拠火園雑録

緑ノ指デ、描ク庭。

手洗いのがお好き。―S.S.S.16

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とってもとってもお金持ち、という家庭でもなかった、と思う。何だか失礼な言い方になるけれども。けれど、広々とした庭(まさに走り回れるくらいはある)のある家に住み、夏休みという余暇(主に子供たちだったけれど)を利用して、日本からの学生を受け容れてくれるくらいには余裕のある家庭であった。
私のホスト・ファミリィは、夫も妻も仕事を持ち、子供ふたりに犬一匹の5人家族で、忙しい毎日を過ごしていただろう。
特に、妻でありホスト・マザーであった彼女は、いわゆる「家事」をほぼ一手に引き受けていたらしいので、仕事もしつつ母親としても存在していたとなれば、多忙であっただろうことは想像に難くない。

そんな家庭ならば、おそらくごくフツウにあるものなのかもしれない。

はい、食器洗い機〜(ダミ声で)。

食洗機、というのだろうか? 要は食器を放り込んでおけば洗ってもらえる、というヤツ。あれが、家具の一部として、グリルのようにシンクの中に存在している(引き出すタイプで、下の方に付いていた。入れる時も取り出す時もラクでいいやね)。故に、画像のような、というか、日本でよく見られる「外付け」タイプとはちょっと違う。

働く主婦、あるいは家事もする男性にとって、食器を洗ってくれるマシンというのは便利なものであろう。

しかし、私は断然手洗いがよい。家庭規模ならば。

ホテルの厨房だとか、大量に一気に洗わなくてはならないのであれば、食器を洗ってくれるマシンは必須だと思う。無いと大変。それでも、大まかな汚れは前もって洗って取ったりして、最終的な仕上げ洗いをさせるに留まるケエスだってある。
でも、家庭レヴェルならば、手洗いでいいや、と思っている――それは私が「仕事を持つ主婦」という大変な立場に立ったことが無いからかもしれないけれど。

食器洗いは嫌いではないのだ。むしろ楽しい。黙々と洗っていると、無心になっている時がある。何も考えずひたすらに手を動かしているのはいい気分転換にもなってくれる。ひとり暮らしの時なんて嬉しくてしょうがなかったくらいだ。

それに、利点、というものがある。それは、

洗い残しが無い

こと。これに尽きる。
そしてそれを実感させられたのがアメリカだったのだ。

「水を飲みたいので、グラスを貸して下さい」
と言ったら、ホスト・マザーが「そこに入ってるから、何時でも自由に使ってね」と教えてくれたのが、シンクの下にある引き出しで、まさに其処が食器洗い機、だった。開けると成る程、グラスやら何やら入っている。ひとつ適当に取り出して水を注ぎ入れ飲もうと思った瞬間気づいた。
「あれ。何だ、コレ」
グラスの其処に、白く輪が見える。

ええと。えーと。これって、洗い残し? それとも、……洗剤!?

ちょっと困ってしまったが、これはこの家庭において、「洗ってある、清潔な状態のもの」である。見れば子供たちもフツウにそのグラスで飲んでいる。グラスのデザインに迷っちゃってるフリをしてその中にあるもの全て見てみたけれど、どれも同じように「白い輪」があるではないか。

洗いたい。正直、これはちゃんとスポンジ使ってゴシゴシして洗って取ってから使いたい。

しかし、「郷に入っては郷に従え」である。彼等が何とも思っていないものを、わざわざ目の前で洗って使うのは、失礼な気がした。ので、そのままその水を飲んだ。ちょっと微妙な気分にはなったけれど。
そして、「ちゃんとひとつひとつ手で洗ってたら、こんなことにはならないよなー」としみじみ。いや、忙しい時やっつけ仕事のように洗ってたら、汚れ残ってるかもしれないんだけど。皿洗いが気分転換になることもある自分にはちょっと無さそうだし(茶渋なんかはムズカシイけれど、同日たんまり紅茶を飲んだカップの汚れくらいは、丁寧に洗えば塩素系漂白剤使わなくても十分落ちる)。
家庭用の食洗機では、業務用と違って馬力は無い。平たいものの油を落とすくらいの力はあるだろうけれど、深く細長いカタチのものの奥深くをキレイに洗える程のチカラは無い、のだろう。それとも、使用していた洗剤のせいだろうか。判らない。

でもって、どんな「忙しさ」だと食器を洗うのも機械任せにしたくなるのだろう、とお気軽な身分の私は思うのであった。
小さい子供居ると1日3食つくって食べさせることもあるだろうから、まあ確かに鬱陶しいのか。ちょっとの手間でも省きたくなるくらいバタバタもするのかもしれない。区切りをつける、というか、一日に適度にコンマ打てて、好きだけどなあ。駄目ならまとめ洗いって手もあるし(マメな男性に「ちゃんと食事毎に洗うべきだ!」と言われたことがあるが、それこそお互いガクセイという身分だから言えたかもしれない)。

「人的資源」を尊ぶアメリカにあっては、皿洗いなんぞ機械にやらせて人間サマはもっと「やるべきこと」をこなすがよい、という考え方なのであろう、か。「そんなこと」をするヒマがあるなら、もっと生産的なことに時間を費やしなさいな、と。でも私、ちゃんと洗えてるのか気になっちゃって使えないわ、きっと。そして気になってもう一度洗うくらいなら、最初から手で洗った方が早い。確認する時間のがもったいなくないか?

自分で食ったもんの後始末くらい自分でやったっていいではないの、と思うけどな。綺麗な食器で飲み食いする方が、いい。
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