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新世紀エヴァンゲリオン (11)
貞本 義行 GAINAX カラー ![]() ネタバレ著しいので、これから読む・現在未読の方は避けられたし。 渚カヲルの死と、「NERV」に迫りつつある危機までを描く11巻目。アニメ版とは性格設定の異なるカヲルとそれ故の「結果」に行き着くまでの流れの違い、カヲルを失ったことの意味とその後のシンジの憔悴、真実を掴んだミサト、予期される(アニメ版と詳細は異なっても大筋では同じで来たけれど、今後どうなるのだろう)凶行……と濃い内容なのに妙にサラサラ読んでしまった。 10巻ではレイが死んでしまい、「新たな」レイが登場するまでを重点的に描いていて、時の流れは11巻よりも緩やかなのに、張りつめた感情や空気のせいで刮目しまくって読んでいたのだが。 やはり、「ヒト」としての「レイ」の死と、「使徒」としての「カヲル」の死は微妙に異なるのだろうか。まだちょっと判らない。繰り返し読んでいるのだけれど。 シンジもまた「同じような」苦悩を抱いてはいない。自らの手を下した者と、近しくなったが故に離したくないと願ったひとを失うのとでは、やはり持つ意味が異なるからか。 レイは死に至るまでにヒトとしての感情に気づくけれど、カヲルはヒトになりきれぬままに逝ったように見える。同時に、ヒトになろうとしていたことも伺えるだけに、せつなさを持つのだが。 カヲルは自分が道具に過ぎないことを自覚しており、いずれにしても自分にある「終焉」が如何なるものかを理解している。だからこそ、どう迎えるか――あるいは、誰によってもたらされるかを重視していたらしく、……それが彼にとってのレイにおける「涙」で象徴されたモノ、だったのだろう。 レイが「死」を迎えたのを見た時は、ただひたすらに悲しかった。カヲルのそれには乾いた虚無感がつきまとう。 シンジもまた、出会いを重ねて、何処か自暴自棄的かつ淡々とした諦観を持っていた少年から変化を遂げていた。ベッドに横たわるだけのアスカも、何の感情も持っていないかに見える綾波も、自分の知っていた彼女たちえではなく、そのことに自分でも御し得ない感情を抱くようになっている。以前に比べて、ひととの繋がりを大切に思うようになっていた。 それだけに、(自分が知り、ことばを交わし、触れ合った)綾波とカヲルを失い、アスカは既に自分を誰と認識することもしなくなり、同い年の近しい存在で彼の隣に居てくれる人間は全て消えてしまったに等しい(ケンスケらクラスメイトは概ね疎開。アニメ版と違い、トウジが死亡してしまったこともあって、ケンスケとも気まずくなってしまったらしきことが作中描かれている)。 今居るのは、皆自分に戦いを強いるだけの人間であって、闘う辛さやそれによって得ねばならない苦悩を分かち合ってくれる相手ではない(そう思っていることが吐露されることにより、ミサトもまた辛い思いをしていることに気づける気持の余裕は皆無)。 NERVに侵入部隊が突入した所で、この巻は終わる(ちょうど劇場版で描かれた最終2話導入部に相当する辺り)。 アニメ版とは大筋は同じでもディテイルが異なるだけにこの先も楽しみ。何かが少し、コワイけれど。 |
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