僕は何かを失いそうだ。 |
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2007-12-28 Fri 00:13
めでたい日の絵手紙―年賀から祝い事まで
花城 祐子 ![]() 今まで手書きか自作で通して来たのだが。とうとう既製の印刷済み年賀はがきに手を出してしまった。 高いんだね(怒)。 でも今年は家にすら居られないので、印刷以前にデザインをどうこうすることすら出来ないのでPCでの作成は無理。手書きなんてもっと無理。 でも、今までそれでもそれなりにどーにかこーにかやってきたのだ。スタンプぺったしで逃げてみたり、特定の友人にのみ手描きイラスト入りにしてみたり、何だかんだゆーてもそれなりにこなしてきた。 しかし。しかし、とうとう、スーパーだので販売されている、事前にイラスト等プリントされて○枚組なんかで売られている奴を買ってきたのであった。 ああ、何か自分の中の何かが終わっちゃった気がする(涙)。 もっとも、ここ数年で、少しずつ、年賀状を出す人数を減らすようにしてはいた。年賀状、どっちの言い分もアリだし、それぞれに正しいというか、理解出来る点てのがあって、いつもいつもそのハザマで足掻いていたのだが。 ひとつは、「ふだん手紙のやり取りや交信は途絶えがち。だからこそ、年賀状くらいはちゃんと出して繋がりを保ちたい」。 もうひとつは「ふだん何のやり取りも無いのに、年賀状のみやり取りが継続してるのって、惰性っぽい」。 前者も分かるけれど、後者に傾いてきている。……ふだん音沙汰無いのに年賀状でのみ上辺だけのやり取りをするのがソラゾラシイように思えるのだ(そこで「ふだんやり取りが頻繁ではないからこそ」という意見がちらついてくるのだな)。 ふだんからお付き合いのあるひとたちに「昨年もありがとう、今年もよろしくね♪」と言うのと、大昔世話になって以来、その恩義を忘れちゃいませんぜと伝えたいが故の御挨拶というのは平気というかさせて頂きたいのだが、……全く音信不通の1年を互いに過ごしておきながら突然年の始めに、というのが何とも、……。ひとにとっては「いいチャンス」なんだと解ってはいるのだが。何でもない時でも何でもないことを共有出来るのが「親しい」ちうことではないのかしらと。 という訳で、今年用意した枚数何と10枚。何だかんだ言ってもこの枚数越えることが多いのだけれど、とりあえずは間に合いそう。ちうか間に合わせちゃうのよ。 どうあっても元日には届かないんだけど。気長に待っていて下さい。>「親しい」皆様、お世話になった方々。 |
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| 拠火園雑録 |
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