どうしてこんな「仕打ち」を?
喫茶部に回されて2日目。「3日間で大凡全てのことを覚えろ」、と言われたその3日間の2日目、である。

恥ずかしいことに、私は勤務中、いきなり泣き出してしまった。

その日は2種類の軽食のつくり方を学ぶことになっていたのだが、私は「ああ、覚えられもしないのに教える側は熱心だ。仕事だもの。教えられる側の私は、今日一日で覚えられる筈もないし、覚えたとしてもそれは材料だとか手順の一部で、味やスムウズなつくり方ではないんだ」とそればかり考える。
そこに客が来てオーダーが入り、私も少し手伝うことになったのだが、正直勝手がわからない。

これが一番厭だったのだ。

カネをもらって食べてもらうというのに、私はプロでも何でもない。でもプロとしてつくらなくてはいけないのだ。こんないい加減な話ってあるか。そう思いつつ、懸命に、出来る限りやる。が。結果はあまり芳しくなかった。
客は会社の株主とその連れだったのだが、そのお連れというのがまた多弁かつ博識で、――また少々ひけらかしがお好きな方であった。私もつくることに手を貸した料理はお気に召さなかったらしく、どういった点がよろしくなかったかを滔々と述べられた。
それは、致し方のないことだ。客には批評批判する権利がある。しかし、私にはかなり辛いことだった。そんな批評しかもらえない程度でカネを取って食べさせる、というやってはいけないことをやってしまったのは事実だからだ。

好き好んでこの部署に来た訳じゃないのに。辞めさせられる上に新しい仕事を3日で覚えろと言われて途方に暮れているのに、客の前ではまるで何もかも心得ているかのように振る舞わなくてはいけない。嘘で塗り固めている。しかも簡単に剥がれ落ちてしまう程度の薄っぺらな。

私、何でこんな「仕打ち」を受けなくちゃいけないんだろう?

もうじき辞める、というか辞めさせられる、というのに、どうして新たな仕事を与えられて、しかもそれをこなせるようになれ、なんて言われなくちゃならないんだろう? 私はそんなことをしろと言われなくてはいけない程の、一体何をやらかした、というんだろうか? 風邪をひいたのは確かに健康管理がなってないからだろう。でも、残業がなくコンスタントに休養が摂れれば、多少なりとも治りは早かった筈なのに。

頭の中をぐるぐる駆けめぐる止め処ない思考と疑問。答えなんて無い。そんなさなかにも、喫茶責任者は淡々とかつさくさくと軽食のつくり方を私に伝授すべく支度をし、調理を始める。

「ちょっと、すみません」

私は別室に駆け込んだ。耐えられなかった。涙がいきなり溢れ出して、止まらないのだ。客の居る前でまさか泣く訳にもいかない。嗚咽を堪える間、ちょうど件の客が店を出て、責任者のTさんとパートのIさんが見送っている声が聞こえてくる。私はひたすら声を押し殺して泣いた。まるで子供だ。
戻ってこない私に気づいたIさんがやってきて「どうしたの!?」と叫ぶ。そしてどうして泣いているのかを察して言うのだ。「泣かないで。ね? 解るよ。気持ち、解るから」。ハンカチを差し出しつつ私の肩を叩くでもなくさするでもなくあやすように手をかけるIさんの声は涙声になっていた。彼女も突然喫茶部に回されて苦悩しているひとりだったのだ。Tさんも異変に気づいてやってきて、慌てて私を慰め、励ますことばをかけてくれた。でも涙が止まらない。

フツウに、辞めたかった。とりあえずやるべき仕事を淡々とこなし、その日が来るのを待ちたかった。今更新しい仕事を即座に覚えろなんて言われても出来ない。そんなに器用でも前向きでも楽天的でもない。

「元々の部署に居たって所詮役立たずだと思われていただけだった。ココに居ても同じ。何の役にも立たない。私はただ、フツウに辞めたかっただけなのに。今更あれこれ新しいことを覚えろと言われたって無理なのに」

やはり子供のように時々しゃくり上げながらつぶやいていた。馬鹿みたいに。気持ちは落ち着いてはくるものの、涙だけはぼろぼろ零れてくる。それでもTさんは敢えて軽食のつくり方を実践して見せてくれた。それも彼女の仕事で、私の仕事でもあった。

「私も辛い。折角教えたって紫堂さんは居なくなる。虚しいとも思う。でもやれと言われたらやるしかない。教えられる紫堂さんの気持ちも解るから、辛い」

Tさんとて「被害者」だ。突然ド素人に料理を教えろ、3日であらかたマスタアさせろ、と言われてどうしていいか判らないだろう。そして覚えたとてその覚えた人間は今月中に消えてしまうのだ。

その後涙もどうにか止まり、ようやく落ち着いて、少しは笑えるようにもなった。心が完全に晴れた訳ではないけれど、泣いても何も変わらないし、何かがどうなるでもない。

会社側の理不尽さについていけない「だけ」の私が、社会人としては失格なのだろう。やれと言われたことをやるのがあるべき姿なのだろう。私にはそれが出来なかった。

とりあえず明日以降も喫茶部に在籍し、仕事の流れやら何やらを教わることになっている。やれるだけのことをやるしかないのだ、結局は。

フツウに、辞めたかった。やるべき仕事を淡々とこなして、周囲に謝意を述べて、去りたかった。そう望むのがそれほど大それたことだなんて、思いもしなかった。

フツウに、辞めたかった。最後に望んだのはそれだけだったのに。
【2006/12/05 23:42 】 | 日々ノツレヅレ。 | コメント(0) | トラックバック(0)
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