5月頃から待っていた時間と。「A」の形をした案内板がまずあり、その奥に「AtoZ」のロゴのオブジェ(と言っていいのか?)が見える。
会場正面。会場正面2。正面が見えてくる。おお! 今年はロゴのみではなく、作品が大きな垂れ幕(?)となって彩りを添えている! 煉瓦色に映えてとてもいい。もう何度も来ちゃったリピーターでも、この敷地内のベンチにどっかり座って日長一日訪れるひとたちや働くひとたちの姿、そしてこの煉瓦倉庫と絵、を眺めているだけでも充実感だとかトクした気分を味わえる気がする。ある意味リピーターにとっての特権みたいなものだ。行使してー!!(でも出来ねー!!)
サーフィン・ドッグ。入口のちょっと手前で「サーフィン・ドッグ」に出迎えられた。おお、懐かしい。子供とお嬢さんに大人気。乗ってもおっけーなのだ(靴は脱いで、ひとりずつ、という注意書きアリ)。乗る勇気はない。折角の作品をぶっ壊したらどーする!(……ええ、重さで。そんなヤワなもんつくってねえぜ! とも言われそうではあるのだが、如何せん私の重さが・以下哀しいので略)この日乗ってるひとは見なかった。

チケットを購入し、中へ。毎年感心し嬉しくなるのだが、本当にこのイヴェントに携わるスタッフの方々の挨拶は清々しい。押しつけがましさもなく、「当たり前のこと」として、フツウに挨拶を交わし合える。「おはようございます」とか「ありがとうございます」とか、フツウに言い合えるのは気持ちがいい(出来ない店員や従業員を山程見てるだろう、誰でも! この会場に限って言えばそういう点で不快にさせられることは皆無だ。ぱっぷきんぐサマに賭けてもいい!)。何か少しでも声をかけてもらえると、自然と「ありがとうございます」と言いたくなる。というか言わないと気が済まん! 静かに、でも真っ当なコミュニケイションが築かれてゆくのもこのイヴェントの良さだと思う。

今年は。涼しさなんてもんは、無かったです。皆無! ココは入るたびひんやりとしており、私をして「カタコンベのようだ」(←入ったことはない・笑)と言わしめる静謐さと涼感を感じさせ、実際涼しいのだが。最初一瞬「あ、ひんやりしてるかなー」なんて思ったけど、湿度のせいかひとが放つ熱気のせいなのか。暑い! 「熱い」のなんて知ってんだ、そうじゃねえ、暑いー!!(蒸し暑かったです…。単純に曇天で湿度の高い日だったから、フツウに内部も暑かったのかも。自分が行った時は大抵「ひんやり」だったからなー)
あ。今年は今までとちょっと順路が違う。同じ会場でもまだ期待させるなんてちくしょーだ。やってくれるなー。ちくしょー。中に至るまでの順路のせいもあるのかもしれない。外からの空気が中に流れ込みやすいのかもしれない。それにしたって暑いなあ。熱いのは既に(以下略)。ここですでに内心ひとりヒート・アップしている。

TOPに上げた雑誌、あまぞんでは既にそーるど・あうとで、マアケット・プレイス出品者のおつけになった価格に吃驚よ。足元見まくってるのう。……ちなみに会場で平積みでどどんと販売されております。欲しかったけど財布が許可してくれなんだ。ちぇ。でも次行けたら買っちゃいそうだ。

銀魂 1 通常版
空知英秋 大和屋暁 高松信司
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以前、この作品のコミックス第1巻が出た時、あまぞんでその日の売上1位になっていてその存在を知った(もうWJ読まなくなって久しい。私が現役で読んでたのは「マサルさん」や「幕張」やってた頃だ。てゆーか未だに「メタルK」が好きってヤバイよね、と歳相応のことを言ってみる)。ほほう、今WJでいちばん人気はコレですか(まあある意味WJって人気作品はほぼ横並びっぽい気もするけれど。それも、何故か共通項として、目に横にラインが引いてる素敵女性読者ウケが良さそうである、ちうのが何ともはや)。

とりあえずその当時知ってたのは、時代モノなSFタッチのこめでーだ、ということくらい。描線が「お、イマドキのじゃんぷやのう」と思わせる、やや華奢(というかある意味へにょっとしててクドさ・濃ゆいが無い)な感じ。どうやら主人公はへっぽこに見えてオトコマエキャラ、周囲を固めるのは男女双方にそれぞれウケの良さそうなのを取りそろえてますぜダンナ、なラインナップ。
銀魂 (1)
空知 英秋
4088736230

後に病院の待合室等でWJを手にとって実際読んでみたら、……アニメ版の方が絵が綺麗だった(笑)。主人公がより男前な気がする(アニメ化する直前辺りの号もたまたまあって、それを見たら原作の絵から同様のツッコミが入っていた・笑)。
SFで時代劇テイストで人情モノでギャグ、と。何かもうひとつのキャンディが複数のフレイヴァで出来てますぜと言わんばかりにあれこれぶち込んであるけれど、設定と世界観をつくり込むのが定番の昨今、それそのものは違和感なく、作品なりにちゃんとそれらを消化/昇華してあって面白く読めた。あんまりトーンを多用しないんだね、空知さん。

で、その程度の知識でアニメをたまたま第1話から観たら思っていたより面白かった。もっとも、何でも第1話は幻の連載第1回の話だったもののボツになった、というハナシなのだそうで、実際の始まり方と違うため、ファンの間でも賛否両論らしい。ほほう、そうだったのか。
初回をたまたま観ることが出来たので、そのままずっと見続けてきたのだが、OPやEDで登場するキャラが着々と出揃っていく辺り、ある種の涙ぐましさを感じた(そりゃあ原作でだって少しずつキャラ登場させていっただろうけど、その頃は何の先入観も前知識も無しの状態だしねえ)。制作スタッフも大変だねい。

そんなこんなで原作を知らない状態で観たのだけれど、個人的には「へー、なるほどねー、人気あるのも判るよーな気がする」と思えるくらいには楽しめた。やはり思い入れだとかが無い作品だからか、「これはこういうものなんだ」とスンナリ楽しめるらしい。声優陣は(私がすでに現在人気のあるひとについて疎いのでアレでナニですが)巧い方が多くてもやもやすることもなかったし。絵も毎回だいたいクオリティ高い(故に、低くなると如実にわかってしまう)。
日常や誰もが「ああ!」と思えるあるあるネタや小ネタを重ねて笑いを取りにくる、というのは誰以降だろう? いずれにしてもWJ作品が嚆矢だったような気が(「幕張」辺り?)。
一定の女性ファンにウケそうな野郎キャラもわさわさ居て、それは初っ端からサアヴィスですかい、と思わないでもないが、まあ良かろう(ちなみに、ちゃんと女の子キャラの「絵は」可愛い。←性格とか内面に関してそのコトバは用い辛い・笑)。いちばん好きなのは定春(命名理由をどうにかしろ・笑)とエリザベスだろうか(人間じゃねえのばっかかよ)。いや、銀ちゃんも新八も神楽も好きだが。真選組の面子もめっさ好きだがっ。

今は忙しいので観られなくなっちゃったけど。コミックス、まとめてがーっと読んでみたいなー。
4日にふいに届いた。ポスペのろいえんたーるからだ。

Subject:パークたんけんき

おとなは入れない「沼」があるの。
ネコがいつも
そこをまもってて、
おとながいくとねー
あしがすべって
おぼれちゃうんだヨ
ろいえんたーる

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ろいえんたーる

パーク? もしかして「メモリアル・パーク」ってヤツか? それとも単純に「ポストペット・パーク」? 少し動揺する。
そして翌日の今日。メーラーを起動させると、「この部屋のペットはいなくなってしまいました。新しくペットを飼い直しますか?」と尋ねられた。そうか。やっぱり、もう居なくなったのか。でもって、パークに行っちゃったかもしれないんだ(そして、会員にならない限り、パークの中には入れないのであった。いやん、so-netさんたらケ・以下自粛)。

プログラムされたものに感傷を抱けるなんて人間くらいなんだろうなー。あーあ。

生存日数は確か1975日。配達させる相手が少なかったから、日数だけはやたらと多い。運んだメエル数は多分517通かと(すでに居なくなっているとは思って無くて、最後の「ペットの状態」を確認出来なかったので推定)。
長いこと、暢気でおまぬけなえろぴんぐまと一緒だったなあ。
感慨に耽りまくっていたら、こんなメエルが来た。

Subject:メール。

たぶん、これでさいご。
長かった?
短かった?

でも、ろいえんたーるはとても楽しかったよ。
どこでもなく、ここにいることができて
幸せだったよ。

さようなら。
いつか、花をみるとき、きっとろいえんたーるを思い出すよ。

そのとき、またね。

ろいえんたーるより


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ろいえんたーる

そうか。「どこでもなく、ここにいることができて幸せだったよ」と言ってくれるのか。そうか。

プログラムのクセに!! いやっ目からはなみずがっ(@「子供たちは夜の住人」by高河ゆん)。
空っぽの部屋を眺めてる。新しいペットを飼うのは多分もう少しだけ先になると思う。
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
J.K.ローリング アルフォンソ・キュアロン ダニエル・ラドクリフ
B000B5M7PA

とりあえず原作をまっっっっっったく! 読んでない状態のままなので、映画は映画としてとりあえず楽しめるのはいいことなのかもしれない。こだわりたい部分・好きな部分・ここをカットしては次作に影響が? などと心配したり怒りに燃えたり不満を覚えたりしなくて済むことだけは確かだ。

映画館でも観てきたけれど、ようやくDVDを入手したので自宅にて鑑賞(廉価で特別版が出た時、買う予定だったのがアッサリ売り切れ。しょーがないので中古を購入…したら、何と特典ディスクのみ入っていて本編が入ってなかったというおまけがついた……。要らん、そんな「特典」!! 翌日買った店にまた行くハメになってしまったではないか)。

もとい。まとまっているのか否か、じっくり観ると結構謎なもんだな、と新たな感想が(笑)。でもこれまでの物語の中でいちばん解り易かった。何となく、なんだけど。一作目の「賢者の石」って結局何だったっけ? 何に関わって登場したんだっけ? と、DVDを所有し何度も観たのに記憶に不思議な程残ってないし(要はヴォルデモートが肉体を取り戻すため、でしたっけか)、「秘密の部屋」も「秘密の」、はいいとしても「部屋」ちうのはビミョ~と思ってしまう何かが残るしで、何度も観てるのに「???」だったりするのだ(よくこれまで全作観てきたなあ↓)。
多分、ヴォルデモートが直接的に絡む部分が一切無かったから、だろう。何しろ今回は(まあ一応ヴォルデモートの子分というか手下云々という話は出てくるのだが)ひたすらハリーとその両親とに深く関わりを持ち、殺人の罪でアズカバンに収容されていたシリウス・ブラックなる人物との出会いとそれによってもたらされた新たな真実についてを語るのがメイン(……だと思う)。ある意味解りやすいのであった。何故アズカバンにシリウスが収容されたのか、とか、その辺り、一応がーっと説明するシーンのお陰で理解出来たし。
見せ場と物語のバランスがちょっと微妙、かな。ヒッポグリフの「ビックバーク」に乗ったハリーの飛行シーンが結構な長さで、正直ラストでも同様の見せ場があることを思うとそこまで丁寧でなくてもいいような、と思ってしまうし、形態模写の得意なボガートと対峙する時に重要な伏線があったり、キャラクタアの個性がよく出ていたり(マルフォイたちが皆を突き飛ばして列の最後尾に付くのは明らかに「自分たちが何を恐れているか知られたくない」というしょーもないプライドの高さの現れだろう)これまでの設定が活かされていたり(ロンは蜘蛛が大嫌い…とか)、というのは判るけれどちょっと尺として長いかな、と感じたり。大筋として重要な部分が結構単純明快なせいだろうか(要はシリウスという人物の真の姿と過去の事実の判明、だし)。
タイム・ターナーで時間を逆行して…というくだりは単純に楽しめた。ハーマイオニーがスネイプの講義中に「勝手に発言した」アニメーガスと人狼の違いや特徴について語ったことが下敷きになっているが故の行動とか、ある意味物語に無駄が無いように感じるし(ただ、原作を読んだひとにとっては、有益な「無駄」の部分も面白かったりするし次作にも繋がるから削らないでー、と思う部分はあっただろうけれど)。

この映画では成長(…うーん?)して、ある意味ただ忍従するだけから「魔法」という脅威を示すことで自分を虐げてきた人物たちに対して感情を露わにするハリーの姿が見られること(フツウなら、オトナになって寛容さを身につけるべきだろう、というのが大人としての立場だと思うんだが、虐げられてきた過去があることと、両親を辱めるようなコトバに我慢出来ない、というのは解らないでもないなあと思ってしまう)だとか、ハーマイオニーが優等生なだけじゃないんだよん、な所とか、そういう部分を素直に楽しんで観ていた(欧米女性のぐーぱんは見ていて楽しい・笑。平手でぱしん! じゃなく、パンチ喰らわすのよねえ。それも結構遠慮なくがつんと)。

冒頭のシーンで気分を害したひとも多いらしい。要は怒りにまかせて自分の持てる特殊な力を行使して、「マグル」に過ぎない人物を風船のように膨らませて飛ばしてしまう、というのがよろしくない、とのこと。まあね。いいことではないんだけど。あそこでそれでも耐えるだけのイイコちゃんなハリーつーのも見たいとは思わないんだがなー。耐えてこその「ヒーロー」なのかもしれないけど。しかしまだミドル・ティーンくらいの「子供」がそんなに「リッパ」でなくてもいいような気がするのだが。

ある種の選民意識を感じて厭だ、という意見も見たような。あれは、ヴォルデモートの杖と兄弟杖であったりすることやパーセルマウスであること(これはまたちょっと事情違うか)なんかと絡んできて個人的には興味深い。
「魔法の使えるボク・ワタシは特別だ」という意識、なんだろうか、それは。両親が偉大な魔法使いであった、というのは物語世界では事実であるらしい(もっともハリーの父は結構な問題児で、何だかスネイプ氏は気の毒だったんだのう、つーかその子供に地味に仕返し? とか色々あるけど。←原作読んでなくても入ってくる情報~♪)。
階段下の物置を部屋として与えられて過ごすというリッパな虐待に遭って育ってきた子供にとって、「本当は君は特別な存在なんだ」と言われて喜ぶことはそれほど嫌悪を感じない。ちうか、「君が知らない御両親はとても優れた魔法使いなんだよ」と言われて、一緒に過ごした記憶のないハリーにとっては両親なんて獏としか判らない存在だった訳で、額面通り受け取って「そうか、誇りに思えるひとたちだったんだ」と嬉しくなった、くらいに受け取っていた(映画で観た上の私見ですが)。
「みなしごで厄介者の居候としてしか価値の無いボク」ではなく「素晴らしい両親が居たけれど一緒に過ごすことは叶わなかったボク」であり「その素晴らしい両親から受け継ぐことが出来た力があって嬉しいボク」なんだと思って観ていた。
「マグル」である叔父夫婦に対抗出来る唯一の方法が「魔法」であるが故に、ある種悪用したとは思うのだけれど、少なくとも作中(私に於いては映画に限る)では何時如何なる時もブッちぎれていた訳でもなく、ハリーなりにどうしても許せないことに触れられた時に激昂の故抑制出来なくなるものであると同時に故意に発動させているものとして捉えているため、良くないこと、と思いつつするんと受け入れてしまっている。

単純に、「自分は本当は特別なんだ」と思いたい気持ちが判らないでもない。少なくとも、ことばで精神的に虐げられるばかりか部屋も満足に与えられず下働きのようにこき使われて、両親の良い思い出話を語ってもらえることなど無かったであろう子供にとっては、救いだっただろうと思うから。「清く正し」いだけのハリーではなく、紆余曲折を辿る彼であるからこそよいのでは、と思ってみたり。

個人的に好きなのは占い学で「紅茶占い」が出てくる所と、ハーマイオニーがルーピン先生の名を言い当てて見せるシーンが好き。何故ってイギリスくさいから!(そ、そんな理由かい……)
紅茶を飲んだ後のカップに残った茶葉のカタチで占いをする、というのは昔からあったらしいし、何ともイギリスイギリスしていて好き。最初何で占い学の教室(?)にティ・ポットがうなるほどあるんじゃ、と思っていたら、そうか、あの講義のためか(笑)。マメにポットで淹れてこそのカップ底の茶葉じゃてのう。うむ。
後者は、サー・アーサー・コナン・ドイルの逸話から来ているだろうと思うから。違うかなー(ドイルは見ず知らずの人間――確か、タクシィの運転手とかだったと思う――に明かしてもいない素性をまるでホームズのように言い当てられて驚き、どうして判るのかと尋ねたら「旅行鞄に名前が書いてあるのを拝見しました」とサラリと答えられた、という話を何かで読んだ記憶がある。待てよ。もしかして逆? ドイルが誰かにやったちょっとしたイタズラだっけ? ああもう、かなり昔の記憶なので自信皆無。というかそんな曖昧な記憶に残る程度のものが、出典になり得るのかよ↓↓↓)。ハーマイオニーが得意げに鞄に名前が書いてある、と言った時、そのことを真っ先に思い出したんだけど。それにしても何で読んだんだろう。英語のテキストの注釈だったっけか~~(涙)。

とりあえずここ数日は寝る前の一仕事(主婦業的あれこれがあるのだ)中に、DVDを観ている(でも何故か突然音が割れるようになった・涙。何で~~?)。
駄菓子大全
角田 武 武居 智子 鳥飼 新市

駄菓子大全
駄菓子屋図鑑 昭和こども図鑑―20年代、30年代、40年代の昭和こども誌 ザ・駄菓子百科事典 懐かしの昭和30年代―貧しくても元気だった 駄菓子屋日記

ある雑誌をたまたま見たら、よーく知っている駄菓子屋が記事の中にちらりと登場していた。基本的にはそこで扱っている菓子を紹介していたのだけれど、個人的にはかなり厭な気分になってしまった。

私の小さい頃は、「まだ昭和30年代か!?」な名残を漂わせる、小さな小さな駄菓子屋があって、小柄なおばあちゃんが仕切っていた。雑誌のペエジを切り取ったものを丁寧に貼り合わせてマチのない袋(お菓子なんかを入れてくれるためのもの。モノを無駄にしない精神が生きておりました。しかも、残りご飯を糊にしてた! まさに、「ザ・昭和」つーカンジ)をつくりつつも、子供たちの一挙手一投足を把握しているというツワモノなおばあちゃん。そこに毎日毎日飽きもせずに通っていた。

今は、「そこそこ昔からあった駄菓子屋」や、「今なりの駄菓子屋」がそれなりに方々にあるらしい。で、そのとある雑誌に掲載されていたのは、「今なりの」お店だったのだが。

駄菓子屋、というのは、まず子供の味方というか、子供にとって楽しい場所・楽しめる場所であって欲しい、と思う。社交場で、お金の遣い方を学ぶ所で、宝箱で、わくわく出来る場所。少ないお小遣いで何を買おうか思案し、ようやく決めて買うまでの逡巡を楽しみ、あとは食べて、見て、試して、遊んで、とこれでもかと出来ることをし尽くして欲しいものだと、オトナになった今はより一層思っている。

だが。その店は、違ったんだな。消費税は取る。たとえ¥10のガムひとつでも。勿論、塵も積もれば何とやら、大事なことではある。しかし、コンビニが大量仕入れで「う○い棒」を¥9で入手可能にしている、という特殊事情を差っ引いても、1本買ったら¥10では済まず、さらに¥1足さなくては買えない、という物悲しさは子供にとってはある種かなりの痛手だ。10円玉握りしめてレヂに来る子供を、要は「ごめんね。これじゃ買えないんだー」と追い払うしかないのであった。オヤの感覚では、その店のことをよく知らないと「これで買っておいで」と10円渡しちゃったりするんだな。で、子供もそんなものだと思ってたり、最悪、まだ保育園に通ってるか幼稚園の年少さんみたいな子がやってきて、「ごめんね。それだと足りないなー」をするハメになる。子供はどうして「お金」があるのに買えないか判らない。きょとんとする。時には「あれ? ○○ではこれで買えたよ?」と思ってる子もいるかもしれない。

商売上手ではあると思う。商品も充実していた、とも思う。でも、消費者に対して「正直」ではなかったことを、知ってしまった時には、子供でもないのにショックを受けた。
「え。子供騙して儲けてんの!?」と思ってしまったのだ。
当たり付のお菓子から、「当たり」だけを販売前に引き抜いてしまう(故に、「当たりが出るかも!」と買い続けても、絶対に! 当たることは無い)。まあこの「当たり券」を悪用する不届きモノも居たりするので、しょうがないかな、と思わないでもないのだが、事前に売る側にも判らないものは当然出来ないのでそのまま販売するのだ(それに、悪用出来ないよう対策も講じている)。だったら、その当たり付の商品だって同じように売ったらいいではないか。
売価は社長の言い値。本来そんな価格じゃないのに…なものを、社長が「何となく」「見た目」と「気分で」決めてしまう。そりゃある程度は仕入れ値を考慮してるんでしょう。でも気分で決めるんかい↓ ヨソでそれ以下の価格でんがな、と思っても、たまたま競合が近くに居ないのをいいことに、結構好き放題やりまくりなのだ。昨日まで¥105で売られていたものが、ある日突然¥210や¥315になっている(怖!!)。
そして、「ほっほほ、入手困難でしょ?」と判っているものは、本来の価格より数割高い価格をつけている。これに関しては、まあ、商売の常套手段ではあると思うし、純粋に「子供」が買うというよりも、大人が懐かしんで買うことの方が断然多いので、許容すべき所なのだろうと思う。思うのだが、何だかやりきれない気分にさせられた。客が買ってるのを見る度に、「おーい、それは実は○○では¥300も安く手に入れることが出来るんだよー」と教えてあげたくなる程だ。
「ここいらでは、ウチにしか無いね!」と思っている商品も、本来の価格から数十円高く値を付けて売っている。でも、その後ちょっと離れた違うお店では売ってる地元と同じくらいの価格で買えちゃう店が出現していたりする。だが、どうやら店側はあまりそれを把握していない模様(で、客もちゃんと知らなかったりするんだなー。残念なことに)。
また、店舗によって、商品の売価が異なる。これは、……客が見たらショックだと思うんだけどなあ。「え。○○店で見かけた時は¥315だったのに、何でこっちの店舗では¥399もするの!?」とか。買った後知ったらなおショックだと思う。それもどうやら社長が「気分で」決めているらしいときてる。うーむ……。

極めつけは、どうも従業員に対して教育が足りないらしく、よく苦情をもらっているらしい……なんかもうここまでくるとカナシイ気分になる。愛想が無いとか態度が悪いとか店内で携帯操作してるの見たぞ不真面目! とか、寄せられているときた。おいおい……。

明るくて、レトロ「調」なイマドキのおしゃれさを意識した店舗に沢山の駄菓子、それだけで十分魅力的な筈なんだけど、……「裏」は知らないでいた方がいいのね、としみじみ思ってしまった。
もっとも、昔私が行ってた駄菓子屋は、楽しい思い出なんだけど。どれも大抵適価だな、と子供ながらにわかるし。
消費税導入や単価の低さから言って、「正直さ」だけがいいことではないのは判ってるけれど。「子供相手」が本来の在り方だと思っちゃってる身には、何ともカナシイ事実なのでありました。
あなたへの旅路
エマ ダーシー ミランダ リー Emma Darcy
4596815305

HQには様々な形の再版レエベルがあるけれど、これはテエマ別に売れ筋作家の作品をまとめる、というものらしく、今回はエマ・ダーシー・ミランダリーの姉妹の作品をそれぞれ1作ずつ(「ハーレクイン・リクエスト」というレエベルがあって、そちらも「シークもの」とか「ヒーローが医者」とか、テエマというか話型でチョイスして過去の作品を再版しているのだけれど、読みたい作品・作家だけをチョイス出来ないのが不満。最初の頃は一作ずつ刊行されていたのに……。ありがたいようなありがたくないような。おまけに表紙のイラストがダサ過ぎて泣ける↓ このレエベルは再版レエベルの中でも「作家シリーズ」と銘打たれているものの「別冊」とのことで、これも当初とは方向性みたいなものが何か変わってきてしまった↓ 迷走してるよなー、どう考えても)。
当然、過去の作品なんだけど、……思ってたより面白い。正直、どちらの作家さんもあまり得意な方じゃなかったんだけど。というか、旬な作品がいちばん面白い、のがやはり理想というかあるべき姿だと思うんだが、……「以前ほど面白くなくなった」とも囁かれているからなあ……。

幸せの蜜の味
エマ・ダーシー 片山 真紀
4596007063

横暴な父親が他界したのをきっかけに、飛び出した実家に戻ったリー。母親と姉妹が居るけれど、皆父親の独善性と独裁性に封じ込められてきたためか、本当の意味でうち解けた所がなく、特にリーには冷たい。その元凶である父親の後継者として君臨するリチャード・シーモアに、誰もが取り入ろうと必死になっている。少しでも自分と家族の距離を縮められれば、という願いも虚しく、誰も彼もが邪険にする。特に会いたくなかったのはリチャード。彼女を極力庇ってはくれたものの、助けても救ってもくれなかったことを忘れることが出来ずにいる。そんな彼が突然再会間もなく「結婚しよう」と言ってくるとは!

……エマ作品かミランダ作品か忘れてしまったんだけれど、どちらかの作品だったことは確実だと思う。肉親、血の繋がったきょうだいが、赤の他人以上に残忍かつ残酷・冷酷な性格でヒロインを虐げる、というのは。余程一家・家族の確執、にこだわりがあるんだろうか(自ずと自身の来し方が投影される、と言われたりもするけれど、姉妹の関係は良好だそうだし、純粋にそういう関係の在り方に投ぜられても背筋を伸ばして負けまいとする女性、を描きたい、といった所だろうか)。
4人も女の子が続いたために夫から責められ続けた妻が、息子ばかり4人も持つ男と浮気をして設けた子供がリー。そのためもあって、父親からは蔑まれるわ、母親からは「お前が男だったら苦労せんかったんじゃ!」とばかりに毛嫌いされてるわ、姉たちまでも「アンタだけ醜い家鴨の子よ~」と言いたげな態度。そんな針のむしろな家庭に耐えられず、自立するために家を出て、どうにかひとりで生きてきた、というヒロインには素直に惹かれる。
ヒーロー・リチャードは最初お互いのこれまでとこれからの人生のために一種の復讐をしようと結婚することを持ちかけるのだけれど、リーとしては恋心を抱いたことが一切無いと言い切れないくらいには彼を気にかけていたものの、何故自分を選んだのかが判らない。しかし、肉親、特に母親にあまりに酷いことを言われて「結婚する」と言い放ってしまう。本当に結婚式を挙げ、法的にも完璧。彼は自分を大切にしてくれるし、自分もどうやら彼を愛している。けれど、彼は何かを自分に隠しているという疑念が消えてくれない。そしてアカされた真実が……。

珍しくヒーローがそれほど不愉快な人物じゃなかった(笑)。実はヒロインと同様に公にはされていないけれどもスキャンダラスな出生上の秘密を抱えていて、それが人生にやや影を落としている。それでも、実力でのし上がって、自分の思う通りにすることに関しては譲らない。ヒロインにもそういった面があって、そこを好もしいと思っている。強引ではあったけれど、傲慢とまでは行かず、忍耐強くてまずまず。そもそもオージィ・ハズバンド系なんだろうし(オーストラリアの男性は妻と同様に家事等をこなすことで知られている)、家庭を築くには悪くない、と言えるか。
ヒロインもまた自尊心があって忍耐強く、ある種の虐待を受け続けてきたのに希望を捨てずにいたところに好感が持てた。
読後感、割と良好♪

花嫁の反抗
ミランダ・リー 高田 恵子
483354248X

Fugitive Bride (The Australians) (Harlequin Presents, No. 2212)
(画像は、邦訳版のが無いので、アメリカver.で)
これはもう、どーしよーもなく馬鹿な男が、妻に自分の本音(でも強がりで思い込みで勘違い)を聴かれた挙げ句激怒され捨てられた後、どうにかして彼女を取り戻そうとするまでのオハナシ。男がとことん、何処までもどうしようもない馬鹿で泣ける(大笑)。そんで、取り戻そうとする手がまたコスくて泣ける(爆笑)。
親友と夫が会話をしているのを偶然聞いてしまったリア。「結婚なんて、アイしてない女とするのがベストだ」などと言い放つのを聞いて愕然とし、裏切られた気持ちのままで一緒に居ることが出来ず、置き手紙だけを残して夫の前から姿を消す。消息を辿れぬように身を潜め、それでも自活して何とか生きてきた。ようやく心に受けた傷も癒えてきた。そこに夫が現れてさあ大変! ……と思ったら彼は夫ではない、と言い放つ。どういうこと?

馬鹿が「自分が馬鹿だと認めること・悟ること」は、まあ大切である。うむ。しかしこの夫・ジェラード、どーにもこーにもアホウでいかん。
リアには「カネで贖えるモノを与え物質的に満足させ、ベッドでだって御奉仕しまくり♪ 文句ねえだろ! 一応『愛してるよ』って言ってやってんだし。オレは仕事で忙しいんだ、とりあえずお前はオレをもーもく的にアイしてくれちゃってりゃいいんだよ! そんだけのこたあしてやってるだろが、ああん?」という姿勢でそれまでの結婚生活を虚飾で彩ってきた訳だ。純真無垢なリア(彼はそこも気に入ったとか。都会出の女は強欲でスレている、と思っているらしい)はそれでも彼が自分を愛してくれているのだと信じてきたものの、自分が聞いていないだろうとタカを括って友人に得意げに諭しているのを聞いてしまって大激怒&意気消沈。愛していたからこそ憎しみも深い。逃げ回ってようやく一安心、といった所に夫が出現! しかしコイツは「僕は双子の弟なんだ。偶然ココにやって来たのさ♪」とかヌカしやがる。でも信用出来ないリア。双子? 聞いたこともない! そう言っても家庭のいざこざで音信不通になっていた、自分は兄とは違う、僕を見てくれ、もし特定の付き合っている恋人が居ないなら僕と付き合って欲しい、と迫る。
どう見ても夫。でもある筈のない傷跡を見て確かにこれは夫ではないと悟る。でも、似すぎている。それに、惹かれ始めているのも事実だけれど、似ているからでは? それとも? リアの混乱と困惑は続き、それをヨソにガンガン迫ってくるギャレス(弟の名)。以下思いっきりネタバレ。

まあ、予想通り。実は、ええ、そのまんまです。予想した通り。別人になりすまして(まあ、ある意味本当に別人に生まれ変わった、んだけど)復縁(というか、新たにやり直そうとする)を迫るんですな。
でも、反省はした割に、妻が何にどれほど憤ったか、ちゃんと理解出来てなくて、「何だよ、結局お前馬鹿のままかよ」とちょっとゲンナリ。それでも深く反省して、本当に彼女を愛してることに気づいて追ってきて、まではまあいいんだけど、何でよりによって素直に謝らないで騙すよな真似すっかなー……。
「変わったボクを見て欲しかったんだ!」とか言ってやがるが、結局騙したのには変わりねーだろが。
しかし、そもそも愛していた男なので、結局リアは夫を受け入れてしまうのであった。あーあ。
失って初めて気づく、というのはよくあることだけど、ベッドで都合よくてめえの欲望満たして、おざなりに「愛してるよ」と「言ってやればいい」と思ってて、「ヒマ? カネあるだろ、不自由もさせてないんだし」と放置しまくりって、体のいい娼婦扱いしてやがったんじゃねえか(よくて「愛人」てヤツ?)とヒロインならずとも不愉快な野郎であった。まあとりあえず反省したらしいし、ヒロインにメロメロ(死語)だと認めたので許してやるか(偉そう)。

どうでもいいけど、姉の作品とややネタカブリしとるぞ。まあそんなこと言ったらHQの全てがそうなるけど。
誰でもない人
エマ ダーシー 久坂 翠
4833535300

誰でもない人

(画像はコミカライズ版のもの)
これも、消えたと思っていた恋人(だったっけか)が数年振りに姿を現したと思ったら「人違いだ」の一点張りのクセに彼女を自分の側から離そうとしない男が登場する物語。実は色々過ぎ去った歳月に複雑な事情が…。←これも微妙に釈然としないハナシではあった。ヒロインが自立心があって凛としたタイプである、というのが救いかね。


好き嫌いは別として、読み応えみたいなものは感じた。最近のHQよりは楽しめる。以前の作品のがいい、ってやっぱりちょっと(いや、かなり)問題だのう……。前者の方がソフトな印象。少なくとも、ヒーローが最初からヒロインには誠実かつ優しくあろうとしていたし。後者は馬鹿丸出しヒーローが必死にヒロイン(というか妻)を誘惑しているのが何だか哀れであった(自業自得だ、と嘲笑もしたが↓)。
薔薇色myハニー 3 (3)
大海 とむ
4091305679

……あー……終わっちゃったー……。ほぼ1年間に渡る、長いようで短かった連載(全13回)。もっとも昔はこのくらいのスパンでぽんぽんとテンポよく進む話が一般的だった気もするけれど。長期化作品に慣れつつあるから、妙にアッサリ終わってくれちゃって、ちょっとだけタマシイ抜けてる。でも、すっきり終わって良かったな、とも思う。でもでも、もう少し丁寧に時間割いてもいい部分はあったかな、とも、思う(小梅とミカちゃんがより深く強く結ばれてゆく様とか)。

優秀な一家の長の条件としての「虎憑き」と、その虎を鎮める「虎使い」は一心同体にして互いに互いが独立しつつ、何処かで牽制し合う所がある一族同士。久々に優秀な当主として「虎」に憑かれた御影と、偶然出会った小梅がその虎を御せる「虎使い」と判明し、それが理由でより近づくこととなったふたり。でも、それとは関係なく、お互いがお互いを求めている、と判って恋は成就。そこに絡む一族それぞれの思惑に翻弄されて……と、今回の物語の恋にまとわりつくしがらみの原因は「家」と「血筋」。
それだけに、結構重く、のべーっとなりそうなんだけれど、その辺りはうまく端折りつつ物語に深く関わらせてあって、なかなか。

小梅も御影も相手のことが大切で大好きなだけなのに、「家」がそうはさせじと暗躍しまくり。それに真っ向から挑む小梅。物怖じしない真っ直ぐさが可愛い♪ そしてその小梅にカル~く振り回されつつも、彼女の良さを縛り付けない御影がぐーで御座いました。

そもそもの家柄や血筋の問題で、御影の本来の「虎使い」小太郎と無理矢理結婚させられそうになるものの、自らそれをぶっ壊す小梅のパワフルさ。「お前なんか相応しい女当主になれん」と一蹴されても「私なりに相応しいと思わせて見せるともよ!」と受けて立つ負けん気。そしてそれに呆れつつも、やはり小梅が必要で大事でしょーがないミカちゃんVv 

この巻で、ようやくふたりは結ばれました(ええ、婚約中の身で、立場とゆーものがあるのですが、ひとり孤軍奮闘し、でも誰かを負かしても何にも嬉しくない、と涙する小梅に「ひとりでは出来ないことをしよう」とベッドに連れて行っちゃうのですよ、超絶優秀眉目秀麗鉄仮面御曹子のミカちゃんたら♪)。初々しい小梅と何だか慣れてるよ、な御影が求め合うシーンがすうぃーとで大層よろしゅう御座いました(欄外で「台詞がスケベオヤジっぽい」「むっつりスケベ」と突っ込まれていた……↓ オレ的ツボだったのに。ウチのキャラとカブってたし・笑。でも、思えばウチのキャラは30代後半だったからアリか。ミカちゃんまだ20代半ばだしな……オヤジっぽいのか、アレ…そうか……)。

そして、最後の「試練」として立ちはだかるのは何故か応援していてくれた筈の小太郎ちゃんで…!?

最後、ありきたりかもしれないとは言え、うまく「小梅なりの」女当主として辣腕を振るっているらしきことが伺える、成長した小梅の姿が嬉しかったり。
でも、最終回に御影と小梅のらぶらぶ加減があまり描かれてなかったのがちょっと残念。もっと(精神的にも物理的にも)寄り添っている所が見たかったなー。
何はともあれ大団円。

同時収録作品は「薔薇ハニ」スピン・オフ「愛しこの夜」、地味~に「禁恋」のスピンになってた「しあわせのおまもり」も個人的には楽しめた。
「愛し…」は、「薔薇ハニ」に登場するあるキャラの若かりし日の恋、「しあわせの…」は若くして他界した父の霊が突然現れてパニック、な少女と、彼女を見守っていた男の子との恋を描いた物語。
「愛し…」はちょっとオトナのロマンス(しかしヒロインがかなり妙かもしれない・笑。いや、頑張り屋さんで一途なだけなんだが)。
「しあわせの…」のヒロイン・公美子がややむっちり目の女の子という設定なのだが、ちゃんと「むっちり」していて可愛かった(ちなみに、ちんまくてむっちりしている所が肥えたハムスタアのよーなので「ハム子」と呼ばれていた↓ でもそう呼んでるのはひとりだけで、実はね…と♪)。

よく小品だと何でも「つまらない」とか「ありきたり」で済ませてしまう読み手が居るんだけど、私は小品であれ何であれ、描かれたものは何処がどう面白いか、を楽しみたいと思うので、どの作品も退屈せずに読めたし、読んだ。そんなかっとんで何もかも全部面白いものって量産出来ないと思うし(神がかってる時期、というのはあるかもしれないけど)。小品を重ねることで、いずれ色んな抽斗が増えることに繋がってくれることも、その作家さんの成長に必要だと思うし(それだけに、サスペンス読切の名手的位置づけもある篠原千絵さん辺りは、読者の目が肥えてる分評価は厳しくなるかな、と思ったり。←以前、最新刊の短篇集を結構アッサリ「まあまあ」みたいに言い切った私)。

そういえば、勝手に「薔薇ハニ」の地味~~なスピン作品が一緒に掲載されるのかな、と思っていたけれど、流石にペエジ数の兼ね合いで無理があったか。すでにまた新連載開始なさったので、そのコミックス辺りに収録されることを祈っておこう。でもまさか新連載までパラ・ノオマルだと思わなかったよ↓ そろそろその辺りから脱却した長期モノにも手を出して欲しいなー(難しいのは判ってるんだけど。パラ・ノオマルまで行かなくとも、「現実世界では特殊過ぎるノリや物語」を楽しめるのがまんがの醍醐味だしね)。

ああ、もっと読んでいたかった、と思うのと同時にダレずに終わって良かったという気持ちが鬩ぎ合う~~。……また1巻から繰り返し読み倒そうかしら。
  
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