ある意味「呻る」出来。
EXODUS
Utada T.Moseley
B0001DQ5WI

遅まきながらようやく聴いた。聴き込む程に味わいが増すかな、と思わないでもない。好き嫌いだけで言うのも微妙。悪くはないけれど良くも感じない。良くないか、と問われると「いや、悪くないよ」とだけ。「宇多田ヒカル」では見られない・聴けないモノがあるように思うけれど、逆に言えば「これぞ『Utada』である」と言い切れる程のものを感じなかった。

悪くは、ないんだよなあ。でも、聴いた後何が残る? と自問すると「うーん?」と回答につまる。

英語に堪能な方はより廉価で購入出来る輸入盤の方がいいかもしれない。私は日本先行盤を、何と本来の5分の1の価格で used で購入したのだけれど、御親切にもこちらには歌詞の対訳や対訳を担当した方との対談が掲載されたブックレット付で、これがまた微妙。自作について敢えてあれこれ語ることを無粋と感じなくもないし、より自分の意図した所を知って欲しいのだという真摯さも感じられる訳で、どう取るかはやはり各人次第。困ったことに私はそのあわいにいて「うーん?」と呻るばかりなのだった。読めることによって「なるほどね」と思う反面「野暮だね、嬢ちゃん」とも思ってしまう。

作品そのものがそこにただ在る、それに圧倒されて聴いた自分の中にあれこれ生まれる、それが「格好いい」と思ってしまうからなのだが(もちろん、自著・自作についてあれこれ語ったものも、それはそれで好きだったり楽しんだりするのだ。時を経てから語られたものなんかは、作者自身も比較的冷静になっていたり客観的に見られる度合いが増しているような気がするし)。

日本語詞の時はメロディからもドラマ性を感じることが多いけれど、全英語詞のこちらだとメロディからまでドラマを感じられなかった。たとえ歌詞の意味なんてちゃんとわからなくても胸にクる唄なんざ山ほどあるでしょう。でも、最初聴いただけでは何も無い。何度も聴いたからってすぐ浮かぶものでもなかったけど、多分それは私の英語力のせい、音楽に対して無知なせい。

でも、あれこれ知ってないと楽しめない、というものだっけ、音楽、つーのは。何処でならウケそうで、何処でなら売れそうで、どういうジャンルで何を使ってつくった音で、とか、そういうことを。

そうも思ってしまってなおビミョ〜〜。

コレを聴かぬままに「宇多田ヒカル」の日本語での新曲を数曲聴いてしまっているだけに、尚ビミョ〜。ファルセットの美しさが前より良くなったなあ、とかキャッチィ過ぎないのに残る曲だなあ、とか何かしら引っかかる、彼女らしさを感じたのに、このアルバムを聴いていても「うーん? うーん??」と何故か煩悶するハメに(笑)。

繰り返し聴くごとにある種の心地よさや面白さみたいなものが伝わってこないでもないのだけれど。「宇多田ヒカル」の持つ個性のままだとアメリカに、国外に、出て行けなかったのかね。「Utada」でなくては表せない何がこのアルバムに込められているのか判らない私は楽しむ資格というか資質に欠けてるのかも。
ただ、これが始まりであって終わりでも終着点でもないんだから、次回請う御期待、ってことだろう。

でも、……2枚目、出たとして正価で買うかね、私は。何だかまた used で購入してしまいそうだ。それって新譜として、作品として、認めてない、ってことと同義なんだよなあ。うーんうーん。
【2006/06/20 17:42 】 | おんがく・CD。 | コメント(0) | トラックバック(0)
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